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はてなキーワード: 価値判断とは

2016-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20160119151515

社会価値観内面化できないっていうのは、人間(じんかん)で生きていけてないという意味で、

正直、うすら気持ち悪い奴だなぁという感じはある。

「痛さ」を強固な価値判断基準として重きをおいてるみたいだけど、言い換えれば「痛い」とは「社会の標準に沿ってない」ということとほぼ同義だよね。

社会価値観内面化できない」ということを言ってるんだから定義から「痛い」のは当たり前であって、「痛い」と指摘することは何も情報量を増やしてないと思うぞ。

ん?敢えて痛いことをしている人と天然さんとでは、改善の見込みがまるで違うと思うんだが?

http://anond.hatelabo.jp/20160119151041

あとたぶん君が思ってるよりもさらに歳いってる。

狙ってやったことなんて全然無いのに、物心ついた頃から何十年もずっとこの調子からな。

そりゃ「価値とは何か」とか考えざるを得なくなるってもんなんだよ。

「痛さ」を強固な価値判断基準として重きをおいてるみたいだけど、言い換えれば「痛い」とは「社会の標準に沿ってない」ということとほぼ同義だよね。

社会価値観内面化できない」ということを言ってるんだから定義から「痛い」のは当たり前であって、「痛い」と指摘することは何も情報量を増やしてないと思うぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20160119144240

増田が「不毛だ」と思ってるものもそう思っていないものも、等しく意味なんか無いというのが仏陀が言ったことだけどな。

その「不毛」の価値判断は、結局社会価値判断内面化したというだけに過ぎないのではないか?って思う。

2016-01-13

今、そこにある仕事量が妥当。多すぎる、少なすぎるということはない。

残業常習者が会社を壊す|トンデモ人事部会社を壊す|ダイヤモンドオンライン

http://b.hatena.ne.jp/entry/diamond.jp/articles/-/84384

akagianne 社員が悪いような書き方をしているが、「突然の根拠のない方針変更」「明らかにキャパオーバー業務」「過酷人員削減」で、首が回らなくなっている担当者が多いはず。明らかな、雇用から責任転嫁仕事 5 clicks

ひとつひとつ突っ込んでいくと、「突然の根拠のない方針変更」というのはお前程度の人間説明する必要がないというだけのことであり、こういうこと書いてる時点で立場的には末端の上司命令に従うだけの立場だということがわかる。

次に「明らかにキャパオーバー業務」というが、これは実は明らかではなく、口だけで行動が伴わない人間に多い無駄口のひとつである。こういうことが全くないわけではないが、たいていは適切な仕事量であり、それどころか改善次第ではもっと多くの業務をこなしつつも余裕がある、それぐらいまでこぎつけることも多い。

ということを書くと、表題矛盾しているじゃないか、と思う人もいるだろうが、そんなことはない。要は「多すぎる、少なすぎる」という価値判断は、お前自身がすることじゃねーんだよ、ということ。

最後に「過酷人員削減であるが、これは当然のことで、「今ある仕事量は常に適正だが、人員は最小化して回すのが正しい」ということでしかない。つまり仕事量は常に適正だし、人員も多すぎるのは問題だが、少なすぎることは問題ではないということだ。なぜなら、人員が少ないというのは客観的評価ではなくたいていが上と同じ個人の無駄口でしかなく、最適化すればむしろ適正だった、なんだ、前のほうが人多すぎじゃないか、となるのだ。

これに不満を持つの結構だが、そこで不満持っててもロボットに取って代わるだけだし、己の無能を恨むんだな、というほかない。

以上、人を使役するものからコメントでした。長過ぎるのでブコメには書けなかったよてへぺろ

2016-01-10

バカにしていた相手が凄い人だった時の危険

ずっとバカにしていた相手が、ある日を境にノーベル賞級の偉人になった時、そんな経験をする人は、自分価値判断評価基準人間を見る目を全面的に疑った方がいい。

自分の選択力や判断能力ゼロに等しいと思っていた方がいい。

ノーベル賞とまで言わずとも、仕事で成果を出した、というのも同じ。

その認識の仕方・考え方・価値観は、あらゆる面で、ノーベル賞級の人間とは別の方向を向いているということだからノーベル賞とは真逆の結果を出す人生を送る嵌めになり、自分人生にも大いに影響を及ぼす事になる。

すくなくとも、株や競馬とかのギャンブルには向いていないので手を出さない方がいい。

そして、そんな経験をする時は、大幅に自分価値観修正し直さないと死ぬまで一生、成功とは無縁の、失敗をし続ける人生になるよ。

2015-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20151217234113

生物学的に間違っている、という主張に対する反論

マチガイ

同性愛生物に見られる」という事実判断と「生物学同性愛が正しい/間違い」という価値判断は別

(そもそも後者命題として成立しない)

2015-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20151217010315#tb

>ほらね、言葉意味をすり合わせないと満足する答えなんか貰えないでしょう?


