はてなキーワード: TIKTOKとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1792159
という噴飯モノのコメントがあった。アホなのか。しかも星がついてる。アホなのか。
ほかのコメントでも指摘されている通り数学を学ぶ手段は十分に広く提供されていて、たいていは性別問わず全人類に開かれている。
そもそもPornhubは女性もアクセス可能で、そんなサイトにアクセスしたくないというのは単なる自己都合にすぎない。
それでもなお気に入らないなら、インスタなりTikTokなり女性ウケのいいメディアで数学を教えればいいじゃないか。誰もそれを禁止などしていない。
たぶんこのブクマカは「男性向けに提供されている」という一点が気に入らない余り論理がバグッてしまっているんだと思う。
「男はポルノサイトでも数学が学べる」=「女性の存在を無視している」=「女性は数学を学んではいけない」と脳内変換されてしまったのだろう。
このブクマカは狂気が飛び抜けているが(ほかのコメントも大半が難癖・イチャモンのたぐいだった)、こうした理屈じたいはそれほど珍しいものではない。
男性向けのサービスと見るや、それを女にも提供しろと騒ぎ出す例は枚挙にいとまがない。
自分は何も損していないのに他人がトクしているのを「ずるい」と感じるのは、本質的に平等・不平等とは関係がない。それは嫉妬や羨望であり、道徳的にはかなり低級と目されている心理である。
少し前、「やよい軒」という定食屋に「ライスがおかわり無料なのは少食の人に不公平である」というクレームが寄せられ、おかわりが有料化されたことがあった。
無料ライスのコストはメニュー全体の価格に転嫁されるのでたしかに不公平と言えなくもないが、だったらお前もおかわりをしてモトを取るかコスパに納得のいく別の店で食えとしか言えない。
実際にユーザーの反応もおおむねそのようなもので、「これでわかったでしょ」という感じでやよい軒はライスのおかわりを無料に戻した。一時的な有料化は以後同じクレームを封じるためのポーズだったのかもしれない。
Pornhubの数学にイチャモンをつけるのはやよい軒のおかわりにイチャモンをつけるのと同じ、不平等と嫉妬の峻別ができていないのだ。
ジェンダーにからむ不平等の訴えが全部これだと言っているわけではない。
正当な訴えもたくさんあり、もちろんそれらは是正されるべきだ。
ただ、上に書いたような不平等と嫉妬の区別ができていない人々の存在は、正当な主張の邪魔にこそなれ、利益は何一つもたらさないと思う。
おれは中学生時代の1993年ごろEYE・COM(週刊アスキーの前身)でスタパ斎藤を知って,世の中にはこんなおもしろいオッサンがいるものだと感動したよ。
でも悲しいことに,もうコンピュータがコンシューマ向けにこなれまくってて、マニア向けの世界って消えかけてるじゃない。
1メガピクセルのデジカメですっげええええとなっていた時代→小中学生が持ってるスマホでフルHD動画が撮れる現在。
9600bpsつまり毎秒1200文字でパソコン通信やってて写真一枚の転送で感動できた時代→小中学生が持ってるスマホで(略
Photoshopでコラ画像を作るべくPentium90Mhzのマシンを→小中学生がTiktokで(略
昔はとんでもないマニアックな知識と,秋葉原という限られたエリアでしか手に入らなかったことやできなかったことが,
でも最高だった。
ロシア人の血が入ってるわけではないというのは未だに信じていないが大好きだ。
サービスが伸び悩んでいるので増田の皆さんに力を借りたいです。良かったらフィードバック、感想、アドバイス、ダメ出しください!
