はてなキーワード: ポケカとは
シャニマス、アイドルマスターシャイニーカラーズというアイドルゲームは現在自分たちのキャラクターのソロ曲を有名vtuberたちに歌唱させ、歌ってみた動画をアップするキャンペーンを行っている。
ソロ曲のMVが公開されたキャンペーンの一環としてなのだがこれに対し様々な反応があった。
もちろん好意的な意見も見受けられるがそれはvtuberファンからの意見が多く見受けられ、既存のファンからは否定的な意見をやや多く見受ける印象がある。(主観)
その意見には元々vtuberが嫌いだったからそんなところに金を使うな、だとかそれが新規参入の入口になると思ってるのか、などあるがこれらを見るにシャニマスのファン層とvtuberのファン層は違う層であるという印象を受けた。
ここからは完全な自論だが何故この様な層の違いがあるのか、そして何故公式がvtuberに案件を出したのか、考察していく。
先ず、vtuberのファン層はコロナ禍やz世代の影響によって気軽に、なんとなくフワッとした感情で娯楽を楽しむという性質があると考える。(以下、フワンテと呼称)
フワンテは気ままに様々なコンテンツを移ろい、楽しむ事に労力を使わない動画配信、切り抜き、ショート動画などがメインコンテンツのvtuber、或いはゲームストリーマーを楽しみの主とする傾向がある。昨今のポケモンカードやワンピースカードの流行にも通ずる傾向があるだろう。(買うだけで当たりかハズレで楽しめるクジ的な感覚)
そこに何かを考える必要は無く、気軽に視聴しコメントを送る。気が変われば違う配信を見に行くなど緩く楽しむ層がフワンテであり、その実、今のオタク層の多数を占めていると考えた。
シャニマス運営も現在のオタク層を理解しており、数年前から様々な施策を行なってきた。vtuberやYouTuber、ストリーマー、果てには芸人などによるプレイの案件、インフルエンサーによるシャニマスの魅力を語る座談会やブログ記事など様々なフワンテを引き込むような施策が過去にはあった。
しかし、多少ユーザーの牽引には成功したがそこまで効果が出ている実感は無くイマイチ伸び切らない印象を自分は受けた。
今回のコラボもその延長線に有るようなものだが、何故今回は目に見えて否定的な意見が増えたのだろうか。
シャニマスを楽しむファン層はフワンテとは性質を異にしており、一つのコンテンツにどっぷりのめり込み一つ一つの描写やイラストにああでもないこうでもないと考察や妄想を膨らませる、所謂ガチなファンが多いと考える。(以下、ガチゴラスと呼称)
ガチゴラスは楽しむ事への労力を惜しまない。課金にのめり込んだり、膨大な時間をストーリーの咀嚼に費やしたり、リアルライブに全国を駆け回ったり、熱心なファンがシャニマスを支えていると言っても過言ではないだろう。
シャニマスはゲームの魅力で新規を定着させる事が出来ない。原因は色々あるがそれ故にゲーム以外の方法でフワンテを定着させるしかない。
シャニマス運営もこれまでストーリーの切り抜きを公式でアップしたり、リアル広告を大々的に打ったり、リアルライブの配信に注力したりするなどゲーム以外の方法で施策を行ってきた。
そこで初めて明確に効果が出ている実感出来たのが現在行われているソロ曲MV施策だ。
トップバッターの再生数は100万を超えており、明確に数字を生み出した。コメントや反応を覗くとフワンテもちらほら見受けられる。
シャニマスの宣伝では無くvtuberの宣伝として消費されており、シャニマスからvtuberに流れるファンの方が多いだろう。
これでは弱者側のシャニマスが数字を持つvtuberの養分にされていると同義であり、ガチゴラスはそれを快く思わないのだ。
4.終わりに
自分はこの話題については中立という立場で行かせてもらうが、シャニマス運営にはまだ潰れて欲しくはないと考えている。
かと言ってvtuberやストリーマーに案件を出すな、という訳ではない。
かと言って何をすれば良いか、となるとこれまた難しい問題であるのが正直なところだ。
ゲーム性の魅力を上げて欲しいのは勿論の事だが、見るのも楽で、シャニマスの魅力を伝えられるMV施策については、そのまま頑張ってもらいたい。
(尚、それが見られるアイテムをゲーム内で出し且つ限定ガチャに入れるという恐ろしい事態が起こっているが…)
コンテンツの魅力を引き出し、且つ気軽に触れられて続きを見たいと思わせられるモノ…
これを見た方も是非考えてみて欲しい。
今日ヤマダ電機に行ったら死ぬほど並んでて、調べるとポケカの販売日だったらしいと知った。
それでTwitterでさらっと読んでみたらカード中には2万円とかするものもあるらしい。無論カード一枚の値段である。それ自体は趣味の世界だしプレミアが付いたらそういうこともあるだろうなあという感想なのだけど、カードゲームってやっぱり使って遊ぶことが主流なわけじゃん。…1枚2万円とかするカードで遊べるのか……?
