はてなキーワード: 馬刺しとは
この事件以来、ユッケやレバーの生肉が禁止されるようになったと記憶している。
病院関係者(医者だったと思う)から聞いたところでは、鶏肉でも危ないんだそうだ。
それでも、鳥刺しを提供しているところは何軒も有り、それを食している客は結構いるようだ。
俺は食べたくなくても、取引先=顧客から「この店の鳥の刺身は大丈夫」と言われ、
無理矢理食わされたことは、何度かある。毎回、一口で遠慮させてもらっているが。
馬刺しなら大丈夫と、これも医療関係者から聞いたことが有るが、しかしその人は食さないとのこと。
あの事件以来、一、二度は食したものの、最近では馬刺しすら遠ざかっているのが現実だ。
昔はたまに食べてた牛のレバ刺し、食べてみたいと思う事はたまにあるが、
命と引き換えにでも食べたいのかと言われれば、そこまでではない。
ユッケは食したことは無いし、もちろんフグの肝も食したことは無い。
命を懸けてまで食べるものなどないと思っているが、
〆鯖はどうなのだろうか。
自分で調理した〆鯖でアニサキスにやられ、イレウスで腸閉塞となったことが有った。
大学病院の先生に言われたが、「恥ずかしながら、医師、医療関係者でも、発症する人はいる」とのこと。
人間は馬を食べる。ここがどうにも引っかかる。
馬刺しを食べたことがある人は多いと思う。苦手な人もいるとは思うが、自分は好きだ。にんにく醤油につけて食べる。美味いという他ない。そこにビールなんかを呷ればもう言うことはない。
調教師は競走馬を愛を持って育て、レースでは人馬一体となり共に勝利を目指す。そこに生まれるドラマを楽しむ。純粋にギャンブルの対象としている人が多いのかはわからないが。
そして、ウマ娘は実際の競馬の史実や、馬の性格や特徴をモチーフとして作られている。ノンフィクションとフィクションの間の創作物である。
ウマ娘が、現実の競走馬をモチーフにしている以上、どうやったって現実の馬に興味をもってしまうのは当然の流れだとは思う。
愛嬌のある馬、破天荒な馬など様々な個性がある。可愛いというのも頷ける。
話は変わるが、ウマ娘を始めた友人が競馬に興味を持ったらしく、やれ大阪杯だやれ桜花賞がどうだのといったことを言ってくる。好きなものが増えて重畳だとは思うし、現実の競馬は迫力があって見るだけで楽しいということはわかる。推しの馬がいることも良い、応援したいよな、わかる。
うん、わかるんだ。
でも、人間って馬を食べるんだよなぁ。
ウマ娘は馬の擬人化だ。人を食べたいと思うことは一般的ではあるまい。ミノタウロスのような半人半獣の存在でも食用とすれば忌避感が強い。
この引っかかりに気づいてからは、現実の馬には目を背けてしまっている。ウマ娘はウマ娘として楽しもうと思った。ウマ娘というゲームの中では、愛で、育てながら師弟や親友、家族関係になっていくのであろう。
野生のウマは既に絶滅している。
つまりサラブレッドに限らず全てのウマは、ブタやイヌと同じ「人間の都合のために品種改良された家畜動物」である。
ウマは「移動手段」もしくは「兵器」として使われるために品種改良されてきた。
そして今となっては移動手段および兵器として使われることはほとんどない。
現代においてウマの利用目的は「競走用」か「食用」が大半である。
食用馬は別に輸入されており、馬刺しなどの全てが競走馬由来というわけではない。
「肉が硬いから人間の食用にはならない」と言われることもあるが、実際には人間向けの馬肉としても提供されている。
怪我をした競走馬が殺処分されるのは「稼げなくなったから」ではなく「歩けなくなった馬は脚が壊死して死ぬ」からである。
「競走馬の99%が殺される」ということがしばしば話題になるが、これはかなり印象操作されている。
「99%が殺される」という話は、そうして繁殖に上がったり乗馬になったりした馬も、最終的には病気や怪我などで「安楽死」処分にされるということだと思われる。
それにしても心臓発作などによる突然死も多いはずで「99%」は盛りすぎている。
「繁殖に上がれず乗馬にもなれずに殺される馬」のはっきりとした数字はないが、おそらく年間3000頭程度だと推察される。
https://anond.hatelabo.jp/20210318185716
最初に言っておくと、“擁護”という言葉、muchonovさんこそが批判されているというフェイズにおいてその様に用いられる“擁護”という言葉は、ただの批判回避でしかありません。『「xx批判」に対する批判』を「xx擁護」という事にしておくと、あくまで批判されてるのはxxだけという事に出来て、「xx批判」こそが批判されてる事実を誤魔化せる、そういう小手先のテクニックです。これはその意図の有無に関わらず、です。
