「被爆者」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 被爆者とは

2015-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20150805182413

うわっ、被曝って遺伝するんだよ。お前も被爆者かよ。

報道ステーションで言ってたから間違いない。

http://anond.hatelabo.jp/20150805182413

私の祖父母も二次被爆者です。

お墓は段原の方にあって、盆の時期は墓参りにいつも行くのですが

墓石の下には、当時中学生で学徒労働で働いていた先の工場被爆して

そのまま息を引き取ったという大叔父も眠っています

やはり、祖父母の口は割と固くて増田のようなエピソードも碌に聞くことはなかったのですが

それでも忘れなれない話がいくつもあります

先の大叔父お手伝いさんの大八車で大洲の別宅に運ばれた先で息を引き取ったときの状況

広島祇園に住んでいた祖母は当時学生でしたが、

爆風で校舎の窓ガラス割れしまったので座布団廊下に敷いて歩いた話、

避難者の母親背中からハサミで亡くなった赤ちゃんが皮膚に癒着していたので切り離した話……

そう聞くと、増田さんのように哀愁が入り混じった8/6になるのでしょうが

俗っぽい話もその陰で聞けたのが自分の幸いでしょうか。

大祖父が囲っていたお妾さんの家族ごと広島駅裏の家からいなくなったので

兄弟が多々いて一波乱あってもおかしくなかった財産相続がすんなりいったことだったり、

戦後の混乱をボンボンとして過ごした祖父は、そのまま学友として遊びたかったので

広島大学大学院復興するために生徒が欲しかった先生等と裏で手を組んで

家業を継ぐこともなく、まだ暫くは遊んでいた話とか……

(その学遊が仕事にやがて繋がったらしいですけど。。)

被爆した悲惨さを後世に伝えていくのはもちろんなのですが、

被爆後の世界を決して消えない心の傷を抱えながらも

逞しく生き抜いていった人たちのことも同様に語られるべきですよね。

それでは黙祷を。

2015-08-05

祖父は二次被爆者だった

1945年8月6日広島原子爆弾が投下された。

そして当時中学生だった祖父は、6日から1週間の内に広島市へ入市した。

これは父から聞いた話であり、私が祖父から直接聞いたのは「広島原爆二次被曝たか手帳を持ってるよ」だけだった。

分子供に話す内容ではないと思ったのだろうが、祖父の死後、やはりどうだったのか気になった私は父親に聞いた。

1945年8月6日広島県にある祖父の通っていた中学校中心部のでは無いらしいが調べてみても分からなかった)の校長教職員・生徒は、

陸軍学校掃除という事で集合し、広島の中心地へ向かった。だが、9人だけは違った。

そこには祖父も含まれていた。祖父はその時、何らかの事情で行く事が出来なかった。

他にもスイカを食べ過ぎてお腹を壊した生徒や、寝坊した生徒など祖父を含めて9人が行かなければいけない大切な仕事を休んでしまった。学校側もお怒りだったらしい。

だが結局、その9人を置いて広島市内に向かった全員が原爆によって亡くなった。生き残ったのは事情で行けなかった9人だけだった。

広島市爆弾が投下され多数の負傷者が発生したという話を聞いたのは8月6日夕方だったらしく、中心部から来た宅配屋(?)の話を聞いたそうだ。

祖父は学校の生徒の事が気になってか、ただ興味本位だったのか、とにかく原爆投下から一週間以内には、自転車中心部へ向かった。

広島市中心部に入った時、目の前の水平線に敵戦闘機による掃射の様な光景が広がっていたのを見て祖父は危険を感じた。

だが、敵戦闘機エンジン音や、近くに居る人達に緊迫感が無かったのを見て不思議に感じた祖父がよーく見てみると、

それがいつもは見えなかった広島湾だった事が分かった。陽光を受けてキラキラ光る海面が、

建物が消えた広島市内のずっと先に写り、それが敵戦闘機の掃射と似ていただけだった。

どこまでも続く荒野と、その先に見える広島湾に驚いた祖父は自転車を走らせた。

中心部に近づくにつれ、路肩にまとめられていた遺体が道の真中で放置されている状態を目撃した。

祖父はその遺体に近づくと、カエル達がその遺体に這っている所だった。(食べていたのかは分からない)

