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はてなキーワード: 尊厳死とは

2020-07-24

大阪府尊厳死に考えるよりも

全国に先駆けて緊急事態宣言解除しようとして、K値みたいなトンデモを信じた結果バカみたいに感染者増やした反省をしてほしいなあ。

このまま感染者が増えて言ったら大阪府持たないぞ。

anond:20200724163932 anond:20200724115826

いいや忘れてないよ

木村花とこいつの自殺の時は死んだらイケナイ連呼しているくせに

ALSの時は安楽死する権利がある!

尊厳死尊厳死

死ぬ権利

連呼しているマスコミがとても目に付く

健常者だったら自殺したらいけないし安楽死を進めるのもNGなのにALS患者だったら「なんでお前死なないんだ?安楽死する権利があるだろ?」とやっていいのでしょ

恐ろしい差別

なぜ一足跳びに「安楽死」とか「尊厳死」とかの技術的な問題議論しようとするのだろう。

まず「死ぬ権利」についての議論が全く進んでいないのに、「死ぬ権利」を保障する制度として妥当かどうかもわからない「安楽死」や「尊厳死」の是非について議論しても答えなんて出るわけないと思うのだが。

個人的に、「死ぬ権利」は認められるべきだと思うけど、それが「安楽死」や「尊厳死」によって保障されるものかどうかには幾らか懐疑的でもある。人は無理矢理生かされているわけではないはず。「死ぬ権利」があるからこそ、「生きる権利」は「義務」ではなく「権利」足り得ると思う。

anond:20200724133547

青葉もサリン教祖安楽死させない日本医療

ALSのような本人の意思疎通が難しい奴だけを選んで安楽死させる

快楽殺人者尊厳死だの安楽死だの人間の皮をかぶっている集団

それでも私は安楽死を支持する

私は安楽死を支持する。その早急な法制化を望む。それへの抵抗勢力は徹底的に粉砕されるべきだ。

そう考えるに至った経緯を、以下に書く。

何年か前、某所で尊厳死安楽死に関する議論したことがある。私が安楽死について肯定的なことを書いたところ、反対派から反論されたのだ。私の書き方もあまり良くなかったので、議論を挑まれたこ自体は構わない。だがその議論で、私は安楽死に対する信念を強化することになった。

議論の中で、私は自分家系について触れた。私の家系はがん患者が多く、しかも体中を蝕まれて苦しみながら死んでいった者が何人もいる。私もそうなることはほぼ確実で、だから私は苦痛に満ちた死よりも慈悲の一撃による安らかな死を望む、それを邪魔する安楽死反対派のことは支持できない、という趣旨のことを書いた。すると議論相手は、次のように書き込んだ。

「それでも、自殺することは禁じられていません」

唖然とした。私はさっきまで、体中がボロボロになってひどい苦痛に苛まれていた親族の話をしていたのだが。「自殺できるでしょ」って、しまない自殺自力遂行できるのは健康人間だけだという程度の想像力も彼にはないのだろうか? そりゃ自分一人で自殺する分には法によるお咎めなどないことは私だって知っている。私はただ死にたいのではなく安らかに死にたいのだ。

さらに彼は、私の自由主義的な主張にも反駁を加えてきた。私は、同性婚選択夫婦別姓と同じく選択権利を求めているだけなのに、同性婚や別姓の問題では同じ側にいたはずの人たちからなぜここまで否定されるのかが理解できない、と書いたのだが、彼は言った。同性婚や別姓を主張する運動同性婚や別姓を選んだ人たちが幸福に生きるための運動をしてきたが、安楽死推進派は病に苦しむ人びとが幸せに生きられるための運動をしてこなかった、だからそれらは同列には論じられない、というのだ。

私は、ただ安らかに死にたいだけなのに。

他人幸福のための運動をしなければ、私には安らかに死ぬ権利すらないと言いたいのだろうか?

