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東京五輪、編み物王子や女子選手カップルら “チームLGBTQ”は32個もメダル獲得
https://news.yahoo.co.jp/articles/badbfa58628e0f044dd637f839c22efb40976ca7
「チームLGBTQ」32個のメダルを獲得
LGBTQのスポーツファンサイト『アウトスポーツ Outsports』は、LGBTQのアスリートが一つの国として参加したと仮定し、「チームLGBTQのメダル獲得は金11、銀12、銅9の計32個のメダル獲得で、全体の11位(フランスの次・カナダの前)」と紹介。
東京五輪はLGBTQの真の実力を世界に見せつける良い機会になった。
さすがに現地開催の日本には勝てなかったけど、そこらの国よりよっぽど多くのメダルをとった。
これからは本当に各国代表とは別枠で、難民チームのようにLGBTQチームを設けるのが良いよ。
「ホームレスの人たちは生きていなくていい」「猫は可愛いから救いたい」。
彼が発言したこの二つのことを結び付けるものを考えてみると、これはルッキズム問題なのではないか。
誰でも知っているが、ホームレスのおっさんは見た目がみすぼらしい。
そして猫はその姿形がとても可愛らしい。
彼には悪いけど、DaiGoにはホームレスや生活保護受給者の人権を考えるような教養は無い。
「何が可愛くて、何が可愛くないか」
彼の判断基準はただこれだけだと思う。
彼の発言に対して、生活保護受給者の支援団体などが抗議声明を出している。
その内容を少し読んでみたが人権だのなんだのありきたりなことしか書いておらず、彼が伝えたいことの何の本質にも達していないのは笑った。
彼に対して抗議するなら「ホームレスや生活保護受給者の見た目を悪く言うのは止めろ」。
これだけに尽きる。
彼に対して、シリアから欧州に難民としてやってきた美男美女のシリア国民の画像を見せたら、すぐに彼は「難民を保護するべき!」と言い出すよ。
https://anond.hatelabo.jp/20210810093052
アニメを消費している人間がただの消費者なのかれっきとしたオタクなのかなんてのは重要な問題じゃないんだよ。語句の定義は時代によって移り変わりそれはオタクという語においてもそうだから、そこに細かくこだわっても仕方がない。
問題は、オタクと言う語で自己定義をした消費者が、自分が何らかのグループに入ったとか、コミュに参加したとか、仲間ができたとか、能力が身についたとか、自己存在の価値が上がったとか下がったとか、そういう認識を持つことことなんだよ。
ブコメではオタクという語の定義を問題にしてるものが多いけれど、定義は問題じゃないんだよ。
だってそうでしょ。それをオタクと呼ぼうが消費者と呼ぼうが、アニメ見てた程度のことで、人間がそんなふうに変わるなんてことはない。娯楽を消費した程度で何者かになれるわけがない。その人はその人のまんま。呼び名に意味はない。
自分が何らかのグループに入ったとか、コミュに参加したとか、仲間ができたとか、能力が身についたとか、自己存在の価値が上がったとか下がったとかがあるのだとすれば、その人がそういう行動をとったからであって、たとえそれがきっかけではあっても、アニメを消費したからではない。
オタクを自認してた人が環境変化や健康や年齢の問題で、オタク的消費が難しくなり、能力やつながりや自己認識が失われて不安になるのは、オタクになったことでなにか自分が変わったとかどこかに所属できたとか受け入れられたとか、錯覚してたからだよ。
オタクって呼ばれる人々が市民権を得て、そういう人々がいるんだねっていう社会認識をもたれてから、それで社会の中に居場所ができた。それはまあ事実なんだけど、今度はその居場所を目指す人も(本人は認めないだろうが)現れた。要するに、アニメなんか別にそこまで興味はない(嫌いなわけではないし見ればそれなりに楽しむ)けれど、オタクコミュに在籍するためにアニメを見る人だ。
そんなのいるの?なんのメリットもなくない?って思うかもしれないけれど「何者でもなくどこにも居場所がない人」にとってみればオタクっていうコミュやカテゴリでさえ、名前がついてて居場所があるだけ上等なんだよ。
でもまあ、そんなの長続きするはずがないでしょ。そういう人々って元の場所に居たくないだけの難民でオタクで居たいわけではないんだから。そういう人々が安いコスト(例えばアニメ見る)だけで、何者かになったり居場所が得られるなんてのは幻想であって、社会の中でそれなりに居場所を得るためにはオタクだろうがそうでない別ジャンルであろうが、行動とコストが要求されるのはあたりまえのことだ。
つまり問題はたかが消費行動でなんらかの身分やら所属やら居場所が得られるっていうこの幻想であって、オタクっていう呼称の定義なんかじゃないんだよ。
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感染者増加。医療逼迫。ワクチン供給が急に滞り新たな予約が取れず、接種券の配布が遅れた市区町村民がワクチン難民に。
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「感染者増えたから緊急事態宣言また発令するけど、お年寄りはワクチン打ったから大丈夫だよ!
