はてなキーワード: 口語とは
誰もが無意識に口語と文語を使い分けているはずで、あえて関西弁を使うのは口語の馴れ馴れしい感じを狙っているか「関西弁風の文語体」を使っているか。今回は前者ですね。「東北弁風文語体」は確立されていない。
題名の通りだ。ネット環境という文字でのコミュニケーションが多い環境だからこそなのかもしれないが、気にしなくていいような誤用が気になってしまう。
例えば、「~しないわけにはいかない」の意味で用いる「~せざるを得ない」を「せざるおえない」「せざる負えない」「せざるえない」と表記するだとか。「または」「あるいは」等の意味で用いる「もしくは」を「もしくわ」と表記するだとか。気になる誤用を延々と……そうそう、「延々と」もそうだ。「永遠と」と表記する人をよく見かける。
話を戻して。自分でどの誤用が苦手なのか、どの誤用なら問題ないのかを考えてみたものの、共通点がてんで分からない。「せざるおえない」「もしくわ」「永遠と」「そうゆう」「~しずらい」は気になるのに、「こんにちわ」「全然大丈夫」は大丈夫だし、ら抜き言葉もそこまで気にならないのはなぜなのか。ら抜き言葉が気にならないのに縦書きの文章を左から右に読ませるものが気になってしまうのはどういった理屈なんだろう。
別にこれで自分だけが気にして少し嫌だな~ともやもやするだけなら別にいい。いや、正直なところを言えば嫌ではあるのだが、自分だけで完結するし自衛もできるだろう。気になる誤用が出てきたなろう小説はそれ以上読まなきゃいいし、気になる誤用を扱う切り抜きチャンネルは見なければいい。
だが、自分は大層厄介なことに、どうしても気になって声を上げてしまいたがる性質だ。このように。今こうしてここに書いてしまっているように。普段SNSやらで友人達と交流する時だって誤用が気になって仕方がない。もちろんそんな誰彼構わず指摘しているわけでもないし、親しくなった友人にだってなるべく言わないようにしている。言ってしまったこともあるが、苦手なものを聞かれた時に「そうゆうとかもしくわとか、そういう感じの誤用が苦手かも。使うなとは言えないけど」程度の回答に留めていたように思う。とはいえ、使うなとは言えないと言ったにもかかわらず、友人の誤用が気になり段々嫌になって自分から距離を置いてしまったこともあるから、これも最善ではないのだろう。
そんな中、先日、ついに別の友人に「その表記は誤用だよ」と指摘してしまった。「『延々と』と『永遠と』は全く意味が違うよ」と、ついに声を上げてしまった。友人は心優しく、自分のこんな狭量な発言に対して謝罪をしてくれた。気分は全く晴れない。口語表現となんとなくのノリで生きてきてしまった、言葉を扱うのが昔からずっと下手だった、と友人は続けて零していた。気分は全く晴れず、それどころか落ち込んだ。
言い方が悪かった。このことに関しては間違いはないだろう。けれど、どう言ったらよかったのだろうと考えてしまう。そもそもとして友人たちは好きなように言葉を使っただけであって、その言葉を見て自分が一方的に気になってしまっただけなのに、自分が何かを言う必要なんてないだろうに。言わないほうがよかったのかもとも思っているが、言わないなら言わないでまた自分から距離を置いておしまいだろう。見ただけで集中力が切れ、見続けるだけで段々気落ちしていくのだから、言わないままというのもきっと自分の精神衛生上よくない。
誤用が気になってしまう。誤用が気になってしまう自分に嫌悪感を抱いてしまう。言語は移り変わっていくものだと分かっているつもりでも、移り変わっていく過程で生じた誤用であり数百年後には正しい表記になっている可能性もあると理解しているつもりでも、それでも気になって気分が悪くなったり気分を悪くさせたりしてしまう自分に嫌悪感を抱いている。
君というフィルターは有り様について人がどうするのが良い、とつけるものだったんだね。
中庸の意味がどうであれ人にとは言ってないし良さも言及してないけど、源泉に触れ君から滲み出てくる結果は人について良し悪しのことだと言うわけだ。
加えてバランスについては取り方にベストを「バランスのための重量に任せることに置く」のが君流というわけだね。
広く多く持ちそれらを両端に置くことで、その重さが自分のバランスを取ってくれると。