遺体に群がるカエルを取り除く事しか出来なかった祖父は、とにかくそカエルを潰したり引っぺがしたりして少しでも供養になればと

遺体を見つける度にやっていたそうだ。が、自転車を走らせても走らせてもその光景が海の方まで続いていたそうだ。

祖父にとっては原爆ピカドンではなく、カエルだった。実際の原爆の炸裂の瞬間は見ていない祖父は、原爆はどうだったのかと聞かれても

このカエルの話しか出来なかった。更に原爆を目撃していないんだから被曝はしていないという感覚だったのか、40歳半ばまで被曝手帳をもらう事は無かったそうだ。

生き残った9人の同窓会の時に二次被曝してるんじゃないかという話になり、被曝手帳をもらえるのではないかという事で診断した所、

二次被曝している事が分かり、被曝手帳正式にもらったそうだ。

そしてこの他8人はどうなっていたのかというと、特に強烈なのがその内の1人が暴力団系に進んでしまっていたという話だ。

というのも同窓会に現れたその1人は、黒い車のドアを部下に開けさせ降りてくる所を目撃し、言われなくても分かってしまったという。

祖父はその人にこう話しかけたそうだ。

祖父『せっかく原爆から生き残ったのになぜそんな道に進んでしまったのか』

その人『そうするしか無かった、俺にはこの道しか残ってない。』

祖父『まだやり直せる。亡くなった彼らの事を考えて道を歩もう。』

その人『いや無理だ。もうこれでしか生きていくことは出来ない。すまん。』

そのまま同窓会のこの会話を最後に何年も顔を見せる事が無かったそうだが、ある日の新聞で、その人が暴力団同士の抗争のさな

殺されたという記事を見て、父が「これはその人なんじゃないか」と指摘した時、祖父は頷くも無言でやりきれない顔をしていたそうだ。

祖父の話はこれぐらいで、他に強烈だったのは祖父の親戚の乗っていた漁船が爆風の直撃を受けて船長の体にガラスが突き刺さりまくって亡くなったという話で、

その後漁船広島まで帰ってくると突然真っ黒焦げた人達の中から名前を呼ばれ、気付くとそれが親戚だったり、また近所の人だったりと

祖父の親戚は広島に集中していたので親戚の間ではこんな話をいつもしていたそうだ。

孫の私にこういった話をされる事は無かったが、話を聞いてみて、同じ級友含め学校生徒のほとんどがが犠牲になった中で

生き抜くという事は非常に辛かった事だろうと思う。でもそれでもやりたかった職に付いていたそうだし、こういった話をする事もなく、

会ったら美味しいものをいつもごちそうしてくれた祖父には尊敬するしかない。明日原爆投下から70年・・・

2015-08-04

広島原爆と退屈と平和について

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150803/k10010176121000.html

これは非常に興味深い。

特にこの部分

『「アメリカ原爆を投下したことについて現在、どう考えていますか」と聞いたところ、

「今でも許せない」と答えた人は、広島で43%、長崎で46%、全国で49%でした。

一方、「やむを得なかった」と答えた人は、広島で44%、長崎で41%、全国で40%で、

広島では、ごく僅かですが、数字の上では「やむを得なかった」と答えた人が、「許せない」と答えた人を上回りました。』

小学生まで広島にいて、中学生から関西進学校に通った個人的経験から思うことを書いてみる。

(僕の小学校だけではなく広島がそんな感じだった、のを前提とする。経験からおそらく正しい)

まず、中学生の時に驚いたのは、同級生原爆が落ちた日を知らなかったことだ。

もちろん全く知らないわけじゃなかったが、知ってる人でも、笑いながらあれ広島9日だったっけ?

