昭和20年8月6日。祖父は戦争に行っていてもおかしくない年齢だったが、子どもの頃の怪我の後遺症で戦争には行けない身体だったため広島市内の工場で働いていた。
その日その時間に祖父がいたのは広島市の外れの方だったので原爆で目に見える被害はなかったそうだ。
原爆投下から数日後に爆心地付近に行き何日か人探しをしたと聞いている。
戦争が終わると祖父は生まれ故郷の青森に戻り、昭和47年に亡くなった。
祖父は私が生まれる前に亡くなってしまったため祖母や父から聞いた話になるが、病気がちでいろいろと苦労したらしい。
今日は原爆が何なのかを少し理解できるようになった娘と一緒に平和記念式典の中継を見ていた。
「入っていないよ」
「ひいおじいちゃんは入れてもらえないの?」
私は原爆死没者として慰霊碑に奉納されているのは原爆により直接亡くなった方、あるいは被爆者健康手帳を持っていた方だけで
被爆者健康手帳を持っていなかった祖父は、原爆死没者として認定されないと思っていた。
しかし、娘の言葉を受けて調べてみたところ、原爆死没者名簿に登載されるには被爆者健康手帳の有無は問わないそうだ。
ではどのような人が原爆死没者名簿に登載されるのか。広島市のホームページによると
被爆者健康手帳交付の資格があれば原爆死没者名簿に登載してもらえるということだろう。
1 直接被爆者
(1) 広島市内
ア 戸坂村のうち、狐爪木
2 入市者
原子爆弾が投下されたあと、昭和20年8月20日までに爆心地からおおむね2キロメートルの区域内に立ち入った方
3 身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者
(1) 15人以上(病室などの閉鎖された空間の場合は5人以上)の被爆して負傷した者が収容されている収容施設等におおむね2日間以上とどまった人
(2) 被爆して負傷した者5人以上(1日当たり)と接触した人
(3) (1)、(2)には該当しないが、それらに相当する被爆事実が認められる人
4 胎児
私は原爆症と認定されたら手帳が交付されると思いこんでいたが、被爆者健康手帳を持っている人が発病したときに、その疾病が原爆に起因するのかどうかが判断されるということなのだろう。
原爆投下時に広島市内にいた祖父は被爆者健康手帳の交付の資格があったし、原爆死没者名簿に登載の資格もあると思われる。
今年は5507人の方の名前が新たに慰霊碑に納められ、原爆死没者は29万2325人となったという。
40年前に亡くなっている祖父を今更新規に名簿に加えてもらえるかはわからないが、そのうち広島市に問い合わせてみようと思う(今の時期は広島市の担当の方も忙しいだろうし)