もちろんスリーブとかそういうカードの保護アイテムがあることは知っているが、それでも2万円する(プレイ中に傷がついたら価値が落ちる)もので遊ぶ緊張たるや想像もできん。自分が子供の頃遊んでたような公園で遊ぶとか輪ゴムでまとめて持ち運ぶとかそういう乱雑な扱いはしないにしたってだ。
昔のもう現ルールでは使えないようなカードの高騰はコレクション目的のみの取引だろうが、今日発売されたような現役のカードってやっぱりみんな遊びたくて買ってるし強いカードが高いものなんじゃないの?
そもそもカードゲームって同じカードを何枚もデッキに入れる前提みたいなのがほとんどだと思うんだけど、強いデッキ作ろうとしたら2万×3枚とかが前提になってくるってこと?環境ごとにデッキ組み替える!とかも当然あるだろうしそれって富豪以外遊べないような気がするが、天下のポケモンがそんな商売やってるわけもないから強いカード=高いカードではないってこと…?
万単位で高騰してるのなんて昔のカードだけだと思ってたから今日発売のパックも高騰してるのを見て超驚いたし混乱している。自分の子供の頃に比べたらすごい盛り上がりだな…。
子供の頃に読んだ少年誌が正義感に与える影響はめちゃくちゃ大きいか、というのが論旨?
「めちゃくちゃ大きい」ってどれくらい?3割以上?半分以上?8割以上?
そもそも割合で言うべきなのかが合ってるかもよく分からんけど。
まあとりあえず、「18歳までに読んだ少年誌は正義感に影響を与える主要因になるか?」って読み替えとくか。
少年漫画と一般的に解釈される漫画は、18歳までにそれなりの数を単行本で読んだ。
これが論旨に当てはまるのかどうか。
とりあえず元増田はガッシュという単一の少年漫画で育ったと書いてるので、まあ単行本でもギリおけ、ということに勝手にしとく。
あと、「正しい正義感」って表現がなんかふわっとしてるので、元増田の主張に則って「善意を良しとする考え方」と読み替える。
自分の半生でもって賛成か反対かを述べて欲しいと書かれているので、反対する。
つまり「主要因にはなっていない」ということで。
一応18歳までに読んだ少年漫画を思い出せる限りで列挙しとく。
やべえ、思ったより思い出せねえ。
16歳〜18歳くらいまでは、もしかしたらジャンプ・マガジン・サンデーを不定期に買って読んでたかもしれない。買ったら載ってる漫画は全部読む派だったから、当時の3誌のタイトルとかあらすじは大抵分かる。
まあとにかく、これらの少年漫画は、というか少年漫画関係なく「あらゆる娯楽を直接的に享受する行為」は、善意を良しとする考え方どころか、考え方そのものにさえほとんど影響を与えてない。
この記事のタイトルに書いたように、俺は善意を絶えず疑ってかかっている。
善意ってのは自分から与える善意と、他人から与えられる善意があるだろう。
そのどちらも絶えず疑ってる。
今でもたまに思い出す。俺は小学1年生の頃から、「なぜか」人には優しくしようと思ってて、実際周囲に対してそのように振る舞ってた。
この時点ではもちろん、少年漫画なんて読んでない。
だけどその一方で、小学生時代には色々と悪いことをやってた。ピンポンダッシュとか、空き家侵入して(経緯は忘れたけど)ボヤ騒ぎ起こしたりとか、親のお金を財布から盗んで菓子買ったりとか、友達のポケカやゲームパクったりとか。とにかくひたすらシンプルに、純粋に悪いことだ。
同調圧力に関しては、ここ2年くらいでやっと克服できたと感じられるレベルになったけど、欲に関しては今でもものすごく脆い。
