はてなキーワード: 詐欺とは
違う
修正したものを再提出しなきゃならないし、再提出したものが前回出した書類と食い違うと税務署は再びツッコミ入れる
どうにかしてColaboは数字を合わせなきゃいけないんだけど数字を操作すればするほど矛盾が出てくるので最終的には追徴金が言い渡される
そうやって一度目をつけられた法人は監査の目が厳しくなり追徴金地獄へ陥り、最終的に法人の代表者は脱税や横領、詐欺などで逮捕されるパターンが多い
の圧着ハガキが来たんだけど、スマホでQRコード読み込んで回答サイトから個人情報入力して本人確認書類(免許証・保険証。何故かマイナカードは×)アップすんのね。
これ本物かどうか確認しようがなくない?URLで確認するにしても回答サイトが銀行のドメインじゃないからパッと見わからん。
一応ハガキの宛名の下に問い合わせ番号あるから、銀行に電話して番号伝えれば確認取れるか?
でもそれだけだとこのQRコード先が銀行の用意した物の証明にならないと思う。
住所氏名くらいなら分かるけど免許証アップさせるんならもうちょっと安心感無いと嫌やわあ。
ハガキでは個人識別のIDだけ送って銀行サイトからそれを入力すると回答サイトに飛べる、とかならまだ安心?
問い合わせ先電話番号じゃなくて、問い合わせに使用する専用のコード番号です。銀行に電話したら「ハガキに書いてある番号教えてください」って言われるやつ。
でもそれで「確かに銀行から情報確認のお願いを送ってます」って言われてもQRコードの飛び先の保証にはならない。
なんで詐欺に限るんですかねぇ…
えっ?colaboさん詐欺やってたんですか?
最近、はてな内でインターネット老人会やおい腐女子部の方が過去を振り返っていたので、それに関連して無断リンク禁止からリンクフリーへ至った足跡を記憶を振り返りながら記そうと思う。
ただし、当該エントリのリアクションでも触れられている通り、まだまだ規模が小さかったとは言え個人視点で見れば広大なインターネットの全てを捕捉するのは難しく微妙に個人間で差異があるものと思われる。
違いがあれば私はこうだったと教えてもらえると更におもしろくなるかも知れない。
さて、若者の皆さんはインターネットのオンラインコミュニティではその当初「実名文化」であったことをご存知だろうか?
実名文化となった要因は様々あると考えられるけど、大きく影響を示した要因の1つは「JUNET」であると言われれば、まぁ納得はするのではないだろうか。少なくとも影響ゼロではないだろうなと。
JUNETは学術系ネットワークで、その主要コンテンツは今日における電子掲示板群と非常に似通ったものがあり、つまりは話題カテゴリごとに整理されたページが存在したのだ。
建前上、JUNETはごく真面目な学術系ネットワークだったので書き込みの責任は個々人にあり、書き込みへ責任持ってもらうため実名制が取られていたとされる。
電子掲示板群で「である」調の文体もJUNETで使われていた文体であり、由来は論文に使われていた文体なのだ。
まぁ実名であっても責任?なにそれ?みたいな感じで至るところへ噛み付いたり、唐突にまったく脈絡なく関係のない話をはじめ、それを指摘され叱られたら逆ギレして大暴れする抜き身のナイフみたいな方が居たんだが・・・そのことについては別の機会に。
えっソイツどうなったかって?今でもTwitterで元気に至るところへ噛み付いてレスバしてるけど?