自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由に優越する要素が確実にあると思う。だから、著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達がガチで怒ったらどうなるかわからないから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的な判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
いやいや、意味わかんないですよ、これ。
だって「発端」のブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/4699940658477561058/comment/muchonov)は
「好意の多寡」云々と強弁してるけど、勇壮な表現の自由戦士たちが権利者の意向には簡単にゴロニャンするという構図は変わらない。自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ
ですよね。
それに対してこちらが、それは“事実上の『私は「表現の自由」について全く理解していません』宣言”だよねと指摘して、そこにmuchonovさんから返ってきたブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/4699974732078626146/comment/muchonov)が
そうかなあ? 自分は著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える一方で、元増田は「グロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもあり」だと言ってるんですけど。
この時点で、もうだいぶ「????」なんですが、これについてこちらが『“著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える”様なmuchonovさんが“コンテンツホルダーの意向には簡単にゴロニャン”とか言っちゃうの、さすがに意味不明すぎでは。』と指摘して、それに対する応答が上の増田なわけですよね?(こちらへの応答だけのつもりではないにせよ)
日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
とか仰ってますけど、笑ったの、他ならぬmuchonovさん自身ですよね。その“笑われても構わない”って、それ「笑う側のmuchonovさん」からしたらつまりは「“表現の自由戦士”たちは、おとなしく我々に笑われてろ」の意味なわけですよね?うん、やばいですね☆
って、muchonovさんの中では、「著作権」と「表現の自由」が、かめはめ波の撃ち合いか何かみたいになっていて、「著作権」の方が勝ってる…という様なイメージなのでしょうか?
もう何度も述べてきている事ですが
「表現の自由」で最も重要なのは『価値観の自由競争(市場)』。『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つ(もちろん重要だが)。『表現の自由度』はその結果。
です。
これは、『絶対に「正しい」とされる、そんな「思想」は存在しない。だからこそ、「思想」の媒体たる「表現」は常に「自由競争」の下にあらねばならない。』事こそが、「表現の自由」の根幹である、という話です。
また、「市場」の中で自身の「効用」を最大化する事は、個々の主体が持つ権利であるべきだから、という考えに基づくものでもあります。
ですから、もしこれを否定しようとするならば、『全人類が、それぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明しなければなりません。完全に狂気であり、全知全能の神の召喚でも試みた方が早いレベルだと思います。
つまるところ、その根幹が「自由市場」である以上、各々の「私的所有(財産)」を認める事は「表現の自由」に織り込み済みだと考えるべきです。「表現の自由」vs「著作権」、どちらの方が“優越する”か(アクセルとブレーキ、どちらの方が強いか)みたいな話とは違います。
ですから、“日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして”も、「私的所有」を認める事に“ギャップ”はありませんし、もちろん笑われる理由も存在しません。
