はてなキーワード: ツナとは
OP曲と映像が好き。最終話まで一度もスキップしなかったのはもちろん、作業中にサブモニタで延々ループ再生するぐらいに。第一印象は「AKBっぽい」。「いやむしろ乃木坂とか欅坂とかか? 1曲も聞いたことないけど」と思いつつ作曲家で検索すると実際に乃木坂46をメインにAKBグループに楽曲提供してる人だった。ワイの耳も捨てたもんじゃないね。
つーかそもそもオーダーが「AKBっぽく」だったのかもしれない。原作は未読で分からんが、少なくともアニメは秋元康の世界観に片足をつっこんでる感じがある。象徴的なのはOPで70秒ごろに流れる、3組の女の子たちが目をつぶりながら体育館のステージに座ってるシーン。OPで流れる映像は、基本的に蝋梅学園での日常を切り取った物と言えるが、あそこだけはその見方が成立しない。日常の中で、16人もの少女が、素足の制服姿で、目をつぶりながら身を寄せ合い、体育館のステージに座る、というシチュエーションが自然と起こることはありえないからだ。平たく言えばあれはフェチズムであり、少女、制服、教室への信仰である。
本作を見た人であれば少女や制服に対するフェチズムが詰まった作品という評価に異論はないだろう。少女の脚を接写するアニメといえば『けいおん!』を思い出すが、あれはフェチズムからやや遠い。アニメ『けいおん!』における手や脚の描写は、感情やキャラクター同士の距離感や場の空気の表現であり、我々は、手の微妙な動き、スカートから伸びた脚の並びなどからそれらを読み取ることを要求される。それは『けいおん!』が、というより監督の山田尚子の癖と言って良い。『リズと青い鳥』でより直截的に用いられたことは記憶に新しい。
一方の『明日ちゃん~』はフェチズムのそれだ。かきあげた髪束からこぼれる何本かの細い髪、制服用のハイソックスを穿く時の布擦れ、口元から髪を払う時に撓む唇の柔らかさ。それらに読み取るべき意味はなく、ただそうあるように受け取ればいい。
ストーリーに目を移せば、コミュ強の小路がクラスメイトたちを次々と篭絡していく無双モノといった趣がある。優れた容姿や持ち前の行動力は元より、相手に興味を持って積極的に話しかけるスタンスが小路を圧倒的コミュ強にしている。
まだ何も知らない同士なのに
どうしてなの もう君のことが好き
君に思っていたの 密かにずっと
OP『はじまりのセツナ』の歌詞だが、これは特定の誰かではなくクラスメイト全員に対する小路のスタンスを示している。OPで小路がクラスメイトの誰かの手を引いて駆け出すシーンがあるけど、相手が映っていない点が実に示唆的だ。いろんなクラスメイトと談笑するカットが並ぶのも小路のコミュ強表現のひとつだろう。
小路は同学年の生徒がひとりもいない小学校時代を送ったからか、教室という社会の常識からやや乖離しており、周りがブレザーの中でひとりだけセーラー服を着ていくという浮きっぷりから先行きを心配させたが、蓋をあければコミュ無双というプリミティブな気持ちよさがあった。その結実が最終話の後夜祭であることは言うまでもないだろう。
CGDCT(かわいい女の子たちがかわいいことをする作品を指す海外のスラング。日本で言う日常系に近い)の系譜に違いはないけど、部活というインナーサークルが舞台の中心になる日常系部活モノからはやや距離を置く。氷室冴子作品やマリみてのような少女小説の趣もあるが、キャラクター間のヒエラルキーが排除されている点では逆に日常系に近い。そして全体を貫くフェチズムを勘案すれば男性向けファンタジーとしての少女小説、という辺りに行き着くのではないか。
この作品がファンタジーを志向しているのは小路の家がメルヘンに出てきそうなレンガ造りをしているところからもうかがえる。母親はセーラー服を仕立てるレベルで洋裁が出来、車はしっかり2台あって、しかしレンガ造りの家からは雨漏りがする、というのはリアリティラインの設定に興味がないからだと思われる。生徒が1人しかおらず廃校が決定している小学校と同じ地域に生徒150人規模の女学園があり、かつバスで行ける範囲にショッピングモールがあるという設定からも同様の指摘ができる。しかしそんなことはどうでもいいのだ。『明日ちゃんのセーラー服』は「16人もの少女が、素足の制服姿で、目をつぶりながら身を寄せ合い、体育館のステージに座る」光景へのときめきを満たしてくれる作品なのだから。
あと自分のために泣いてくれる他人がいるのって救われるなって心底思った。そういうのをスルッと出してくる、シーン強度への意識がこの作品の魅力だとも思う。
そこをクソ汚くしながら暮らしてた
家賃が三万くらいのとこだった