https://durian.tokyo/room/d9e7f084-f177-4047-9d47-491633542af8
(Web版では投稿の閲覧のみ、スマホアプリ版では音声投稿ができます)
ユーザは主に悪ふざけ投稿をします。他のユーザに対してリアクション投稿できます。
声の生々しさ、リアリティ、良い意味での気持ち悪さを感じることができます。
便所の落書きと呼ばれるネットのテキスト文化をそのまま音声に移したような雰囲気があります。
SNSではないです。
他の音声配信サービスではインフルエンサーがファンに向けて発信、
ドリアンではネットのクレイジーな方々が好き勝手に発信しています。
他の音声配信サービスでは役に立つ情報、声による癒しを得られます。
ドリアンではネットの気持ち悪さを鑑賞できる楽しさがあります。
TikTokでサービス告知をしており動画のPV数が伸びる時は流入があります。
その時は
ユーザがアプリを1日1回起動して新規の投稿を30件見ることができる。
最低でもこれくらいの人に使ってもらいたいです。
後述のミーム作成を目的としているのでダウンロード数は少なくても良いです。
数百万ダウンロードとかを目指しているわけではないです。
熱心に使う人が数百〜数千人いてくれたらミームが生まれる可能性があると考えています。
ミーム(=ネットのテンプレネタ)になる素材が生まれるようなサービスにしたいです。ドリアン発のミームが各SNSで使われるイメージです。
例えば以前「うんち大好きな人ーーー??」という声が投稿されました。これがミームになったとすると
・「うんち大好きな人ーーー??」と同じように叫ぶ人が出てくる
・「うんち大好きな人ーーー??」を言う時のポーズやダンスを考える人が現れる
・「うんち大好きな人ーーー??」というテキストがtwitterに投稿されまくる
・「うんち大好きな人ーーー??」とYouTubeのコメントにとりあえず書くノリが生まれる
・「うんち大好きな人ーーー??」と言っている人のイメージイラストが作られる
・「うんち大好きな人ーーー??」を日本語を理解していない外国人が音だけ真似て動画で発信するようになる
こういう世界を作りたいです。
匿名ダイアリーを日頃見ている方はネットの文化に精通しているからです。ドリアンのサービス内容に共感してくれる方がいるかもと思い増田を使いました。
私は中年の男性で配偶者もおらず、孤独の日々を過ごしております。
この頃はリモートでの業務も多く、人との関わりもますます減って参りました。
とはいえ職場に親しい間柄と言える人間ももともとおりませんでしたので、結局はなにも変わりません。
そうは言ってもインターネットの、そしてSNSの賑やかな雰囲気には惹かれるものがあり、暇があればTwitterを眺め、人との簡易的な関りをそれに求めていました。
TikTokは短い動画がたくさん投稿されているSNSで、若者がほとんどですが、中には私と同じくらいの中年も混ざり必死にダンスを踊っていました。
中年のダンスなどだれも見向きはしないだろうと思いましたが、以外にも好意的な評価も多く、女子高生や女子大生と思われる女の子からもコメントをもらっていました。
私は、せっかくだから自分も参加してみようと思い、慣れないダンスを覚え、動画を投稿してみました。
しかしながら、私の動画は再生される事なく、コメントももらえませんでした。
私は失意のうちにアプリを閉じました。
それでも次の日、私は再びTikTokを開きました。
若者たちが、元気にダンスを踊ったり、おどけたりする様子が非常に快く、それらは私を元気づけ、私の孤独の日々に彩りを与えるように私は思ったからです。
そのようにして沢山の若者の投稿を見るうちに、私は何か創造欲求のようなものを抱きました。
その時、ふと私は下半身に強い衝動を覚えました。みると私のちんぽが勃起していたのです!
私はこれだ!と思いました。
早速、ティッシュを持ってくるとTikTokで「バーレスク東京」と調べ、彼女たちの投稿に合わせて、私は私のちんぽをしごきました。
私の創造は閃光のような恍惚とともに一瞬のうちに終わりました。ティッシュにはまるで藤田嗣治のそれのような見事な乳白色の絵の具がぶちまけられていました。
私は、深い息を吐きながら、言い知れぬ達成感を覚えました。
幾日かすると私はその創造行為だけでは、衝動を抑えられなくなりました。
私は私の投稿に対して、女子高生や女子大生からの反応が欲しいと強く思うようになりました。
その強い創造欲求が私に動画投稿を促す事もありましたが、一方で冷静な私は、そのような動画に反応はもらえない、20代の女性から「ファンです。結婚してください。」というコメントは貰えない、という事を強く自覚していました。
私は深く悩みました。
「ドリアン」は、最新鋭の音声投稿のみによって交流が行われるコミュニティアプリです。
私は、「この禿げ上がった頭も、ぶよぶよと全身を覆う脂肪ももはや関係ないんだ!」と思い、天にも昇る気持ちでした。
容姿とは裏腹に、私は声にはとても自信がありました。
恐らくこの声をフル活用すれば、女子高生や女子大生は私のとりこになるに違いありません。
私は早速投稿をはじめました。