私の年甲斐もなく落ち着かない性分はなかなかだと自覚してるが彼女には負ける。私はそろそろ落ち着かないとと思ってるがキミはそのままで良いと思うよ。
まぁそんなこんなで日本のインターネットはその当初実名文化であり、TCP/IPやWWWがデファクトスタンダードとなりWindows 95が社会現象になるほど売れた時代、ホームページ開設ブームなんてものがあった。
まぁブームと言っても現在に比べればまだまだ小規模のものではあったが、個人が自宅からウェブへアクセスし、何ならウェブサイトを公開するというのは中々に特別感があったのだ。
そのホームページ開設ブーム期のホームページは実名文化の影響下にあり、住所から氏名、電話番号、家族構成、勤め先などなどを載せているホームページが数多く存在した。現代の個人情報保護の感覚からすると実におおらかと言える。
言ってみれば、その当時のホームページは後の時代に登場する「前略プロフィール」みたいなものだったのである。
書いてある内容も個人の日記帳、しかも実像へかなり近い個人の日記帳のようなものであった。実名で交友関係がわかったし、ホームページの管理者が学生であれば甘酸っぱい恋の悩みとかを隠すこともなく実名で書いていた。
この当時のホームページはあまりにもリアルすぎる個人情報の塊であり「ホームページの管理者が広く公開していないURLを無断で他所に転載することはネチケットに反していた」という古の文言を現代で記すこととなる。
現代の感覚からしてみると「広く公開していないURLって何なんだよ」と言いたくなるし、情報技術者から見れば「ローカルにDNSサーバでも立てたのかな?プライベートIPアドレスならば個人利用だと事実上無限みたいなもんだ」と広く公開していないプライベートなURLの可能性を探り始めるが、当時の人の感覚からするとインターネットなんてドマイナーなのでインターネットを使ってる時点で隠しているつもりだったのだ。
実にバカバカしいと現代人は感じるかも知れないが当時の大半のインターネットユーザは至って真面目に本気でそう考えていた。
例えば過去の時代、NTTはハローページという個人の電話番号を膨大に載せていた冊子を発行していた。
この個人情報は公開情報であるが、電話番号所有者に無断で何ら関係しない他所へ公開した場合、倫理的に問題ないか?と言われれば現代人でも問題と感じるはずだ。現代では特殊詐欺とかあるしね。
じゃあ何でNTTはそんなもん発行していたのか?と言えば、当時の電話番号を取得するには加入権というものが必要であり、加入権は金融商品としての側面を持っていたことから、ハローページへ記載されているということはNTTがその個人の信用をある意味で担保しているという判定が得られることがあったのだ。
まぁつまり電話番号すら持ってないヤツは信用ならんから取引しないという考え方がマジで存在したんだ。
現代の、それこそ若者の感覚からするとNVNOで気軽に電話番号を入手できてしまう今では考えられない価値観だ。
ちなみに加入権の反動からか約20年前に契約書すら必要のないプリペイド携帯電話で詐欺が横行するっていう失敗があったので約20年前が最も電話番号の価値は低かった。
まぁそんなこんなで、URLは公開情報であっても勝手に使うのはダメなんだ、URL無断転載禁止なんだ、無断リンク禁止なんだという価値観の時代は存在したが、それが急速に失われて「リンクフリー」が台頭する時代が来る。
リンクフリーが何故一気に広まったのか?と言えば「Yahoo!」が日本国内で営業開始したからであった。
当時のYahoo!はディレクトリ型と呼ばれるウェブ検索エンジン方式で、これはハローページなどと同様に人力でURL情報を収集して掲載するという形のウェブ検索エンジンだった。
掲載されるには審査が必要で、Yahoo!に掲載されるということはウェブサイトへ一定の価値と信用を与えてくれるものだった。まるで本当にハローページみたいだ。
