はてなキーワード: ピエロとは
こういうの、思い出すんですよ
10年以上前に2ちゃんでROMってた頃、ニュー速VIPとかで
「〇〇だけど質問ある?」
っていう板を見たこと
あれずっとやってみたかったんだ
でも高校生だった当時、ガキが来んなとか、ツマンネとか、半年ROMれとか怒られるの怖くてね、言われる前にROMってた
でもいざこういうときに
「あ、こういうのでスレ立てたい」
いくつになっても顔が見えない他人に怒られたり、心がキュッとするような言葉を投げられるのは嫌だ
全然分からん、だからもう今、匿名でなんか書くってなると増田ですよ、ここしか思いつかなくて
大人になったな、って思うんですよ
結べたんですよ、マン汁
結べると思います?わたしもさっきまで結べるもんだと思ってなかったんです
でも結べたんですよ
それがちゃんとした暮らしをする者の嗜みというか、後から同じ湯船に浸かる家族への礼儀ってもんで
で、ちゃんと湯で股間を洗おうとしたら、タンポンの紐みたいに“しらたき”が出てた
股間から“しらたき”が出てることある?あの、白いこんにゃくのちゅるちゅるしたやつ
最近うちの献立にすき焼きが採用されたもんで、“しらたき”は最近食べたから記憶に新しいけど、女人の股間からは出ないよ“しらたき”は
知人の女医が昔言ってたけど、卵胞期にマン汁って「みよ〜ん」ってなるらしいね
今はもうすっかり交流がないけど、でも「卵胞期だからマン汁がすっげぇ伸びる!!!」ってTwitterに投稿してたことは覚えてる
今、そのツイートが活きました
で、“しらたき”を改めて見直して
「これ引き抜いたら視界真っ暗になって死ぬかな!?そこに視神経はないだろ、そりゃそうだ!ガハハ!紐切り!プッ(鎬昂昇)」
とか思って(口には一切出していない)引き抜いた
すごい“しらたき”だった
こんなにマン汁が“しらたき”になること人生でないな、と思った
液体じゃないんですよ、普通「汁」って液体と形容できる流動性があるはずなんだけど、垂れない、はねない、手につかな〜い!(レインボーアート)だった
手に持って指に巻き付けられる、これは人類史上でも類を見ない、とても貴重なマン汁だ…!と研究者の顔になって、入浴そっちのけで“しらたき”マン汁を見ることに励んだ
でもさぁ、そこで気づいたんよ
「液体じゃなければ結べるんじゃない…?!」
って
なんでそんなこと思いつくんだよ
普通に、結べた
そりゃ〜そうじゃ“しらたき”だもん、結べないわけないよな
いや、“しらたき”じゃない、マン汁だよこれは
「マン汁を結ぶ」って聞いたことないもん、そんな、あの可愛くておしゃれなアニメーションをMVに使いがちな令和の流行曲のタイトルみたいな…
友達やあの卵胞期マン汁びよ〜ん女医でも「マン汁を結ん」でないんじゃない?!?!!いや、女医はあるかも…
でも、その高揚感も一瞬のものだった
ここまで14回「マン汁」って単語をキーボードで打ち込んでますが、ちゃんとした大人ですよ
「なにやってんだろう…」がすぐ来ちゃうんです
結べたマン汁はすぐに排水口に流しました、こういうのは自分のクローンにお別れを告げるようなセンチメンタルを感じます
でもやっぱり、ここまでで16回「マン汁」って単語をキーボードで打ち込んでるので、ちゃんとしてないんですよ、マン汁(18回目)もニヤけながら結んだし
「こんなおもしろいエピソードをどこで言おう?!」がすぐ来ちゃうんです
なんて哀れなおもしろ奴隷、ゲットしたおもしろエピソードを新鮮なうちに放流したい気持ちに囚われる、哀しき、おもしろピエロ…
しかし、一応ちゃんと社会で働き、普通自動車免許も持ち、お酒も飲める年齢の社会人ですので、友人が沢山いるSNSに書くことは思い留まりました
「VIO脱毛して、陰毛ハート型にしたんだ〜♡」はギリ言っていい、個人的には詳しく聞いてみたくもある、けど、マン汁は、言えない 体液はさ、ちょっとネ……
ところでハート型の陰毛って脱毛のデザイン表に結構掲載されてるけど、あれどの層の需要なんだろう
そういうことで、「スレ立て」の文化にも再度乗れず、友人の前で体液の話をすることを憚る僅かばかりの理性がはたらいた結果、初増田でしらたきマン汁について書きました
匿名でなんてものを人様に見せてんだ、明日仕事のひともいるだろうに…
もう20回も「マン汁」って書いてしまいましたが、きっと明日も社会でうまくやれます
グッドラックしらたき
技術的負債というワードはウォード・カニンガムが発祥と言われており、それこそ「スピード」と「コードの品質」のトレードオフのことを指している。スピードを得るために、借金をすることで、未来のコードの品質を改善するために利子を払い続ける必要があるという意味のメタファーである。
