はてなキーワード: 怠惰とは
優生思想(生まれつき素晴らしい人が素晴らしい)を正しいとすると、後天的な努力を無視してよいことになるよね。そうなると、あなたの言う「優れた人」は親から(優れた遺伝子という)遺産を受け取って暮らす特権階級であり、「無能で怠惰な人」は親から(優れた遺伝子という)遺産を受け取れない貧しい人だよね。前者を優遇し、後者を殺して良い、とすると、社会は果てしなく二分化してゆき、いずれ決定的な分裂にたどり着く。それが歴史の教訓。だから、その考えには賛成できない。
そもそも人間社会、「放っておくとそうなる」ことと「正しい」ことは別だ。なんでも自然のママがよいなら服着るな。勉強なんかするな。飯は食いたいときに食いたい場所で食い、好き放題に排泄と生殖すればいい。……あっという間に社会が崩壊して誰も「自然な生」を全うできなくなるだろうがな。
そうさせないための「不自然」が社会であり規範だ。だから「社会」が「規範」で人間の「自然」を制御して、たとえば弱者排除のような「自然に生じる差別」を無くそうと努力するのは当たり前のことなのだ。
親に虐待を受けていた。
高校を引きこもっていた時は毎日のように馬乗りになって殴られたり、漫画を破かれたり、水をかけられたり、自己批判(僕は犬にも劣るバカですと叫ばされるなど)させられたりしていた。
今でも扉が開く音や、近くの人が手を上げただけで体がビクッと硬直してしまう。
当時の親が言うには
俺が金を出しているのに、言うことを聞かないなら殴られるのは当然だ。
それが嫌なら学校に行くか、家を出て行けば良い。
との事だった。
だが実際の引きこもりの理由は鬱と発達障害で、親のせいで悪化していたように思う。(当時は診断を受けていなかったが、今は精神障害手帳をもらっている)
猫撫で声で話しかけてきたり、
お小遣いをもらえるようになった(それまではもらっていなかった)
以前、親にちゃんと育てたのに何でこんなことになったと言われた。
親は虐待していた事を忘れている。
最初はバイトをしていたが2ヶ月で首になったので、クレジットカードのリボ払いで生活している。
ただ、7月末に家賃が払えなくなるので仕事を探さなければいけないのだが、面接に行く事すらしんどい。
10年間ほどまともに人と喋っていないので面接でもろくに話せないし、落ちることがわかっている面接に向かうのも苦しい。
このまま家賃が払えなくなった時の事は考えたくない。
生活保護を受けようとすると家族に養えないか連絡が行くらしいが、親は多分養うと言うと思う。
だけど家には帰りたくないし、生活保護も受けれない。
ネットに辛いときは人に話せば楽になると書いてあったけど、当然友達も知り合いもいないので話す相手がいない。
ネットに書く事は話すことの代わりになるかなって思って書いた。
助けてくれとは言わないが、せめて慰めてほしい。
ナチスのせいで人権問題を錦の御旗にしているお歴々からは、優生思想ってだけで間違ってる認定されてるけど
両親が優れたアスリートの子供に優れたアスリートが生まれる事を、世間は当たり前の様に期待してる
プロアスリートの二世が期待されたり、アスリートが誰と結婚するのか気にしたり、運動能力については当たり前の様に遺伝を前提としてるし
頭の良し悪しについても、誰の子であるかで期待され、恵まれていると考えていて、環境だけでなく、そもそも遺伝で能力的に恵まれてると言い出す連中は少なくない
うん。
うん?
いや「と言える。」が全然言えてないやん。
若しくは優生学をボンヤリ理解してるのでwikipediaレベルでいいからもう一回読んでこい。
単に優生学を嫌うお歴々は、無能で怠惰な自分を含む誰かを守りたいという思いだけなんだろうと思う。
優生学を悪用して断種法の様な差別的に思える法案が誕生してしまう事が人権を守る観点からは正しくないという、お気持ちは理解するけど
いや優生学と断種法は切り離せないのでそれは「悪用」ですらないから
優生学を肯定してイキりたいなら断種法を否定しちゃダメだろ馬鹿。
・大した文を書けてないのに「お歴々」とか「お気持ち」とか言い回しばっかり力が入っててダサい
ナチスのせいで人権問題を錦の御旗にしているお歴々からは、優生思想ってだけで間違ってる認定されてるけど
両親が優れたアスリートの間に優れたアスリートが生まれる事を、世間は当たり前の様に期待してる。
プロアスリートの二世が期待されたり、アスリートが誰と結婚するのか気にしたり、運動能力については当たり前の様に遺伝を前提としてるし
頭の良し悪しについても、誰の子であるかで期待され、恵まれていると考えていて、環境だけでなく、そもそも遺伝で能力的に恵まれてると言い出す連中は少なくない。
努力すれば誰だって東大に合格できる、と言えば、遺伝による差を自分との違いとして言及する人は、とてもとても多い。
そう言う事を考えると、社会全体は本質的に優生学を必要としているし、受け入れている傾向が強いと言える。