重みのある者たちはそれぞれ意志があるだろうから君が間に入って両翼を担わせれば、それぞれが自分の重みを維持するために拮抗させてはくれるだろうけど。
その重みを両方から中央で支える君自身の強度については度外視してるんだね。
よほど強靭なのか、勝手にやってくれる人の間に挟まり便乗するだけを狙うのか、それはまだ定かではないんだね。
それはさておき、ハンマーで殴られた衝撃を表現に使って理解されるだろうと想像する君の日常は相当にヤバいものだと思うけど、名言よりまずその鈍器で殴打される人間が存在するであろう日常を口語表現に出してしまう環境って、バランス取ろうとすること自体がすごく危険な気がするので、気をつけてといいたい。
他人と会話が出来ない。続かない。
とにかく自分は話下手で、思ったことを人に上手く伝えられない。
『意志を伝える』って、主張そのものだったり、そう感じた根拠だったり、あるいは話をわかりやすくするための例えだったりを順序立てて話すことだと思う。鶏肉とねぎを串打ちしてねぎまにする、みたいな。それが上手くいかない。自分が話したいことを文章化した結果、口から出力されたものは「肉肉肉ねぎいちご!」とかいうゲテモノだったりする。いちごって何だよ、って思うかもしれないけど本当にいちごが出てくる。「中まで火が通って甘くてトロトロの焼きねぎ」と言いたかったのに、咄嗟に言葉が出てこなくて、それが「いちご」になる。ゆっくり考えれば自分の思考に対して適切な表現が思い浮かぶんだろうけど、テンポのいい会話が求められている場面で、そんな悠長な沈黙が許されるはずもなく、結果、考えていることと微妙に関連しつつも違う概念が吐き出される。
だから自分が伝えたいことは、基本、自分の思っている通りに理解されない。相手の反応や返答を見て、「自分が言いたかったのはそういう意味じゃないんだけどなあ」と思うことは本当に多い。100%自分が悪い。でも訂正する気力もない。だってその訂正でさえ、上みたいなぐちゃぐちゃな文章になってしまうから。
こうなってくるともう諦めるしかない。で、ここで話すことをやめてしまうので、会話がぱったりと終わってしまう。これならまだいい方で、前提条件の説明が面倒な内容になってくると、もはや最初から話す気力もなくなる。どうせ喋ったところで相手を混乱させるだけだし。「結局、何が言いたかったの?」って詰られるのが怖い。詰られるは大袈裟にしても、自分が話し終わった後の、周囲の「?」という空気と苦笑いがきつい。
友達同士の会話ならまだいい。問題は大学の授業や就活のグループ面接でこれをやらかしたとき。論理性を欠いた意見なんか当然評価の最低値で、かといって最後まで沈黙を貫くのは「議論に参加する気ある?」と詰められる(そりゃそうだ)。別に人の話を聞いてないわけじゃなくて、頭の中ではちゃんと話題に対する自分の思考が形成されているし、「紙に記述して」と言われたら過不足なく文章化できる。話すことだけが上手くいかない。紙に書けるなら口でも喋れるだろって思うかもしれないけど、自分の中にある思考って靄状の不定形で不明瞭なイメージになっていて、文章だとそれに一番近い言葉が見つかるまで何度も選び直すことができる。でも口語だと言葉を選ぶのはその場その場の一瞬だから(加えて会話の途中で急に黙り込むのもよくない)、全体として話が破綻する。
擁護しようもなく自分が悪いんだけど、一方で本来の自分が適切に評価されてないという不満も感じていて、疲れてしまった。
本当どうしたらいいんだろう。
昔はここまで酷くなかったと思うんだけどなあ。
ChatGPT
Q: ChatGPTはんは関西弁しゃべれまっか?
A: はい、おっけーでっせ!関西弁でお答えしますので、なんでもおっしゃってくださいやー。
A: お嬢様言葉と関西弁は、言葉の使い方やイントネーションが異なるため、一般的には似ているとは言い難いです。お嬢様言葉は上品で丁寧な表現を特徴とし、敬語を多く使います。一方、関西弁はリズムが独特で、口語的な表現や方言が多く使われます。
ただし、話す人の個性や状況によっては、関西弁を話すお嬢様やお嬢様言葉を話す関西の方もいらっしゃるかもしれません。言葉は使い手によって様々に変化するので、一概に似ているとは言えませんが、面白い組み合わせや個性的な表現が生まれることもありますよ!
