はてなキーワード: 赤い電車とは
・青の歌
アジカンの曲の中で一番エモいし聴き終わった後澄んだ気持ちになる
・電波塔
・羅針盤
これもめっちゃテンポが良い!ずっとたったったったっ!って感じ
こういう曲を聴いたことがなかったからかもしれないけど展開がかっこいい。歌ってても楽しい
・堂々巡りの夜
なんで好きなのかよくわからないけどめっちゃ好き。あっさりしてるのが良いのかも
・未だ見ぬ明日に
これは歌ってて楽しい。盛り上がりがすごくて良い
・ライカ
これも盛り上がりが良い。🐺 < ウオーーーン感がある
ザ・王道って感じはあるけど、完璧ではないのはわかってるけどどうにかしようとしてる感じも好き
低音がかっこいい
疲れたやめる
京浜急行にて活躍し、現在はことでんに譲渡されて走行しているデハ1000形を赤色にラッピングし製造60周年を祝う と言った趣旨である。
趣味者が主催となりクラウドファンティングを用いた資金調達で電車のラッピングを実現したことで話題となった。
http://tkr-charter.jp/type1080project/
このプロジェクトの概要が発表された当初から否定的な意見が(勿論肯定的な意見もある)twitter等に投稿された。
その中には「(京浜急行時代の姿を再現するのだから)ことでんロゴを無くせ」などという物もあり、ついにはことちゃんが言及するに至った。
「ことでんロゴなくせ」という議論を目にするたびに、ここまで多くの人に愛されている京浜急行さんの偉大さを感じ、身が引き締まります。プロジェクト主催者様のご了承の上、ことでんロゴをつけての運行となりますが、京急さんの名を汚さぬよう社員一同で精一杯運行しますので、ぜひ応援ください。— ことちゃん (@irucakoto) 2019年3月5日
クラウドファンティングは主催の企画に同意して支援金を拠出する制度であるし、支援を行わない人間が口出しする権利など無いのは当然である。
それなのにどうして常識の範囲内のラッピングや運営に因縁を付けるような批判が多かったのだろうか?
第三者の人間が見ても理解できないか、「鉄道オタクは細かいことに拘るんだなぁ」くらいにしか思わないだろう。
以下の引用は還暦の赤プロジェクト代表を務める佐羽内氏の発言である。
@keikyu_vvvf え~っとこちらの発送先は仏生山でよろしいですかww? pic.twitter.com/ZL4f1DlBfb— 鯖内勇太【3月8日はサバの日】本当は佐羽内です (@sabanai1501) 2013年8月6日
リプライ先は本プロジェクトの主要メンバーの一人(ID変更や転生を行ってるためアカウントは現存しない)で、度を過ぎた不謹慎なツイートや他人への攻撃的なツイートも多く見られた。
ここでそれらの証拠を列挙しても仕方ないので割愛するが、本プロジェクトの主要メンバーの多く(該当しない方ももちろんいらっしゃいます)がそのような行為をしていた。
そのような人達が京急ファンの代表かのような立ち振る舞いで、今までの行いなど無かったかのように、事情を知らない人間からクラウドファンティングで資金を集め始めたのだから過去を知る人間がこれを快く思わないのは当然だ。
そうした背景を元に因縁めいた批判が”返ってきた”のでは無いだろうか?
結果としてクラウドファンティングは達成され、ラッピングされた実車が走りだしたものの批判的な意見が未だに散見されるのが実情だ。
赤い電車はかっこいい(真理)
北海道:福島商業高等学校(福島町には青函トンネルあるし有名か)
福島:川口高等学校(鉄ヲタは「会津川口」でインプットされてる)
栃木:壬生高等学校(駅名にもあるし間違えないと思われるが、歴ヲタは釣れるかも)
埼玉:霞ヶ関高等学校(霞ヶ関カンツリー倶楽部やアリさんマークの引越社で有名になったけど)
千葉:鶴舞桜が丘高等学校(愛知でも東京でもない、もちろん京都でもない)
神奈川:金沢高等学校(赤い電車ヲタは「文庫」「八景」で間違えないか)
福井:三国高等学校(三国競艇あるし有名。ただこれ以上間違える高校なかった)
長野:池田工業高等学校(むしろ長野はアバンギャルドな高校名が多い↓)
岐阜:益田清風高等学校(陸ヲタには有名。読み方は「ました」)
静岡:横須賀高等学校(神奈川はもちろん、愛知にもあるため東海道は全部横須賀)
三重:代々木高等学校(私立。三重は激戦区↓。三重だけで打線組める)
奈良:郡山高等学校(金魚あるし甲子園何度も出てるし有名。でも他の候補がない)
和歌山:桐蔭高等学校(甲子園何度も出てるし有名。でも他の候補がない)
岡山:高松農業高等学校(備中高松城で有名。なお、香川県には高松農業はない。あるのは県立農業経営高等学校)
山口:宇部フロンティア大学付属高松高等学校(山口と見せかけて香川と見せかけてやっぱり山口)
長崎:小浜高等学校(Yes, We canのあとはどうなった?)
