はてなキーワード: 文意とは
すまん、以下のブコメの前半と後半の文意が全く繋がってないように見えるのだが、スター結構ついていて困惑している。そこのつながりのロジックを誰か説明してくれんか…?
こう言うのですぐ托卵托卵いう男性いるけどさ、そんなに信用できない相手となんで結婚しようと思うの。君が欲しいのは伴侶じゃなくてダッチワイフ機能つき自走式家電だからでは?相手は人間だから結婚はやめときな。
信用できない人との結婚、というのとダッチワイフ付き自走型家電を求めている、というのがどうつながるの?
星つけてる人たちは分かるのだろうか。
次の文章を眺めてみて欲しい。
『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。第二に、以前の小説作品と大きく違って、可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが作品内で主題化されないほどに内在的なものとして組み込まれ浸透しているからである。』
インターネットぶつかりおじさんにカンパし、一度ブロックされて解除された後2023年10月の今に至ってもなお彼やその賛同者の多くをX(旧twitter)でフォローし続けている、推理小説作家・評論家小森健太朗の著作「探偵小説の論理学」269ページから引用した文章である。
氏のSNSにおける華々しい戦歴の説明は割愛する。冒頭で引いた氏の文章を眺めることからはじめ、氏のSNS上における無数の陰謀論傾倒の人生、ひいては暇アノン化する文化人やネットユーザたちについてなんらかの理解を得ることができないか見てみたいのである。
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『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。』
主語がないのは先に出ているからである。一つ前の文の「西尾維新の作品」がこの文の主語である。そして、この第一に~第二に~というのは疑問に対する答えの列挙である。
『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』
冒頭の文の一つ前に置かれたこの文がその問いである。なぜ「それでは」なのかというと更に一つ前の文で↓のように認定しているからである。
『様相論理一般が、それらの作品により適合するのではなく、われわれの住む世界にある論理、どの作品にもある論理一般において様相論理は適合性を有している』
つまり、著者はこの箇所で「西尾維新の作品こそ様相論理が合う」と言いたいのである(なお、『様相論理は適合性を有している』だとか『様相論理と親和性のある』とかいう語句の意味は不明)。
それを踏まえた上でも文の後半は日本語がおかしい。いやそもそも『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』の「‥‥作品を~~とりあげられるべきなのか」という文も変なのだが。受動態ならば‥‥作品が~~とりあげられるべきなのかとすべきであろう。とはいえ文意は理解できている(と信じたい)ので無視しよう。
・(西尾維新の作品では)狂気や妄想が、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない
・(西尾維新の作品は)狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものとしていない。
引用した文のある段落の一つ前の段落で、彼らの作品における狂気の取り扱い方について『現実の正気の論理が前提として背後にある。狂気や、いわば正気の世界に枠囲いされる形で、際立たせられる』と説明されている。この書き方ならば前世紀に書かれたチェスタトンや泡坂妻夫らのミステリ作品との違いを述べていることが明確である。
なお別の案として、第二に~の述語に繋がっていると見ることもできる。が、そうして読むと能動態・受動態が変になるのである
・『二十世紀に書かれたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない』‥‥『ものとして組み込まれ浸透しているからである』
この能動態・受動態が変というのが引用の二文目の問題でもある。
例によって主語だが『‥‥組み込まれ浸透している』の主語はなんだろうか?そもそも『組み込まれ』『浸透している』は同じ主語を持つのだろうか?候補は『西尾維新の作品』と『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』の二つである。
『西尾維新の作品』は『組み込まれ』がおかしいのは‥を組み込むという能動態に直せば明らかである。『西尾維新の作品』を目的語とした「西尾維新の作品を組み込んでいる」には意味を見出すことは不可能である。
『西尾維新の作品』は『浸透している』は、意味としてはありえる。だが使えるのは読者の認知度などを述べる文脈などであり、どこに浸透しているとかいった説明の無いこの文では意味を持たないであろう。
すると『西尾維新作品』は、『西尾維新の作品では』という句であり、主語は『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』と見るべきである。これならば受動態能動態を変えても意味が通じるであろう。
・(西尾維新の作品では)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』は‥‥組み込まれ浸透している
・(西尾維新の作品には)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』が‥‥組み込まれ浸透している
いけそうである。しかしそう理解すると今度は九段の文の書き方があまりにも奇妙に見えると言わざるを得ないのである。
『(西尾維新の作品では)可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが……組み込まれ浸透しているからである。』
「を、それが」と書いた理由はなにかあ在るのであろうか‥‥???「‥‥を」とするならば「それが」をそこに付けず「組み込み、そしてそれが浸透している」というようにすべきだし、受動態のまま「組み込まれ」を使いたいならば「を」をなくして「‥‥が~~組み込まれ浸透している」と書くべきであろう。なぜここまでねじくれた、好意的に見て文法違反スレスレで読みにくい書き方をしているのだろうか‥‥???著者も校正者もなにかおかしいと思わなかったのだろうか???
