はてなキーワード: 薬学部とは
幸せな家庭を築くことが夢だった。
結婚出産しても働けるように「手に職」をつけようと思い、高校生の時から医療職を志した。
化学も数学も大嫌いだったのに無理やり薬学部に進学した。6年間しがみついて勉強した。花嫁修業として毎朝お弁当を作って大学に通った。
大学6年間は、将来性のない男とは付き合わなかった。地元に帰って就職したいとか、結婚願望ないとか、そういう人は避けた。
マッチングアプリとか街コンとか婚活パーティーを駆使して、理想の男性に出会ったのが25歳の時。
お互いの両親に挨拶もしたし、結婚の話もしてた。でも貯金ためてから結婚しようとか、奨学金の返済があって自信がないとか、色々引き伸ばされて、29歳の時に振られた
。
他に好きな人ができたらしい。
付き合ってた間頑張ってきた。
料理の腕前もかなり上げた。
忙しくても会う時間は作ったし、見た目にもいつも気を使った。デート代は折半。
結婚はしたいけど、別に海外旅行に行かなくていいし、披露宴もなくていいし、結婚指輪も新居費用も折半で良いと思ってた。結婚したかったから就職してから5年間で600万貯めた。
そして彼と別れ、結婚相談所に登録し、30歳になる。妥協しなきゃと分かってるけど前の彼氏と比べてしまう。
私の場合は5時半起き
・筋トレ
・お弁当、朝食作り
・授業の予習
をしてました。
2.授業をめちゃくちゃ真面目に受ける
真面目に受けて、真面目に予習復習して、単位をしっかり取ることを最優先
4.婚活
サークルが主戦場。大手メーカーに内々定が決まっている男性を捕まえて、卒業後すぐ結婚。
5.全身脱毛
通うのは面倒でしたが、早いうちにやっておくとめちゃくちゃ楽。学割で安い。
6.ワキガの手術
4泊5日、退院後も1ヶ月ほどは両腕の可動域が制限。夏休みを利用しないとできなかった。
7.自動車免許の取得
8.インターン
製薬会社でインターンした。病院と製薬会社、どちらに就職するか迷っていたので参考になった。
仕送りを節約してつみたてNISAを少額でやってました。実際にお金を動かすことでリテラシーや資産運用の知識も身に付く。
成人式に出れなくても、振り袖でスタジオで写真は取っておいたほうが良い
毎日少しずつやってたおかげで、日常会話はこなせる。薬剤師の仕事でも役に立ってる。
同じ大学でキャバクラ、ガールズバー、デリヘルなどでバイトしてる子いたけど、私は節約して仕送りのみ。楽にお金を稼ぐと金銭感覚も狂うよー。
どろどろとした感情が溜まって眠れないので吐き出させてください。後味の良い話ではありません。
母親はわたしが幼い時に離婚してます。物心つく前だったので父親のことは何も知りません。
祖母(母が高校の頃に離婚済)と幼い頃から3人暮らしをしていました。
すくすくと何不自由なく育ててもらったと思います。不自由を不自由と感じないように育てられたのかも知れません。
小中高、全て公立でした。
母も祖母も「薬剤師は食べるに困らない」と言っていました。文系に進みたかったけれども説得する強さが私にはなく、かと言って公立薬学部を受験する頭もなかったため大学は自宅を離れ、私立の薬学部に進みました。
そこからトントンと進級していきました。しかし、3年生で留年してしまいました。奨学金が止まり、アルバイトをしたことで学力は落ち、2回目の留年をしました。流石に3回目は回避し、2種と民間奨学金を復活させることができましたが、当初借りていた1種は完全に廃止になりました。
それから、アルバイトと大学の二足のわらじを今まで履き続けています。
考えてみればお母さんはいっつもお金のことしか言わなかったと悲しくなっています。
確かに、生きる上でお金は大事です。でも、それよりも試験が辛い気持ちとか、生活がしんどい気持ちとか、ストレスで体調悪いことについて心配して欲しかった。
20代半ば過ぎて自分でもなに甘えてんだって思います。でも、小さい頃から「なんでうちにはお父さんがいないの?」って残酷な質問しなかったり、「最新のゲーム機が欲しい」って駄々こねなかったりいい子にしてた。粗暴だったから手はかかる子だったかもしれない。
もともとハグすることなんかが嫌いな人だったから、あんまり甘えさせて貰った覚えがありません。