しかし、最近は技術的負債という言葉の誤用が広まり、それが定着化している。
例えば「モダンではない(古い)技術選定」「要求仕様の変化によって荒れたコード」を指して会話していることが多い。
誤用であるので会話の最中に自分とコンテキストが一致しないこともある。とはいえ時代の変化とともに言葉の扱われ方が変わるのは、事実であるので、これは65535歩譲って理解はできる。
しかし、問題なのは誤用で解釈しているエンジニア達がこぞって「技術的負債」という存在そのものを生み出しているエンジニアを糾弾していることだ。
残念ながら、彼らに「技術的負債はなぜ悪なのか」を聞くと「自分の開発体験が損なわれるから」という利己的な解像度でしか相手に伝えられない場合が多く、コミュニケーション能力も乏しいと感じることが多々ある。
開発体験が損なわれると「感じる」というのはわかるが、彼らはこれに対して数字で反論することはない。感情的なのだ。
彼らは自分自身を利口で地頭がよく、論理的に物事を捉えていると誤認しているが、これらの行動原理はただの感情ベースであり、彼らもまた感情的な生き物であることがよくわかる。
脱線するが一部のエンジニアには「○○言語が書けるから入社を決める」みたいな頭が悪い会社の選び方をする者もいる。
好きな言語を仕事にしたいという安易な発想で、糾弾している技術的負債を目の当たりにし、自分が書きたいと思ったコードが書けないで会社を去るものもいるだろう。本当に愚かである。残る選択をしたエンジニアは技術的負債に手を加えて、自分が嫌悪しているのにも関わらず技術的負債を生み出すのである。
そして、彼らもビジネスの都合で技術的負債を生み出して、後に入社するエンジニアに技術的負債を生み出したことで糾弾されるのである。数ヶ月、もしくは数年後にはモジュールなどのエコシステムが刷新されることによって、結果としてオナニーコードが技術的負債として罵られるのである。滑稽としか思えない。
つまり誤用の技術的負債ワードを用いるエンジニアが、技術的負債を糾弾するというのは無知によるポジショントークであり、自分自身が技術的負債を生み出していることに気づかないピエロなのだ。
さらに言えば、言葉の定義にうるさい割に、技術的負債という言葉の定義を自分たちの都合のいいように解釈して誤用しているのである。
そんな日本人のために簡単なハンガリーとポーランドの区別の付け方を伝授します。
以上の方法で、ハンガリーとポーランドの区別がつけられるはずです。
1年前に幼稚園児並みの画力の絵なのにどう考えてもユーザーはいい歳をした大人を「闇深絵師」と揶揄する増田があってその当時は見ていなかったが、最近偶然読んで「これって私のことじゃん」となった。
私のスペック
・底辺絵師(でも最近は海外SNSでいいねなどが100以上来るけど支部ではブクマは10前後、0の時もある」
で、最後のマイナージャンルというのがキモでそのジャンルでは自分以外ここ数年絵を上げている人が殆どいない。そして投稿の新着欄は全て私の微妙な絵で埋め尽くされている正に地獄そのもの。
この状況を他の人が見たらなんと思うだろうか、一言「このジャンルの絵師って…」正直ドン引きしているに違いない。メジャーなジャンルでは二軍以下の絵師はまるでカメレオンの如く擬態化し有無無象と化するがそれが「投稿者俺一人」状態になったらどうだろう。擬態は剥がれそこには成人女性とは思えない画力の絵がただ立ちすくんでいるだけではないか!
これが私が今一番恐れている事である。今まで絵師が少ないジャンル(大抵子供向けアニメだった)を渡り歩く度、小学生以下の画力のくすんだ画質のアナログ色鉛筆画を見る度に「…痛っw」って思っていたのが今や人事ではなくなってしまった。
私自身、投稿し初めと比べて今の画力は(色々なデバイスを使ったとはいえ)大分上がったし自我自尊を兼ねると自分の画力は年相応と考えるが側から見たらなんと思われるか、正直不安だ。
そして、売上0の可能性が90%もあるのにGWに同人イベントに新刊を2冊も出す事になった。滑稽すぎて自分でも笑えてくる。
こんなピエロである事ハマってから1年経って気づきたくなかった。一生馬鹿なピエロのままでいたかった。
でも、今でもこのジャンルへの愛は溢れる程あるから抜けたり辞めようとは思わない。でもいっそ「投稿者俺一人」の一次創作に本格的に移ろうかとも本気で考えてもいる。
最後に、「闇深絵師」と呼ばれている人の中でもちゃんと向上心とプライドを持って活動しているユーザーも居るという事を知ってほしくて今回筆を取りました。
増田にはすごくお世話になったからこういうことは本当は言いたくないんです。
でもみんな気がついてるでしょ?
