はてなキーワード: 乖離とは
ライダーが宝具の槍を折ってセイバーの親指が解放されてエクスカリバーでキャスターを倒す
討伐の報酬を受け取るためにロード・エルメロイが神父と交渉して令呪の一画をもらう
綺礼が神父の死体を見つけるけ。ダイイングメッセージに書かれてた聖書の一文を読み上げる。
遠坂邸で綺礼が時臣からいままでの労をねぎらわれて宝石剣をもらう
もらったそれで時臣を殺す。
綺礼が雁屋を教会に呼ぶ
ほいほいやってきちゃった雁屋が時臣の死体と対面
なにこれwww?
時臣の妻、葵も綺礼に呼ばれていらっしゃい
雁屋おまえがやったのかーwww
おれじゃねーwwwwで葵の首絞めまくる。葵失神
間桐雁夜を綺礼がそそのかす。
殺された直後察知した切嗣が令呪でセイバーを衛宮邸に瞬間移動させる
アイリスフィールはさらわれる
イスカンダルがさらったと思い込んだセイバーがバイク使ってライダーを追う
戦闘の結果ライダーはチャリオットをエクスカリバーでぶっ壊される
アイリスフィールも殺される。あっさり殺される。
イスカンダル対ギルガメッシュはギルが乖離剣で王の軍勢を崩壊させる
馬で突っ込んだイスカンダルは負ける。死ぬ。
ウェイバーの令呪は戦闘前に「聖杯を手に入れ勝利しろ」で三回使われる
ウェイバーは死なない。
セイバー対バーサーカーはセイバー負けまくりだけど雁屋おじさんの魔力切れでセイバーの勝ち。
雁屋おじさんはなぜか生きて間桐邸まで帰るけど桜を逃す寸前で死ぬ
切嗣と綺礼の対決は綺礼の勝ち
切嗣死ぬ
ぶはwwwwでも聖杯の中身降ってきたぜwwww
令呪でも逆らっちゃう俺マジカッケー
あああwwwwww
寓話を観光資源に転換しようとした際には、売り込み方が変わってくるのでマネジメント的には重要。
吉四六さんとか、遠野物語とか、ある程度観光資源化できる具体的な情報や諸説の取集などやることはいっぱいあるわけで。
目的に沿うような木を探してこないといけない。
この際に、桜の木を探すか桜桃の木を探すかの違いがまず出てくる。
ここで桜の木を探して来たら、桜なんてあの時代にねーよwという事になる訳で、探すのは桜桃の木にしないとならない。
この手の観光資源化は当時の品物とか風俗の展示がセットなので、当然それと売り込みの柱である寓話が乖離しないようにしなければいけない。
とまぁ、全くのフィクションだったとしても、事実により近いだろう情報が無いと酒飲み話にしかならんのよ。
寓話とは多少ずれるが、ディズニーランドのこの手の努力ってのは凄まじいものがあるぜ。
どうやって、実際のアミューズメント・アトラクションに落とし込むかとか。
ノイシュヴァンシュタイン城をモデルに眠れる森の美女の城をデザインし、そこからシンデレラ城をデザインしているわけで、元ネタや築城技術に詳しくないとデザインとかできない。
そして双方が車の両輪の如く、ほぼ一致していることが理想的なロールモデルと言われるようだ。
大雑把に言って、肉体年齢の2/3くらい。
その幼さ故、正直かなり行き詰まりを感じている。
振り返れば、小学校高学年の時点で戦隊物やドラえもんを卒業していなかったし、中学生になってもコロコロコミックがプッシュするビックリマンシールに興味があったし、高校はファンタジー系ラノベとアニラジとモータースポーツにハマり、大学はテレ東のアニメと声優とプレステのゲームに耽った。
20代はその延長で真面目系クズの社畜としてヘタレに仕事しつつ深夜アニメを毎週チェックし、一方で今更服や髪型に凝り出す。30になったくらいからアニメそのものをほとんど見なくなりニコ動にシフトした。
そして30代半ばの今。
肉体的には美容院でアンチエイジングのスカルプを施し、徹夜ができなくなり、下腹部の膨らみを恐れる状態なのに、見た目的には大変幼いのか、現役の大学生とかから高確率で院生に間違われる。仕事では年下から「ずいぶん若いのが来たなあ・・・」と思われたこともあった。
流石にアニメにはどっぷり浸かってないけど、それでもけいおん!やまどマギやISやあの花は面白いと思ってしまった。
そんな調子なのでもちろん未婚だけど、いい加減落ち着きたい。「一人は寂しい」と思ったときは手遅れだろうし。
要するに自分は、小学校低学年でドラえもんや戦隊物を卒業し、高学年をコロコロとファミコンで過ごし、中学高校でジャンプとサッカーとプロ野球を楽しみ、大学でトレンディドラマ()とミリオンセラーのJ-POP()をハシゴしつつコンパとバイトに明け暮れ、20代後半で結婚して、今は子供が2人いて仕事では役職持ちみたいな、自分の世代にとってごく一般的な道からは、全く外れた人生を歩んできたわけだ。
お陰で、若い人とはそれなりに気が合うものの、周囲の数少ない同年代とはいつまで経ってもスムーズにコミュニケーションを取れないどころか、年を追うごとに相手は大人・自分は子供という精神的成熟度の差を実感するようになるばかり。
ましてや年上の人からは完全に舐められ、軽く見られている。そりゃ年齢の割には不器用だし甘ったれだし色々迂闊だし「こいつは本当にいつまでもガキなんだよなあ。もう少し大人になれよ・・・」と思われるのも無理は無い。
多分、肉体年齢と精神年齢の乖離はこれからどんどん酷くなる一方だろう。精神の成長速度が肉体のそれより著しく遅いのは、これまでの自分の歴史で明らかだからだ。
つまり、このまま行けば30歳の心を持つ45歳、40歳の心を持つ60歳、50歳の心を持つ75歳という具合に年を取り・・・もはやホラーだが、ほぼ確定の路線と思われる。
正直言って怖い。
こんなはずじゃなかったのに・・・。
そうは言っても、これまでもこれからも、他の人と交流しながら年を重ねていくしかないのだが、問題は交流する相手だ。
一体、どういう人達と付き合っていけばいいのか、皆目見当もつかない。
子供じみている自分と、付き合う相手の人生が、お互い少しでも良い方向に変わる可能性のある交流ってなんだろう。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120127-00000006-rnijugo-ent
いや、これ悩むわー。これ答えた人も相当苦心したんだと思う。
この人の気持はよくわかる。仕事をしている人なら、
この部長こそが自分の責任を理解しておらず、個人の問題と組織の問題を切り分けられない無能だと思うだろう。
だからといって、人事や教育はアホだ、何もわかってないとか言うのはちょっとまって欲しい。
わかってはいるんだよ。切り分けができてないわけじゃなく、切り分けた対処をすることができないんだ。
私が同じ立場でも、こういう質問のされ方をしたらこう応えると思う。
その割り切りができている上の人は「人事のローカルルール」ではさぞや優秀なんだろうと思う。
人事部の人間って問題はいろいろ把握してるんだけれど、こういう阿呆なことしか言えないように強いられているんだ!
