はてなキーワード: 内申点とは
カウンセリングに行った。
小さい頃からずっと自分ってみんなとちょっと違うんじゃないか?と思ってきた。でも「マイペースなんだね!」ってよく言われるからまあそんなものかと自分をごまかして生きてきた。
中学生の時に「増田さんって浮いてるよね」「おかしいよね」ということが原因で部活の先輩にいじめられた。元々苦手意識のあった集団生活が完全に無理ぽょ〜になった。
高校生の頃は先生に「テストだけきちんとやったって内申点はあげられません」と言われた。別にいらなかったけど、なんでそう言われるのかわからなかった。
で、知り合いが誰もいなかったらもっと上手くやれるんじゃないかと思って、地元から進学した人が誰もいない土地で大学生になった。手に職をつけたかったので医療系の学部に進んだ。
そしたら、ビーーーーーックリした。
ADHDとされる子どもが幼少期のわたしそのままだった。ビデオで見たことある、幼稚園時代のわたしそのままの行動を取っていた。その後に出てきた特徴も、みんなみんな見に覚えのあるものだった。
・いつもきょろきょろしてしまってじっとしていることができない
・ケアレスミスが多い
・別のことに気を取られて本来やるべきことを完遂できない
他にも色々あったけど、特にこの5つがわたしにとってどうしてもできないことだった。そして、ADHDの主な症状としてあげられるものだった。わたしがどうしても解決できなくてつらかったこと、全部説明できた。
でも、みんなこんなんなんじゃないかな?って思って「こんなのみんな当てはまるんじゃないかなあ」って友達に聞いてみた。みんなきょとんとしてそんなことないでしょ?って言った。
アーーーーー完全にこれは、わたしはADHDの傾向があるんですねぇ!と思った。
ネットで調べたチェックリストみたいなのをやった。真っ黒だった。
4つ以上マークがついた場合は専門家に相談を、とあった。だから、カウンセリングルームに怯えながら電話をかけて、予約を取った。
あと、母親に連絡した。遠回しにその話題を振ってみたら、小2の時に担任からADHDかASDの疑いがあると言われたことがあるらしい。
今までそんなことを言われたことがなかった母は驚いて専門機関にかかるべきか聞いたが、特に大きな問題が見つかっているわけではないから大丈夫でしょうと先生は言ったらしい。最終的には確かに忘れっぽいし集中力がないところはあるけど元気で優しい子に育っているから大丈夫、また生活に不自由するようなことがあったら考えましょう。と、母親は結論を出したらしい。
そして、カウンセリングに行った。何をするかわからなくて怖かったので、一応不安に思っていることをまとめてから行った。
まとめてきたから言いたいことは上手く言えた、けど、話してる間にどんどん涙が溢れてきた。なんでか全然わからなかった。全然いうつもりなかったのに、しんどくなると家中の食べものを食べまくってしまうとか、嘔吐するまでやめられないとか、眠れない夜があって辛いとか、冷蔵庫にお酒がないと不安になるとか、大きい音が苦手ですぐ驚いて頭が真っ白になってパニックを起こしてしまうとか、朝どうしても起きられない日があって学校に行けない時があるとか、無意味に涙が止まらなくなることとかまで話してしまった。
カウンセラーさんはいいとも悪いとも言わず、ただ、そうなんですねとだけ言って相槌をうってくれた。やさしかった。
みっともなく泣き崩れるわたしに、カウンセラーさんが「次回は発達障害に詳しい先生がおられますから、その方にお願いしたいのですがどうですか?」と言ってくれたのでよろしくお願いします、と返して次回の予約を入れて帰ってきた。
泣いたのは恥ずかしかったけど、誰かに辛いという気持ちを聞いてもらうだけで楽になることを実感した。
2回目のカウンセリングに行った。
この前のカウンセラーより年上の女性だった。メモはもらっているけど、もう一度自分の口でお話していただけますか?と言われたので前回と同じような話をした。
途中で先生が「ふんふんふん」「あーはいはい」「それでそれで?」とかいうのがなんか怖かった。
わたしが話し終わると、その人は「あなたは自分の口で辛いことを説明できるので、大丈夫です!」と言った。