そう思いますよね。それを説明するには、「日本死ね」以前と以後の増田の使われ方の変化を説明する必要があります。
それまでの増田は、顕名ではかけないような恥ずかしいことやおかしなネタを投下するために使われてました。
うんこもらしたりうんこもらしたり、あとたまに有名な人が身分を隠してうんこもらしたり。
かく言う自分もそういうサービスのおもしろさに惹かれて、どうしてもキャラクター形成が避けられない個人ブログよりも、単発のネタの面白さで勝負できる増田にネタを投稿するようになりました。
どうせ個人のブログもマネタイズなんてできてないし、だったら一人でも多くの人に見てもらえたほうがいいよねという感じです。
はじめて書いた長文増田文学が500ブクマ超えたときは作家になれるんじゃないかって勘違いしちゃうくらいに嬉しかったです。
お陰様で1000ブクマを超えるような増田も年に何本か生み出せるようになり、自分にしてみれば居場所を見つけたような感じでとても幸せでした。
そんな頃に投下されたのがあの「日本死ね」でした。
明らかにいつもとざわつき方が違っていたことをはっきりと覚えています。
みるみるブクマを伸ばし、全く知らないサービスでまで取り扱われて、しまいには国会でまで読み上げられてしまいました。
増田というサービスにしてみればある意味メジャーデビューしたような感じだったのかもしれませんが、増田作家としての自分にしてみればなんとも言えない不安でいっぱいでした。
「日本死ね」増田は、増田というサービスが匿名で社会的な批判を行うことができるツールとしての認知されてしまうようになったのです。
そうなると次は社会批判に反応する増田ウォッチャーが増えてきました。
これによってそれまでおもしろネタを探していた増田全読ブクマカーたちが離れ始めました。
おもしろネタにしてみれば社会批判はノイズです。そんなノイズの多い増田を全読するのは目的のために労力が伴いません。
自分の書いた増田にブクマがつかなければ、当然書く意欲もなくなります。
社会批判ネタに負けないように色々とネタを書いてきたつもりですが、やはり伸びは悪く、周囲からもおもしろ増田作家が少しずつ減っていくことが感じられました。
色々なネタを投稿してウォッチャーたちの反応を伺うようにしていましたが、お役立ち系は相変わらず伸びがよいものの、おもしろ系は空振りが増え、煽りや批判系には非公開ブクマが増えるようになりました。
増田を書く上で意識が必要な、注目エントリーの壁というものがあります。
増田を全読するということは普通の人間ではまずすることはありませんが、注目エントリーくらいならこまめにチェックしてもいいかなというブクマカはたくさんいます。
ところが、この注目エントリーというのは、たった3ブクマで載ることができます。
もちろんブクマカの目も節穴ではないので自作自演を見極めることは簡単ですが、注目エントリーという仕組みが先着順になっているため、他の増田が注目エントリー入すれば自分の増田が注目エントリーから流れてしまうようになります。
つまり、やろうと思えば、自分が書いた社会批判的な増田で注目エントリーを埋めることはそれほど難しくないということになります。
増田というのはサービスの性質上、発見されるにはある程度運が必要だったりします。
そのため自分の増田にブクマがつかなかったのが、内容なのか運なのかの判断が難しいという点もあります。
それでも自分の投稿数に対して注目エントリ入りする確率が明らかに下がったと感じられる状況は、自分が増田を辞めるのには十分すぎる理由になりました。
このところ、はてなのトップに上がってくる増田は明らかにネタ系が減り、他人や社会への批判などネガティブなものばかりになった気がしているのは自分だけでしょうか。
たまに気が向いた時に増田を書いてみたりもしますが、いつもならブクマしてくれていたような全読ブクマカさんがこのところめっきり見られなくなったのは気の所為でしょうか。
こうした変化にどういった背景があるのかは世間のネットワークサービスにうとい自分にはわかりかねますが、その結果、自分のようなおもしろ系増田作家さんたちは結果的に筆を折り、さらにネガティブ系増田作家が幅を利かすようになってしまったのではないかと考えています。
つまりは、そういう使い方に対して、増田のシステムは脆弱であるということです。
それが、過去は増田作家とブクマカたちの善意によって守られていただけで、日本死ねで世の中に注目されてしまったことで治安が崩壊してしまい今に至るのではないかという推測となります。
(他のサービスが匿名を維持できなくなったとか、そういうことも関係していると思います。)
はてなにおいてはHagexさんの事件も大きな影響を与えたと思いますが、どちらかというとあの事件後は、むしろ匿名の秘めた危険性に気づいて内容がマイルドな方向に向かっていたように記憶しています。
むしろ増田がガス抜きになって欲しい。そんな思いを感じながらときには自分がピエロになって増田を書いたりしていました。
そういうわけで、はてなの民度が低くなった理由は、民度の低い人間に利用されるにはあまりにも脆弱なシステムである増田が放置されている現状に原因があると考えます。
節度のある人間にとっては自由で最高のサービスでしたが、これはもうサービスが停止されてもしょうがない状況だと思っています。
唯一増田作家として提案できることとしたら、増田の投稿時に作者側がカテゴリーをある程度指定できるようにして欲しいということでしょうか。
それによって、おもしろカテゴリーだけなら全読しても良いよというブクマカさんが帰ってきてくれたら、増田作家も帰ってきてくれるのではないかなと思います。
大きなお世話を指摘されると人はキレる
ヨッピーさんが実際に強制的におごってるとか、そのせいで回りに迷惑かけてるかは全然知らんし、本当にそれで迷惑してる人がいるならもっと迷惑してるって話が漏れ聞こえてくるしたぶん、みんなハッピーなんだろう
でも世の中にはヨッピーさんみたいに空気読んで適切におごれる人だけじゃなくて、おごるの当たり前とかヨッピーが言うように男性がおごる前提の社会みたいな幻想で周りに迷惑かけてるやつも多くて、そうい被害者がいることを無視して、御高説賜ったからそら多くの人のお気持ち逆なでするのは当然だろうとは思う
ヨッピーさんは自分の意見に相当な自信があるみたいだけど(そうでなきゃこんなセンシティブで多くの人が傷つく記事書かないだろう)、視野狭窄に陥ってる感じがする
まぁWebライターなんて自分事を客観視してたらやってられないし、あえて視野を狭め狂ったような文章出力してピエロにてっしないといけないからな
ピエロの仕事してるからって、舐められたらやってられんのだろうが。
それはそうたヨッピーの記事が説教垂れるながらも女に嫌われたくなくてイキったり女性に媚びようとしているというのは、あってると思う。だからそれを指摘されて怒ったんだろうけど。まぁだれしも自分の醜い部分を指摘されたらやだししょうがない
説教垂れながらも女に嫌われたくなくてイキったり女性に媚びようとしているって、そういう態度が悪いかは人それぞれで、気に入らん人もいるだろーなってのは思う
あとヨッピーはちゃんと若い人の割り勘文化を調査して記事書いたほうがいいってのには同意なので、書いて見せて欲しいな。そこら編の文化は俺も知らんから純粋に気になる。煽りとかじゃなくていい提案だと思ったよ
はっきりいって、公害なんだよなー。
気持ち悪い。
拒食症女を見てたら気持ち悪いと理解できる女も多いくせに、なぜ、メイクが気持ち悪いのが理解できないのか、分からない。もうとっくに適正体重超えてるのに、ガリガリ女が「まだ痩せたい」とか言ってるの見たら、キチガイと思うでしょ。
今のメイク女ばかりの世の中はそれに近い。
そこらの街路樹が、イキナリ作り物ばかりになったら、気持ち悪いでしょ。
過剰に皆と同じメイクしてる女、雑誌のメイクしてる女、これも完全に精神病だと思いますよ。
でも、そうしないと、同性に叩かれるんですってことらしいけど。そんな馬鹿みたいな同調圧持ってるのもまた気持ち悪い。頭がおかしいとしか思えない。
女同士の戦いから、拒食症になるパターンが拒食症では一番多い。そんなのどうでもいいだろうと思うんだけど、女はそれが理解できない。本質的に女特有の頭がおかしい部分なんだろうね。だって、医学的に女ばかりだから、拒食症って。その原因も女同士のいがみ合いがかなりの部分占めてるから。
同性同士で、美人だなんだと言い合ってるかもしれないけど、その気持ち悪さどうにかならないんだろうか。
よーするに、すっぴんのままブスでいることに耐えられないのかもしれないけどさ。
