はてなキーワード: 先入観とは
以前、子供に習い事を3つも4つもさせるのはどうかなという記事があったけれど
http://anond.hatelabo.jp/20150907095417
とにかく、字が汚いと仕事ができない人という先入観を持たれてしまう。頭が悪いようにも思われてしまう。この先入観を覆すのはなかなか大変だ。
その反面、字が綺麗なだけで、仕事が出来るように見える。頭が切れる人に思われる。そのうえ、清潔感までプラスされて女性ウケもよくなる。
テストの結果で学力が測れたからだ。どれだけ字が綺麗でもテストの点数が悪ければ頭が良いとは評価されなかった。
先入観すごすぎて笑った。
そうそう、私を笑ったお客様たちもこういう勢いだったな。勝手に設定作って口から泡飛ばして無理!絶対無理!って。たった6行に長文乙。
専攻はピアノやヴァイオリンではありません。うちにはグランドピアノはありません。
「昨年の」年末になんて私どこに書きました?おかしいなあ。別れたのは数年前です。
海外で勉強したいとは言ったけど音楽をとはお客様に言ってませんよ。んもう。
日本でニュースになるような大きなコンクールとリサイタルではありません。リサイタルにもいろいろありますし。それでも、自分の中では今ひとつの達成感があります。
どうして感動しない内容を増田に書いちゃいけませんか?大きくなければ成功は自慢しちゃいけませんか?
妄想の音大をご存知のようなのでちょっと訂正しますが、ピアノと一部の弦以外はブラスバンドから入ってくる人もいますから、家にピアノも防音室もない人は多いですし、藝大が本命で滑り止め私立に入った人は大学の先生につかずに入学して振り分けられる人もいますよ。声楽であればもっと遅くて高3で合唱から声楽に転向して藝大に入る人もいます。ピアノとヴァイオリンは特殊で、大学に入った時の順位のまま卒業すると言われているほど若い時代に完成が求められます。
信じたくなければ信じなくてもいいです。渡航前に失恋して増田に長文書いてボロクソに叩かれたのが懐かしくなって書いてみただけですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150920014850
面白いか面白くないかは個人の感受性の違いだからなにも言わん。
ただ、おまえの観察力が非常に貧弱なのはよくわかった。ほんとにモバマスやってるの? そのうえでデレステのコミュとかぜんぶ見た?
たとえばきらり。WONDERFUL MAGICできらりのセンシティブな少女らしい内面が描かれて話題になったよな? 新年のイベントで杏ときらりの関係性も掘り下げられた。アニメのきらりはちゃんとそれを踏襲してる。12話しかり、18話しかり。それを踏まえてデレステの10話を見たら魂が震えるっしょ。
みくだって、モバマスのカードだけからもそのプロ意識の高さと仲間思いがちゃんと伺える性格設定だ。アニメで常に「みくが」じゃなくて「みくたちが」と発言することに「そうそう、みくってそういう子!」って感動しきりだったよ。アニメのスタッフは本当に細部にわたるまでアイドルのことをよく観察してるって思った。そういうとこ、ちゃんとみてる? それとも卯月のブルマみすぎて目がつぶれちゃった?
たしかにシンデレラのアイドルはとんがった性格の子が多いよ。これをアニメにするって聞いた時は、シンデレラ劇場みたいな一話完結のギャグアニメにするしかないじゃんって思ってたよ。ところが蓋を開けてみれば、原作の設定はそのまま活かしつつ、現実的に地に足つけた等身大の少女たちを描いてみせた。正直舌を巻いたよ。
他にもお前のあげた欠点は単なる観察不足ばかりで、同じPとして情けない。23話の公園のシーンだって、間にPとMJの会話を挟むことで時間経過を表現してるんだよ、そのあいだに描かれてない会話があったうえでの「私たち帰るね」だろ。どんな会話があったか、24話で描かれるかどうかわからないけど、何かあったんだな、って想像するのが普通じゃん。さらに「どんな会話があったんだろう」って想像するのもアニメ鑑賞の楽しみじゃん。
上っ面だけみて楽しい気分になれる萌えアニメが好きでも別にいいけどさ、そういうのじゃない作品には先入観捨ててちゃんと向きあえよ。というかそもそも10代の女の子のこと知らんだろお前? 女子高生ってほんとにあんな生き物だぞ、知ってるか?