Q: 関西弁で答えてーや
お嬢様言葉と関西弁は、ほんまにちゃうと思いますやで。お嬢様言葉はええ感じで丁寧やし、敬語をよく使いますわ。やっぱりお嬢様のイメージがありますね。
一方、関西弁はええ感じにリズムがあって、口語っぽい言い回しや方言がたくさん出てきますわ。みんながわいわい楽しくおしゃべりするのにぴったりですなぁ。
でもね、人によっては関西弁でお嬢様言葉を話す子や、お嬢様言葉で関西弁を話す子もおると思いますわ。言葉ってほんまに面白いもんで、いろんな個性が生まれるんやろうなぁ。
まぁ、結局のところ、お嬢様言葉と関西弁はちょっと違うと思いますわ。でも、おもろい組み合わせやユニークな表現ができることもあるんやで!
A: こんにちは、Bingです。関西弁はちょっと苦手やけど、がんばってみますわ。😅
A: 関西弁とお嬢様言葉は、同じ「ですわ」でもアクセントが違うんやて。関西弁は下降調で、お嬢様言葉は上昇調やねん1。それに、関西弁は日常方言やけど、お嬢様言葉はフィクションの役割語やから、使う場面も違うんや2。似とるようで似てへんのやな。
口語なんてそんなもんやろ
https://anond.hatelabo.jp/20230423111053
①敵の話が全て俺の予想の通りだった。
俺は自分の仕事のどこにミスがあるかなんて全てわかっているし、上司が怒りの表情で俺に話しかけてきたら、そのミスのどれか指摘してきているに決まっている。
また、相手の趣味嗜好、時事ネタの何を好むかも大体わかっているので、相手の機嫌次第で何の話をしてくるかは大体わかる。
世の中は、俺の予想通りの行動をしてくるやつらしかいないことを再確認し、話を最後まで聞くのは時間の無駄だなということがわかっただけだった。
俺はちゃんと、他人のPCモニタに何が映ってるか監視しているし、他人の日常会話に聞き耳を立てているし、
朝誰もいない時に机も漁っている。同僚のスマホやPCの解除パスも、6割くらいは覚えている。
そういう努力をしていない人間だけが、敵の話を予想できないのだなと思った。
『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』という言葉を贈りたい。
まずは誰もいない時に机を漁り、他人の書類を読み込んでおくことだ。
②話を聞かない能力が失われる
例えば貴方は創価学会やマルウェイ、統一教会等やものみの塔などの話をちゃんと聞く必要があるだろうか?
会社にかかってくる、不動産投資営業や、保険営業の話を、理解する必要があるだろうか?
そういうことだ。
世の中は、「聞かない方が良い話」や「理解しない方が良い話」に溢れている。
それらの詐欺的カルト的な話など、しっかりと耳を傾ければ、ある程度の合理性は見出せるのだ。
「あなたは幸せになれる」などという甘言なのだから、論理的に理解すればするほど、ハマっていくものなのだ。
オウムに高学歴の人間達がドはまりしていたのも同じで、彼らは話を聞く能力や読解力があったからこそ、カルトにハマってしまったのだ。
仕事もそうだ。
何故ならば、仕事上のコミュニケーションの行きつく先というのは「人生を食いつぶし会社や俺のために奉仕しろ」という言葉に他ならない。
何故、そんな言葉を理解する必要がある?胸に手をあてて考えろ。
他人の言葉を自己流に都合よく解釈し、ああお客様の役に立つことなんだな、とか、自分の成長にも繋がることなんだな、と思い込むことによって社会は成り立っている。
上司の指示や話をしっかり理解しろなど、残酷な言葉に耳を傾ける必要はない。
俺が会話をする時は他人を利用するためか、他人を陥れる時だ。それ以外の会話をしたことがない。
そんな俺の話を聞く必要があるか?ないだろう?つまりそういうことだ。だが、俺は善人だ。なにせ、自分が悪意を持っていることを知っている。
そして本当に他人を利用する悪人なら、自分の悪意を晒したりしない。デメリットしかないからな。
真の悪人とは、つまり自分の行為が社会善や共通善に則っていると思い込んでいるやつらのことである。
わかるだろう。
他人に無償でアドバイスをするような人間の言う事は聞く必要がない。俺のような善人の言葉を除いて。
我々に人の話を全て聞く時間があるだろうか?
