はてなキーワード: 死にたいとは
絶望した もう人生のボーナスタイムは終わったらしい 死にたい もう食べない おなか減ってもないのに
趣味はぼーっとすること 瞑想 立ちながら 壁を見る サ ダ チ ノ ワ ダ チ 週5で働くことが普通だから
なんでこいつセックスしないんだろう いうほどセックスしたくないんだろうな
なんだこの不思議な生き物
バスに乗って座ったら隣のやつが腕をすごい短く折りたたんでずっと頭を当ててきた
幼少期の暴力きっかけで父親とここ15年ロクに会話せずだったんだが、一応実家に帰った時はそれとなくしていた。母親を悲しませたくなく
が、昨日今日の大晦日、正月と家に帰ってご飯を食べていても、父親の声がとにかく腹が立つ。足音が腹が立つ。メルカリがなんだと大声で話す。60過ぎたジジイがリゼロがどうとか。知能の低さがなんかもう、決定的にダメだった。
母親がなんだかんだ父親を立てるので、こちらが空気を読めないダメ娘みたいになる。
20後半だが結婚の予定もなく孫の顔を見せれず、父との確執で母親と祖母に気を遣わせ、母と祖母への申し訳なさで涙が止まらない。
母がいっそ離婚でもしてくれたら、一緒に父の悪口を言えたのに。私は母と祖母とテレビを一緒に見るだけで幸せだったのだが、実家に帰ると父に気を使う空気がずっと流れているのが耐えられず、無言でご飯をかきこむ無愛想な娘。
最近たまにメンタル沈んで軽く死にて~ってなるので色々考えてたんですが
今年ちょっと病気して、手術とその後の治療でもろもろ落ち着いて日常生活も仕事も大丈夫にはなってるんですが
術後とか治療中の方が「死」が少しばかり身近だったからか、むしろ前向きというかドーパミンが出て悲嘆に暮れてる暇はないぜ!みたいな「生きてる」感じがあった。
治療も落ち着いて数年間飲み薬を続けながら様子見でOKとなった今はもうそのブーストが切れてしまったのか中途半端に出る薬の副作用とかで地味に死にたい。
わかりやすくフィジカルが死んでる方が反動でメンタルが元気になるのかな、と考えたんだけど、もしかしてリストカットをしてしまう人たちってこういう原理で「生」を求めてリストカットしてるんですかね?
20代後半、会社員、ADHD診断済、二次障害のうつ病発症、メンタルクリニックに通院中。
同棲していた彼氏が転勤により遠方へ。同棲していた家は一人では維持できないので近場で住み替え。
数年前に数度目の転職で現在の会社に入社した。求人票には未経験歓迎と書かれていた。小さな会社なので、社長が面接官だった。確かに社長は未経験者を募集しているようで、今の凝り固まった社内に風穴を開けてほしい、そんなことを言われた。私自身やる気に満ち溢れていた。
入社直前に自分が退職される方の交代要員であることを知った。業界歴10年は超えるベテラン、その人が担当していた業務の引き継ぎはかなり困難だった。引き続き期間は2ヶ月、物にできる技量は私にはなかった。経験がないからこその意見を現場で生かしてほしい、そんなことは出来るはずがなかった。まず与えられた引き継がれた仕事ですらままならないのだ。
その仕事には後工程がある。前工程である私がまともに仕事ができないのだから、後工程の人たちはかなりの迷惑を被った。初めは「未経験だから仕方ないよ」と優しい言葉をかけてくれていたが、我慢の限界が来たのだろう、影で悪口を言われるようになった。できるようになったことが増えても、ミスばかりを指摘される。直接言わず、周囲の人間に私がどれだけ仕事ができないか、簡単なミスを何度も起こしていると。
心が蝕まれていった。死にたいと思うようになった。会社には私のことを人として扱ってくれる人があまりに少ない。笑顔で会話をする人もいるけれど、その人だってまた別の人を怒鳴りつけている。
そんな場所で1日を過ごし、家に帰っても彼氏はもちろんいない。一日中誰にも優しくされず寝て起きて朝が来る。
そんな繰り返し。
同棲した頃と同じような雰囲気で1日1日を過ごす。私はこの引越しで生活がかなり苦しくなっている。住みたくもない場所で一人で日々を過ごしている。さみしくてさみしくてたまらないのだ。
彼氏はそれについて重く受け止めてはいない。私だけが苦しんでいる。以前より増えた生活費は家計を圧迫している。
このまま生きていても会社でパワハラを受け、尊厳を失い希死念慮に苛まれる。かといって転職するにはハードルが高過ぎる。すでに数回転職しているのだから。
20代後半、会社員、ADHD診断済、二次障害のうつ病発症、メンタルクリニックに通院中。
同棲していた彼氏が転勤により遠方へ。同棲していた家は一人では維持できないので近場で住み替え。