だから、時々人事部をやめた後に暴露本を書いたり、理想の人事論みたいなことを語りたがる人が出てくるのよ
私は見ての通り文才も叩かれまくる度胸もないからやらないけど、憧れるよアレは。 そのくらい人事ってクソです。
実際、まともな人事なら、ここで揚げられている問題の解決って、個人をいくら指導をしても改善しないことくらいは知ってる。
実際に改善しようとして必ず失敗する、という経験をしているからだ。
でも上司から問題を報告しろって言われると、やっぱりこういわざるをえないのが現状。
よって報連相をしっかりやればやるほど、ずっと同じところでグルグル回って問題が悪化するんだよね・・・。
人事ってのは一応みんなに指摘するだけあって報連相には最も厳格だ。
しかし報連相ってのは、問題がわかりやすかったり上司が優秀である限りは成立するけれど、
こういう問題に関しては報連相って結構微妙だったりするわけですね。
標準化しようとすると余計に悪化するし、
かといって必要以上に干渉することは許されてない。
おたくの部署はあまりうまく言ってないみたいですけど雰囲気悪いんじゃないですか?とか言えない。
事業内容を把握するのがヘタなタイプ
これなんかは個人の問題というよりは完全にミドルマネジメントの問題なんだけれど、
大体ぶちょうとか課長がそれより上の人の期待を勝手に読み取って
「現実と乖離した目標を設定し、その資料を下の人間に作らせる」みたいな方式になってる。
そのせいか、上の人間が言ってる目標と自分が全く結びついてないみたいなんだよね。
簡潔な資料でいいから確実なトップダウンが行われるべきとか思うけれど
これまた人事ってみんなが思ってるほどは強くないんよ。
事業部長クラスになると、こちらが下手に手出しするとすぐ乗り込んでくるし。
部署単位だと人事部の方が強く見えても、個人対決だと勝負になりません。
成長の“伸びしろ”がない
手始めに、好きな先輩やデキる上司の行動をマネてみては?
このあたりは、特に入社1・2年目は本人の責任ではないと思ってます。
そうでなくとも、リーマン・ショック後は、出張等引き締めのほか、
コスト削減やらなんやらで、席をたつときは記録して無駄がないようにとか言い出しちゃって、
営業関係の部署の人くらいしか自由に動き回れなくなっちゃってる。
就業時間後に勉強会とかやればいいじゃんって言うのは気軽なんだけれど、
まぁ会社自身の成長の伸びしろがない状態、むしろガリガリ削ってる状態で
右も左もわからぬ新人にそれを期待するのはちょっと酷かなと思ってはいます。
正直ね、私なんかは最近は組織側に問題ありすぎて、新人も元気なくなっちゃうというのは認めないといけないと思ってる。
でも、上の人達っていつまでたっても自分が若い時の感覚で考えるから、
彼らの「俺達の若い頃はこうだった」という感覚にあわせて、そこからずれてる点を問題として報告しないと
お前はこんなこともわからんのか、っていって俺の評価が下がるんだよね。
私もついつい自分の身が可愛いから、事業部のエライ人とあらそったり、人事部の上の人に現実を理解してもらおうとか努力できない。
そんなふがいない状況で、事業部の若い人達に頑張れ頑張れとか言う気にはとてもならない。
実際、人事部の人間に現場の新人を批判する権利など全くないと思ってる。
むしろとても申し訳ない気持ちが強い。
ここでだけ本音を言う。
上の人はごちゃごちゃ言うだろうけれど、新人の人たちよ、君たちは決して昔と比べて劣ってはいない。
昔みたいに組織が人を活かせる状態じゃないんだ。だから、自信を失わないでほしい。君たちが悪いんじゃない。
だからといって、君たちも、組織に潰されて終わりたくはないだろうから、なんとか努力して欲しい。
正直、人事部が率先して新人を助けることが困難だ。
なにか良い取り組みがあって、それが成果を出したら横展開させる、くらいの待ちの姿勢だ。
虫のいい話しだけれども、頑張って、成果出してください。ある程度うまく言ったらこちらも全力で応援します。
ほんとうに情けない人事ですまんね。
私もけじめとして、これからはハックルというネット上の人物の応援をやめて岩崎夏海というリアルを応援することにします。
ハックルというキャラのポテンシャルの10分の1も吐き出されていない不完全燃焼もいいところの駄作でした。
テレビでの発言などを見ても、岩崎夏海という真面目だがサービス精神のかけらもない面白みのかけた朴念仁と、
ああ、この人はハックルをやめて岩崎夏海になってしまうのかな、と危惧していた時期もありました。
実際、もしドラが伸び続けている間、ハックルとしての活動が途絶え、私も絶望の日々を過ごしました。
しかしハックルさんは戻ってきて、再びサービス精神にあふれた記事をを提供してくれました。
ハックルは消えない、岩崎夏海がどれほどビッグになろうが、ハックルはいつでもここにあるのだ、と信じさせてくれました。
もしドラ以降の著書もすべて読ませて頂きました。
これらはハックル成分が完全ではないもののかなり濃く含まれており、俺得な出来でした。
そして、これらの本は、出すたびに売上がDeNAの株価も真っ青なほどに下がっていきました。
「もしドラの岩崎夏海」ブランドを守ろうという意識など全くなく
出版社を泣かせながらもハックル節を貫くあなたをみて、強く勇気づけられることになりました。
私にとってハックルとは、COOL!COOL!COOL!としか言いようがない、並のフィクションを超えた極上のエンターテインメントでした。
むしろきっぱりとハックルというキャラを切り捨てて岩崎夏海として生きてもらいたい。
普段は一個の個人として自分の思いを語ってますよというスタンスを取っておきながら
少しはてブDisられるとすぐに家族やら社会的地位を持ちだして説教したがるどこかの医者のような人にはなってもらいたくないです。
そういうことをサれると心の底から興ざめです。
もうネットでのサービスはいいです。現実に集中させて、たとえばあなたの奥さんをお笑い界のもしドラとなるように育ててあげてください。
でも、結婚したからには責任をもってそのハックルを飼い慣らし、
ネットのクズどもではなく、身の回りの人に幸せと勇気を与えるような存在になってください。
万が一にも、ハックル的な要因がもとで結婚や生活がダメに成ったりした場合には、心のそこから岩崎夏海という人物を軽蔑します。
もちろんそれでもハックルのことは愛するでしょうが、岩崎夏海という人間についての評価はゴミクズ以下とみなします。
ハックルに変わってみんなにガツンといってあげたり余計なお世話をしたり承認欲求の権化になることは出来ます。
そのうち第二、第三のハックルも生まれてくるでしょう
「オチが救われない話」というまとめサイトを読んでいたら、こんな救われない話を知った。
『フランダースの犬』は、アニメとして日本人によく知られている。
もとは1872年発表のイギリスの童話だが、原作者の女性がベルギーの風俗をイギリス人の目で偏見的に描いている。
イギリス人の心の奥底には、ヨーロッパに対するかすかな敵意が潜んでいる。
「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」
こんなことをずらずらと書いているのだ。
その上、本家イギリスでは、運命に抗わずに教会で死ぬという内容がアングロ・サクソン的に受け付けられなかったようだ。
結局欧米では、誰も見向きもしなくなったというわけだ。
ところが日本では、1975年に感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得する。
80年代からの海外旅行ブームでは、ベルギーのフランドル地方観光が定番コースの一つとなったほど。
もっとも、ルーベンスの絵を観ることはできても、『フランダースの犬』にまつわるものがそこには何一つない。
日本人がガッカリして帰国するのが、当時のツアーのお決まりのパターンだったとか。
ところが、1982年、大きな転機がやってくる。
ベルギー・アントワープの観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、運命を変えた。
日本人観光客から『フランダースの犬』という物語の存在を聞いたことが発端である。
生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼には浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。
そんなオタク青年の彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかった。
「アニメをやってたんだけど、もしかしたら原作があったのかもなぁ」
というだけで『フランダースの犬』について、はっきりとしたことが分からない。
街の誰に尋ねても、何もわからなかった。
しかし彼はあきらめない。
「この地方を舞台にしているのなら、図書館にヒントがあるかもしれない」
図書館であらゆる資料をあさり、……そしてとうとう、60年の間、二、三度しか借りられていなかった原作を見つけたのだ。
欣喜雀躍たる、彼の喜びが想像できるだろう。
……だが、読み終えた彼はがっかりした。
実は原作には、最後にネロが天使に救われて天国へと召される……というシーンはない。
ただただ暗いだけの作品なのだ。
原作者は夫に捨てられた後、犬の保護に尽力していたが周囲に相手にされなくなり、晩年は30匹の犬に見守られて亡くなっていた。
(この原作と日本人の感動との間の乖離は、いったいなんなのだろう?)