これはmuchonovさんに限った話ではないと思いますが、恐らく『「権利がある」というのは、「その“権利”を行使した時に不評を買わない権利がある」の意味ではない』という事を理解されていないか、もしくは失念されています。
他の言い方をすれば、『「ルール」に従うか/逆らうか』と『「ルール」を肯定するか/否定するか』は、それぞれ別の事柄だという話でもあります。
(一応言っておくと、個人的には例の“お願い”について、曖昧であり「忖度学級会」を誘発するものだとして、2018年6月時点で批判的にコメントしています。)
また、「私的所有」を認めるという事は、その是非(その「大きさ」の妥当性や、そもそもの有無等)を問わないという意味ではありません。それは「表現の自由」とは別個の問題として論じる事ですし、今回の流れで言えば、もう少し著作権に関する是非は、議論の俎上に載ってもよいだろうと考えます(個人的には著作権はもっと「小さく」していくべきだと考えていますし、むしろ逆に「大きく」なる傾向のある現状については危惧しています)。
実際、話題になった「馬名のパブリシティ権」の話は、その辺りが問われた件だとも言えるかもしれません。もちろん逆に、「せやかて、やっぱ馬名については馬主が優先的ステークホルダーであるべきやろ」と主張するのも、それはそれで一つの考えでしょう。
どうであるかと、どうあるべきかは、やはりそれも別の事柄なのですから。
muchonovさんは二者の関係を「権利者と利用者の力関係」と述べており、もちろん嘘ではないのですが、それ以前にまず「供給主体と需要主体」の関係である事を忘れてはなりません。
コンテンツの二次利用は権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体が供給されなくなっちゃう危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。
供給側としては、コンテンツに対する需要がなくなってしまう事こそが最も恐れる事態の一つであり、つまり(馬主のご機嫌よりもよほど)需要側のご機嫌こそを気にしなければならないわけです。趣味で製作しているアートか何かではないのですから。
恐らくは、だからこそ曖昧な“お願い”なのであり、また2018年6月20日なのでしょう(せめてアニメ放映中には冷や水を浴びせたくない、夏コミが控えてる、ゲームはしばらくリリースできそうにない…というタイミング)。
そしてもし、muchonovさんが記した様な「逆転現象」が起こるのだとしたら、それこそが「惚れた弱み」であり、正に元増田が述べていた状態そのものなのです。
「お客様は神様」と「殿様商売」との間で揺れ動く、その実に「自由市場」的な動きの中で「表現」の在り方も変動するというのは、むしろとても「表現の自由」的である、とすら言えるでしょう(元増田に、そこまでの考えがあったとは思わないし、個人的にはやはり「忖度学級会」には否定的だが)。
にもかかわらず、それを“バカみたいじゃん。”と切って捨てるmuchonovさんの発言のほうが、よっぽど“バカみたい”なのではないでしょうか。
HanPanna 価値観の自由競争というのはrag_enさんの造語なので、法学だと思わないように(もし学説があれば教えて下さい)"思想の自由市場"について知りたいならコチラのブログのが良いです。https://arecolle.hatenablog.com/entry/2021/03/06/124923
“法学”ってどこから出てきたん?というか、『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つでしかないよ(大切だけどね)って話、してありますよね?ちゃんと読んでます?
なんか理解されてないようですけど、その箇所への反論は「ちゃんとできるようにしてある」んですよ。つまり『全人類が、それぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明してみせればいいだけなんです。はい、頑張ってください。
まぁ、HanPannaさんが同じ話題でやらかすの、これで3回目ですし、間違った事でも言い続ければ押し通せるみたいなの、完全にオカルトなんで勘弁してください(HanPannaさんに許可を頂ければ、過去のやりとりも晒しますよ)。
あとリンク先、よりにもよってU.G.R.R.の人かよ…ギャグで言ってるのか?ってのが正直な感想ですけど、ぶっちゃけ謎の(マジで謎の)出禁を食らってるので(とはいえ、さすがに閲覧不可は無視するが)言及は避けておきます。やさしみ。
Silica ところでこの"価値観の自由競争"の中では寛容のパラドックスはどうなるんだろう、この人の言う"SJ"的な価値観がその競争に勝利したらどうなるの?
