はてなキーワード: もっととは
ダンバインで富野さんが後悔してたのは、ショウ・ザマという主人公が極めて優柔不断だった、と。
戦うことの動機づけみたいなものが薄弱だったから、何をしたいのかよくわからない主人公にしてしまった、と。
そこが大きな失敗だった、と悔いてるのね。
あれをもっと劇的にいきなり戦火の中に放り込んでトラウマでも植え付けていれば物語の展開がダイナミックになっていただろうと反省したわけ。
その反省を生かしたのかどうかは知らないけれど、カミーユのお母さんとかはカプセルに入れられてティターンズに殺されちゃうんだよねえ。
あとVガンダムとかは「母さんです」とかね。
テントと寝袋、バーナーくらいで買えばできると思ったら、もっと必要で金かかるのな。
・テントのしたに敷くグランドシート→テントを湿気冷気から守るのに必要?買った
・薪割り用のなた→太い薪だと火が着きにくいらしい?買った
・着火材→焚き火の火をつけるため?買った
・くつろぎ用のチェア→買った
・テーブル→買った
・寝袋のしたに敷くマット→買った
きつー。
女がいう「プライド捨てろ」っていうのは「実力も無い癖に実力以上だと過信するな」って意味だ。
「過信捨てろ」のことだな。女はプライドがわかっていない。男のプライドは自尊心のことだ。「自尊心捨てろ」「自己肯定感捨てろ」と言われても難しい。
女からは男のプライドっていうのはなんか変なマウンティング仕草に見えている。動物的なあれだ。あれはキモいのだ。
「え??だってお前の実力はそれぐらいだろ……???お前はもう成長しないだろ???お前はそこで終わってるだろ???お前は止まってるだろ????」
「にも関わらず、お前の実力以上がほしいだと?????ナメてんのかぁ!!!!!!!!!!!!!!」
という気持ちの略が「プライド捨てろ」だな。わかりにくいんだよな、これは。
まずターゲットを決めろ。そのターゲットの位置なら誰でもいいと仮定しろ。今のお前では手も足も出ない。
決めたらそこに命をかけろ。
そのとき、今のお前では実力不足であることを痛感したりするだろう。そこで諦めていたのが今までのお前だ。
過信を捨てる方法は簡単だ。現実を直視することだ。これは自己否定が伴う。
お前は今まで自分のことを「弱者男性」だと思っていたのかもしれない。
だがそれは実は違うのだ。お前は「もっと弱者男性」なのである。それに目を瞑って「弱者男性なんだ。うふふ」と言っている、その視点に問題がある。
アイドルやタレント、AV女優もしかり、子供みたいな少年少女を踊らせたり、コスプレさせたり、セックスさせたり、、、、それがアングラではなく、メディアで表立って持て囃されている日本&もっと酷そうな韓国。
気持ち悪いとかではなく、よくコレがまかり通っているなと違和感しか感じない。
アイドルやタレント、AV女優もしかり、子供みたいな少年少女を踊らせたり、コスプレさせたり、セックスさせたり、、、、それがアングラではなく、メディアで表立って持て囃されている日本&もっと酷そうな韓国。
気持ち悪いとかではなく、よくコレがまかり通っているなと違和感しか感じない。
「私」がグループの崩壊に対してできることはいくつかあったかもしれませんが、いくつかの要因が複雑に絡み合っているため、解決が簡単ではなかったことも理解できます。以下に、「私」ができたかもしれないことを考察します。
1. 率直なコミュニケーションを取る
「私」はティア1のメンバーと特に強い絆を感じていたため、彼らとの関係を守るために、率直に不安や願望を話す機会を持つことができたかもしれません。彼らに直接「以前のように遊びたい」という希望や、グループが変化することに対する戸惑いを伝えれば、解決策が見つかった可能性があります。お互いの気持ちを共有することで、新しいメンバーとも共存できる形を模索できたかもしれません。
グループが自然発生的に集まるというスタイルは魅力でもありますが、メンバーが増えたり脱退したりすることで混乱を招いています。例えば、参加するゲームを決める際に、誰が優先されるかなどのルールをみんなで話し合って決めておくことで、無駄な譲り合いや不満を防ぐことができたかもしれません。「私」がその議論を促進する役割を担うことができた可能性があります。
3. 柔軟なアプローチを取る
「私」は特にティア1のメンバーと遊びたいという強い希望を持っていましたが、それを絶対的なものとして抱え込むよりも、他のメンバーとも少しずつ親しくなるよう努めることで、グループ全体との関係性を深めることができたかもしれません。新しいメンバーとの距離感を縮め、全体としてバランスを取ることができれば、ティア1のメンバーと遊べないという不満が軽減された可能性があります。
4. 小規模なサブグループを作る
