はてなキーワード: 死にたいとは
雪嫌いなんだけどめっちゃ雪降ってる
去年もめっちゃ降ったのに
今年も早速めっちゃ降ってる
雪の降らない所に引っ越そうとしてたけど
もう無理
なんで雪降る所に人住んでんの?
そもそもこんな所に住もうと昔の民が思わなかったら俺もこんな所に生まれてこなかったわけで
マジ糞
はぁーーーマジ死にたい
最初は感情論抜きって書いてたけど、書き終わってから前提が感情論なのに気付いたからタイトル変えた
今回は治療の見込みがなく金銭的、ないしは苦痛から本人が痛切に死を望んでいる難病患者をそのカテゴリとする
ただ生きるのが辛いだけとか借金塗れで生きててもしょうがないと本人が思っているだけの層は座っててくれ、数行後で拾うから
その安楽死が必要であろう層って多くても精々一万人かそこらじゃないかなと個人的に感じているわけだ
これでも少し盛ってる、もっと少ないんじゃないか、少なくあって欲しいと思っている
エビテンスは無い
感覚で書き連ねているが、この数字感覚が正しいと仮定したなら個人的には安楽死賛成派になってもいい
でだ、その超少数派のために安楽死を解禁した場合何が起こるかといえば、必要ない層がばったばった死ぬのが火を見るより明か
「自殺は絶対にしたくないけど国が許すなら死にたい」層がどれだけ制限を設けてもあの手この手で潜り抜けて死ぬんだよ
ただ生きるのが辛いだけだったり借金塗れでどうしようもなくなったけど自殺は絶対にしたくない層な
で、そういう層を含めた消極的死にたい層、下手したら総人口の1%くらいならいくんじゃねっていう話
ただでさえ人口減だの少子高齢化だの言われてるご時世に100万人死ぬかも知れない手段の提示は流石にやべーだろ
1人2人ならどうでもよくても、その数に率先して自死を選ばれたら連日ニュースがお祭り騒ぎって寸法だよな
その危険性考えたら安楽死の実現とか間違いなくできねーし、日本って国はその土壌が仕上がってるんだよ
多少は問題あっても普通に生きていけるけど、合法的に死ねるなら死ぬわって層を産み出しすぎちまってるんだな
感情論で言えばさ、手の施しようのない病を患って毎日苦しんでその上金もかかる、もう死にたいって人が安らかに眠れるなら一つの選択肢としてあり、と思ってしまうんだよ安楽死
でも認めた結果何が起こるかって考えてしまうと、そういう人達には耐えてもらう他ないんだなあってなる
そんなことをふと思った
まあこの話頭からケツまで出てる数字にエビテンスひとっっっっっっっっっっつもないんだけど
だって死刑囚とかそれこそ100人いくかいかないか程度しかいないんじゃね?
全員死んだところで何一つ影響ないじゃん
死ぬのってすごい楽じゃん、自殺しなくても国が正式な手続きで自分を殺してくれるとか最高かよって俺は少し思ってしまうし、
実際そう思って死刑目当てに犯罪やるクズとかも一定数いて、たまにニュースになるわけだし
そういう連中がいることを考えると、刑務所の暮らしが無味無臭で退屈なものって前提な上で反対派になるわ
何もない毎日って普通に死にたくなる、死刑相応の連中にそういう人生を死ぬまで過ごさせて欲しい
毎日が虚無だと死が救いになり得ると思う
完全に同意。だからシステムのことを考えるときに当事者意識なんて言い出しちゃダメなんだね。わかってくれたね。
ふわっとミラーリングして反論した気になるのではなくて、具体的な間違いを指摘して欲しかった。
一生懸命想像して、もちろん調べたよ、という意味かとも思ったが後続を見るとそうでもないらしいからね。
「犯罪者の心情に寄り添う人は必要ない」と思っている悪魔でなくてよかった。心情に寄り添う、とは自分勝手に解釈する、とは違うことももちろんわかってくれるね。
人の言うことを妄想、と断ずるのが好きみたいだけど、いや、好きみたいは俺の妄想といわれちゃうかな。
好きみたい、ではなくて多用するみたいだけど、何が妄想で事実はどうなのかをついでに教えてもらえると少しは意味のある話ができるから意識してほしいな。
それに、少しでも調べたら分かるはずだけど、犯罪者は死にたくないが当然ってのも間違ってるしな
生きとし生けるもの、普通は死にたくないと思うけど、そこの価値観から合わないとなるとすり合わせが難しいなあ。鎌倉時代の武士の人?
