「霊魂」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 霊魂とは

2022-10-29

anond:20221029212509

私自身はネクロフォビアが理解できない側の人間だが、

論理を突き詰めてネクロフォビアを脱した人を何人か知っている。

死んで無になったら怖い思いをする主体が無いから怖がる必要はないってだけの話。

あなた霊魂を信じていて地獄に行くのが怖いタイプだとこの論理通じないけど。

2022-08-13

anond:20220813220704

霊魂によるだましでの献金の話をしている。さらには山上家みたく家族がいるのに全額献金して、子どもたちが路頭に迷い将来の道を絶たれるようなな。

2022-08-09

靖国神社はさっさと大声で「我々は統一教会とは関係がありません!」って声明を出したほうがいいでしょ

御國を守護った英霊霊魂を預かっている身としての自覚が足りない。

政治に利用されて我々もいい迷惑だ!もう政治家の参拝は全面的禁止するぞ!」ぐらい言えないのだったら、右翼のチンポをペロペロしてお捻りを貰う堕ちた宗教法人の謂れを受けることは覚悟した方がいい。

2022-07-15

anond:20220714232041

「世の中は常住なるものか。無常なるものか。世界に果てがあるのかないのか。霊魂と肉体は同一か別なのか。死後の世界存在するのかしないのか。」との問題に悩みお釈迦様に解答を迫ったマールンクヤは、この答えを知りたくてたまりませんでした。 しかしお釈迦様は、それらの問いに一切答えられず、問いかけてもいつも黙したままでありました。

 そこでお釈迦様は、ある喩えをもってマールンクヤにお説きになりました。「ある人が毒矢に射られたとする。すぐに治療しなければならないであろう。ところが矢を抜く前に、一体この毒矢を射たのは誰か。弓はどのようなものであるのか。 どんな鏃やじりがついていて、弦つるは何でできているのか。矢羽はどんな鳥の羽であるのかが分からないうちは、矢を抜くことはならぬと言っていたら死んでしまうであろう。必要なのは、まず毒矢を抜き、応急の手当てをすることである。」

釈迦様は静かに続けられました。「生があり、老いがあり、死があり、憂い、苦痛、嘆き、悩み、悶え等、人生の苦しみを解決する道があるから私は説いている。毒の矢を抜き去るように苦を速やかに抜き去ることが、いちばん大事なことではないのか。

原理論講目次だけみて閉じたわ。そんなこの世にあらざるものなんざ知らん。

2022-02-11

エクスプローラー動画サムネイルの切り出し仕様は四秒です

なんでこんな情報web上のどこにも存在しないのかわからんけど

ググっても全然出てこないか自分調査したわ。死ね。紺くらいの情報くらい整理白やグーグルボケナス

紺くらいの情報のために何でおれが手を動かして何度も動画を作って霊魂マ数秒のテロップーを何個も書いて

サムネイル切り出し市を調査せにゃら何のよあほか、紺くらいの使用ドキュメント化して桶ボケナス

そしてそれはぐぐって速攻でdあせよ。出せよ。サムネイルdb管理してる動向とかあほか、しっとるわぼけ、切り出しの市夜を交差してルッツ点だろうーが死ね

2021-11-28

anond:20211128080423

本質は、霊魂か、セックス生命力か、だよ、わかってないなぁ知か愛か、ナルチスかゴルトムントか、月か太陽か、陰か陽かだよ。

顔なんか皮1枚だよ。接客トレーニングできるんだよ。

2021-10-09

鬼滅の鬼は水爆身体構成している分子全てを気化させても死なないんだろうね

霊魂を核にして周囲の原子から身体再構成するみたいな感じになるのかな

いや霊魂を想定するまでもないか

血鬼術も魔法にたとえられてるように、魔法ってそういうもんだから

物理法則に反した現象を起せるというのが魔法本質的定義である以上、質量保存の法則やらに縛られる必要もない

2021-10-07

anond:20210531103103

人が意識不明で倒れているところに通りかかった。

あなたは助けてもいいし、そのまま立ち去ってもいい。

 助ける

 立ち去る

⇒死んだのを確認してから霊魂を呼び出して同意を取りつけてから蘇生魔法を使う

2021-05-28

カタカナファンタジーが苦手である

 昔から個人的に、日本語カタカナ英語で「ファンタジー」という言葉を当てられてカテゴリ分類される作品(小説映画漫画など)の大半が苦手である。良い悪い、正しい正しくないではなく、あくま個人的な好みの話である。もしも、これらを好きな人が気を悪くされたら、先に謝りますすみません