グループの崩壊を予感した段階で、「私」が気の合うメンバーだけで新しいサブグループやDiscordサーバーを作ることも一つの手段です。全員と遊ぶことが難しいなら、自分にとって心地よいメンバーとの小規模な集まりを別途設けることで、自分の居場所を守ることができた可能性があります。ただし、この方法は、他のメンバーとの関係を悪化させるリスクもあります。
5. 変化を受け入れる
「私」は非常に強い感情を抱きつつも、変化に対応することに難しさを感じています。しかし、グループが変化するのはある程度避けられないことであり、それを受け入れて、異なるメンバーとの新しい関係性を模索することも一つの選択肢です。これは簡単ではないですが、グループの自然な成長や変化を受け入れることができれば、もっと柔軟に楽しむ方法を見つけることができたかもしれません。
「私」にできたことはいくつかありましたが、最も重要なのは率直なコミュニケーションと柔軟な心です。自分の感情を整理し、他のメンバーと正直に対話することができれば、グループ全体が前向きな形で進むための解決策を見つけることができた可能性があります。しかし、こうした行動を取るには、変化に対する勇気や柔軟さが必要だったかもしれません。
電車で騒いでるクソガキやクソババアだろうが赤ちゃんだろうが街を歩く知的障害者だろうが、意味不明レベルの強者のことは見抜く。
「大丈夫だな」と思われたら終わる。これは意図的にやっているわけではない。
お前らも無意識にあるだろう。無意識に避けたり避けなかったりしていないか。あまり認めたくない人も中にはいるかもしれないが。
「なんとなくこっちだな」とか「なんとなくこっちはやめておこう」とか、そういう判断の、アレだ。
「大丈夫だな」というのは、なんだろうな、直感的に行動パターンを把握してそう思うのだろう。論理ではない。もっと直接的な死に近いものである。精神的な死も、結局物理的な死に近い。
たとえば犯罪を犯さないタイプの人間の行動パターンは同じだがそこから外れるとなんともいえない圧を放つようになる。
もちろん学習できていない人間もいるし、相手が檻の中にいると感じて自分が安全なのだと信じ切っている人間もいる。
ヤンキーやチンピラの行動は理性の対極に位置すると思われているが、彼らはむしろ動物的感性に忠実に生きていると言えるだろう。
たとえば自分よりもはるかに優れた理性を持つ存在から見れば自分は感情的に動く存在のように見えて滑稽だろう。あたかも知的障害者のようだろう。
そうした異常な理性を持った人間のことは見ればわかるし、それでわからなくても少し話せばわかる。文章からでも見抜くかもしれない。
知的障害者(全員ではない。暴れる知的障害者だ)は、知的存在が自分を殺さないことを、知っている。だからある意味では凄まじく頭がいいとも言える。
陰謀論者のようなものだ。殺されないことを知っているか、またはそう信じているから、そのように振る舞える。俺はそう解釈している。
産後のホルモンバランスの変化と性欲の変化のことはもっと知られてもいいと思う。
産後はプロラクチンというホルモンが出るため、乳汁が出たりしばらく生理が止まったりするけれど
これは同時に性欲を抑制する作用があるので、性欲がなくなるのは普通のこと。
男性にもプロラクチンが出る時があって、射精オーガズム後に出る。いわゆる賢者タイムの時が該当する。
性欲がわかない期間も長くなる。
妻は性欲減退している上育児でも疲れているし(赤子がいると寝不足は普通)旦那に愛撫されても単純に濡れず、挿入も痛い。
男性も女性も本来は結婚前にその時どうするかを話し合っておくのが理想なのだと思う。
結婚する人は減るだろうけど。
俺「おはよーございます(尻鷲掴み」
後輩「溜まってて辛いです先輩の方が上手いからしごいて(ボロンッ」
俺「いいよ俺のと兜合わせしながらしごこう(ボロンッ」
男同士でちゃんと処理しあって常時スッキリしてるから女にセクハラとかしない
性欲が満たされハツラツとして飢えた感じのない姿はむしろ女にモテる
介護職員は利用者に対して、もっとカジュアルに有形力を行使出来るようにしてほしいよな
1発殴られたら100発殴り返さなければならない
1回怒鳴られたら100回怒鳴り返さなければならない
アレって本当によくないと思うんだよな。
たとえばこんなの
元の話題「1+1は2じゃないぞ!1+1を10にするのがマリアージュ!」
オタクA「いや、どう考えても1+1=2でしょ。少なくともこういう場で出すのにふさわしい表現じゃない」
オタクB「マリアージュはそういう使い方はしない。というかそもそもは結婚を意味する言葉なので」
オタクC「5倍になるようなパターンは聞いたことがない。具体例あげてみて?一個も出てこないはず」
本当はもっと「全方位に失礼」な例をあげたかったんだけど、それをやったらその過程で俺自身が同じことをしてしまうから控えた。
そのことに対して「具体例もちゃんと出せないの?バカじゃん?」みたいに思ってしまった君は、オタク君の才能があるから気をつけたほうがいいよ。
昨日は、上田ショックに続き石破ショック!