もしかしたら、それがヒントになるのかも?
彼は、日本語を学び、日本人観光客の友だちを作り、帰国した彼らからアニメビデオや童話集を取り寄せてみた。
その結果……感動したのだった。
情熱は、いよいよ膨らむ。
一年半かけて調査を行ない、原作の舞台が近くのホボケン村だと突き止めた。
当時の日本なんて、極東の島国で、ドイツに加担して負けた挙句に少々景気を持ち直しただけの国、というイメージだったから、仕方ないだろう。
だが、彼の熱意は次第に周囲を突き動かしはじめた。
ルーベンス以外にこれといって観光資源のないこの街に、もう一つの観光シンボルが生まれるかも知れない。
そういった周囲の思惑も重なり、ついには1985年、ネロとパトラッシュの小さな像が、ホボケン情報センターの前に立てられた。
除幕式にはアントワープ州知事、市長、在ベルギー日本大使らも参席、盛大なパーティーが開かれたという。
ネロとパトラッシュが共に埋められた(ことになっている)街の教会は、観光コースとなった。
ルーベンスの作品を観るためにアントワープを訪れていた日本人観光客がホボケン村にも立ち寄るようになった。
その地域は観光収入でおおいにうるおい、観光局勤めの彼の名声も次第に上がった。
フランダースの犬はベルギーで放送され、80%近い視聴率をとったという。
ヤン・コルテールは『フランダースの犬』研究家として知られるようになる。
その地域では日本通として知られ、日本との橋渡し役としても活躍するようになった。
研究のために日本へ何十回となく訪れるようになり、大の親日家となった彼は、日本人女性の石井ヨシエと結婚した。
彼は妻と共に、今でも地元でつつましやかに幸せに暮らしている。
……はずだった。
なぜなのか?
コルテールが日本人の妻をもらい、日本とベルギーの架け橋として活躍していることまでは、いろいろなサイトで詳しく取り上げられていた。
ところが、彼が犯した殺人についての続報をいくら調べても、日本語のサイトでは何一つその理由が分からないのだ。
英語のサイトで調べても、アメリカ人などが『フランダースの犬』に関心がないためか、まったくヒットしない。
仕方ないのでグーグル先生の力を借りて、オランダ語のサイトを日本語に訳したり英語に訳したりしながら調べた。
その結果、驚くべきことがわかった。
コルテールとヨシエが結婚して数年は、大変幸せそうだったそうだ。
だが、次第にヨシエは旦那の拘束がうとましくなってきたらしい。
もっと自由にさせて欲しい、自由にいろいろな場所に行きたい、というのがヨシエの欲求だったそうだが、コルテールはそれを許さない。
異国の地にやってきて、海外でしか味わえない自由を満喫したい日本人女性。
彼女を大切にするあまりに、彼女の全てを管理したいと願うベルギー人男性。
だんだんと、二人の間には溝が生まれるようになった。
二人の間はギクシャクし始める。
その時に彼女の前に現れたのが、口が堅いという噂のピエールだった。
「夫とは長いこと話してないの。夫は頑固でさ」
秘密を守れるピエールへの心安さからか、ヨシエは彼へ愚痴をこぼすようになった。
「彼は変わり者だからね。我慢さ」
愚痴を聞いてもらううちに、ヨシエがピエールに親しみを感じ、やがて二人が愛しあうようになるまでに時間はかからなかった。
ピエールの口は固かったが、ヨシエの下の口はゆるかった。
二人がバスルームで愛し合っているところを、コルテールが発見してしまったのだ。
口がゆるい上に、脇も甘かったというわけだ。
だが、そのときヨシエは豹変した。
日本女性のおしとやかさはどこへやら、情事を発見したコルテールを怒鳴りつけたという。
「あんたさぁ、男としての魅力がないんだよ!!」
彼女の口は、悪かった。
その時に、コルテールは、彼女のことを深く深く愛していたことに改めて気づく。
何があろうと、彼女の気持ちが戻ってくればそれでいい、というのがコルテールの偽らざる気持ちだった。
彼は、離婚を迫るヨシエに対して、仲を修復したいと取りすがった。
しかし、彼と別れてピエールと一緒になりたい、というヨシエの気持ちは変わらない。
それは、最後のお願いとして、彼女と日本を一緒に旅行することだった。
二人が出会った日本で過ごせば、彼女の気持ちも戻ると思ったからだ。
……これ、男にありがち。
男の浮気は「名前をつけて保存」だが、女の浮気は「上書きして保存」
他の男に気持ちが移った以上、振り向くわけなんてないのだ。
日本でヨシエは、両親にコルテールを引きあわせたという(この辺りは女性特有の図太さといえよう)。
それでいながら、彼女の気持ちが変わることはついぞなかった。
それを拒むコルテールを、ヨシエは罵った。
そして、決して犯してはならないラインを越えてしまった。
彼女は、職場のベルギー人の同僚達と彼とを一人ひとり比較して、いかにコルテールが劣ったオタク野郎なのか、痛罵したのだ。
……こと、ここにいたっては、どうしようもない。
その時の衝撃は、彼の行動が示している。
コルテールは逆上し、ヨシエをナイフで22ヶ所切りつけて、殺害したのだ。
リアルは、『フランダースの犬』以上に救いようのない話だった。
どこが指摘になっているのかさっぱり分からないんだけど。
お前の脳内では繋がってるのかもしれんが。
まあこれはあっちの増田に任せる。
ついでに、http://anond.hatelabo.jp/20120102220513の方では
「アンケートの答えは信用できない」と言う内容のURL貼ってそれに同意しているのに
他のアンケートは全面的に信用してるのは何故?
上記のURLは http://anond.hatelabo.jp/20111231121527 ですかね?
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200309/09toku2.html
の方だよ。
レビュー読んだら「調査は首都圏在住に限る」とは書かれてるらしいね。
この時点で相当偏りがあるわな(世の中首都圏在住ではない人間の方が遥かに多い)
まあ「こういう調査に協力する人」と言う時点で偏ってる訳だが。
「全国に」じゃない。首都圏に限定しようと一般化は出来ないよ。
この調査がどういったものか、前のページ(http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200309/09toku1.html)にもっと詳しく載ってるけど、
〈食DRIVE〉は3つのステップで行われる。第1ステップは、食事作りや食生活、食卓に関する意識や実態などについて質問紙で尋ね、回答を回収する。第2ステップでは、1日3食1週間分連続で、毎日の食卓に載ったものについて、使用食材の入手経路やメニューの決定理由、作り方、食べ方、食べた人、食べた時間などを日記と写真で記録してもらう。第3ステップでは、第1ステップの回答と第2ステップの日記と写真の記録を突き合わせて分析・検討した後、矛盾点や疑問点を中心に背景や理由を細かく問う詳細面接を行う。
他の増田も指摘してるが、こんな面倒臭いアンケートに協力するのは暇でないと無理だし
こんな個人情報暴露しまくりアンケートにほいほい参加してしまうのは頭が弱い人が多いと思われる。
それに
計6回で111世帯分(つまり1回につきたったの18.5世帯)と、母数も少なすぎる。
それにこのサイトは『「言ってること」と「やってること」の乖離が、〈食DRIVE〉調査という同一調査の中で、この3年間に3倍ぐらいになっている。』
と言う文だけで、実際に『「言ってること」と「やってること」が乖離している人』はどの程度の人数かすら書いていない。
増田は「3倍」と言う所を主張したいんだろうけど、1人が3人になったって「3倍」なんだよ。
(そもそも母数18.5の調査で統計的な有意差なんて主張出来るのか?)
