はてなキーワード: クラスタとは
ヨルリンピックとただの性行為の違いは一晩で複数人と濃厚接触していること、閉鎖空間で1日3万個のコンドームが消費されるアスリートの性欲の強さだ。
ヨルリンピックに参加した者の中に一人でもコロナ感染者がいたらクラスタ必至で、医療機関のリソースへのインパクトは計り知れない。
選手村は平時であれば出会って3秒で挿入が当たり前な異常性欲空間なのだ。
もしエッチしてたらクラスタが発生した!なんて事態になったら非難されるのはアスリートだ。
そうしたリスクを軽減し、アスリートを守ることはオリンピック開催国として当然負うべき責任である。
もちろん選手から、やらせろ行動の自由がないと批判されることは間違いない。
なので、政府には今からでは遅いくらいだが、いち早くヨルリンピック開催中止を宣言し、選手の理解を得られるよう説明を開始すべきだ。
弱者男性クラスタ、女は男より強いって言われてぶちギレ🤬てるけど
女は男より弱いって言われた時もキレてた
それ、「どっかの誰か」と「どっかの誰か」を同一人物と見なしてるだけだよね?
「朝にあったかいお茶を入れておいたんで、みんなで飲んでくださいっ」
そう言って陽子さんがマイボトルを僕らに差し出した。「じゃあ俺が先にもーらう!」「えー、じゃあその次俺ね〜」「どこ、陽子ちゃん、ボトルのどこで飲んだの!?」「教えてくれないんなら、全部舐めてやればいいんですよ」文◉糠田光海
キモすぎ
これを載せる編集部の方針が、登山クラスタのキモさをよく表している
山の中では女は体力の勝る男に命を握られてるから何をされても嫌な顔一つできない
名作がロリコンなはずがあるか?
なんかこうタイムマシンが出てきたりして、タイムスリップして恋愛要素があったりしてヒロインが複数いて、こうシュタゲみたいな?
とにかく名作なんだよ。
いいか。
ロリコンだったら「12歳の姿で待っていろ」っていうはずだろ?
まあ9歳児に対して恋愛感情を抱く時点でもう人間としてヤバイんだが……。
いやだが待ってくれ、肉体目当てじゃないんだ。
ロリコンってのは肉体目当てだろ?
肉体目当てじゃないってことはロリコンじゃないんだ
まずメインヒロインぽかった大人の姉ちゃんは色々あって寝取られるし、ソイツを許す度量は主人公にはない。
そんで途中でできた未来の人妻だが……恩人の人妻を寝取ったらいよいよこの作品が単なるNTRマニア向けのポルノになっちまう。
もしも家政婦ロボットがメイドロボだったら、これはもう間違いなくメイドロボと結婚だ。
これが出来たら話がスムーズだったんだがなあ……。
マルチエンディングならぬマルチENDってか……はは……ときメモはともかく東鳩なんてもう皆覚えてねーか……斜め2ミリふんふふふふーーん
つまりだ。
『夏への扉』はエロゲだとかギャルゲーだとかじゃなくて、サイエンスフィクションなんだ。
そうなると作品のテーマはサイエンス的な想像力であって、スケベな好奇心を満たすことじゃないんだよ。
年端も行かぬ幼女の肉体や感情の揺れ動きなんてのはこの作品においてはオマケなんだ。
ぶっちゃけ最後に出てきたヒロインなんて単に主人公が勝利したことを演出するためのトロフィーだ。
トロフィーワイフなんだ。
そしてそこに真実の愛を演出するために12年+コールドスリープという縛りを設けたんだな。
まったくもって……クソだな……。
主人公大勝利エンドのために子供から恋愛をする権利を取りあげるなんて。
正直、主人公がロリコンで12歳の姿でコールドスリープしてろといって未来の世界でロリ婚するのとどっちがマシか分かりっこねえわ。
なんだこれ……駄作だわ。
そもそも俺が『夏への扉』の肩を持ったのはSF界の名作だからだ。
名作がロリコンじゃあSFクラスタであることで他の文学クラスタにマウント取ってる身としては都合が悪いんでな。
でも、今さっき気づいたんだが、『夏への扉』って別に名作じゃないんじゃねえか?