というようなレベルだった。

広島公立小学校では、ほとんど全員知っていたし、知らなかったとしてもそれが何か恥ずかしいことである、という雰囲気があった。

それが、知的レベルが相当高いはずの進学校でこんな感じなのか、というのは、良い悪いではなく、単純に驚いた。

広島原爆が落ちた日、というのを他のことで例えるなら、たとえば、阪神大震災が起こった日、東日本大震災が起こった日。

それが近いと思う。その地方にいた人はおそらく起こった時間まで覚えているだろう。

それと同じ。広島では小学生でも、原爆が落ちた時間まで覚えている。

広島では小学生はどんな感じだったかといえば、ことあるごとに原爆の話を聞くし、戦争についての話も聞くことが多い。

被爆者学校に来て講演をすることもあった。

それは、反戦教育、という言い方になるのかもしれないが、小学生からしたら客観視はできないし当たり前のことのようにその中で育った。

中でも、僕の小学校では、僕が3年生の時から平和集会」というイベントが1年に1回開催された。

それまでは学年ごちゃ混ぜの運動会みたいなものが開催されていたのだが。

平和集会というのは、各クラスで、平和に関するプレゼンをしあうものだ。歌や劇や朗読方法自由

その結果、僕はどうなったか

ほんとうにうんざりした。

平和平和うるせー、と思うようになった。

それは小学校6年生の作文に書いてあったのをこの前見つけた。(写真で出しても良いぐらいだ)

クラスプレゼンを何十個も毎年見るわけだ。

何年も続けてやってたら、同じ話ばかりだしプレゼン作るのもうんざりする。

おそらくこれは僕だけではなかったと思う。

つの例として、小学校6年生の時に、湾岸戦争が始まったのだが、その時クラス男子何人かは「やったー」と叫んでいた。

僕は叫ばなかった。そして、女子はもちろんたしなめたが。

しかし、どこか共感できる雰囲気は間違いなくあったと思う。

それは単純に幼さとも言えるが、その背景に平和教育への反発があった気がしてならない。

やりすぎは良くないのではないか、と思っていた。

原爆に関しても、そんな感じだった。

原爆原爆うるさいよ、と。そんなに言ったって、落とされる方にも問題はあっただろ、と。

そんな気持ちになっていた。

で、このアンケートの結果。

しかしたら、そういうことなんじゃないか、という気がしてしまうのだ。

原爆落とされた日はもちろんおぼえているけど、だからって今でも許せないとは言い切れない。そんな空気を感じてしまう。

一応、これでは終わらない。終われない(笑)