は?何がどう大丈夫なんだ?と思ってぽかーんとしていたら「わたしだってイライラしたらお菓子とか食べすぎちゃいますよ」「でも大丈夫ですよ、その気持ちを自分でコントロールしましょう!」とか言い出して、ますます唖然としてしまった。
わたしは別に過食について相談に来たんじゃなくて、もっと別の、その原因の生きづらさについて誰かに助けて欲しくてここにきたんですが?と思ったしそう言ってみたけど、馬鹿にしたように「それは大丈夫ですから」と言われただけで終わった。
次回の予約はいつにしますか、という質問になんと答えたかは覚えていない。
カウンセリングルームを出て、学校から家に帰っている時間、唖然とした気持ちは怒りになって、最終的にわたしの苦しみは甘えなのかー、という悲しみになった。
家について、もう、うわーとなって御釜にあったごはんを全部食べた。釜から直接。気持ち悪くなって全部吐いてしまった。
いま、トイレの前の床に座り込んでこの文章を書いている。もうどうしたらいいかわからなくて、ただただぼんやりしている。
このような状況に陥った人いたら連絡ください
彼ら彼女らの放課後と土日を「強制管理」する手段として部活が強化される。
強制的な部活動の悲喜こもごもはいろいろと聞いたことがあるだろう。
しかも、運動系の部活に参加しない人間は、まともな扱いをされなかった。
せめて卓球部……とまで言われたが、初志を貫徹した。
歴史研究部では遺跡の発掘調査に参加して話題になったりとそれなりに頑張ったつもりだ。
それでも、(運動部じゃないから)「部活動に熱心ではない」と本当に内申点を下げられた。
志望校の公立高へ合格するには、本番の試験でリカバリーするしかなかったのを思い出す
おっさんになると、管理する中学当局や教師、PTAの立場も理解できるが、
現場の空気が相も変わらずと聞くと、なにか遠い目をしたい気分になる。
部活動のリスクが大きくなり、学校や教師は本音ではやりたがらない。
そんな話を生で聞いていると、
制度改定の利点・欠点をきちんと把握しないで、現象面だけで否定するな、というのはもっともだ。
https://anond.hatelabo.jp/20180116095356
参考までに、少し自分の経験を述べる。東京ではない道府県の、似たような制度があった公立進学校に入学した生徒を対象に、一度リサーチした結果だ。
校内偏差値と大学入試の結果は、かなりよく相関していることが進路のデータから分かっていたので、じゃあ高校入試の成績と校内偏差値との相関はどうだろうと思って調べてみたわけだ。Cが従来型の入試方法の妥当性、Aが新型選抜の妥当性、Bが内申点自体の信頼性をはかるのに役立つと考えた。そして2~3年にわたって調査した結果、A、Bには実質相関が無く、Cにのみいくらか相関が認められるということがわかった。
個人的には、地頭の良さは高校では大きいと思っていたので意外だった。どうも、公立高校での「学習成績」は、地頭とかだけではなく周囲との社会生活をうまく送れるかどうかにも左右されるということらしい。私立出身の自分には意外だったが、確かに、生徒達を見ていると、公立高校では周囲とうまくコミュニケーションを取りながらやっていく「公立タイプの秀才」が多いようだ。ピーキーな能力の持ち主はあまり居場所がない様子だった。まあこれは地域にもよるのかもしれないが。
自分のいた所では、その後すぐこの制度がなくなってしまったが、結局Cによる判断が一番無難であることが分かったので、自分としてはそれなりに納得している。
私立の幼稚園だか小学校だかの受験で必要書類として母子手帳(のコピー)が求められる件を思い出した。
学校側が何の為に母子手帳を要求して来るのか明かさないので、受験希望者の保護者達の間で憶測が飛び交う。
出生時の記録を抹消・捏造or最初から記入しない事を産科医に求めたりとか。
原理主義的自然派育児を行って来た保護者が、私立校受験のために情報収集してみて初めて、母子手帳のワクチン接種欄が全くの白紙であることをリスクに感じて、慌てて予防接種をさせ始める(が、今度はワクチンのロット番号が気になって仕方ない)とか。
