はてなキーワード: 超弩級とは
この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授の純丘曜彰氏である。
反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。
エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で
純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。
筆者の感じた純丘氏への疑問とは、
そして「独りよがりなデザイン論」「デザインに関する知識不足」である。
http://www.insightnow.jp/article/8591
瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である。
デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、
純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。
以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である。
ニーチェの独文の警句を英文で引用して、名前の綴りがコピー元のままに間違っていたり
(page:2 より)
Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、
その最後の名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、
すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。
Pinterest に綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。
ここで問題なのは「佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。
この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、
ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。
純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである。
最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。
「大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。
論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが
こんなお粗末な方法で文章を書いている人物が学生に論文の指導をしているのはいかがなものだろう。
あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。
およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。
まるでいやな気分にさせること自体が目的のひとつにもなってしまっているようだ。
純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。
だがそれは個人的な感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。
大学教授、美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。
識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。
騒動の中、感情のほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。
これ以降、掲示板でもエンブレムをゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。
http://www.insightnow.jp/article/8644
ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。
疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたものを
「超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、
デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。
むろんそれ自体は問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、
己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは
この一文の含まれる段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら
「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデアを否定するのが目的のようだが
9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?
さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、
黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス的悪趣味。
解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。
エンブレムを仮に芸術のひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。
しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザイン」である。
アートのように何ものからも束縛されない自由な意志で構成、配色したものではない。
見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレム」であるという情報とともに接する、
そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。
佐野エンブレムがスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。
が、「ナチスフラッグ」である、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは
エンブレムの出自、コンテクストを無視した悪意のあるミスリードでしかない。
ゴキブリの画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがりな解釈を
強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。
どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視のRGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷のYMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり
この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。
この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを
結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである。
純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。
発表されたエンブレムは RGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、
佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、
あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……
RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり
CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である。
RGB と CMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである。
ポスターやプログラムに印刷するなら CMYK のデータを用意する。
純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、
デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。
特色というのは印刷インクの一種で、
通常のプロセスカラー(CMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである。
エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこからの情報かわからないが
(筆者は見たことがないので、まずはそのソースが問題である)、
それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。
RGB/CMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用の現場に応じて「自然に」決まるのであって
雑誌のカラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである。
金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。
特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、
そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。
・特色番号(印刷用)
純丘氏の言葉を再掲する。
以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナーを想像できるだろうか。
すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定(CMYK 値)のない、
純丘氏の作為の産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。
このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも
デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。
大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。
「佐野五輪エンブレムは超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど
エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、
このペダンティックな解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、
芸術・デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、
この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、
己の求める結論「佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉と作為的イメージを用いて
流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。
佐野五輪エンブレムは超弩級の駄作! - INSIGHT NOW!プロフェッショナル
大阪芸術大学教授という肩書きになっていて、一応美術の博士号は持っているらしいが、東大卒で専門は哲学。少なくともデザインの専門教育を受けた形跡はない。
佐野氏のオリンピックエンブレムがいかに駄作か、いかにも論理的に解説している風の記事を寄稿しているが、初めから批判ありきで筆を進めているから、展開している論理がむちゃくちゃだ。特に色の解説が酷い。
「黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ」
・・・じゃあなにか? Jリーグのマークは、死や悪と血のシンボルを掛け合わせた、醜悪なデザインって事になるのか? とんちんかんにも程があるだろう。
紅白+金銀+黒なんて、日本の凡庸な伝統的配色だよ。何言ってんだ。
大阪芸術大学教授なんて肩書きで延々とピンぼけの思い込みを垂れ流しやがって。信じる奴が出ちゃうだろう。勘弁してくれ。
「俺様は不細工で全くモテないけど無条件でお前んちの娘を産む機械に寄越せ」なんて図々しい事を抜かされて傷つかない娘の親が世の中にいるとでも思ってんの?
