自営業でフリーランスと名乗る方々が増えているように感じます。終身雇用制度は崩れつつあり、会社に生涯を捧げる生き方から、会社を利用してよりよい人生を送ることに転換しつつある令和におきまして、個人事業主などと呼ばれるようなものになる方も多くなるのは当然の流れなのかもしれません。
ところで私はそういう大きな組織から離れて己の才覚で自由に生きているように見える方々に対して漠然とした反感、ないしは嫉妬心のようなものを感じておりました。
というのはカタカナでフリーランスという勲章をつけてSNSで肩で風を切って闊歩する彼らの言動はどうにもこうにも香り高すぎる、あまりにも眩しく見えるものですから、どうも目眩を覚えていたようなのです。
結果としてストレスを少しでも軽減せんがためにフリーランスの音がすればそそくさと電柱の影に隠れ、ノマドの匂いを感じ取れば鼻の穴にティッシュを詰め込むような生活をしておりました。
しかしながらそれは当然のことで、むしろフリーランスの星の下に生まれた方々が私に共感を覚えられてはならないのではないかと最近思い至ったのです。
というのもネットミームが言うところの意識高い系というのは、同じくネットミームで言う私のような社畜とは、親の仇、宿命のライバル、アンパンマンとバイキンマンのような関係にございます。
私どもはいかに少ない労力で日々の糧を得るかを必死に考えており、意識高い系の方々はいかに少ない時間で結果を出すかに尽力されております。私なども意識高い系の皆さまのご活躍によって1500円もらえたはずの仕事を750円にされた苦い経験がございます。
こういうとあたかも私が社会の病原菌かのように思われるかもしれませんが、社会に病理を撒き散らしておりますのは私ではなく会社でございます。時給換算にしてたかが10円すら上げるのに躊躇するような王に忠誠を誓う者こそが悪徳ではありませんか。
それはさておき、フリーランスは志してなるのもではなく、なるべくしてなるのだと思います。会社単位でみれば、会社には好まれこそすれ社畜には嫌われかねない人間は、フリーランスになるべきなのです。
そしてフリーランスであるならば意識を高い高いしなければ、とうていやっていけないのです。
ついつい私は島国根性といいますか、あたかも単一民族国家に住んでいるかのような錯覚に陥りがちですが、差異を認め隣の芝は青いと思いながら酒やタバコを使った遠回りな自殺に日々勤しんでまいります。
ご静聴ありがとうございました。
ほしい技術者をほしいときだけ雇用したいというのは、業界によっては都合が良すぎる考え方やな。
ひさび切り込み隊長登場か
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