どれくらい脆いかっていうと、ゲームやりたくて仕事を無断欠勤してそのままバックレるレベル、無職で実家にいても(流石にお金出したり最小限の家事手伝いはするけど)ひたすらオナったりこうやって増田に張り付いたりして日々を過ごすレベルだ。
良かれと思って衝動的に起こした言動さえ、実は欲に由来してたって後から気づくことが何度もあった。それを見透かされて相手からはねつけられたことも何度もあった。
要するに、俺はこの抗いようのない欲と、これまでの半生そのものを主要因として、自分の善意を全く信用してない。
悪いことをする動機に比べると、善いことをする動機ってのは実に分かりづれえんだよ。
ふと頭の中に善意みたいなものが生まれることがあっても、実はそれ、欲に由来してるんじゃね?と考え続ける。で、突きつめるとやっぱり、漏れなく全部、欲由来だ。
小学1年生の頃の俺が、なぜ人には優しくしようと思ったか。それは単純に、好きな女の子がいたからだ。その子に振り向いて欲しかったからだ。少年漫画だとか関係ねえよ。本当の最初からずっと、その根源は欲なんだよ。くだらねえ。
俺に対して与えられる善意。
俺は俺自身を善人だと思ってないし、見た目や性格やコミュニケーション能力が魅力的な人間でもない。なので、初めて会った人やろくに交流してない人から善意を与えられたら、まず疑う。
世の中に善人がいるのは否定しない。だけど俺にとって、善人と、善意を隠れ蓑に俺を騙そうとしている人を見分けるのにはときに時間がかかる。だから考える。前者なのか、後者なのか。
疑いを向けたままその人と表面上親しくすることもある。こういうときは非常にストレスが溜まる。
必然的に、善意の由来が欲であると自覚していて、それを自ら開けっ広げにしていて、長い付き合いでその態度が真であると判断できる材料が揃っている人たちとの親交だけが残る。そういう人たちとはある程度本音が話せるので付き合いやすい。
唯一の例外は俺の父親だけだ。彼は、少なくとも俺にとっては紛れもない善人だ。
それよりも(これは悪意に関してもだけど)「そいつの言ってることが一言一句事実であるか?言動が理にかなっているか?」みたいなことが気になり、疑う。
身振り手振り、口調、表情、見て取れる感情、一連の言動などから、矛盾や嘘や破綻がないかをはっきりさせたくなる。
だから元増田にもこうやって突っかかっている。これも俺の一つの欲なんだろなと思う。
今回自分の欲に素直に従ったのは、悪いけど、自分のことを善人って言う奴のことは信用ならないからだ。
自分の善意は本当に善なんだろうか?自分は本当に善人なのか?そもそも善意ってなんだ?とか一生懸命考え続けてる奴の方がまだ信用できる。
ポケモン/ぽけもん/Pokémon/Pokemon/ポケットモンスター/ピカチュウ/イーブイ/コイキング/ミミッキュ/ヤドン/メタモン/ポケモンGO/Pokémon GO/アニポケ/ポケどこ/ポケモン映画/ポケカ/だいすきクラブ/ポケモンセンター/ポケモン ソード・シールド/剣盾/ポケモン剣盾/赤緑/GOTCHA/ポケモンカード/サトシ/ゴウ/ポケセン/ポケモンレジェンズ/ポッチャマ/ディアルガ/パルキア/アルセウス/ブリダイ/シャイパ/BDSP/ポケレジェ/ダイパ/シンオウ地方/ヒスイ地方/ポケモンSV/ポケモンスカーレット/ポケモンバイオレット
まあそれでも視聴者数が1万あるだけよくやっていると思う。
【追記】
コメント返しはしないと言ったが、やはりこういう誤読があるので後でいくつか問題をだす。単にテキストが整備された程度で解決しないことが未だに大量にある。発動できるかどうかに関しても実に難しいんだよ