こういう書き方は「実際は大した数ではないものをさも多数であるかのように見せる」為に行われる事が多いので、信用出来ない。
その後に極端な回答だけを列挙するのも同じ目的でよく使われる手法。
統計を持ち出すのなら、その辺も読み取れるようにしないとね。
違います。日本の主婦は、頑張っているポイントが間違っているのです。下記を読んでも笑えるかな?
これには笑った。
がんばりすぎる日本の主婦(専業、兼業とも)に、もっと力抜け!手抜きしても死なないって、といってあげていいんじゃないのかな
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200309/09toku2.html
変わる家族 変わる食卓―真実に破壊されるマーケティング常識 岩村 暢子
http://booklog.jp/asin/4326652780
この調査は広告会社アサツーディ・ケイで食卓、家族、主婦などをテーマに長年、調査研究に携わっている方だそうで。読んでみると、
もともとは広告代理店がターゲットの主婦層の状況を調査することから始めてみたら、
それまであったイメージとは違いましたよ、という本です。 フェミニスト必見。
「言ってること(第1ステップ)」と、実際に生活場面で「やってること(第2ステップ)」の乖離が年々大きくなってきており、
若い層ほどこの傾向は顕著になっていることだ。こうした「言ってること」と「やってること」の乖離が、
〈食DRIVE〉調査という同一調査の中で、この3年間に3倍ぐらいになっている。
例えば、
「栄養バランスを重視しているので、毎日のオカズは肉と魚を交互にして、かつ野菜の多い料理を心がけている」と第1ステップの事前アンケートに答えた主婦>(27歳)は、
また、「味噌まで自家製を作るほどの手作り派」を自称する主婦(38歳)の日常料理は、
簡単料理や加工品、出来合い総菜ばかりが続いている。
「夫に子どもの前ではお酒を飲まないように言っている」と語る主婦(31歳)は、
これらを見る限り、アンケートの回答は、
「たまたま、このときは時間がなかったから」「この日は特別で」と答える主婦がいる。
調査期間の1週間の中で「忙しかった」「具合が悪かった」などで、
「仕事で疲れて夕飯を作るのが面倒になった」と夕食をラーメン屋で食べることにした主婦(28歳)の「仕事」は、午後4時に終わる在宅アルバイト。
主婦にとって食事作りは、「どうしてもやらなければならないこと」ではなく、
ほかの「しなければならないこと」「したいこと」、あるいは「その日の成り行き」の中で、結果として「作れなくても仕方がない」「簡単に済ませてもいい」
というものになっている。
個人的には、これもフェミニズムの実現した社会の暗部だと思っているんですけどねー。
あと婚活男性むけにいうと、上記のような女性ばかりではないですよー。
私見ですが最近の女性、30歳以下の女性の中には異なるタイプの女性も増えてるような印象があります(印象だけですけど)
男女とも過剰な期待をしすぎているということでFAだな。
これも違いますよ。
女性:92.1%
男性:30.2%
女性:93.3%
男性:89.9%
女性:96.0%
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm01020101.html
男性の方は「自分の仕事に対する理解」も「家事・育児に対する能力や姿勢」も
女性ほどは求めてません。
収入に関してはいわんやをやですね。 それと未婚男女の可処分所得に関しては、ほぼ並んでます。
追記
「それ、どういう調査なのか書かれてないんだけど…」という指摘があったので、
調査元に関して追記しました。
風当たりの矛先を一般市民に向けるのは、これは本当にお門違いだろう。
あなた方大阪市市職員が一部の労組員のせいで槍玉に挙げられているというのなら
矛先はその労組の連中に向けるべきだろう。
問題の労組員の排除に尽力して、そのうえでここにpostするべきだ。
「わたしたち一般職員は橋下市長とともに労組員の排除に成功しました。その経緯を説明します。」と。
上述している主の言い分を真に受けて「そうかぁ市職員も悪いひとばかりじゃないんだな、うんうんわかる、職員さんカアイソウ。」
なんて靡く一般人が出てきちゃったら、せっかくの橋下市長の政策にほころびが出るばかりか
問題の労組員の格好の隠れ蓑を作ってしまうことになり得ると思わない?
ははぁ~ん、主の正体は労組員だな?と疑われる羽目になるとか、考えつかない?
同じ穴のムジナに見られたくなければ、やるべきことは一つしかないだろ。
このpost見てつくづく、一般人の感覚とどれだけ乖離しているか改めて理解した。
この役立たずの穀潰しめ。
その順番で書いた意味をきちんと子供に確認して、掛け算の意味(小学校的なルールのことではない)を理解してないことを確認した上で×としたなら
でも、もう一つ忘れちゃいけないのは、理解できているか否かの判定として俺哲学で導き出した俺理論を使うのはクソってこと。
それができて初めて
一般化すると「数式を導き出すまでの思考過程をある一つのものだけに限定するべきではない」
ということが分かっていることになると思うよ。
算数ってのは、何を何倍したら何になりますか、の思考でしかなくて、数式で書くべきではないような思想の抽象化をあえて式にしてるってだけなんだよ。
算数って学問の考え方も、実はそれに近くなってるんです。
「6本×8人/本=48本」
ていうのは数式にしたら正しく見えるけど、言葉で書いたら、
「6本を8人/本倍したら48本になるね」
「8人/本を6本倍したら48本になるね」
先生が正しいんだけどね。
それわかってないやつが多すぎて痛い。
6【本】 ×8 = 48【本】
であって、
「8人に6本をと6本を8人には同じだろ」って批判してるアフォもいるけど、もちろんそれは当然同じだけど、だからと言って
8【人】 ×6 = 48【人】
と表記していいわけじゃない。
「~学」っていう哲学の話なのに、問題の核心を履き違えている人が多いなあ。
某地方の専門学校の教員をしている。一応、地域ではNo.1と呼ばれる学校だ。
元々はIT系を仕事にしており、今はその時に得た知識を教えている。
就職予備校としての位置付けにあるとされる専門学校だが、現実社会とは大きく乖離している。
モラトリアム期間とはいえ、あまりにも目を覆うしかない現状をここに記す。
当校では担任制をとっている。
最近では大学でも担任制をとっていると聞くが、一部の大手専門学校以外では担任制は普通。
(聞いた話では某人気校は40人分しか机がないのに退学者を見込んで60人ほど合格させるらしいが)
先の連絡でもそうだが、宿題を出していない学生への対応は担任。
客観的に見て学習障害(ADHD等の発達障害を併せている事も多い)。小中高での問題を先送りした結果。
認定をされているものもいるが、大半は現実を見たくない保護者の反対で医者にすらかかっていない。
成果で評価せずに、努力の量や伸び幅(そんなにないけど)で評価する。もちろん、努力させるのは担任の仕事。
(発達障害への評価の仕方は高等教育機関に文科省が通達を出したもの。専門学校は都道府県の管轄だから管轄外だけども)