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感染者更に増加。コロナを心配しオリンピック中止を訴える多くの国民も開会後はオリンピックエンジョイ!
浮かれついでにコロナを忘れたかのように4連休の観光地は人で溢れる。路上飲み、BBQ飲みで大盛況
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「都会は人流減ったよ!オリンピックでステイホーム促進だよ!みんなオリンピック楽しんでんだろ!ケチつけんなよ!」
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感染者激増。空きベッドがなくなってきて、感染者もすぐに入院できない事態に。
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「死者も重症者も少ないよ!年寄りはワクチン打ったから今までと違って死なないよ!お前ら早くワクチン打てよ!」
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「重症者はさすがに増えたけど、死者は少ないよ!オリンピックを楽しもうね!」
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感染爆発。死者もじわじわ増え始める。重症者ベッドはカンスト。中等症患者があぶれ救急車はたらい回し。
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「重症者以外は自宅で療養してね!一人暮らしだと自宅の方が健康につながるよ!」
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自宅療養者が激増するも在宅医療体制も食糧支援体制も整わず事実上の放置
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呪われたオリンピックとも揶揄される東京五輪関係のトラブル・スキャンダルをまとめた
・安倍「アンダーコントロール」
・猪瀬がボストンバッグで辞任
・舛添が公私混同で辞任
・森元女性蔑視発言で辞任「女性がいると理事会の時間がかかる」
・ 池江璃花子 「私は何も変えることができません」 内村航平「選手が何を言おうか世界は変わらない」
・ついでにのぶみも参加辞退
・聖火リレーで芝生が変色
・オリンピック関係者の指示どおりのところに行くようボランティアドライバーに通達、バブルが実質崩壊
・福祉保険局長「いたずらに不安をあおることはしていただきたくない」
・伊藤美誠に妨害ライト、韓国の仕業とネトウヨが大はしゃぎするも結局国内メディアだったことが判明
・ボランティアの弁当をキャンセルせず漫然と発注し13万食の食品ロスが発生
・首相、広島の平和記念式典で読み飛ばし。糊がついてたためと言い訳。
・名古屋市長河村が選手の金メダルをかじる。トヨタに謝罪に行くも門前払い
・マラソン沿道に大量の観客
・パラ選手団長「児童・生徒に観戦してほしい」と千葉知事に申し入れ
・丸川「不要不急の外出であるかどうかは、ご本人が判断すべきもの」
・コロナ禍のさなかにオリンピック委員会の会長を招きパーティ「質問の意図が全く理解できない」
・平井「徹底的に干す」
あと一つは?
