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はてなキーワード: カタカナとは

2024-08-25

anond:20240823170011

なのにカタカナ語で溢れた日本語は何なんだ?

動詞までカタカナ変換するくらい英単語好きやん

たとえ純粋日本語なら聞き手100%通じるところを

カタカナ語で言うがために50%理解度になっても使うやん

2024-08-24

anond:20240824175623

カタカナミスリードって書くと普通は誤導misleadの意味から誤読意味で使う時はmisreadって書いてくれ

新聞で「米」はアメリカを指すらしい

食品の米は、カタカナの「コメ表記

一面にコメ不足と米大統領選挙記事が並んでて気が付いた。

コメはお株を奪われちゃったね。

2024-08-23

anond:20240823214255

かにやっぱ日本人漢字とか日本語でやりとりする方が齟齬が少なくなることは多そう。

カタカナで覚えてるものは人によって意味微妙に取り違えてたり、先の話じゃないけど時代によってだんだん変質したりしてるものもあるので…

anond:20240823212029

まあでも、こうして見るとやっぱり漢字の方がパワーがあるわ

カタカナ意味曖昧にするところがあるから

2024-08-21

華僑東南アジア系がごり押ししたおかげでアジア英語みたいなのは認知されてきたしな

インド英語発音が癖ありすぎてヤバいけど

カタカナ読みだと伝わりにくい英単語

Lが入ってるとだいたいダメ

  • multi 「マルチ」だとほぼ🤔な反応になる
  • please なんとか伝わる

2024-08-20

日本語喋れる中国人と文面でやりとりする時に迷うこと

ひらがなカタカナより英語使ったほうがいいのかな?っていつも迷うんだけど

マニュアル」一つを例に挙げても

manual」の方がいいかな?とか考えてしま

些細だけどさ

パッとわかるかわからいかがあると思うんだよね

うーん

まあ本人に直接聞くべしだよね

好きなバンド新曲歌詞ダサい

めっっっっっっっっっっっっっちゃダサい

AメロBメロはいい感じだが、サビが致命的にダサい

初聞き時、いい曲〜と思って流し聞きしていたら、問題の箇所で え? なんて? と思わず歌詞確認してしまうほどのダサさ

英詞をあえてカタカナ表記しているので2重にダサい

なんだこのヤバ歌詞!?!?と思って「(曲名歌詞 」で検索しても絶賛の声しかない

お前ら本当にそう思ってるのか!?!?!?!?

それとも誹謗中傷で訴えられることやファン業火に焼かれることを恐れて口を閉ざしているのか

まぁブーメランなわけだが

でも曲自体ボーカル歌唱力構成が良い

ラスサビの入りの歌詞は真っ直ぐで好きだから、聞くたびにちょっと感動してしま

だが本当のラストできっちりダサくなってから終わるので後味にダッセ〜という気持ちしか残らない

自分バンドのメイン客層じゃなくなったってことなんだろうか

2024-08-14

2024年8月14日午前

妻が麦茶を冷やしていた

この時期いくら製造供給しても需要が満たされない。

妻はボウルに熱いヤカン、氷、水道水をチョロチョロ流しながら冷やしていた。

なるほど無学なアホはそうやって冷やすのか、と思ったが口には出さない。

効率不経済だろうが冷えりゃいい、小さな問題だ。

頭の悪い女、かわいいじゃないか

俺は麦茶冷蔵庫にありゃいいのだ。

俺が冷やすときはボウルに氷を入れてそのままヤカンを乗せるだけ、流水は無駄

エネルギー熱量保存則をイメージできるかどうか学の違い

 

息子を見るとアホみたいな動画を観ている

タブレットスマホを与えYoutubeだろうがゲームだろうが好きに使わせているのだが

タブレットで「ひみつのおるすばん」をやりながらピクチャーインピクチャーで攻略動画を見つつ、横のスマホでちろぴのを観ていた。最悪だ

たまご寿司が取れないと発狂している。最悪だ

 

それにしても、昨今のYoutubeは酷いもの

パーソナライズドされたレコメンド連続から大人の目には触れにくいが

息子の環境ではアフィ乞食動画で溢れてる

なんの意味も無い、いいねボタンチャンネル登録誘導するだけの詐欺動画

子供意味もわから機械的操作する

インプレ乞食動画

由々しき事態であり、父親として教育せねばならない

 

「息子よ、キミが観ている動画は実にさもしい人生になんの意味も無い、教えも気づきも与えてくれない、ただ脳に刺激と快楽を与え小銭を稼ごうとする悪い大人が作った詐欺動画だ。6歳の分別、弁識能力ではわからんだろうが、父として教え諭す義務があるので一応は言うておく、観るのは構わんが愚かな時間であることを頭の片隅において、早期に卒業してほしい」

と言うたら

「パパ、ボク子供からよくわからないけどスマホたまご寿司簡単な取り方を検索して」

だってよ。最悪だ

 

それにしても、育児において電子デバイスを一切許さず、絵本だの、せいぜい教条的テレビ番組、一日何時間まで、テレビゲーム?ありえなーい的伝統環境を是とした方針の親御さんもいる。今日ピアノ明日体操教室、昨日の絵画教室宿題を早くしなさい、公文は終わったの?的な

ウチと真逆なわけだが、どっちが正しいんだろね?