私立校が保護者達を操っているのかどうかは定かではないが、保護者達がほとんど自主的にけつに火が点いたようにテンテコダンスを躍り狂っていることは確か。
と、似たような感じで、内申書にも生徒やその保護者達が過度に踊らされている感があった。
私が中学生時代はもうずいぶん昔の話であるけれど、普通に学生生活を送っていれば内申点が悪くて進学に響くというような事はないという感じで、内申書が問題になるのは元増田の話のようなケースとか、不良が起死回生をはかる時とか、そういう場合くらいな訳で、特に何の問題も起こさない生徒が内申点を上げる為にする努力というのは基本的に無駄、という感じだったので、内申書=悪とまで言うのはどうかと思う。
しかしブコメ見ると教師に嫌われたせいで内申点下げられたとかいう経験談があったりなどし、本当にそこまで恣意的な制度なんなら、ヤバいな。
そうすれば、教師は生徒の保護者からの意味不明な文句やプレッシャーにさらされずに面倒な仕事が一つ減るし
虐められて不登校だった虐め被害者は学業さえできれば進学校へ入学する可能性が出てくるし
虐めをしていたゴミクズは学業さえできれば中学時代の悪行をきれいさっぱり洗い流して心機一転、新たな気持ちで高校で気弱なヤツを虐めることができる。
とまぁ、くだらん皮肉はこれぐらいにして、下記の記事の反応を見ててびっくりしたことがある。
http://anond.hatelabo.jp/20180115220235
トップのブコメはもちろん、ほかも流し見した限りでは「不登校で一時期学校に行けなかったのに学業成績が優れている」という
どこをどう見ても学業意識的な観点から最良の評価しかしえない事が評価悪くて当然、という糞みたいなポイントに誰一人異を唱えてない。
これが「学校行かなくたって勉強できるからサボりまくり」とかだったら評価が悪くなるのも当たり前だけど、
上記の記事内容がホントだとしたら、そもそもの内申点の評価自体が最大の問題点。
そして冒頭の皮肉でも書いたけど、内申点をなくすってことは、元増田の書いている「哀れな不登校秀才を虐めてたゴミクズ」を高校側が排除するネタをも
同時に葬ることになるってわかってて「内申点廃止しろ」とか言ってんの?理解できない。
うわさ では、生徒がしっかりしている区(山手線内内側とか)の学校では内申点は厳しめにつけられ、所謂荒れている学校のある区の内申点は緩い模様。
授業中積極的に手を挙げないと、テストで95点とっても通知表3だからね。
えぐいのは5教科だけではなく、残り4教科も採点されること。
高校受験で突破できる学力がある生徒は、特別選考枠なくなったので私立に流れているよね
具体的には早慶付属校レベルの学力だと特別選考枠で日比谷いけたのが微妙なので。
国立・開成クラスだと内申点のビハインドを超える位、独自問題で点数とれるが、そのクラスはほんの一握り。
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
皆さんは、長期欠席からの復帰を望む中3生に「学校に行くな」と指導することができますか。
この辛さが分かりますか?
温厚すぎる性格が災いしたのか、イジメが原因によって、一時期、学校にいけない状態に。だから、内申点は著しく低いものでした。
でもこの子、勉強がすごくできる。塾で受ける模試で、偏差値70オーバー。将来の夢は大きく科学者。
中学2年生の時、地元の難関校、都立国立高校の文化祭で見たクラス演劇に感動。
「地元で最難関の都立国立高校に進学したい。そこでもう一度、リセットして再出発をしたい。」
今までだったら、このような生徒であっても、都立の進学校に行くことができました。
それは、特別選考枠といって、募集定員の1割を「内申点を見ないで当日の筆記試験の得点だけで決める」という枠があったからです。
この枠のおかげで、学力はあるけれども、病気、ケガ、イジメ……様々な事情で学校に通えない時期があった中3生の多くが救われてきました。
不登校でオール1の内申しか付かなかった生徒が、都立最難関の西高校に合格したという例は伝説として語り継がれています。