数年前に数度目の転職で現在の会社に入社した。求人票には未経験歓迎と書かれていた。小さな会社なので、社長が面接官だった。確かに社長は未経験者を募集しているようで、今の凝り固まった社内に風穴を開けてほしい、そんなことを言われた。私自身やる気に満ち溢れていた。
入社直前に自分が退職される方の交代要員であることを知った。業界歴10年は超えるベテラン、その人が担当していた業務の引き継ぎはかなり困難だった。引き続き期間は2ヶ月、物にできる技量は私にはなかった。経験がないからこその意見を現場で生かしてほしい、そんなことは出来るはずがなかった。まず与えられた引き継がれた仕事ですらままならないのだ。
その仕事には後工程がある。前工程である私がまともに仕事ができないのだから、後工程の人たちはかなりの迷惑を被った。初めは「未経験だから仕方ないよ」と優しい言葉をかけてくれていたが、我慢の限界が来たのだろう、影で悪口を言われるようになった。できるようになったことが増えても、ミスばかりを指摘される。直接言わず、周囲の人間に私がどれだけ仕事ができないか、簡単なミスを何度も起こしていると。
心が蝕まれていった。死にたいと思うようになった。会社には私のことを人として扱ってくれる人があまりに少ない。笑顔で会話をする人もいるけれど、その人だってまた別の人を怒鳴りつけている。
そんな場所で1日を過ごし、家に帰っても彼氏はもちろんいない。一日中誰にも優しくされず寝て起きて朝が来る。
そんな繰り返し。
同棲した頃と同じような雰囲気で1日1日を過ごす。私はこの引越しで生活がかなり苦しくなっている。住みたくもない場所で一人で日々を過ごしている。さみしくてさみしくてたまらないのだ。
彼氏はそれについて重く受け止めてはいない。私だけが苦しんでいる。以前より増えた生活費は家計を圧迫している。
このまま生きていても会社でパワハラを受け、尊厳を失い希死念慮に苛まれる。かといって転職するにはハードルが高過ぎる。すでに数回転職しているのだから。
https://anond.hatelabo.jp/20211226230142
上の記事を書いた増田なのだけど、思っていたより反響があったのでブコメに上がっている疑問点に可能な限り答えたいと思う。内容の重複するコメントが多かったので、要旨を丸める。
Q 本当に死にたい人間はこんなに精力的になれない、婚活も結婚もしようとしないはずだ。
A 友人は、婚活をしていたし、結婚もしていたし、国内外の旅行にも行っていたし、資格の勉強をし、亡くなるほんの数か月前に簿記2級に合格するような知性とバイタリティを持っていたし、貯金もあった。だが、死んだ。
活動的であるかどうか、「自分が生きると思わせてくれる何かがあるかもしれない」という一縷の望みに賭けて努力する(婚活や資格取得)かどうかということと、死にたい気持ちは全くの別物であることを理解されたい。寧ろ努力した結果、報われなかった、あるいは何らかの果実を得たものの「やっぱり生きたいと思えなかった」と落胆することで死に一歩近づくことがある。
そしてこれは言っておかなければいけないことだと思うけれど、「本当に死にたい人間なら」というのは、単に「私の観測範囲内では」という話に過ぎない。実際のところ、死にたい人間も多種多様だ。
希死念慮者は死によってでしかその意思が肯定されないのか、それは違うと思う。希死念慮者は、「死にたいという気持ちを抱えた生きた人間」だ。単に自分の想定に沿わないからといって「ニセモノだ」という話をされたのでは、サバイブした事例の話は出来ないことになってしまう。
Q 2019年に破産の申請が通り、仕事がうまくいかなかったにもかかわらず2020年にはバイクを買って数か月も働かずに旅に出られるだけのお金が貯まるのか?
A 裁判所から破産の決定が下りたのは2019年だが、相談をしたのは2018年であり、相談時点で全ての債務の返済及び利息の加算は停止する。その為、2年近く給与を貯蓄し続けることが出来た。仕事がうまくいかなかったのは、単に自分の無能さに嫌気がさしているということ。私は歩合の無い普通のサラリーマンなので、無能でも減給になったりはしなかった。
A 実際ひときわ美人だから。もはや生きることにうんざりしていた私は、「まあ、この人でも良いかな」みたいな妥協をしてまで他人と付き合う気はなかった。なので、ひときわ美人だったことはやはり俗っぽいけれど重要な点だったと思う。しかし最も重要なことは、このエントリは妻も監視しているということ。
Q 2020年年末から「新潟経由スタートで南下」し「冬の北海道をバイクで走破」は、積雪によって不可能ではないか?