中学生ぐらいまでは、そんな風に、今言われているのとは違う意味での「自虐史観」のようなものを持っていた。

しかし、最近はまた違う印象を持っている。

僕が大学に入った頃、98年ぐらいから右傾化ブームが訪れる。きっかけはおそらく小林よしのりの「戦争論」だろう。

僕もなんとなく読んだし、そんな雰囲気自分にも周りにもあった気がする。京都大学でも。

そうすると、だんだん核武装論みたいなことをいう人も出てきて、口に出してもおかしくない雰囲気が出来てきた。

それはおそらく今にまで続いているだろう。

たとえば、石原慎太郎なんかが言ったりする。

ところがだ。

さすがにこれは僕は承服しかねる。

核武装については完全に反対だ。

よく言われるのは、持っても誰も使えないんだから大丈夫国際的地位を高めるためだけだ、という理屈

でもそれは明らかにおかしい。本当に使えないなら初めから核の脅威などない。本当に使えないなら持つ意味もない。

で、持ったとして、もしも打たれたら打ち返すのか。ちょっと待ってくれ、と思う。

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文がある。

時に右寄りの人から、これは我々は被害者であり自虐史観だ、という意見を聞くことがある。

それは違うと思う。

原爆というのは、誰がやったとか、誰が被害者だとか、そういうレベルの話ではないのだ。もう絶対的破滅的な悲劇なのであって、その点において人類全員の罪なのだ

そういう発想なのだと思う。って今調べたら、広島市ホームページにもそう書いてあった。

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1137568968454/index.html

ということは、だ。これは、仮にもう一度原爆を落とされたとしても、自分たちが打ち返す、なんてことはありえない、という意味であるはずだ。

誰が落とすとかではなく、もう一度原爆が落ちる、ということ自体否定する、そういう気持ちを表しているはずだ。

なんなら、どこかの国がどうしてもどこかに落とすというのなら、それならもう一度ここに落としてくれ、と。そんな気持ちにすらなる。

もう一度、原爆が落とされるような世界なら、もうここにはいたくない。そんな気持ちにもなる。

で、ここが重要なところ。

僕がこんなことを思えるのは、おそらく、本当にうんざりするほど、勢い余って落とされても仕方なかったんじゃないか、と思ってしまうほどに、

原爆について、その悲惨、ありえなさ、どうしようもなさ、を叩き込まれたからではなかろうか。

体験こそもちろんしてはいないが、理屈ではなく、肌感覚としてそれを学んだからではなかろうか、と。

そんな気がするのである

そうでなければ、ちょっと自分気持ちが説明がつかない。

実は僕は自衛隊を持つことには一概に反対はしない。だが、核武装絶対反対だ。

これを説明するには、たぶん刷り込まれた肌感覚しか言いようがない気がする。

ということで、この理論裏付けるための一つの予言をしてみよう。

このアンケートにできれば、もう一つ質問を付け加えてほしい。

日本核武装に賛成ですか」

これに関しては、広島長崎絶対に全国を下回るはずだ。

おそらくかなりの数、下回ると思う。

まあ、だから具体的にどうするべきか、まではわからないが。

2015-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20150803130206

<評伝> 高橋昭博さん 被爆実態 伝え続けた半生

 被爆実態国内外に伝え続けた半生だった。元原爆資料館長の高橋昭博さんが2日、亡くなった。「原爆犠牲者の声なき声を後世に伝えるのが生き残った者の責務」。最後取材した3月、言葉は途切れ途切れながら強い意志を感じさせた。病が進み証言活動が困難になっても、核兵器廃絶への執念が衰えることはなかった。

 あの日、爆心地から1.4キロ被爆し、生死をさまよった。戦後広島市役所に勤めながら被爆者運動に心血を注いだ。

 原爆被害非道を訴える一方、対話を重んじた。1980年、原爆投下エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ氏に米国で面会。「いまさら恨みつらみを言うつもりはない」と握手を求め、文通につなげた。「核兵器なき世界」を唱え就任したオバマ大統領には広島訪問要請する書簡を何度も送った。

 オバマ大統領被爆地を訪問する際に謝罪するべきかと問うたことがある。高橋さんは「謝罪というハードルを突き付けるばかりでは廃絶へ進まない。ずっと同じ場所にとどまるのは未来志向ではない」と答えた。

 だが、別れ際に「昔は謝罪するべきだと思った。本当は今でも原爆を落としたアメリカが憎いですよ」と苦渋の表情も浮かべた。長年、核兵器廃絶を訴えた理想非人兵器による惨劇を忘れられない内面との葛藤垣間見た思いがした。

 長年苦しんだ末にたどり着いた「和解」の訴えは重く、高橋さんが目指したゴールははるか遠い。その遺志をどう引き継ぐのか、被爆地に問われている。(金崎由美)