速攻400万DLとかリセマラ推奨ゲーなんだから伸びて当たり前だろとか思ってたスターライトステージを触ってみて、学びがあったので残しておく。
最初にびっくりしたのがこれ。画面奥から降ってくるボールに合わせて叩くだけなら音ゲーと一緒なんだけど
音ゲーと明確に違うのが「曲の流れガン無視」のシーケンス(譜面)。
わかりやすいメロやボーカルが難しくないリズムなんだから、それ叩かせればいいところを裏拍から急に表拍叩かせたりしてる。
曲と一体になって演奏する感じのまだ残ってる音ゲーとは別の物だった。
その代わり、ヲタ芸打ちやコールに近い譜面が「特に低難易度に集中」してるので音ゲーを求める人は低難易度やらなくていいんじゃないか
・音ゲーは高難易度化(高度な演奏とはイコールじゃない)がひどくなっていて(太鼓○達人でさえそうだ)、音ゲーだと先入観を持たれない為にリズムゲーを謳った?
・某クライアントが並べる「わかりやすい曲」っていう単語はつまり、ゲーム用に尺ぶった切っても使い物になって、
曲そのもののメロやリズムをなぞらなくてもコールやヲタ芸を譜面化すれば物になるような「雑な使い方」に都合のいいものって事だった
好き勝手いじり回すのはn次創作でやってくれる分には弁えてれば黙認するけど、1次の現場で好き勝手されるのは我慢できねーよ。
http://www.kokoro-fire.com/entry/yarichin を読んで。
これに限らず、「◯◯な人は△△な可能性が高い」とか「□□の見抜き方」
みたいなレッテル張りを、信じる信じないはまぁ勝手にすれば良いと思うんだけど、
それで、大事な出会いとかチャンスを次々と逃してりゃ世話ないよね。
カッコいいと思ってる人が、「でも、◯◯な人は△△な可能性が高いらしいし」みたいに
躊躇してる間に、実は誠実で良い人だったら、どうすんの。すぐ売れてっちゃうよ。
みんなその人に同じ様な関わり方してて、例えばある人がレッテルを貼らずに接してくれたら、
多分その人は、そういう人を大事にしたいと思うし、好きになるよね。
裏切られたり騙される人っていうのはね、相手を色眼鏡で見てる人なんだよ。
だから、騙されるんだよ。先入観とか、上の記事みたいなくだらないレッテルを信じてるから、
それが伝わって相手はお前を裏切ったり騙したりするんだよ。
何で分かんないんだろうね。チャラ男に食い物にされてる馬鹿な女って。
次は騙されないぞ!って思えば思う程、相手を属性で判断して、それか相手に態度で伝わって、
また裏切られるんだよ。
バックバンドでいいなら余計に問題ないでしょうに。ライブでアカペラで歌うわけでもないでしょ。
これまでアスタリスクでだりーがギター持ってなかったのは単に弾けなかったからだし、
それで、だりーながそういう認識でいいと思ってるという描写は?
だりーなが、ギターが上手くなって、アスタリスクで、音楽性やスタイルが備わったロックをやればいいと思っている描写は?
「李衣菜ちゃんはもっと本格的にロックやりたくて、本当はみくと組むより…」と、
「李衣菜ちゃんが良かったって思えるようにみくが頑張らなくちゃ」と、
後者の場合だと、「李衣菜ちゃんが迷わないように、このユニットで良かったって思えるように、『みくが』頑張って最高のユニットにしなくちゃ」
とあるように、だりーなが迷わないよに、このユニットでよかったと思えるように、みくが主体的に活動して、だりーなの気持ちを動かすと読める。
これは、だりーな自身の気持ちがどうであるのかを置き去りにした、まさしく「人の気持ちを勝手に決める」ものだ
対して前者の場合だと「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんはもっと本格的にロックやりたくて、本当はみくと組むより…」とあるのは
みくが、だりーなの心情を察していたことを打ち明けているだけで、「人の気持ちを勝手に決める」ものではない
逆に前者だと思う理由を具体的に説明してくれないかな?