もう何年も前の話だけれども、この実話が、どれだけ多くの生徒達に勇気と希望を与えてくれたことか。
私立中学校の数が日本一多い東京都。さまざまな事情から外部の高校受験を希望する生徒も東京にはたくさんいます。
そういう生徒は、外部受験の意向を学校に伝えると、嫌がらせのように内申点を大きく下げられたりすることがあります。
残念なことですけれども、事実です。
それが、舛添知事の時に、突然に廃止された。理由は、「入試制度が複雑になりすぎる」「あってもなくても同じ」とかだったと思います。
この制度がなくなった今、東京都内の多くの生徒達が本当に困っています。
東京都には、本当に様々な生徒がいるのだ。内申点がなくても、卓越した能力を持つ中学生がたくさんいます。
ある生徒は唖然とし、廃止を知らなかった人の中には、泣き出す親子もいました。
東京都教育委員会に電話をしてみました。困っている生徒がいるのだと。
反応はこうです。「現行の制度ではこうなので、仕方がない。」と。
では、救う手はあるのか。一つだけあります。
たとえ中学校に復帰できる状態になっても、絶対に復帰しないということです。
なぜかというと、1度でも学校に行ってしまうと、その時点で、学校の内申点が付いてしまいます。
内申点がついた時点で、終わりです。もうあなたは、学力相応の都立高校へ進学はできません。
1度も学校に行かなければ、内申点は付きません。判定不能です。こうなれば、高校側は内申点を除外して合否判定をしてくれます。
舛添前知事が特別選考枠を廃止した結果、今、東京都内では、実力相応の都立高校への進学を希望する生徒に、
「中学校は絶対に登校するな。1度でも登校すると、都立高校へ進学できなくなるぞ。」
中学校に行きたいよね。復帰の意欲もあるもんね。
でもね。ダメなんだ。君は勉強ができる。だから、都立の進学校へ行って、たくさん勉強して、大学へ進学してほしい。
君が中学校に1度でも通った瞬間に、内申点が付いて、君の進学への道はすべて閉ざされるんだ。
ごめんね。ごめんね。
本当にひどい制度です。
そして、その制度を、都民ファーストの会、公明党、小池都知事は未だに継続しています。
みなさん、ぜひこの現状をぜひ拡散してください。広く知ってください。
小池都知事、都民ファーストの会の皆様、都議会公明党、自民党、共産党、だれでも構いません。
この状況が早急に変えられることを願います。
日本人は議論ができない 議論が成立しない人の特徴18タイプ―はてな村定点観測所
http://hatebu.me/entry/discussion
読んだ。果たして議論が出来ないのは日本人だけなのか?むしろ人間は議論が出来ないのではないか、なんて思ったけどどうなんだろう。
それは置いといて、そういえば私は小中高の間に何度か、ディベートの授業を受けた事があるんだよなぁ。たぶん小学校で一回、中学で二三回、高校で一回くらいだろう。充分に数をこなしてはいないがやったのはやった。しかしながら同級生の皆がそれで議論が上手くなったという事は全然無い。
ディベート(一つのテーマについて賛否に別れて討論すること)と議論(互いの意見を述べて論じ合う事)は違うから、ディベートやったって議論は上手くならないだろって事?そういうことなの……。
まぁよくわからんけど、とにかくサイバメ氏のエントリ読んで学生時代のディベートの授業の事を思い出したっていう話ね。
で、小中高で受けたディベートの授業の中で討論が討論として成り立った事は一度も無いし、クラスの人間関係にかなりの悪影響を及ぼすという残念な結果だけが残った。私個人には得るものがあったけれども、そういう人は少数だったんじゃないかな?もう二度とこんな事はしたくない、うんざりだ!という人達が多かったんじゃないかと思う。私の見た限りでは。
中でも私的に最悪だと思ったのが、中二の時に社会科の授業で行われたもので、「ルーズソックスに賛成か?反対か?」というテーマでの討論。
討論のやり方は、まず皆で目をつぶって賛成か反対かに挙手をすることでクラスを二分し、論戦するというもの。皆必ず一回は発言する事、相手を罵倒しない事がルール。
どうなったか?