死にたい人がいることもわかるけど、そこを基準にするのは「死刑を望まない被害者もいる!」くらいの乱暴な話だということは同意してもらえるかな。中立ってこういうことだよ。おんなじような話は既にしたのだけども。
死にたい死刑囚が多数派、っていうデータがあったら是非教えてね。
https://www.asahi.com/amp/articles/ASNDY6TSGNDXUTIL04M.html
古い記事で申し訳ないけど、昨年の段階で109人の死刑囚のうち、73人が再審請求中だから、少なくともこの人たちは死にたがってないよね。これ妄想?では事実は?
言ってること全部ツッコミどころ多すぎるて
多すぎる、とかじゃなくてちゃんと具体的にツッコンでね。頼むよ。
あんまりにも話が通じないからイライラしてちょっと嫌味な書き方になってしまったけど、揚げ足とってはい論破!とかはい妄想!とかそういうくだらない話がしたいわけじゃないからね。
真面目な話をまともにしたいだけだからね。
言い方とか態度を気をつけているのに見下してるよね?って言われる
えー!そうですか!?って驚いたフリをしてみせるがそりゃ見下してるに決まってんだろ
毎日毎日毎日生きるのが苦しい死ぬ勇気もないのに死にたいだなんて思ってもねぇもんな
思ってる人もいると思うが毎日だなんて少数だろ、会社に行って帰りに友人や恋人と飲んで食べて楽しんでたまには旅行にいったり日々を
あーーーあーーー羨ましいなぁ!
そしてこれからも裏切られて続けられ
助けを求めても誰も助けてくれない
寝て起きて会社に行き人格を作り周りに気を使いヘコヘコして帰って寝て起きての繰り返しなんの面白味のない人生を歩んで。
人混みん中いると気分が悪くなる消えろ
普通の人は生きる意味なんて考えなくても生きていけるんだもんな
普通が羨ましい
お前らみたいな普通になっていればもっとましな人生になってたんだろうか
クソ人間なんて頼っても意味が無い助けを求めたってムダなんだから1人で生きよう人間なんて2度と信用するかカス
が1週間に一回くらいある
なぜなら
具体例を見てみよう
インタビューで同僚や知人に「優しくて努力家」「真面目で周囲に頼られる人」「〜のため一生懸命こなしていた惜しい人を亡くした」等ベタ褒めされている
ネットコメンテーター達には「働く意思を持っていた」「辛くても耐えていた」「苦しい状況から這いあがろうとしていた」等の高潔な人格と決めつけられ
「彼らと家族の無念を思うとやりきれない」と無念だったことにされている
しかしほとんどがリワークプログラムに行かないといけない状況だったメンヘラである
本人は「死にたい」「役立たず」「無能」「コミュ障」「希望を見出せない」等
周囲の人には「死んでほしい」「厄介者」等の想いがあった可能性は高い
「社会のお荷物」的な立場から「社会の役に立つ人材」へと変貌を遂げ社会に包摂されたのだ
以上
あー死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
人間は隣の芝が青く見える生き物 人間は省エネをする生き物、金を与え続ければ怠惰になる 人間は慣性の生き物、毎日外に出た人がある日外に出るなと言われるとストレスがたまる
効率や鼓舞はくそくらえ 道草を楽しめ大いにな 道中を楽しめ 大いにな 才能げーだろ くそげーだわ つまんねー 種族値の殴り合いじゃん コラッタじゃ勝てねーよ つまんねーなー
カードコマンダーだったら雑魚でも低コストだから使い道あるけど ポケモンってほんとよくできてないくそげーだな あ り た ま つ く ぼ ま え だ さ か い
風吹いてたんだよなあ あたしい風吹かねえかな 風吹いてたんだけどものにできなかった めぐり合わせだから 新しい風のめぐりあわせ
なんで嫌な気持ちになるんだろう
そこから紐解いていきましょう
何で生きてるんだっけ
なんとなくわかるなぁ。「死にたい」と思ったことはないけれど、もしかしたら「死んでたなぁ」ってことは数えるくらいはあったので。
「死にたい」と「死のう」のあいだには壁があるのだけど、でもふとした瞬間にその壁が溶けたようになってしまうことがある。「どうでもいいじゃん」となる感覚もわかる。けっこう本気でODしたんだけど、消化途中の砂のようになった薬を延々と吐きながら「やっぱり首吊るのが確実かーでもめんどくさいなー」と思ったのを思い出した。あれから10数年、生きててよかったとも思わないし、あの時死ねたらよかったとも思わないけど、そんなふうに気持ちをフラットに毎日が過ごせているのがいいんじゃないかと思う。
みんなよく寝てください。
毎日のように掛かってくる鬼電and鬼電。出れば「お前らは冷たい」「死にたい」「忙しいって言うけどそんな事よりあたしの生き死にがかかってるんだ」「ここのオーナーとケアマネが結託してあたしを追い出そうとしているからあんたたちの所に行くしかない」出なければこれにプラス「誰ひとり電話に出やしない」である。
大前提。認知症は本人が一番苦しんでいる。不安感、孤独感に苛まれ、一人の時間は一分が一時間にも感じる程長い。正論で反論される程被害妄想は悪化する。何か本人の中に強い「トリガー」のようなものがあり、あらゆる感情でそこに執着してしまう。本人に自覚がある時もない時もある。OK。その上で言わせて欲しい。
○○という対応をしたら死にたいと言わなくなりました?此方からも電話をかけてあげましょう?愛されていると安心させてあげましょう?○○な時は○○と言って気を逸らせてあげると機嫌が戻ります?
ねーーーーーーーーよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
認知症侮んじゃないわよ。アイツらボケて何も出来ず被害妄想膨らませて家族に呪詛の鬼電かますだけのルーティンで生活してるクセにめちゃくちゃトリッキーに揚げ足取ったり言質取ったりこちらが答えに困るクエスチョンを選んで投げてきたりする頭あるからね!!!!!!!!誰にでも攻撃的なんじゃないのよ!家族を選んで罵詈雑言吐いてんの!その時点で我々がどんな対応をしても無意味なの!
私に出来ることは心を殺してウンウンソウダネソウダヨネワカッタヨと相槌を打つことだけ。話題を逸らしても無駄。ループするから。その内話を逸らされている事に気が付いて発狂度が増すから。壁打ちさせてあげる事しか出来ない。私たちに貴女を楽にしてあげる事は出来ない。祖母にだってそれが分かっているから、一度だって愛情を抱いた事なんかない、血が繋がっているというだけの「家族」をそんなにも責めるのだから。
年末の忙しい仕事帰り、祖母の家へ寄って。機嫌がよく、一生懸命作ったのだろうユリ根の炊き込みご飯を持って行けと言うから、おにぎりにして持って帰った。べちょべちょである。私はお米はもっと固めが好きだなあと思いながら食べる。普通に美味い。べちょべちょだけど。
ユリ根ご飯美味しかったよって、伝えたいだけだった。電話したら、そんな事はどうでもいいといつもの罵詈雑言のループだった。久しぶりにガッカリして荒い声で反論をしてしまった。その後、泣いた。
何でこんなにも何をしても無駄なんだ。認知症だから。病気だから。ネットに落ちてる認知症への対応例なんかアテにならん。お腹の中でズンと重くなったユリ根ご飯もそう言ってる気がした。
おそらく続く長時間労働に身も心もどうにかなってしまったんだと思う。
休みの日は20時間寝てしまったり、座りっぱなしで下半身がむくんだり、忙しすぎて部屋がぐちゃぐちゃになったり、色々ある。
また忙しくてテッペンあたりで帰って風即寝(寝れない)が続くこともあって、性欲を一人で発散していない。
だからなのか?仕事で死ぬほど疲れてるのに性欲があって、自分が気持ち悪い。
職場の人に好意のような何かを持ちそうになったと思ったら、その日の夜には自己嫌悪で死にたくなったりする。
この文章もなんかおかしい。何が言いたいのかわからない。恋ではない。
死にたい。仕事やめたい。職場の人なんかじゃなくて、そんなブラック即やめろ、仕事決まるまで俺が養う!って言ってくれる男の人と恋がしたい。わがまま。このまま仕事してたら会えない。てか仕事やめたら元気になるからそんな立派な男じゃなくていい。
その「死のう」スイッチが入らないから生きてるだけって人はたっくさん居ると思う。自分も含め。
自殺に伴う痛みとか失敗への恐れが全く無いくらいに振り切れた状態になるなら、あっさり死んじゃう人はもっと多いだろう。自分も含め。
理性が僅かでも残っていたら、恐ろしくて実行出来ない。
「幸せになりたい」とかよりも「あっさり死にたい」気持ちの方がデカいのだが。
けど、スイッチ入らない。
例年は冬季鬱のせいで秋から冬にかけて酷い精神状態なんだけど、今年はとあるお薬(非精神薬・合法)によりのんびりした感じで過ごしている。
今藝大4年で安宅賞受賞経験あり。
他のコンペもそこそこ勝ってる(身バレ怖いから具体名は出さない)。
院試も受かって人生バラ色。マジでこのままいけばアートで飯食えそう。やったね!