ガチャピンの人が雑なこと言ってて驚く
自分で描いてて楽しい世界に著作権者の止めてという意思がノイズとして混じった時点で楽しくなくなるという話を「逆らえない」「屈服」と勝手に否定的に解釈して相手を自己欺瞞とする意味はなに?
masa_bob さんだから丁寧に書きますね。まず「自分で描いてて楽しい世界に著作権者の止めてという意思がノイズとして混じった時点で楽しくなくなる」というご指摘は、自分にも充分理解できる抑制の動機だし、実際そう思っている人達もいるんだろうけど、それは元増田の主張とは違いますね。増田が主張しているのは、「ウマ娘公式は好感度と信頼度が高いから、オタクもふわっとした公式のお願いに従っている」「彼らは人気者ゆえに特権的な「お願い」権がある」「人気者ゆえ多少スジの通ってない横着なお願いも聞いてもらえる」というロジックです。その「お願い」を聞くかどうかはあくまでオタク側の裁量や判断だけど、〈ウマ娘公式は〉面白いし評判を落とす事件もないから好感度が高くて、公式の「多少スジの通ってない、聞かなくてもいいお願い」をオタクも聞いてやっているんだ、お前らと違ってな!という画角。
フェミや表現規制派の「お願い」は聞かないが、ウマ娘公式の「お願い」は聞いてやる。それは〈ウマ娘公式が〉ファンに好意を持たれているからにすぎない。そして「この状況下、別にウマ娘を同人誌でエロく描こうがグロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもありでしょ?」とまで言う。つまり元増田の中では、本件は一貫して、権利者と利用者の利害衝突の問題〈ではない〉かのように処理されている。でもzyzyさんへの反論では突然「土地を人に駐車場として貸す」「契約書」という例え話が混入してくる。つまり元増田本人も、心中ではこれが権利者と利用者の関係調整の問題であることを理解してるんですよね。そしてこれは、多くの擁護派にとっては自明のことだと思います。たとえばaa_R_waiwaiさんが張ったURL http://doujinsokuhou45.com/archives/8925157.html でも、増田の冒頭の問いに対しては、擁護派の多くが「原作者は絶対」「表現の自由と著作権による制限は違う」「そこで戦ったりしたら表現の自由が潰されるかもしれんから」「二次創作の可否は著作権法上の問題だからウマ娘だからは関係ない」という認識を示してます。いちいちごもっとも、そりゃそうだよねという話です。でも元増田は、この権利関係が根底にあることを理解しつつ、あくまで「そうではないことにしたい」んですよ。自分はそれを指して「自己欺瞞」と申し上げてます。
自分の立場を表明しとくと、権利を保有するコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃないです。「権利を持ってる人がガチで怒ったらどうなるかわからないから謙抑的にやりましょう」というのはごく常識的判断だし、私も業務上似た状況が発生したら躊躇なくゴロニャンして屈服します。でも、それはコンテンツホルダーの権利との関係でそうするのだと認める程度のプライドはあります。「あんたらのお願いに従うかどうかは俺の腹ひとつだが、あんたら頑張ってて気に入ってるからお願いを聞いてやるよ」なんてことは言いません。以上です。
masa_bob「ガチャピンの人が雑なこと言ってて驚く」 muchonov「masa_bob さんだから丁寧に書きますね」
イチャイチャしてる。
https://anond.hatelabo.jp/20210318185716
もし元増田が「コンテンツの二次利用は権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体が供給されなくなっちゃう危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。そうした権利関係のない第三者からああしろこうしろと『お願い』されるのとは状況が全く異なる。それを『態度が異なる』と笑うならどうぞご自由に」と(他の擁護派の方々と同じような)模範解答を言ってれば、多少の揶揄やあてこすりをされる余地はあっても、主張の筋道自体には文句のつけようがなかったと思う。でも実際は、元増田は「二次利用はなんでもありだが、ウマ娘公式はオタクに好意を持たれているから、オタクのほうも彼らの『お願い』を聞いてやってる。でもフェミニストや表現規制派はオタクに好意を持っていないし持たれてもいないから、オタクにも彼らの『お願い』を聞く義理はない」という、何重にも地雷を孕んだ主張をゴリ押ししている。これにウマ娘ファンのみなさんは「そうだそうだ」と乗っちゃっていいのか?という話。
一部の表現の自由戦士を除いて
「好感度や信頼度の話もないとは言わないけど、著作権者だからでしょ」
ってツッコミ入れてるじゃん。
自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由に優越する要素が確実にあると思う。だから、著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達がガチで怒ったらどうなるかわからないから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的な判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
かなり多くの人はガチャピンくんと同じこと言ってたよね?