ピエロのメイクばかりの男が町中にいて、ピエロ恐怖症になるのに近い。
ほら、量産型女子大学生がたくさんうつって、見分けつかない画像とかあるじゃん。
あの中で飯でも食ってれば気持ち悪くなるやろ。
その感覚に近い。
コンビ二なんかでも、女性向け雑誌が置いてあるが、目が痛くなる。
気持ち悪いメイク女が表紙で、「メチャモテ」だの「きらきら」だのを毒々しい原色で書かれていて。
デコデコの精神病みたいな表紙。ビビッドとかって話じゃないだろ。幼稚園児の塗り絵みたいで気持ち悪い。
美人だとか、かわいいとか、どーでもよくなるほど、気持ち悪い。
これ叩かれると、女がいきなり発狂するのって。拒食症を叩かれて発狂するのに近い。
頭おかしいよ。
というか。メイクするぐらいだったら、整形してほしいわ。
○ご飯
朝:なし。昼:カレー。夜:考え中。
○調子
真面目でお淑やかな五条風華、ヒーローが大好きで正義感に満ち溢れた田丸火凛、小動物系ではわわな湯浅水無、無口な不思議系英土麗美、彼女たちは小学生から仲良しの幼馴染の女子高校生4人組。
必ず一人には死が訪れるゲームを前に、少女たちは否応なしに本音をぶつけ合うことになる。
という設定が開幕5分で説明されて突然デスゲームが始まるホットスタートなノベルゲーム。
4人は「死刑囚」「ピエロ」、そして二人の「断罪者」がランダムに役職として決められる。
「断罪者」が「死刑囚」を有罪の判決を下し、執行のレバーをおろせば「死刑囚」以外の3人は助かる。
無罪の判決を下した場合「ピエロ」と「死刑囚」の立場が入れ替わる。
デスゲームものではあるが、ゲームのルールを利用した画策やルールの意外な盲点などの味は限りなく薄い。
そのため本題になるのは「女の子はみんな万華鏡」という作品のテーマに沿った、女子高生たちのやりとりだ。
具体的には、生き残りたい死刑囚はピエロよりも自身が役に立つことやピエロが劣っていることを表明し、ピエロは自信が死刑囚にならないよう死刑囚を貶める。
そんなデスゲーム編と、それが始まるまでの回想編が交互に進行する構成になっている。
回想編ではとても可愛いらしい絵柄に沿った女の子同士の友情と学園生活、そして小学生の頃の淡い初恋の話。
デスゲーム編では暴力、暴言(死ねや殺すは当然として、ゲロ、小便、下痢便などの汚物で相手の容姿を形容するところが良いですね)が飛び交う素敵な展開が待っている。
まんがタイムきららとヤングマガジンを交互に読んでもまだここまでの落差はないだろう。
4人全員がそれぞれに腹に何かを抱えており、それはもう醜いやりとりが繰り返される。
生き残るためならどんなに汚いことでもするのは当然かもしれないが、女の子はみんな万華鏡といえば何を言ってもよい免罪符らしく、とにかく暴言が飛び交う。
声優の熱演も要チェックで、特に風華役の茜屋日海夏さんの小便や下痢便などの汚物を比喩にした罵倒語は最高だ。
そんな、ほんわかふわふわ萌え萌えキュンと、暴の世界の交互浴の先に、このデスゲームが始まったわけが見えてくる。
見えた先には、なんと「弱者男性」は全員が自業自得であることが判明する。
まさか、社会の決定権の多くを今まで握っており、社会を形成してきた男性自身にはその社会のありようが決めた責任があり、競争から脱落して惨めな人生を送るのは、競争社会のみを褒め称える単一の価値観しか持っておらず、そんな社会を良しとしてきた男性の自業自得であり社会のせいではなかったなんて、驚き。
そして女性はそんな男性とは異なり、万華鏡のような価値観を持っているため、多様な人間がより幸せに暮らすことができる社会を作れるのかもしれない、ってことを示唆する展開も驚き。
そんないわば「幻想牢獄のTwitter」がデスゲームの先に待っている。
まあ、ライターの竜騎士07さんがこういう剥き出しのテーマ性を書くのは本当にらしいので、きっとこの仕事をしているとき、はてなブックマークやTogetterにハマってたのかもしれませんね。
最後、少し茶化してしまったし、事実そこだけ物語というオブラートに包まれてないありのままのTwitterが出てきて驚いたんだけど、だけど、面白いは面白かった。
かなり綺麗なオチも付き、丁寧にまとまっている中編といった感じ。
ボリュームは2時間ほどでクリアしたが、これぐらいが丁度よく感じたし、物語のフリとオチがしっかり付いていてスッキリ。