はてなキーワード: メンタリティとは
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/11/20/173254
これに全面的に同意。
まず、前提として今回の問題の発端であるさかもと某の行為に問題があったことは異論なし。
その上で、その原因である「子供の泣き声がうるさい」ってことについてどう考えるかという点についてだけ絞って書く。
そこかしこで、子供の泣き声は我慢してしかるべきみたいな意見が溢れてて気持ち悪くて仕方なかった。
実際そう思うのはいいとしても、それを「当然」「常識」のように押し付けようとするメンタリティがほんとうんざりした。
条件反射的に「正論」をうそぶくことで自分の優位性を保ったつもりになって悦に入ってる人ばっかりなんじゃないの?という印象。
自分が安全な位置にいることだけに必死になって、本当の自分のスタンスをないがしろにしてるだけの人がどれくらいいるんだろう、とも思った。
なんか、悪気もなく何が起こるのかも知らなかった少年を責めるのは理不尽的コメントをよく見かけるけど誰も責めてないし責任も求めてないし、ただ頼むからもうエヴァには乗るなって言ってるだけだよね。
過失で人を殺した14歳に対してとる立場として、やってしまったことは仕方がない、だけど2度と繰り返すな、というのは実に真っ当な対応ではないか。
大変だったねよしよしと慰めてくれるのはカヲルしかいなかったけれど、あれだけのことを起こしてしまったシンジに対してそこまでする義理は誰にもないと思う。尻拭いをしてる立場なら猶更。
慰めて赦してもらえなかっただけのことを、「理不尽に責められてる」と受け取るメンタリティが興味深い。
赦さない≠責めるであって、赦さないけど責めもしないっていう立場は充分ありうるってことはそれこそ大人になったら分かるものでは。
「文部科学省が教員増員を予算要求しているのに対して、財務省側は、
「クラスサイズパズル」を理由に、「むしろ減員すべき」と突っぱねている」
というニュースがあった。
確かに、学習効果、「クラスサイズパズル」で議論すれば、文部科学省側の分は悪い。
しかし、これって、「クラスサイズパズルだから、教員削減する」というのは、
これって、「子供を作ろうかどうか、躊躇している」という既婚層に対して、
「国は教育に予算を優先投入しません、子育てを軽視します」とメッセージを発している、と受け取られてしまい、
要は、
ということになりかねない。
クラスサイズパズルより、少子化マインド醸成の副作用の方が大きい気がする。
あれも、可視化された「費用対効果」だけ見れば、税金を都心エリアの子育て層に
優先投入することの理屈付は難しい。
が、「こどもの城の廃止」は、
「経済力あるのに子供を作ろうとしない渋谷区民」の「子作りマインド」を一層冷やしかねない、という点で
※私見では、「渋谷区や東京都のような金満自治体が、こどもの城を引き取ればいいじゃん」と思っているのだが
あまり詳細に書くと身元バレするが、自分の父は鹿児島の貧民だった。
父は5人兄弟の真ん中だったが、一番上の兄は、結構勉強も出来たらしい。
父の兄は、学力的には行けたかもしれない大学進学を諦め、高校卒業後、早々に働きに出た。
父と兄(自分の叔父)との間で、どのような人間ドラマがあったのか、自分には分からない。
多分に、兄の側には「自分も大学に行けたのに、弟のために自分を犠牲にした」という
屈折した感情があったようだ。
どちらかと言えば避けようとしている。
恐らく、父にとって、鹿児島時代の出来事は、「極貧の、思い出したくない事柄」だったんだろう。
兄との葛藤もあったろうし、また鹿児島自体保守的な風土なので、
傍から見れば
「東大の父に、東大の子供、恵まれた家庭・家系」と見えるのかもしれない。
経済的にはそうだったかもしれないが、自分のメンタリティ的には
父自身が自身の家族・家柄を嫌っていたフシがあるので、自分もその影響を受けてる気がする。
安倍総裁が「理想」とする戦前社会が続いていたら、恐らく父が東大に進学することも、
ままならなかったのではないだろうか?