入学した以上、ムリヤリにでも卒業はさせるけど就職は難しいと思う。
先の学生のように明らかに問題がある学生は「就職辞退」させて就職率の分母を削る。
就職率は「就職希望者」に対しての就職決定率だから、「就職希望者」で無くさせるという事。
ひどい学校だと「契約社員」「派遣」「アルバイト」も就職とみなしているからなあ。
専門学校の大半は「福祉系」「IT系」。最近は公務員も多いけど。
学生が理系離れが進んできたので、IT系の募集も思わしくない。その結果、生まれたのが「ゲーム系」というジャンル。
しかし、ゲーム系は大手の学費がクソ高い学校以外ではゲーム開発経験者は限りなく少ない。
IT系の教員がゲーム系を教えていることも多い。就職はもちろん、IT系。
ゲームクリエイターになりたければ安いゲーム専門学校に行くな。大学行って、空いてる時間にバリバリプログラムをするべき。
高校までの延長だから、環境は整えてもらって当たり前。大学生は履修も自分でするし出席も自分で管理する。
それができなければ専門学校に行くしか無い。専門学校は就職したくない、勉強したくない学生の溜まり場。
専門学校の教員には教員免許が必要ない。だから、教えるための最低限の知識すら持ち合わせていない事もある。
つまり、教える教員の人格による部分が多い。もちろん、教えるスキルを身につけることも可能。
もちろん、組織がバックアップするなんてことはない。ハズレの教員もいる。
http://www.afpbb.com/article/politics/2846317/8208785
この記事だと高齢者の扱い悪いよねってアルカイダに言われちゃってるって話なんだけど、そもそも儒教文化がかつてはあって、老人大切にしようずって教えも親から受けてたはず。なのに何で老人の扱いが悪くなったのか?と。社会に出てお金を稼いで税金納めたりしてるなかでその使い道とか、それを決定している政策や政治やら投票やら諸々見聞き体験して、ギリギリ若者側に位置する30歳男子としては思う所あるんですよ。
老人って大切にしなきゃならんのか?という疑問。
まずこれが生まれちゃってるからそもそも大切にしない。大切にしなければなららないという確信持ってないんだったら迷いが生じる。当たり前の様に助ける行動に躊躇やスルーが選択肢に生じる。この選択肢は自動選択されるので本人が意思決定してるわけではないってところもポイント。だから目の前で倒れてる老人が居ても、普段の思想や行動力から勝手に決定されるので、何で助けなかったの?って聞いてもいや、べつに、とかこれと言って意思決定された形跡がある回答は得られない。
こういう現象の積み重ねがリンクの記事とかに現れてるに過ぎないんだと思うんだな。
俺自身も老人たすけなきゃならんの?とは思ってるけどね。倒れてる人は老人に関わらず助けるよ。そりゃ。こないだも大岡山で倒れた老人介抱した。周囲に東工大生とおぼしき大学生いっぱいいたけど誰も助けないのな。びっくりしたわ。老人だからなのかどうかは分からないけどね。
で、なんで老人大切にしなきゃ成らないの?と思わせてしまったかについては諸説あると思うんだけど、俺が思う老人大切にする必要無い風潮の原因をいくつか挙げてようと思う。
* 投票権に関する問題
この3つ。
一つ目の投票権に関する問題は、20歳以上の日本国民男女に与えられるが、その後、剥奪される事は無い。
15歳くらいには政治に関して関心を抱くし、10代で興味持ったものって凄い勢いで知識を吸収して行くから20歳までは正確な判断できないと断定しちゃうのはちょっと無理がある。まぁ20歳以前までは煽動に乗せられやすいから非知識層に与えるのはどうかとは思う。暴走族やってる輩とかは背後に893だし893は日本国民でないものが多く混じってるっていうから若者を使っていくらでも糞政治家に有利にできてしまうだろうし、まぁこれは20歳以上までって切り捨てておいた方が安全だわ。
一方、引退してあとは老後の生活だけって老人達、たとえば65で引退して80で死ぬとすると、あと15年分は社会の荷物になるわけだ。その間の15年感は年金だとか生活保護とかで確実にお金がもらえる。負担はそれ以下の年代全体で受け持つ。そして投票の歳も残りわずかな人生のための投票を行う。誰のためって自分の為。
49 名前: 名無しさん@涙目です。(東日本) 投稿日:2011/12/17(土) 14:08:10.54 ID:kmN9yLA+0
要は、こういった輩が大半を占めてるし、その結果、若者世代からしたらこいつらのこういう思考には反吐が出る訳で、Hateも溜まるよね。
だからさ、昔の話じゃないけど、税金を一定以上納めてる人間でないと投票すべきじゃないんだよ。
■現状
■理想
とういうわけで20歳以下を切り捨ててるのと同じ理論で、60歳以上の人間からは投票権を剥奪しましょう、というのが一つ目の問題と解決案。
橋本徹がねずみ講って言ってる通りだし、若者から搾取しすぎて疲弊してるじゃん。さっきの投票権の話でも言ってるけど未来ない老人に金使っても何も良くならないわけで、それなのにこれからを作り出す若者を疲弊させてどうすんの?
情報の乖離なんて何処の世代でもあるんだけど、根性論とか精神論ベースにしている老人団塊世代以上は非常に厄介で、事実に基づいた話も可哀想とか主観的感情で無駄な行動に終止するし、その無駄のとばっちりは良く受ける。これは近くは自身の両親との乖離、遠くは現役政治家のネットに対する理解度の低さなど、幅広い所で存在している。
例えば、アパートに一人暮らしの老人がいました。家族は2ヶ月に1度ほど会いに来ます。暑い夏、エアコンを設置する話をしてましたがエアコンは身体に悪いと老人は断りました。家族は本人が我慢するのであればと引き下がりました。老人は熱中症で死にました。熱いので腐敗の進行早いです。部屋には強烈な腐臭がふちゃくしましたとさ。
これ、老人死んでるだけじゃん、と思うかもしれないけどアパートの持ち主はアパートに損害出されてて、価値を定価させられてるわけ。財産を傷物にされてるんだよね。老人の無知が招いた結果なわけです。
他にもね、抱きぐせが付くから赤ん坊は抱きません、という主義の老人は多く居る。これはちょうど今団塊の世代がやっていたことで子供をだっこすると何でもかんでも抱っこしてくれって癖がつくから止めましょう、という理論から発生して、この手の情報が古いままな事に起因する。現役で子育てしてればその手の情報を新しいものに置き換えて行くだろうけど、子育てが完了したらわざわざアップデートはしないから仕方ない。が、孫が生まれてもそのままの知識を適用したがる。
ちなみに現在ではスキンシップによる精神発達と脳の発達に大きな影響があることがわかってるので、積極的におこないましょう、だっこもしておきましょう、という話が主流だ。統計も取られているしぐぐったらかなりの量の情報が出て来る。
これにより老人に育てられた子は発達が遅い可能性があり、社会の一員の能力を著しく損なうわけだ。ちょっと極端だとは思うけど。
まぁ、老人からうける損害によって単純にHateが溜まるよね。という話でかまわない。
これら3つの理由によって溜まるHateの量と、理由1で見られるふんぞり返った老人たちに業を煮やす若者、理由2で疲弊して余裕を失った若者は、老人に敬意をもって摂することなんてあるだろうか?
