はてなキーワード: 自営業とは
俺は風邪の時は熱が出る前に、あるいは微熱から休んで、解熱後1日は休んで、その翌日の解熱後2日目から出社してたのだけど、インフルエンザだったら解熱後3日後からしか出社しないほうがいいらしいことを知った。
インフルエンザでも検査で陰性となることもあるわけだし、とにかく風邪症状が出たら解熱3日後から出社としたほうが良さそうだ。
しかし、風邪のたびに毎回1週間休むって、サラリーマンの自分はなんとかなるが、自営業じゃ厳しそうな気がする。
サラリーマンだって、会社によっちゃ難しいんじゃないだろうか。
祝日を増やすより、体調に合わせて休める環境づくりが重要じゃないかとホント思う。
休日って、休むためにあるわけじゃん?
祝日をくっつけて連休にすれば遊びに出掛けるって発想がそもそも変じゃない?
そんなこといったら祝日は祝うためか。
ともかく、週に2日は身体のために休む。
全快しても、数日は様子見で有給で休む。
皆さんの職場に見当違いなことを言って、場をかき乱しているのに、偉そうな人はいないだろうか?
実をいうと、小生の父はまさにそういう人間だ。私は金なし自営業をやっている。
そして父は「家で漫画なんか読んでいる暇があるなら、30件でも40件でも営業にいけ。」とのたまう。
今の夜の20時、今から営業にいっても恐らく大半の企業は締まっているだろう(そしてうちは士業なので、そもそも飛び込み営業ではとれない)。
そして、私には月30件から40件も営業に行く金がない。実際、事業をするためにバイトをしているくらいだ。
金なし自営業は1マンでも、貴重な資金だ。だからそれをよく考えて効率的に使わないといけない。
はっきりいえば、飛び込みなんて金のかかる営業方法はとれないのだ(サラリーマンの方にいいたい。飛び込みに人員を避けるなんて、御社は予算が豊富にある会社だよ)。
私の友人の配偶者は、アムウェイが生活の中心になっている自営業の男性である。一応、本職は詩人(!)らしいので、ここでは彼をポエットと呼ぶことにする。
私とポエットは「友人の配偶者」以上の関わりは一切ないのだが、それにしては私はポエットのことを実によく知っている。というか知らされている、SNSを通して。ポエットはSNSに非常に熱心なのだが、これはポエットに限らず、おそらくマルチ商法系の人たちの特徴ではないかとおもう。(いかに自分が良い仲間に囲まれて、良い生活をしているかをカモにアピールする必要があるのだろう)
そんなポエットのSNSを怖いもの見たさ半分、ひそかにヲチしている私なのだが、先日の投稿はさすがにモヤモヤのキャパを越えたのでここに吐き出したい。
簡潔に書くと、ふだん詐欺のような商売にコミットしてゴミみたいな詩を売りつけているポエットが、小学校の道徳の授業にゲストとして登壇し、あろうことか子供たちに人生を説いていた。そして、それはおおむね成功だったようで、ぜひ他の小学校にも自分を呼んで欲しいとアピールしていたのである。
まず本題の前提として、このポエットは詩人は詩人でも、路上詩人であった。路上詩人。すでに若干の懐かしさをともなう響きだが(まだいるんですかね?)、彼は路上で相田みつをのような詩を、相田みつをのような字で書いて売っていた。一枚1000縁とかで。
ちなみにこの「路上詩人」という全国で同時多発的に発生したかに見えるムーブメントには仕掛け人がきちんといて、月亭方正の元相方のてんつくマン(軌保博光)である。
話が少しそれるが、現在このてんつくマンという男はありとあらゆるマルチ商法に関わっていることで有名な反社会的人物(マルチジャンキーとも言うらしい)である。このてんつくマンが相田みつを風の応援歌のような詩を路上で描くスタイルをつくりあげ、路上詩人スクールを開講し、その生徒達が全国の路上に座った。ポエットもそのひとりであった。
ここまでの説明で、ポエットがどんな詩を描くのかはだいたい察しがついていることと思う。
「君の目が輝いているのは、君には自分のやることが見えているから。君が歩いた先に道は続いていく」
う~ん、ゴミ!