あるいは、家柄優先の社会になっていたから、父や自分がいかに学問が出来たから、と言っても、
「自身の才覚だけで、大学進学・弁護士合格・タレント進出・政治家進出をやってのけた異才」
ということで、安倍総裁なんかより1億倍魅力的だ。
アップルのイノベーションの本質ってものすごく多面的で、単にデザインがいいから売れてるってモノじゃないんだけどなぁ。
有名な所ではティム・クックをはじめとする強烈な在庫管理・物流や生産側ドメインの支配力があるし、小品種極多量生産による購買力の向上なんてのもそう。ハードウェアの機能(≠性能)を極限まで制約することで全世界のモデルを一元化し(iPhone5ではLTEでバリエーションがあるようだが)、ソフトウェア側にローカライズの機能を振ることでさらに小品種化を進めている。そのソフトウェアは、コントロールができないものを極力排除する方針によって安定性を維持すると同時に、ソフトウェア側の(iTunes側の)支配力を強める。そんな感じ? (まだ何か見落してるのがありそうだ)
一方サムスンやLGは、どちらかというとローカライゼーションを積極的に進めています。サムスンの製品ラインナップに詳しくはないけど、先日話題になってたのは、冷蔵庫に宗教上の安息日に対応するモードを含める、というもの。多品種多量生産ですね。日本のメーカーは本来はこっちから学ぶべきなんだけど、(1)プライドが邪魔をしている(2)中間管理職より上が外国市場に理解もやる気もない の2つの理由で今のところいいようにやられている、という気がします。
まぁ、かっこいいのにあこがれるのもわかるけど、アップルの方式は、一つダメな製品を出したら一気にバランスシートが傾く博打経営なわけで、本体部分がデカいメーカー系がフォローすべき道ではない。とはいえ、大陸と地続きの韓国勢のメンタリティを今から獲得するのも難しそうです。島国ならではの海外への出方を考えないといけませんね‥‥‥。
はてなブックマークのホットエントリでは lifehack(ライフハック)のタグを貼られたエントリがごみのようにある。
感想としては、Fuck the fucking Lifehackers! といったところである。
毎週毎週クソみたいに登場するライフハックエントリを、ありがたがってブックマークしている輩のメンタリティに反吐が出るわけである。
ありがたいんだろ?なら実践しろ。でもお前はいままでどんだけの数[lifehack]してきたんだ?さばき切れるのか?
習得できるのか?また新たにエントリがやってきて[lifehack]するんだろ?課題が山積みだな!
一種の信仰なのか?とりあえず[lifehack]しとくっていうのは。
でもほとんどのこのlifefuckerたちは、行動に移してないと思うんだよね。[lifehack]した時点で完結しちゃってると思うんだよね。
実際に[lifehack]エントリのスキルなりを習得し、継続して実践して、QOLや仕事の質を高めているひとってごくわずかなんじゃないか。
その他大勢は、読んで、なるほど、で完結。で、感想が「為になったわー」。
そういう邪推があるから、[lifehack」を見ると「ブックマークして完結してやがる」と思いイラっとくる。
もちろん[lifehack]されてる記事はそんな長い文章でもないし、気楽に出来るのがはてブなわけだし
[lifehack]してるひとでも、「後で読もう」「参考程度に読もう」とするひとたちが多数派かもしれない。今書いてて実際ほとんどはそうかも
とか思う。[lifehack]するにもタダだし、記事を読むにもタダだし。
ただ、ありがたがって[lifehack]している層は、「自分で発見する、生み出す」という気概がまるで無いんじゃないかって
思えてしまって、やはり見る度に「少しは自分の頭で考えようとしろよ!」とイラっとしてしまう。
[lifehack]でブックマークに登録するっていう作業は、一種の思考停止なんじゃないかな。
少なくともそういう一面はあると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20120619092231