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4094512918
めちゃ面白かった。久々に良質な「ツンデレ」ヒロインを描き出してくれた作者に感謝。
Amazondではやれスクールカーストものだ、AURAと違って構成力が、みたいな評価が目立つけれども、そんな事どうでもいい。良くはないけどそれは二の次だ。
この作品のAURAにもない特徴は、学校の空気の話よりも、久々に良質な「ツンデレ」ヒロインを描き出してくれたことだと思う。大事な事なのでry
というわけで、個人的に大満足でした。ちひろまじかわいい!ツンデレツンだな。
ツンデレ系のヒロインとうまくいくためには、ある程度主人公側にも
「対等にやりあうガッツ」や、ヒロインの芯の部分に踏み込む厚かましさが必要だ。
この作品の主人公は、裏技的な方法でヒロインの内面を知ったのちに接する。
つまり、先にデレの果実を味わうことでヒロインを好きになれるわけだが、一般にはそういうケースはない。
主人公が臆病だったり、空気読み過ぎるタイプだと、上手くいかないのだ。
5年くらい前のほうがラノベやエロゲの主人公はヘタレだと言われていたじゃないかとも思う。
よく考えてみると、ヘタレというのは今から振り返ると悪いことばかりでもなかったような気がする。
というより、ツンデレヒロインとうまくいくもう一つのパターンがこのヘタレ系だと思う。
ツンのトゲ部分とぶつかるのではなく、ひたすら受け止めて、包んでしまうというパターンだ。
ヘタレ系主人公は一般に気弱であったり、決断力がかけているなどの欠点が指摘される。
しかしコミュニケーションが高く、空気が読める、自分の気持ちをゴリ押しするより相手や周囲に配慮できるという長所もあった。
なにより、男であるにもかかわらず俺が俺が、と自分を押し付けない。
「受身でいることに耐えられる」ってのはすごいことだ。この難しさ、あり得なさは男からしたらファンタジーレベルである。
私自身、男として「男はかくあるべし」ってイメージがあるから、
こういうヘタレ系主人公と自分の望ましい方向には大きくずれがあり、苛立ちを感じることのほうが大きかったけれど、
もう自分の分身としてみる必要もなくなり、純粋に他者としてみると、いいところも見えてくる。
ただ、ヘタレ系の主人公がある程度リアリティを感じさせるには、
本来「お父さんと娘」とか「兄と妹」といった関係のように、そもそも力関係が非対称というか、男側が有利であることが必要になる。
ただ受身なだけの、自己主張しない男には、女がそもそも見向きもしないからだ。
表面的には弱腰に見えて、直に接すると大人である、安心感がある、そういう所があって、初めて女性も多少は魅力を感じるのではないかと思う。
私自身はただのヘタレなので、尻に敷かれるだけであり、その経験からもヘタレの部分に魅力を感じてもらえるとはとても思えない。
そもそもツンデレヒロインはほとんどの場合個人として優秀である。
優秀であるからこそツンが映えるのであり、ツンが機能するからこそデレに価値が生じる。
無能なツンデレなど、無能なツンの時点でゴミであり、そんな奴が出れても豚の鳴き声にしか聞こえない。
それに対抗する主人公は、ヒロインに対抗する何らかの優位を持っている必要がある。
<小早川ブログがなかったら>この子はいわゆるツンデレ少女だったと思う。
んで、この主人公だとおじけづいて彼女と深い関係になることが出来なかっただろうと思う。
ヒロインの内面が見えるくらいの優位を確保して、ようやくツンデレヒロインと向き合える。
ヒロインは、主人公の優位の部分に魅力を感じる。だが主人公のそれはただのチート。
それをさらけ出したら魔法が解けてバランスが崩れてしまう。さてどうしよう。
主人公の「分」を考えると星奈ではなく夜空がお似合い。しかしメッキのお陰で星奈とうまく言ってる状況をどう変化させるか。
とかね。星奈は間違いなく魅力的ではあるけれど、この先納得行く形で彼女との関係を描けるのか、疑問。適当に夜空とくっついて終わりじゃね?
一時期はただツンデレのヒロインがいる、というだけでよかった。
でも今はそれなりに主人公とヒロインの関係性が問題になってくると、難しいような気がする。
普通の主人公だと、釣り合いの取れるヒロインの魅力は薄いものとなる、
かといって、魅力的なヒロインを作って普通の主人公だとヘタレ死ね、となって楽しくないし、
魅力的なツンデレに見合うだけの主人公は、一般読者とは全く乖離した存在となってこれまた共感できないだろう。
そんなわけで、ツンデレヒロインと、それに見合う主人公を作るのは難しくなってきていると思う。
ツンデレを読みたきゃSFを読めっていろんな人から言われるけど、
SFのヒロインは優秀すぎるし、パートナーの男性もそれに輪をかけて優秀すぎるので全く共感できないんだYO!
そういうことを、この作品を読みながら考えた。この作品は久々に良質のツンデレヒロインを味わえた。
私はツンデレが大好きなのだけれど、それ故にほとんどのツンデレの出来に不満を感じていたので、この作品はとても楽しめました。まる。
とりあえず7巻から始めてみる。思った以上に面倒くさい。
・貴女は私の世界の異物ではないみたいだから、幸福の材料なのよ、きっと。結局、幸福というのは自分の世界の中にいる人をどれだけ優遇し、枠外にいる他人へ不幸をどこまで押し付けるかによって、ドーム内の気圧を変化させることでしか無いもの。
・不幸になるというのは、往々にして、「大切な人がどんどん他人になっちゃう病」を患っているに過ぎない。
・最も贅沢な生き方とは即ち、正直に生きることである。嘘をつかないという、あまりに難易度の高い人生を子供に要求するのは酷というモノ。
・気の利いた言葉も、区切りのよい場面転換も用意されてない現実の情景。それが優しく、私を打ちのめす。私の世界のすべてをそこに見た気がして、たやすく涙がこぼれ落ちた。
・人間嫌いの分際で、誰かとの接触がこんなにも必要だなんて。息を吐き出し、吸うだけで上昇する心拍数。痛いほどの達成感。自分の世界がいろんなところと地続きであると認識して、無様に嬉しがっているのよ。ざまぁないわ。
・嗜虐を行う私はとても冷めているのに、眺めるのを趣味としている私は、心底、娯楽として受け取って愉悦を抽出している。この乖離が過ぎると危うい。そして私は今、過ぎようとしている。
・いやだわぁ、この、集団の役立たず。個としてピンセットで摘まれてガラス板の上で藻掻き出すと、少し真価が見えてくるたぐいの生物ね。
・人を傷つけることで幸せを奪うとかそんなレベルじゃなくて、傷つけるから幸せになれる場合は、向上心なんかただの害悪になるってことなのよね、つまるところ。ハイスコア目指して頑張ったら、見事なまでの社会の的ナンバーワンじゃない。他の幸福を見つければいいとか言うけれど私は自分の幸せが変わってしまうことのほうがよっぽど怖いと思うわけ。
・学校は、友達作る場所じゃないんです。あ、わたしだけ、ですよ。要領いい人、○○君とか○○ちゃんは作れるんですけど、○○君とか、わたしは、このアパートにしか友達いないから。ここ、友達の取れるとこ。巣・・・?みたいなんです、きっと
・とっくに持ち腐れした宝を、後生大事に抱えてあがき続けている人生。腐臭漂う液体が腕の隙間から爛れよ落ちようとも、強く抱きしめたそれにすがって、生きている。
・あの子は、自己存在を他者に委ねまくってるのよ。別にそれ自身をどうこう言うつもりはないけれど、ないものねだりで駄々をこねるお子様の面倒を見る大人が欠乏していることが大問題なのよねぇ。まぁいいわ
・ああ、こいつこの色が似合うな。透明な紫。どんな色も透過するくせに、しっかり自分の色付けを行なってしまう。同族に仕立て上げないと、自分の領域に誰かを入れられないのだろう。僕とは異なる経路でたどり着いた、人間不信だ。
妄想メモ書き。論点多すぎてぐちょぐちょ。もうちょっとまとまったらちゃんと書く。
ソーシャルゲームに求められているのは一般的な意味での「承認」とは違うと思う
むしろネットとは承認を求めてやるものだ、みたいな考え方に対する
アンチテーゼ・・・ではないが発想の転換すら行われていると思う。
篠房六郎さんのネトゲ関係作品は今だからこそ興味深いと思う。特に「空談師」。
元来ネトゲというかネットワークのコミュニケーションに期待されてたこと、およびその問題は
しかし、現実において、ビジネスとして資本効率を追求したときに
「篠房六郎の思い描いた可能性
(現実の大半をゲームに持ち越すほどにヘビーゲーマを中心としたコミュニティ構築)
作者自身もこの路線を放棄していることからも、こっちの可能性はもうないと思う。
作者は、ビジネス的な面からゲームを考えてなかったよなーと今から読み返すと思う。
⇒安っちい承認欲求というか視線欲求を満たすだけなら小町で十分なんだ。
ネットでは得られないというのはもうコンセンサスになりつつあるんじゃないだろか。
⇒ソーシャルゲームでは
承認を目的ではなく手段とする(承認=仲間になればお得)という発想の転換があると思う。
仲間づくりはあくまでそうしたほうが便利だからそうするだけ。
⇒この発想の転換はビジネスを運営する側の都合から生まれたんだろう。
「仲間」の部分をすごいグラフィックや濃密なコミュニケーションを演出しなくていい。
むしろ単純なステータス化して極力力を入れないことで、低コストでサービス運営できる。
しかし、今のヒットを見てると、これが正解なのだと思う。
他人はそのきっかけ程度の重みしか求められてないんじゃないだろうか。
本当に飢えているのは自分の価値とかよりも、とにかく自分を楽しませてくれるもの。