元増田に賛成してる人でも著作権の話完全に無視してる人少ないよね?
フェミを揶揄するコメントでも「何の権利も持ってないフェミが著作権者と同じでないと満足できないってのはおかしいよね」ってニュアンスだよね?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210317235416
違うっていうなら、それぞれの立場のコメントの数を数えて否定してみなよ。著作権の話完全に無視して信頼や好意の多寡だけの話をしてる人どれだけいる?
なんで一部のバカの方を取り上げてそっちがメインみたいに言ってんの?
ちゃんと「多数派の人はわかってるようだが」って注釈入れなよ。
著作権者のことを
「自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手」と表現してみたり
自覚してやってるならいいけど言われてはじめて気づきました、ならかなり病んでるよガチャピンくん。
あとね。
元増田の文章ってさ、フェミのいちゃもんに対しての反論なわけだよね。
「フェミの話を聞く必要がない理由」としてフェミは好意も持たれてないし信頼も持たれてないっていう指摘自体は一定のクリティカル要素ではあるよね。
それがメインの理由だという元増田は間違ってるが、この点はフェミとしては無視してよい話ではなくね?
「わかりました。オタクが著作権者のいうことなら聞くと言ってるんだし、今後はオタク無視して著作権者に直接働きかけて権利行使させます」
都合の悪い2点「大勢の人はガチャピンが指摘するまでもなく突っ込んでる」「フェミの信頼性のなさについて指摘している」
を豪快に無視して、
都合の良い点「著作権を無視して語ってる」という点だけを大げさに取り上げて。
ガチャピンくんはミステリにおける信用できない語り手でも目指してんの?
と、ネガティブな印象を持ったが
それはコンテンツホルダーの権利との関係でそうするのが当然だと思うからで、間違っても「あいつらのお願いに従うかどうかはこちらの腹ひとつだが(何だったらエロく描いたりグロく描いたり○したり馬刺しにして食うこともできるんだが)、あいつらには好感を持っているし、我々の評価を落とすような事件も起こしてないから、今はその〈お願い〉を聞いてやってるんだ。テメーらはそうじゃないだろ!」なんてことを第三者に向かって言わない。
これについては「ガチャピンくんだけでなく大勢の人からツッコまれているように」同意してるからね。
ガチャピンくんさあ…色々省略して語るのは構わないんだけど、省略するなら省略したって書こうぜ。
元ガチャピンの人は勇み足で微妙な発言をしたけどちゃんとそれについて自分で尻をふこうとしている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4699940658477561058/comment/muchonov
「好意の多寡」云々と強弁してるけど、勇壮な表現の自由戦士たちが権利者の意向には簡単にゴロニャンするという構図は変わらない。自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ
この発言自体はひどいと思うけれどそれに対する批判に対してきちんと受け答えしている。
・確かにそうですね。読み返してみると、自分の論点にはあまり関係ないところで棘がある表現を使ってるなと思った。
・そうかなあ? 自分は著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える一方で、元増田は「グロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもあり」だと言ってるんですけど。「グロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもあり」と言ってるのは元増田で、自分は「またまたぁ、実際はそうじゃないでしょ」て立場です
・子増田に言いたいことを書いたよ。 https://anond.hatelabo.jp/20210318185716 fukkenさんとかpeta0227さんと、言ってること自体はそんなに違わないと思うけど。
・ありがとう。自分は自分のことをSJW的な表現規制派とはやや立ち位置が違うと思ってます。宇崎ちゃん騒動の時も「撤去しろ」という立場は取らなかったように思う(違ったらごめん)