もちろん私も全面的にギリシャ人は悪くないと思っているわけではありません。思うところをギリシャ人にぶつけてみましたが、論理立ててきちんと話せる人はそんなにいないんですよ。
日本人でも、消費税上げると言えば「それはやだなあ」という人が多いはずで、じゃあ、どうすると聞いたところで、論理立ててどうこう言える人はほとんどいないですよね。それと同じで、ギリシャ人の政府が悪い、外国資本が悪い、IMFが悪いというのも、直観的な話であって、「私たちが悪いのではないのだから、外部に悪い原因があるに違いない」という感覚的な見方が大半です。
いや、統計的にはこうなっていて、こういう構造的な問題があってというレベルで話せた人は、例の経済学者と日本に住んでいた人だけです。
日本語を勉強しているという大学生は、彼は母親がドイツ人で、ギリシャではドイツについてネガティヴなことを言われてうんざり、という風でしたが、日本のウェブでのギリシャ批判に目を通して、「ひどい、差別だ、偏見だらけだ」と憤っていました。そりゃ、あなた、2ちゃんねるばっかり見るから…。彼は、スペインやイタリアがほとんど批判されていないのにギリシャだけが批判されている、差別だ、と言っていましたが、その発想自体が問題じゃないかしらと私は指摘しました。プライマリーバランスが悪いわけではないイタリアやスペインを同列に扱う訳にはいかない、イタリアやスペインはユーロゾーンの信用不足の煽りをくらった二次的な被害者という側面があり、国家財政の収支を虚偽改竄したギリシャと同列に扱うとしたらそれこそが差別だ、ギリシャ人の事実を捉えられない、我が身のみを憐れむメンタリティが批判されているということがどうして分からないのかと聞きましたが、そこから先は発狂状態でインタビューどころではありませんでした。
ギリシャ政府を選んだのはギリシャ国民なのだから政府を批判してことたれりとしているギリシャ人のメンタリティはおかしいのではないかともインタビューをしたすべての人に聞きましたが、うん、そうだね、みたいなことを言ったのは、日本在住15年歴のある老人のみでした。彼は物の見方が一般的な日本人とほとんど変わらないというか、ギリシャに対して、場合によっては辛辣すぎる見方をしていたので、ギリシャではなかなか生きづらいのではないかと思います。そう聞いたら、「そうだね、横浜の水準に慣れてしまっていたから、帰国して数年はいちいち腹を立てていたものだが、今もし日本に戻ったら、私なんてまるで使い物にならないだろうね」と笑っていました。彼が言うには、もともとギリシャは地政学的な理由から列強によってこしらえられた国で、ギリシャ人というまとまりもなかった。そこでありもしない古代ギリシャとの連続性を持ち出して、ナショナリズムを煽った。作られたものだから空虚で地に足がついていない。それに加えて第二次世界大戦中から戦後には血で血を洗う内戦があり、軍政もあった。公共に対する一体感や責任感は育ちようがない。数々の矛盾をその時々に解決するのではなく、民主主義政権はネポティズムで支持者を増やしたり、福祉で懐柔して、やり過ごしていただけだ。ギリシャ人にはナショナリズムはあっても愛国心はない。
彼はそう言っていました。
民主主義は、民衆が責任を誰かに押し付けることが出来ないという一点において優れた政治体制であるとかのヤン提督は言いましたが、実際には民衆はそうそう物分りがいいわけではないようです。それにある政党に投票したからと言って、このような不正が起こることまで予見して、その責任を民衆に負わせるというのも、おかしな話ではないでしょうか。
何度か話に出てくる経済学者はナショナリストで、その見解はいちいち鼻につくところが多かったのですが、たとえば、そもそもの遠因としてギリシャがユーロゾーンに加盟できたこと自体、ヨーロッパの古代から続くアジアに対するレイシスト意識と関係しているのではないかと私は疑問を提示しました。たとえばキプロス問題は経緯を見る限り、九分九厘ギリシャの責任なのですが、トルコのみがなぜか悪者として欧米のメディアでは扱われている。一事が万事、ギリシャについては、ギリシャを西欧文明揺籃の地として取り込まなければならない西欧側のコンテキストに沿って、ある種のプレミアが無条件に与えられてきたのではないか、そのプレミアが建前と現実の乖離をもたらしたのではないか、と私は尋ねました(こういうレベルのことを聞けたのは経済学者氏に対してだけです)。