「ドリアン」では日常のちょっとしたことの報告や一発ギャグなどを投稿します。
私はユーモアがありますから、私の投稿は途端に人気になりました。まだまだ発展途上で人が多くないのもその理由かもしれません。
いまでは私は「ドリアンこそ、私の居場所だ!」と思っています。
「ドリアン」にはもちろん若い女の子もいますから、タイムラインからは女の子の声も聞こえてきます。
私はそれを聞くたびに強い創造欲求を覚えながら、「私の声」で女の子に語りかけます。
私の勤める会社ではしばしば「イケてる」「イケてない」が重要な問題として議論されます。
私はそういった分野には疎いですから、その実態が掴めず、「イケてる」というのは「バズってて話題になってて人に注目されてて金を集められる」ものであると理解していました。
私の勤める会社がそれを開発したのですが、それをバズらすために日々奮闘しております。
「お尻はあかんて、ヤっちゃってる、はいちゃってる、ヤっちゃってる、イっちゃてる、イっちゃてる!」
私はとても衝撃を受けました。と同時に、その芸人が相方に掘られてイッてる様子を想像し、大いに愉快な気持ちなりました。
これこそ私が求めていた世界観だと思いました。
TikTokやInstagramは最高に「イケてる」SNSとして君臨していますが、私自身はどうしても強い関心をもつ事ができません。
業務上の必要以外はまずそれを開くことはありません。何が面白いのか全く分からないからです。
そういった感性のふるさから、いまいち「イケてるもの」にピンときていませんでした。
「お尻はあかんて、ヤっちゃってる、はいちゃってる、ヤっちゃってる、イっちゃてる、イっちゃてる!」
という投稿によって私ははじめて「イケてる」というものを理解しました。
「イケてる」というのはすなわち肛門にぶっとい物がぶち込まれてイッている状態のことだったのです。
確かに、TikTokerやYoutuberの尋常ならざるテンションは肛門にアナルプラグがぶち込まれていないととても実現できないものだと思います。
「ああ、肛門にアナルプラグがぶち込まれているんだなぁ」と思いながらあらためてTikTokを拝見致しますと大変愉快なものである事が分かりました。
私はこの世の中に「イケてる」ものを提供するため、まずは肛門の開発から頑張ろうと思います。
皆様のご意見をお聞かせくださいませ。
我々の会社ではバズとは?マーケティングとは?パブリックリレーションとは?という事を常に考え、
最新動向にキャッチアップし、そのノウハウおよびナレッジを蓄積しております。
人々を「熱狂」させるためにはどういった仕掛けづくりが必要であるかということに強い関心があり、
日本ひいては世界を興奮させるコンテンツ作りに日々いそしんでおります。
我々はまさにSNSバズマーケティングのスペシャリストなのです。
昨今ではTikTokやInstagramをはじめとする若者に主流のSNSにおいて我々の確固たるプレゼンスが示されておりますが、
我々はさらなる挑戦として、我々自身がプラットフォーマーとなるべく
我々のもつ高水準のクリエイティブナレッジおよびテクノロジーを集結させ、2021年に新感覚コミュニティアプリ「ドリアン」をリリース致しました。
ドリアンのコンセプトは多岐にわたりますが、今回はその中でも最も重要な要素である「一人一人がクリエイターである」ことについて解説していきます。
およそ四半世紀ほど前まで「クリエイター」「アーティスト」という存在はある種の特権階級にあり、アートは一部の人間にのみ扱えるものでした。
しかしながら90年代後半インターネットの普及により、自己表現の場が解放され、ウェブという市井のミュージアムが誕生しました。
一方でその時分は未だ黎明期にあり、参入障壁は以前として高く、「クリエイティブの完全なデモクラシー」が実現されたとまでは言えない状況でした。
ところが2010年代より、スマートフォンの急速な普及によって、その壁はどんどん取り壊されていきました。
「アート」「クリエイティブ」はさらに民衆に開放されていったのです。
この移り変わりを象徴するものとして「インフルエンサー」という言葉があります。
原義は「影響力のある人間」ですが、今では「クリエイター」「アーティスト」とほとんど同じ意味として用いられ、「アート」「クリエイティブ」を委ねられた者として、尊敬を集めています。
インフルエンサーはその勢力をどんどん拡大しており、現在では全人口のおよそ5人に1人が何らかのインフルエンサーとして活躍しています。
年齢やバックグラウンドも多種多様で、一見すると「クリエイティブの完全なデモクラシー」が果たされたかのようにも見えます。
我々は残りの人間の悲痛な叫びに耳を傾けなければなりません。その叫びはインフルエンサーのSNSのコメント欄で聞く事ができます。
2020年、我々は「クリエイティブ」「アート」のスペシャリストとして改革を迫られました。
「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現に向け、そのソリューションの初手として「クリエイティブ」の「再定義」に取り組みます。
――――誰もが生み出せる、あるいは生み出しているクリエイティブとは何か?