顔のまずさが原因で人に暴行を受ける、暴言を受ける、なるほどこれなら差別でありこうしたハラスメントは是正されねばならない。だけど恋愛だの結婚なんてのはしなくたって生きていけんだよ。「クソみてえな恋愛や結婚や子作りで不幸になるくらいなら独りでいいです」ってんでみんな結婚しないで独りでいるんだろうが。
そんなに遺伝子の多様性(失笑)を残したいんなら、ATMが欲しくてたまらないバツイチの性悪ブスBBAがそこらへんに沢山いるだろうから勝手にそれ引っ掛けてこいよ。稼ぎ全部好きに使って下さいと土下座でもすりゃ子作りにも応じてくれんだろ。自分の遺伝子が残せりゃそれでいいんだろ、産まれた子供の人生がどうなろうとお構い無しに、不細工でポンコツのボクチンの子孫さえ残せりゃそれでいいんだろ、世間じゃそれを毒親って呼ぶけどな。
現代日本は自由と人権の認められた国であり、誰かの幸福を補償する為に別の誰かの幸福と人権が脅かされるようなことがあってはならない。
不細工のお前が少子化解消の為に超弩級の性悪寄生虫ブスと無理矢理結婚させられないで済んでるのは、我が国がお前に対する人権を保障してくれてるからだ。
超弩級の性悪寄生虫ブスにだって遺伝子の多様性は認められてるからな、そういう女の遺伝子もあるいは未来には必要になって来るかも知れない。納税奴隷も沢山必要だ。自力じゃ結婚出来ないあぶれたポンコツ男女を無理矢理番わせて繁殖させようと思えばできる。それをやらないのは我が国に人権があるからだ。人権がお前を守ってくれてるからだ。
お前と同じように日本国民全ての女性が守られている。意に添わない結婚に従う義務はない。不細工のお前と結婚したくないですと女が言ったら誰にもそれを強要出来ない。それから人権を取り上げてお前と無理矢理結婚させて許される国になれば、彼女だけでなくお前からも人権は剥奪される。お前がVIPの息子だとかそのくらい特別な理由がない限り、お前にあてがわれる女をお前が自由に選べる権利はない。
何度でも言うけど「不細工でも子孫を残したい、国はどうにかして!」と甘ったれた事を抜かすなら、自分にあてがわれる女が正常な女だなんて夢にも思わない事だ。
自力で恋愛結婚出来ない、ポンコツとの結婚を避ける為に全力で守ってくれる存在もない、お前と同じどうしようもないあぶれ者の欠陥品しかお前には回って来ないよ。可愛くて性格のまともな女はみんな、マシな顔で性格のまともな男と必死で結婚するよ。ポンコツあてがわれたらたまったもんじゃないからな。
マジで言うけどネタで書いてるんじゃないならお前母ちゃんに産んだ事後悔されてるレベルだぞ完璧に。顔面の善し悪しじゃなくて、ここまで人の気持ちを思いやれない自己中に息子を育てちまったんじゃもう死んでも死に切れないよ。
世の中には善人も悪人も性別に関わらず両方おり、一部のゴミの性別が男だからって、全部の男がそいつと同じゴミじゃないことは頭で分かっている。
だが先日、柏の通り魔に不運な男性数名が襲われひとりが殺されてしまったとき、被害者を素直に悼む思う一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな暗い夜道を歩いていたからいけないんだ。殺されるようなお前に落ち度があったんだ」
女に産まれていれば腐るほど聞かされる、犯罪の被害に遭った女性を嘲笑い落ち度を責める言葉をそっくりそいつらに投げ返してやりたい衝動で胸が一杯だった。
被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに。
木島香苗の事件やそれに類する保険金殺人が起きたとき、人を騙して殺すなんて最低の女だと犯行を憎む気持ちの一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな女に騙されて付き合う方が悪い。犯罪者だと見抜けなかった見る目の無いそいつがいけないんだ」
だってそうじゃないか、女はストーカーに遭って殺されようが勤めていた耳かき屋の頭のおかしい客に殺されようが女が悪いと言われ、場合によってはビッチに気を持たされた男性が可哀想だなどと加害者に同情まで起きるんだ。下心見え見えのアピールに簡単に引っかかって、ホイホイその相手に入れあげて殺される落ち度がもし女にあった場合、間違いなく男のそれの10倍は酷く言われるはずだ。
女が日頃から言われまくっている事に比べたらちょっと連中の言葉を借りて言い返す事なんか屁でもないはずだ。
(被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに)
あるサイトで、自分が男性不妊である事が分かってEDになってしまったという、とても落ち込んでいる男性の記事を読んだ。
「そこまで思い詰める事は無いのに。夫婦で話し合って子供を持たず暮らす道もあるじゃないか」という慰めの言葉の反対側に、間違いなく闇があった。
「こいつだって妻が不妊だったら掌を返して石女は要らないと捨てたり、マトモな嫁が欲しかったと被害者ぶるくせに」
その記事には沢山のコメントがついた。
「これが女だったら産めない欠陥品の上に便器としても役立たずだと言うくせに」
「女が原因ならどんなに苦痛だろうと当然のように治療をさせて金がかかると文句を言うくせに」
「嫁とそのご両親が可哀想だから早く離婚してあげろよ、我が子や孫の顔を見られない人たちの気持ちも考えろ(皮肉)」
「孕ませられない種無しの欠陥品になんて価値ないよね? 結婚してる意味ないよねこの男(皮肉)」
自分と同じことを考えている女が案外世の中にはいるものなんだなと思った。
(悩んでいるその男性は、妻に対してそんな酷いことを考えるような人ではなかったかも知れないのに)
暴力や浮気を受ければ女が至らない(見る目が無い)せい、犯罪に遭えば女の落ち度のせい、子供が出来なきゃ欠陥品、作れば迷惑な邪魔者、子育てに落ち度があれば母親失格、容姿が冴えなければブス、年齢が20歳を超えていればババア、共働きでも家事育児全てこなさなければ亭主を蔑ろにする無能妻、専業やパートは寄生虫、独身女は出来損ない、男の本能に従わない女は愛されないクズ、女はゴミ、家畜、劣等生物、産む機械、便器、
そんな言葉をネットに吐き捨てるのは心の歪んだゴミのやることだ。人生がうまく行っていない不幸な連中が、自分より劣っていると勝手に信じている他人を理不尽に攻撃して、その場限りでも強くなった気分に浸りたいだけの単なる戯れ言だ。
良識をお持ちのご立派な他人に今更言われなくともそんなことはわかっている。だからなんだ。黙っていたって反論したって汚い言葉で倫理の歪んだ言説を撒き散らすあいつらが、そう割り切ったら全員死んでこの世から消えてなくなるとでもいうのか。
何年もそうした奴らを黙って見ない振りして来た。やり返すのも同罪だから大人になろうと諌める理性的な同性に従った。それで何が変わったのかと言えば何ひとつ変わらなかった。増長してより一層汚らしい言葉を撒き散らすばかりだった。
増長し過ぎて幼女のマ○コ舐めたいだの女強姦して孕ませ家畜にしたいだのネットの隅で一般人にバレないよう隠れて言ってりゃよかった性癖を堂々と表で抜かすようになったものだから、とうとうPTAや教育委員会といった冗談の通じない方々の目に触れて表現規制問題なんて物が起きた。言論弾圧だともっともらしいことを言って被害者ヅラする連中に内心笑いが止まらなかった。ざまあみろなにが言論の自由だ。諌める声を片っ端からブスマンコ黙れだの幼女に嫉妬するババア乙だの罵って封殺して来たお前らが言うな。
ネットから離れてPCの電源を落とそうが、周りのまともな男女と話して現実を取り戻そうが、そいつらの言葉は心の中にわだかまっていつまでも闇を作ってきた。
だから男が酷い目に遭ったと聞くと内心胸がスッとする。
被害に遭ったのが何の落ち度も無い男性ならば本当にお気の毒だ。
だが、あるとき心の中にわずかでも「される女にも落ち度があったのだ」と被害者の女を安全なところから責め立てて悦に入った日があったなら。
人生がうまく行かなかった頃のある日にカッとなって「女なんか肉便器だ。全員家畜にしてやればいい」と過ぎた言葉をどこかに書き込んだ事があったなら。
心の底から指さしてそいつらを笑ってやれる。少しの良心の痛みも感じない。
かつて散々罵って来たそいつらの言葉を、堂々と投げ返してやれる瞬間のなんと気持ちがいいことだろう。
お前らに落ち度があったからそういう目に遭うんだ。ざまあみろ。日頃お前らが言ってることだろうが。自分が言われた途端に被害者ヅラなんて論理的な男性のすることじゃないだろ? 女みたいにヒスを起こして感情的になるなよ。冷静な男なら笑って受け流せよ。ははは。はははは。
まっとうな男性とまっとうな男性を身内にお持ちの女性には、読むに耐えない暴言を深くお詫び申し上げます。
どうせこんなもの書いたところで女叩きが大好きなキチガイ君共の脳に届くことは一生ないのだろうが、今日という今日は書かずにいられなかった。
【追記】
@haha64 さんの疑問にお答え
この理屈で行くと、被害者の女性を女性が叩く場合もあるので(ベビーシッターの事件では母親が女性たちに叩かれていた)、女が酷い目に遭っても内心胸がすっとしているはず。なんでそうならないんだろう。
「私女だけど最近の女は警戒が足りないと思うの。隙があるような服装をしてたからよ」と言ってた女が犯罪被害に遭ったり
「私女だけど最近の女は我慢が足りないわよね、全然男性を立てないし」と言ってた女が超弩級の男尊女卑一族に嫁いで猛烈な嫁いびりを喰らったり
「私女だけど浮気くらいで目くじら立てる女ってバカじゃないのと思うの」と言ってた女が男に浮気されたうえ愛人と一緒になりたいから別れてくれと言われたり
「私女だけど子供を愛せないとか言う母親が理解できない。どんな子でも愛するのが母親でしょ」とか言ってた女がすっげえ育てにくい子産んでノイローゼになったりしてたら
内心どころか心底胸がすっとするよ! 名誉男性も(※ゴミのほうの※)男の一部だからね!!
ざんまあああああああああ因果応報でメシがうまいとか思っちゃうよ!
(というか、実際のところは男性に対しても「もし夜道を歩いてた女が悪いとか言ってたゴミ男だったらざまーみろ!!」と思うからこそ胸がスッとするのであって、普通の男性が酷い目に遭った事自体に対しては全然メシは美味くならないよ! 普通の男性が死んでしまうのはその分ゴミの割合が増えて不愉快なことだからね!)
なんかブコメ付けてくれた一部の人のアカウント晒すカスが出てて本当に申し訳ない。こんなキチガイ増田に賛同ブコメなんかするのさぞ嫌で勇気がいったでしょうに。
皆さん本当にありがとう。
twitterで自分より上手い奴が下手だって言ってると励ましリプより殴りたいってRT見たけど
そもそも自分のことを下手だって呟いてる奴にも色々居ると思うんだわ
自分が今まで見てきた書き手にもこれだけ居るのだから、もっと色んな奴が居るに違いない。
上記のようなやっかみを買うのが面倒くさいから言わないだけで、大抵の書き手は下手だ未熟だと悩みながら努力してるだろうよ。
・「いくらでも」というのは基本的に「限界を考慮する必要が生じない程度に、まるで無限であるかのように」って意味合いで使われる言葉なんであって、
いや、そんなことはない。
そもそも人材が潤沢にあるかどうかなんてのは職能水準の高さやその業界に貢献する人間の数によって異なる。
「いくらでも」というのはそういった細部を徹底的に無視した、「すべての人間はすべての人間と代替しうる」という超弩級の暴論。
・「自分でやる」ってのがどういう意味なのかよく分からないけど、「嫌ならやめろ、俺が代わりにやる」って人はいるだろうし、
もちろん「俺は嫌なら辞める」って人もいるだろう
そういえばこれ見て思ったんだけど「嫌ならやめろ、代わりは俺がやる」って後に、「嫌になったけど代わりが弱者ばっかりだからやめられない」っていうケースは十分考えられるわけだ。思えばこの弱者強者というのはわれながら恣意的に過ぎる運用だったようで。