 日本語で言う時に「ファンタジー」よりも「幻想」という硬めの言葉を当てられる作品は嫌いではない。国内作家で例を挙げれば、山尾悠子とか。

 海外SF周辺の作家作品だと、クリストファー・プリーストの『魔法』や『奇術師』は好きであるものすごく古いが、子供の頃に読んだH.G.ウエルズの短編魔法を売る店』も好きであるSF作家視点から魔法(のような技術体系)が存在する世界」を描いたような作品、例えばハインラインの『魔法株式会社』や、霊魂テクノロジーが実現した未来世界を描いたロバートシェクリー『不死販売株式会社』のような佳作も好きだ。ここまで読めばお分かりのように、どちらかと言えば私はSF寄りの人間である

 日本を含めて世界的に『ハリー・ポッターシリーズや『指輪物語(LoTR)』シリーズ劇場映画としてヒットした頃に「食わず嫌いも良くないな」と思い、これらの映画を観に行ったり原作に挑戦したりした。結果を言えば、結局だめだった。私は、これらを少しも楽しめなかった。『ナルニア国物語』も駄目だった。SF映画ジャンルに含められるが実質的には「剣と魔法世界」のようなものと言ってもよい『スター・ウォーズシリーズも、旧EP4以外のシリーズ作品は全く楽しめなかった。こんな感じだから当然ではあるが、家庭用ゲームの『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などにも手を出していない。

 「剣と魔法系統の娯楽作品の全てを無条件に嫌いかと言えば、そういう訳でもない。子供の頃にテレビビデオで観た『アルゴ探検隊冒険』や『タイタンの戦い(オリジナル版)』といったレイ・ハリーハウゼン作品は、昔も今も大好きである

 『ハリー・ポッター』などが苦手に感じるのには、別の理由も有る。たとえば、ドラえもんの「うつつマクラ」で、余りにも都合が良すぎる夢(文武両道の大天才モテモテで、教師にも親にも級友にもチヤホヤされる世界)に、のび太が興醒めしていたようなものだと言えば、理解してもらえるだろうか?学期末の成績を発表する場で、校長が「勝ったのは…スリリン!……じゃありません!大逆転でグリフィンドールの勝ち!」とか言って、バラエティ番組の「結果発表ー!」みたいな真似をしてスリリンの生徒たちを糠喜びさせたのは非道い。校長あんな依怙贔屓をするような人間からスリリンの生徒たちも性格が歪んでしまったのではないだろうか。あの校長は、教育者として失格だと思う。スリリンの生徒たちは、腐ったミカンなんかじゃない!こんなハリー・ポッターがヒットしたということは「なろう系作品」を好む人間が、日本と同様に海外でも少なくないということなのだろう。どうも私は「なろう系作品」が苦手だ。そういえば、上で挙げた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』は、ハリウッド作品としてアレンジされているとはいえギリシア神話英雄譚がベースであり、依怙贔屓どころか、むしろ主人公理不尽な試練が課せられる物語なので、その点がツボなのかもしれない。

 LoTRが苦手なのは正義の側のキャラクター白人ベースの美しい造形または愛嬌の有る造形ばかりで、悪の側は醜悪な造形ばかりというのが、どうしても興醒めしダメだった。ルッキズム。それに、LoTRの悪の側の造形は、白人から見た有色人種イメージが入り込んでいる気がする。ルッキズム。それはそれとして、第一部で地下に消えたガンダルフが、続編で生きていたと判明し、杖一本を手に巨大な怪物相手にガキーン!ガキーン!と肉弾戦をしていたところは、正直に言うと大爆笑した。