単に優生学を嫌うお歴々は、無能で怠惰な自分を含む誰かを守りたいという思いだけなんだろうと思う。
優生学を悪用して断種法の様な差別的に思える法案が誕生してしまう事が人権を守る観点からは正しくないという、お気持ちは理解するけど
優生学そのものは、優れた人間を指導的立場/世界的に競争力の高い個人として社会が必要とする事から分かるように、その逆に障害児を堕胎して排除するように、いまでも社会が必要としているし正しい考え方だよね。
今後、世界的に移民問題などが煮詰まってくる段階で、日本でも社会保障を維持できないという時に、国民過半が自ら望んで要らない人間を排除すると同時に優れた人間を産み育てる事を望む事で社会が弱者排除に向かうのは必然に思える。
出生前にダウン症だと分かれば100%に近い人が堕胎を望むのだから、目を背けてみたところで既に日本人の大多数は優勢思想から生まれる判断を正解として受け入れている。
累進課税は、富裕層に対する差別的税制で、一律に20%であるなどフラットな税率でなければ民主的とは言えないだろう。
税金と言うのは国家を運営させる為に国民が納めるものだが、富裕層も貧困層も、個人としては国家が所有し管理するリソースや機能を使う頻度や割合が大きく変わることはない。例えば、相対的に多額の税を納めたからと言って警察に何度も世話になることもないし、訴訟を受けるわけでもない。その上、セーフティネットについては十分な資産をもつ富裕層はほぼ必要とせず、貧困層がより必要とするため、累進課税によって生まれる不平等は更に大きくなる。従って所得に比して累進課税でより多くの税金を取られることは民主的とは到底言えないし、むしろ共産主義的で不公正な税制と言える。平等かどうか以前に、正しくない。
厚生年金は所得に比例して納入した金額に応じて得られる年金も増えるが、納入額に応じたリターンがあるなら累進制は妥当ではある。健康保険も高齢の富裕層がより高額な医療を利用するのだから、将来に備えて累進的に納める正当性をもつと言える。しかし、所得に対する累進課税には正当性がない。
富の再分配など、本来は逆差別にすぎない。富裕層には、赤の他人である怠惰な貧困層を救ってやるいわれはない。だが、公正に富の再分配を行う事も不可能ではない。所得に応じて、より多額になる消費活動や、固定資産、株式の取引、乗用車、渡航、特別な教育、嗜好品などの、貧困層が所有しえないもの、行えない行為に対して税をかければいい。例えば、消費税を一律25%にして、食品などに軽減税率を設けるなどすればいいし、空港税、燃油税や固定資産税、賭博税、たばこ税など、創設するか増税するかしていけばいい。このような負担の勾配の付け方であれば正しい。
企業など法人に対する累進性は、企業規模が大きくなるほど、国が管理するリソースや機能をより多く利用する事になる点で、個人の所得に対して累進課税する事とは意味が異なる。多額の貿易を行う企業は、その分だけ港湾や道路の利用頻度は高いなど、事業規模、所得の多さに対して累進的に課税されることに正当性がある。
所得税に対しては累進課税は廃止して、フラットな税率にすべきだ。本来であれば人頭税が最も妥当ではあるが、それでは逆進性が強すぎて現実的ではない。富裕層も貧困層も、国家運営に対して等しく負担するのが正しいし、そうでなければ民主的とは到底言えない。所得税に対して累進課税するのであれば、独身の高所得者の負担が大きくなるが、所得に対する扶養控除額も大きくして、よりフラットになる様にすべきだ。現在は富裕層が多額の納税をしているにもかかわらず、貧困層は感謝すらせず攻撃の対象とする始末。富裕層にしてみれば、貧困層の為に自らの財貨を割くいわれなどない。
一人で死ね。
社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない
ここは賛同するわ。ここだけは。
自分の人生を豊かにするために、成功するために、必死に努力して毎日10時間以上勉強して東大に入り、同じくらい勉強し続けて卒業し、他人が既に寝ている時間まで必死に働いて仕事し続けて、懸命に生きて来た成果として得た金銭の多くを既に税と言う形で国に治めている。その上、生きている価値のない怠惰なだけのゴミクズなんぞを救うために、余分な金など1円だって盗られたくない。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
それは「女性が」癒される日常を送り、感動イベントをする恋愛が最優先で最上級だ。という思考である。
例えば、男女の恋人はどんな話題で話をする? 男女どちらが興味を持つ話題を話している?
話題の割合は女性向け話題が多くないか? 少なくとも私はそうだった。
逆はない。
男性が拒否することもできる。が、事情がない限りつまらないからの拒否は悪にされる。
しかし、それは女性側に興味があったから盛り上がったのだ。女性に興味がなかったら捨てられていたテーマだ。
男が興味がないからと彼女とのテーマを捨てたらどう評価される?