(2011年11月3日朝刊掲載

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20111104131802632_ja

まあ複雑ってことで

2015-07-20

気持ち悪い

夫の父の精子体外受精気持ち悪い

匿名精子体外受精気持ち悪い

卵子提供気持ち悪い

出生前診断気持ち悪い

人工中絶気持ち悪い

臓器移植気持ち悪い

脳死は人の死が気持ち悪い

年の差婚気持ち悪い

事実婚気持ち悪い

不倫気持ち悪い

マザコン気持ち悪い

ファザコン気持ち悪い

童貞気持ち悪い

処女気持ち悪い

身体障害者気持ち悪い

精神障害者気持ち悪い

知的障害者気持ち悪い

被爆者気持ち悪い

デブ気持ち悪い

チビ気持ち悪い

ハゲ気持ち悪い

加齢臭気持ち悪い

アンチエンジングが気持ち悪い

ロリコン気持ち悪い

ショタコン気持ち悪い

オタク気持ち悪い

ゲイ気持ち悪い

レズ気持ち悪い

性同一性障害気持ち悪い

風俗嬢気持ち悪い

AV男優気持ち悪い

中国人気持ち悪い

韓国人気持ち悪い

黒人気持ち悪い

白人気持ち悪い

○○出身者が気持ち悪い

犯罪者気持ち悪い

前科者が気持ち悪い

中卒が気持ち悪い

高卒気持ち悪い

浪人気持ち悪い

留年気持ち悪い

Fラン気持ち悪い

ポスドク気持ち悪い

認知症気持ち悪い

徘徊老人が気持ち悪い

リストラ男が気持ち悪い

ホームレス気持ち悪い

ヤニ中が気持ち悪い

アル中気持ち悪い

シャブ中気持ち悪い

DV男が気持ち悪い

ストーカー女が気持ち悪い

パワハラ上司気持ち悪い

クレーマー気持ち悪い

団塊気持ち悪い

団塊Jr気持ち悪い

ゆとり気持ち悪い

痴漢気持ち悪い

女性専用車両気持ち悪い

女が気持ち悪い

男が気持ち悪い

本音を言えない社会気持ち悪い

自分だって当てはまるくせに

自分だけはノーマルだと思って

こんなことを書き連ねる自分が一番気持ち悪い

気持ち悪い

気持ち悪い

キモ

2015-03-02

あしたが平日だろうとカンケーねーぜっっ

ビールうめーぜっっ

でもいまテレビつけてたら原爆被爆者番組やってて認知症被爆者が出てきたとこでじいちゃんを思い出して号泣しちまったぜ‼︎

2014-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20140809131908

原爆のおそろしさを語る被爆者の減少を食い止めるべく定期的に原爆を落とそう

被爆者がいなくなるのっていいことじゃないの

2014-08-07

テレビを全く見なくなったので、この時期になっても戦後気分に引きずり込まれることがなくなった。

この反戦キャンペーンの主目的戦争体験者のケアの一環、ということでいいんじゃないかなと最近は思っている。

http://togetter.com/li/702874

こうの史代戦争漫画なんかは、こういう反戦教育に対する素朴な違和感から立脚してると思う。というかあとがきでそのようなことを書いてた気がする。「この世界の片隅に」は気の毒で最後まで読めなかったけど。個人的には「街角花だより」みたいなのが好きだし。