そうじゃなくて、単に相手方が「反社会的であることの論証」という意味理解してなかったというだけの話なんだけど。

過去反社会的とされてきた」という事実判断と、「反社会的理解されるべき」という価値判断は別物なんですよ?


言葉意味」の「すり合わせ」なんか必要なくて、

肝心なのは

①その人が「反社会的」という単語をどのような意味で用いているか

②その上でなぜ同性愛が「反社会的」だと言えるのか

説明なんですよ。

2015-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20151216233406

だとしたら、「同性愛反社会的なのか」も「14歳女性と和姦性交することは反社会的なのか」もどちらも価値判断を導くための質問なので、どちらかの(あるいは両方の)質問に対する回答を得たところで「反社会的という言葉定義のすり合わせ」にはなり得ない(「反社会的」という単語定義することにはなり得ない)ですよ。

価値判断を離れて、まずは「反社会的」という単語定義しないとダメです。

どういう意味ですか、「反社会的」って。

(まさにそれこそ、『同性愛のどこがどう「反社会的」なのか論証すべき。』 の趣旨なんですけどね。)

同性愛は異常」なのか、「異常」と言ってはいけないのか


性的指向とは何か

性的指向とは、恋愛性愛対象として「どの性別の人を好きになるか/ならないか」という根本的な傾向のこと。性的指向他者から感染」することはない。

○ 異性の人しか好きにならない人は「異性愛者」、同性の人しか好きにならない人は「同性愛者」、異性の人を好きになることも同性の人を好きになることもある人は「両性愛者」と呼ばれる。


同性愛生物学的に異常なのか

○ 「生物学的に異常」という表現がそもそも成り立ち得ない。近代以降の生物学ダーウィン進化論原理とするが、進化論は「環境適応した動物が生き残る」という事実判断を示しているのであって、種や個体の在り方について「正しい/誤り」「正常/異常」などという価値判断を示しているわけではない。

ナチスドイツのように「優秀な遺伝子」の繁殖至上命題とする「優生学優生思想)」ならば事情は異なるが、生物学は「子孫繁栄」を種の目的として掲げているわけでもない。

○ 「性行為生殖に結び付かないのに性欲がある」個体を「異常」とみなすならば、同性愛者だけではなく、不妊症の男女もまた「異常」ということになる。「生殖に結びつく能力を持たない」個体を「異常」とみなすならば、同性愛者一般ではなく、不妊症の男女(性的指向は問わない)のみが「異常」ということになる。


同性愛医学的に異常なのか

生物学と異なり、医学では「正常/異常」という表現使用し得る。

1974年アメリカ精神医学会は『DSM精神障害の分類と診断の手引)』第3版で同性愛治療対象から除外し、1993年にはWHO世界保健機関)も『ICD国際疾病分類)』改訂10版で「同性愛はいかなる意味でも治療対象とはならない」と結論した。

日本でも1994年厚生省(現:厚生労働省)が『ICD』を公式基準として採用し、1995年には日本精神神経医学会が『ICD』を尊重するとの見解を示した。

性的指向に「正常」も「異常」もないというのが現代医学の「常識である。この「常識」を覆そうとするのは自由だが、同性愛治療対象医学的に「異常」)であることを証明するのは難度の高い試みだろう。


「異常」という単語は悪なのか

○ 「アブノーマル(異常)」が「ノーマル(正常・まとも)」の対義語であることを踏まえれば、仮に発言者に悪意がないとしても、「同性愛は異常」という主張は必然的ネガティヴ表現として理解される。

同性愛には「異常(アブノーマル)」として排斥されてきた歴史もある。不特定多数を「誤解」させたいわけでもなければ、同性愛者が少数派であることを強調したい場合には最初から「少数派」や「マイノリティ」という単語使用する必要がある。