余談だが、様相論理において可能世界ごとに分岐(というか異なる)のは、命題への真偽値の割り当てであったり個体領域である。それらは一般的にいって「論理」と呼ばれるものではない。このあたりも意味不明なのである。ようはポストモダンにおける科学の誤用濫用の仲間である。さておきこれまで氏の華々しい戦歴を目にしてきた者の意見として言うと、氏の癖として、彼がカンパしているインターネットぶつかりおじさんと同様に、勝手に定義した「A」を、他の意味の「A」と気軽につなげて論証をするというものがある。いわゆる「媒概念曖昧の虚偽」と言われたりするやつである。こうした論証上の誤りに無頓着な事も陰謀論にたやすくはまる一因と言えるのかもしれない。
海法紀光や、アレな発言を非難する者がしばしば指摘していることであるが、氏は、理由をあげたり説明したりといったいわゆる論証をする際こういった文章を頻発する傾向がある。特に、自身の立論が苦しくなってくると、文法が崩壊していると感じられる弁明が増えるように見えるのである(quantumspin氏による批判とそれへの応答なども参照せよ)。主語や述語がみつけにくいのもよくあるパターンのひとつである。小説以外の活動に関しては、ずっとそういうやり方で通して来ているのかもしれない。
これは結論に対して必死に理由を拵えているせいというのもあるのかもしれない。そのような、結論にあわせて理屈を拵えることをよしとする姿勢もまた陰謀論への傾倒を片側から支えているようにも思えるのである。
などなどと、かつて新本格のムーブメント到来に歓喜したものとして心苦しい気持ちを抱いていたのであるが、最近大きなヒントを見つけることができた。
https://twitter.com/furukawa1917/status/1708364352540246446
氏にとって人類の進歩は虚構的観念であるらしい。勿論、氏のいう虚構的観念は、非難されればすぐにその中身を適当に入れ換えられるブラックボックスであり、「生活費切り詰めてカンパ」と同じ程度の軽口でしかないのやもしれない。
だが、そういうことかと得心もしたのである。
かつてポストモダン思想が華やかなりしころ、同じ世代にあって「進歩なんて幻想だ」と嘯いた者は多かったのではないだろうか。なにしろ、特に思想や政治について色を出さず、特に「後期クイーン的問題」等の話題に珍説を披露したこともない有栖川有栖氏の作品においても、「ホイッグ史観」「進歩史観」といったかたちで冷めた態度が見られるのである。
311以降かどうかは定かでないが、SNS上では、ミステリ業界の「知の欺瞞」が手ひどく叩かれる時期があった。氏も基礎的な誤解を指摘されてはよくわからない弁明を書き連ね、最終的に相手が呆れて去っていくということがしばしばあった。その後、左翼・リベラルに敵対的な気分をもつひとは自らを「科学的」と自認するようになり、小森もなんとなく菊池誠氏などをRTしたり科学的な雰囲気のある人々の輪に入ることで、これまたなんとなくのうちに過去の知の欺瞞は有耶無耶になった。
しかし上記の発言から察せられるように、頭はポストモダンのままだったのである。この点を傍証する発言はひとつではない。
『紀藤さんは、カルトと宗教の弁別ができる超越的な裁定者であると自認しておられるのでしょうか?』
これは、統一協会が話題になった際、紀藤弁護士の発言に対して、なされた引用RTである。
カルトであるかカルトでないかの区別ができることが『超越的な裁定』だと言うのである。その理由もふるっている。
『カルトと宗教の線引きがわからないのではなく、できないと言っています。』
まさにあの堕落したポストモダン思想にかぶれたあの世代の、あの辟易するような懐疑的態度を思い起こさせるものである!!!認識的な不確実性を理由として判断の正しさを否定する。現実的・実践的な正しさをすっ飛ばして「超越的」なものに基礎づけようとする(そして、その不可能性からお好みの結論を導く)。‥‥ところで、なぜ「分からない」「できない」「不確実だ」という判断だけは正しいと信じられるのか自分にはまったく理解できないのだが‥‥‥笠井潔なら教えてくれるのであろうか‥‥????