卒業できないかもしれない、って言ったら「どーすんの?」って言われたの忘れません。「どうしようもこうしようも、今は頑張るしかないよね」って笑いながら言って、電話切ったら泣きました。
どんな言葉が欲しかったのか自分でも具体的には言えません。でも、不安な気持ちをもう少し受け止めて欲しかった。
親の急な物入りだとかで、トータルで100万くらい貸しになってる。毎月返すよって言われてもう一年過ぎるのに1円も返ってこない。親にお金ない事情もわかってるけど、わたしには精神的にすら甘えさせてくれないのに親は経済的に甘えるんだ、って気持ちがどろどろしてくる。
卒業後は一緒に暮らそうとか、色々話されてたけど無理です。ごめんなさい。人でなしだと思います。
でも、お母さんみたく人の気持ち考えることができない人とは暮らせません。ごめんなさい。
母親がもともと発達とかアスペとかなんか持ってるんだろうということに大人になってから気がついた。わたしも多分その気はあると思う。負の連鎖。
それでも、母親のことは嫌いではない。親ガチャ失敗したとも思わない。お母さんなりに色々考えてはくれてるんだなってことは感じる。単純に相性が悪いんだろうと思う。
でもなんで、妊娠中からお父さんと上手くいってなかったのに、わたしのこと産んだの?それでお金のことずっと言われてるの苦しい。念のため言うと、お父さんは養育費ずっと振り込んでくれてたそうです。止まったこともあったらしいけど。
自分の問題と母親の問題を切り離せてないなあ、と文章を書きながら苦笑いです。これ以外にも、うちはご先祖遡って負の連鎖があるのですが、とてつもない量になるので割愛。
家が荒れて、親の言いつけで無理やり薬学部に進学したらコロナもあって環境が本当にダメになっちゃって進級ギリギリ成績底辺でメンタルも死んで身体もボロボロになった。
でもなんとか家を出て、今は適当に生活してる。悪化したものとか幼少期から辛くてずっと抱えていたものがやっと良くなってきて、よかったなーって。でもマイナスがゼロに戻る程度なんだけども。それでも今の生活人生で一番最高だなって思う。これからもっと幸せになりたいな。この程度のたかだか普通の生活で幸せって変な話。
前にここに書き込んだ時に家を出な!ってアドバイスしてくれた増田ありがとう。他の友人からも両親から離れた方がいいって言われて結局家を出ました。
いや、京大は良いと思うぜ。少なくとも、東大に行かないことを正当化できるのは、京大だけ。官僚とかも、比率じゃ東大の次点だし。それに、京大は出世する部類だと思うがなー。本当の負け組は、九大と北大とかじゃないかな。あと、東北大も聞かなくなったなあ。阪大と横国や名大とかは、伊藤忠や三井住友銀行の社長出てるし、報われている部類でしょ。あと、慶応も昔ほどじゃないような気がする。というか、慶応は医科歯科と東工大におされているような気がする。この調子で医科歯科に薬学部をつくれば、慶應は医療系では厳しいような気がする。おそらく、お札効果で、一橋が社長になるケースは増えると思うしね。一橋と東工大と東外と医科歯科の合併を推進して、パリ第二大学みたいに『東京第二大学』みたいにまとまったら、慶応は厳しいのじゃないかな。最近は、慶応出身の政治家も実業家も有名どころが消えたし。石破さんと河野さんも、慶応っぽくないしな。
勉強は不得意。結構勉強しているつもりだけど、成績は中ぐらい。本当はもう一ランク上の高校を志望していたけど、最後まで模試の判定が悪くて諦めた。
将来社会で働くことに興味が持てない。やりたい仕事も見つからない。
ただ、小さい時からよく手伝いをしていたので料理や掃除は得意。今は家族の夕食と弁当作りを任されていて、とてもやり甲斐を感じている。週末も部活がないときは、家の掃除や洗濯をしていることが多い。自分にとって掃除はストレス解消を兼ねた趣味だ。
将来スーツを着て働く自分は想像できないし、そうなりたいとも思えないが、こうやって家族のために家事をし続けられたらいいなと思う。それが一番できるのは、専業主夫しかないと思う。
子どもが好きなので、専業主夫として子供の育児に全力で取り組むことにも魅力を感じる。いくら男の育休拡大といっても専業主夫ほどに子供と関わるのは無理だろう。自分は物心ついた時には父が亡くなっていて、母は仕事で忙しく小さい頃はいつも寂しかった覚えがある。だから、子どもが小さいうちは特に、絶対寂しい思いをさせたくない。
男女の生き方が多様化している時代だし、自分のように働くことより家のことを切り盛りすることに興味をもつ男子高校生がいてもいいはずだ。
ただ問題は、専業主夫へになるにはどうすればいいか、いまいちわからないことだ。
学校では、男も女も働くことが前提で進路を考えさせられるし、専業主夫志望だというのはなかなか言い出しづらい。
参考にできるような男性も周囲にいない。
家族には既に話してある。
夫を死別している母は「一馬力は大変なのよ」とあまりいい顔はしてくれない。しかし「専業主夫になれなかったとしても生きていけるように手に職をつけなさい」とは言ってくれている。
既婚者の友人の多い姉は、「兼業主婦志望で看護師か薬剤師の資格を持っておいた方があとあといいらしいよ」と言う。
ただ、看護師は女性の多い職場は自分には向いていない気がする(小学生の頃、こども合掌クラブが女子ばかりであまり馴染めなかった思い出がある)。それに、看護師という仕事に興味を持てない。人命にもろに関わるだから、興味がなければきついだろう。
薬剤師の方は、まだどういう仕事かきちんと調べられていないけれど、自分の成績で薬学部に行けるかが不安だ。
兄は「専業主夫には向いてると思うけど、結婚相手が見つかるかが問題だよな」と言っている。出会いがある高校生か大学生のうちに恋愛をすべきだぞうだ。たしかに、大黒柱になれそうな女性は大卒だろうし、大学には行くべきだと思う。
専業主夫になった人、専業主夫と結婚したという人、それから専業主婦・専業主夫になりたい人は何学部に行くのがいいのか詳しい人がいたら教えてほしい。
テストは大体100点だった。
ただ友達付き合いが壊滅的に下手で、中学に入ったころから学校に居場所がなくなり、年単位の不登校になった。それはここでは省略する。
高校からは真面目に登校し、友達もできて、勉強も遅れを取り戻すことができた。
高3になり、大学受験に向けた模試では毎回旧帝薬学部が狙えるレベルだった。
緊張して臨んだセンター試験は9割。正直、自分スゲエと浮かれた。
でも待てよ、と立ち止まった。
もし落ちたらどうなる?
学校や塾で授業を聞くのは苦ではないが、一人で勉強するとどうしてもすぐネットに手が伸びて1時間2時間が溶けてしまう。
コツコツ一人で机に向かうことが本当に苦手だった。
だからもし浪人すると絶対にネット漬けになり、ダメになってしまうという確信があった。
親元から遠くなるのに不安を覚えたから、地元から出なかった。(これは正解だった。のちに引きこもりになり生活習慣も精神的にも不安定になったので毎週実家に帰って会話する相手がいてかなり救われた)
当然合格し、駅弁大学に入学。どうやら50人以上の学科で入試の成績が一位だったようで、表彰もされた。
入学するとオリエンテーションやサークル勧誘で異性からたくさん話しかけられた。
新入生の女ならちやほやされて当たり前なのだが、こんな私でもリア充になれるかも?と少しだけ夢を見させてもらった。
しかしその少し後に、私は衝撃を受けた。
どこがわからないのか考えても、一から十まで全部としか言いようがない。
何せいきなり理解不能な単語や概念が当然のもののように出てきて、それを前提にどんどん講義が進んでいく。
その専攻は高校では好きな科目だったはずなのに、しょっぱなから「高校までで習ったことは嘘です。本当はこうなっています(意味不明な説明)」と打ち砕かれる。
極めつけは実験科目で、実験器具を目の前にして何をどうしたらいいのか教科書を見てもまったくわからず固まってしまい、「あ、これ無理だ」と確信してしまった。
授業にもついていけないし、人間関係も、最初は同級生と仲良くできたものの一歩踏み込んだコミュニケーションが取れずに徐々に距離ができていった。
次第に私は大学に行かなくなった。一人暮らしのアパートに引きこもってネットとゲームに明け暮れ、昼夜逆転生活を送るようになった。
土日や長期休みには実家に帰ったりアルバイトをしたりして、そこでだけ人と会話できた。