そういえば被爆者暴言事件があったけど、これも同様に右傾化とかそういう政治思想文脈で読み解くような話じゃないのは確かだな。

2014-08-06

祖父が被爆者だったので原爆死没者名簿に加えてもらおうと思う

昭和20年8月6日。祖父は戦争に行っていてもおかしくない年齢だったが、子どもの頃の怪我の後遺症戦争には行けない身体だったため広島市内の工場で働いていた。

その日その時間に祖父がいたのは広島市の外れの方だったので原爆で目に見える被害はなかったそうだ。

原爆投下から数日後に爆心地付近に行き何日か人探しをしたと聞いている。

戦争が終わると祖父は生まれ故郷青森に戻り、昭和47年に亡くなった。

祖父は私が生まれる前に亡くなってしまったため祖母や父から聞いた話になるが、病気がちでいろいろと苦労したらしい。

今日原爆が何なのかを少し理解できるようになった娘と一緒に平和記念式典の中継を見ていた。

あなたのひいおじいちゃんも原爆経験したんだよ」

「ひいおじいちゃんの名前もあそこ(慰霊碑)に入ってるの?」

「入っていないよ」

「ひいおじいちゃんは入れてもらえないの?」

私は原爆死没者として慰霊碑奉納されているのは原爆により直接亡くなった方、あるいは被爆者健康手帳を持っていた方だけで

被爆者健康手帳を持っていなかった祖父は、原爆死没者として認定されないと思っていた。

しかし、娘の言葉を受けて調べてみたところ、原爆死没者名簿に登載されるには被爆者健康手帳の有無は問わないそうだ。

ではどのような人が原爆死没者名簿に登載されるのか。広島市ホームページによると

広島市では被爆者健康手帳をお持ちの方が亡くなられた場合

葬祭料の申請などをもとに亡くなられた方のお名前を登載しております

被爆者健康手帳交付資格があれば原爆死没者名簿に登載してもらえるということだろう。

広島場合被爆者健康手帳の申請ができるのは以下の通り。

1 直接被爆者

 原子爆弾が投下された際、当時の次の区域内に在った方  

  (1) 広島市

  (2) 広島県安佐郡祇園町

  (3) 広島県安芸郡

   ア 戸坂村のうち、狐爪木

   イ 中山村のうち、中、落久保北平原、西平原及び寄田

   ウ 府中町のうち、茂陰

2 入市者

 原子爆弾が投下されたあと、昭和20年8月20日までに爆心地からおおむね2キロメートル区域内に立ち入った方

3 身体に原子爆弾放射能の影響を受けるような事情の下にあった者

  昭和20年8月20日までに、

 (1) 15人以上(病室などの閉鎖された空間場合は5人以上)の被爆して負傷した者が収容されている収容施設等におおむね2日間以上とどまった人

 (2) 被爆して負傷した者5人以上(1日当たり)と接触した人

 (3) (1)、(2)には該当しないが、それらに相当する被爆事実が認められる人

 ※この項目は、平成21年11月27日から変更しました。

4 胎児 

 上記のいずれかに該当する方の胎児で、昭和21年5月31日までに生まれた方

私は原爆症認定されたら手帳交付されると思いこんでいたが、被爆者健康手帳を持っている人が発病したときに、その疾病が原爆に起因するのかどうかが判断されるということなのだろう。

原爆投下時に広島市内にいた祖父は被爆者健康手帳交付資格があったし、原爆死没者名簿に登載の資格もあると思われる。

今年は5507人の方の名前が新たに慰霊碑に納められ、原爆死没者は29万2325人となったという。

40年前に亡くなっている祖父を今更新規に名簿に加えてもらえるかはわからないが、そのうち広島市に問い合わせてみようと思う(今の時期は広島市担当の方も忙しいだろうし)

怒られそうな気がするから増田に書く。

今朝のニュース被爆者の方が出ていて、最近の語り部活動の上手くいかなさ、聞き手の変化についての苦労について語っていた。

その中で、ある被爆者が「最近は小中学校から呼ばれることがめっきり減った。悲しい」ということを言っていた。

それ聞いて、ついね、つい、「なんで自分からアプローチしないの??」と思ってしまったの。

聞き手の変化についても同様で、最近中高生リアクションが悪いって話について、「じゃあ語る切り口を変えようとかは考えないの??」と思ってしまったの。

いやみなさん70~80代とご高齢だし、辛い体験を語ってくれているわけで、こんなことを言うのは酷なんだろうけどさ。

ただ語り手の中には勤め人だった人もきっと多くいるはずで、そういう「営業努力」に意識が向かないのはなんでなんだろう、と。

今朝のニュースで見る限り、戦争体験を聞く会のフォーマットって昔からほとんど変わってないんじゃないかなーという印象を持った。

雑にまとめてしまえば、現地を案内してもらいつつ(あるいは写真などを交えて)お話を聞いて、感想文を書いて、「こんな酷い戦争は二度としちゃいけないと思いました」、でおしまい

「体験者から実際に話を聞く」というところに重きを置きすぎというか、それによる効果に期待しすぎなんじゃないかと思うの。

自分がいま学生だったら、例えば「現在広島市街に原爆が落とされたら」っていうシミュレーションCGの方がインパクトある気がするもの

なんとなく、体験者によるお話不可侵というか、とても貴重なことというのが先に立ちすぎてて(貴重な機会なのは実際そうだと思うけど)違和感を覚えた。

自分が知らないだけで、広島長崎関係者の方々は、今の中高生に響くようにいろいろと工夫されてるのかもしれないけど。

どんなに大事なことであっても見せ方の「賞味期限切れ」ってのはあるのだな、と思った8月6日でございます


(追)