同性愛は異常」と言ってはいけないのか

○ 既述したように、「同性愛生物学的に異常」という主張は「私が信じるところの『生物』の在り方として同性愛は異常」という思想メッセージにすぎず、「同性愛医学的に異常」という主張は事実に反している。現代社会において「同性愛は異常」という主張は差別的発言として理解される。

法務省人権擁護局の『主な人権課題』に基づけば、特定人種性別性的指向理由とする差別的発言人権侵害にあたると考えられる。


傷付く人が本当にいるのか

同性愛者や両性愛者は、誰もが自分性的指向カミングアウトしているわけではないし、誰に対してもカミングアウトしているわけでもない。実のところ、それは異性愛者も同様である。異性と交際・結婚していることは異性愛である証とはならない。

○ 「同性愛は異常」という主張は、自分の周囲に同性愛はいないと思い込んでいる人ほど発しやすい。しかし、実際には同性愛者や両性愛者はごくありふれた存在で、複数調査によれば人口比3〜6%程度は存在するとされる。

○ 目の前に同性愛者がいる可能性を考慮せずに「同性愛は異常/気持ち悪い」と発言することは、実は目の前にX県出身者がいるのに「X県出身者は異常/気持ち悪い」と発言するのと同様、他者侮蔑する行為である。偶然、その場に同性愛者やX県出身者がいなかったとしても、目の前にいる人の家族や友人が同性愛者やX県出身者かもしれない。

日本同性愛者や両性愛者の男性の中には、異性愛者の男性の約6倍もの自殺未遂経験者がいる。


同性愛は異常」と思ってもいけないのか

○ 誰も他人の心の内を透視できないので、内心で何かを思う分には誰からも何も問題視されようがない。ただし、「同性愛は異常/気持ち悪い」という発想が「黄色人種は異常/気持ち悪い」「男性は異常/気持ち悪い」などの発想と同様の差別的思想であることはそろそろ理解されるべきだろう。

自分が同性の人を愛せないことと、「同性愛は異常/気持ち悪い」と思うことは異なる。性的指向合致しない人に恋愛性愛感情を抱かないのは自然だが、自分と異なる性的指向嫌悪することは差別的思想によるものである


まとめ

○ 「同性愛は異常」と主張する人は、以下のいずれか、または複数誤謬自然ものと信じ込んでいる。

  ● 「生物学上、生物目的は子孫を残すことである

  ● 「同性愛障害または病気である

  ● 「同性愛者を気持ち悪いと思うのは自然感情である

○ 実際には、生物目的生物学では説明されないし、同性愛障害でも病気でもないし、同性愛者を気持ち悪いと思うことは自然感情ではなく主観的偏見である。これらの事実を示されたとき事実を受け入れるか、それとも受け入れるのを拒んで「差別主義者」として生きるかは各自に委ねられている。

2015-12-06

僕の地元

若い人は酒・女・パチンコ・車・祭りしか興味を示さな

私立に行く奴はアホ

市長地元国立

価値判断基準テレビ

商店街ほとんど閉まってる

性的早熟人生のもの早熟

・謎の宗教団体が巣食う

成人式人生のピーク

・無投票当選

・まともな仕事がない

情報に疎い人が多い、与えられた情報を消費するだけ(騙されやすい)

Facebookが好き

イオンすらない

ちょっと賢い子は都会に逃げて二度と帰ってこない

・全国規模のメディア露出甲子園のみ

同じ日本にいながら東京が別の国みたい

やばい

2015-11-30

同性愛者を「異常人間」と呼びたい人へ

異性愛者は正常で、同性愛者は異常だ、と言う人がいる。本当だろうか?

なぜ異性愛者が正常なのかというと「人間は子孫を残すために生まれてきたからだ」と言う。

しかしその「ために」というのがどうにもアヤシイ

その「ために」は何のための「ために」なのだろうか?

事実として、多くの人間には、種を残すための本能のようなものが、遺伝子的にプログラミングされているらしい。

そう考えると、同性愛者というのは、プログラムの「バグ」のようなものにも見える。

バグ=異常」。極めてシンプル理屈だ。

しかシンプル理屈ほど、疑ってかからなければならない時もある。

ここで考えなければならないことは、「そのプログラムはなんの『ために』存在するのか?」ということではないだろうか。

なぜ種を残す本能存在するのか? そもそもなぜ人間は、あるいは生物は、その種を後世に残そうとするのか?