まあどれをとっても、だいたいこんな感じである(これは私の創作です)
冗長になってきたので、ここからはポエット(アムウェイ)が教育の場に立つことについて、率直に思ったことを箇条書きにする
・なんだこの授業。なにが悲しくてアムウェイのディストリビューターから人生を学ばなきゃならないんだよ、アホか。(もちろんアムウェイということは伏せて、詩人という扱いで登壇しているのだが、その詩もクソだろ)
・教員の裁量が大きいのも考え物だ(どうやら教員の独自の判断でポエットを招待した模様)。教員がトンデモだと、拡散力がやばい。決められたことだけ教えていたほうが、教員にとっても生徒にとってもラクだし安心ではないか。
・つか、こんな「生きるについて考える」といったふんわりしたテーマの授業しかできないなら道徳いらない。その時間、算数でもやらせよう。
ちなみに教員がその道徳の時間中に、生徒たちに「生きるってなんだとおもう?」と聞いたら、「神様からの宿題かな?」という返答があって、その教員は痛く感動したそうです。オエーーーーーーー
おわり
追記:ちな大阪の小学校。見てきたように書けるのは教員とポエットの双方がそれぞれ詳細をSNSにアップしているため。
この授業、ただの道徳の授業ではなかったようでその後、他校の教員たちの前で研究発表する機会もあったらしく、それも本人談によると大好評だったらしい。外ヅラだけなら日本一の百戦錬磨のアムウェイ・ディストリビューターに、ピュアな教員たちが丸め込まれる様が目に浮かぶようである。
というわけで、小学校に経歴が謎の胡散臭い詩人がやってきたらそいつだからヨロシク。
【さらに追記】みなさんブコメありがとうございます。かねがね→おおむねに修正しました(恥
ツリーから。ほんとに。今後このポエットは「教育現場からもお墨付きをもらってます」つって活動していくんだろうなあ、と思うとイライラしてくる。
ちなみにこのポエットは相当やり手なようで、芸能人(Jpop系。武道館ライブできるレベルの)にもツテがかなりあるっぽい。よくある下っ端のディストリビューターが「芸能人と一緒に写真撮っただけで友人面」というレベルではなく、公式でコラボグッズを作ったりするレベル。まあそのタレントもアムウェイなんでしょうけどね。
ポエットが特に親しくしているタレントのなかにRIZEのJESSEがいて、彼の投稿記事にも頻繁に登場していたんだけど、逮捕されてから一切言及がなくなってたのは少し笑った。
ブコメから。「"ガッカリ感が一線を越えた" ってのがよくわからなかったんだけど」
いままでの、このポエットの投稿記事において、モヤモヤしたりガッカリさせられるものはいくらでもあって(というか基本的には詐欺師とカモの観察記みたいな様相なのでそんなのばかりだが)、そのガッカリ感を味わうこと自体はヲチの醍醐味でもあった。
だけど学校の授業という子供にとって選択の余地のない場所にポエット(アムウェイ)が進出してしまった&これからもどんどん進出したいという意思表示をしていることが自分にとっては一線を越えて、増田を書くに至ったという感じです。
【2/18追記】
ブコメから。「アムウェイ売りつけて生活してるって事は話術はプロレベルなんだし講演が好評だったなら詩人の素質ある気がするけどな。」
詩人の素質は?だが、話術がプロレベルなのは確か。ポエットには数回しか会ったことないけど、会うたびに話術だけでなく「こんなに気がきく男性はなかなかいない」と行動の全てに驚かされる。人当たりは最高で、世間的にはイケメンの部類。アムウェイ以外の、なにか営業職をやらせても成功していただろうな、と思わせられる。アムウェイで成功する人ってこんな人なんですね。
それに対比するかのように、ポエットを囲んでいる信者は「アムウェイしか居場所がないんだろうなあ」みたいな冴えなさである。
ブコメから。「てんつくマンか。漫画家の山田玲司が一時期心酔してて、てんつくマンのマルチ商法の宣伝に関わってたりしたな。懐かしい」
てんつくマンの最盛期ってもう10年くらい前になるのかな。たしかこのポエットがてんつくマンに出会って、路上詩人スクールに通ったり、てんつくマンとアフリカで植林したり、てんつくマンとカンボジアで井戸掘ったりしてたのも約10年前の出来事だったきがする。てんつくマンが10年前に全国に蒔いた種がいま、こういう形で花開いてるわけですね。オエーーーーーー