 こんな感じでカタカナファンタジー作品の大半が私は苦手であるが、例外的に楽しめて大好きだった作品が、先ごろ惜しくも亡くなられた三浦建太郎の『ベルセルクである

 外形的には、人知を超越する異形の存在怪物魔法などが存在する世界舞台にした物語という意味で、同じカタカナ英語ファンタジーという単語が当てられていた作品ではある。しかし、私個人にとっては、ハリー・ポッターLoTRと天と地の違いが有るように思えた。もちろん、私にとっては『ベルセルク』の方が「天」であるハリー・ポッターLoTRファンの人には、重ね重ねすみません。繰り返しますが、個人の好みの話です。

 ゴットハンド名前(スラン、ユービックヴォークト)や、黄金時代篇の敵の武将名前(ボスコーン)からは、作者の原体験SF作品が有ったことは想像に難くない。だからベルセルク物語世界では「魔法のような人知を超えた事象存在する/起きるならば、その根源となるエネルギーは何処から齎されるのか」「その代償に払う犠牲は何か」といった理(ことわり、ロジック)を、作者は考えていたと思う。上でも書いたように、SF作家SF視点から魔法存在する世界舞台にした物語」を書くケースはしばしばあったので、SF好きの三浦建太郎もそれらの影響を受けていたことと推測される。ゴッドハンドの1人として転生する直前、深淵に降ったグリフィスが「ヒトの作りし神」に出会って対話を交わす場面(※単行本未収録)は、あれも「この物語世界がどのような理(ロジック)で動いているか」を読者に示すものだったと言える。

 少し脱線するが、理(ことわり、ロジック)と言えば、ハリー・ポッターのような作品を読んだり見たりしていると「あんな大きな学校が有って、そこから大勢卒業生たちが魔法使いになって世に送り出されて、就職先は確保できるのだろうか?」とか「石を投げれば魔法使いに当たるぐらい、たくさんの魔法使いがいる世界では、そもそも魔法使いの存在価値は有るのだろうか?」とか考えてしまう。モンティ・パイソンコントスーパーマンだらけの世界で大活躍するスーパーヒーロー!我らが『自転車修理マン』!」みたいになったりしないのだろうか?捻くれたSF好きである私は、おそらく「物語のような『不思議世界』が存在していて、それが自分のいる現実世界と地続きであって欲しい」という願望が強いのだろう。だから不思議世界を成り立たせるロジックを求めてしまうのだと思う。ちなみに、驚異の世界を成り立たせるような、もっともらしい理屈を付けてくれるハードSFは大好きである

 話を戻すと、『ベルセルク』の物語魔法や異形のモノが存在する世界で展開されるが、主人公ガッツ自身は、魔法による恩恵を受けていない時期の方が長かった(パックの翅の鱗粉で傷を治癒する描写とか有ったけれど)。ベヘリットによりゴッドハンド召喚され、鷹の団メンバーたちが使徒たちへの贄として捧げられた悲劇を考えれば、ベルセルク物語における魔法人知を超えた異形の怪物ほとんどは、主人公に困難を与える原因として存在したと言っても過言ではない。そんな中でガッツは、鍛錬で身につけた能力人間の業で作れる武器だけを頼りに、使徒という異形の怪物たちを相手に、文字通り満身創痍になって半死半生になりながら、ギリギリで死線を掻い潜る闘いを繰り広げていた。リッケルト、鍛冶のゴドー養女エリカの親子、パックなど少数の例外を除けば、長い間ガッツの闘いは孤立無援だった。これでは読者も、応援したくなるというものである