総裁選で高市優勢の間は円安株高、石破に決まった途端円高株暴落
岸田や財務省寄りの政策をやったら市場はこう反応するとリアルタイムで反応したわけです。
元々ダメダメ無能な役所犬の岸田では持たないから自民の顔をすげ替えるはずが、もっとダメな増税路線者に変えたのですから当然の反応です。
いやわりとマジで
管理職をしてるんだけど、本当に本当にアホ部下が多い
「ミスが起こらない仕組みを作ればいいだけ」はもちろん理想なんだけど、ガチで想像も付かない斜め下からのアホアホミスにすべて対応できるはずもなく
ミス防止研修は耳にタコができるほど繰り返すんだけど、それでもミスは繰り返される
そういう中で思うのは、もちろんミスを起こさない方法・理論・考え方を教えることは大事なんだけど
やっぱり効果的なのは「ミスしたらめんどくさいぞ。ミスしたら嫌な気分にさせられるぞ。」なんだよね
金銭的なペナルティも当然効果はあるんだけど、ネチネチ説教への忌避感はもっと効果あるってのが正直な感想
「怒られるのが嫌だからミスしないように気をつけよう」って、小学生かよ!!!って思うけど
いい歳した大人でもそういうレベルの人の方が多いんだよね。中小企業だとなおさら
伝えるべきこと伝えたらもう話すことないじゃん
喋ってるだけでも疲れるよな
普段のコミュニケーションでは「用件を端的に伝えよう」って意識してるから
いきなりそれとは逆のことをやろうとしても難しいんだよね
グーグルのAIでGoogleアカウントと紐付けして使うからGoogleカレンダーにスケジュール自動登録してくれる機能とかあるのかと思ったら未実装(今後できるかも)だし、
何よりも質問に対してchaGPTは無料版でも的確に答え帰ってくるのに、geminiはふわっとした回答がかえってくる上に「質問事項にこういうのがあればもっと的確に答えられるよ」みたいなアドバイスに乗じて個人情報色々求められてる感覚があって、主観的な問題だろうけど気持ち悪さを感じる
今後に期待ということで使うことはないかな
身内に重度知的障害のきょうだいがいる、いわゆるきょうだい児というやつだが、良かったと思うことなんかひとつもない。
よく周りの大人や福祉施設の人からは「障害児ちゃんがいたおかげで増田ちゃんは優しい子になれたわね〜」だとか「障害児ちゃんと大変なママを支えるために頑張っててえらいね〜」だとか言われたが、そうあってほしいって理想を押し付けられてたんだろうな。こっちの話なんて一個も聞いてくれたことないくせに。
障害児ちゃんのおかげ?出かけた先で障害児ちゃんの癇癪が大爆発してくすくす笑われたり、じろじろと冷たい視線を浴びたりしたのも。障害児ちゃんが行けないから・障害児ちゃんが落ち着かないからとどこにも遊びに連れて行ってくれなかったのも。じゃあ障害児ちゃんを施設に預けて自分と出かけてくれと言うと、なんでそんなかわいそうなこと言うの!と怒られたことも。何をするにもどこに行くにも障害児ちゃんのことが優先で、自分の意見は無視か差別的だと詰るのも。障害児ちゃんのおかげだったのか。
障害児ちゃんは生きてるだけでえらいねと周りにちやほやされて両親にもめいっぱい可愛がられて、その横で自分は何を成し遂げても褒めてもらえなかった。どれだけいい成績を取っても、賞を取っても、いいことをしても「あんたは障害児ちゃんと違って健常なんだから当たり前でしょ」「障害児ちゃんの分ももっと頑張らなきゃ」
そうやって褒めず、放っておくくせに、期待だけはされる。障害児ちゃんができない分を。じゃあ次こそ褒めてもらおうともっともっと頑張っても、やっぱり褒めてもらえない。褒めないくせに、世間話の自慢の材料にはする。なんだ、障害児ちゃんに内心いちばん引け目を感じてるのは、両親の方じゃないか。どっちも出来損ないだなんて思いたくないもんな。褒めなくても放置してても、両親に愛されたいから勝手に期待には応えてくれる自分は、さぞ都合が良かったんだろうなと思う。