いや、ない。
国語の物語文や論説文を解く時、まさか主題となる文章を頭から読んでいたのではないだろうか。それは誤りだ。
国語の長文読解は、①問題文で使用されているのと、同じ単語の連なりを全体視で見つける。②問題文と関わりのある文章の段落のみから、情報を引用し解答する。
これだけでいい。短時間で解答することができる。しかも間違えない。そもそも、文章全体を捉え、理解することなど、時間の有り余っている暇人だけやっていればいい。
俺の経験が確かなら、駿台だとか河合塾だとかでも、同じように教わるはずだ。というか教えていた。
受験勉強が得意なことと社会生活が得意なことは=ではないが、この能力は必須だ。
マニュアル、社則、資料、全てを読み込んでいる人間はまさかいないだろう?
このゴミのような情報が溢れた社会で、俺達は幸福に生きなければならない。
必要な情報を必要なだけ読み取るのが国語力だ。断じて、頭からケツまで理解する能力が国語力ではない。
全てを書き取り、相手の意図を読み取れ、というのは問題を錯誤させようとしている詐欺だ。
目的は明らかだ。この世は限られた幸福の総量を奪い合うゲームだ。
能力とは、つまり相対的なものだ。絶対評価ではなく、相対評価が世の常だ。
他人が時間を浪費し、無駄なことに時間を使うことによって、相対的価値を高めようとする人間の欺瞞である。
時は金なり、いや、金より重い。
他人の話を全て聞き取る、書きとる、こんな無駄な行為に時間を使ってはいけない。
何度も言うが、俺はまず自分が悪人であることを示した真の善人なので、本当の善意から言っていることはわかってくれたと思う。
ではどうしたらいいのか?対案はある。最初に述べたように、まず予測能力を高めることだ。
人生のパターンは貧弱だ。国語の問題文などその実、パターンが数種しかないのと同じことだ。世の中の人間は、そんな大したバリエーションや複層性を持っていない。
つまり、敵である人間達の情報を常日頃から収集しておくこと、これは文章①で述べた。
文章②で、世界は聞く必要のない話、聞いてはいけない話が多い事を述べた。
その前に、俺は善人なので少し捕捉する。
日本語は実は言文一致(話し言葉と書き言葉が同じ)をしていない。
その前提を理解していない人間、理解しているのにも関わらず、文章を書き写せなどと言ってくる、相手の無知を利用したコミュをするやつは、くたばってしまえと言う話だ。
会話、『話し言葉』においては簡単だ。語気が強まる瞬間、あるいは話の最後の瞬間だけ聞き取ればいい。どうせ中間は天気の話とか大谷の話しかしていない。
1から10まで聞くのではなく、音が強まった瞬間だけ、耳を傾ければいい。
大体、専門用語や略語、社内オリジナル用語や業界用語など、文語なら通じるが口語では通じない音でこの世は溢れている。
文字に起こせと言われても、「こいつ何言ってんだ?」という部分で引っかかりが生じるのは当然のことだ。
「つまり」だとか、でかでかと書かれている部分だけ読みとればいいし。テキストが100行あれば、人生において必要な行は2行か3行がせいぜいなのだ。
そこをCtrlFで検索するのでもいい。自分に必要なテクストだけ摂取すればいいのだ。
この点で『つまり会話を文章に直すのは有効では?』という語り掛けがあるかもしれない。詐欺である。なぜならば、その有効性とは効率のためにあり、
そもそも『口語を文語に訳す』という手間、時間が、そもそも『非効率的』である以上、その論法は成り立たない。
「人が口から発した言葉をテキストにしろ」という言動が、貴方をハメようとしている悪意に満ち溢れたものであることはわかって貰えたと思う。
「相手の話を全て聞き、それを文章に書き写し、理解する」ためにあるのではない。
そもそも、『話が理解できない』などというのは、『単語やローカルルールが理解できない』ことに原因があるのは明らかなのに、元増田はそれをあえて無視している。
組織の使う備品の名前、その目的、取引先や他部署の人間の名前、そのあだ名。
そう言った知識の非対称性が、『話が理解できない』に繋がっているのは明らかなのに、1から10まで話を聞けば、理解できるかのように語る元増田は詐欺師だ。
人間の会話は、知らないワードが3つ出てくると理解できないのだ。
それを、元増田は分かった上で無視している。種別は違うが、理解できない会話を放り投げてくる奴と同じだ。
知識の非対称性を利用している。そういう人間は総じてカスである。