彼はいちいち反論というか糊塗をしてきたのですが、それは歴史修正主義者が実際にはどうかと言うことよりも「やる」という意思で事実を取捨選択するような、意志の産物であったのですが、そういうことをしようと思えばやれるわけで、現実にギリシャが困窮していると言う事実から敷衍すれば詭弁なのですが、ある程度の知識人にも事実よりはフィクションを優先させる態度があるのではないかとは思いました。
単なる好き嫌いじゃなく刺青を晒すことは公共の福祉に反する、だからたくさんの人が目にする可能性がある場所では制限されるということなのではないでしょうか。
彫り物を施した体が公共の場で締め出されるという社会的な合意は(日本国内では)すでになされています。その合理性如何に問わず。
もちろん知ってましたよね?その上で彫ったのはどういったメンタリティーからですか?
(日本国内では)社会的な制約を厭わない、もしくは社会の外で生きていくメンタリティーの表明が彫り物ではないでしょうか。だからこそ社会は彫り物を忌避します。
そういった通念(事実であるなしではなくそういった社会的な空気がありますよね)が日本の社会にすでに形成されていることを理解して彫りましよね?
もちろん日本は法治国家ですのでそういった社会的空気による規制が妥当ではないという批判はもっともだとおもいます。
ただし法の前提はそういった空気の集合体であることもまた事実です。
日本は今や(実は太古からですが)多民族が寄り添い多文化が隣同士に存在する多様な社会です。他文化においては(またかつて日本の文化の中においても)刺青にそういった反社会的な記号を含まないことも多々あるでしょう。また日本においてもなんのメンタリティーもなくカジュアルな感覚でタトゥーを入れる方が増えてきていると思います。
しかし現状、彫り物に対して反社会的な記号として拒絶するのが日本の圧倒的マジョリティーです。
ちなみに私は個人的に刺青に対して嫌悪や恐怖心を持っていませんが、なんのメンタリティーもなく、また現在の刺青にまつわる社会的環境を考えず、下手をすれば一生消えない印を体に刻む人達はただ単純に〈バカ〉だなぁと思います。
もしかしたら刺青への理解に関して我々は今過渡期にあるのかもしれません。ただ少なくとも今は社会に広く受け入れられるには至っていません。
そうですね。 それはおもいました。
ただ、成人男子の私としては、その程度の常識はあったもので、考えもしませんでした。
また、世の中には グラビアアイドル志望の方も少なくなくいらっしゃり
まぁ、なんといいますか、どちらが普通で どちらが一般的かは 個人のメンタリティーをベースとした
宗教論争まで さかのぼってしまいますので 一般かどうかの議論は 難しいと思います。
下着はやっぱり一線を超えた感があるよ
それは、増田様の個人的な感情論で、そう思われる方も それなりの数 いらっしゃると思いますが。
大変申し訳ございませんが、元増田の私としては そんな事は聞いておりません。
ごく個人的な感情論で申し上げれば 海で水着で肌をさらす事 自体 破廉恥ではないか?という価値観もありますので
水着ならOK 下着ならNGとは思っていませんので、なおのこと割愛しております。
大小の違いはありますが、肌を晒して扇情的な格好をするということでは、女性に共通の要素で大小がある。という事だと認識しています。
たとえ水着であろうと、人前で肌を晒すことはまかりならんという宗教もございますし、そういうご意見であれば、いちご意見として 大変立派だと思います。
すみませんが、人前で下着になれるかどうか?という統計をとったことがないので、どちらが普通かはまったくわかりませんし