 それとは対照的に、地下牢で長期間に渡る拷問を受けたものの、ベヘリットを使ってゴッドハンド召喚し、彼らの1人フェムトとなり、受肉して自分王国ファルコニアも手に入れた新生グリフィスは、謂わば「うつつマクラドリーム状態を実現した、ハンサム野比のび太である。まさに、なろう系の究極形。しかも、ノスフェラトゥ・ゾッドを筆頭に使徒たちを配下に従えているのだから主人公との戦力差は圧倒的であり、まさに天と地の差である

 こういう丁寧な前フリがあればこそ、近年の主人公を取り巻く状況に変化(イシドロファルネーゼセルピコなどの新たな仲間の誕生、髑髏の騎士魔女による魔法サポート)を生じさせたことにも、説得力が生まれた。最初からガッツに心強い仲間がいて、魔法によるサポートも受けられるような状態物語が始まっていたとしたら、私のようなカタカナファンタジーの大半が苦手な人間は「ハイハイ、どうせ魔法でチョチョイのチョイと助かるんでしょ」と興醒めして終わっただろうし、多くの熱狂的なファンも生まれなかったことだろう。

 長い長い時を経てキャスカ正気を取り戻したことは、主人公ガッツにとっても読者にとっても喜ばしいことだった。しかし、それでグリフィスに対するガッツの闘いに終止符が打たれた訳ではなかった。新たな仲間や魔法的なサポートを得たとはいえ、これから先もガッツは、強大なグリフィスに対して、苦しく不利な闘いを挑むことになるのは確実だった。そういう骨太物語を、作者は描いてくれる。長期間休載は読者としては辛いけれど、長く待つだけの甲斐が有る作品を描いてくれる。これまでと同様に、これから先も、そうであろう。そう思っていた。鷹の団メンバーが、グリフィスの夢の実現を信じていたように。

 私を含めたファンの願望は、もう叶わない。三浦建太郎自身ペンによる物語の続きを、我々が読むことが出来る機会は、永遠に喪われてしまった。

 このまま未完で終わらせるのか。構想のメモなどを元に、誰か脚本家作画者を代筆に立てて遺志を継ぐのか。今後どうなるのかは、未定だという。どちらが良いのか、私には分からない。

 人は誰しも、別れを告げる時には詩人になるのだと、誰かが言った。しかし、ご覧のとおり私には詩才は無い。こんなに心乱れたままで、長々と駄文を書き連ねた挙げ句、偉大なる作家が彼の代表作の中に残した印象的なフレーズ引用するぐらいしか出来ない。

 「風が、旅の終わりを告げていた」と。

2021-05-22

anond:20210522190227

街の占い師にははじめから騙してはめ込んでみつ吸うのを目的としたやつがいっぱいいるからあてにしてはならない。

一度霊感商法に捕まるとそいつは一生救われない。それどころか周りの人間毒牙にはめようとする。

まず第一に休むことだ。判断力は休まないと持てない。

その後落ち着いてから心理系を中心とした本や漫画創作を読むのが良い。それでも「教祖しか救えない」みたいなのとか、霊魂あの世スピリチュアルなどが書いているのはまがい物。

その上ですることと逃げることの峻別をつけていくことだ。というか人生休んで落ち着いて逃げることと挑むことの峻別をつけていくということが大体の物事の答え。

2021-05-14

anond:20210514125100

ワイはそれで萎えたことあるやで。。。

海外翻訳SFで遠未来の異星人一家の話なのに儀式で見えた父と死んでいる母の霊魂的繋がりを娘が「レイラクラプトン」と称して感動するとか)(SFファンタジー漫画主人公の最終兵器必殺技地球より大きい「ビスケットハンマー」だがソレが作者の心酔する某バンドの曲からだったとか)

2021-04-15

日本人にとっての死後の世界

ふと不思議に思ったのだが、

地獄」って聞くと、あの血の池針の山があって、鬼とか閻魔大王がいる「地獄」を思い浮かべるよな?

あの「地獄」って、たぶん仏教概念だよな?