この価値が失われるのは「Google」がロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンを開発したからであったが、リンクフリーはGoogleが登場する前から使われ始めている。
リンクフリーはYahoo!が登場したからだけでは実は説明しきれず、Yahoo!が人気サイトをランキング形式で掲載するようになったからというのが実際の答えである。
人気ランキングが存在するようになると競争が生まれる、当時のウェブサイトにおいてはアクセス数(≠ユニークユーザ数)こそが人気の指標であり、URL無断転載禁止・無断リンク禁止のスローガンはこの人気争いの中で邪魔になっていった。
そして同時にインターネット芸人みたいな人たちも続々と登場するようになり、個人の赤裸々な情報が詰まった日記帳のようなホームページは段々と廃れていき、匿名のインターネット芸人が笑い話やお涙話で人気を集めるようになった。
そうつまり「テキストサイトブーム」の到来である。
テキストサイトの思い出についてはこのエントリを読むインターネットユニークユーザ諸氏の方が詳しいしバラエイティに富んでいると思われるので任せた。
ディレクトリ型ウェブ検索Yahoo!の登場は別にテキストサイトだけへ影響を及ぼしたわけでなく、2ちゃんねるの元になった電子掲示板群「あめぞう」の前身である「あめぞうリンク」は「リンクサイト」と呼ばれる種別のウェブサイトであった。
そのほか後年にはリンクサイトの発展型である「ランキングサイト」も登場しており、ここまで来るともはや牧歌的なインターネットなど想像も付かないような喧騒が起きるようになり、更に現代では当時を喧騒と表現しても良いのか迷う程度に現代インターネットは闘争本能が強すぎる人たちが多く生息している。
アーマードコアの新作発表されたしそっちでやれよ。
URL無断転載禁止・無断リンク禁止派の最後の抵抗はやはりGoogleによるクローリングだろう。
前述したロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンはウェブページからウェブページへのページリンクを自動的に収集するというもので、人力で登録していたYahoo!よりも収集効率が物凄く高かった。
しかし自動で収集するからこそウェブサイト管理者からすると謎のアクセスが急激に増え、何なら当時「Google」という単語など知る由もなかったので特にリンクを多く持っていたウェブサイト管理者からするとDDoSアタックか?と疑念を抱かせる程度には迷惑千万だった。
もちろん静かに仲間内だけで楽しんでいるようなウェブサイト管理者としても急にアクセスが増えることは不快感でしかなく、Googleの人気が増えていくに連れてリンクされない権利を求めるユーザもまた増えていったのだ。
この件であまりにも叩かれすぎたGoogleはウェブ検索エンジンの検索結果に記載されない「noindex」という施策を取ることとなり現代でも運用されている。
ただしこのnoindex、性善説で運用されておりウェブクローリングする側がnoindexを無視すりゃ普通にクローリングできるので完璧な解決手段ではない。
まぁこんな感じでテキストサイトあたりから日本のインターネットは匿名文化へ傾倒するようになりリンクフリーが一般的になっていったのだ。何ならリンクフリーって言葉すら見なくなる程度にはリンクフリーが当たり前の価値観であるインターネットになった。
そう言えば、はてなブックマークでも無断リンク禁止、勝手にウェブブックマークするなという意見が取り沙汰されたこともあったが、その辺の思い出話はブクマカのほうがよく記憶しているだろうし任せた。
Twitterを開けばcolaboの話題ばかりで本当にうんざりしている。デマとかそういう以前に、あまりにくだらないとしか言いようがない。
そもそも「公金の不正使用」とか「税金の無駄遣い」とかの問題にやたらに熱心な連中は、相手にすべきではない。