自分のやってることに後暗さを感じなくていい場所というか。ここがうまく説明できない。
⇒自己完結ができるということは、それだけお気楽な、深く悩まなくて良い社会を想定してるはず。
昔の古き良きRPG、ネットワークビジネス的な雰囲気。
これらは「昔の楽天的な高度経済機の日本」という幻想の代替物みたいな。
⇒そういう「何も考えずにただ目の前のボタンをクリックし続ければいい」仮想社会を
つくろうとしたのがソーシャルゲームだとすると、実際のところは非常に不完全。
グラフィックというよりも、ゲームデザイン側に深刻な問題がある。
成長がすぐに限界に行き詰まり「増資=課金」をしないと成長できない。
しかも増資をしても、そのリターンが帰ってこないというところで現実との乖離が生じる
本当にずっとやりたいなら、増資=自分で投資をした分の見返りが必要。
⇒この問題を解決するためには
「リーダーシップとして一番大切なこと」という本に書いてあった
「ステージ乗り換え」によって成長を持続する仕組みが必要。
チャレンジできる、ということが求められるだろう。
⇒現状はどのゲームも似たり寄ったりだ。
別にパクリとかなんだとかは好きにしたらいいが、レベルが同じで
これでは「時間つぶし」以上にはなれない。
「坂口綾優がGoogle+で日本一になったのは、彼女の顔写真に冴えない男たちの性欲が殺到したからである。取り繕って美談にするな。
高学歴美人女子大生である坂口綾優を『普通の女子大生』扱いすることで、本当に普通な人々を抑圧するのは言葉の暴力である。
坂口綾優のGoogle+をやっている動機は『就活のため』ではなく、『他者からの承認による興奮や感動を得るため』だ。自分を偽るな。」
以上。
以下は、暇な人だけが読めばよい。
nanapiに掲載された元記事では、人気の理由を
人気の理由は、彼女がアップする美しい写真だ。iPhone 4で撮られた空の写真だ。紫からオレンジにグラデーションする朝焼け。真っ赤な夕焼け……。
と説明している。
しかし元記事中に
とあるように、彼女は格段に優れた撮影スキルを持っているわけでは無い。
冴えないおっさんが撮影したものであれば、ここまで話題にはのぼらなかったであろう。
hankakueisuuは、この真相を表面的な美談で覆い隠そうとするライターの岡田有花が許せないと主張している。
http://profile.ak.fbcdn.net/hprofile-ak-snc4/211919_100000872144853_4875960_n.jpg
nanapiの記事タイトルは「普通の女子大生がなぜ、Google+で「日本一」になったのか」だが、
彼女は上記jpgの通り平均以上の顔をしており、何より早稲田の現役女子大生である。
京都大学卒ライターの岡田有花からすれば早稲田は普通の大学かもしれないが、日本全体で見れば早稲田は高学歴だ。
hankakueisuuは、彼女は普通よりハイスペックな存在であり、彼女を普通だと広く伝えることは多くの人々を傷つけることになるだろうと危惧している。
元記事ではGoogle+をはじめた動機は「就活のため」と説明されており、
「Google+で1位の人ということで、企業の人とか、学生起業家の方など、いろんな人が会ってくれるようになり楽しいです。ソーシャルメディアを使って就職活動をしようとしている企業からも、やり方について相談を受けたり」
とあるように、就職に繋がるような人脈も実際に生まれているようだ。彼女のねらいは成功しているといえる。
しかしhankakueisuuは、クールにインターネットを利用しているかに見える彼女の姿勢は「心の偽り」であると言う。
インターネット上で話題になっていく、成り上がっていく興奮と感動こそが動機だったのだろうと主張する。
( 1 )については、まあそうだろう。彼女もフォトショ修正した顔写真をアイコンにしている時点で、薄々わかってやっているのだろう。
そして岡田有花は「いちいち不細工って書かれるのが凄く嫌だから」という理由で滅多に顔出ししない女性ライターだ。
そんな彼女が成功の理由を女子大生の容姿に持っていくとは考えにくいだろう。
( 2 )については、そういう面もあるかもしれないが、嫌なら見なければよいのである。
この記事を読んでも思ったが、「普通以下の人が傷つくだろう!だからそういう表現はやめろ!」というのは下から目線の干渉であり、大きなお世話だ。
いちいち気を配っていてはあらゆる表現が不可能になる。全ての表現は、どこかの誰かにとっては地雷だ。
( 3 )に至っては、坂口綾優の立場に自分を重ねすぎていて気味が悪いと感じた。
真性引き篭もりにとってはネット上での承認が大きな意味を持つかもしれないが、
並以上の容姿を持つ現役女子大生には現実の中で承認を得る機会など腐るほどあるだろう。
僕らは本気で思ったんだよ。そして思っているんだよ。ザッカーバーグとワンチャンあるかもって本当に思ったんだよ。信じたんだよ。駆けたんだよ。駆け抜けたんだよ。
これらの文言にもあるように、hankakueisuuのインターネットへの思い入れは重すぎであり、若年層の感覚とは乖離があると感じた。
ないない。
言動と「乖離した」思い込みって難しいよ。
・冗談のつもりの軽口を重く受け止められる
・(本人の中では)会話の流れで思いついた別の話を、いきなり始めることで話を聞いてないと思われる
・DQNみたいな恰好で怖がられる
どれも、自分の感覚に照らしたとき、「相手の言動が」おかしいと感じるわけで、言動と「乖離」することは稀。
「あなたはお金にルーズですよね」とか、「あなたはいつも他人を悪く言いますね」とか、思っても普通は言わない。
それこそ「勝手に」酷い人だと思うだけ。
友人にしろ、恋人にしろ、これらを踏み込んで確認できる域まで達したら、そこからはまた次のステージがあるけれど。
そういう付き合いになるまでは、他人に気を使って判りやすく行動するだろ、普通。
言動が誤解を生まないように。
人の心や考えは複雑怪奇で理解不能、形を捉えること自体が無意味のような気もしますし、
どこかの誰かが同じようなことを何度も書いてるかも知れませんが、自分が経験したことを
私と彼女。その間にあった出来事と、それを通して私が気付いたこと。
付き合い自体は、どこにでもあるような普通の付き合い。
ただ、ことあるごとに文句を言われるのが気になってた。
不思議なのが、その文句の内容が私は身に覚えのない、むしろ彼女のほうが当てはまるような内容ばかりで、
メールやチャットのログを読み返しても、記憶をたどっても9割がたそのようなもの。
何度となく「それは君の方じゃない?」とツッコミを入れようとしたが、喧嘩になるので辞めておいた。
で、先日別れ話になったので、最後にと、「いつ、どこで、どのようなふうに私がそうしたのか?」と詳しく問い詰めてみた。
大人げないのは承知の上で。それで返ってきた答えは
そう思ってると思ってた
だった。彼女の思い込みで文句を言われ続けてたと言うことになる。
ここで謎が解けたような気がした。
他人が「こう思ってるに違いない」と思うことは誰しもある。
3ヶ月くらい一緒にいればその人の行動パターンや思考パターンはなんとなくわかってくる。
しかし対象となる人の言動と乖離した思い込みをどうしてしてしまうのか。
「思い込む」という動作は自分が行うことであり、その中の「他人の考え」は自分の思考パターンから発生すると思う。
「私ならこう思う」となるところが「あの人はこう思ってるに違いない」とすり替わるのではないか、と。
そしてその思い込みに対して文句を言う。
これはすなわち、他人を通して見えた自分の思考や行動に対して文句を言っていることになるのではないか。
他人の存在を除けば、そこには自分に対する嫌悪感が見えてくる。
私のケースでは理由があり、上述したように考えると納得しやすくなる。
彼女の父親は、いわば気分屋で、子供の頃から苦労してきたという話を聞いてきた。
ただ、その父親の性格の悪いところの話を聞くと、彼女自身も当てはまるように思えることが多々あった。
「親子は嫌でも似る」ということなのか、嫌いな父親に自然と似てきてしまった自分に対して
おそらく彼女も心か頭のどこかでそれに気付いているんだと思う。
気付いても気付きたくない、その心のもやもやがさらなる不満へつながったのかも知れない。
もしあなたが根拠もなく「あいつはこう思ってるに違いない」と思って誰かを嫌いになってるなら
もし少しでも身に覚えがあるなら、他人ではなく、自分自身の言動を観察してみて欲しい。
どこかにそんなセリフもありましたが、そうはなって欲しくない。
自分自身を嫌っている人が自分を好きなるのは、私では到底想像もつかないほど困難だろうとは思う。
でも私は、誰しもが自分自身を好きでいて欲しいと思う。そのほうが、幸せだろうから。
いろいろ書きましたが、私自身、人様のこと言えるタチじゃないですし、
このエントリーもまた私の"思い込み"でしかないかも知れません。
ま、増田ということで。
正直gdgdになっちゃった。やっぱり好きな作家さんのことは上手にかけないのでタイトル取り下げ。増田の中で埋もれてしまえー。
<書評 まじめの罠>
正しいことを言っている。でも役に立たない。
「誰に向けて書いているのか」を全く意識していない結果としてこういう作品ができるのだ、という見本。
占い本と大して変わらんというか、誰でも心当たりがあることについて、薄く解決策を指摘するだけ。
いかにタバコが健康に悪くて、ソーシャルゲームよりも世の中には役に立つことがいっぱいあるかを語る本でしかない。
テレビの出すぎで絞りがぬるくなったのかも知れませんが、
この程度の内容、勝間さんが書く必要があったんでしょうか?