この時点で確信した。安楽死に反対する連中には人の心がない。彼らは私が苦しんで死ぬことを望んでいる。

もちろん彼にそんな意図はないのだろう。でも、彼は私の安らかな死を、よくわからない運動の都合とか、見ず知らずの他人選択とか、そういったものの下に置いたのだから、結果としてはそういうことになる。私にとって見ず知らずの誰かが望まぬ死を強制されないかわりに、私は苦しんで死ねというわけだ。

鬼畜だ。こいつらは鬼畜の集まりだ。

優生学は間違っている。高齢者ALS患者知的障害者が「社会お荷物」だからというとんでもない理由で意に反した死を強制されるなんてことがあってはいけない。だから安楽死を認めるが、その際には厳格な手続きを導入すべきだ、強制を排せる仕組みを構築しなければ、という議論なら私は賛成していた(というか、そういう施策を私は支持していた)。私は彼らに死んでほしいわけじゃなく、自分が安らかに死にたいだけだから選択の自由を認めてほしいだけだから

でも彼らは、意に反した死を強制されるかもしれない人たちを守るために、私が安らかに死ぬ権利は認めないのだという。

見ず知らずのやつらが自分意志を貫けないという恐れのせいで、なんで私が苦しんで死ななきゃならないんだ?

それ、私には関係ないよね?

しまずに死にたいというのは、そんなに強く否定されるほど、他人の都合で却下されなければいけないほど身勝手な望みなのか?

安楽死に反対する人たちの書いたものを色々読んだ。彼らの書いたものの中には、苦痛のない死を迎える権利についてはほとんど書かれていなかった。彼らにとってそれはどうでもいいことらしい。

私の苦痛あなたたちにとってどうでもいいなら、あなたたちに死が強制されることも私にとってどうでもいいことになってしまうのだが。

あの議論を経て、私の考え方は変わった。安楽死反対派は本質的に、私が苦しみに満ちた死ではなく安らいだ死を迎えることはたいしたことではないと思っているということが理解できたからだ。だったら、ALS患者高齢者死ねという圧力に抗しきれず安楽死書類サインしてしまうことだって、私にとってはどうでもいい。見ず知らずの他人意志薄弱すぎて死ねと言われて死んでしまうことは私には何も関係ない。私はただ、ひたすらに安楽死を支持すればいい。自分権利を強く主張すればいい。

私は、私の苦痛を切り捨てる冷血漢どもよりは、私に苦痛のない死を保証してくれる人たちを支持する。結果として死を強制される人が出てきたところで知ったこっちゃない。だって安楽死反対派は、私に苦痛強制しようとしてきたのだから。そんなやつらが死を強制されることを、なんで私が心配しなきゃならないんだ? あの冷血漢どもが私の苦痛心配しないなら、私にもあいつらの死を心配する義理なんてない。

から私は、たとえそれが新自由主義者であろうが、安楽死を推進する側を支持することを決めている。私が苦しんで死ぬことを望んでいる側にはつかない、そんなやつらには徹底的に立ち向かって自分選択権利を守ると、反対派との議論の中で決意したのだ。

安楽死は早急に実現されるべきだ。反対派に屈してはならない。彼らは人の心がない冷血漢で、他人の苦しみを座視する連中なのだから

ところで、医者には応召義務があるのだから安楽死を認めることは医者殺人強要することになりかねない、という主張もあり、これはもっともだと思う。だから安楽死に際しては応召義務を解除しうる法整備をすればいいと思う。それはブラックリスト方式で、デフォルト安楽死を認めるものとし、安楽死拒否する医者役所に届け出た上でそのことを周知する看板かなにかを設置しておき、そういう看板が予め設置されている病院では安楽死を断れる、としておけばよいのではないか。これなら死ぬ権利と殺したくない権利を両立できるかと思う。死にたい患者はその病院を避けて別の病院にかかればいいのだ。

はてブリベラルが多いと思いきや、尊厳死には反対するんだよな。

anond:20200724073908

今回のケースで治療を尽くしたと判断するべきではないのでは。それがいえるのは担当医だけでしょ。

意思表示が出来ない患者尊厳死安楽死させるのは違うだろ。

そもそも安楽死不要自分のはっきりとした意志があるなら自殺するのが適切。殺人との区別が付かなくなる。

生命維持されてる場合において、自分意志での維持処置の停止(尊厳死)は認められるべきだと思うけど。今回は既報では意志が明確に伝わっているにも関わらず、担当医が生命維持し続けたのは非難議論されるべきだとおもう。

anond:20200724002614

では胃ろうや人工呼吸機の自己意志による停止も認めるべきではないと? それはむしろ患者自己決定権を蔑ろにしていないか

今回の件は延命処置拒否を訴えていたにも関わらず受け入れられず、殺人の依頼へ至ったものなので、積極的安楽死は認めるべきではないと思うけど、尊厳死ちゃん社会的に考えた方がいいわ。