事務って言ってたから入ったけど普通に接客も肉体労働も清掃もさせられる謎の休日出勤がある出退勤の記録が手書きで残業代が一時間単位じゃないと出ないし下っ端にはつかない手当が存在する職場で働いてた
大学の時買った折り畳みベッドを六年くらい使って腰が乗る辺りが陥没してたけど壊れてはいなかったからそのまま寝てた
普通に眠れるし新しいベッドを買う必要はないとその頃は思ってた
冬になると窓から隙間風が入ってくるのがわかるしユニットバスは凄い勢いでカビていくからシャワーを手早く浴びてドアを開けっ放しにする
シャワーの湯が夏でも冬でもたまに突然水になってゆっくり湯に戻る
やたら風通しが悪くて湿気がこもる部屋で夏は蒸すし冬は寒かった
窓が小さくてドアがかなり奥まってたから仕方なかったのかもしれないけど
エアコンとレンジを一緒につけるとブレーカーが落ちてたから多分20Aとかそのくらいのとこだったと思うんだけどそれでも毎月結構かかってた
冬は友達とweb通話する予定がない日はシャワーを浴びたら冷める前にベッドに入ってすぐ寝るようにしてた
エアコンが入ってようと入って無かろうと部屋が全体暖まることなんてなかったから室内でもコートを着て靴下を履いてなんなら手袋もしてた 寒いから
そういうところで三年くらい過ごしてた
食生活も別にどうでも良くなってしまっていて毎日大体同じものを食べてた気がする
朝は前日の夜スーパーで買った半額おにぎりをカップの味噌汁にぶち込んでコンロの前で立ち食いして仕事行って昼はカップ麺 夜は覚えてないけど多分うどんか素麺を茹でて麺つゆ入れて食べてた
シフト制だったから遅めシフトの時は寝れるだけ寝て朝を食わずに昼に半額おにぎりとカップ味噌汁を啜り込み出勤して夜はカップ麺
カップ麺は思い返すと正直毎日買うには高かったんじゃないかと思うんだけどそれをなんとかする精神的余裕がなかったんじゃないだろうか まあ経済的余裕もなかったんだけど一応半月分のボーナスが出るとこだったからそれをやりくりしてたんだと思う
職場環境もあんまり良くなくて周りの人が仕事してるのか居ないやつの陰口叩いてるのか陰口叩くのが仕事なのかわからないようなとこでパソコンできる人があんまり居なくていろんな資料作る役目が大体こっちに回ってきてた
正社員にやらせろよと思ったけど正社員もみんなパソコンうまく使えない人たちだったから基本に毛が生えたくらいの知識でもそこの職場だと「パソコンができる人」だったらしい
覚えるために休憩時間を削ってマニュアル作ってたら「その前に仕事を覚えろ」って怒られるようなとこだったのを今ふと思い出した ちょっとおかしいと思う
なんなら休憩時間も俺以外電話に出なかったから休憩してなかったし外食も苦情が来たとかでだめなとこだったからずっと職場にいた
まあそういうところだったからいよいよきつくなってきてて軽く仕事の愚痴をこぼしたら友達全員に「そこは辞めた方がいいよ」と言われたのでいろいろ考えたり失業保険とか職業訓練のこととか教えてもらったりしてやっとやめた
有給使って休んでたはずなのに「残業代出すから」って言われて出勤することになったりしてたけどまあちゃんと辞めれたと思う
そこから二、三ヶ月起きて飯食って図書館行って飯食って寝てみたいなことを繰り返してやっとそのルーチンにハロワが入り職業訓練が入りなんとか次の仕事を見つけて(ハロワと全然関係ないところで見つかった)そこでしばらく稼いでから引越しした
ベッドはそのまま持って行った
新居に遊びに来た友達にそのまま連れ出されてカーテンと座布団と枕とフライパンを買うことになった
その後怒涛の勢いで比較的安価で良いベッドの商品リンクが送られてきてその辺りで自分は何か変な暮らしをしてたんだなと悟ることになった
「自分ヤバかったんだな」と言ったら「まだヤバいから人間になってくれ」って言われて色々買い足した
正直やかんとポットと鍋 あと電子レンジがあれば生きていけると思ってたし今までがそうだった
そこら辺から自分と友達の認識のずれというか「人間としてのQOLのライン」の違いをちょっとずつ是正していくことになる
うちには炊飯器があって家に帰ったら上着を脱いでエアコンつけてゆっくりしてると暖かくなってきて
ちゃんと座って飯を食って
またユニットバスだから月一くらいになるけど湯船にお湯張って入って
その後部屋にいても手がかじかむこともなくて
ベッドの真ん中を避けて端っこで寝なくても良くて靴下履かなくても暖かくて眠れて
そして来週末友達と飯を食いに行く
この友達にはもう頭が上がらない
この人に人間にしてもらったという感じがする
いつか自分が何かしてこの人の役に立てたらいいなと思う