・元ガチャピンです。元ブコメ最後の「〜だけ」は表現が強すぎると少し反省してます。一方で、一次創作者の権利関係への配慮は二次創作の創作・鑑賞者の態度を根本で規定してると思うし、元増田がそこに全く言及せずにあたかも両者が対等の立場で(元増田的にほぼ「好意」のみで、現増田さん的には「恋人関係」のように)取り結ばれた結果そうした関係が築けているという見立ては、多くのファン当事者の認識とも違うように思いました
・②は増田の言うように著作権者を「オモチャを与えたり引き上げたりできる権利者」としても大差ないと思う…③オタ全体を嫌悪・蔑視してるように取られるのは本意でないので、今後はより書き方を工夫します①は(続①は「やめろ」と言われて「そうだな」と思ったのでやめた。/ゲイや黒人に偏見や嫌悪感を抱く自由はあるが表現する自由は一定の社会的制約を受けるという話をした。対国籍ではヘイトスピーチ解消法で実現済みのこと
「書き方がまずかったが自分の主張は間違ってない」ということで反省はしていないようであるが、少なくともツッコミに対してちゃんと返している。
ブコメやレスで元増田を擁護してる人達の多くが、派閥的な「敵/味方」の判定をして味方側だとみなしたからか、元増田が言ってることの過激さに気づいてないように見える。元増田の主張は、おそらくウマ娘ファンの多くの認識とも、同人活動・二次創作を擁護する人々の一般的見解とも違ってると思う。もう一度元のエントリをよく読んで、みなさん本当にこの増田の言い分に乗っていいのか、改めて考えてみたほうがいいんじゃないかしらん。
元増田の主張の核となるのは:
①ウマ娘公式は好感度と信頼度が高いから、オタクもふわっとした公式のお願いに従っている
②彼らは人気者ゆえに特権的な「お願い」権がある
③人気者ゆえ多少スジの通ってない横着なお願いも聞いてもらえる
という理屈。
その「お願い」を聞くかどうかはあくまでオタク側の裁量や判断だけど、〈ウマ娘公式は〉面白いし、評判を落とす事件もなくて好感度が高いから、公式の「多少スジの通ってない、聞かなくてもいいお願い」をオタクも聞いてやっているんだ、ということ。フェミや表現規制派の「お願い」は聞かないが、ウマ娘公式の「お願い」は聞いてやる。それは〈ウマ娘公式が〉ファンに好意を持たれているからにすぎない。もしその好意が失われれば、ファンがウマ娘公式の「お願い」に付き合う義理はない、ということ。
つまり元増田は「オタクがウマ娘公式のお願いなら聞ける」理由は、権利者と利用者の権利関係を考慮しているからではなくて、権利者と対等(または優越的)な立場にある二次利用者や鑑賞者側が、あくまで「権利者への好意」にもとづいて、本当はどれだけやっても構わないことをあえて手控えているかのように語ってるわけ。具体的には:
「お願いはお願いでしかない」
「この状況下、別にウマ娘を同人誌でエロく描こうがグロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもありでしょ?」
とまで言ってる。勇ましい。でもこの主張って、ウマ娘やその他の同人コンテンツのファンにとって本当に味方といえるんすかねえ。だって公式が何かポカやってファンからの「好意」が失われたら、ファンのほうも公式の「お願い」なんか無視してあらゆる毀損表現を尽くしたっていいって言ってるんだよ。一次権利者にお願いされようが何されようが二次利用は原則的に「なんでもあり」で、いまウマ娘がそうなってないのは〈たまたま〉ウマ娘公式が面白くて人気があってファンに好感を持たれてるから、ファンに対して特権的な「お願い」権を持ってるんだ、人気あるゆえの特別扱いなんだ、と言っている。ヤベーじゃん。
一方で、ブコメへの追記反論の部分を見てみると、突然「土地を人に駐車場として貸す」「契約書」という例え話が出てきたりもする。つまり元増田も、心の中ではこれが権利者と利用者の関係、何かについて権利を持つ側と利用する側の関係であることは薄々理解してるんだけど、このエントリで「フェミや表現規制派は俺たちに好意的じゃないから、俺たちもお前らの『お願い』は聞いてやらん」というストーリーに沿って話を進めるために、その核心には徹底して触れないようにしてたということ。最後にポロリしちゃったけど。
でも、この「権利を持つ側と利用する側との力関係」こそが「オタクがウマ娘公式のお願いを聞ける理由」だってことは、多くのウマ娘擁護派にとっても自明の話でしょ?