反対に「天国」って聞くと何を浮かべるかっていうと、赤ちゃんみたいな天使に連れられて、

そこには死んだ人(善人)がいて、みんな頭の上に輪っかがあって、幸せ暮らしてる、みたいなイメージじゃないか

それって、たぶんだけどキリスト教だよな。天使かいるし。

 

何でこんな混ぜこぜの認識なのかよくわからないけど、

逆に仏教における天国ってのはないらしい(「極楽浄土」はまた「天国」とは違うらしい)し、

キリスト教における地獄がどんなものかはよくわからない(「地獄」と「冥府」は別らしい)し、

神道では「地獄」も「天国」なく「黄泉の国」だけど、これが一番しっくりくる気がする。

 

宗教ってやっぱり「死後」を考えるところから始まるんだろうなーと思うが、

逆に宗教にとって「死後」ってクリティカルすぎて、当たり前だけど答えはないし、宗派によって無限に説があって定まってない。

俺は神も仏も霊魂も信じてないけど、いくら科学的知見を持ち出しても死後の世界否定することは不可能だし、

永遠の謎だからこそ想像力の及ぶ先も無限で、調べてみると色々面白いなーと思った。

2021-04-06

Vが主役のキッズアニメ

V「憑依召喚!」

おじさん「受肉ゥ~」

おじさんの魂の強さがVの強さになる

死してなお現世を漂う戦国武将霊魂成仏圧に耐えた分凄まじく強い

2021-03-21

anond:20210321131128

俺が中学校の多感な時期に考えていた設定で…

何故、人の魂はあるとされているのか?なぜ成仏とか言われるのか?という妄想が耐えなかった時期があった。

天国地獄の様な死後の場所があったとしたら、人間の魂でごった返すんじゃないか?むしろ生命全てに霊魂があるのなら、虫などの極小生物の魂だらけになった地獄天国なんじゃないのか?

と考えていた。そこで一つの仮説を立てた。そもそも虫と人との魂の形は同じではないのではないか?と。そして、魂とは一つの場所にとどまらずに輪廻転生の様に次から次へと移り変わるのではないか?と。その時にふと、その魂が器をなくした場合、一度一つに集まっているのではないか?という妄想も始まった。だから自分たちの中に前世有名人であるという人が複数いるのではないか?と。一旦全てが一つになるから、他と共感性が生まれるのでは?と。

そして、その集まる場所は、当然多次元の、ここから干渉できない場所であって、質量問題三次元的には考えられないことで、時間軸も一方方向ではないのではないか?と。

そんな結論に至ったあとに「人類は一つになるべきだ」みたいな人類補完計画を見たときは非常に興奮したものです。

てか、自分の考えた事を他の人が物語として続きを書いてくれたことにメチャクチャ感謝したな。

ということで、次は保管後、どういう物語が始まる?どういう物語だったら皆納得できる?ってまた一人妄想する。楽しい

2021-02-27

anond:20210227195855

精神科行けば即入院して廃人になるとかじゃなくて、気持ち落ち着ける薬くれるからね。精神科医を迷ってるなら行ったらいいとなる。

心理カウンセリングついている精神科であればなおよし。

でも、何らか本来逃げたりかわさないとならないことから逃げない+離れて休まないから疲れるってのもあるだろう。

から逃げて何に挑むかは人生ずっとの課題よ。

休むにはマインドフルネス瞑想おすすめ。ただし、セミナーは残念だが弱い人間が関心持ってるから鴨にできるという悪質セミナーもそれなりにあるので勧めない。本やネットのみがいい。

なおかつ、霊魂先祖あの世霊障だの書いてる本はまがい物だからそんな本は捨てろ。徹頭徹尾脳の休息だ。

2021-02-06

anond:20210206165915

あなた必要なのは親友作る作らないじゃなくて、情緒不安定になったら全てから離れて休む習慣でしょう。

どのみち友人も良し悪しはあるけど、頭が十分に休んでないと良し悪し判断できないから。

今回見る目がなかったね。一度休もう。

マインドフルネス瞑想が良い。ただし、君みたいに弱まってるやつをかもにしようというやつがいからセミナーじゃなくて、本、ネットで。かつ、霊魂あの世先祖スピリチュアルを絡めてるのはまがい物だから本やネットでもだめ。

anond:20210206152558

行動改善は十分に頭を休めた状態でないとできないよ。

頭を休めた状態で、何をすべきか、何をすべきでないか判断して変えていく。時間は同じだから、すべきでないことをして、やるべきところに注意を払っていないか生産性が低い可能性もある。