難しい問題である無茶苦茶ムズカシイ。なんとなれば、「人はなぜ生きるのか?」というような問題にも繋がってくるからだ。

科学価値判断をしない、という文脈に立った上で言うならば、科学的に見て、人間が生きることに意味目的理由存在しない。

あるひとりの人間が、人間としてこの世界に生まれたのは、単なる物理現象の膨大な積み重ねにすぎず、そこに必然性のようなものは全く無い。全く、である

人間は子孫を残すために生まれてきたんでしょ?」と言う人がいるかもしれないが、そういう人には逆に問いたい。「じゃあなんのために、人間は子孫を残すの?」と。

おそらくこの質問に回答できるのは、宗教的議論だけだろう。「終末の日を待つため」とか。「自分を産んでくれた先祖に恩返しするため」とか。

しかしあえて言わせてもらうなら、あなたがこの世に存在するのは、先祖あなたのためを思って子孫を残そうと努力したおかげなどでは決して無い。ただ単に、「種の保存」という遺伝子プログラムに従っただけのことである。身も蓋もないことを言えば、ただセックスしたいからセックスしたら子どもが生まれただけである。いや、ホントはもうちょっと複雑だろうけどね。

「よりよい種を残すことが人類目的だ」というようなことを言う人もいるが、それも科学的に見て間違っている。

生物進化するのは、環境適応するため、である。「より良い」などという概念は、人間的な価値判断に過ぎない。

より正確に言うならば「多様な個体の内、環境適応した個体が生き残る」という形で進化は進む。

人間が今の人間のカタチをしているのは、大雑把に言えば、単なる偶然に過ぎないのである

どうも「人類は今まで子孫を残してきた」という事実と「だから全ての人間は子孫を残すべきだ」という価値判断をごっちゃにする人が多いようだ。事実価値判断は分けて考えなければならない。

あなたが「全ての人間は子孫を残さなければならない」と考えるのは個人の自由だ。しかしそれはあくまでもあなた個人的思想であり、社会的合意ではない。

あるいは、成員全てが子孫繁栄のためだけに邁進するような、そんなブラック企業じみた社会に、本邦はなりつつあるのだろうか? そうしたい人は結構いるみたいだが。

話を冒頭に戻そう。

確かに、人間のうちの多くが、「種の保存」を遺伝子的にプログラミングされている。

しかしだからといって、そのプログラムが多少ズレている人が、直ちに常人であるという話にはならない。

なぜなら、そのプログラムは、様々な偶然の積み重ねによって、そのような文字配列になっただけであり、あらかじめ種の保存を目的として書かれたものなどでは決して無いからだ。

もし足し算が出来ない表計算ソフトがあったとしたら、それはれっきとしたバグである所与の目的と違う動作を、バグと呼ぶのだから

しか人間は、人間遺伝子は、誰かによって何かの目的によって作られたプログラムでは無い。人間遺伝子目的は無い。「ために」も無い。

そして目的存在しないプログラムには、「バグ=異常」もまた、存在しないのではないだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20151129175725

追記見た。

そうかそうか。差別とか政治的な正しさとかそういうことはすっかり了解した上で、そういうのはさておき純粋に個人の感覚的な話をしたいんだね。感覚的に嫌悪するのが当然と思っていたのに、いつの間にかそうでないことになっている気がするけど、あれれどうしたの皆そうじゃないの?実際のところどうなの?俺がおかしいの?って話だね。

だとしたら「やめようぜそんな条例って言いたい」ってくだりは混乱をまねいていて無用だったわ。

そうだなぁ。同性愛に限らず、そもそも人の属性のみをもって「きもっ」ってのが無いな。例えば皮膚疾患の拡大写真とか見ると「うっわぁぁ」って感じる。でもそれを患っている人について「きもっ」とは感じないよ。もちろん自分との個人的かかわりの中で「近づきたくねぇ」ってのは別としてね。電車の中でからんでくる酔っ払いとか。

元増田は、どう感じてるんだ?

それって掘り返せば差別意識を背景にした学習性の価値判断、つまり皆が差別しているから俺も差別しておこう、って身に付けた感覚だと私は思うんだけど、そうではなくて、皮膚疾患を見た時のような純粋感覚的な嫌悪感情なの?