ブコメから。「詐欺とネズミ講が認定されない限り断罪されないのでネットリンチで我慢しな。あんまり正義が勝たないのが現実さ。」
これは本当にそう。ツリーにもあったけど、アムウェイが違法ではない以上、これらの活動についての批判は「なんか気に入らない」というお気持ち以上の正当性はないんだよね。
選択肢を間違えたヤツはどんな目にあっても良いとはならないのが一般的な哺乳類の感性と判断力
『家族を想うとき』(原題: Sorry We Missed You)っていうイギリスの映画もあってだな
この映画を見れば気づけるぞ
<ざっくりとした内容>
主人公は中卒で学がなく非正規社員で経理。しかし支社でまともに仕事をしているのは彼だけ。語学が堪能なのも彼だけ。
あとは酒飲んで上司にゴマすって出来たら東京本社に行きたいな〜とお気楽に過ごしてる。上に詰められた時だけ仕事をしている振りをする。
主人公はこんな仕事を投げ出したくなるが、両親にホワイトカラーであることに感謝し留まるように諭されたり、自営業(畜産業)で破滅的な状態になった友人に「サラリーマンは席座ってるだけで給与が出てお気楽で良いよな」とか言われてしまう。
最終的には主人公は不正の片棒を担ぐことを頑なに拒否し、
北海道へ島流し(ただしイチから関係や組織を作れる?風な希望に満ちた終わり)
娘は泣いている。
全てに納得いかない。
それを同級生母の知り合いBとAが目撃。
口論になる。
嫁は
と警告した上で自転車を走らせる。
Aが嫁の前に立ちふさがり転倒。
Bが
と言いそのまま警察呼ばれた。
Aは手首の捻挫の軽傷。
専業主婦が
とかありえん。
しかも近所のスーパーの駐輪場で派手に騒いだらしく近所でも評判になっているらしい。
盗んだ荷物は目撃された時に返したし、勝手に捕まえようとして勝手に怪我しただけで強盗ってなんだよ。
娘はもう学校にいけないよ。
家業にも影響が出るだろう。
弁護士ならともかくBはただの行政書士らしい。でも今は専業主婦。
その罪で訴えない代わりに被害届を取り下げたり、警察に罪を軽くするよう説明に行って欲しい。
これを要求するのは間違っているのか?
AもBも娘と同じ子持ちだぞ。
喜んで奴隷になっているようにも見えた。
趣味はなく、やりたいこともない様子。
子どもの俺の立場から見たら、子育てが趣味のような感じに見えた。
実際は辛かっただろうと思う。
父親と同様に片づけを手伝うこともしない。
俺の兄は「お茶とって」と冷蔵庫まで取りに行かせるなんてしょっちゅうだった。
俺がやったあとに勝手に確認し、「これ必要なんじゃないの?」と聞いてきた。
俺のも、兄のも、妹のもやっていた。
ズボンとパンツが一緒になっていようが文句を言われたことはない。
子どもに対して「こうしてよ!」と文句をいうことは殆どなかった。
家では本当に奴隷のようだった。
まだカーチャンは生きてる。
親孝行しよう。
自営業でフリーランスと名乗る方々が増えているように感じます。終身雇用制度は崩れつつあり、会社に生涯を捧げる生き方から、会社を利用してよりよい人生を送ることに転換しつつある令和におきまして、個人事業主などと呼ばれるようなものになる方も多くなるのは当然の流れなのかもしれません。
ところで私はそういう大きな組織から離れて己の才覚で自由に生きているように見える方々に対して漠然とした反感、ないしは嫉妬心のようなものを感じておりました。
というのはカタカナでフリーランスという勲章をつけてSNSで肩で風を切って闊歩する彼らの言動はどうにもこうにも香り高すぎる、あまりにも眩しく見えるものですから、どうも目眩を覚えていたようなのです。
結果としてストレスを少しでも軽減せんがためにフリーランスの音がすればそそくさと電柱の影に隠れ、ノマドの匂いを感じ取れば鼻の穴にティッシュを詰め込むような生活をしておりました。
しかしながらそれは当然のことで、むしろフリーランスの星の下に生まれた方々が私に共感を覚えられてはならないのではないかと最近思い至ったのです。
というのもネットミームが言うところの意識高い系というのは、同じくネットミームで言う私のような社畜とは、親の仇、宿命のライバル、アンパンマンとバイキンマンのような関係にございます。