あと、関わるべきでない他人からは逃げないとならない。むしろノーガードで付き合っちゃってるから苦しんでる気もする。

マインドフルネス瞑想が良い。ただし、君みたいに弱まってるやつをかもにしようという悪質セミナーも多いから、本やネットだけで。かつ、霊魂あの世先祖スピリチュアルを絡めてるやつはまがい物だから本やネットでも捨てろ。

そうやって一つ一つ、何をすべきか。何をすべきじゃないか。誰と関わるか、誰から逃げるかの積み重ね。

2021-02-03

anond:20210203074247

一度離れて休む習慣をつけること。休む手法マインドフルネス瞑想である

承認欲求も、満たし得て、正当な承認欲求自分を奮いたたせるガソリンになるが、届かなかったり、不当な承認欲求こそが自分を苦しめる。だけど、その割り振りは十分に頭が休んでる状態じゃないと判断できない。

ただし、残念ながら、弱まってるやつが関心を持つということが悪徳セミナー業者に知れ渡ったかセミナー危険。本やネットで学んだほうが良い。なおかつ、霊魂あの世先祖スピリチュアルなどを絡めている本やネットはまがい物だから捨てろ。

2021-01-22

anond:20210122111019

オンデマンドって単語を使うなら、それまで需要に応じず一方的に与えられるとか垂れ流されるような、自由に利用できない状況があった上で、その一方向性に対する問題意識が共有されてないとそういう表現は出てこないと思うが。

定量的疲労度測定自体存在しないのだから自由に利用できない状況なんだが。だから、君が問題意識を持っていないことを除いたら、オンデマンドでも妥当だと思うが、それは置いとこう。

マインドフルネスなどは脳疲労ターゲットにしながらも定量的疲労度測定がないから、ターゲットに対してどうかというのは測定しにくい。

そこで、疲れている人になんかいいぞということで弱まってるやつが近寄ってくるから不安や恐怖を煽って疲労度を高めつつ依存させる霊感商法や悪質セミナー跋扈する。

定量的で、望めばすぐ結果が出るような疲労度測定が実現すれば、まがい物は疲労度高めてるだろ!と指弾ができる。

いまは、疲労度を高めるようなまがい物に取り込まれないように本やネットで調べて、かつ霊魂スピリチュアル周りが書かれているのは排除せよとしか言えないってこと。疲労度測定がない状態から

anond:20210122082556

その外的権威自分だ!だから自分のいうとおりにしろ!という人間が多くてねぇ。さらに、自分を外的権威とすることができて他人を騙して金をせびれるようになればそれで食っていける。

からこそ、距離をおいて冷静に判断できる本やネットで学ぶべき。かつ、霊魂スピリチュアル先祖あの世に絡めているのはまがい物だと述べてる。

無論マインドフルネス自体科学検証も色々されているが、根源的な脳の疲労オンデマンドで測れない以上、ふわふわとした存在で有り続けるのは仕方ないなとも思う。それでもなんとか関連研究者は頑張ってるが。

脳の疲労10秒ぐらいでオンデマンドで測れるようになれば、マインドフルネスと、それこそ心理学大きく変わるんじゃないかと思う。

anond:20210122075711

自分の体内の感覚に集中させるものなのでスピリチュアルではないが。

宗教に結びついていたというのはそうかも知れないし、宗教知識は役立つものはある。

だが、こちらが言ってるのはマインドフルネスヨガ瞑想を名乗るセミナーには悪徳業者が絡んでるものが多く、そして悪徳業者排除する方法はないということ。

から、本やネットだけで知識を得た方が良い。本やネットでも霊魂先祖あの世スピリチュアルを絡めてるのは排除しろということ。スピリチュアルを絡めて、マインドフルネス瞑想ヨガ悪徳セミナー入り口にしようとしている連中がいるから。

anond:20210122004616

まず科学というのは17世紀デカルトの明証分析総合枚挙からなり、合理的批判に耐えられたものは正しいというところから始まってる。

逆にそれ以前のこれは正しそうだという知見は多かれ少なかれ、宗教に結びついている。そこも元を正せばブッダイエスや禅僧など宗教者がこれが正しそうだという自分経験をもとに正しそうだと言ったのだからね。