2015-11-29

http://anond.hatelabo.jp/20151129134255

気持ち悪いとかい生理的価値判断をいきなり持ち出すお前が気持ち悪い件。いや気持ち悪いうより単純に直情バカとでも言うべきか。

2015-11-21

相手のいる性行為をしてみたいと

発作的にかなり強く思うこともあるが

したことがない。どういうことだ?

まず簡単に自分で解消できるからというのは大きい。

あと極めてまれなことだとは思うが、

異常だか奇妙だかと思う人が多い考えを、俺がかなり強く抱き続けているからというのも少しはあるだろう。

ただし、後者の信念によっては仮に特別に魅力的な異性が相手から接近してきたら抵抗できない気がする。

奇妙と感じる人が多いらしい信念の内容は、異性による性行為の結果として子供が新しく存在し始めることがあるが、

その結果を被る人にとって、存在し始めることが極めて悪い場合が恐らく1から3%くらいあり、

そのリスクを考えると、異性間の性行為に関わることは極めて大きな他者危害に加担することであるというものである

この考えの萌芽は中1くらいからあった。

普通はこの類の考えは一時的に抱かれることはあっても、長く続くことはあまりないのではないか。

そうなるのは恐らく、性行為の相手ができて、性行為をすることによる自分利益が極めて大きく感じられるため、

他者危害の可能性などどうでもよくなるのだろう。

実際性行為には本人たちも望まない結果すら避けるための対策すらさせないだけの魅力があるらしいので、

もっともらしい説明だと思う。

上の強固な考えはその奇妙さと現に訂正されていないということから

いわゆる精神病的な妄想なのではないかと考えて、少しお勉強したことがあるし、現在精神医学にはかなり興味がある。

結論を言えば、上の考えの中で、妄想でありえるものは、存在し始めることが本人にとって悪い場合割合くらいだと思われる。

他は直に価値を含んだ考えなので妄想ではないと思われる。

ただ、一つのことを、それについて考えることが苦痛を伴っても考えざるを得ないという心理的特徴は、

ひょっとしたらさまざまな精神病の中核にあるものかもしれない。

激しい幻覚妄想などはその性質によって引き起こされる睡眠不足などによる自然な結果のこともあるのではないか。

ちなみに、精神病の診断で奇妙さを基準にした場合、その点では診断する者の判断が一致しない場合がかなり多い。

実際の比率は忘れたが、幻聴妄想認知臨床心理学ガレティとヘムズレイの本に書いてあったと思う。

もちろん、上のような考えそのもの精神病の症状じゃないとしても、

精神病の影響によって生じた考えではあるかもしれない。

行為に関わることの悪さをどれくらいだと感じているかというと、

人を拷問し続けてから殺すことよりはかなりマシだが、

生きることをよいことだと感じている人をふつうに殺すよりは悪いくらい。

かなり悪いと感じることをしている人々について仕方ないと思っているので、

たいていの殺人犯とかも仕方ないと考えなければならない。

2016年11月25日追記

直接の価値判断の部分は妄想ではないというのは間違い。基本を押さえてなかった。

DSM-5による定義

「誤った信念が価値判断を含む場合、その判断が信用できないほど極端な場合にの妄想とみなされる」。

2015-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20151103043123

意見人格って区別できる物かなあと思うんだよな。

その人の意見は、その人の価値観から作られるものだし、その人の価値観は、その人の人格から作られるものだし。

意見否定するってことは、その人の価値判断にNOを突きつけるわけで、「その感じ方はおかしい」「そっちの方が大事だと思うのはおかしい」「その好みはおかしい」っていうのは、もうそ人格に異を唱えてると受け取れるよ。

まあ、単に知識が欠けてるから本来その人の価値観が求めてることとそれを得るために通したい意見がズレちゃってることもたまにあるけど、その場合は教えてあげれば聞いてくれる方が多いと思う。

それでも聞いてくれずに強く反発されるのは、大体、建前として表明してる価値観本音での価値観が違ってる場合

たとえば「仕事プロジェクト成功させたい」が建前の価値観で、それについて誰かが「そのためにはあなた意見には合理的でないところがあるからこうした方がいい」って指摘してキレられたなら、それは本当に求めてるのは「仕事プロジェクトで俺が主導権を握りたい」「活躍したい」とかだったりする。