シュタゲみたいだって話をしたが、そんな作品腐るほどあるし、そもそもそれって『タイムマシン』のパチモンの域を出てねえってことじゃねえか。
それこそ家政婦ロボがメイドロボだったりしたら、カルチャー界におけるちょっとした発明だと言えただろうが、結局コイツは単にタイムマシンで行って帰ってきただけ。
未来の世界では車を作っては壊して増田の、金が安くなりましたよだの、大した想像力の働かせ方もしてねえ。
それこそ時をかける少女レベルのマクガフィン的なタイムトラベルでしかねえわけだ。
これ、名作か?
男性も自分の稼げるくらいには稼いで、自分を受け入れてくれそうな女性のクラスタにアプローチして家庭を作れという男女共年収300前後共働き子育て前提の社会みたいや
あのクラスタ、なぜ花を好むのだろう
あのね、さっきもちょろっと書いたんだけど、そもそも推し文化とか萌え語りとかそもそも腐女子や女子オタクのもんなの。で、オタクの中心地になってしまったツイッターのメイン層は主婦を始めとした女オタク(どこで統計とるかによるだろうけど、バズワードで腐ったものやドルオタが多いのは言うまでもなく女の勢力が強いせいです)。であり、ツイッター=女の社交場になっちゃってんのね。だからそこのオタクのメイン層が萌え語りなんて女っぽい物になるのは必定で、男オタクは潜んであいつの絵がうまいだの下手だの、この物語の深読みはどうだとか言ってます。だたそういう層は女文化化したツイッターでは「重たい」存在でしかなく。そういう奴らは「重い」「気持ち悪い」などという言葉でバッサリ四捨五入される。そういうことです。
5chを引き合いに出せば、むかしのPixivスレのような場末感あふれるさいとうなおきスレなどは、滅んだかと思われるイラストの腕前だけが大事な人達が集まるおかしな(いろいろな意味で)場所だったりします。逆に同人ノウハウ板などでは「ツイッターと同じような」ABカプがどうの、萌語りがどうの、解釈だどうのという、心底どうだっていい話が延々と繰り広げられており、完全に同人界隈が女の持ち物化していることが伺えます。愚痴スレ悩みですら地雷カプのことですから、病気と言ってもいいでしょう。5chはツイッターのような全体性がなくクラスタごとに分かれますので、人種が男女別であることがより鮮明に映し出されます。男オタクで萌え語りしてるやつなんてまるでいません。そんなこと四六時中やってるのは女オタクだけです。
女オタクは従来型あるいはアーキタイプ的なオタクにすげ変わる形で、あるいは忌避する形でじわりと侵食してゆきました。コミュニケーションはもともと女の得意とするところですし、コミュニケーションの取れない女は男より深刻に阻害されます。コミュニケーションと馴れ合いは女の本能と言ってもいい。故に緩やかなつながりが可能だったツイッターは次第に交流するやつか神以外は村八分、というギスギスコミュニティへと変化していったものと思われます。かかる女の方たちは何かを極める姿勢を嫌いますし、裏付けや細やかさを鬱陶しいものとして認識します。はてなの重箱の隅的な姿勢など彼女たちには鬱陶しい以外の何物でもないでしょう。軽く消費して軽く捨てされるものを選び、自らよりも刹那的な対象(例えばBL)にこころを預けて自分をどこかに放置してしまいます。その試みはまるで、自分のアイデンティティを他人に放り投げて依存してしまうようにすら受け取れます。そうした人達が作るコミュニティが共依存的になるのは当然ですし、あの人達は自分に対する愛や、リアルに対する愛を幻想に向けて全力放出することで逆説的に自我を保ってるだけのように思えます。
ichigocage すごい偏見を見た。
バズワードの大半を女オタクやジャニオタが占める現実をどう弁解するおつもりで?