表舞台に出て説明責任も負ったりする舞台・映画監督や、せめて作家性のある構成作家が仕切るべきオリンピックの開会式を、裏方でかつ、通常業務のステークホルダーがアーティストや芸人サイドである演出家が仕切ったから。
舞台や映画監督はスポンサーの意向を聞きながらもオーディションを経由してバックグラウンドチェックを行うことでお友達以外からも参加者を募り、かつ観客動員数などの責任を負い、客の期待していることを読みながら、シーンの転換に一貫したシナリオのある舞台を作るのが仕事。向いている方向は、客、または、スポンサー。演者は監督の思い描いたシナリオや絵コンテの流れを実現する素材。
一方で演出家は、シナリオの部分を担保するのがアーティストやお笑いネタを作る側、脚本家であり、演出家自体は出来上がっているシナリオやそのシナリオに沿って動く側を良く見せるのが仕事。向いている方向は、演者。演者の活躍や表現をサポートする立場。
このゴタゴタは、AKIRA案という、復興五輪や日本外交どころかオリンピック憲章と全然関係ない案を出した演出家のMIKIKO先生のキャスティングから間違いは始まっている。
AKIRA案って、そこと何の関係あるんですか?表現者サイドの自己表現よりも、日本の民意を汲みつつ、各国の選手の歓迎の方が優先される場なんですよ。思い切り自己表現をするアーティストを支える人ではなく、オリンピック憲章の意図を理解し自分の表現力をオリンピックという場を成立させることに注ぎ込んだ森山未來的な役者・ダンサーを開会式に起用できるような教養のある監督が必要な場所なんですよ。
あと、開会式に冷戦時代だと有効だったジョンレノンのイマジンが墓から出てきたのでびっくりしたのですが、こういうチョイスをしたサブカル層が見てる世界って、難民が出ている世界や国境・領土問題でゴタゴタあるインドやパキスタン、台湾等ではなく、欧米音楽業界のさらにマイノリティの痛みに無頓着な育ちの良いボーイやガールの界隈なんですかね?さらに強者と言われる白人サイドから手を取り合ってって言われるの、どうなんですかね?マイノリティの主張を聞くことから始めないんですかね?
サブカル層はすぎやまこういちや海老蔵に対してカウンター打てるほどの人材や作品をプール出来てないぐらいに日本外交に対して考えもなく、多様性もなく、身内で固まっていただけ。そういう現状を反省しつつ、スポーツの採点でスポーツ業界の人材の方がはるかに多様だったら、大坂なおみさん以外の多様なスポーツ選手にも沢山映像等でフォーカスすれば良かったのに、そういうこともしなかった。
消防団や歌舞伎だせというのは、最低限、ベタな日本的なものを開会式に出せという、あらかじめ想定できた国というスポンサーからの要求。ベタなボランティア経歴のあるMISIAもそう。
音楽は歌謡曲・民謡・太鼓・三味線とか『のど自慢 世界大会』的なベタなもので全然良かったし、前回のオリンピックから違う系統で且つ昨今の流れを組みつつ世界でもわかりそうなものと言ったら、ヒップホップやジャズとかの黒人音楽でも良かった。他は、よさこいやねぶた祭り、漫画・アニメみたいなベタで良かったし、最初の赤い糸を使ったハイコンテキストな割にその意図が『はたらく細胞!!』っぽくて可愛いことにあっていないコンテンポラリーダンスはなくても良かった。
借りてきたマイノリティではなく、自国の中のマイノリティを見つめるなら、日本的なもので統一しても良かった。その流れで、身体障害者として途中からマイノリティになった長嶋さんの登場や、音楽業界ではマイノリティであるゲーム音楽(すぎやまこういちはともかく)は良かった。
老若男女世界各国ウケるベタでローコンテキストなものを嫌って、身内しかわからないハイコンテキストなものや、借りてきたマイノリティ性を好む人たちが、たまたまアーティストサイドを贔屓する演出家を中心となって固まり、音楽・映像サイドもそのことを気にかけなかったことが露呈した、そんな開会式だった。
才能ある人を守れと言われても、コンセプトやシナリオにあった動きをするから守れるのであって、そこを蔑ろにしてたら守れる才能のある人も守れないんですよ。シナリオや絵コンテがあるリニアなコンテンツではなく、電博の雑誌・テレビ的なノンリニアなコンテンツの作りをしていたら、枠を入れ替えるように人もコンテンツも交代されちゃうんですよ。だから外部からの口出しに柔軟に対応できちゃうんですよ。周りに何言われても「これはコンセプトやシナリオ、絵コンテの流れに合ってませんから」で断れずに。
本当に性格の良い人はそもそもこんなこと言わないんだろうけど、自分はどちらかというと性格がいい。
もちろんふざけて友人に毒ッ気のある事を言ったりはするけれど、人をだましたりしないしポイ捨てもしない(これは普通か)
困ってる人がいたら積極的に声をかけるし、荷物も持つ。募金とかも定期的にマンスリーでしてるタイプだ。
でも、心のどこかでそういう行為をどこか「偽善的」だなと思ってしまう自分がいる。
友達に「難民基金に定期寄付してます」ってなんとなく言えない。
なんでだろうな、何も悪いことしてないのに。
でも「大好きな人たちの幸せが自分の幸せ」ってわりと本気で思うのに、それが悪いことのように思えて口に出せない。
なんでだろうな。