でも、その「自分こそが一番活躍したい」っていうのを否定したら、それはもう人格否定だよね。周囲からしたら困った人格ではあるけどさ。

2015-10-09

[]よくある質問

今回は、恋愛結婚関連。

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.「ただしイケメンに限る」というミームは廃れたのでしょうか。

ブサイク人間嫉妬自虐に使い、肝心のイケメン人格排除している時点で、低俗ミームであることは自明だっただろう。

元ネタに込められた思いなんて、今では何処吹く風だ。

まあ“そういう人間”は、「ただし性格のいい人に限る」とかだったとしても分が悪いとは思うが。

最近ではそれがターゲットを変えて「童貞を殺す服」になっているのかな。

“彼ら”にはぜひとも逆に殺してやるくらいの気概を見せてもらいたいものだな。

なんなら「処女を殺す服」でも作ったらどうだ?

君の発明にしてくれて構わないぞ。

Q.女性は外見で選ぶのか、中身で選ぶのか、どちらでしょうか。また、男性はどちらでしょうか。

おいおい、君はまだそんな次元で話しているのか。

ただしイケメンに限る」といった低俗ミームが風化してから何年経ったと思っている。

そんなものは個の問題だって分かりきっていることじゃないか。

なのに、いまだそんな不毛質問するのは、君の中で「外見だけで人を判断するなんて酷い」だとか、画一的価値観を前提に語っているからだ。

君がよほど未成熟人間でないのなら、そのような評価基準に是非を求めようだなんてことはナンセンスだと気づくはずだ。

そもそも人間総体的評価すべきで、各々で重視する側面はあっても、決して「それだけ」でいいわけではない。

住む部屋を探している人は何を重視するかはともかく、「その条件さえ満たせば後は何でもいい」とはまず思わないだろう。

また、現在進行形対象を求めているかどうかでも、回答への真剣度は変わってくるしな。

いずれにしても総体的評価すべき価値判断を、一つの要素だけ抜き出して語っても意味はない。

愛すべきは「要素」ではない、「人」だろう。

まあ、そこに君の求める真実があって、それで人生が豊かになるのならば好きにすればいい。

Q.自分婚活中です。高学歴高収入なんて高望みせず、自分と同じくらいのスペックで構わないのですが、相手が中々見つかりません。

そ、そうか……。

まあ出会いは水物だからな。

偶然そうやって出会いに恵まれていない人を捕まえて「だから結婚できないんだよ!」なんて言うのはお門違いではあるのだが……。

君は高学歴高収入を「高望み」といっているが、もう少し考えてみて欲しい。

自分と同程度のスペックで、かつ一緒にいたいと思え、相手も君とパートナーになりたいと思っている。

それは、高学歴高収入と比べて本当にハードルが低いのかどうか。

それにハードル走も、それはそれで大変だと思うぞ。

……それらを踏まえたうえで結婚できるのか?