A 年末という書き方が悪かったと思う。これは「12月」と読みかえて欲しい。当時、新潟から日本海沿いに寒波が下りてきていた。私は寒波から逃げるように日本海を南下したので、日本海では積雪に遭遇していない。九州では、大分の九重連山で積雪に悩まされたが、それは乗り切ることが出来た。また、東北・北海道については春に入り雪解けを待ってから上陸したので、「冬の北海道を走破」はしていない(春季でも所どころ積雪はあったが)。
A 実際に行動を起こした(自殺未遂、友人の自死、発信し続けたこと)という点において、漠然と死にたいと思うだけで気付いたら理解ある彼くんが人生をリードしてくれたという案件とはフェイズが違うと思う。
が、「人間を救えるのは人間しかいない」と結んでいるように、一度袋小路に陥り自力では抗えないほど閉塞してしまった人生は、理解してくれる(しようとしてくれる)他者によってしか救われないと思う。犬も歩けば棒に当たるみたいなことが伝わってくれれば嬉しい。
Q 首を吊っても縄が切れることはあり得ない。
A 私の場合、購入して数年経った中型犬用のロープを用いたので、劣化していたことと、そもそも中身がスカスカだったこともあり切れたのだと思う。また、これは私が体験談を聞いた範囲での話だが、縄が切れて首吊りが失敗する事例は割とあるようだ。
Q 「遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた」ってどういうこと?
A 友人がわざわざ自宅から持ってこなければ、通常、携帯料金の請求書は手に入らない。そういう紙の裏に書くと、遺書が自発的に書かれたものである(私に無理やり書かされたのではない)という事実を裏付ける証拠になる。
Q ホテルで死のうとするなんて、ホテル側に迷惑だと思わないのか?
A 誠に申しわけございません。
Q 実話? 創作?
A この種の疑問に回答しても栓ないと思うけれど、実話。読んでくれてありがとう。
「そこから演繹して、一般的に死刑囚も死にたいとは思っていない。」一部同意一部不同意。死刑相当の犯罪をする人間に一般的な感覚は当てはまらない。事実、死刑を望む死刑を受け入れている死刑囚の存在は、一般からはかけ離れてる。
「傍証として、昨年の段階で109人の死刑囚のうち、73人が再審請求している(死刑に納得していない)」傍証にはならない。原因が一般的な感覚からの死にたくないからとは説明されてない。唯一の外界との繋がりの廃止派弁護団が強くおすのが理由と考える方が妥当。
「死刑を望む死刑囚もいることは知っているが、一部の話で一般的な話ではない」不同意。前述の通り一般的な感覚には当てはまらない。そもそも、死刑を望むというよりも、やったことに対して死をもって償う覚悟があるかどうかという話をしてる。
死刑囚が何を考えているかメインの話題ではないんだけど、とりあえず話を絞るね。
意見をすり合わせてみようね。
私の意見としては
タイトル通り
当方ガチアスペ。会話のグラデーションがわからないは当たり前。そもそも会話が成立するか五分五分。
共感能力も低いから情緒にも乏しく、言ってはいけないことを平然と言ってしまう。
おかげで家族からはずっと「他人の言ったことは真に受けるな。マイナスなことは絶対に口にするな」と言われて育った。
そのせいで自己肯定感は育たず、人より優れたところはないと本気で思っている。
他人に褒められても「信じてはいけない」という、本能にも近い信条が働きかけて、せっかく褒めてくれた人を全力で否定して不愉快にさせる。
小中高といじめられ、小学校のときはレ○プ寸前の性被害にも遭ったせいで人間不信。
どう考えてもめちゃくちゃ生き辛さを抱えてる。
それでもなんとか自立して、自分に合った仕事を死にものぐるいで探してもぎ取って、現在は奨学金を返しながら猫と一緒に二人暮らしを楽しんでいる。
この「なんとか自立」できてしまったせいで、タイトルのような連中を心底軽蔑してしまう。
これはマジのガチでただの妬みだし、自分が狭量であることを理解しつつも、最近よくある弱者ムーブに甘んじる人間を見ると吐き気がする。
「お前は自分の立場を選り好みできるような人間か?努力したんか?」と本気で思う。
社会に出たら仕事さえできればある程度重宝してくれる現場なんて腐るほどある。
そういう仕事を探したり、そういう職に就く努力をほんまにしたんか?と言いたい。
自分の生き辛さを少しでも減少させる自助努力は大事やぞ、と言いたい。
何度も言うけどこれはガチでただの妬み
でも流石に最近そんな話をめちゃくちゃ見かけたり、聞いたりする。
そして自分の中の嫉妬心が膨れ上がってハゲそうになったんで、とうとうここに吐き出した。
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。
そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。
経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。
私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。
元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。
学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。
趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由が必要だった。
そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能の社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。
誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかわからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。
婚活で出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。
リスキーな投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。
首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。
いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。
法テラスに連絡して弁護士と破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。
「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。
職場で上司に暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件の当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。
もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。
もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。
看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。
私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。
少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。
そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。
私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似の事件はみんな実刑になっていたからだ。
しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。
そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。
警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。
会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。
そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。
不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。
東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道を反時計回りに一周し、小樽のフェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。
大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。
そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。
数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資を提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。
本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。
多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生に責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。
日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。
旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色でしかなかった。
旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮の役満人間である。彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。
だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまったことに変わりはない。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルのピースのように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期に孤独にしなくて良かったと今でも思っている。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
明日はマックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。