趣味では音楽製作をやる傍ら、プログラミングやWebデザインの仕事を請けてきた。
自分自身の人間レベルがまだまだ足りない、まだ頑張れると思って就活はしなかった。
結果として、私は大学院に進学した。
だが、それが失敗だったのだと思う。
そして、研究室の学生もそれぞれ研究分野が殆ど異なっており、私が決めた研究分野に近い先輩などもすでに卒業して居なくなっていた。
研究室といえば普通先輩が後輩に指導して進捗を報告するようなイメージがあったが、指導するという習慣もなく、報告する会も一切なかった。
それどころか、一部の先輩同士の仲が悪く、両方の先輩からしょっちゅう片方の先輩の愚痴やネガキャンを聞かされた。
その代わりに、週一回合同ゼミが開かれていた。
ゼミでは他の学生の進捗発表が行われ、教授がそれをフィードバックするものだった。
私の研究室の学生は、他の研究室の教授から一方的に攻撃を受けていたし、一方でその教授陣は目に見えて自分の研究室の学生には甘かった。
そりゃそうだ。自分の指導が必要ない、自分の責任の無い学生に対しては何とでも言える。
論文の読み方や先行研究の探し方なども自己流で見よう見まねでやってみたが、全然要領を得ていなくて、どう勉強したら良いかも分からなかった。
そのまま修士2年になった。
仕事は依然として充実していたし、忙しくて断ることもあるくらい困らなかったけど、大学院での生活は本当に苦痛だった。
どうしてこんなに仕事に打ち込んでいたのかというと、ひとつは家計が苦しかったからだ。
他の金持ちの学生と違い、私の実家は田舎にあり、学費を払うのも精一杯、生活費はとても……という状態だった。
ましてや、実家で親が会社と揉めて、最終的に弁護士沙汰になって退職することになった。
だから、そんな状況を打破してやろうと思って、仕事に打ち込んだ。
バイトなんかしなくても学費生活費全部貰って大学に行ってる他の学生が妬ましくて、悔しくて、だけどそれがバネになって頑張った側面もあったと思う。
就職活動は2日で内定が出た。今までの実績と開発したものを見せれば一発だった。ITでは日本で指折りの会社だし、一生働きたければ働ける規模の会社だ。
しかしその代償として、仕事はまぁまぁできるが研究は一切できない大学院生が出来上がった。
「このままじゃ本格的にやばい」
そう思って、僕は仕事でやっていたWeb開発のスキルを活かして、その延長線に研究を持ってくることにした。
みるみるうちに画面ができ、機能もでき、サービスとしても研究としても良い感じだと思った。
「研究じゃなくて開発じゃない?」
「独自性はどこにあるの?」
「サービスとして完成させることに集中しすぎて、研究になってない」
などのコメントを貰った。
全部ごもっともだ。
趣味の目的が逃避になり、創作のようなエネルギーを使うものは一切出来なくなった。
試しに何度か試そうとしたけど、自分が自分で無くなったかのように、何のアイデアも湧いてこなかった。
結果として、私は創作関連のコミュニティからだんだん疎外されていった。
クリエイターとしての私は好きだった人は、私がクリエイターでなくなった時点で興味を無くした。
学部時代の友人は卒業したし、サークルは完全に遠ざかって今更関わることも出来なかった。
人間関係が狭く固定化され、希薄になっていくのがよくわかった。
今まで仲良くしていた人がSNSとかでも全然反応してくれなくなるのが、本当に辛かった。
そして、年明けには修士論文を提出しないといけない。
云われた内容を元に研究っぽく体裁を整えたものの、全然結果が出ないし、そもそもその結果の評価方法が良く分からない。
先行研究の劣化コピーを実装し、偏りまくったデータを元に研究の真似事をでっち上げて、一体何になるのか。
このまま成果出せなかったらどうなるんだろう?
そうなったらもう首括るしかないよね。
どうして研究せずに仕事ばっかりやったんだろう。どうしてこんな研究室に来たんだろう。
全部自業自得だよね。
もう嫌だ。しんどい。やめたい。
修士論文なんて東大でさえただの努力賞でくれるのに(就職する学生のものなんて副査なんて読まないことすらある) それに対してどうのこうの言われて卒業できないかも、って相当駄目...