それは私が決めることじゃあない。

出会いは水物だとさっきもいっただろう。

しかしたら高学歴高収入の人と結婚できるかもしれないし、君のいったような条件の人と結婚できるかもしれない。

だが不確定要素が大きい以上、結婚の条件を弄ぶ人間他者がいえることはそこまで多くないんだ。

いずれにしても、私がいえる教訓はこれだ。

現実を見ろ」

陳腐な教訓だが、こんな所でいるかどうかも分からない人間を前提に語っている時点で、本当に理解している人は少ないんじゃないかな。

それにしても、いやはや……。

恋愛結婚自由になり、親戚などの「お節介システム」も廃れたのが現代だと思ったが。

今も形を変えて、そのシステムお金を払ってまで求める人が多くいるとは。

各々が自由を追い求めた結果が今だとするなら、何とも難儀な話だな。

まあ、要は選択できることが重要なのだろう。

2015-10-03

互助会認定してくるやつらのことは気にしなくていいたったひとつ理由

こいつらは自分感覚に自信がないチキンから

素直につまらないといえばいいのに互助会という言い方をするやつらの嫌らしさの考えてることは自分感覚責任をとりたくないってこと。

まらないというのは価値判断からね。もしつまらないと書いて後からその記事評価されたら自分が赤っ恥書く。

8割くらいつまらないと思ってはいるけど、つまらないって書ききる勇気がないときにやつらは互助会認定をする。

これだったら自分感性責任持たなくていいからね。互助会じゃなくても、それらしく見えてれば言うこと自体おかしくない。

そういう責任逃れでこのコトバ使ってるようなチキンなんだよこいつらわ。

2015-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20150924201016

鋭い意見だと思うけど、

より動物的に価値判断するなら、

異性とマッチングするチャンス自体が有限かつ希少と判断して

「そこそこ良いコースに来たボールは打つ」

という戦略を取るだろう。

よりシビア動物的な判断の結果として、

トップではない男女がカップリングする事は割と多いと思われる。

まあ、動物は夢をみないって事だ。

2015-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20150901133157

完璧実践するのはムリでもある程度実践している人は4人以上いると思うけど。個人で実践できることだってあるわけで、そんな難題ではないよ。

不当な差別だのを無くしたいなら思想を直接広めてなんとかするんじゃなくて科学技術の発展に期待したほうがいいかなって思ってるよ

思想を直接広めれば問題が解決するわけじゃないってのはその通りかもしれないね

ただ、あなたの言う「科学技術の発展」により男女差別を解決するにしたって、まず科学者技術者たちの心に「男女平等という理念は大切だ」という価値判断がなければならないよね。さもなければ男女差別をあおる科学技術だって登場しかねない。科学者技術者が「男女平等くっせー」と言ってるようじゃ話にならんわけでね。だから思想理念を広めることも大事なんだよね。

2015-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20150823072130

国は創作するよ。

 

過去の無数の出来事の中で、

国家や編者が重要だと思う出来事を選び出したもの

一般的国家教科書が語る『歴史』だ。

 

そして『歴史』に、国家にとって都合の良い歴史解釈や、

民族国家国民としてするべき思考法や事柄への向き合い方を

規定したもの中国韓国は『歴史認識』と言っている。

 

歴史』は普通に創造物になりうるし、歴史認識は完全に創作物だよ。

 

歴史』の場合はどちらか一方に都合の良い出来事のみを記載し、

もう一方に都合の悪い出来事だけ記載すれば、

事実とは程遠い『歴史』を作ることが出来る。もはや創作物だ。

 

歴史認識』はさら自由度が高く、出来事評価自在に書き換えることが出来る。

例えば、後世に影響のない些事に意義を付加して愛国心を煽るエピソードになったり、

併合された国が併合した国の投資教育の成果を単なる良かったこととしてではなく、

搾取目的としたものだと言って評価を書き換えてる。

まりに強固な『歴史認識』を教育された人間とは事実ベースの会話ができなくなる。

全く恐ろしい話だよ。

 

まあ、重要な事柄の選別で価値判断を除外することはできないから

人間の扱える『歴史』は全て修正済みの『歴史』なんだけどね。

なのでよくある歴史修正主義批判は底が浅いなと思っている。

本当に恐ろしいのは『歴史認識』を国民強制し、

更には他国にまで押し付けようとする国だと思うよ。

絶対にうちの宗教改宗しろって言ってるようなものからね。

2015-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20150819101654

うそう、そういう価値判断の結果の問題で、安売り購入は一種のレジャーなだけだと思うんさ。

2015-08-02

母の臨終に、おばが発した言葉にずっと引っかかっている

母の臨終に駆けつけたおば(父の妹。母から見た「小姑」)は涙ながらに言った、「本当にありがとう。立派な子どもを産んでくれて。優秀な遺伝子を残してくれて。」と。

母とおばの間に、かつて「嫁VS小姑」みたいな争いは(少なくとも私が知る限り)なかった。おばは、つまらない嫌味を言う人でもない。

から、きっとおばの心から感謝気持ちだったのだろう、「優秀な遺伝子を残してくれてありがとう」。

私は思う。せめて、「子どもたちを立派に育ててくれてありがとう」だったなら、母の短かった人生の後半すべてが労われたのではないかと。

あるいは「兄と結婚し、共に生きてくれてありがとう」だったなら、数々の苦労が報われたのではないかと。

でも「遺伝子を残す」って、母は「産む機械」であり「遺伝子の乗り物」であった、と言っているように私には聞こえた。

しかしたらおば自身、そのように扱われ価値判断されてきた世代からこそ、それは最大の賛辞だったのかもしれない。

それでも私は心の中で願った、「どうか、母はもう聞こえていませんように」と。

2015-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20150719113341

そもそも中立な言説などありえない、というのが現代においては前提なんじゃないの?

XとYの「中間」を取るためにはある基準でXとYを比べないとならないけれど、その基準の選び方に既に価値判断が入っちゃってる。

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