障害児ちゃんは常に監視の目が必要だから、全員が家を空けるときは施設に預けるより他無い。自分が高校生になった頃、両親はそれを可哀想がって「増田ちゃん、障害児ちゃんの面倒、見てくれるよね?」と自分に擦り付けることが増えた。
もはや土日は面倒を見ることが当たり前なので、友達と遊びたいから施設の予約を取ってくれと言うと渋い顔をされた。時には「なんで急に言うの!?施設だってお金がかかるのに!おまえは親の苦労を考えたことがあるのか!?施設施設施設って家にいられない障害児ちゃんが可哀想と思わないのか!?」とヒスられたこともある。じゃあ貴方は、みんなが明日遊ぼうねと約束を簡単にする中、障害児ちゃんのことがあるからちょっと家に持ち帰るねと言うしかない自分の気持ちを考えたことがあるのか。可哀想だと思わないのか。親は飲み会だから、友達に会うから、じゃあ増田ちゃんよろしくーと簡単に預けるくせに。
そんなこんなで、当然自尊心はボロボロになった。周りとあまりにも違いすぎるきょうだい関係、目の前で生きてるだけで褒められるのを見ながら自分はどれだけ頑張っても褒められない劣等感、意地悪な大人や無垢な子どもから受ける剥き出しの差別……。結婚願望のある人なら、身内に障害児がいることは破談理由になりやすいのにも脅える必要がある。そんな差別主義者と結婚しなくてよかったね!と親は言うのだろう。障害児ちゃんがいなければ受けなかった差別だったのに。自分はなんにも悪くないのに、障害児ちゃんがいたおかげで、その差別だけ受けて恩恵はなんにも無い。
ストレート合格率が驚くほど低かったり、姫路獨協大が薬学部の募集停止をしたりして、近年局所的な盛り上がりを見せている私立底辺薬学部。
今日はそんな底辺薬学部に通って6年目。これから国家試験を迎えようとしている私が内情を少し書いてみようと思う。
通っている薬学部は地方にある入学偏差値37.5の薬学部だ。BFではないので厳密にはFランではないが世間一般的にはFランと呼ばれる偏差値である。私が入学した頃、充足率は100%を越えていたのに、いつからか定員割れをして今では充足率も100%を切っている。
一般的に低偏差値の大学というと学力的にやばい方が多くて、ごくごく希に近所の優秀な人がなぜか来ることがあるといった印象を持つ人が多いだろう。しかし、薬学部だとそうとは限らない。弊校が地方部に立地しているのと、資格さえ取ってしまえば学歴があまり関係なくなることもあってか、地元の優秀層が毎年一定数入ってくる。割合でいうとだいたい1~2割といったところだろうか。弊校の場合、特待生枠が増えた下の代からその割合が多くなっている。県内唯一というのもあり、県内トップレベルの進学校から、あなたもっと上の大学を目指せたでしょうという人間がごろごろいる。だいたい漏れなく特待生だ。もちろん入学偏差値の低さからとてつもなく勉強ができない方も入ってくるし、その難易度の低さから脱サラして入ってくる社会人経験者や高卒認定を取得して入ってくる人もいる。恐らく学生の多様さは高偏差値の薬学部より勝っているだろう。この多様さが魔境にせしめたる一因だ。
薬学部は入学するまでの学力より、入ってからの学力が物を言う世界だ。これがFラン薬学部をさらに魔境にさせる。下克上が簡単に起こる。地元の進学校から来た特待生が成績下位層に落ちるなんてざらだし、入学時成績が下位だった子が今では上位層なんてこともよくある。私の学年なんか入試成績上位1割に設定されていた特待生の内、今でも学年の上位1割に留まり続けているのはたった一人だけだ。なんなら特待生だったのに国試怪しいなという人も何人かいる。入った時の成績でしか特待生になれないのマジでなんなのだろうな。