あー、別にいまの時点で、被爆者戦争体験者自身がイシキタカイタカイ((c)トラバ必要はないわ。

被爆者戦争体験者の話を若い世代に聞かせたいと思っている人たちが、今の聞き手に合わせてもっと見せ方を考えればいいじゃんって話ですね。すません。

2014-07-29

気持ち悪い

夫の父の精子体外受精が気持ち悪い

匿名精子体外受精が気持ち悪い

卵子提供が気持ち悪い


出生前診断が気持ち悪い

人工中絶が気持ち悪い


臓器移植が気持ち悪い

脳死は人の死が気持ち悪い


年の差婚が気持ち悪い

事実婚が気持ち悪い

不倫が気持ち悪い


マザコンが気持ち悪い

ファザコンが気持ち悪い


童貞が気持ち悪い

処女が気持ち悪い


身体障害者が気持ち悪い

精神障害者が気持ち悪い

知的障害者が気持ち悪い

被爆者が気持ち悪い


デブが気持ち悪い

チビが気持ち悪い

ハゲが気持ち悪い


加齢臭が気持ち悪い

アンチエンジングが気持ち悪い


ロリコンが気持ち悪い

ショタコンが気持ち悪い

オタクが気持ち悪い


ゲイが気持ち悪い

レズが気持ち悪い

性同一性障害が気持ち悪い


風俗嬢が気持ち悪い

AV男優が気持ち悪い


中国人が気持ち悪い

韓国人が気持ち悪い

黒人が気持ち悪い

白人が気持ち悪い

○○出身者が気持ち悪い


犯罪者が気持ち悪い

前科者が気持ち悪い


中卒が気持ち悪い

高卒が気持ち悪い

浪人が気持ち悪い

留年が気持ち悪い

Fランが気持ち悪い

ポスドクが気持ち悪い


認知症が気持ち悪い

徘徊老人が気持ち悪い

リストラ男が気持ち悪い

ホームレスが気持ち悪い


ヤニ中が気持ち悪い

アル中が気持ち悪い

シャブ中が気持ち悪い


DV男が気持ち悪い

ストーカー女が気持ち悪い


パワハラ上司が気持ち悪い

クレーマーが気持ち悪い


団塊が気持ち悪い

団塊Jrが気持ち悪い

ゆとりが気持ち悪い


痴漢が気持ち悪い

女性専用車両が気持ち悪い


女が気持ち悪い

男が気持ち悪い


本音を言えない社会が気持ち悪い


自分だって当てはまるくせに

自分だけはノーマルだと思って

こんなことを書き連ねる自分が一番気持ち悪い


気持ち悪い


気持ち悪い


キモ

2014-06-20

マスコミが記事を書く基準

それにしても都議会でヒドい野次があったもんだ

しかしヒドい野次は議会では日常茶飯事なので、ヒドい野次があったくらいで報道されることは普通ない。

そこに何か強い意志意味がある。それは一体なんなのか?と考えている。

どうしてマスコミはこれを取り上げたのか?

はっきり言うがマスコミ都議会に常に常駐してるわけじゃない。行くのは特別な何かがあると予想されるときだけだ。

ネタは誰かがマスコミ提供している。それをもとに取材をし記事を書いている。

しかし一個人がFAXしたとてそれをマスコミはいちいち取り上げない。記事にしてもらうには何かの力が必要だ。

ちょっと前に、駅で白杖が足に当たったと因縁をつけ盲人を殴った男というニュースがあった。

残念ながらこんなクソ野郎は世の中に五万といる。駅でのトラブル日常茶飯事だ。

多分オレが殴られたとしてもニュースにはならない。

じゃぁなんで記事になったのか?

盲人団体から事件提供があったからだ。盲人を殴るクソは吊るし上げろ!そういうことだ。

長崎被爆者体験談話中に暴言を吐いた中学生ニュースになった。

いじめで生徒を死なせるとかならともかく、通常この程度のことではニュースにならない。

しか暴言履いたのは中二病まっさかりの中学生だぜ?

何故記事になったのか?なんか胡散臭そうな団体がその裏にあったからだ。

被爆者(まぁウソだったようだけど)に暴言とかままならん。

子供からと遠慮するな!吊るし上げろ!そういうことだ。

さてこの野次の事件のケース。一体その力はなんだろうか?