2020-07-23

京都ALS患者殺害事件だけど

やまゆり園の大量殺人を引き合いに出して非難している人がいて、犯人達は「高齢者を『枯らす』技術」などという本を匿名で書いているそうなので、その気持ちはわかるし、今回の犯人達の人間性はやまゆり園の犯人とそう遠いところにはないはずだと俺も思う。

ただ、やまゆり園の犯人よりもずっと教養と知性に恵まれているであろう現役の医師犯人なので「お前らは植松と同じだ!」って言われたら、

「アレは単なる大量殺人安楽死でも尊厳死でもない。我々と同じにされては困るww」

とか、平然と言いそうな気がする。

優生思想絶対悪なのか?

医師生命をかけて自分希望通りに尊厳死させてくれるならその医師優生思想かどうかなんてなんの問題にもならないのではないか

今回の事件きっかけに尊厳死をどのように捉えるのかと行った医師優生思想であったことは分けて考えるべきでは

せめて手を汚せよな

安楽死反対派の人間は「それは優生思想につながるんだッ!」「過去凄惨歴史に学ぶつもりはないのかッ?」「人は皆生きる権利を持っているッ!」なんて言いまくってるじゃん

ご立派ですけどね、ホンマか?それ

俺はこのごろ弱者包摂ってなんやかんや無理なんじゃねえかと思うよ 人間はそんなことができるほど強くないっていうかさ

動ける弱者をみたら搾取し、動けない弱者をみたら無視する 他人の目があったら嫌々助けるが、嫌そうな態度はことさらさない それが普通人間なんじゃないか

からさ、搾取されんのも嫌だし、放置されて餓死するのも嫌だし、かと言って嫌々助けられるのも嫌だ、いっそ殺してくれよと言ってるわけですよ

それがなんだ 「生きる権利がある」じゃねんだよ 生きるってなんだよ?クソみたいな人生だ早く死にたいどうして生まれないといけなかったんだもう最悪だ誰か殺してくれと思い続けながら生命をつなぐことか?「それでも生きていればいつかいいことがある」とでも言うんですかね なにかひとつでもそれに根拠はあるのか?

 

殺せよ!

殺せつってんだよ

クソみたいな暮らしを無理矢理送らせて、生は素晴らしい、生きられてよかったねと思って、それで金なんかは一切よこさねえでてめえの人生を楽しく生きてんだろうが

せめて殺せよ

雑魚を切り捨てて死体の上に生きるのは嫌だから殺すな!でも面倒見るのは嫌です そりゃねえだろ

社会は支え合いじゃないですか 俺は死にたい、皆さんは俺みたいなゴミ排除したい ほらWIN-WINじゃないですか

劣ったものの生は死より辛いよ

もしかして人生は等しく無意味だってことから目を逸らしたいのか?だから生きることそのものを過剰に美化してさあ、そこから外れるような安楽死尊厳死をぶっ叩こうって気になるんですかね

アンタの人生観なんて知らねえよお こっちは40年クソみたいな労働するかわりに多少金払ったら殺してくれねえかつってるの

奴隷労働させんのと殺すのどっちが人道的だよ

殺してくれよお

手を汚せよ 偽善者

anond:20200723133746

?? なにがいいたいのかさっぱり

説得力???

 

まず安楽死という言い方は報道でもしていない

安楽ではないからだ

尊厳死ともちがう 今回は意思表示ができていて尊厳があったのだ

まり医者はなにをしたか

委託殺人です

2020-07-15

老いへの恐怖と尊厳死

年寄りが嫌い…自分の冷酷さにゾッとするという52歳女性に、鴻上尚史が「それは逆では?」と思ったこととは (1/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

老い」は、間違いなくいろんな意味での「劣化」だと思います。それも「死へとつながる劣化」です。

 その冷厳な事実をどう受け止めるのか。

(中略)

 そして、やがて自分がそうなった時には、どうするのかという問いかけに移りました。

(中略)

 もちろん、まだ結論は出ていません。ヨーロッパでは自分選択する「安楽死」の問題として多くの人が考えるようになりました。

この世に生み出されたらそこから死に向かって一直線なのは避けられないのに、老いは避けられず老いを恐れる人は多いのに、尊厳死自殺幇助)が日本では全然議論されないのはなぜだろうか…。

安楽死/尊厳死トピックについてワイのアンテナが低いのはまあそうなんだけど、でも例えば日本で、いわゆる死ぬ権利¹が夫婦別姓同性婚の是非ほど広く議論されてるか? と言われればそこまでされてないと思うんだよな。人間全員回避不可能イベントにも関わらず。

しかしたら回避できてるやつが大半で黙っているのか…? サイレントマジョリティーというやつで、ワイや議論してる人間たちやメンタルを病んだ民が苦悩しているのを見て笑っているのか…?(ついでにメンタル安定して薬も出なくなったし! とコロナこわくて通院中断してから数ヶ月たってることにもいま気づいた)

ドクターDEATHの自殺マシーン

それでも世界を見ればだんだんこの辺の話も進んでるとは思うけどね。この自殺マシーンを作った博士へのインタビューは興味深い。

どのような反論が多いですか?

いちばんよく聞くのが、〈理性的自殺〉などありえない、精神病が原因で死を望むようになるのだ、という意見です。しかし、私は断固否定します。死を望む気持ちは、治療すべき疾患ではありません。また、他の反論として、人生ギフトなのだから、敬意を払うべきだ、という意見もあります。それに対してはこういえます。もし生命ギフトだとしたら、それを捨てるのも自分勝手だ、と。さもなくば、それはギフトとはいえません。ただの重荷です。

尊厳死を選ぶのは、〈権利〉だと信じています。例えば、今この瞬間、あなたが外へ出て自殺をする、と表明したら、私は阻止すべきでしょうか? そうじゃないでしょう。あなたは自立した個人であり、あなたがどう決断しようと自由です。もちろん喜びはしませんよ。でも、あなた決断ですから。その場合、私にできるのは、安らかな死を迎えられるよう協力することです。

¹ 死にたいなら死ねば? という話ではない

2020-07-09

自己肯定感がないので自己肯定感について考えてみた

昨今のお気持ち表明から自己肯定感について語られているブログを読んだので自分なりに考えてみた。

昔少し学校勉強はしたけど、概念的な部分のみなので知識が不足していることを前提に、そこから自分なりの考えで述べているので正しくはない。

 

 

自己肯定感とは、ざっくり言うと自分存在価値認知できること。

見えないバリア自分を守れている状態

 

 

自分生きててごめんという思考存在しない状態で、メンタルについてひどく悩まない状態で、人類を滅ぼしたいとか破壊したいという発想にならず、基本生きることに前向きでとても健康精神を指すのだと思う。

   

では自己肯定感がないと

1.褒められても素直に受け取れない

2.人類はほぼ敵

3.他人評価できない

4.よくわからない不安を抱えて生きる

 

多分もっとあるけど思いつくところだけ。

とても生き辛いのではやく尊厳死を認めてほしい。

  

  

1.褒められても素直に受け取れない

可愛いね!と言われても、

いやこれ安かったし。と、なり、何故か自らを貶す方向に走る。

お世辞もわかんねーのかよクズ、と心の中で思われたくないことから防衛反応から言うのだろう。

そこは「ありがとうショップで見つけて一目惚れしたんだー可愛いねこれ!」

と返せば、ハッピー以下にはならないのに…

 

2.人類ほぼ敵

自分以外は敵で自分も敵、信じられるのは猫のみ。

他人自分を傷つけて楽しむ存在で、自分を無い物として扱うか、自身を高める為の踏み台、ヒトではなく物以下、と考えてしまう。

そのため自分を守るために他人を敵として認知するし、仲良くなった人でもいつか裏切る…と信用しきれない。

人を信じることができない自分自身にもドン引きし、自分も敵と認知してとことんメンタル貶める

自分さえ信じることができれば、他人が本当に敵でもワンパンで倒せるのに….

 

3.他人評価できない

他人評価すると自分がショボく感じる、自分順位が下がると思い、素直に評価できない。

見返りがある時はできる、ハイパークズっぷり。

全て自己防衛のため。そして他人自分が同一線上にいると思っているから起きるギミックなのだが、基本的平行線上の話なので褒めたところでこちらが下がるとかはない。しか脳みそ勘違いをするのだ。

大陸から声をかけてるとイメージしながら褒めれば良いのに…

 

4.よくわからない不安を抱えて生きる

以上3つのことで悩まされて心はぐちゃぐちゃ、脳は回線が入り乱れ、次から次へと自己嫌悪が積み重なり、更にはこれを抑えて日常を生きねばならないので、人間の外殻をもった祟り状態

はやく死にたいけど、ハッピーに成らずに死ぬのは悔しいけど、糸口が見つからない…となり救いはゼロ

人を信用して頼ったり気持ち吐露できれば少しは落ち着くのに…

 

 

自己肯定感がないと、人の皮を被った祟り状態で生きねばならないと言うことだと私は思っている。

 

 

じゃあ自己肯定感とやらを高めればいい、努力が足りない と自己責任論者は言うだろう。

うるせぇ。やれたらやってるわ。

 

こんなに苦しいのに自己肯定感を高められないのはなぜか?

 

そもそも自己肯定感はいつ芽生えるのか。自発的なのか。

 

結論から言うと、自発的に芽生えることはない。

幼少期の大人との関わりで自己肯定感が芽生える、というより与えられるのだ。

 

幼少期に安全を感じられる環境、すべてを受け止めてくれる環境があることで、

帰る場所がある!ここなら守ってもらえるから少し怖いけど冒険にいける!

と、世界に一歩踏み出せる。

この行動が自己肯定感の礎となり、成長するごとに積み重なっていき、自己肯定感という言葉すら認知せずとも潜在的自己肯定できる人間になるのだと思う。

 

そう、自己肯定感の正体は、愛。

愛による見えないバリアで守られている状態自己肯定感があるという状態なのではないか

最初は関わる大人から与えられるが、次第に貰った愛を帯電できるようになり、それをエネルギー自家発電ができるようになる。大人からの愛と自家発電した愛で自分を守ることができるようになるのだ。

 

もう簡単なことで、自己肯定感がないということは、上記状態の逆を指すのだろう。

 

愛を帯電したり発電できない状態

愛による基盤がガタガタで、しかも隙間だらけ。

 

幼少期に大人から適切な庇護を受けていない、もらえるべき愛が足りないガス欠で、ガスを入れる器に穴が空いた状態なのだろう。

 

愛のパワーは強いので、自らを守る愛のパワーで相殺しないと、そのエネルギーでふっとばされてしまうので、自己肯定感がない人はシャドーボクシングをするのだろう。

これも動物防衛反応なのだから泣けてくる。

 

 

自己肯定感がある人は燃費の良い車で、しか自家発電まででき、キラキラとした見た目で颯爽と道を走る。

 

自己肯定感がない人は燃費の悪い車で、常にガス欠、ガソリンを足してもタンクに穴が空いてたり故障している状態なので、動きはするけど速度は遅い。

 

というわけで、大人になってから自己肯定感を構築するのはとても大変なのだ。礎がガタガタなのだから。そしてもう方法すらわからない。

 

 

から自己肯定感がない人は、外部の評価依存する。自分で愛を発電できないから、外部で売っている愛に手を出してそれで隙間を埋めようとする。しかしそれは一時的もの燃費も悪く、しかも器に穴が空いているので継ぎ足したことろで零れ落ちる。

 

 

ではどうやってこの惨めで可愛い可哀想生物を救おうか。

もうこれは愛ある人から愛をお裾分けしてもらい、それで穴を埋めていくしかない。

 

これには運と、気づきと、あとちょっとのしたかさが必要だ。

愛ある素晴らしい人に出会えるには運が必要だ。

運は鍛えられるらしいけど、鍛え方は知らんので、もう神頼みをするしかない。

愛ある人に出会えてもそれに気づかなかったら意味がない。ああ、この人はいい人だ。と気づかなければ、愛のパワーすらただのエネルギーの塊として爆弾になる。

褒めてくれるし励ましてくれる、慰めてくれる(でも下心があったりマウント取られてんのかな)とか考えずにアホになって、その人の愛に浸ろう。

最後にしたたかさ。自己肯定感がない人は愛に飢えているからまぁ騙されやすい。それを自覚し、逆に利用してやる、くらいの気概を持つ必要がある。あまり強気すぎると自己愛性の気質が強くなるので、ほどほどに強気に、いつもの自虐意識しながらほどほどに愛ある人の善意を利用する。

 

これで自分の器の穴が塞げるだろう。そうしたらお礼を言う。愛を伝える。優しいよね。素敵だね。いいやつだよ。と、さらっと。

褒めなれてないのに頑張る必要はない。少しずつ、本人を褒めるのが難しいなら持ち物を褒めればいい。そうやって少しずつお礼をしていく。

 

するとなんだか自分がいい人になった気がして気分がいい。そうなるといい循環ができてくるはず。多分。

 

最初自分のために動くように。利用してやる気持ちで。どうせ利用し切れないで潰れる小心者なので悪人になったつもりで愛を持っている人からお裾分けを貰いにいこう。少しくらい貰っても本人にとってはなんのダメージもないだろう。

 

悪人がいい人の心に触れて改心するアレ。まさにそんなベタな展開に持ち込めればうまくいくのではないか

 

自己肯定感がない人がちょっと自己肯定感がある人になるだけで、周りもハッピーになるはず。

周りのために、世界平和のために、できる範囲で愛のお裾分けを拾いに行ってもいいのではないか

 

最後に。ここに書いてあることは持論であり、なんの裏付けもない、ただ一個人言葉しかないです。

自身の考えをまとめる為に利用したり、憂さ晴らし非難することに利用してもいいかもしれません。

それにより少しでも救われる、気分が良くなることがあれば私は嬉しいです。

2020-06-28

anond:20200628162152

俺にとって都合の良い「十分に発展した社会」とは

尊厳死必要とする状態医療技術の発展で回避できる状態

死ぬ直前までマラソンでもなんでもできるくらいパワフルな人生を送ろう。

十分に発展した社会尊厳死を認めるか?

俺は尊厳死が認められてほしい

2020-06-19

anond:20200619104939

ルーピー鳩山は大嫌いだが、彼がかつて言ったように、もう日本日本人のための島であることは終わった。人口動態からいって復活の目なんてない。国としては終わり。

間抜けなお人好しと、三代かけて落ちぶれる由緒正しい100年企業の三代目()みたいなのが跋扈してるんだからどんどんアジア圏の人口圧に飲まれ日本人のための日本日本国は薄まって雲散霧消していくわけだ。

この間にグローバル企業に脱皮できた会社サムソンのように実質アメリカ資本みたいなものに収斂していく運命なんだから日本日本による日本のための世界に役立つ産業資本技術発展なんてものは完全に失われた。

よくあるアメリカから日本への周回遅れの流れのように、マイケル・ムーアのアホで間抜けアメリカ白人みたいなノリの情けない日本人がウヨパヨしてるのが現状で、本当にこの国としてどうありたいかを考えればいくらGDP内需主導とはいえ資源のない国で外貨を獲得する方向へリソースを全振りするコンセンサスがこの期に及んでも取れていないんだからあと10年しても20年してもジリ貧で右肩下がりなんだよ。

尊厳死()安楽死()国策に乗って、この間50年くらい何も進めずリソースを貪り食ってた連中がこの世を去って社会保障費を削ってくれることだけが唯一の希望の光まであるわな

2020-06-17

はてなにもこういう人何人もいる

ひたすら考え方が政治的。反・反ワクチンのどこが右翼なんだよ…

2020-04-19

anond:20200419191821

尊厳死自分意思表示できない人が死に追い込まれ地獄への一里塚だよ。

地獄に近づくのは何としても避けなくちゃいけないから、尊厳死なんて認めるわけにいかない。

2020-04-08

ミッドサマー人生四季見立てて72歳が来たら自ら尊厳死する風習

実際にどこかにあるのかわからないが、よく出来てるなーと思った

終わりが決まっている分それまで全力で生きられるしトータルでの満足値は高そう

俺もそうしようかな

2020-03-28

anond:20200327213617

それを殺人とするなら自慰避妊尊厳死も全部殺人って事になるだろ。

自分を責める事で気持ちよくなってる奴には何言っても響かんかも知れんが。

2020-03-26

anond:20200326105604

2週間人工心肺つけて回復しなかったらやめますとかできるの?

できない。やったら殺人罪

から普段から高齢でもう尊厳死希望してるような人が倒れても人工呼吸器はつけるな」と言われてる。

つけたら最後、何年経とうが死なない限りそのままでいるしかいから。

2020-02-16

anond:20200216002550

から尊厳死の話と安楽な暮らしの延長としての安楽自殺の話は混ぜるなとあれほど

2020-01-25

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200125/k10012257641000.html

大学時代の友人

被告は『職員が死んだ魚の目をして希望なく働いている』と話すこともありました。しかし『でも障害者かわいい。いつも寄ってきてくれるし俺がいないと生きていけないんだ』とうれしそうな口調で言っていて、ようやく被告が楽しく仕事をするようになったと安心しました」

大学時代の後輩

就職活動について相談したところ、被告は『仕事は金のためじゃなくやりがいだと思う。入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。自分にとって天職だ』と話していました」

自己尊厳の低さを、障害者という依存存在への奉仕という行動で自己尊厳を満たしてるんだろうなって感じが見受けられる。

「俺がいないとこいつら生きていけない」という状態に喜びを感じているんだろうなと感じた。そこに健全さを感じない。

らくだが、被告は当時の自分自己肯定感は抱いていないんじゃないかな。

入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。」は高い自己評価を持つ人間だったら出てこない発言

幼なじみ

「2年ぐらいたったときに、『障害者はかわいそう。食べているごはんもひどくて人間として扱われていない』と話すようになりました」

3年経過。社会に貢献している、素晴らしい仕事従事しているという認知フィルターが外れた状態

もし健常者が体験するなら地獄のような非人間的環境に対する冷静な評価。その状況に対するリアクションを行えない事に対する重度のストレスも見受けられる。

高校時代の友人

「6月ごろ突然『意思疎通できない障害者は生きている意味がない』と私に言うようになりました。あんなに仕事に満足していたさとくんがそんなことを言うようになったので仕事で何かあったのかなと思いました」

地元の友人

「夏ごろから意思疎通ができない障害者について『安楽死させたほうがいい』などと言うようになりました

仮説1:

被告従事している仕事に対する認知が下記のように変化した。

『何もできない障碍者ケアするという社会的意義のあり、必要とされる仕事従事している』(入社時)

地獄のような環境障碍者隔離放置する倫理的に許容しかねる状況に加担している』(2,3年経過)

「正しい事は何だろうか」

主張

障碍者安楽死させるべき」

想定しうる主張の論拠

社会的情勢として、社会に対する生産性の低い、貢献度の低い人間積極的排除されている

介護従事者が現在倫理的に許容しかねるような非人間的環境の維持、加担というストレスフルな状況から解放される

障碍者尊厳死という考え方。障害者施設隔離され、介護従事から「尿と便の詰まった袋」扱いされながら一生を終える状態人間として尊厳を保ってないのではないかという考え方

多分被告死ぬ直前まで自説の正しさを疑わないだろうなと思う。

実際従事したことは無いが、こういった介護系の職場って

言葉による疎通が困難な動物的な特性を持った対象

人間的な対応継続して求められ

・非常に高ストレス環境にも関わらず、相応の報酬が得られない

こういう環境なわけでしょ?よほど自己犠牲的な傾向が高くないとやれない仕事だと思うわ。

俺は絶対こんな仕事就かないし、働いているやつはホントすごいと思うよ。

れいわの議員さんとかがこういった構造に対する認知を広めていってるけど、

結局のところこれ、こういう福祉に対する予算人員ルールをどう整備するかって所でしか解決できない問題だよな。

後期高齢者に対する医療費天文学的に膨れ上がってて、他の予算がshrinkしてる現状だと、

こういった状況を改善するのは絶望的。

正直現場の人や、障碍者人達は報われて欲しいと思うけど、多分そうはならないんだろうなって思う。

こんな大量殺人みたいなケースは早々起こらないけど、これから認知症、後期高齢者区分の老人とか、

知的障害者とか相手虐待事故死、殺人とかどんどん増えるんだろうなって思う。

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