このままではいけない。なんとかしなければと学生支援センターのあたりをブラブラ歩いていると、入学後でも専攻が変えられることを知った。
これだ、これしかない。
私は文系学部の試験を受けた。普通の入試と似たようなもので、英語と小論文があったと思う。
無事に合格し、心機一転、同じ大学で二度目のキャンパスライフがスタートした。
この学部でも専門科目はわけがわからなかったが、前の専攻とは違ってまだ理解の糸口がつかみやすかった。
また文系マンモス学部なので講義で人と関わることはほぼなく、かつ編入生という明確な立場の違いがぼっちの安心材料になって、余計なストレスを抱えずに勉強できた。
あとはここで躓いたら二留か最悪中退するしかなくなるので、授業も試験も頑張るしかなかった。
幸いなことにその学部は卒業要件がゆるく、ゼミはあるものの卒論すら不要だった。また、私が選んだゼミはゆるさで有名なゼミで、ぼんやりとしたテーマでなんとなく発表する程度で許されたのも運が良かった。
かくして引きこもりぼっち大学生は、一留したものの専攻移動という手を使ってなんとか卒業までこぎつけたのだった。
ちなみに授業と並行して資格試験の学内講座も受けたが、そちらは教えるプロが試験突破を目的とした講義をしてくれるので非常にわかりやすく、自分が得意だった大学受験までの「お勉強」と似ていた。
大学を卒業して長いこと経つが、いわゆる優等生の方だった自分が大学でなぜあそこまで躓いたのだろうとたまに考えることがある。
1.大学で講義をするのは研究のプロであり高校までの教えるプロとは異なるということ。
2.高校までの参考書パラダイスと異なり、底辺大学生に一から理解してもらうための参考書が乏しいこと。(当時の私も一生懸命探したが自分の専攻では見つけられなかった)
3.高校までは「AはBのためCになる」のようなシンプルな絶対的事実をいくつも積み重ねて理解を深めていくが、
大学ではAからZやそれ以上のあらゆるパターンが先に出てくるばかりで絶対的事実に辿り着かず、「結局確実に言えることは何なの?どこから覚えたらいいの?」と地に足がつかないままどんどん先に進んでいくこと。
(よく考えたらお勉強ではなく学問や研究の世界なので当たり前である)
など色々あるが、結局、答えの用意されたお勉強が得意だっただけで、答えのない学問を追究すること、つまり大学進学自体がそもそも向いてなかったのだろう。
高校までのお勉強と大学で学ぶことは全く異なるということは全高校生に知ってもらいたいと思っている。
ここまで読まれた方は、私は発達障害だと思うかしれない。診断は受けてないが傾向があることは自覚している。
しかし「高校までの勉強が余裕だったのに、大学の授業が全く理解できなかった」という話は発達障害界隈でもあまり聞かない。私だけなんだろうか。
私はきっと自殺するでしょう。たぶん30歳くらいまでには
若いとおもいましたねwww?
いやもう私は死にたいのです
ガクチカとして卒業論文(私は現在M2)でつくりあげたシミュレーションモデル(完全に一から作り上げた。ちなみに非情報系)をつかってるのですがうまくいきません
まあ高校は高校教師に吃音いじられてそれを教師の弱みにして出席日数足りずにそれで卒業した卑怯者なんですけどね
浪人してそこそこの国立大学入ったのに結局うまくいきませんでした
なんだかんだ頑張ったのに、社会は私のことをいらない(まあとっくにわかってた。だってみとめられたこともないし)
ああ、うまくいかない
マッチングアプリで作った同い年同じ大学の彼女(顔はかわいくないけど、頭はいい。私のことわかってくれると思ってたけど医療かじってるから表面だけわかる中途半端な嫌な奴だと今気づいた)
は、就活状況に対してDisってくる。まあ薬学部で成績よかったもんね。僕のことわかったふりして傷つけるの得意だったよね。まあいいやもう連絡しません
理解者のふりして自然にマウントとってくるやつが多い(西成にマウントとりにいったくそ女とか)
ああ、女っていいよな。馬鹿でも顔がよくて頭いい振りすればまともに生きれるんだし
それは私がここ一年てんかんのような症状で三度病院にはこばれたからです
私は今まで、うつ病、発達障害、吃音を隠すように生活してきました
もう生きたくないです