普通に考えればみんなの党最近元党首のアレで評判悪いからな。

あとテレビでおなじみの議員から何かしら盛り上げようという力もあるのかもしれない。

2014-06-09

長崎被爆者への中学生暴言について

普通、年長者に対して敬うという精神すなわち孝道が根付かなかったのは学校というよりはむしろ親に責任があると思う。

のしけが悪いから中学生暴言を吐いてしまうし、何よりも課外活動で勝手な行動を取った行為に対してのみ学校側に責任があると感じる。

問題は、被爆者への配慮が十分になされていなかった学校側の責任であるし、生徒自身が負わなければならない義務であった事。

特に後者場合、課外活動に参加する意思を持たなかったにも拘らず逆恨みから被爆者講和会場に勝手に入場して身勝手にも騒ぎ立てた悪逆非道行為

見咎めて注意したというだけで、暴言を吐いた事。

これは悪鬼のする事だ。

こういうのは同じ日本人として認められない。

そいつらは日本人に悖るどころか犯罪者と同じだ。

「死に損ないのクソジジイ」ってのは単純な非行問題だと思うんだが、言った相手が被爆者だったという政治的文脈がために社会問題化するあたりに、気持ち悪さを感じざるを得ない。

「語り部」ってのも大抵神話化しちゃってて何だかな。口伝である必要あるのそれ、みたいな。

2014-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20140608031148

普段は人権だとうるさい左翼も、自分が「ネトウヨ」だと認定した人間相手なら、どんな暴言を使ってもいいと思ってるしね。

被爆者暴言はい中学生にも死ねだの何だの、うるせー左翼が山ほど湧いたしね。

自分こそ正義と思い込む連中に、まともな奴はいない。

2014-06-07

修学旅行生、被爆者に「死に損ない」 横浜中学校謝罪朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/articles/ASG673RG9G67TOLB001.html

日本サヨクは、これを恥ずかしげもなく「哀しい」などと語るのだろうけど、自分たちは普段、自衛隊改憲論者に向かって、これと同じ暴言日常的に吐いていることには気づかない。

からこその日本サヨクであり、だからこそ日本サヨク日本人から信用を受けないのだけど、今日日本サヨクは「右傾化」という便利な言葉で、自分たちが支持を受けないのは日本人が悪いからと信じこむのである

こういう、我が身を振り返らず、反省もしない態度を持つ人間のことを、日本サヨク的用語では「ネトウヨ」と呼ぶ。

2014-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20140319141631

「支持」の意味については了解

「このサンプル数では疫学的に影響は見られない」という表現を見たときに、「もっと多くサンプルを取れば疫学的に影響が見られるんでしょう?どうせやってないんでしょう?」というのを感じ取った。些細なことだけど、これがものすごく嫌。動物実験のくだりもだけど、この人の発言から科学者蔑視を感じる。

いや、100mSvの根拠が原爆被爆者調査だってのはこの手の話では前提でしょう。サンプル増やせないのは承知で生身の人間での調査の限界ってことで言ってると思う。

低線量被曝については原発労働者対象としたもっと大規模な調査があって、100mSv以下でも有意差出たって論文はある。数十mSv単位だっけな。でもまだ定説にはなってない。

その先を疫学的に調べて閾値見つけるのは現時点では難しいってことは、飯田氏も計量経済学で専門的に統計やってる人だからわかってると思う。

中西氏の動物実験の話は、安全科学では閾値が想定できる毒性でも動物実験で毒性が出たら人間への影響は安全係数かけて(100倍とか)安全側に寄せて規制するから安全科学専門家としては当然の物言いだと思う。

2014-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20140210023721

いくつか記事見たりはてブ見ても「誰?」って反応なかったから驚いたのね。

やっぱはてなに寄り付く人たちってスノッブ気質の人が多いんだなーと思ったわ。

現代音楽とかクラシック界とかまったくわからんし、お偉いらしい先生様とか登場人物誰も知らないしな。あ、キダタロー氏は知ってた。


大勢の人を騙したなー! 被爆者/障碍者という神聖にして侵すべからず存在を騙ったなー!(建前)

この純粋で凡百とは違うきらめく感性を持った俺様が認めてやった美しい幻想を打ち砕いて恥をかかせやがったなー!(本音

って、「一杯のかけそば」だな。

まあ汚い手法だったとは思うけど、かんたんに付け込んでがっぽり儲かる入れ食いの生簀があったから網突っ込んだってだけの話だもんね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん