はてなキーワード: 棺桶とは
お通夜の式の前にお線香あげて顔を見た。すごい綺麗だった。血の気がなくて真っ白で安らかに目を瞑ってた。
私がおじいちゃんの顔見てたら横で母が、今にも起きてきそうだよねって言った。でもおじいちゃんの眠ってる時の顔はもっと眉間にシワが寄ってるし、これはなんか違う。それで、この人は本当に死んだんだなって感じた。
棺桶にはおじいちゃんが出かける時にいつも被っていたハンチング帽が入っていた。ここ数年は透析をしていて、遠出もできなかったから被っている姿を見たことはあまりなかったけれど、おじいちゃんのトレードマークのようなもので、とても懐かしいものだ。
おじいちゃんに最後に会ったのは、おじいちゃんが死ぬ2日前だった。おじいちゃんの体調が急に悪くなり、父の表情や会話が険しくなって、家族内にそろそろダメかもって空気も漂い始めていた。
病院に行ったらおじいちゃんは、私をしっかりと見て、私の進学先の話をしてくれた。細々としてはいたがちゃんと会話をしてくれた。でも、ご飯はほとんど食べれず、腕は骨だった。もう少しでおじいちゃんの誕生日だったけれど、正直これは間に合わないかもなって思った。
別れる時はまた来週来るから、って言って別れた。本当に来週なにがあってもまた来るつもりだった。でもおじいちゃんは2日後の深夜に亡くなった。
死んだと聞いても、涙も出なかったし、二度と会えない悲しさなんて湧いてこなかった。葬儀までずっといつもと同じように過ごしていた。
昔おじいちゃんが死んだなんて聞いたら悲しくて泣いちゃうだろうなと思っていたけれど、いざその時がきてみても泣かなかった。そんな自分になんだか大人になったなと思ったりもしたし、でも死んだおじいちゃんの姿みたら泣くかもなって思ったりもした。
けれど実際におじいちゃんの顔を見ても涙は出てこなかった。
式が始まると、仏教の式はひたすら聞くばかりでつまらないなと思い始めた(キリスト教みたいに参列者が歌を歌ったりしないので)。初めて聞いたお経と木魚のリズム感も面白くて悲しみに浸るどころではなかった。
そのまま式は終わって、兄弟と先に帰宅した。帰りの電車の中でも、ぼんやりスマホを見てて、いつもの日常と変わらなかった。
家に帰って翌日の朝のお米を研いでいる時、ふと、おじいちゃんが買ってくれた卓上クリーナーのお礼を言っていなかったことを思い出した。
電動式で、消しゴムのカスとか吸ってくれるただの卓上クリーナー。
おじいちゃんがこれをくれたのは1年程前という割と最近の話だ。けれど私がこれを欲しがったのはもう15年以上も前の小学一年生の時である。夏休みの宿題をやっている時におじいちゃんが自分の卓上クリーナーを貸してくれて、自分もこれが欲しいと、なんとなく言ったような気がする。けれどその後15年以上の間、おじいちゃんの卓上クリーナーを見ることはあっても、そんなこと言ったのはすっかり忘れていた。それで、ついこの間父親を通してクリーナーを貰った時に初めて思い出したのだ。
それを貰った時、私はとても嬉しかった。物よりもなによりも、私が忘れていた発言を私より忘れっぽいはずのおじいちゃんが覚えていて、果たしてくれたことが。
父は、「これは親父の気まぐれで、それを覚えていたわけじゃないと思うけどな」と言っていたけれど、私は覚えていてくれたのだと思った。父が今度お礼言うときに確かめてみればいいと言ってくれたので私もそうしようと思っていた。
でもその後、私はおじいちゃんになかなか会うことができず、結局お礼は言えなかった。おじいちゃんが覚えていたかも確かめることはできなかった。
卓上クリーナーのことを思い出すと、それまでなんともなかったのに、急に泣けてきた。泣いているうちに、おじいちゃんがいつもあの帽子を被って私に会いに来てくれたことを思い出して、涙が止まらなくなってしまった。私のピアノの発表会をおじいちゃんが新品のビデオレコーダーで録画して、テレビで一緒に見たことも思い出した。一人で泊まりにきた私がおじいちゃんとおばあちゃんの間で寝るために、ベッドに渡す板を作ってくれたことも思い出した。
葬式では誰一人泣いていなかった。みんな悲しんでいるのだろうけど、おじいちゃんは長生きだったし、死んだとしても泣くほど悲しいことではないんだなと思った。だから私も泣かなくてもおかしくないと思っていた。
でも、やっぱり、本当はすごく悲しかったんだな。一人でぼろぼろ泣いてしまった。
これも打ちながら思い出したらまた涙が出てきた。
しばらく経てばまた悲しみを忘れて、普通に生きていくのだろう。でもまた一回忌とかで思い出して、泣いてしまうのだろうか。悲しいな。
おじいちゃん、お礼言えなくてごめんね。
16日に鑑賞してからモヤモヤが止まらないから整理するために感想を書いてみる。
・冒頭のXウィングがゴリゴリ動くところ
なんでYウィングでなくて、動く棺桶爆撃機なのは謎だけどポーとXウィングが格好良かったからいいや
・カイロレン
ラスボスとして見ると正直役不足感あるけど、キャラが立ってて良かったと思う。
・BB-8の可愛さ
・ルークがR2-D2、レイア、C-3POといった旧キャラと再会するところ
特にR2-D2がレイアのホログラムを見せるシーンは特に良かった!
