はてなキーワード: でっちとは
赤松氏、山田太郎の隣によくいる表現の自由関係の活動してる漫画家ってイメージが強かったから、
それが山田太郎の改選されないときの参院選に全国比例に出るときたら、
当然いわゆる圧力団体枠の議員が片方が非改選の時にもう1人出るみたいな話かと思ってた。
郵便局長会にだってその他の団体にだってこの種のペアがいるわけで、そういう立ち位置として擁立するのが自然のはずだ。
なのに相当昔からヒット作を出している漫画であることを以て「若者へ向けたアピール」のためにみたいな形で出るってのはよくわからない。
若者アピール枠があってはいけないといいたいわけではないけど、その枠にするには流石に不自然なんじゃないのか。
例えばA→B→C→Dという手順の、特に複雑ではない一連の作業があるとする。「普通」の人は何度か練習すれば手順が記憶に定着して、あとはいちいち考えなくても正しい手順で作業を行うことができるらしい。
自分の場合はこれが全然覚えられない。(多少難しい作業ならむしろメモを見ながら作業するので間違えないのだが)
Dを忘れる。BやCが抜ける。順番が不同になる。脳が勝手に作業手順をアレンジして
A' →β→C→⊿になる、等々。
困るのは自分ではその場でアレンジしてるつもりは全くなくて、正しい手順、正しい方法で作業してるつもりであること。
本人の自覚なしに脳がうろ覚えの情報をつなぎ合わせてニセの手順・方法をでっちあげてしまう。
間違いを指摘されて初めて、「ああ、確かに、そんな方法で作業してる人見たことないじゃん。何で自分はこんなことをしてしまったんだろう」と気づいて、我ながら呆れてしまう。
どうも脳が勝手なことをするのはほとんどが仕事中のこと。わずかなストレスがかかるだけで脳が暴走することは経験的に分かっている。
プライベートでも、他人を車に乗せると運転がド下手になることがある。
とにかくメモを見る、というのも一つの解決策だと思うが、運転等、メモでどうこうなるものでもないことも沢山ある。
本当に支障をきたしている。
何か妙案はないだろうか。
俺は"ケツソムリエ"だ。
勤めている会社の女性陣のケツを見れば、それが誰であるかを見極めることができる。
皺の寄り方、生地の張り具合から大きさ・形状等々を全て記憶し、個人と結びつけている。
約50人分を全てだ。
ただひたすらにケツしか見ない。
腰上や膝下など見ない。
「(ん!この見事な小尻はAさんだ!)」と見定めて答え合わせを繰り返す日々。
ケツソムリエは一日にしてならず。
たゆまない努力があってこそ目は鍛えられていくのだ。
そんな精進を続けていながら先日、あり得ない失敗をした。
"パーフェクト・ヒップ"ことBさんと、
見間違えたのだ。
この二人は共にボリューミーでありながら小・中・大の臀筋が実にほどよく引き締まっており、
大きさの割にはキュンと引き締まった、それでいて筋肉質にはならずに魅惑の丸みを帯びている、甲乙つけがたい見事な至宝なのである。
見間違った原因はわかっている。
その俺の目の前に飛び込んできた、見事なケツ。
いつもなら余念のない鑑定にはいるところであるが、俺はこのとき急いでいた。
ところが、Bさんにはあるはずの"ケツの割れ目付近の深い食い込み"が、若干浅かったのだ。
見事なケツの二人を見極めるにあたり、食い込み加減は最重点項目であったのに…。
自分の未熟ぶりを恥じた。
物事を粗野にしてはならない。
そう気づけた、良い一日であった。
爆笑問題の太田さんが批判されているけど、昔太田さんがやっていた、「私が総理大臣になったら」という番組を見ていた世代からすれば、普通にこうなると思っていた。
「政治家にかみつき、暴言をはく」国民なんてごまんといるが、そういう人間に対する政治家の素の反応が全国で生中継されるというのは、なかなか見れない姿だ。
例えば、小泉さんなどはちゃんと不快になって小ばかにした態度を取ってて新鮮だった。
石破さんは付き合いが長くてクソみたいな幼馴染のすべてを理解している友人みたいな態度だったし
二階さんは太田さんがかみつこうにも、想像以上にもうろくおじいちゃんでプロレス不成立なの最高だった。
なので、太田さんが話を振ってダラダラと分かりにくい説明が始まっちゃったときに「テレビやってたんだから短くまとめて分かりやすく話せよ」と、太田さんと同じく思った。
それに対して山本さんが「雑なんだよ!」と怒ったのも「はぁ?」と思った。
ただ、スタジオで若いおねーちゃんが「山本さんも勉強されているんだなと思いました」みたいなことをコメントしたのは、仮にも党首に対し失礼なんじゃないかなと思った。全然分かってないのに一生懸命勉強してお話したんだねぇヨシヨシ、みたいに聞こえた。気持ちはわかるが、スタジオのおねーちゃんは太田さんみたいにまさか山本さんにプロレスをしかけてたわけじゃないだろうし。
甘利さんはさすがにかわいそうだったかな。
「ご愁傷さまでした!」って振って、「ひどい」「ふざけんな」みたいな反応が返ってくるかと思ったら、本当にしょんぼりしちゃってて。
太田さん本人はこの件に対して、ラジオで与野党がテレビから消そうとしている、審判を待つという話をしたそうだ。
今後、番組が終了したら政治家がスポンサーに圧力をかけたということか。
あるいは、週刊誌にスキャンダル?直近で数十年前の裏口入学疑惑しかないんだから、でっちあげネタがくるか。
それを考えると、私が総理大臣になったら…はよく続けられたもんだなぁと思う。
当時、脅迫などが相当来ていたらしいが、今回はどうなるか。
彼は自分の思っていることを一切言わなかった。というより何も思っていなかったので、主張して伝えることが一切存在しなかった。
お前の考えていることがわからんと口々に言われた。実際何も考えていなかった。
持ち前の勘の良さと運の良さだけでもって生れてから現在までの時間を流されてきた。
ある時オズの魔法使いの劇を観た。自分も何かが欲しいような気がしたが、何かを記憶するのは彼にとっては大変難しいことだったので、家路を歩いている間に劇を観に行ったことすら忘れていた。
彼は17の時に兄に連れられ風俗街で童貞を捨てた。と言っても、娼婦の思わず賞賛の拍手が巻き起こるほどの意地の力でわずかにそれに使える硬さを得た逸物を強引にねじ込まされ、そしてそのまま引っこ抜くついでに突き飛ばされただけだったが。
彼の仕事はといえば、市長の代理で議会の椅子に座らされ、だれが作ったかわからない台本に書かれたYESやNOやSUREなどのごくごく短い文字を誰だか知らない連中からの質問に対して上から順に読み上げていくことだった。なぜこんな役職についているのか彼自身も周囲の人々も知らなかったが、ただ彼の第六感が粛々とすべての運命を決めていた。
彼の22歳の誕生日の日、その茶番を終わらせるべく怒れる市民たちが議会になだれ込んできたが、その凶兆を10年前から受け取っていた彼だけはその日自宅で妹相手にカメムシの触角を使ってでっちあげた数学を教えることで免れていた。
30歳の春の日、彼は妹の結婚式の最中に、突然走って出て行って、町の西側にある断崖をよじ登り、そのままそこで暮らし始めた。誰にもその行動の意味は分からなかったが、とにかく何かの前触れだということで、町はそっくりそのまま断崖の上に移動した。
その頃ようやく彼の頭の中に記憶を留めておくための文鎮や何かを感じたり思ったりするための風見鶏が置かれ始めた。それをこしらえたのも第六感の仕事だった。
彼は言った。
「この崖は町の重さに耐えきれずもうすぐ崩壊する。皆必要なものだけ持ってできるだけそっと降りるように。」
そうして断崖は乗せていた家々もろとも粉々になった。崩れる土砂からくる風で、彼はオズの魔法使いのことを思い出した。夜になって家を失った人々が肩を寄せ合ってふて寝しているのを横目に、崩れた土砂を登って姿を消した。
だけど、そういう呼び方はどうも馴染まない。
彼女は、僕らが小学生の頃から知り合っていたと主張していたが、その頃の僕は彼女をあくまでも集団の一部として捉えていた。
そういうわけで、僕が初めて彼女のことを個として認識したのは高校一年生の時だった。
彼女とは、ある授業がきっかけで近しい関係となった。その授業は、どこの学校にでもあるような、他の人と相談しながら進行する授業。
そうは言っても、彼女と積極的に話し合うことで親交を深めたというわけではない。まずもって、彼女はカモクなのだ。
僕と彼女のコミュニケーションは、会話というよりは問答に近かった。それでも、授業を通して彼女に一歩近づける、それだけで彼女の魅力を知るには十分だった。
後に続く彼女との関係の基礎はこの時期に形成された。一年間にわたる彼女とのささやかな交わりを経て、僕は彼女のことを意識するようになった。
しかしながら、その後1年にわたって、彼女との関係は進展しなかった。
高校2年生という期間は、他の生徒にとってもそうであるように、高校生活の中でもとりわけ忙しい時期だ。
授業のような特別な機会が与えられなければ、彼女を顧みることさえ忘れてしまうほどに。
高校3年になって再び出会った彼女は、少しばかり気難しくなっていた。それは、1年間彼女に見向きもしなかった僕に対するささやかな反抗であるようにも感じられた。
僕らは1年に渡るブランクを埋め合わせるために、2人で過ごせる時間と場所を求めていたが、快適な居場所は多くはなかった。
学校には僕らの関係を冷やかすような人間はいなかったが、それでもやはり居心地が悪かった。また、駅前の喫茶店などといった場所では、僕らのような客が長居すること自体が歓迎されていなかったし、僕としても周りの目があると純然たる彼女との時間に集中できなかった。
そういった理由から、必然的に彼女との時間は僕の部屋で過ごすことが多くなった。親も僕が彼女を引き連れて自室に籠っていることを容認していたし、ともすれば応援していたように思う。僕らの関係は親にとっても都合のいいものだった。
彼女と長い時間をかけて向き合うと、段々と彼女の心の内が見えてきた。
例えば、彼女はムキになると素っ気ない態度を取るようになった。今になって考えると、彼女のそういった部分にも理解を示すべきだったのだが、当時の僕はそれができるほど賢くはなかった。
彼女の新たな魅力にも気づかされた。それは、彼女のユウキだった。僕が見向きもしなかった間に彼女が手に入れた新たな武器。それは僕にとって、彼女の全てのように感じられたし、それはまさしくCそのものだった。高校生という多感な時期に彼女と毎日のように向き合うことができたのも、彼女のそういった部分が僕の心を引き付けて離さなかったからだ。
高校3年の冬に、僕らは一度だけ同衾したことがあった。あの時は単純な好奇心から彼女をベッドに連れ込んだのだが、どうにもやる気が出なかったのでそのまま寝てしまった。僕らにとっては、机を挟んで向き合う方が遥かに適していたのだ。そういう観点から言えば、僕らの関係はどこまでもプラトニックだった。
それからほどなくして、僕らは高校を卒業して、そして同じ大学に通うことになった。
長い春休みが明けて久しぶりに彼女に会いに行くと、彼女はすっかり変わり果てていた。
知り尽くしているとさえ思っていた彼女はすっかり豹変してしまった。
大学に入ってからは、彼女の真意を読み解くことが途端に難しくなった。
彼女のことをより深く知るにつれて、以前にも増して彼女のことが分からなくなった。
僕は、高校時代のように彼女と真摯に向き合うことができなくなってしまった。
彼女と長い人生を共に歩んでいたら、自分がどうなっていたのか知る由もない。
彼女に関する記憶も日々薄れていくのだが、今日のような記念日には彼女のことを思い出す。
受験でお世話になった化学を恋人に見立てて恋愛話をでっちあげようと考えたけど、青春というものを一切知らないので上手くいきませんでした。
増田に書かれるあらゆることが自分に向けて書かれてると思ってそうでちょっと怖い
日記サイトだからだいたいのことは独り言と思うくらいが良いぞよ
だから「中華スマホこんなに良いぞ!」と言ってる人と考えが合わなくてもキレ散らかさなくていいんだROMっとけば
同じように自分に合いそうな役に立つ情報を書いてくれた人にも平等に心のなかでふーんこの人はそうなんだと距離を置いておくくらいでいいんだよ
もともと誰かのために言ってるわけじゃないし誰かの役に立つと思って書いてるわけじゃないのが大半だ
一見役に立つと見せかけておいてだいぶ偏ってたりだいぶ無理筋のゴリ押しだったり何なら完全なでっちあげの嘘話だったりするから、ネタとして話半分で受け取っとくのが正解だ
感謝が必要ないということは、期待しないということで、勝手に裏切られた気分になるようなこじれ方もしなくなる
しらんけど
私は正直言って、彼に対して良い印象も悪い印象も持ち合わせていない。
ただ、ニュースに上がるたびに執拗に叩き続けるネットの人々には、嫌悪感と恐怖を強く感じる。
最近話題の髪型と態度についても、そこまでおかしいものだろうか?
ロン毛と書かれることが多いが、後ろで束ねていて悪印象は抱かないし、むしろ最近のオシャレな若者みたいだという印象を私は受けた。
当時の全体像を見ることができないので何とも言えないが、あんな風に急に取材を受けたら急いで立ち去ろうとするのも無理はない。
ここ数年の報道を受けて、真摯に対応しようとする人間がどれだけいるのだろう。
「皇族と結婚するのだから……」、などとそれらしい叩き文句を言う人も良く見かけるが、それこそ古臭い因習だ。
皇族といえど人間なのだから、まして一般人である小室さんにどれほどの振る舞いを求めるのだろうか。
あれだけ執拗に叩いておきながら、自分たちに愛想よく笑いかけろとはクレーマー気質も甚だしい。
また、彼らの過去を根掘り葉掘り調べて掲載してきたマスコミ、週刊誌の報道にも疑問を感じる。
そもそも関係者A、みたいな人物は本当にいるのだろうか。でっちあげていないか?
まず前提として、本当に小室圭さん自身が過去に何らかの犯罪行為(法律上問題のある行為)を起こしているなら、私刑ではなくまっとうな手続きのもとで裁かれるべきだ。
だが、真偽を確かめようがない過去の行いなどを取り上げて、さもそれが絶対的な真実のように叩く姿は気味が悪い。
疑惑の解消を、なんてコメントも見かけたが、週刊誌などがいくらでも盛れる根拠のない疑惑を永遠に産み出されてはキリがないだろう。
学生時代の素行についても、自分が100%品行方正だったという人はどれくらいいるのか。
キリストの言葉を借りるわけではないが、他人の行いに石を投げるならまずは自分の過去を振り返ってみてはどうだろう。
週刊誌やマスコミに踊らされて、理不尽に叩き続ける人たちを見ると本当に困惑する。
ラジオ番組を聞いて本当にエイリアンが襲来したと勘違いしてパニックを起こした、
なんて海外の古い話があるが、そのレベルにまだ留まっている生きる化石みたいな人間のなんて多いこと。
母親についても数多の問題が取り上げられているが、そちらについても疑問が残る。
小室圭さん本人ではなく母親が起こした問題について、彼はどこまで責任を負わされるのだろうか。
これも非常に古臭い考えを持っている人が多すぎるように思える。
犯罪者が出たら一族郎党まで罪に問う、なんて前時代的な考えをまだ持っている人がいることに恐怖を覚えてしまう。
やや大げさだが、犯罪者の父を持つ子や、片親の子に対して偏見を持つ人がいるが、根底にあるのはそういった差別意識のように思える。
親の行いに対して、子に責任を背負わせるというのは非常に酷だ。
まして彼の母親もただの一般人で、あれほど連日マスコミに叩かれ続ければ表に出てくることに抵抗もあるだろう。
彼女の行いがどこまで真実か分からないので肯定も否定もできないが、少なくとも無関係な人が口を出したり、文句を言うことには疑問を覚える。
こういった意見を述べると、「一般人と皇族は別」という話をする人がいるが、それも残酷な話だ。
皇族はかくあるべきだと決めつけて、個人の自由すらも他人が口出しするのは現代的ではない。
それは結局、一個人の幸せを願わず、皇族だからこうしろと他者の意見を押し付ける残酷な考え方だと思う。
少なくとも私は、好きな人と結婚したいと願う気持ちがある人に対して、結婚するななんて言う理解のない人間にはなりたくない。
言っていいのはギリギリで親や親戚で、それもあくまで助言や意見の交換程度で決定権は本人たちにあるべきだ。
まったく無関係の一般人が他者の結婚にアレコレ口出ししているのは、異常な光景に見えてしまう。
まして、結婚により皇族ではなくなるというのなら、もう放っておいてあげればいいのにと常々思う。
まだ憎いのか、まだ叩きたいのか?
税金がー、国民の血税がー、と怒る人々もいるが、それほど大きなお金だろうか?
我々の税金の大半は、私たちが日々利用する公共施設やインフラ整備に回されているわけで。
一個人へ怒りをぶつけるなら、国会中に寝ている議員たちに怒ったほうがまだ建設的だ。
税金が無駄遣いされている箇所なんていくらでもあるのに、1億5000万程度であれほど怒れる人々はどういった目線を持っているのだろう。
その1億5000万円も辞退されるとのことで、なにも問題ないのでは?
とまあ色々書いてきたのだが、週刊誌やネットニュースに踊らされるがまま叩く前に、もう一度理性的になって考えてみてはどうだろうと思った次第。
皇族だから、なんて日本のために犠牲になれという押しつけがましい願いより、一個人の幸福を願ってみてほしい。
あと、本当にこれだけは言いたい。
「国民は怒っている」「国民に説明の義務を果たせ」、「国民に失礼」
「○○警察だ!」とかいう言葉、前からあるがここ1年特にはてな界隈で流行ってると思う。
俺が気付くのが3割程度ってだけでそれぞれ専門の人が見ればもっと多いと思うよ。
そういうエセを見る度にお前その程度の理解で警察を名乗るなよって言いたくなるね。
〇〇警察を名乗った時点で発言者は完全に正しくなくちゃいけない。
だって愚かしくも自ら誇張された権威性まで付与して自身の主張の正当性を誇示し、さらに相手をまるで罪人にでっちあげてるんだから。
その警棒だかマサカリだかを振り下ろせるだけの完全無比な主張が必要なんだ。
いや百歩譲って自身があるにしても、謙虚さを忘れ警察を名乗るゴミに識者ぶる資格はない。