たとえば id:aa_R_waiwai さんがブコメで張ったURL http://doujinsokuhou45.com/archives/8925157.html では、元増田のエントリに対して、擁護派の多くが
「二次創作の可否は著作権法上の問題だからウマ娘だからは関係ない」
と書いてるし、元増田へのブコメでも、増田を擁護する立場から(実は擁護になってないんだけど)、
「いうこと聞かないと飯の種が奪われるか奪われないかの違い」
「権利者からの要請なんだから従うか訴えられるリスクを背負うかの2択で普通は前者を選ぶってだけの話」
「そらそうやろその気になればコンテンツ自体取り下げれる立場なんやし…」
といった内容が多数ある。御説ごもっともで、自分もこのことが「お願いを聞く理由」の根本にあると思う。でも元増田は、ウマ娘コミュニティの公式への反応の根底にはこの著作者と利用者の権利関係があることを認識しつつ、あくまで「そうではないことにしたい」のね。著作物の二次利用という行為につきものの権利関係の力学をわかっていながら、あたかもそれが存在しないかように、純粋に公式とオタクの好意的な関係性にもとづいて、オタクの側が「お願い」を聞いてあげているかのように書いてる。これって、明らかに増田の自己欺瞞でしょ。
(または、もしかしてもしかすると、元増田は二次創作という営為に伴って同人界がず〜っと抱えてきた権利関係をめぐる緊張感や危機意識について全く理解せず、「表現の自由は全てに優越する」と考えてる、マジモンの「表現の自由戦士」だという可能性もあるけど、それはそれで皆さんお困りでしょう。)
もし元増田が「コンテンツの二次利用は権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体が供給されなくなっちゃう危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。そうした権利関係のない第三者からああしろこうしろと『お願い』されるのとは状況が全く異なる。それを『態度が異なる』と笑うならどうぞご自由に」と(他の擁護派の方々と同じような)模範解答を言ってれば、多少の揶揄やあてこすりをされる余地はあっても、主張の筋道自体には文句のつけようがなかったと思う。でも実際は、元増田は「二次利用はなんでもありだが、ウマ娘公式はオタクに好意を持たれているから、オタクのほうも彼らの『お願い』を聞いてやってる。でもフェミニストや表現規制派はオタクに好意を持っていないし持たれてもいないから、オタクにも彼らの『お願い』を聞く義理はない」という、何重にも地雷を孕んだ主張をゴリ押ししている。これにウマ娘ファンのみなさんは「そうだそうだ」と乗っちゃっていいのか?という話。
自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由に優越する要素が確実にあると思う。だから、著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達がガチで怒ったらどうなるかわからないから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的な判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
それはコンテンツホルダーの権利との関係でそうするのが当然だと思うからで、間違っても「あいつらのお願いに従うかどうかはこちらの腹ひとつだが(何だったらエロく描いたりグロく描いたり○したり馬刺しにして食うこともできるんだが)、あいつらには好感を持っているし、我々の評価を落とすような事件も起こしてないから、今はその〈お願い〉を聞いてやってるんだ。テメーらはそうじゃないだろ!」なんてことを第三者に向かって言わない。