日々輝学園(栃木)
エクセラン・コードアカデミー・地球環境・長野俊英・松本秀峰・UWC ISAK Japan(長野)
佐野・鶴見商業・豊島・長野・福井・三島・淀川清流・むらの高等支援学校(大阪)
ミッキーマウス!!でミッキーが世界を回るシリーズが続いていて、ロシアでコサックを踊ったりイギリスで女王の兵に追いかけられたりしていたのだが、今回は日本が舞台だった。
空中を交錯する道路や線路、ジェットコースターのように電車が走る未来都市のような日本、中国風のBGM、ミッキーは駅を疲れた顔をして歩き長い行列に並び青い電車の切符を買う、駅員が満員の赤い電車にミッキーを無理矢理押し込み、扉のガラスに張り付きながら発車。
途中で相撲取りの頭にぶつかりミッキーは褌姿になり相撲勝負をしかけ、相撲取りがぶつかり開いた扉から電車の屋根に脱出。
しかしジェットコースターのような電車の屋根は危険窮まりなく、大量の看板を避けながらトンネルに入る、トンネルの中では急に横スクロールドット&ファミコン音になりコインを取る、
店を開き子供電車の運転手として子供達の笑い声の中深呼吸するミッキーでおしまい。
モアナと同時上映した疲れ果てた生真面目な社畜の短編も日本人をイメージしたとか言ってたし、今の日本のイメージは疲れ果てた社畜と満員電車なんやなーと思った。
「それどこ大賞」の審査員の末席をつとめさせていただいたのですが、
http://srdk.rakuten.jp/entry/2016/12/22/110000
実は当初、審査コメントの文字数このくらいでよろしく、という指示をすっかり見落としてしまい、最初に間違えて書いたロングバージョンがありまして、せっかくなのでここに公開しておきます。受賞者のみなさんおめでとうございます。
http://aonbo.hatenablog.com/entry/2016/10/12/220000
「買い物で人生が変わりました」と言われても「それはまあそういうこともあるだろうな」としか思わないかもしれません。「買い物がテーマのブログコンテストなのだから、一番ど真ん中だよね、あざといよね」と穿った見方もできるかもしれません。けれど20年にわたる人生の変化と、その中心にあった買い物とをこれほど簡潔に描き、心から「ああ、買い物で人生は変わるのだなあ」という感慨をもたらしてくれる記事は、これを除いてほかにありませんでした。
「45で買ったストラトキャスター」という素っ気ないタイトルの「45」。その〈価格=45万円〉を表すようにも読めなくはないけれど、冒頭2行ですぐ、筆者にとっての「45」が〈年齢=45歳〉であることがわかります。「35で転職。37で離婚。/それから8年が経っていた。」。そして3行目に「子どもと妻がいなくなった生活。」と続きます。わずか2~3行に濃密な行間を含み、 id:aonbo さんの10年間のほんの一部が明かされます。
10年前、臨時収入を手にした、ゲームが趣味の45歳。「(うーん、このお金で何か自分にごほうび?)」の「自分にごほうび」という表現も、ちょうど10年前っぽい気分です。そんな中、とあるきっかけが id:aonbo さんに「(そうだよな。もうオレ45だよ。ゲームはそろそろやめようかな。)」と小さな一歩を踏み出させ、そこから一本のストラトキャスターを買うことによって、物語がはじまります。こうやって生きていけるのだな、と思いました。この記事は、ひとつの小さな人生賛歌です。
ところでこの記事、読後感は「ああ、人生」という感じなのですが、実は「人生」ということばは一度も出てきません。一貫して「生活」と書かれているところにも、ご本人のパーソナリティが感じられます。ぜひ賞金の30万円で、また次の10年の「生活の楽しみ」になるような買い物をしてください。おめでとうございます。
http://akasofa.hatenablog.com/entry/2016/10/19/182759
つい「買い物」だけで満足してしまうことも多いですが、あくまで「買い物」はスタート地点で、使いこなせるようになっていく歓びこそが醍醐味なのだと感じさせる記事でした。「上達」を言葉で伝えるのはむずかしいですが、「カメラの上達」を伝えるのにブログというメディアはぴったりですね。
親バカ目線と子どもの目線がちょうど交わるところに結果としての写真がある、という感じもほほえましかったです。親が「美大生」とか「サブカル」とか評するにつれ、「最初は美大生も、子どものような純粋な好奇心のもとにシャッターを切るんだな」ということにあらためて気づかされたりしました。
子どもの視点からしか写せない写真の魅力というのもありますね。子どもに使い捨てカメラを渡して撮られた写真だけを集めた『Childlens』(リトルモア、2003)という写真集があります。このまま id:akasofa さんのお子さんのカメラの腕がさらに上がっていってついにプロの写真家になったりしたら、その上達していく軌跡をまとめた写真集をぜひつくってください。ぼくは買います。
http://walking-gourmet.hateblo.jp/entry/2016/10/15/164806
『買い物』することを一番最初に楽しいと感じたのはいつだろう」というストレートな書き出しから、その「楽しさ」のルーツとして、子どものころの買い物の記憶、それと結びついた場所の記憶を辿る旅なのですが、行き先がまさかの「屏風浦」。id:s06216to さんがご存知かどうか定かではないですが、「赤い電車」を歌ったくるりのもうひとつの京急ソングとして、その名も「屛風浦」という隠れた名曲があります。ぼくの「屛風浦出身という人もいるのだなあ」というどうでもいい感想は本当にどうでもいいのですが、ノスタルジックな主題からしてもBGMとしてこれほど最適なものはないので、よろしければぜひ「屛風浦」を聞きながら読んでほしい記事です。
迷いながらも、風景をたよりにこっちかなと進んでいく感じ、「久しぶりすぎてどっちに行けばいいかすら怪しいけれどぼんやりとした記憶を頼りに歩き始めた」という感じが、写真もとてもきれいで、鮮やかに描かれています。ぼくも久々に自分が通っていた駄菓子屋に行ってみたくなりました。住んでいた部屋や遊んだ公園はなくなっていた、そして、探しものも見つからなかった、という話で終わるのかと思いきや……というところもよかったです。ちなみにぼくは、一枚20円のころでした。
5月31日に鉄分の濃い有志11人で「大人の遠足」に出かけました。
写真ありきの記述になっているので、時折意味不明なのはご容赦を。
東京メトロの葛西駅集合ということで地下鉄東西線で行ったのですが、ほとんどの電車は水色のラインの電車なのに、偶然にも東葉高額、もとい高速鉄道の電車が。一般の人にはJR中央線に見えるのではないかと。
今日は5月31日。明日6月1日から都営地下鉄が消費税転嫁のため値上げとなります。4月に一斉に足並みを揃えられなかったので、東京メトロはじめ通しのきっぷ(連絡きっぷ)を販売する各社は二度手間を強いられました。
東京メトロの案内ポスター。下の方には各駅間の運賃が掲載されていますがポスターとは思えないフォントサイズ。視力5.0くらいなら読めるかも……
首尾よく集合して、まずは東京メトロが運営する地下鉄博物館へ。
入場券210円。少し前に来た時は自動販売機はPASMO非対応だったと思います。しかしこの自販機、使いづらかった。
スマホ(モバイルSuica)をタッチして、紙の切符を購入。その先には自動改札機が……やっていない。そしてさらに先には有人改札。なんだかよくわからないですが、切符を切ってもらうのはいいものです。
チョキン。
入るとまず出迎えてくれるのが、丸ノ内線の赤い電車です。側面には∞∞∞のような模様(正弦波:サインカーブ)がありますが、塗装ではなくステンレスなのです。ドアが開くところもちゃんと。
普通の電車は電気を天井上の架線から取りますが、丸ノ内線などはレールの横にあるもう一本のレール(第三軌条:サードレール)から電気を取ります。SがShoe(シュー:集電靴)、FはFuse(ヒューズ)だったかな?そして電線の部分以外は「木」!確かにここが金属だったら車内で感電しちゃいますね。こういうマニアックな部分が「大人の遠足」ならではです。
銀座線の集電靴。これは「木」とハッキリわかります。
銀座線の車内。電気が流れている第三軌条の切れ目では、昔車内が暗くなっていて、その時にこのランプが点いたそうです。
・ラインカラーがありません。
・溜池山王駅がありません。