結局の話、己の欲する結論のためにいい加減な理由づけを許容する態度、あらゆる価値・論証・実践的合理性等を無効化した気になれる堕落したポストモダン思想、メチャクチャナ言説をまともに文章を読み批判をすることのできない現代ニッポン論壇・批評コミュニティの無力さ、そうしたものが無数に積みあがって悲惨な令和の余.命事件へと通じる道が敷かれたのかもしれないと思うのである。
10月2日に開催した弊社の記者会見に関して、一部報道機関による不適切な報道がなされたとの指摘を受けております。
弊社は、会見前に外部のコンサルティング会社との打ち合わせを行いました。その際、コンサルティング会社から提示されたメディアリストに関する疑問点を確認しましたが、弊社が特定の記者を排除するような指示や意向は一切ありませんでした。
今回の問題に関して、弊社としてはコンサルティング会社に対して適切な対応を求めております。しかし、最終的な責任は弊社にありますので、深くお詫び申し上げます。
弊社は、メディアの皆様との信頼関係を大切にし、今後も健全な関係を築いていく所存です。
また、故ジャニー喜多川に関する問題について、再発防止策の徹底や被害者への補償、弊社の再編に関する取り組みを進めております。今後も説明責任を果たしてまいりますので、引き続きのご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
https://www.johnny-associates.co.jp/news/info-723/
責任逃れのために入れたけど、印象が良くない枝葉の部分が全部バッサリ行かれている。確かに無い方がいいよなこれ。第一報としては。
それから、「しかし、最終的な責任は弊社にありますので、深くお詫び申し上げます。」の一文については原文に同様の文意がある所がないのにも気付くね。Chat GPT先輩さすがです。
どこの会社が開発してるのかとか、何社くらいあるのかとか、あまり真面目に考えたことないけど
このシステムが出始めた頃は全然UIの出来がよくない店もあって
ひどいな、これは流行らんだろうなと思ってたんだけど
色々な店舗で見かけるようになってきてて
そもそもメニューが店によってバラバラだし、柔軟なオーダーに対応できないから
本来は全国チェーンの大手店舗が導入するのが望ましいのだろうけど
そういうところは資金力があるからバイトも雇えるし各席にタブレットも置けるし
QRのシステムは資金力がないところを営業ターゲットにしてるだろうから
メニュー数が少ないところはこんな面倒なことしなくて食券制の方が早いし
スマホの画面でメニューの文字の羅列を見せられるだけで、ちまちま見てると注文意欲をなくすし
案外、紙のメニューのフォント感とか、文字と文字の間や行間の広さとか、一見して把握できるところとか、
そういうメリットがあったんだなとか
タブレットを用意しているところも、従来のメニュー表をそのまま画面にしたみたいなのが多いのも
そういうなんかがあるんだろうなとか
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/honeshabri/n/n4b1841dba85f
noteのマガジンてのは「課金してくれる人」向けに書いてるものだ。
少数ながらもタイトル以外も読む人間がいてその人たちが文意を取ろうと努力してるからだ。
誰一人文意を正確に取らないからまさに「群盲、象を撫ぜる」のことわざ通りになっている。
udonkokko この話、埼玉県批判してる人って「ダメなラインとか存在しない,してはならない」みたいな感じ? 例えば「公共施設を借り切ってヤッてみた」みたいなpornhubを個人撮影したいです、みたいなのは?
kado0428 そもそも他じゃ厳しいから東京の業者が埼玉でやってたという経緯。めんどくさいこと言うなら埼玉も許可しなくていいんじゃないかな
world24 民間のプールでやればいいだけ。それを禁じられた時に公権力の暴走って批判するんだよ。シーンがぜんぜん違う。
ちゃんと課金して文章を読んでる人からどう見られるか想像する力もないのか。
想像力がないから自分がどれだけ恥ずかしいことをやってるかもわからないのか。
君たちは、生きてる意味あるか?
hisa_ino 価値はあるでしょ。なんで生きる価値がnoteたらいうwebサービスに金を出すかで決定すんねん。アホか。むしろそんなもんに金出すほう恥ずかしい。無料部分だけ読んでコメントするのも全く無問題。
すずもと
@aruto250
これはすごい。モデルの女性の自由意思があっても男性の眼差しが性的だからけしからん、撮影会場は貸し切りなのに普段は子供も利用する施設だからけしからん、ときた。自由意思に基づくクローズドな場所での遵法的な行為でも認められないと。超パターナリスティックに社会の風紀を取り締まりに来たな。
@fd_kawagoe
明らかに女性の「性」を営利の対象としている。このようなイベント自体が性搾取であると考える。水着の女性たちは自分の意志で参加するのかもしれない。しかし高額な参加費を払って撮影する(恐らく殆どは)男性たちは何を目的に、あるいはどういう目で女性たちを撮影するのか。
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すずもと
@aruto250
21時間
この方たちはグラドルに対してどう評価しているのだろう。「性的搾取」を憂いて見せてはいるが、おそらく彼ら彼女らの中で「搾取」されているのは「女性一般の性的尊厳」であって、グラドルには「あなた方のような人がいるから女性の性的モノ化がなくならないのだ」くらいのスタンスなのではないか。
すずもと
@aruto250
21時間
そして「男性たちは何を目的に撮影するのか」という辺りに、「(女性によって)適切に選別されていない男性が脱法的に性的資源にアクセスすること」への反発が見え隠れしているように思う。これはやはり女性の性的資源カルテルであって、グラドルはカルテルの協定違反者という扱いなのではないかな。
ymils(イム)⚡
@ymils_y
15時間
これは明らかに県議会議員団の暴走であり、その手続きが横暴である事に恐れを抱いている話だ。