マインドフルネス瞑想ヨガは、おそらくは脳の疲労対策だ。

マインドフルネスがまだまだ霊魂あの世スピリチュアルに取り憑かれやすいのも、根源的な「脳の疲労」なるもの人類が直接観測できないからだ。それは仕方ない側面がある。

血流の中の疲労因子で見れそうというのはなんとかわかってきたものの、複雑な高分子ちょっと変わったみたいなものを、生きている体に対して直接簡単には測れない。

だけど、自分自身の「脳の疲労」なんだから自分自身の体内の感覚に集中していれば薄っすらと感じられるものスピリチュアルとして外的存在依存する意味はまったくない。

また、霊感商法やら自己啓発セミナーがだめなのはセミナー依存させようとするから問題があって苦しいか瞑想マインドフルネスヨガを始めるのだろう。セミナー商売もので、問題解決したら飯の食い上げだ。

なので、常に不安を抱えたままで、セミナー依存してくれる状態を作り上げる。そして、信教の自由があるから、そんなセミナーを潰そうとするやつはもういない。

からさまに不幸に見えるのに、霊感商法自己啓発セミナー勧誘をするという怪しい人間は弱まっているときに、セミナーに引っかかって生まれしまった。

残念だけど、弱まってるやつが関心を持っているというのは悪徳人間には知れ渡っている。だからセミナー関係で学ぶのは危険が大きい。

本やネットで学び、脳の疲労を取り、霊魂スピリチュアルなど自らの感覚以外の者に結びつけようというやつはまがい物として排除しないとならない。

宗教知識も、今や本やネット自分がたちが悪いやつと縁遠く明晰な判断ができる状態で身につけるべきもので、セミナー宗教組織で学ぶべきではないよ。ましてや「キラキラ」なものを求める欲望こそが、悪徳人間に引っかかる。

anond:20210121235337

残念だけど、ヨガも、マインドフルネスも、瞑想も、「弱まっている人が関心を持つ」から、怪しいやつが目をつけてるよ。

キュレーションサイトだろうが、霊感商法や悪質自己啓発セミナーに引っかかるよりはマシだ。書いてあるやり方をそのまま真似たらいい。

一番マシなのは本じゃないか。それも、霊魂先祖や、スピリチュアルに触れてないようなもの

2021-01-17

anond:20210117123930

「頭が良くないと」、ではなく、「頭が十分に休めてないと」だと思うよ。

あと、頭がいっぱいいっぱいだと、頭が新しく入ってくる情報を拒むから、頭が良くなりにくいというのもあると思う。

単語一つ覚えたら、呼吸30回みたいなことをすると単語が覚えやすなるみたいに。

瞑想いいよ。ただ、弱まっている人間霊感商法や悪質自己啓発セミナーも狙ってるから、本、ネットでな。かつ、霊魂あの世スピリチュアルに絡めているのはまがい物だから逃げろ。

2021-01-12

anond:20210112072237

燃え尽きたってわかるのなら頭を休めないと。

瞑想マインドフルネスで頭を休める。回復してなにかしたいと思うのができてきたらそれをやり始める。

ただし、瞑想は残念ながら霊感商法や悪質自己啓発セミナー信者を集めるのに利用し始めてる。本、ネットだけで勉強すべき。かつ、霊魂あの世精神世界先祖を絡める本、ネットは捨てろ。徹頭徹尾あれは脳の休息だ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん