2024-09-29

知的障害者だろうがほぼ赤ちゃんだろうが強者のことは見抜く

電車で騒いでるクソガキやクソババアだろうが赤ちゃんだろうが街を歩く知的障害者だろうが、意味不明レベル強者のことは見抜く。

これは人体に備わる危機意識のようなものだろう。

大丈夫だな」と思われたら終わる。これは意図的にやっているわけではない。

お前らも無意識にあるだろう。無意識に避けたり避けなかったりしていないか。あまり認めたくない人も中にはいるかもしれないが。

「なんとなくこっちだな」とか「なんとなくこっちはやめておこう」とか、そういう判断の、アレだ。

大丈夫だな」というのは、なんだろうな、直感的に行動パターンを把握してそう思うのだろう。論理ではない。もっと直接的な死に近いものである精神的な死も、結局物理的な死に近い。

たとえば犯罪を犯さなタイプ人間の行動パターンは同じだがそこから外れるとなんともいえない圧を放つようになる。

もちろん学習できていない人間もいるし、相手が檻の中にいると感じて自分安全なのだと信じ切っている人間もいる。

ヤンキーチンピラの行動は理性の対極に位置すると思われているが、彼らはむしろ動物感性に忠実に生きていると言えるだろう。

俺の個人的感覚だが、理性もまたその延長線上にある。

たとえば自分よりもはるかに優れた理性を持つ存在から見れば自分感情的に動く存在のように見えて滑稽だろう。あたか知的障害者のようだろう。

そうした異常な理性を持った人間のことは見ればわかるし、それでわからなくても少し話せばわかる。文章からでも見抜くかもしれない。

知的障害者(全員ではない。暴れる知的障害者だ)は、知的存在自分を殺さないことを、知っている。だからある意味では凄まじく頭がいいとも言える。

陰謀論者のようなものだ。殺されないことを知っているか、またはそう信じているから、そのように振る舞える。俺はそう解釈している。

まあ本当のところはわからんけど、これでいろんなことを説明できるから便利に利用している。

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