丸ノ内線の車内。運転士側は箱に入っていますが、車掌側は開放的ですね。
日本で一番古い銀座線。開業時から「打子式ATS」という、赤信号を超えた時の緊急停止装置がありました。丸ノ内線では98年まで現役でした。
レールにくっついた白い打子が車体の弁のレバーに当たり、ブレーキ管の空気が吐き出されて非常ブレーキがかかります。
これはなんのためのものかよくわかりませんでした
副都心線開業時の記念PASMO。開業直後は毎日「!」でしたね。
メトロ3本目の日比谷線の開業パンフレット。丸ノ内線の新宿から先は「荻窪線」と言っていました。450億円というのは今のどれくらいにあたるのでしょうね。
東横線との直通は終わってしまいました。
お金を入れると通れる改札口です。実際に試せます(お金は戻ってきます)。
リコ式のつり革。RICO社なんですね。頭を打つと痛いです。
日本人が「たん」をはかなくなって随分たちます。「たばこ」ものめなくなりました。まどは開かないので「かほ」や「て」も出せません。
春場所の案内。当時は11日間だったのでしょうか。
マネキンに何か貼ってあります。固定資産使用シールです。そこに貼らなくても……同行者はべつの場所で、遺跡からの出土品に貼ってあるのを見たことがあると言っていました。
中央線の旧万世橋駅はリニューアルオープンしましたが、銀座線に「万世橋」があったのは知りませんでした。「時代の最尖端を行く雷門直営食堂」とはどのようなものだったのでしょう。
13号線(現副都心線)の工事中のポスター。新宿七丁目、新千駄ヶ谷という仮称でした。
輸送指令室のシミュレーションコーナー。駅でのトラブルにどう対応するか。正解は写真の後に。
正解は「ドアを開けたのち……」でした。お客様第一ではありますが、ダイヤも守らなければいけません。
こういうのを見ると、もともとなんと書いてあったのか「き」になります。
東京メトロでの車内冷房導入は極めて遅く、銀座線、丸ノ内線はスペース的な問題もあって、92年にようやく冷房車両が登場しました。長年、トンネル内の温度上昇を抑えるために、トンネルを冷房して、窓を開けるという形をとっていましたが、その点の展示は見つかりませんでした。
以前の案内表記。「国鉄線」というのが懐かしいです。
銀座線のルーツは、浅草~新橋の東京地下鉄道と、渋谷~新橋の東京高速鉄道です。こちらは東急の総帥、強盗、もとい五島慶太氏が率いる鉄道でした。地下鉄の父、早川徳次氏は経営権を奪われてしまいますが、営団、東京メトロはやはり早川氏や東京地下鉄道を誇りに感じているようです。しかし、百貨店と一体になった渋谷駅は、東京高速鉄道ならではのものではないでしょうか。電車は「三越前」まで直通してしまうのですが。
図書室に立ち寄ります。営団地下鉄の建設史は「東京地下鉄道○○線建設史」のような題名がついていました。年代が下るにつれて、東京の地下は複雑になり、半蔵門線大手町界隈の工事では各所と協定を結んだようです。
営団地下鉄は電車のスタイルや制服などでなかなかの洒落っ気があったのですが、一風変わった「マナーポスター」も有名です。図書室にはマナーポスターをまとめた本もあるので、是非ご一読を。先ほどの空調に関しては「窓を開けよう」というポスターが何度も作られているのがわかりました。
こちらで少し紹介されています。
http://jipangnet.blog.fc2.com/blog-entry-101.html
車体が動く本格的なシミュレーターもあります。写真撮影は自由だがビデオ撮影ご法度というのは、やはり警備対策なのでしょうか。
この「出口」は旧デザインですね。
さて、葛西駅から西葛西駅に移動します。またもや東葉車でした。通過待ちに一枚。
都バス「亀29」系統で亀戸までやってきました。駅は正面の白いのではなく右の茶色いビルでした(笑)。
東武亀戸線。東急世田谷線のようにメディアで取り上げられることも少ない、知る人ぞ知るローカル線です。駅番号は「TS44」東京、もといスカイツリーラインの支線扱いです。
次の目的地はここ。
8000系の電車が短い2両編成でやってきます。おでこに車体番号を書くのが東武流。
もちろん先頭に陣取ります(周囲の乗客の方、すみません)。
途中駅の「東あずま」。他の地名は無かったものか、と思うのは私だけでしょうか。まぁ、日暮里・舎人ライナーの「西新井大師西」駅よりはマシかもしれません。