私どもはいかに少ない労力で日々の糧を得るかを必死に考えており、意識高い系の方々はいかに少ない時間で結果を出すかに尽力されております。私なども意識高い系の皆さまのご活躍によって1500円もらえたはずの仕事を750円にされた苦い経験がございます。
こういうとあたかも私が社会の病原菌かのように思われるかもしれませんが、社会に病理を撒き散らしておりますのは私ではなく会社でございます。時給換算にしてたかが10円すら上げるのに躊躇するような王に忠誠を誓う者こそが悪徳ではありませんか。
それはさておき、フリーランスは志してなるのもではなく、なるべくしてなるのだと思います。会社単位でみれば、会社には好まれこそすれ社畜には嫌われかねない人間は、フリーランスになるべきなのです。
そしてフリーランスであるならば意識を高い高いしなければ、とうていやっていけないのです。
ついつい私は島国根性といいますか、あたかも単一民族国家に住んでいるかのような錯覚に陥りがちですが、差異を認め隣の芝は青いと思いながら酒やタバコを使った遠回りな自殺に日々勤しんでまいります。
ご静聴ありがとうございました。
親が医者だと子どもが医者を選ぶというのは、普通の自営業と一緒で診療所というハードを親が持っていることが多くて賃貸料がかからないとか、親のところに通っていた患者を引き継げるので多少集客が楽とかそういう話じゃないのかな。
診療科や周辺にどのくらいライバルがいるかによって儲けに差は出ると思うけど、固定経費があまりかからない方が儲かりやすいというシンプルな理由だと思う。薬を沢山出すほど患者が喜ぶ診療科とかマスコミに顔が売れてる医者とかならそれなりに旨味があるかも知れないけど、そうじゃなければ医者という職業をそんなに特別視する意味はない気がする。
ちなみに我が家の近所にはむやみやたらと歯科医があるのだが、そんなに街の規模が大きくないので、ちゃんと稼げているのか謎だ。
チラシ裏レベルだが書き起こしておきたくなった。
私は25歳、都内で働く普通の会社員。日々の仕事がつまらない以外はこれと言って問題なく暮らしている。
私は、私の家族に少しばかり問題を抱えている。父と母が数年前に離婚した。超のつく田舎で自営業をする父と公務員の母は私が幼い頃から仲が悪かった。父方の祖父母は実家のすぐそばに住んでいて、私がいえを出るまでは半ば二世帯住宅状態だった。両親がもめたときには祖母が父の肩ばかり持っていた。母は理解のない祖母にいびられ続け、父にないがしろにされながらも、家事を一手に引き受けて、働きながら私たち兄弟を育ててくれた。子供が皆進学を期に実家を出た時に、両親はその時を待っていたかのように、呆気なく離婚した。母は夜逃げ同然に実家を飛び出し、今はボロの木造アパートで独り暮らしをしている。
問題は、父親だ。彼は酷く独善的で、理詰めでは話ができない。彼が生まれてから、祖母の贔屓がもう60年も続いているせいか、自営業の社長をし続けたせいか、あるいはこの両方か、彼は子供の言うことなど聞き届けることはない。
もちろん、大学院を出るまでの資金を出してくれたことには感謝している。だがそれ以上のものはない。
父は、母を実家から追い出し、祖母に甘えて生きている。それでいてなお、「休みには実家に帰ってきて、家族を大切にしろ」と臆面なく私たち兄弟にのたまう。
イカれてんのか、と私は思う。
前述の通り、私の現状は父と全く異なる。生まれてから60年間、家に帰れば両親がいた父。もう二度と、実家に両親が揃うことの無い25歳の私。私の育った家を、家事などひとつもできない父は完全に持て余していて、常にホコリだらけの状態だ。私の育った家は今や実家と名のついた空き家なのだ。
父はこの空き家に"帰って"きて、父と祖父母を大切にしろという。それが私の「大切にしなければならない家族」なのだという。
私にはわからない。
私は父に従わなかった。実家に帰ることを避け、父の家族に関する要求をできるだけ感情的にならずにすむように、否定した。
その結果、私は勘当された。
葬式の便りも私には出さないというから、もうどうにもならないだろう。
私は子供として、十分に良い姿をしていたはずだ。公立学校へ通い、浪人もせず国立大へ進み、大企業で働いている。友人に囲まれ、私を悪人だと呼ぶものには出会ったことがない。父を除いては。