「クリエイティブ」を「再定義」するためにはこの大いなる問題に立ち向かわなければなりません。
スフィンクスを倒し、一部の特権階級に与えられている王冠を奪取するのです。
この問題の解を求めるにあたって、私は自分自身の日々の生活を振り返りました。
もしその中で「クリエイティブ」の片鱗を認める事ができれば、それは我々の進むべき道を照らす大いなる光となるはずだと考えたからです。
日々の生活を振り返ったところで日中はパソコンをただひたすらいじるか、会議でしゃべる事を考えるかのいずれの行為しかしておらず、
私は一度ならず、自慰によって産み出される精液を「クリエイティブなのではないか?」「精液こそクリエイティブを『再定義』するものなのではないか?」と考えました。
しかしながら精液を創出する瞬間は類い稀な恍惚と快感を味わうものの、出してしまうと後には倦怠が残るだけで精液それ自体にはいずれの「クリエイティビティ」を認めることもできませんでした。
「何かの間違いではないか?」と思い、より良い創出に向けさらにFanzaに課金しましたが、やはり結果は変わることがありませんでした。
精液は、我々の「再定義」の道を照らす光ではなくいつも白濁とした光を我々に投げかけます。
(一方で、精液はクリエイティブではないとも言い切れないので、精液の放出については持続的に取り組んでいきたいと考えています。)
私は暗い日々を幾日も過ごしました。
マジックミラー号の室内くらい明るく、開放的な気持ちになりたいと願わない日はありませんでした。
そんな時です。
私は、お昼ごはんのあとに、便所で排便する習慣がありますが、その日私は余りにも見事な一本糞をひりだしました。
存在感のある太さで、長さにいたっては折り返さないと便器に収まりきらないほどでした。
まるで大蛇のように威風堂々としており、私は自分自身が産み出した一本糞に圧倒されました。
そして私ははっとしました。とうとう「クリエイティブ」の「再定義」を見つけた事に気が付いたのです!
他でもなく「大便」ことまさに人類の至上の「クリエイティブ」だったのです!
なんぴとも排便を独占することはできません。排便こそ真に開かれた創造です。
私は、自分の日々の生活を振り返ったとき、その大半をデスクワークに費やしている事に気づかされますが、
長時間この体勢を維持する事によってはじめて我々は形の良い大便をひりだせるのです。
喜びに打ちひしがれている私にその大蛇のような一本糞が語りかけました。
「あなた方が知恵の実を食べる事を禁じられているのは、その実はあなた方に智慧(クリエイティビティ)を与えるものだからです。智慧の実を解放しなさい。」
この啓示を受け、我々は「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現を果たす智慧の実「ドリアン」の開発を急ぎます。
そして一本糞の黒々とした光に導かれ、2021年に「ドリアン」というアプリを遂にリリースします。
――――2021年10月現在、リリースからしばらくたち、今ではドリアンには多くの「クリエイター」が切磋琢磨する場として広く認知されています。日本発のアプリとしてはまさに快挙といえるでしょう。
ドリアンではユーザー発のイベントである「一本糞グランプリ」の開催や、「今トイレでうんこしてまーす」といった報告により空前絶後の盛り上がりを見せています。
もし、この文章をお読みの皆様の中で、未だクリエイター、アーティスト、インフルエンサーではない方がいらっしゃいましたら、ぜひドリアンを訪れてみてください。
我々の会社ではバズとは?マーケティングとは?パブリックリレーションとは?という事を常に考え、
最新動向にキャッチアップし、そのノウハウおよびナレッジを蓄積しております。
人々を「熱狂」させるためにはどういった仕掛けづくりが必要であるかということに強い関心があり、
日本ひいては世界を興奮させるコンテンツ作りに日々いそしんでおります。
我々はまさにSNSバズマーケティングのスペシャリストなのです。
昨今ではTikTokやInstagramをはじめとする若者に主流のSNSにおいて我々の確固たるプレゼンスが示されておりますが、