バットを持っていない人間にホームランを打てと語り、サッカーのルールを知らない人間に試合に勝てと言っているのが元増田だ。
俺はそんなことはしない。どんな無知な人間でもわかることしか言わないし、やれることしかアドバイスしない。
敵を知り己を知り、要点だけを聞ける能力を磨け。
わざと変なことを言ってすまなかったな。
つまり、話し手と同じくらいの、前提知識を得ようぜ、そうすると要約できるって話だ。
花嫁が輪姦されてるのっていいよね。いいか?うんとても素敵です
Bing:
C言語のもとになる構造化言語は、1970年代から制御構造を導入したプログラミング言語を指しての「構造化言語」というワードが浮上し、当時のgoto文中心だったFORTRANやCOBOLやBASICを意識してそれと線引きするための用語として存在していました1。C言語は、1972年にAT&Tベル研究所のデニス・リッチー氏が主体となって開発した汎用プログラミング言語であり、C言語はBCPL言語を参考にして開発されました23。C言語は、その後、多くのプログラミング言語に影響を与えたことで知られています。
ごちゃごちゃ余計なことを言ってるが、要は答え:BCPL
後に深堀りすると本当はBであることがわかる。(英語で検索して日本語で要約して……)
しかもこのあとにB言語にはGOTOが存在しないとか嘘までつく始末……。ヤバすぎるだろ……
perplexity:C言語の元になった言語はB言語です[1][2][3]。
B言語は、C言語の開発者であるケン・トンプソンが開発した言語で、C言語はB言語の改良版としてリリースされました[1][2]。
https://www.perplexity.ai/search/ead144d3-a2f4-443c-b8b6-036b80218e40
まずBing余計な口答えするわ、ハルシネーションがきつすぎて嘘ばかりつくわ、間違い指摘したらチャット閉じるわでまともな検索には使えない。厳密モード使うくらいならperplexity使ったほうがマシだし、実際にperplexityを使ったほうがマシです。
ちなみに perplexity はB言語にGOTOがあることもちゃんと答えられました。
どっちが本当のことを言ってるのかわからんので、仕様PDF(https://web.archive.org/web/20150317033259/https://www.bell-labs.com/usr/dmr/www/kbman.pdf)見たわ。ってか、そういうメンドイことをやってくれるのを期待して検索チャットAI使ってるんですけど???
この作業が必要になるなら口語で検索したりハルシネーションで余計な時間を食わなくて済むだけ、Google使ってるほうがマシですけど?
そしてBing厳密モードはわからないって答えた。わからないって答えるだけましたけども、そもperplexityはちゃんとB言語にGOTOが存在すること答えられてるので、やっぱりBingよりはperplexityのほうがまともであるという結論になる。
何よりもperplexityは余計なことを言わないで聞かれたことだけを答えるし、ハルシネーション少ないからな。
結論:検索(要約するなら) https://www.perplexity.ai 使え。Bingはうんこ
ネット上とか気の置けない仲間の前では当然「安倍」と呼んでるんだけど、会社とかご近所さんとの会話の中で安倍について口にする時、呼び方にいつも困っている。普通に「安倍」と呼びたいのだけれど、周りが皆安倍さん安倍さん言うもんだから、自分もついつい「安倍さんが打たれた事件で...」みたいな感じで”さん”付けしてしまう。けど本当は安倍なんかにさん付けしたくないから話してて気持ち悪くなる。さん付けすると安倍に親しみを持っているようなニュアンスが出るのが嫌。かといって「安倍元総理が」という表現は口語としては堅苦しいので、これまた違和感が出てきてしまう。「安倍氏」も口語としてはちょっと変な感じがする。小池百合子のことは皆「百合子」呼びしてるのに、なんで安倍については皆「安倍さん」と呼ぶのだろう。「安倍」で良くない?
こういうこと言うと右の人間が「左翼は人としての礼節に欠けるクズ」とか言い出すんだろうけど、あんたらが蓮舫のこと「蓮舫さん」なんて呼んでるの見たことも聞いたこともないわ。蓮舫が蓮舫でOKなら安倍も安倍で良いだろ。