母の臨終に駆けつけたおば(父の妹。母から見た「小姑」)は涙ながらに言った、「本当にありがとう。立派な子どもを産んでくれて。優秀な遺伝子を残してくれて。」と。
母とおばの間に、かつて「嫁VS小姑」みたいな争いは(少なくとも私が知る限り)なかった。おばは、つまらない嫌味を言う人でもない。
だから、きっとおばの心からの感謝の気持ちだったのだろう、「優秀な遺伝子を残してくれてありがとう」。
私は思う。せめて、「子どもたちを立派に育ててくれてありがとう」だったなら、母の短かった人生の後半すべてが労われたのではないかと。
あるいは「兄と結婚し、共に生きてくれてありがとう」だったなら、数々の苦労が報われたのではないかと。
でも「遺伝子を残す」って、母は「産む機械」であり「遺伝子の乗り物」であった、と言っているように私には聞こえた。
もしかしたらおば自身、そのように扱われ価値判断されてきた世代だからこそ、それは最大の賛辞だったのかもしれない。
それでも私は心の中で願った、「どうか、母はもう聞こえていませんように」と。
それで思い出したけど、 本当に人が死ぬ時っていつなのかわかってないんだってね 心臓が止まっても、瞳孔が開いていても、まだ脳のどこかが機能してるかもしれない 意識が本当に無...