たった一人の賛成派VS反対派30人で討論をし、反対派が圧勝を主張したが教師が賛成派の勝利を宣言、賛成派一人が授業後に散々非難と罵倒を受け、しばらくの間一部のクラスメートから嫌がらせをされる事となった。
なお賛成派って、私。孤独な戦いだったなぁ。授業後はいっそ負ければよかったんじゃね?って思ったし。でもある意味私の一人負け(私の勝ちと認めたのは先生だけで他全員は私の負けだと言ったので)だったお陰で、クラスの人間関係クラッシュ度は低く、最も平穏無事に終わったかもしれない。
そのディベートの賛成派の勝因(教師曰く)は複数の意見を出した事であり、反対派の敗因(教師曰く)は全員が全員自分の意見を言わなかったからだ。
「校則で決まっているから」「校則を破るのは悪い事だから」反対派はそれしか言わなかった。(私としてはそれらが「自分の意見ではない」というのはどうなんだと思うが)
今になってみれば、双方の論がどうこういう以前に、テーマの設定もディベートのやり方もおかしいし、それより何よりディベートの授業を行えるだけの土壌が無かったのがよくないと、私は思う。
まず、「ルーズソックス」という、学校側としては明確に禁止とされており、不良の象徴として風紀指導の対象とされているものをテーマにすることが良くない。
そして、ディベートのやり方がおかしい。賛成派と反対派のバランスが悪い上に、勝敗を決するのが教師一人というのは良くないだろうと思う。5対5くらいで、審判も生徒数名にやらせ、他の生徒には感想を述べさせる、くらいでないと不公平だし教育効果も得られなくないか?(ま、そういうやり方でもやっぱり荒れるんだけどな)
でもって酷い事に、そもそも生徒達は教師や学校を信用していなかったのであろう。これは授業後に散々叩かれた際に言われた事からの推測なのだが。
「どうせ内申点下げられると思って反対派についたのに」
「依怙贔屓されていい気になるんじゃねーよ」
ディベートの授業において、生徒がどちらの立場に立とうとも、その場限りの事としてくれるとは、皆思っていなかった。
そのように生徒達は思っていたから、自分の本当の考えを言わず求められているとしておぼしき正解しか言わなかったのだ。
この例は極端に酷いにしても、ディベートなんて、根底に教師や学校、ひいては他者への信頼感がなければ成り立たないんじゃないかと私は思う。
発言した事により自分の立場が脅かされるという恐怖が少しでもあるなら、いくら訓練しようがダメだし、僅かでも訓練に問題があれば、やはり自由に発言してはいけないんだという思いは強化される。
しかしながら、適切に訓練を重ねる事によって他者への信頼を獲得できるのではないかという気も、するんだよねー。
どうしたもんだろう。
【追記】
http://b.hatena.ne.jp/entry/347188536/comment/masara092:embed]
ディベートって自身の信条の外側で意見を交わすことに意味があるのに自分の意見だけでどちら側になるか決めるって全く意味が無い感 - masara092のコメント / はてなブックマーク
ですよねー……。
ブコメ・トラバで言われている通り、ディベートの練習なら自分とは関係ないテーマでするか、逆の意見で論じるかしないと効果無いと思う。
ちなみに私はルーズソックスなんかわざわざ学校に履いて来る事無いだろ、服装の自由とかいうけどルーズだって一部の集団の中でほぼ強制されているに近いし、と思っていたにも関わらず、賛成派の方に挙手したのだった。
何故かっていうと、これもある種の点稼ぎ。
当時高校入試の小論文で、「ある問題について、対立する意見Aと意見Bのどちらかを選んで論じろ」(どちらを選択したかで加点減点はされない)っていう形式が流行っていて、学校の定期テストで出る小論の問題も入試対策として大体いつもそれだったんだ。
その形式のテストを何度か受けているうちに、自分の元の意見で論じるのがベストな結果(小論として)を出せるとは限らないと知った。自分の考えと論じ易さは関係ない。
自分の脳みその引き出しに入っているもので充分戦えるかどうか、それが大事だと思った。
ルーズソックス問題に関しては、私もやっぱり突き詰めると反対派は「校則違反だからダメ」くらいしか言える事がなく(よくよく考えれば他にもあるんだろうけど)、難しい戦いになるだろうと予想したから、賛成派にまわった、それだけの事だった。
その後の追記である。なお追記を書くにあたって前の文書は読み直していない。
あまりにも上手くいってないもんだからついに田舎の義父に急な呼び出しを喰らった。今丁度のその帰りだ。