ただ会う度にちゃんと飯を食ってるか聞かれるのはちょっと恥ずかしい お母さんがもう一人できたような気持ちになる まだ心配されてるようで申し訳ないなとも思っている 今後ともちゃんとします
前こういう感じだったけど今こうですごいって話をする度に「それが普通なんだからね」って念を押される
二度と前みたいな状態には戻りたくないのは確かだけど 部屋にいて(これが当たり前に普通なのか)って思う度に普通ってすごいことだなと思う
正直まだちょっと怖い 普通よりちょっと上なんじゃなかろうかと思う ベッドこんなに柔らかくていいの?本当に?ってふとした瞬間に思うもん
今日の晩飯はキャベツの味噌汁とキャベツとツナのにびたしみたいなやつです キャベツがぐったりしてきたから早めに食ってやらないといけないんだけど明日もキャベツまみれになりそう どうしよう
これを書いてても部屋が暖かくて不思議だなあと思う 引っ越して二年も経つのに
いつか当たり前になっていくんだろうか
昔から続いてる有名タイトルだけに焦点を当てたら、シリーズ終了だったり方針転換で選択肢が狭まって行くのはそりゃそうだと思う。
最近でもアクション性が低くて面白い話題になったソフトはいっぱいあると思う。
例えば、オクトパストラベラー、ブレイブリーデフォルト、いけにえと雪のセツナ辺りは王道RPGの新定番タイトルって言ってもいいと思う。
読み物メインなら十三機兵防衛圏、グノーシア、バディミッション、ZERO ESCAPE辺りが新しめかつ話題になった。
アンダーテイル、Detroit Become Human、リーガルダンジョン、シヴィライゼーションとか。
あと、どの程度の苦手度合いかは分からないけど、ストーリーが売りだけどアクション性もあるようなゲームは増田みたいな人を見越してボタン連打でもクリアできるようになるモードとかも用意してあるから、調べてみるといいと思う。
【定義】
A:主人公(※1)の元々の出身地(※2)が地球(※3)である。
B:主人公が地球から異世界(※4)に移動(※5)する展開を物語の中に含む。
※1:一人称描写の場合は視点人物。三人称描写の場合は描写の基準点に最も多く位置する人物をいう。複数人該当しうる場合はそのいずれかがABを満たせばよいものとする。
※2:設定上の本来の生誕地ではなく、該当人物の物語初期の記憶・認識における出身地とする。
※3:固有名詞が異なるなど厳密には地球ではなくとも、地理・生態系・文化・行動様式が地球と極めて近似しており、かつ作中で地球として描かれている舞台はこれに含む。
※4:地球から、その作中地球において科学的に解明・確立している手段のみでは、到達・交信・認識することのできない地点をいう。(この定義では、時系列のみの移動も当然含むことになる)
※5:物理的に同一体でなくとも、地球で不在となった者と異世界に新たに出現した者の記憶・人格・自己認識(いわゆる魂)が同一であれば、移動とみなす。(この定義では、転生も当然含むことになる)
【類例】
当作品の地球とナルニア国は一見ワードローブで地続きの移動をしたかのようだが、限られた人物が限られたタイミングでしか移動できないことやナルニア国側にワードローブがないことから、作中地球において科学的に解明された手段での移動とは言えない。
設定上、魔法世界は地球上にあるものとされるが、地理・生態系・文化・行動様式が現実の地球と明白に異なることから※2の定義上の地球に当てはまらない。
また地球から魔法世界への移動手段は、地下鉄の壁をすり抜ける、魔法世界の乗り物を用いる等特殊な手段しか存在せず、作中地球において科学的に解明された手段での到達・交信・認識はできない。よって魔法世界は定義上の異世界にあてはまる。
ドラえもんは主人公の資格があるが、ドラえもんの未来から過去への移動は、未来の地球が地球の定義に当てはまらないこと、および、未来の地球においては時間移動が科学的に確立した技術であることから、異世界転移には当てはまらない。
しかし、同じく主人公の資格を持つのび太にとっては地球は地球の定義に当てはまり、かつ、この地球においては時間移動が科学的に解明・確立した手段でない。
したがってのび太が移動する過去の地球は「作中地球において科学的に解明・確立している手段のみでの到達・交信・認識が可能ではない地点」で異世界になり、そこへ移動するので異世界転移となる。
デジタルワールドは作中地球におけるデジタルデータの集積した世界であるものの、地球とは異なる世界として描写され、地球側からデジタルワールドを認識できる者もいない。