・初めて戦うところが見れたインペリアルガード
皇帝の横に立つのが仕事なのかと思ってたけど、謎武器でちゃんと仕事してた。
・上映時間が長い
今回は派手なシーン(宇宙戦闘だったりライトセーバーバトル)が少ない割に上映時間長すぎる。
・レイが強すぎる
強さに説得力がない。最強のアナキンですら若い時代は負けたりしてたし、ルークもヨーダとの修行でフォースを扱えるようになったのに修行もしてないのに強すぎ。
・アクバー提督の雑な扱い
キャラを扱えないから処理しました、って感じで殺されて最悪だった。
しかも代わりに出てくる新キャラが部下に作戦伝えずに反乱起こされる無能
なんか無理やり女性キャラねじ込まれたみたいで不自然さがすごかった。
EP6で父親を信じて皇帝の前でライトセーバーを投げ捨てたルークと、ビビって甥を殺そうとするルークが私の中では消化できなかった。
あれいる?
・スノークの扱い
この辺はEP9でやってくれると期待していいのかな?
シーン単位でみるといいのはあったけど1つの映画として見るとつまらなかったというのが私の感想です。
書いた文章見直すと(小学生並の感想)って感じになっちゃった。
id:kazoo_keeper「レイの出生の秘密とは?スノークとは何者なのか?ジェダイはなぜ滅びなくてはならないのか?という2年間楽しみにしてた謎があっさり処理されて、平凡な整備士の平凡な冒険が映画の半分を占める構成はないわー」
あとは個人的な願望をいうと緑のライトセーバーで戦うルークが見たかったです。幻ではなく
P.S
ランド・カルリジアンは何処行ったの?
行きつけの店で会話と食事を楽しんだのち、友人たちと別れひとり乗り込んだ横須賀線にて違和感が生じた。
毎週土曜の習慣であるアニメ鑑賞を終え、日で染まったオレンジを隙間から覗かせる轟々とした雲の下を歩き、私は最寄駅に着いた。これから友人たちに会いに行くのだ。
数ヶ月に一度、大学時代の友人と定期的に会っている。場所は友人が昨年見つけた居酒屋。彼らと集まるときは必ずそこだった。
駅に着いた私は改札前の人だかりの隙間に小さなホワイトボードがあることを認めた。
イヤホンを外すと、京急線にて振替輸送が行われていると駅員の案内が聞こえた。
現在時刻は16:56。ホワイトボードの復旧予定時刻が17:30に書き換えられるのを見届けた私は京急線のホームへ向かった。
私と同じように流れてきた人たちにもみくちゃにされながら、京急線は品川まで到着した。ここから横須賀線に乗り換え、30分ほどで目的地である。
しかし、発車した横須賀線はほどなくして止まった。アナウンスを聞くと、今度は人身事故の影響で遅延が発生しているらしい。東京駅から折り返し運転の電車もあるため、身動きが取れない状態となっているとのこと。
ついていないな、などと思いながら待つこと15分、ようやく動き始めた電車は新橋についた。
先の理由から、電車は新橋にも留まるであろうことは想像していたので、私は電車を降りて汐留口に向かった。
私はタクシーを引き留め、目的地を告げた。現在時刻は18:27。待ち合わせの時間はすでに過ぎていた。予期せぬ出費は痛手ではあったが、いつまで待つのかわからない状況で人ごみに押しつぶされているのは耐え難いものだった。
鉄の棺桶と化した電車内で、目的地まではタクシーで20分¥2,400程度と調べておいた。タクシーに乗り20分。イルミネーションで彩られた道のりはまだ続いていた。結局かかった時間は35分ほどで、つくづくついていないな、と思いながら調べた金額にさらに¥1,000ほどを支払った。
すでに出来上がっていた友人たちに合流し、他愛ない話で代えがたい時間を過ごした。
出そうだ。
そのときは耐えうる痛みに感じた。過去何十回と耐えてきた痛み。今回も大丈夫だろう。
念のためと思い新橋で降車し、ホームからエスカレーターを昇りきり、青と赤の人型を見つけた次の瞬間にそれは起きた。
そのときの私はいたって冷静であった。今は個室に入りさえすればいい。それだけだった。
長い廊下を歩き、たどり着いた。
個室は空いていた。人もいなかった。ズボンと下着を脱ぎ、中を検めた。
うんちを漏らしていた。
うんちを漏らしたのは初めてだった。
私は下着に留まるそれを流し、ケツを拭いた紙を流し、ズボンに付着したそれを拭きとった紙を流した。
私は冷静であった。
異臭を放つ下着も流したかったが、紙で何重にも何重にも巻き、懐にしまい込んだ。
私は冷静であった。
手を洗いトイレを出て丁寧に包装した小包をゴミ箱にぶち込んだ。
私は冷静であった。
私は京浜東北線に乗っていた。ダイヤは復旧していたが、いつも以上の人がいた。やはりトラブルの影響は免れないようだった。
私はこのときになって初めて、自分がうんちを漏らしたことに対し恐怖を感じた。
もし異臭が残っていたら。もし誰かが気づいてしまったら。もしもう一度うんちを漏らしてしまったら。
ズボンの染みはコートの丈が隠してくれているが、ふとした拍子に他人の肩が当たったり目が合ってしまったときにひどく狼狽した。
しかし、私がうんちを漏らしたことを知る人はこの電車内に誰もおらず、また、私がうんちを漏らしたことを知る由もないのだと思うと、愉快でもあった。
忘年会を心行くまで楽しんだ大学生たちも、休日のこの時間に帰宅する年配のサラリーマンも、これから夜の街に消えていくであろう男女も、誰も知らないのである。
私は誰もいない暗い部屋に帰宅した。暖房をつけっぱなしにしていたようだが、うんちを漏らした私を温かく迎えてくれるのはありがたかった。
シャワーを浴び入念に体を洗っていくが、どれだけ洗っても落ちなかった。
何度も水で流し、洗い、跡が残っていないことを確認しても、落ちなかった。
それは、汚れが"穢れ"となった瞬間だった。
私の体は、もはや私の体ではなくなってしまっていた。
自分はまだ19歳くらいの頃から精神年齢は変わってないつもりだけど、いろいろ老いを感じることが多くなった。
老いを受け入れたくはないが、スマホの画面が近くで見えなくなった。
あと、白髪。ちょっと前から白髪の1本1本をカミさんに切ってもらっているけど、もうしんどいと言ってる。
あと、顔のシワ。特に目尻。
体力的には、まだ変化を感じることはないけど、運動すれば感じるんだろうな。
しかたないかもしれないけど、登山で言うと、下りなのかな、と思う。
今日、18歳の娘に、もう50歳のおじいちゃんだからね~と軽く言われた。
実際はまだ47歳なんだけど、自分は19歳の頃、50歳というと、娘の言う通り棺桶に片足突っ込んでてもおかしくない年齢って感じだった。
もう自分は、客観的にそんな歳になってるんだ、とあらためて思った。
これからどんどん坂道を転がり落ちていかないようにしないといけない。
ただ、救いは「x × y=1」であって、自分の老いと子どもの成長は反比例のイメージで、自分の養分が反比例で子どもに移っていく。
いい意味で子どもが1人の他人になっていく感覚を今すごく感じると共に、自分の肩から力が抜けていく感覚。そんな今、鏡を見ると、歳相応に老けてんなあ、と。
妹の体育祭におばあちゃんと行くけど一緒に行かない?