“発動ができるかどうかは状況やカードごとにバラバラだ” これはちょっと違うかな。第9期(2014年)くらいから改善されていて、テキストを読めば発動できるタイミングがわかるようになっている。
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けれどそれだけではない
「遊戯王はマナやエネルギーの要素が無いからそもそもゲームとしては破綻してる」って話を聞いてまあ言いたい事は分かったけど序盤から派手に動けたりコストを貯める地味なシーンがないのでデュエルを省略せず描けたりとアニメや漫画だと滅茶苦茶優秀なんですよね。
遊戯王のアニメやマンガをみていればわかるけど、一ターンに何度も召喚を繰り返したりして強力なモンスターを呼び出すなど派手な演出が非常に多い
ゆえに販促アニメとしては非常に優秀だし、何をしているのかわからなくともなんか凄いことをしている雰囲気を出せればいいので映像作品として向いている
マナを管理するのはカードを動かすより地味な上にリソース管理という側面をださないといけない
それを本格的にしだすとカイジになってしまうので、動きを重視する場合には遊戯王のほうが向いている
話が変わるが「すべての人類を破壊する。それらは再生できない。」という漫画はオススメだからよめ。
ではアニメやマンガではないカードゲームとしての遊戯王はどうなのか?
これは間違いなく破綻しているし終焉に向かっているというのが正直なところだ
単純にいえば、相手1ターン目に後攻プレイヤーが自分の場にモンスターを並べることすら可能であった
先行プレイヤーの1ターン目なのに、なぜか後攻の側が手札のモンスターを次々に召喚し場を揃え、相手のカードをどんどん妨害してしまうデッキが存在した
マナ管理を要求するカードゲームにはまず絶対に起こり得ないことだ
先行1ターンでデッキを引き切ったり、相手の手札を全て0にするなど、遊戯王は本当になんでもありだ
アニメではモンスター同士の熱いバトルが楽しめるが、最近の遊戯王OCGではモンスター同士の戦闘がほとんどないことすら普通になっている
あまりに1ターンでできることが多く、様々なカードを駆使するためか、遊戯王は高度なパズルゲームと呼ばれることがある
もはや対戦ゲームですらない
この原因は、マナがないこともそうだが、レギュレーションなどを作らず禁止改定やエラッタのみに頼った手法が主な原因だ
古いカードも使えるというメリットはあるが、単純に膨大すぎるカードプールはデッキを複雑にしインフレを加速させる
これが直近3年以内のパックやストラクチャーのみで構築したものでしか大会に出られない、というならそうはならなかった
現代の遊戯王は一方的に相手の展開をみて関心するだけということも多い壁ゲーである
そしてそのインフレも実はまだまだ広がっており天井知らずというのも恐ろしい
なんと、ブラックホールやサンダーボルトが無制限カードになっている
15年以上禁止されていたカードが今では3枚フルに使えるのだが、それほど環境がインフレ化しているのだ
遊戯王はルールがややこしいと言われるが、その実態は総合ルールを設けずカードごとの裁定を積み重ねるという独特の手法にある
例えばMtGではカードの用語が増えるとそれに応じて総合ルールも改定される
イコリアというセットで登場したカードには「変容」という複雑なキーワード能力があるが、それも総合ルールに含まれており、事細かくルーリングがなされている
もちろん全てにおいてこれが通用するわけではないものの、多くのTCGはこういった総合ルールを基盤として、カードごとの裁定を最小限にしている
一方で遊戯王は簡易的なルールは存在するものの、カードがいくら増えても大本のルールはあまり変更がない
2年ほど前に大規模な改定があり一部はわかりやすくなったが、それでも根本的な部分は裁定だものだ
これはカードの発動や効果をなくすことを意味するのだが、この無効がどこまで影響しているのかはカードごとにバラバラだ
そしてそれを読み解くことは非常に難しい
例えば灰流うららというカードがある
このカードはデッキから特殊召喚をする効果を含む効果にチェーンして無効にできるが、特殊召喚効果を含む、とはどこからどこまでなのかはわかりづらい
一見、特殊召喚する発動する効果にみえてそうでなかったりと、カードごとの特性を全て理解していないと対処できないのだ
こういったことは本来総合ルールとして「~を含むという用語に関する記述」という形で明記されておかなければいけないのだが
遊戯王はそういったことは一切せず、全て裁定と言うかたちでカードごとに膨大な資料を用意している
他にも「スキルドレイン」「王宮のお触れ」「抹殺の指名者」「冥府の魔王ハ・デス」というカードはそれぞれ無効化の範囲が違っている
どのカードでどの効果を無効にできるかを理解するのは、極めて膨大な裁定資料を読み解くしかない
他にも、他のTCGだと空撃ちが可能であるのに、遊戯王ではそれができない
空撃ちとは無意味な行動のことであり、例えばフィールドにモンスターがいない場合には全体除去のカードを発動できない、というのが空撃ちの禁止に当たる
これは一見問題ないようだが、複数の効果のうちどれかが使用できない場面においてはややこしいことになる
仮に1つの効果で、AとBという2種類の効果処理を行うカードがあるとしよう
なんらかの都合でBだけが処理を行えない場合、遊戯王ではこれは発動できるのかどうか
実は「カードごとに違う」というのが正解だ
他のTCGでは、可能な限り処理を行うのが基本原則となっている
だからBだけが行えなくともAを行えるなら発動できるしAの処理までは可能だ
しかし遊戯王では前述のように空撃ち、つまり無意味な行動は原則禁止されており、発動時に効果処理ができるかどうかまでを条件としている
にもかかわらず、発動ができるかどうかは状況やカードごとにバラバラだ
もちろんそれを読み解くことはできるが、そのためには膨大な裁定資料をもとにしなければならない
この根本は、遊戯王がカードゲームとして重要なルール整備という基本動作を怠り、カードの裁定という形でその場しのぎの対処をしているからだ
少なくとも長い歴史を持つMtGやポケカに比べると、圧倒的にルーリングに関しては未整備なままだ
カードごとにルールが付与され、それを最低限度のルールで縛っているにすぎない
そこにカードという車を走らせるのがカードゲームだが、未整備でどこからどこまでが道路なのかもわからないところを、一切の制限や免許もメーターもない車を走らせているのが遊戯王だ
どこからがスタートでコースなのかも曖昧なままひたすらガソリンが切れるまでエンジン全開で走るだけのゲームが破綻していないわけがない
それも、単にレーシングカーだけでなく土木作業車や船すら走らせられるという状況だ
ポケカなら持ってるけど……
元増田だけど、ゲームスピードやルールに合わせてこの手のリソースを得るカードをデザインするのって難しいってことなんだと思う。
ラッシュデュエルでは《強欲なツボ》が割と大丈夫だったりするし。ポケカでも手札ディスカード7ドローはターン1までなら許されてる。
まあ、TCGが黎明期に壊れドロソ刷りやすいってのはあって、多分開発者自体が作っているゲームに習熟していないせいじゃないかなと思うよ。