学力のサラダボウルになっているから上はどんどん勝手に勉強して伸びてくし、下は下で勉強についていけなくてドロップアウトしていく。弊校、単位認定がザルなので余程ことが無い限り落単なんてあり得ないのだけど、それでも単位が取れなくて留年していく人はまぁまぁいる。普通は再試にならないと言われているCBT試験(車の免許で言うところの仮免許試験みたいなやつ)でさえ1割ぐらい再試になっていたし、再試でさえ落として留年した子もいる。入学した同期の内、1割強は留年や退学などでいなくなった。6年まで来て1割強だとかなり薬学部としては健闘しているようにみえるかも知れないが、弊校は卒業試験で絞る大学だ。ここで2~3割程が消える年もある。今年はどうなのだろうね。去年が酷かっただけに今年は厳しくなるかもしれない。
他の薬学部の雰囲気を知らないから一般化できないけど、バイタリティーが無い人間が多い。バイタリティーに満ちあふれているとは言い難い私でさえ、バイタリティーに満ちあふれていると言われる。バイタリティーがないからかチャレンジングな人間が少ない。入りたいサークルが無いという理由でサークル活動をしない子が多い。ないなら創ってしまえばいいのに。学年全体にやんわりと「企業なんか......」という空気がはびこっていて、企業志望の人間が超少ない。学歴フィルター以前の問題だ。今年なんか数少ないチャレンジングな人間はほとんど院進するか医学部再受験だよ。
バイタリティーが無いばかりか体力も無い人間が多い。「講義疲れたから帰る~」 「今から勉強するの疲れてむり~」 「一日4時間が限界、10時間なんでできない」国試を迎える学年なのに平然とこのようなことを言う人が多い。国試厳しそうな人間ほどこのような傾向が強い。講義疲れたと言ってもたがが2コマだけである。なにをふざけたことを抜かしているのか。この1年間の勉強の出来で生涯年収が1000万から変わってくるのだぞ。
大学も大学で結構酷い。パンフレットには4年次から研究室配属がされ6年次まで研究ですと書いてあるのに、蓋を開ければ実質5年次の実習に行っていない半年間だけだ。詐欺である。5年次以外の時間なにをしているのかというと対策講義だ。4年ならCBT対策だし、6年なら国試対策である。隙あらば講義といわんばかりに講義が所狭しと設定されている。最近では5年次にも国試対策が浸食してきている。弊薬学部の研究が活発でなく5年次に遊んで堕落する人が多いかららしい。知らんがな。正直言ってクソである。こっちは研究に勤しみたいのだよ。ビジネスの都合なのは十分承知しているけど、ここは小学校か。大学なんやし自己責任で片付けろよ。対策講義なんて先生方の自己満みたく感じる。国試対策の方は少なからずありがたみを感じているけど、CBT対策に関しては完全にそうだったと思う。対策講義を受けるべき層はかなりサボるし、受けなくても余裕な層には冗長しい。ぶっちゃけそんなことさせるぐらいなら4年からバリバリ研究させた方がもうちょっと成績もマシになると思う。
ここまでつらつらと書いてきたが、底辺薬学部での生活はその人の主体性と関わる人間に大きく左右されるように感じる。冗長しい対策講義も、逆に言えば恐ろしい程手厚い学習サポートと捉えば大きなメリットである。入学してくる学力層も富んでいるから賢い子と仲良くなって勉強を教えてもらったり、その子からモチベーションを得たりすることも出来る。けど最終的には当人の主体性がなければこれらは全て得られない。主体性がなければ、ただただ一千万超えの学費と6年という時間を溶かすだけだろう。