だいたいタイトルで言いたいことは終わってるけどまあ適当に蛇足
子供だったころは焼香だけして外で遊んでたりするけどある程度年行くと喪服着込んで色々参加するわけですよ、しかもその頃になると昔よくお小遣いくれたおばちゃんとかたまにしか会わないで毎回「でっかくなったなあ!」とか行ってくる母方なのか父方なのかよくわからん人とかの関わりがあって元気だった頃をある程度知ってる人がピクリとも動かず棺桶に入ってるわけですよ
顔を見て、念仏を聞いて、挨拶とかして、運び込まれて、焼却場に移動して、入れられて、お骨になって、って色々続いていって
この前に会って話してたおばちゃんが2度と動かなくなってて、しかもそこまで家族と関わりが深くないと病状の進行なんて全くわからないわけで、来年の正月とかにまた会うかなーとか思ってた人が初夏に死んでて、そこで能動的に会いに行くことになるんですよ(というか自分はそっちの家族の家にはほとんど行ってなかった)
んで、そこに同じような人らが集まる
死んでて二度と動かないし喋らない人のために大勢集まってるんですよ
死んだら自分は終わりじゃないですか
こっちからは何も返せないのに
1日参加しながらそんなこと考えたら急に
「ただ日時を浪費してるんじゃないか?」って気持ちが普段の100倍くらいになって、しかも、だからと言って「死にたい」なんて非生産的な思いにも変換されなくて
どうしようもないし何をすればいいのかもわからないけど、とにかく何かしなきゃ、なんか残したり身につけたりしなきゃって思ったんです
自分にとっては身近すぎる人ではなく、ある程度な人が亡くなってしまったのでこのような気持ちになったというのはあるとは思います、実際に親しい親族が亡くなった場合には喪失感に伏せるかもしれません
というかこの葬式自体は数ヶ月前なんですが、今現在自分の祖母が死を待つような状況になりはじめていることでふとあの感覚を思い出したので書き殴らせていただきました
私がクズでありよっぽどのことがないと奮起しないという点は置いておいても、自分が死んだ時のためにやっておきたいことはあるのではないのでしょうか
私はやってないやるべきことが多すぎて、こんなことしてる場合じゃない、もっと人間として大きくならねばならない、という感情に包まれました
私が死んでも誰も来なくていいし、骨なんてそのまま海に投げ捨ててもいいけど、自分が生きているうちにしなきゃならないことってまだまだ色々あるんだよなって思ったんです