「こんなんドロソ軽くせんとデッキ回らんわ」って軽くて2-3枚引けるカードをデザインするんだけど、デッキの構築力が上がってくると、明らかにドロソがオーバーパワーすぎることがわかったりとか。
覚えてるだけでも
とか大体初期のカードって印象。
どっちが良いかってそりゃ主観的な話なんで、決めの問題だろー。
俺はユーザー獲得のためにゲームとしての奥深さも大事だと思うよ。間口はポケモンとかいう最強のキャラクターコンテンツ持ってるからそこまでルールをわかりやすくしなくてもよくないって思う。
というか初代ポケモンカードですら「こんな難しいゲーム売れるか」って任天堂に突っぱねられて、泣く泣くメディアファクトリーから出したら、ポケモンブームに乗っかって売れまくったし、子供たちは普通にルール理解して遊んでたんで、ルールを簡単にしないとプレイヤーは入ってこない!って現代ゲーマー舐めてない?って思う。カードゲームリテラシーも昔と比べてかなり上がったし、サイドがどうこうなんて理解できるかどうか、って観点では微差でしかないよ。それでデザインスペース広がるならいいじゃんってのが俺の主張。
ただ、ポケモンカードは競技プレイをあまり意識してない(PTCGはその辺は結構ちゃんとしてる)と公式がたびたび漏らしているのを聞いているので、増田は公式の方針に沿ったことを言っているとは思うよ。
ただ、デザインスペースが余ってないからEXとかGXとかやる羽目になったことを考えると、ゲームとしての面白さにも影響するし、それってプロダクトとしても重要だと思うけど。
(特にGXワザはあんなダサいデザインねーよって思うんだけどまあこれは別の話)
あと「サイドで得られるアドバンテージが無くなると「攻撃させない」という選択肢が常に存在する」って言うけど、これポケカやってる人のセリフとは思えないんだけど。。。
サイドが取れようが取れまいが「攻撃させない」って選択肢は常にあるよ。ワザをうつとそのポケモンがバトル場に居座ることになるから、そのポケモンをバトル場に残すかという点で常に「攻撃させない」って選択肢があるし、サイド枚数が影響するカード(※)があるから、無理にサイドを取りにいかないこともあるだろう。
(壁としておかれたポケモンを退かせたくないから、攻撃しないって場面が一番多いんじゃないかなって思う)
その択の中に「今はベンチに後続を立てるのにあと1ターンかかる。有効打の無い相手にサイド引かせて回答を持って来られたくないから、後続を立てるためにいったん待つ」って択が追加されるのはゲームとしての奥深さが増すことになると思うんだけど。
(というか、有効打の無い相手に対して居座るって実際のポケモンの耐久パっぽい動きでなんかいいな。)
(※ この文中では、サイドを相手が引く、というルールであればサイド枚数が参照されるカードは現行と逆のサイドを参照するようにデザインしなおされることを想定している)
あと、そもそも「サイドで得られるアドバンテージが無くなる」ことを気にしてるけど、そもそも攻撃して倒せる場合はポケモン、進化カード、どうぐ、エネルギーをトラッシュさせ、膨大なカード、テンポアドバンテージを得ることができるんで、次ターンの1-2ドロー分のカードアドバンテージなんて微々たるものじゃないですかね。今のポケモンカードなんてほとんどテンポの取り合いって感じに見えるし。
ポケモン倒された相手がサイドを取れば、すぐに自分のターンに使えるので、1-2ドローでもゲームへの影響がそこそこあると思うし、そこに逆転のためのメカニズムをデザインすることもできるようになる。いいことづくめだったと思うんですけどね。
長々疲れた。読みにくいと思う。ごめんな。