我々はさらなる挑戦として、我々自身がプラットフォーマーとなるべく
我々のもつ高水準のクリエイティブナレッジおよびテクノロジーを集結させ、2021年に新感覚コミュニティアプリ「ドリアン」をリリース致しました。
ドリアンのコンセプトは多岐にわたりますが、今回はその中でも最も重要な要素である「一人一人がクリエイターである」ことについて解説していきます。
およそ四半世紀ほど前まで「クリエイター」「アーティスト」という存在はある種の特権階級にあり、アートは一部の人間にのみ扱えるものでした。
しかしながら90年代後半インターネットの普及により、自己表現の場が解放され、ウェブという市井のミュージアムが誕生しました。
一方でその時分は未だ黎明期にあり、参入障壁は以前として高く、「クリエイティブの完全なデモクラシー」が実現されたとまでは言えない状況でした。
ところが2010年代より、スマートフォンの急速な普及によって、その壁はどんどん取り壊されていきました。
「アート」「クリエイティブ」はさらに民衆に開放されていったのです。
この移り変わりを象徴するものとして「インフルエンサー」という言葉があります。
原義は「影響力のある人間」ですが、今では「クリエイター」「アーティスト」とほとんど同じ意味として用いられ、「アート」「クリエイティブ」を委ねられた者として、尊敬を集めています。
インフルエンサーはその勢力をどんどん拡大しており、現在では全人口のおよそ5人に1人が何らかのインフルエンサーとして活躍しています。
年齢やバックグラウンドも多種多様で、一見すると「クリエイティブの完全なデモクラシー」が果たされたかのようにも見えます。
我々は残りの人間の悲痛な叫びに耳を傾けなければなりません。その叫びはインフルエンサーのSNSのコメント欄で聞く事ができます。
2020年、我々は「クリエイティブ」「アート」のスペシャリストとして改革を迫られました。
「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現に向け、そのソリューションの初手として「クリエイティブ」の「再定義」に取り組みます。
――――誰もが生み出せる、あるいは生み出しているクリエイティブとは何か?
「クリエイティブ」を「再定義」するためにはこの大いなる問題に立ち向かわなければなりません。
スフィンクスを倒し、一部の特権階級に与えられている王冠を奪取するのです。
この問題の解を求めるにあたって、私は自分自身の日々の生活を振り返りました。
もしその中で「クリエイティブ」の片鱗を認める事ができれば、それは我々の進むべき道を照らす大いなる光となるはずだと考えたからです。
日々の生活を振り返ったところで日中はパソコンをただひたすらいじるか、会議でしゃべる事を考えるかのいずれの行為しかしておらず、
私は一度ならず、自慰によって産み出される精液を「クリエイティブなのではないか?」「精液こそクリエイティブを『再定義』するものなのではないか?」と考えました。
しかしながら精液を創出する瞬間は類い稀な恍惚と快感を味わうものの、出してしまうと後には倦怠が残るだけで精液それ自体にはいずれの「クリエイティビティ」を認めることもできませんでした。
「何かの間違いではないか?」と思い、より良い創出に向けさらにFanzaに課金しましたが、やはり結果は変わることがありませんでした。
精液は、我々の「再定義」の道を照らす光ではなくいつも白濁とした光を我々に投げかけます。
(一方で、精液はクリエイティブではないとも言い切れないので、精液の放出については持続的に取り組んでいきたいと考えています。)
私は暗い日々を幾日も過ごしました。
マジックミラー号の室内くらい明るく、開放的な気持ちになりたいと願わない日はありませんでした。
そんな時です。
私は、お昼ごはんのあとに、便所で排便する習慣がありますが、その日私は余りにも見事な一本糞をひりだしました。
存在感のある太さで、長さにいたっては折り返さないと便器に収まりきらないほどでした。
まるで大蛇のように威風堂々としており、私は自分自身が産み出した一本糞に圧倒されました。
そして私ははっとしました。とうとう「クリエイティブ」の「再定義」を見つけた事に気が付いたのです!