第1に、実のところ問題にしているのは「公金の不正使用」などではないから。10数年前に官僚・公務員の「税金の無駄遣い」を執拗に攻撃していた人たちが、安倍政権下のモリカケ問題を熱心に擁護し、現在の五輪汚職でも何一つ反応していないのがまさに象徴的だ。本来の主張を正直に主張すべきなのだが、それだけと支持者はごく限定的になってしまうという計算から、「公金の不正使用」「税金の無駄遣い」の問題にすることで、中間派を騙して釣って味方につけようとしているわけである。悪質としか言いようがない。
第2に、colaboの「公金の不正使用」を暴き出すことに成功したとして、そうした扇動的な世論の盛り上がりの結果起こることは、業務を委託されている公益団体が「不正をしていない」ことを証明するための余計な業務が激増するか、めんどくさいからすべて民間の営利企業に丸投げするかになるだけで、おそらく社会的弱者にとっては何一ついいことがない。兆単位の金額の不正や政府や政権の中枢が関与しているというならともかく、一NPO団体の「不正」に血なまこになる理由がどこにあるのだろうか。今のところ、悪質な詐欺や犯罪的なことに手を染めているわけでは全くなく、その「不正」に対する怒りとしては度を越しているとしか言いようがないだろう。
この問題の発端である暇空茜氏は完全に馬鹿馬鹿しい陰謀論に染まっており、最大限好意的に見ても立花孝志と同じレベルの人物で、まだ真面目に付き合っている人が多いのが不思議である(特に弁護士など知的職業に従事している人で)。
(追記)
正面からの批判ではなく、揶揄・嘲笑で批判するというのはこれまでもよくあることだけど、それに「そんな話題に興味持っているのお前だけだろ」みたいな新手の揶揄が登場していることが驚き。
増田のホットエントリも一時期この話題だらけだったから、否応なく目につくし、興味を持つなというほうが難しいはずで、「そんな話題に興味持っているのお前だけ」は嘘と断言していい。
あらかじめ書いておくが、この日記は決して「男性向けは寛容で女性向けは狭量!」と言いたいわけではない。ただ私個人には女性向けよりも男性向けの方が心地よかったというだけだ。
だからこの日記を根拠に男性向けageや女性向けsageをするのはやめてほしい。ただ愚痴を吐き出したかっただけなので。
まず女性向けではこの三つ巴でしょっちゅう揉めているのを見かける。そしてそれぞれが自分たちは迫害されている被害者だと思い込んでいる。例えば腐なら「私達は昔から男オタクからイナイレ投票やpixivのグロ画像荒らしで迫害されてきて…男女カプは当たり前のように作品タグやキャラタグを使ってるのにBLだと棲み分けを強いられてきて…」夢なら「最近はマシになってきたけど夢というのは昔から居場所がなくて…5chですら叩かれてて…自己投影が悪口として使われていて…」男女なら「女オタクはみんな腐女子か夢女子みたいに扱わがちで…腐や夢から散々ヒロインを叩かれて…」みたいな感じだ。
そして腐内では左右固定とリバでしょっちゅう揉めている。そしてそれぞれが自分たちは迫害されている被害者だと思い込んでいる。例えば固定なら「リバ者は平気で地雷を垂れ流してきて…自分の作品をリバが逆カプに解釈してきて…リバこそポリコレ的に正しいとマウント取ってきて…承認欲求を満たすためにリバカスが固定と偽って固定者に読ませてきて…」リバなら「リバカスなんて蔑称で呼ばれて…わざわざ別垢を作って逆カプに萌えていたら詐欺と責められて…左右どちらでもいいなんて解釈が浅いだけと言われて…」
そして固定同士でも逆カプや対抗カプを理由に争っている。
夢内でもオリ主派と自己投影派は多少揉めているようで自己投影のキツイ(と読者が思った)作品は叩かれがち。そして同担拒否というので同じキャラが好きな人同士がいがみ合う場面もある。
男女は多少平和なのか?と思うが対抗ヒロインで揉めることもあるらしい。