お前は無能だだの失望しただの雷が落ちてくるかと思っていたが、総論としては、やはり君は勉強をして伸びる側の人間であるのでもうひたすらに泥臭くやりなさいと(ただし暗に今年か来年までに入学するように+自分も歳だから援助出来る期間を考えると医学部やネームバリューのある大学は無理だろうといわれた)
やっぱり医学部には憧れがあったんだけど(なぜって特に国立の医学部なんかは高校の勉強が本当にほぼ全て入ってる+人間の全てを扱う学問は医学と文学だけであり少なくとも学問としてとても整ってる)リアルに医者である義父のいう「仕事としては今は標準的なパターンに押し込んで行くだけだし、正直仕事としては面白くない、それに今の若い医者を見てると昔より本当に大変な仕事になった」というのは少し考えさせられるところがあった。
まーなんか勉強って気持でするものじゃないんだよな……(そりゃ気持ちがあった方がいいけれど)、授業が終わって上気して「これは絶対に復習しないと!!」と意気込んでたのが家について夕食を取ってるうちにしぼみきってるというのに何度遭遇したことか、中2の内申点で将来の予定が決まるのはクソだしひっくり返したいという怒りを何度風化させたことか。
もうロボットみたいにとにかく手を動かすしかないんだろう、それで楽しくなってきたら儲けもので。
あとあまり関係ないんだけど、関東から北陸の田舎は行くのにぐるっと一周回る切符を作ったんだけど、この時期の北陸の農地は野焼きの煙とか上がっていてここにも人の生活があるという空気が濃密で、だらだらしている私にくらべ真面目に働いてる人の偉いことよ……みたいなちょっと卑屈な気持ちになってしまった。
ニュースで今日9/1は子どもの自殺が一番多いと言っていたので
中学ほぼ不登校でも今は人並みの生活を送っている弟の話を書こうと思う。
アトピーといじめと人間不信で入学早々不登校になった弟は不登校児のステレオタイプでテレビゲーム三昧の日々を過ごしていた。
親はひどく心配していたが、俺は同じ中学校を卒業した身として中学時代は授業中はコミック回し読み、休み時間はTCG(遊戯王やガンガンヴァーサス)しか
してなかったから不登校でも大丈夫だと強弁した。そしたら親から弟の不登校対策を任されることになってしまった。
当時大学生の俺は不登校児に対する対応など何も知らなかったので、取り合えずコミュニケーション大事だよねってことで弟と一緒にゲームをすることにした。
弟とは不登校前からよく格ゲー(鉄拳やGG)の対戦で兄の威厳を示していたが、弟の24時間やり込みの前あっという間に負け越すようになってしまった。
そして俺の負け越しが当たり前になったある日、俺は腹が立って「ゲームばっかやってんじゃねーぞ」とゲームをやりながら弟を罵倒した。
ならどうしろとと言う話になって、まずは余りにもゲーム中心の生活で不健康だったので俺のロードワークや親父のゴルフ練習に付き合わせるようにした。
すると弟のアトピーが幾分改善した。アトピーが改善したお陰で外出に前向きになって週末にラーメン食いに行ったり、電気街にでかけるようになった。
電気街通いが日常化し、いつしか部屋に自作PCが出来上がっていた。自作PCで弟が何をしていたかと言えばもちろんゲームだ(CODやHALO)
振り出しに戻ってしまったように見えたが、ゲームで知り合ったフレンドとチャットしたりクランを組んで出撃している様を見ていると
家族以外とのコミュニティに属して楽しくやってんなと妙に安心してしまった。
そんなこんなで進路を決める段階になって内申点ゼロの弟は私立を受けるしかなかったが、普通の高校行っても合わないだろうって
話になって、不登校児や転校生を積極的に受けいれている単位制の学校に進学することになった。
弟曰くこの学校は奇人変人の集まりだったそうだが弟の肌には合ったらしい。陰キャ高校生として3年過ごした。
また進路を決める段階になって、弟の性格上就職で苦労するのが目に見えていたので工学部への進学をすすめた。
弟は情報系に興味があったようだが、俺のリーマンショック後の就活の実体験を語ったらあっさり工学部への進学を決めた。
大学では緩めの研究室に入って教授のコネで速攻就活を終わらせる要領の良さを見せた。
弟は今では飲み会が多いと嘆きながら、とあるメーカーの技術職として働いている。中学時代のゴルフ練習のおかげで接待ゴルフ要員として重宝されているらしい。
休みの日には高校時代の奇人変な友人とツーリングしたりアイドルライブに行ったりと、学生時代の友達付き合いも続いているようだ。
お盆に実家で顔を合わせたのでひさびさに格ゲー(鉄拳7)をやったら当然のごとく負け越してしまったが、楽しかった。
弟もたくましくなったもんだ。