他でもなく「大便」ことまさに人類の至上の「クリエイティブ」だったのです!
なんぴとも排便を独占することはできません。排便こそ真に開かれた創造です。
私は、自分の日々の生活を振り返ったとき、その大半をデスクワークに費やしている事に気づかされますが、
長時間この体勢を維持する事によってはじめて我々は形の良い大便をひりだせるのです。
喜びに打ちひしがれている私にその大蛇のような一本糞が語りかけました。
「あなた方が知恵の実を食べる事を禁じられているのは、その実はあなた方に智慧(クリエイティビティ)を与えるものだからです。智慧の実を解放しなさい。」
この啓示を受け、我々は「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現を果たす智慧の実「ドリアン」の開発を急ぎます。
そして一本糞の黒々とした光に導かれ、2021年に「ドリアン」というアプリを遂にリリースします。
――――2021年10月現在、リリースからしばらくたち、今ではドリアンには多くの「クリエイター」が切磋琢磨する場として広く認知されています。日本発のアプリとしてはまさに快挙といえるでしょう。
ドリアンではユーザー発のイベントである「一本糞グランプリ」の開催や、「今トイレでうんこしてまーす」といった報告により空前絶後の盛り上がりを見せています。
もし、この文章をお読みの皆様の中で、未だクリエイター、アーティスト、インフルエンサーではない方がいらっしゃいましたら、ぜひドリアンを訪れてみてください。
最近、いわゆる「見た目イジリ」みたいなものを始めとした相手の容姿に言及するコミニュケーションが徐々に淘汰されていってて、それ自体はとてもいいことだと思うんだけど
一方で、芸能人から街行く人まで、求められる容姿や身だしなみのレベルはどんどん上がってるような感じもするんだよね。
アイドルとかも今とんでもなく綺麗な子ばっかで、10年前のAKBとか(あくまで一例です)が流行ってた頃や、さらにそれ以前と全然違う。
芸能人じゃなくても男女問わず30代以下(書いてから思ったけど女性だともっと上か…?)くらいの世代から高校生まで皆すご〜く身だしなみキレイにしてる。
もちろんあの頃みたいな「ブスイジリ」「ダサいイジリ」は行われないし
という体でみんな色んなことを話すんだけど
「とはいえ綺麗な方がいいな」「ちゃんとしてなきゃ相手にされないな」的な内心はみんな昔より強くなってて、その抑圧がめちゃくちゃ強く存在してるというか。
インスタやtiktokで「あくまで自分のためにやってる」という形で日々突きつけられてるというか。
※追記
雑にダーって書いちゃったんだけど、アイドルの話とかは少しズレてたかもしれんし、容姿/身だしなみの区別もぼやんとしてたわ(とはいえなかなか区別できない部分もある気はするが)
とりあえずコメントにある
「Kawaiiは差別用語」に原宿系クリエーターが世界へ反論「誰でも使っていい」
https://yorozoonews.jp/article/14457624
読んでみると、
「黒人女性が日本のアニメキャラクターのコスプレをした自身の姿を「Kawaii」の文字を添えて動画サイト・TikTokへ投稿したことが論争のきっかけとなった。女性の元には「日本の文化を外国人が使うなんて許せない」「黒人がKawaiiを使ってわが物顔をするな」などと攻撃的なコメントが寄せられたと紅林は説明。」
って、「Kawaii」という言葉がどうこう以前に、発端となった出来事が明らかに人種差別。何故「黒人女性が投稿した動画に差別コメントが連投され、利用停止に追い込まれた」という旨の見出しにしないのか
で、この見出しだけ読んで記事の中身を読まない人が多いのか、Twitterの方では何故か「ポリコレ」叩きが沸いているという意味不明さ
久しぶりに京都の街を歩いた。
ちなみにこんな音が出る。
千と千尋の神隠し「あの夏へ」 https://www.youtube.com/watch?v=OyOUaDy9_LU
その前にこのTikTok動画を見てた。カリンバではないが、これもいい。
https://www.tiktok.com/@enbiggen/video/7013546281284996357
お店に中に入る。
店員さんに聞くと、探しにくいところにひとつだけ在庫があった。
ただ箱に入ってるので、試し弾きができない。
諦めて店を出た。
家に帰ったが、やはり欲しくなった。
GECKOというメーカーのカリンバを3300円くらいで購入した。
今から楽しみだ。