面倒だから断った
母が言った言葉が今も忘れられない。
あの日体調が悪そうだったんだよね。気づいてあげられたら
母が後悔してるように私も後悔した。元気な祖母と出かける最後の機会だったのに。もしかすると私が気付けてあげられたかもしれないのに。
会いに行くといつも泣いてた祖母。帰るときには麻痺が残って上手く動かない口で寂しい、寂しいと言っていた。元気なときには祖母のそんな姿みたことが無かった。
祖母の前ではできるだけ笑顔でいようとしたけど涙が止まらなかった。
祖父だけでは祖母の介護は難しいから私が祖父と一緒に住んで一緒に介護することも考えたが両親に反対された。
何もしてあげられないまま祖母がいなくなった
私は出張中で死に目にも会えなかった
フィクションの中では寝てるみたいだろ?なんて台詞があるけど、そこにいた祖母が亡くなっていることは一目瞭然だった
祖母の手を握りながらひとしきり泣いた後は変に冷静になってこれが死臭なのかな、なんて考えてた。
火葬した時は大人のくせに小さい従兄弟たちと床に突っ伏して一緒にわんわん泣いた。
祖母が亡くなったから祖父も急に弱り始め、また家庭の事情から祖父も施設に入れられた。一緒に住みたいという私の希望は叶わなかった。
祖母の四十九日が終わったあと、祖父を施設に送る時、施設に戻ることを嫌がり、怒鳴り、泣き、宥めようとした私を叩いた。
両親が反対する中一緒に施設に行って泊まろうとしたのに祖父が必要としていたのは祖父の家と祖母だった。
ただただ悲しかった。
どんなに願っても祖母は夢の中にすら出てきてくれない。
だいたいタイトルで言いたいことは終わってるけどまあ適当に蛇足
子供だったころは焼香だけして外で遊んでたりするけどある程度年行くと喪服着込んで色々参加するわけですよ、しかもその頃になると昔よくお小遣いくれたおばちゃんとかたまにしか会わないで毎回「でっかくなったなあ!」とか行ってくる母方なのか父方なのかよくわからん人とかの関わりがあって元気だった頃をある程度知ってる人がピクリとも動かず棺桶に入ってるわけですよ
顔を見て、念仏を聞いて、挨拶とかして、運び込まれて、焼却場に移動して、入れられて、お骨になって、って色々続いていって
この前に会って話してたおばちゃんが2度と動かなくなってて、しかもそこまで家族と関わりが深くないと病状の進行なんて全くわからないわけで、来年の正月とかにまた会うかなーとか思ってた人が初夏に死んでて、そこで能動的に会いに行くことになるんですよ(というか自分はそっちの家族の家にはほとんど行ってなかった)
んで、そこに同じような人らが集まる
死んでて二度と動かないし喋らない人のために大勢集まってるんですよ
死んだら自分は終わりじゃないですか
こっちからは何も返せないのに
1日参加しながらそんなこと考えたら急に
「ただ日時を浪費してるんじゃないか?」って気持ちが普段の100倍くらいになって、しかも、だからと言って「死にたい」なんて非生産的な思いにも変換されなくて
どうしようもないし何をすればいいのかもわからないけど、とにかく何かしなきゃ、なんか残したり身につけたりしなきゃって思ったんです
自分にとっては身近すぎる人ではなく、ある程度な人が亡くなってしまったのでこのような気持ちになったというのはあるとは思います、実際に親しい親族が亡くなった場合には喪失感に伏せるかもしれません
というかこの葬式自体は数ヶ月前なんですが、今現在自分の祖母が死を待つような状況になりはじめていることでふとあの感覚を思い出したので書き殴らせていただきました
私がクズでありよっぽどのことがないと奮起しないという点は置いておいても、自分が死んだ時のためにやっておきたいことはあるのではないのでしょうか
私はやってないやるべきことが多すぎて、こんなことしてる場合じゃない、もっと人間として大きくならねばならない、という感情に包まれました
私が死んでも誰も来なくていいし、骨なんてそのまま海に投げ捨ててもいいけど、自分が生きているうちにしなきゃならないことってまだまだ色々あるんだよなって思ったんです
ある種の失言癖のようなもので、過去に数え切れず失敗してきた。人間関係も何度も壊したし、修復不能になった人たちもある。素のままを生きていたつもりが、人とまみれる中で、ふと自分の中に見知らぬ他人が住み着いているような違和感にとらわれ、苦しんできた。
この苦しみは恐らく棺桶に入るまで治らないのだろうと落胆しつつ、すこしずつ学んでもきた。