みく「アスタリスクはロックじゃないでしょ」→だりー「いやアスタリスクはロックだ!」という方がよっぽど「素直な読み」じゃないの?
この読みとやらをもっと具体的に書いてくれない?
前々から思ってたんだけど、本来の台詞を約すのが多いよね、もっと具体的にしてくれないかな?
本来は「アスタリスクはロックだけじゃないし、本当はもっとなつきちゃんの新しいユニットみたいな」に対して
「自分がロックだと思ったらそれがロック、アスタリスクが私にとってのロック」だから
増田がもし本当に「ロック本来の音楽性やスタイル=ギターを弾くこと」とだけ考えているだけなら、
上で書いたとおり「アスタリスクはロック」ってことで納得してくれるはずだよ。
でも増田が言外にいろんな先入観を「本来のロック」に反映させているから、こっちが何を言っても納得してくれないんでしょ。
ロックにはいろんなロックがあるけど、それらに本格的だとか本格的じゃないなんて無い、ぜんぶロックだ。
という大前提が共有されないと何とも言えない。
「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」
この台詞をどう読むの
だりーなはこの台詞を否定していない、この台詞を否定していないということは
バックバンドでいいなら余計に問題ないでしょうに。ライブでアカペラで歌うわけでもないでしょ。
これまでアスタリスクでだりーがギター持ってなかったのは単に弾けなかったからだし、
ギター練習して上手くなってからギターを弾きたいってPに言えばいい。
これは「李衣菜ちゃんが迷わないように、このユニットで良かったって思えるように、みくが、頑張って最高のユニットにしなくちゃ」にかかってる台詞じゃないの
「李衣菜ちゃんはもっと本格的にロックやりたくて、本当はみくと組むより…」と、
「李衣菜ちゃんが良かったって思えるようにみくが頑張らなくちゃ」と、
その「音楽的なロック」「精神的なロック」とかいうの以前から主張しているけど増田の独自定義だよね。
ロックには音楽的なロックと精神的なロックがあって…なんて理屈をこねくり回すよりも、
みく「アスタリスクはロックじゃないでしょ」→だりー「いやアスタリスクはロックだ!」という方がよっぽど「素直な読み」じゃないの?
俺は「なつきちはロック本来の音楽性やスタイルが備わっている」「アスタリスクはロック本来の音楽性やスタイルが備わってない」と主張しているのね
それは論破されてないよね
増田がもし本当に「ロック本来の音楽性やスタイル=ギターを弾くこと」とだけ考えているだけなら、
上で書いたとおり「アスタリスクはロック」ってことで納得してくれるはずだよ。
でも増田が言外にいろんな先入観を「本来のロック」に反映させているから、こっちが何を言っても納得してくれないんでしょ。
ロックにはいろんなロックがあるけど、それらに本格的だとか本格的じゃないなんて無い、ぜんぶロックだ。
という大前提が共有されないと何とも言えない。
google検索で「東大 湘南」と入力して検索結果に気になるもの(http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n335731)があったので、はてなに私の考えを残そうと思います。
ー>同意。
「トップ校」として湘南高校に入学を検討している保護者及び受験生は、偏差値だけでなく、最大の行事の体育祭を見に行きましたか?
もしNOならば、見に行ってください。考えてもらいたいのは、
・一年掛けて自分の子供が、自身が高2の夏から高3の夏まで期間この体育祭の準備に専心するということ。本当に自分事として見ていますか?
・あなたの考えている高校生活とこの事実は擦り合っていますか?
湘南高校の場合、体育祭の規模は日本一の体育祭と吹聴するほど大きいです。
このため、この体育祭の準備に時間的コストが"日本一"割かれるという形で湘南生に降りかかります。
是非、体育祭を見に行ってその事実にリアリティを感じ取ってください。良くも悪くもそのリスクとリターンの程度を受容してから志願しましょう。
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よくみると数があっていないと思います。
早稲田6個慶應6個うけて、全部合格とかあってそれが足されているのです。
オタクとかインキャラとか呼ばれる、スクールカーストの下の人だけです。
明るく元気でクラスの人気者タイプの生徒はかなり高い確率で三流大学になります。
ー>だいたいこんな感じ。
体育祭の準備を組織的に行うために役割分担します。確かパート決めとかいう。
こうして、クラス内ではスクールカーストに相当する上下関係が明確な名称で与えられることになります。
また、パートの選択によって体育祭の準備に捧げる時間が変わるという特徴があります。
例えば、東大に行くような生徒さんは競技パートという時間的コストがかからないパート(役職)についていることが通例となっています。
クラス内でもそうした通例は3年間の高校生活の間晒され続けているので、あのパートは陰キャラ、あのパートは脳筋、あのパートは...のように、本人の個性に先立って、パート自体の先入観が与えられています。こんな学校です。
「亜細亜大学いくよ」などと二年生が話すのをみていて
「ここ県内トップの進学校じゃないの?」と不思議に思いました。
ー>初耳。私はこうした体験はしませんでした。
湘南高校で生活してわかりました。ここはどんどんバカになる高校なのです。
なぜかというと、進学校であるにもかかわらず「勉強より部活動と行事」という
ー>4年制高校と自虐する語録が残ってるので上の考えは多数派と私も思います。
先生方のモットーが「俺たちは人間教育をやっている。だから勉強したければ
ー>そんなことなかったです。教員によって方針が異なります。熱心に取り組んでいると思います。出来る範囲で。
ただ、上記のようなフツウでない特徴がある高校であり、入学者の意識とのギャップがあまりに大きくなっています。
こうした不満をフツウな水準に押し下げることはできていないと感じています。
なんで勉強より部活動と行事か、というとこれはそういう学校だから、
としかいいようがありません。
おそらく戦前広島の海軍学校に湘南中学からかなりの生徒が進学したため、
ー>文武両道が教育目標だったと思います。負担の多すぎる行事を正当化する理由として機能してますね、確かに。
生徒全員が部活動強制のような形なのですが、体育会系と音楽系は
ー>これは人によります。湘南高校に限ったことではないと思います。
忙しいところは忙しいし、緩いところは緩い。忙しいところでも、休めばいいし、緩いところでも自主練すればいいでしょう。
部活動に関しては自由に活動できるので、引いていえば自己裁量、自己責任かと。
これはなぜかというと、湘南高校は留年がいじめで登校拒否とかに
ー>同意。
大学受験で必ず大東亜帝国には入れます。湘南高校の生徒はみんな
ということは、高校時代一回も教科書開いたことなくても全部0点でも
大東亜帝国はいけるのです。だから、先生方も、成績の悪い生徒になにもいわず、
そのまま進級させます。
ー>ほぼ同意。必ず入れるとか...
とれないというのは、かっこ悪いですから、レギュラーをとることに
ー>こういう人って中学校の頃にどういう姿勢で部活に取り組んでたんでしょうかね?
高校二年生の夏休み明けには、理数系の授業はクラスの半分がついていけなく
なっています。
ー>ついていけてないというのは思い込み。ただ、3年の文理分けの比率は1:1でクラスの半分近くは理数系の授業を必要としていない。
だから、二年の夏休み明けに生徒は文系理系の選択をしているから文系と決めた人は理数系の授業に”ついていかなくなる”のかもしれません。
このことから、湘南高校は生徒の文理選択の意識と受験科目の決定の胸算用がいかほどかを調べてみてもらいたいですね。
ガリ勉タイプや容姿に恵まれない女は後ろで絵を描いたり、小道具を作ったりです。
結局組織だから、体育祭でクラス内で上下関係ができちゃうんです。
ー>上述の通り
あとの35人は人気者の手下となって一年生二年生三年生の夏休みを
ー>同意。合わない人にとってはとことん合わない。ムラ社会っぽい要素が他校より強いと思う。
体育祭に参加しないとかなり高い確率で集団シカトされるので、参加しないわけには
いかないのです。教室のグループで昼休みは一人で弁当で、休み時間は誰も
口利いてくれません。
つまり、湘南ではない進学校にいけば現役で一橋大学商学部にいけた生徒が
ー>他の進学校行ってもそういう人は同じ結果になるよね
以下は略。湘南高校に限ったことではない。
とはいえ、
体育祭に関わりの薄い生徒ほど進学実績に貢献している一方で、彼らはスクールカースト劣位を与えられる。
私は、こうした相関を他校以上に生徒が理解して行動しないと、他校以上に不満が大きくなるだろうから、より状況を説明しておいたほうが良いと思う。
そのため、生徒会なり、実行委員会なり、なんでもいいから、冊子を配布するとかで理解を深めてもらうような啓蒙活動をすることを期待している。
すこしでも前に進めようと常に努力する姿勢は個別問題にかぎらず、学校へ好循環を与えるんじゃないかな。
悲しみを断ち切れ!湘南生!
とりあえず、古本屋へ行ってみる。私はそこで懐かしい本を発見した。
「桃太郎」だ。それを読んでいたら、あることを思い出した。
ちなみに、最初は誰もが知ってるとは思うけど説明しておくと、
とかいう話の流れだ。
それで
「大きなモモを包丁で真っ二つに切るとさ、桃太郎がケガするだろ!? 桃太郎、なんで無傷?」
てよく冗談にするよね。
私はこう仮説を立ててみた。
タテじゃなくてヨコに真っ二つにすれば大丈夫なんじゃないかと。
そしたら鏡文字みたいに対象じゃないだろうって言われた。でも本当にそう言えるかな?
それは先入観なんじゃないか。
たとえばサンマを「真っ二つにする」ときってさ、頭とシッポの中心になるところかをたたき切るだろ。
サンマを真っ二つにしたよ
っていうじゃん?
むしろ対象になるようにタテに変に包丁入れたらどうやって食べるの?って感じじゃない?
でもじゃあ桃太郎はどこにいたのか。横から切ったときの桃太郎のほうがむしろ完全に真っ二つになりそう。
って思うかもしれないけど。
上のサンマ的真っ二つをふまえておいてな。
大きな桃の一番下らへんで、
桃太郎が
布団に寝るように横たわっていれば
__〇 ←桃の底辺でこんな感じになってる(丸が顔、線が体)
そしたら、横から切ったとしても、桃太郎はどこも切られることはない。
桃太郎はそこで目覚めて(それともひそんでた?)むくっと起き上がって「呼ばれて飛び出てジャジャ(略)」
ってできそうじゃね?
って言えるかもしれない。ケガすることもない。多少、強引だけど、こちらのほうが現実的だと私は考えてる。
ちなみに
桃から桃太郎が「飛び出してきた」とかいう風に語られやすいこの本。
それは
「起き上がった瞬間だったから」じゃないかな。起き上がるとき、はねあがるだろ?
底辺で横になっていたのに、桃を切られたから驚いて飛び上がった桃太郎。
それがおじいさんたちには飛び出してきたように見えたんだ。
ぜんぜん強引な考えじゃないよ、これは。
「そう感じるけどその先入観は排して主張を聞く」というなら分かるが
「そう感じるからまともに取り合わない」なら結局は同じことじゃないか
特に何を語るわけじゃないんです。けれども、日記というものは、毎日書いていくものでしょう?