でも死にたい。
正確に言うと波が激しくて「うおお!死にたい死にたい死にたい」と思う時と「うおお!制作制作制作!!!」と思う時がある。
精神科行けって話だけど行けないんだなこれが。
親の親戚が精神病でいろいろやらかしたらしくて幼少期から偏見ゴリゴリに刷り込まれてきた。
正直俺も白い目で見ちゃう。
あと、精神薬って脳の構造というか仕組みが変わっちゃいそうで無理。
だから放っておいたんだけどもう最近波の高低が激しすぎて死にたい。
正直3年くらい毎日今日死ねたらいいのに、明日死んでて目が覚めなかったらいいのにと思って過ごしている。
どれだけ楽しみな予定があっても死ぬことの方がずっといい。だってもう終わりになるんだから。
色々考えたくない、明日も明後日も生きてることが1番しんどい。何年後はとか、老後はとか、そういうの考えるだけでぼろぼろ涙が出てくる。今すぐ死にたい。でも死ねないこと、人を巻き込むことがあまりに恐ろしい。なので飛び込みの類も薬も難しい。自殺が失敗したというブログや体験を読んではまたぼろぼろ泣いている。これを飲んだら1秒後に死ねるよという薬がほしい。これは死にたいと何か違うんだろうか。人にも仕事にも恵まれている自覚はある。そういうことじゃなくて、死ぬことが1番優先事項なのだ。なのにまだ今日ものうのうと生きている自分が恥ずかしいし情けないし悲しい。なのでまた泣いている。死にたい。どうか明日私が死んでいてほしい。
往々にして自分がしんどい時ほど誰かから相談を受けたり寄り掛かられたりして、自分のストレス+誰かのサンドバッグにされて病む。
サンドバッグにしてくる相手に不満を言う勇気もなく「この人もこの人で辛いのだから」と言葉を飲み込み、誰かに愚痴ろうかなと考えながら「ああ、この人は今仕事忙しいって言っていたし申し訳ないな」「この人は何かを言うと解決策を言っている顔をして自分の愚痴にすり替えてくるんだよな」とこんな具合で足踏みをしてしまい、ならばもう良いやと終わらせてしまう。
そんなこんなでストレスを溜めに溜めて、誰も私のことなど気にしていない、見ていないのだと絶望して一人で泣き喚き自傷をして薬を飲みまくって眠りにつく。
次の日は何ともない顔で仕事に行き「今日も元気だねー!」「私さんは毎日笑顔で元気が出るよ!」と会社の人間や常連客に声を掛けられながら、ああ私はまだ大丈夫だ、でも本当に誰も私のことなんて全然見てないんだなあと思いながら過ごす。
その日も仕事をこなして簡単に食事を済ませ、両手いっぱいにストレスと死にたいを抱えながら眠りについた。
いつもと違かったのは、ある夢を見たということ。
私は実家のリビングにいて、机を隔てて向かい側にいつも自分をサンドバッグにしてくる人が座っている。
相手はヘラヘラと笑いながら「私ちゃん~あのね、」といつもの調子で口を開いた。
その瞬間私は机をダンっ!と叩き「うるせええええ!!!努力もせずに口ばっかりの恋愛脳のクズが!!!!しね!!しね!!!!!」と大暴れして相手に掴みかかり、罵り蹴飛ばして髪を掴んで立たせてビンタして……。
溜まりに溜まった鬱憤を言葉と暴力で相手に全力でぶつける、そんな夢だった。
目が覚めてそんな夢を見てしまった自分に絶望しつつ、心なしかすごくスッキリした気持ちになっていて、夢でしかストレスを解消できない自分に笑った。
これを機に自傷とODでしか精神を保てなくなってくると夢にストレスを感じている人が出てきて、暴力の限りをつくしてストレスを解消するようになった。
最近では「あ、またこの夢か。夢ならどれだけ暴力振るっても罵っても大丈夫だな!」とお墨付きをもらった気持ちで大暴れしている。
しかし、私は精神をやられ過ぎると夢と現実の境が曖昧になることがあり「いつか現実でやらかしたらどうしよう…」と少し不安になりつつある。