子供たちの移動も非科学的な手段によってのみ行われ、デジタルワールド側からのデジモンの一方的な移動はあるものの、逆に子供たちが任意にデジタルワールドへ移動できる手段も確立されてない。よってデジタルワールドは定義上の異世界にあてはまる。
作中における描写の重みが犬夜叉とかごめでほぼ同等であること、両者ともたびたび視点人物となることから、主人公は犬夜叉とかごめの二人と解すべきである。
したがって主人公の一人であるかごめが異世界へ行き来することから異世界転移物である。
舞台は過去の地球であるが、過去の地球に対して科学的に解明・確立している手段での移動はできないことから、定義上の異世界に当てはまる。
井戸に飛び込むと言う動作自体は一見物理的であるけれども物理的とは言えないというのは、ナルニア国ものがたりの注記と同じ理屈であり、以後このタイプの(歩くなどの一見物理的な動作による移動であっても精査すれば物理的な移動とは言えないという)注記はいちいち書かないものとさせていただく。
視点人物をとることや描写の重み、物語上の言動の重要度、公式見解などから、坂井悠二はシャナと並ぶ主人公とみなすことができる。
坂井悠二の来歴には複雑な要素があるものの、物語初期における彼自身の認識では出身地は地球である。
物語最終盤において、主人公の一人かつ地球出身である坂井悠二が異世界である『無何有鏡』へ移動することから、定義上の異世界転移物にあてはまる。
現代地球出身である主人公のツナが10年バズーカにより10年後の世界を訪れる展開がある。
10年バズーカはボヴィーノファミリー秘伝の兵器で、他に使用している者もおらず、作中の現代地球において科学的に確立された手段とは言えない。そのためこれは異世界転移である。
石化した状態での時間経過による移動をどう捉えるかが争点になるが、物理的に可能なのは時間経過のみで、人間を生きたまま石化すること、元の人格を保ち生きたまま復活することは物理的に可能な手段とはいえない。
移動の定義が肉体自体の移動よりも魂の移動を重視している以上、これは過去から未来への移動と呼ぶことができる。
また物語上、石化装置が実は科学的な装置であって、この方法による未来への移動が物理的に可能な現象であることが解明されたとしても、それは過去の地球においては解明されていなかったものであるため、異世界転移の定義に関わるものではない。
など
最初の舞台は地球を模したワールドマップではあるものの、細部の地理がかなり異なっており、モンスターが跋扈するなど生態系も相当異なり、トポロジー的にもトーラスであって球形である地球とは相容れない。
従って終盤のアレフガルドへの移動が地球から異世界への移動とは言えず、異世界転移物には当てはまらない。
エンテ・イスラや魔界は設定上、地球と同宇宙に存在する別の星ということだが、物理的には遙かな距離があることが示唆されており、実質的にはゲートの魔法によってしか移動ができないため、定義上は異世界に当てはめてもよい。
魔王が地球から異世界に戻る展開もあるものの、魔王の出身地は魔界であるため定義に当てはめることができない。
仮に千穂が今後相当の物語上の働きをもって主人公の定義に当てはまるようになり、かつエンテ・イスラへ移動する展開があればこの作品も異世界転移物となる。
元の舞台となっている遠未来の地球が地球の定義に当てはまらない。かつ、仮想空間への移動法が、作中地球において科学的に確立されていない方法というには疑いがある。
やや議論の余地がある。本作の主人公はWikipediaでは壱原侑子とされているが※1の定義に当てはまるのは四月一日君尋のみで侑子は当てはまらないと考えられる。
仮に侑子が主人公であった場合、彼女が異世界へ渡る展開が僅かにあるため異世界転移…と言えるか?
侑子の出身が地球であるのかも怪しいし、異世界へ渡る展開がほんの僅かに差し込まれただけで、そのシーンが描かれておらず、物語に含むとは言えないように思う。そのためどのみち異世界転移物ではない。
非常に難しい。
最初に登場する四人(小狼、サクラ、黒鋼、ファイ)はいずれも地球出身でない。黒鋼の出身である日本国は地球と大きく異なっており定義上の地球に当てはめることはできない。
したがってこの四人が一度地球を経由して異世界へ移動したからといって異世界転移とは呼べない。ここまではよい。
問題は中盤から登場するもう一人の小狼である。彼は確かに主人公と呼べる。そして出身が地球である。
しかし肝心のその地球から異世界へ移動するシーンが作中時間軸にはなく、物語開始前の事象にあたる。しかもそのことが明かされるのも終盤である。これでは異世界転移を物語に含むとは言えない気がする。したがって類例には入らない。