自分の半径というより検索欄からTL見てんだから間違ってないよね
頻出ワードがジャニーズや声優って傾向も全然間違った指摘じゃないし
アホじゃねえの?
冷静な意見どうも。しかしその層と萌え語り層はかぶりませんし、ABだの解釈だのカプ云々とか言ったりもしてませんね。
logic 昔よく見た「ガンダムは男にしか人気がなかった」の反転だな。自分の見たものだけが世界のすべて。相手の性別が分からない場ではどっちが多いかなんて分からない。
全文読んで得ない典型と見た。
daisya さいとうなおきってモンスター描きから転向して萌え萌え女子ばっか描いてる人でしょ。イラストの腕だけが大事ってイメージじゃないな。5chは見てないから知らんけど。ミリしらお絵描きツイステ編が面白かった。
そこは説明足らなかった。というかあの人自体の人となりは本文と無関係なのでそこ突っ込まれても。あの人自体は売れたい人ってだけかと。
神以外は村八分、というギスギスコミュニティへと変化"あ〜5chの同人スレでもTwitterで交流してない所謂壁打ちアカウントは反応いらないだろうからいいねRT押さないとか見る…男性オタ界隈はまた違うのだろうか
意見ありがとう。変質してしまった以上女型コミュニティになってるので、この辺はもう変わらない気がします。
変な話、東京五輪はもう日本国民に歓迎されるマジョリティのためのイベントという側面は完全に切り捨てていて、スポーツイベントやそのほか大規模イベントがクラスタを発生させないよう開催出来ることを証明する「マイノリティの生命線を繋ぐための最終試験」の側面が見えてきた。
恐らくどれだけネットのネガティヴキャンペーンが加速しようとも、中止に傾くことは可能性が低い。世論は何度も与えられた「不要不急」という言葉を振りかざすだろうが、鳥頭のまんまやってると、文明が築かれていく流れと見事に逆行していくから気をつけた方がいい。ディストピアか管理社会でいいと言うなら、だいたいの娯楽を取り上げられてもいいのでしょうが…
落語の定席は自粛要請を受けません、というのに批判が割とあって、まぁ個人的には批判も、ある程度は仕方ないだろうなぁ…としょんぼりするほかないのだが、寄席を開いている側としては死活問題だろうとも思う。
増田は落語好きなのだが、寄席には元々あまり行かない。近所で落語好きが席亭やってる小さい落語会やホール落語に行くのが中心。これには個人的な理由があって、寄席だとあんまり好みじゃない芸人のもなんとなく見ちゃうことになるのが、あんまり楽しくないからだ。そういうのが好きな人もいるからこれは良し悪しではなく単なる好みの問題。
で、定跡の寄席(一年中やってる寄席)って実は少ない上に大して儲からない絶滅危惧スペースで、そこで芸人が得られるお金は微々たるものである。実際にいくらなのかは知らないが落語家さんがそういうマクラや雑談をするし、キャパシティや普段の稼働状況なんかを鑑みても「あんまり儲かってなさそう…」というのは容易に推察できる。定席の寄席に出てるだけだと全然食えないと思う。
寄席に出る芸人の主な収入源は寄席ではなく、営業やいろんな場所で行う落語会なので、寄席が閉じてしまうこと自体が彼ら芸人の日々の生活に直撃するわけではない。が、落語会やお笑いイベントが行われる場所は主に公共ホールだったりするので寄席よりも強く自粛させられるため、すでにホール落語は続々と休止が決まっている。こちらの方が実際には芸人たちにとってはクリティカルヒットになるわけだ。
去年の初めての自粛の後は、解禁後も寄席は閑散としていたと聞く。この10年ぐらいは東京はかなりの落語ブームで寄席も盛り上がっていたのでコロナの影響は深刻だよなぁと思っていた。それでも再開して少しずつ客足も戻ってきたらしいよと聞いていたのだが…コロナの影響で、営業(ホール落語とかも含めて)がままならなくなっている芸人たちも、寄席を開いている席亭たちの収入も当然大幅に落ちていると思われる。