そこでわたくし、毎日書かなければならないと思って、はてなダイアリーなんかを開くわけなんです。ところがわたくし、あんまりここへは書きません。今まで3つほど書いたことがありますが、たわいのない話です。
今日は何を書こう。そう思うと、日付の欄にはすでに7月3日と入っているのです。日付は自動に書いてくれる。そこで、わたくしの一番最初に考えることはタイトル、ということになります。
タイトルに何を書けば良いかしら。と考え出したならば、何やらSEOとかいうわけのわからないことがあって、何やらキーワードを盛り込めとか、何とか言ってくるんです。そんなの、いちいち面倒くさいから、放っておいて、ひとまず書き出しをタイトルにしちゃう。
「おいっ!タイトルにはキーワードを2つ以上盛り込めって何度も言っただろ!」
そんな声も聞こえる。けれども、放っておいて良いんです。
わたくし、昔から文章を書くのが好きで好きで、この仕事を希望したはずなんです。それなのに、何やらいろいろ注文付けられていくうちに、嫌になっちゃった。好きなことを仕事にしたのがいけなかったのか、自分の融通の利かない性格のせいなのか、よくわからないけれど。これからどうしたら良いのか途方に暮れてしまいますが、まあ、いっかと思っています。
そもそも、どこかの正社員になって、家族を持って養って、家を買い、車を買い……ということが「幸せ」という刷り込み自体に疑問を感じ始める今日のこの頃です。お父さんがいて、お母さんがいて、子どもが両親共に手繋ぎで、はしゃぎまわるみたいなCMも見たような気がしますが(自宅にTVはなくなった)、いったい、誰が何の目的でこんな先入観を植え付けようとするのか。人生に疲れつつ、しかしここで斃れては悔しいので、生きようと思う者の独り言である。
何でだよ。何でそこでイを小さくするんだよ。女子高生か。ギャルか。
オッサンどもがさもコレが正しい表記ですと言わんばかりにツィートツィート連呼してるのを見ると寒気する。
公式の投稿ボタンが「ツイート」なんだから堂々とイを大きくしろよ。
お前はTwitterを声に出して発音するときチッターチッター言ってるのかと問い詰めたい。
イにアクセント置いてるだろ?ツイ↑ッターって言ってるだろ?
もはやインストールをインストロールと言ったりデスクトップをディスクトップと言ったりするレベルの間違いじゃないか。
ツィートを略して「ツィ」とか書く人もいるがもう訳分からん。
リアルでTwitterの話するとき「今日はたくさんチした」とか言うのか。言わんだろ。舌打ちか。
わざわざツィッターと書く人は素直にツイッターと書いてくれ頼むから。
(追記)
なんか「ツイッターも正式な発音じゃないだろ」的な意見があるけど、上にも書いた通りツイッターは公式の表記だから。
まず「公式がツイッターなんだからわざわざイを小さくするのおかしくね?」っていう考えが大前提としてあって、
そこからさらにツィッターの発音と表記の不一致に触れてるだけだから。
その点、岩田社長のトゥイッターとかはまだ分かるんだよ。絶対にそんな書き方しないけど、理解は出来るんだよ。
医学部なら四諦の例えは聞いたことがあるだろうが、俺は患者の言葉は信用しないようにしている。参考にしたらアレだから言葉半分で聞きなよ。
まず前提として、大学の友人か高校の友人以外は全員信頼できない。信頼できる人数は世界全体で0だ。
0.1とかじゃなく、0だ。
信頼は会話の絶対条件ではない。
全く信頼しなくたって会話は普通にできる。
その後の検査でだいたいわかるわけだし。
ただ、好き放題喋らせるだけ。
一応それらしい会話はしておくが、実際は聞いていない。
相手の話を真面目に聞いていると、
例えば相手が胸がズーンと押さえつけるような痛みがあると言ってきたとする。もしかして狭心症かな?と思う。
心拍数を測定したら、狭心症か不整脈かのどっちかに絞り込まれた。
どっちで判断を下すべきか?ここで患者の話を参考にすると、誤った判断を下してしまう。
患者がセカンドオピニオンで不整脈だったと言ってきて、責任追求されたら?
いやこんなこと言っちゃダメだけどさ。
信頼するという行為は、常に期待した結果を運んでくるとは限らない。
ならば、期待値を下げて下げて下げまくって、「信頼」という不確かなものが不要になるところまで行為を洗練すれば、信頼に惑わされることはないはずだ。
人の命を預かってるんだ。信頼なんて神頼みみたいなもんじゃないか。
それは患者のほうはしてもいいが、医者のほうはしてはならないことだ。