あとジェンダー論争でフェミ腐女子(腐ェミ)とアンフェ腐女子(アン腐ェ)が揉めているのを目にする。腐ェミは洋画界隈や海外ジャンルに多いようで「同性愛を腐ってると呼ぶなんて同性愛差別!」ということでshipperを名乗りがちだ。最近だとつくたべを持ち上げているのもこの層だと思う。この人たちは咲のポスターを叩きつつ海外俳優でナマモノ萌えしていたりするのでアンフェからはダブスタと叩かれる。一方アン腐ェは「男性向けもいける!可愛いおにゃのこ好き!」みたいな雑食腐女子が多くて、アンフェ男がよく持ち出す「萌え系作品には女性作家が多い!」の根拠となる人たちだ。本当に好きなのか金稼ぎ目当てなのかは知らないが男性向けエロや美少女を描いている人も結構いる。あと淫夢ネタやおとわっかなどの差別的ネットミームを男オタの真似をして使ったりする。ぱっと見アンフェ男の味方をしているがあっさり腐ェミに寝返ったりする。
好きなものを愛でるだけで済まずに嫌いなものを主張する人たちに疲れた。ツイフィやプロフカードに地雷のカップリングを載せたり男女が地雷、BLが地雷、夢が地雷と書いたり、面倒くさ!!と思ってしまった。男オタクにもそれぞれ嗜好の好き嫌いはあるだろうが、わざわざプロフィールに嫌いなものを書いたりはしないと思う。なぜ女性向けだと描くかと言えば配慮してもらうためだけでなく、それぞれ徒党を組むため?と思ってしまう。女性向けだと好き嫌いが個人の問題では終わらずにそれぞれにグループを形成しているのが辛いのかもと思った。自分でも良く分からないが。
男性向けも平和というわけではないらしく、百合やおねショタ(ショタおね)界隈はしょっちゅう揉めているらしい。しかし自分は百合もおねショタも興味ないので今のところは嫌な思いをしていない。ふたなりも玉ありと玉なしで揉めているらしいが、ふたなりも興味ないので大丈夫そうだ。
あと男向けは非処女の場合や男の気配があった場合荒れるっぽいが、自分も推しに対しては処女厨&童貞厨なので問題ない。女性向けが面倒というより男性向けの方が自分に合ってるというただそれだけだと思う。
男性向けって自分の性癖に合わなかったりエロのこだわりに逸れてた作品や新刊が毎回適当な大手サークルは地雷作品として5の評価スレみたいなとこで晒し上げして不買い呼びかけしたりサークルに対する誹謗中傷スレ立てられたりするけどそれで嫌いなものへの耐性がある???って疑問しか出てこない
ファ◯ザ同人とか趣味の同人なのに容赦なく星1付けられて詐欺だとかボロクソ言われますけどって男性向け村に居るからこそ思うわ
差はどこにある?
そもそも大昔から「インターネットの99%は回線代だけで楽しめる」という状態を支えていたのは紛れもなくネット広告だぞ?
個人がサーバー代を払うパターンでも、そのサーバー代はサイトに置いたアフィリエイトで補っていた。
それでもインターネットでは広告を憎むものが暴れまわっていて、adblockを入れることは絶対正義だった。
広告の効果が疑われたことで収入が減っていった広告業界は、怪しい広告を出すようになり、やがてネット広告は詐欺とウィルスの独壇場と化していった。
今でもネット広告には無数の詐欺広告が溢れているし、無理やりクリックさせるために動き回ったり透明になる広告まで出てきている。
そして多くのヘイトが今も日夜注がれている。
ネットを楽しむための仲間ではなく、ネットを破壊するテロリストのように扱われている。
こんなことはADSL時代のインターネットでさえ考えられなかった。
あの頃に「Adblockを推奨するようなことはやめよう!サービスにちゃんとお金を払うんだ!」と主張すれば、あっという間に炎上が広がっただろう。
炎上の行き着く先は卒業アルバムや会社HPからの顔写真晒しであり、更にはスマイリーキクチのようにあることないことを言いふらされて人生に大ダメージを受けたはずだ。
だが、今はそうではない。
むしろAdblockを推奨する側こそがそういったリンチ被害に会いかねない空気が醸成されている。
時代は変わった。
そりゃ変わる。
変わるに決まっているのだが、やはり変わるということには一定の恐怖が伴うものだ。
振り落とされればそこには社会的な死がいつも待ち受けている。