はっきり言おう。
男女で目指している生活は方向が異なる。
女性は毎日が良くなることを目指す。男性は今と明日を生き残ることを目指す。
残業、転勤をして将来大きく稼げるなら男性はする。家族のためになるならなおさらだ。生存を盤石にするため挑戦するのだ。
組織内の立場の向上、賃金の向上。生存競争で有利になることを目指している。
女性は今のままで十分な生活ができるなら、残業、転勤を選ばない。毎日の生活が犠牲になるからだ。
趣味の時間、友達との会話、恋人とデート、それら日常の彩りがあることに幸福を感じる。
今の世の中、平和に思えるだけに男性の生活方向が女性に理解されない。
その結果、女性的恋愛至上主義は強くなるための時間を許さない。
強くなければ優雅な生活は送れない。貧困の生活は生きている意味が分からない毎日だ。
死なないだけで、今の世の中も強くなければいけないのだ。
東大生の生涯勉強時間は? 医者、弁護士になるにはどれだけ時間がかかる? 錦織圭、イチローはどれだけ練習した?
強くなるには時間がかかる。
恵まれた世の中になった今、男性的な生活方向の必要性を感じ取りにくい。
女性の本能は違う方向を向いている。理屈で知る以外に方法はない。
私は女性の考えを否定しているのではない。どちらの考えも大切だ。
両方が揃ってこそ意味があるのだ。
犠牲になるのは強くなれなかった男であり、男の支えが弱くなる女である。
個人の例を挙げれば専業主夫でうまくいっている場合もあるだろう。しかし、出産を考えたとき一年中働ける男性が働いたほうが効率がいいだろうし、多くの男性は働いてるだろう。
もし、飢饉、人口問題に人類が直面したら男性はひたすら働き、女性は子供を産むしかない。
生存の土台が強いから様々な人生の形が選べるのだ。土台の弱い砂丘の楼閣は簡単に崩れる。
生きることに重点を当ててくれ。強くなることに協力してくれ。
社会は男性観が強い。という反論を持つ人もいるだろう。社会的に男性観が強いことを否定はしない。
女性的恋愛至上主義は個人に起きている問題なのだ。もっというと女性的恋愛至上主義問題は当分の間、公共の悩みという社会問題として表に出にくい性質だと思っている。
簡単な話だ。女性のいる社会で女性の問題は認められないからだ。
社会を生きるなら女性のほうが男性より何倍か上手い。しばらく男は辛酸を舐めることになるだろうが耐えるしかない。
ここに書かれた女性と会ったことがないという人は幸運だ。周りの女性を大切にしてくれ。
自分は違うと思う女性は彼氏に聞いてみるといい。彼氏が答えを知っている。
私以外にも同じ悩みを持つ人が一人でもへることを祈る。
*この日記は男女の恋愛に焦点を当てた文章である。LGTBの主義を批判する意図はない。むしろN(normal)について語ったLGTBに関するものでもある。
大学の勉強も大学に行くことも部活も人付き合いもバイトも全てやりたくない。今すぐ放り投げてずっとyoutubeみていたい。
今属している学科の何もかも興味がない。せっかく親がお金を出して、一人暮らしまでさせてもらっているのに大学で何も学んでいない。テスト前日にちょっと勉強するくらいで何も学んでいない。
大学合格当時は輝かしい未来に期待していた。一生懸命勉強して研究者になる夢も持っていた。昔は図書館にこもって将来のためにめちゃくちゃ勉強をしていた。今考えれば本当にバカなのだがノーベル賞をとりたいとさえ思っていた時期もある。けど自分にはその能力とモチベが欠け落ちていて、高校生の時自分がバカにしていた怠惰な大学生になっている。
かろうじて授業に参加しているが、何がきっかけで行かなくなるかわからないくらい大学に行くのが辛い。何の目的もなくただ授業を聞いているふりをして時間を過ごす。あまりにも虚しすぎるが授業を聞いても外国語のように何を言っているのか全くわからない。人生で躓いたことがほとんどなかったせいで、わからないことのオンパレードで頭が麻痺してしまった。
全てが自分の努力不足のせいで、それがたまらなく嫌になるのだがこの状況を抜けるための努力はしないでここでこうして駄文を書いている自分に嫌悪を抱く。最近は生きている価値すら見出せない。生きる意味なんてないとよく言われるが、それを言われると絶望して死にたくなる。
高校生の自分が見たらなんて言われるのだろうか。あの時は常に何か頑張っていたと思う。勉強にしろ部活にしろ死ぬ気でやっていた。いやこれも思い出補正で実は自頭に任せて適当に勉強していただけかもしれない。もっと身の丈にあったところを受験すればよかった。たまたま恵まれた環境に生まれ育って、平均より少し頭が良くて、受験はほぼ運で受かった。周りは自分と違って超優秀。いつもそういう人たちと比べてしまい鬱になる。周りの人にあれだけ期待されたのに、学校であれだけ優秀と言われたのに、学部の授業で躓いてしまう自分が情けない。
でも大学を辞める勇気はないから多分ずっとこのまま何も変わらないで過ごしていくのだと思う。このまま生きていくのは辛すぎる。けどこの状況を変えるのがもっと辛く感じてしまう。辛い。誰かに助けてほしい。