一応ウチも友達に負けるの悔しいと言い出し公文をねだられて通わせているが

ひらがなカタカナなんぞ小学校に入ればタダで教えてくれるのになぜ毎月1万4000円をドブに捨てて数ヶ月早く習得する必要があるのだ。ゆえに一度でも宿題が間に合わなかった即座に退会な、とは申し伝えている。いつも宿題が完成するのは5分前。

はぁ情けない。

パパなんて小学校4年生以降夏休みの宿題は一度も出したことが無いぞ

二学期始まって未提出だと叱られるが、なぁに1週間ものらりくらいしのげば向こうも諦める

両親、教師、誰一人無理やり最後までやらせようと指導する敵は現れなかった

ありがたや

息子にもそういう処世術を身につけて欲しい

 

ちなみに息子は朝9時から朝食が始まったが、12時14分現在、まだ食い終わってない、最悪だ

2024-08-12

anond:20240811120625

エジプトにいた増田です。

思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています

そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分出会ってきた)アラビア語イスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます

大前提ですが、自分は基本、道楽勉強してきた人間で、職業的研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくま個人体験を元にした個人の感想で、学問裏付けあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。

(いきなり余談ですが、わたし出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリジムスリム、つまりムスリム結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)

シリア人結婚シリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたいな構図とは全然違って、目を開かされました。

また日本在住のマリジムスリムでも、家族親族との交流クルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます

ほとんどの場合ムスリム男性日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が相当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした)

先述の通り、わたしアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。

イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンアラビア語はお経みたいなものイラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います

お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。

日本仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味勉強すると思います。非アラビア語話者ムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。

何ならアラブ人にとっても、クルアーンアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。

(お世話になっていたエジプト人の先生クルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見アラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからんものです)

一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います

ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハー勉強します。普段使っているアーンミーヤエジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。

外国人視点で見れば、フスハーアーンミーヤラテン語フランス語くらい離れていて、勉強すれば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます勉強しないで自然にできるわけがありません。

話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。

キリスト教聖書は色んな言語に訳されていて、普通各自言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書大衆口語への翻訳が本格的に行われるようになったのは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。

何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的理解できるもの第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。

現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップ全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味整合性全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味あいまって全体の美しさが練られると思います歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みたいな作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。

英語ヒップホップ歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉ダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為信仰というものは、容易に翻訳可能知的了解やすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。

特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語ヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。

クルアーン特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教ルールブック」みたいなイメージが強いかもしれませんが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火獄の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象イメージが多いですね。

音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょエピソード的な話が続くと、とてもわかりやす言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりフレーズがビシッと入りますごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。

またヘブライ語聖書旧約聖書)のエピソード知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。

こうしたエピソードっぽいフレーズ時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます

この文体翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります

わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーン読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。

良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。

余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記学問的な界隈では結構からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのはコーラン」ですよね。

カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります

クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います

では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。

英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。

ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時になぜか前半アクセントイメージで「コ」の後に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセント表現したようです。

実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人感覚簡単カタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。

別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語ラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。

同様にラテン文字表記英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。

あと不思議なのはアッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。

これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います

その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為のものは単なる殺戮肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚殺戮であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。

では実際のところ、平々凡々たる市井ムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います

色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般常識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。

キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですからムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリム感覚同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから

この低水準の信仰感覚というのは、あくまわたし個人の感じてきたところでは、幼い頃から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います

大人ですから知的敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています

そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています言語文化宗教連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとしてもなかなかうまくいきません。

まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います

そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢しょうが、違う場所から違う視点ものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。