大変失礼ですが、それは職務上やっていることであって
たとえば、女性がバスの運転手をしていたとして、 普通の女の子はバスの運転なんかしない! といわれましても・・・
誰もそんな事は聞いていない。という事になるかと思います。
そこが普通じゃないことは 事実かどうかは別としても、 職務上の特異な行為 であることは 前提知識としてみんな知っています。だから そんな事は聞きません。
あえて言うなら、TVでバカ芸を晒している芸人さんを バカだと思わない。
ドラマで殺人者の役をやった人を 危ない人だと思わない。 というのと 全く同じだと思います。
あるいみ、増田は そんな区別も私がつかない という前提にたって ご発言なされているので・・・ 結構 失礼な発言だと思いました。
言葉が足りないのであれば、申し訳ありませんが、職務上の特異な行動を除き、それが本人のメンタリティーからくるものであっても、差っ引いて
それ以外の 発言や行動って 普通の女の子と比べて 大きく違うの?という趣旨であり 筆者=発言主 さんも 元増田である私も 着目したかと思いましたが・・・
そうですね。筆者さんは・・・そんな、誰もがわかる所をさして いったのかもしれませんね。子供相手ですし。
大変参考に成りました。
踊ってるかどうかが重要なんじゃなくて、ポイントは下着姿ってとこですね
下着姿で堂々としてる時点で普通じゃないな、と個人的には思うのですよ
人前で下着姿になれる女の子と下着姿になれない女の子のメンタリティは全く違うのに
小倉優子やほしのあきなんかのいかにもなグラビアアイドル達は、最初から普通じゃない前提で出てきてるので特になんとも思わないのですが
AKBみたいに普通っぽく見せてるのがいると「普通じゃない!」って否定したくなるんですよ
>困ったことがあると、とりあえず笑ってごまかしたり
>そういう個別の要素を1つ1つ比べていって、大きく違うところがあるのでしょうか?
そんなん根本的に無理じゃね?
愛着が無いものに対し、無理やり愛着を形成する方法なんて存在しない。
そんな方法があったらその辺の非モテを一心不乱に愛してくれる女を作り出す方法だって存在するだろがと。
人間、愛せないもんは愛せない。「愛している振りをする」とか「愛しているんだと思い込む」なら可能だけれど。
言いだしっぺですが俺も無理があると思ってる。
でも条例の内容を咀嚼するとどうしてもそういうとこに行きつくという風にしか思えんのよ。
条例内の表現では「親の自覚を促す」とか「親の成長を期して」とか「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」ってな具合で「親も愛着そのものを持て」とは明言してないんだけどね。
感情の押しつけになるからわざと避けてんのか、それともマジに「今の親は責任感が足らないから責任感持たせれば全部解決」と思っているお花畑なのかはわからんけど。
…と、ここまで書いてて今気がついたけど、そういえば「親の、子どもに対する(責任を伴う)愛着の形成」だから話がこじれるんであって、単なる愛着の形成だったら案外ちょろいんじゃね?
ペットネームとかキラキラネームとかDQNネームとか言われるトンデモ命名する親っているらしいじゃん。アレって一種の愛着じゃん?
ああいうメンタリティに「子どもの将来、子どもに何が真に利益になるか」を真剣に考えるという責任感すなわち「親の自覚」を持たせようというのが主旨だったりするわけか? この条例は。
その辺の育児Q&Aでも「子供に愛着を持てません」なんてのはよくある項目だけど
割と「そのうち愛が湧いてくるかもしれんからとりあえず目の前の育児作業をこなそう、でもってどうしても駄目なら保育園にでも預けよう」なんて事が書かれているよ。いい時代だ。
そーそー、体験談とか実践経験からくるアドバイスは大体そういう感じだよね。
必要なのはそういうの相談する場所とか、目の前の育児作業もこなせないレベルでダメになった場合の受け皿の整備であって、責任感持たせるための教育とかは何か違うという感じがするんだよ。少子化に拍車かかりそう。