「津覇車輌」東武にあまり馴染みがない私には、初めて見る銘版でした。
4駅目で終点の曳舟です。たった3.4キロしか走っていません。ここで乗り換えます。
福島県は会津田島駅まで向かう区間快速が通ります。このように、私鉄としては旅情を感じさせる列車が多いのも東武ならではです。
東向島(旧玉ノ井)駅です。この後昔の地図を見て、銘酒屋という言葉が出てくるのですが、そういう意味だったんですね。隣の駅の「鐘ヶ淵」は、For Beautiful Human Lifeのカネボウ、鐘淵紡績のルーツだそうです。
ドイツ有数の観光地、ローテンブルクの背後にそびえる東京スカイツリー(R)。
なんと、ここでは東武博物館名誉館長の花上嘉成氏から、説明を伺うことができました。写真はSL B1形です。
デハ1形5号電車。この斜めの支え棒?も見どころの一つだったそうなのですが、よく聞き取れず、すみません。
窓のブラインドは鎧戸。
上の小窓も開きます。
扉は手動。ゴロゴロと重々しく開閉します。
正面は五枚窓。側面には「草淺←→井新西」の案内がありました。
アルナ工機に保存されていた5700系5703号(前面部)です。搬出、搬入には相当苦労したようです。
戦後まもない1951年(昭和26年)の日光・鬼怒川向け特急、5700形5701号(ネコひげ)。後のデラックスロマンスカー(DRC)の先輩です。前頭部は搬入後に改めて当時の姿に戻したようです。
車内の様子。シートは前後に方向転換できます。あまりの人気に「補助席」も用意されました。デッキには売店も。昭和26年ですよ?
となりの小学校では運動会。土曜日に開催するんですね。実は中庭展示の車両は、小学校の校庭から搬入されたそうです。車両は重く、校庭を傷めてしまうため、校庭の改良工事があるわずかな期間で搬入しなければならなかったそうです。保存への熱意に頭が下がりました。
ロープウェイのゴンドラは生憎見られませんでしたが、搬入の様子が。
東武博物館は動かない車両の展示(静態保存)だけではなく、東武鉄道から車両を買い取って、動く状態での保存(動態保存)も行っています。この列車は貸し切りもできるそうです。6両編成の堂々たる電車の貸し切り!
参考:http://tusrail.seesaa.net/article/394766310.html
東武といえばDRC(デラックスロマンスカー)。カットされていますが、車内に入ることもできます。シート間の間隔が広いことにビックリ。新幹線に初めて乗った時に車両間のドアが自動だったことに驚いた人もいたでしょうが、実はこの自動ドアはDRCが日本初で、この車には「自動扉 AUTOMATIC DOOR」と書いてありましたが、宣伝文句は「○○○○ドア」だったそうです。
その後、博物館の奥の「ウォッチングプロムナード」。観察の小道とは?と思いながら階段を登って行くと、天井の低い、殺風景な、廊下とも部屋ともつかない場所へ。しかし右をみるとそこには窓が!
軽症「あ、スペーシアが通ったヽ(^。^)ノワーイ」
「いやぁわれわれ脚フェチにとっては実にたまらない場所ですなぁ」
模型のパノラマもありましたが、やっぱり東京スカイツリー(R)が……
東向島駅に戻り、東武浅草駅へ。後ろ2両のドアはホームがあるのに開きません。ホーム先端まで行くのは狭すぎるためです。
鉄道グッズをかけたクイズ大会が開かれましたが、難問ぞろいで、13問のクイズの1位は8問正解の方。
■オーソドックスな難問
■ひっかけ問題
「大手民鉄16社中、関東で一番営業キロが長いのは……」「東武!」「……ですが、では2位はどこでしょう?」
「西武」
「京成」
「正解は、東京メトロでした!」
東京メトロが大手民鉄というのを皆、見落としていたのですが、よくよく考えると営団時代から民鉄協に加盟していたわけで、酒が入っていたとはいえまだまだですね……
■マニアック問題
「日本で初めて貫通路に自動ドアを装備した東武DRC。その自動ドアの名称は?」
「マジックドア」
■無茶ぶり問題
「(私が利用する)井の頭線渋谷駅のアベニュー口の営業開始時間は?」
「……アベニュー口ってどこ?」
他にも、参加者の方の最近の武勇伝や懐かしい話を肴に、楽しい時間を過ごしました。
おつかれさまでした。