人生、旅じゃないですか。

2024-08-08

「〜える」をカタカナにしたら天使っぽくなる

アラエル

カマエル

ヨミガエル

ワラエル

キガエル

オムツカエル

2024-08-05

大阪万博ブレードランナーをやってほしかった

大阪万博ブレードランナー世界再現してほしかったなぁ。

あの時代が描いた未来の姿。

映画ブレードランナー」で描かれている近未来東京を。

雨が降りしきる中、ネオンが輝く街並み、そしてビルの上に浮かぶ巨大な広告ホログラム…。

独特のダークでサイバー雰囲気、たまらなくカッコよかった。

からブレードランナー世界観を忠実に再現したパビリオンを作ってほしかった。

雑多で入り組んだ街並みを歩くと頭上には巨大なビルボードが次々と光り輝いている。

アジア風の屋台が並び、蒸気が立ち込める狭い路地では、人々が行き交う。

その中に漂うのは、焼き鳥の煙と香ばしい匂い、そしてどこからともなく聞こえる、日本語英語が混ざり合ったアナウンス

ネオンが輝く看板には漢字カタカナがびっしりで、それが異国情緒を醸し出している。

夜になれば、街全体がネオンの光で照らされる。紫や青の冷たい光が、ガラスと金属のビル群に反射する。

ビルの間を飛び交うホバーカーの騒音、雨が路面に叩きつける音、そして人々のざわめきが混ざり合って、独特のアーバンサウンドを作り出している。

この未来東京大阪に包括されるっていうのもなんか面白いし、逆に新鮮だと思う。

ただの近未来じゃなくて、どこかノスタルジックな要素が混ざっている。古びた街並みと最新のテクノロジーが混在する、そんな矛盾がまた良いんだよね。

から大阪万博ブレードランナー世界再現してほしかったな。

あの世界観をリアル体験できるなら、それだけでもう行く価値あると思うし、何度でも行きたくなると思う。

誰か企画してくれないかな、あのブレードランナー世界。そしたら、もう行かない理由なんてないよね。

スターウォーズ 無法者たち』←邦題がダサすぎる

なぜカタカナでそのまま『スターウォーズアウトローズ』にしなかったのか。

ローカライズ担当が「日本人日本語に訳したほうが嬉しいよね?」とか勘違いしたのか。

から叩かれるんだよUBIは。

2024-08-04

anond:20231002170851

他に伸ばし棒ないのとか、小さいカタカナないの、プレーンオムレツだけじゃん

Old of Gang'sって英語としてどうなん?

「OLD OF GANG'S POP-UP STORE」ってタイトルの催し物があるけど、英語として成り立ってるんかな?

https://x.com/JOLCollabStore/status/1819183303104385268

「of」と「's」が連続するのも、「old」を名詞みたいに使ってるのも、違和感しかない。

Google先生カタカナしか訳してくれんし、Google検索でも「old of」を使ってる例が全然出ない。

「古くからあるギャングの」って意味にしたいんなら、「Old of Gang's」ではなく「Age-old Gangs'」みたいにしたら自然な気がする。

ストグラには英語圏の人も居るけど、その人らも不自然に思ってないんかな?

日本人向けにそれっぽく聞こえればいいと思って付けられたタイトルなら、英語を大切にしてなさすぎで悲しい。

サルスベリという哀れな名前を付けられた木

近所の公園に綺麗なピンク色の花を付かせた木があるなぁと思って、写真を撮ってGoogleレンズで調べたらサルスベリの木だった。

サルスベリなら知っている。樹皮がスベスベしていて、猿でもしがみつけないかサルスベリという名前の由来も含めてだ。実物だってたことある

だが、花を見るのは初めてだ。もしかしたら過去に見たことはあるが、気にも留めなかっただけかもしれないけれども。

サルスベリの花を改めてよく見ると鮮やかなピンク色をしており、桜や梅にも負けないほどの華やかさを持っているではないか

でも、名前サルスベリ

花の美しさではなく、樹皮のスベスベさに着目されて名づけられた悲しい木だ。せっかく綺麗な花を咲かせるのに。

ちなみに木材としての用途もあるそうだ。

もう少し調べて見たら、サルスベリには百日紅(ひゃくじつこう)という別名もあることがわかった。夏の間に100日間ほどピンクの花を咲かせることが由来になっているのだとか。

いいじゃないか百日紅

百日紅。ひゃくじつこう。ヒャクジツコウ。漢字でもひらがなでもカタカナでもカッコイ名前じゃないか

でも、どうしてヒャクジツコウではなくサルスベリなんてカッコ悪い名前になったのだろうか。

サルスベリ中国原産であり、日本渡来してきたのは江戸時代以前だという。

「唐から珍しい木をもらったやで~」

なんや、この木。めっちゃ樹皮がスベスベしてて運びにくいやん」

せやな。猿でもつかめなくて滑るやろうな」

「そや。サルスベリっちゅう名前にしたらどうや?」

こんな感じに名づけられたことだろう。なんと嘆かわしいことか。

ちなみに中国語ではサルスベリを「紫薇(ziwei)」と言うが、中国語でも百日紅という別名があるのだそうだ。しかしながら、当時の学者百日紅という名前を広めようとしたり、あるいは実際に栽培して夏の間に長期間花を咲かせることがわかった時には、すでにサルスベリという名前が定着していたのだろう。時すでに遅しだ。

ああ、残念な木よ、サルスベリ

百日もの長きにわたって咲かせ続けているから、花としてのありがたみは無いのだろう、サルスベリ

桜や梅はパッと咲いてパッと散るからこそ、その短い期間を逃さぬように人々は躍起になって花見をするのに。

それに引き換え、サルスベリ花見をする人などいるのだろうか。

私はついこないだ、たまたまサルスベリの花に初めて惹かれてしまっただけなので、無論これまでの人生サルスベリ花見などしたことはない。

近所の公園には何年も通りすぎていたが、どうして今までサルスベリの花に気づかなかったのだろうか。

今後は通り過ぎるたびに気を留めて見るつもりだが、夏の間ずっと咲き続けているのだからそのうちに飽きてしまうのだろうか。

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