絶滅危惧スペースで大して稼げるわけでもなく、これを書いている増田自身が「あんまり行かないんだよな…」と思う寄席ではあるが、落語や演芸文化にとって大事というのはとても理解できる。
席亭(芸人の出番を決めたりもする)の人脈力だったり、ショーケース機能(営業や別の落語会に呼ばれたり)だったり、自分を目当てに来ているわけではないカラい客を相手にするという若手の修業の場という機能だったり、こういう諸々をまとった空気感。寄席がつぶれると、こういう機能とともに、文化を醸成するための有象無象な「空気感」がなくなる。一度なくなった後に取り戻すのはかなり難しくなるだろうから、まぁ、寄席の側からしたら「文化だし必要だし」という言い方になるんだろう。
大阪では長いこと定席寄席がなかったこともあって、上方落語はすごく面白いのに、繫昌亭ができるまでの長い期間、沈んだ期間を過ごしていたらしい。関西の人にとっての落語家は三枝と仁鶴と、その他いろいろタレントやリポーター、みたいな感じだったと。最近はようやく中堅若手で面白い上方落語の人が続々と出てきているし大御所たちも落語を元気にやっておられる。
そして江戸落語がしばしば、すごい面白い落語家を生み出しているのは、定席が続いて存在しているからというのは大きい。批判もあろうが、どうせ(特に池袋は)ガラガラだろうし許してやってほしい。
一方で、実は江戸落語の界隈も、クラスタ認定はされてないが芸人の陽性者をこの1年で何人か出している。前座や若手だけでなく真打も。私が好きな師匠も感染を発表して、重症化しやすそうなタイプだったので凄く心配していて、今は無事に回復しておられるので安心した。とはいえ、まぁ、「文化だから開き続けるぞ」と宣言するからには、できる限りいやそれ以上に芸人たちの感染対策を、彼ら芸人自身がしっかりやってほしいと願うのだ。じゃないと、批判が増えてしまうだろうし何より何かがあった時にその芸人さんの芸が見られなくなったらすごく寂しすぎる。
で、話は変わるようで変わらないのだが、相撲である。相撲は相撲部屋クラスタも出しているし亡くなった力士もいる。なのに深夜まで飲んでた麻雀やってただのと報道をされている。反省がない…という悲しさ。
相撲も落語もそうなのだが、彼らの中に感染がおこる原因の一つに「タニマチ」の存在があるのではと思ったのだった。相撲も落語も「タニマチ」と俗称されるような人たちがいる。取り巻きというか私的スポンサーというか。落語会の後に打ち上げをやって若い者に栄養をつけさせたり、場所の後にパーティーをやったり、タニマチ側の慶事やイベントがあったらゲストで来て「お相撲さんがきてる、わー」と言われたり、ちょっと軽い一席をやったり、お姉ちゃんのいる店に一緒に行っておねえちゃんを驚かせてゲラゲラ笑ったり、そういうことをしていたりする。こういうのは徐々にすたれていっているという話も聞くのだが、こういう「場」を通して感染が広がるのはあり得るよなぁと思うのだ。
個人的にはこの「タニマチシステム」は好きじゃなくて、それは私がタニマチをやれる財力がないから嫉妬しているのは大いにあるが、芸や理屈が「内向き」になることと背中合わせだよなと思うからだ。一方でタニマチに食わせてもらった若手時代、とかタニマチに金出してもらったから部屋が持てた、みたいな話も聞くのでむげに否定もできない。ただ、コロナのことがあるから、徐々にすたれていっているという流れがそのまま加速して、別の方向(例えばYoutubeで課金とか)に流れていくといいなぁ…と思ったりする。