「年収10倍」シリーズは読者として想定されているのが向上心のある人でした。
ウルトラクイズのように「年収10倍になりたいかー」というと「おー」とかえしてくれるのりの良い人達です。
こういう人相手なら、ミッションを与えたり、改善すべき点を指摘すれば、そのとおり行動するでしょう。
本の内容よりも、そういう人の集まりに着目し、そこに適切なメッセージを送るということができたため
本を売りたい作者にとっても、読者にとってもよい本になったのだと思っています。
思います、というか、これは勝間さん自身がラジオで言ってたことですね。
「本の内容よりマーケティングに5倍力を入れています」という当時の発言は批判も多かったですが、
作者も読者も出版社もみんなハッピーな結果となる点でとてもよい考えだったと思います。
(ただし、これが唯一の応えではないと思うと言うか、こういう考え方もある、程度のものなのに
こうしなきゃダメだ、って煽ってたあたりはちょっといらっとしましたが)
この本では、真面目の罠にはまった人について、例えばこういう表現を使っています。
まじめの罠にはまった人は、既に出来上がった決まりを疑うことをしません。
言い換えれば、問題設定能力がないとも言えるでしょう。
しかし、ここまでわかっていているのに、その後に続くのは
「いかにこれが間違いであるか」と「ではなにが正しいのか」という説明だけです。
これで読んだ人が変われるとは思えない。
誰か罠にひっかけた人がいて、ひっかかった人間は間抜けかもしれないけど被害者ポジションでしょう。
ところがこの本だと、罠にかけたのもかかったのも自分。その責任も自分。
罠にかかっているという状態は責められるべきで、いますぐ自分で何とかしなさいとなってしまう。
これだと罠にハマっている人の追い打ちにはなっても、助けにはならないような気がするんですよ。
タイトルが「まじめの罠にはまらないように~はまったらもう手遅れ~」ならともかく、
すでにはまってる人かすれば落とし穴の上から叩くようなこの内容はちょっとひどいんじゃないかと。
この本は間違ったことは何も書いてません。正しいことだけが書いてると思います。
思うに、この本には「なぜこの人達はそういう状態になったのか」という部分の分析がザルです。
というか、分析になってません。この部分で自分語りを始めてしまいます。
「私も真面目の罠にはまってました。それはこういう理由でした。それを私はこういうふうに抜け出しました。
だからあなたの理由もこうなんです。そしてあなたもこうすれば抜け出せます」
香山リカの「根拠の薄い決め付け」論法よりは多少ましかも知れませんが、
勝間さんのいう「私の理由」は、全然一般的なものとは思えません。
ここで描かれている勝間さんの状態は
ある程度自己分析の道具もフレームワークも持っていて客観的にはある程度問題を認識していたが
なにより、組織の性質も特殊ですし、そのあと彼女は独立した状態で立て直しを図っています。
それで「貴方も私と同じです」と言われても全くこころに響くものがありません。
これも勝間さんがラジオで言っていた「自分の過去を晒すことによって共感を得る」という手法は、
上昇方向ならいいんです。でも、「できない理由」では多分だめなんです。
結果として、この本は最初の特徴説明の部分までは自分の事かな、と思って読み進めるのですが、
「理由」の所で乖離してしまいます。自分のことを理解して語ってくれているように感じられないのです。
ちゃんと「理由」が共感できてるかどうかというのは印象が警察の取調と良い町医者の診断くらい違います。
この手の本で必要なのは、自分のことを吐き出すことだと思います。
自己啓発本の著者のもとには多くの共感のメッセージが届くらしいです。
自分は独りじゃないとか、自分を理解してくれる人がいると感じられることが必要だからだと思います。
自己啓発本の読者って、勝間さんがいかに正しいか、正しかったかを読みたいのではなくて、
自分がどんなに苦しかったかとか、自分はどんなに成長を望んでいるかをりかいしてほしいのだと思うんですよ。
おそらく「年収10倍シリーズ」においては、そういうことがあったのではないかとおもいますが、この本だとちょっとなぁ・・・。
そもそも完璧主義をやめよう、という趣旨で書かれた本で役に立つ本を見たことがない
要するに「失敗を恐れずチャレンジしよう」って言う類の本。
失敗するのが当たり前、失敗は成功の母、失敗することで成長する。どんどん失敗しよう。
・・・うん。わかってるけど。なぜそれでも失敗を嫌うのでしょうね。
もしかして「失敗にも良いことがあるってことがわかってないほどバカだから」とでも思っている?
みんな、頭じゃ理解してるよね。そんでも怖いんだよね。
それをどうやって克服したか。
この1点に絞って、勝間さんの自分語りだけじゃなく、もっといろんな声を集めたりして掘り下げてみて欲しい。
せっかくビジネス番組を持って、いろんな人にインタビューしたりしてるわけだから、いくらでもネタは在るだろうに。
なぜ自分のことしか語らないのか。自分だけで完結できるからか。
今回の本は、作り方からして「つながる力」とかでご自身が書いてたことに反しているような気がします。
勝間さんが、自分語りだけにとどまらずにいろんな人と一緒に語り合う中で、一つのテーマを掘り下げて作った本が読みたい。
批判する人はこんだけたくさん書けるんだから、逆の「こんなにすごい人」をたくさん紹介した本を読みたい。
上から目線で語るあなたのような人も、下から目線で語る人も、どちらも根は同じ。プライドが高いってこと。
現在の自分が、(自分の高いプライドを満足させるような)望んだ自己像に近いものなら上から目線でものを言い、
現在の自分が、(自分の高いプライドを満足させられないような)望んだ自己像と遠いものなら下から目線でものを言う。
あなたも何かが起きて、自分の状況と望んでいる自己像とが乖離すれば、とたんに下から目線でものを言うようになると思うよ。
呼び方はなんでも良いけど、そういうものを心の糧にして生きてる場合、
なおかつ、その状況を変えられないと思ったときは、逃げるか、引きこもるか、死ぬかになる。
そういう脆弱さがある。