学びの過程で得た秘訣は、とにかく思ったことを口に出す前に、一呼吸置くこと。恥ずかしながら、これは年下の人間から教わった。一呼吸置いて相手の状況を見た上で、自分が同じ状況にいた時に今から言おうとすることを自分が言われたらどう感じるかを考える。ムカついたり、ショックだったりしそうなら、無難な言葉を探す。言葉が浮かばないなら黙っていてもいい。
やり始めは結構な負担感を覚えるはずだ。でも続けるうちに徐々に慣れて、上手くなってくるから安心していい。自分はこれを習慣づけてから、だいぶ失言癖は修正された。感受性に対する違和感は相変わらずだが、人との摩擦からくる事後ストレスは上手く回避できるようになった。それでも酒を飲んで気が大きくなるとやらかすのは相変わらずで、ついこの間も近所の旧知のお年寄りと飲むなかで「昔と比べて小さくなったな!」と暴言を吐いてあとで大汗をかいた。
デリカシーの無さを卑屈に思う一方で、人の本音なんて一皮むけばこんなものではないかとの思いも持ち始めている。はてなのブコメも無神経発言だらけだし(増田に対して「今までどうやって生きてきた」発言するid含め)、ヤフコメも下衆なコメントだらけ。人の本性は案外ろくでもないものだ。ようは表立って言うか言わないかの違いだけ。増田はやや正直に生きすぎただけなのだと思う。
自分をバケモノみたいに感じる増田には、人を思いやるセンスがある。苦しみは成長する上での糧になる。捨て鉢にならず、いっしょに少しずつでも学んでいこう。
時が経つのは早い本当に早いあっという間に棺桶だが当然覚悟はできてない
まあそんなことはどうでもいいんだ大事なのはシンゴジを何で観たかって話
これをタブレットとか~40インチ程度のモニタで観たらその魅力は半減どころか一割にも満たないのではないだろうか?
シンゴジの面白さはあの政治劇の妙にあるからモニタの大小には左右されないという人には何も言うまい
何が言いたいかと言うと作品はデバイスによっても左右されるんじゃないかということ
音楽も俺が持っている貧弱そのものの30万超のシステムだって音楽ユーザーのほとんどがそれ以下のシステムで聴いているだろう
そんな貧弱以下のシステムで本当に正当に評価できるの?そこから流れる音楽は単なるノイズなんだけど?
って声を大にして言いたい
やはり、脂肪と脂肪が関係していることに違いないという結論に至る。さらに、水木先生の設定では、毎夜、墓場で運動会をして脂肪燃焼に励んでいるわけである。今風の言葉に直すと、毎日、ライザップでエクササイズである。やはり余分な脂肪が無いわけである。
また、デブの幽霊が居たと仮定してみよう。その幽霊は棺桶から出てこれないわけである。この理論は、デブの幽霊は存在するが、地上には出てこれない未確認、仮想幽霊に関連するものであり、これからの発展が期待される。
なお、幽霊の口癖、「うらめしや〜」の解析も必要であろう。「裏飯屋」つまり、飯屋の裏で食事をこっそり貰っているということになる。残飯を食べているわけである。ここは、現代。コンビニの裏に行くと、廃棄弁当が貰えることを教えてあげれば、幽霊の栄養状態が良くなること、請け合いである。しかし、昨今のコンビニ業界では、裏で廃棄弁当が貰えるということはない。徹底的に管理され、廃棄弁当は本当に廃棄されているのである。つまり、廃棄弁当は完全に管理された状態にあり、幽霊には提供されていない。だからこそ、デブの幽霊は存在しないという結論に至るわけである。Q.E.D. 我思う、故に我有り。
自動車で人生台無しになった馬鹿があまりにも多すぎるんだよなあ。
自動車なんざ減れば減るほど重大事故も公害も渋滞も減って、クルマ離れが進めば進むほど人々は移動で自然と運動するようになり医療費も抑制できる。
自動車依存者が、徒歩や自転車の人間より健康寿命も寿命も短く短命なのは有名な話。
自動車乗車中の年間死者数は、なんと約1300人と極めて多い!
凶悪交通犯罪者として実名公開も!馬鹿みたいな維持費(自動車 金食い虫 負債 で検索)!
ブロレーサーの青山「自動車なんつう重大危険物、運転しないが一番良い!免許なんてもんも取らなくて良い!」
権威あるテスラ最高経営責任者「自動車はあまりにも危険なので人間の自動車運転が禁止、違法化され、もし自動車運転したら重い罰が下る時代が必ず来る!」
総理&警視庁「免許返納しろ!自動車運転なんていう馬鹿みたいな危険行為やめろ!」
政府「自動車は重大事故多発や公害蔓延、渋滞蔓延誘発など極めて有害なので自動車依存を解消する脱クルマを進め、自動車依存脱却します。自転車活用と公共交通活用を進めます。」