はてなキーワード: 天啓とは
ラマヌジャン的なやつかな?まあこの手のは枠組みとかハビトゥスみたいなのとはまた異質の概念なんだろうね。身につけていれば、努力いらずとまでは言わないが、人生かなりイージーモードになるんだろうけど。そんなこと言ってもしょうがないか
ラマヌジャン本人は自身の数学的アイディアを天啓などと言ってたな。そのアイディアが単に的外れなら見栄っ張りな妄想病者によくある戯言として笑えるのが、ちゃんと後で証明された事実になってるのだから、笑えないし畏怖すらする。
本当にオカルト的なところから能力を得ていそう、それを否定しないにたる事実があると、思えると、普通に怖い。妖怪や幽霊に接する気持ちになる。
最近はあまり見なくなったけど、少し前は発達障碍当事者の自己語りをネット上でよく見かけた。
自分にはどういう特性があり、どういう問題を抱えてきて、何が困難で、といったような語りだ。
これはかつてネット上の色んな場所で見られ、時に煙たがられてきたようなものだが、当人にとってこれは自分を理解し次の段階に進むために必要なステップである。
このような語りをするのは、大人になってから初めて診断を受けたような人が多い。そういう人は、子供の頃から様々な理不尽に曝されて生きてきている。
人と全く合わなかったり、馴染めなかったり、いじめられたり。自分は普通にしているだけなのに、その原因が分からない。
それが発達障碍という概念を知って、自分を散々苦しめてきた原因はこれだったのか!と天啓を受けたような気分になる。
あの時の理不尽も、この時の違和感も、すべてはこれが原因だった。人生の伏線回収だ。
そして、この大発見を皆に知らせたいという気持ちになり、このことを知ればみんなが自分を見る目も変わるかもしれないと期待をも抱き、語らずにはいられなくなってしまうのだ。
俺自身もそうだった。俺はネット上ではなく精神科医に対して自己語りをしたのであるが、A4用紙に20ページぐらい、自分の半生の出来事を一心不乱に書き続け、病院に持参したものである。
そのような「大発見」は、当人にとっては生き方を左右するレベルの出来事だが、赤の他人にとってはどうでもいいようなことである。
しかし発達障碍の当事者は、発達障碍を持つがゆえに、それが他人にとってどうでもいいことであるとは気づかない。
そのため、まるで数学の新しい定理を発見したかのような気持ちで、その発見は他人にとっても価値があるものだと確信し、自己語りを公開するのである。
そのように自己語りをしても、周りからの反応はほとんどない。しかし、そうして言葉を紡ぐプロセスを経ることで、当事者は自分自身を深く理解し、次のステップに進むことができる。
また自己語りに関する反応が薄いことで、ああこれは他人にとって価値のない情報なんだと、当人もやっと理解することができる。自己語りは、当事者自身のために必要なことなのだ。
最近、こうした自己語りが少ないのは幼少期から診断を受ける人が増えてきたためだと思う。子供の頃から発達障碍の自覚があれば、大人になって急に天啓を受けることもないのだろう。
また発達障碍の概念が十分に知れ渡ったために、他人に知らせたいという動機も薄くなっているのだと思う。
しかし今でもそうした語りをまったく見ないわけではない。もしそのような自己語りを見かけたら、それは当人にとって必要なステップなのだと理解してほしい。
はぁ?何も言ってねぇだろ狂ってんのかと書きそうになったが、天啓を得たので問いを変えたらまぁまぁ納得できる内容になった。
次のsnsの会話ログをよみ、最後の"どういうこと"について回答してください
1. 問いの明確な定義
2. 1に回答
注目箇所:anond:20240220142923
[その後コピペ...]
問いの明確な定義
問: anond:20240220142923 の発言「アタオカはいらない、お金がいる、という問題は、女性がしばしば遭遇する難問」の意図と、スルーカと犯罪化の関係について、質問者様がどのように理解すればよいのか。
回答
1. anond:20240220142923 の発言の意図
anond:20240220142923 の発言は、2つの要素から成り立っています。
これは、「理不尽な言いがかりや嫌がらせをする人(=アタオカ)」は、相手にとって不要な存在であるという意味です。
2つ目は、「お金がいる、という問題は、女性がしばしば遭遇する難問」という部分です。
これは、女性は、経済的な理由から、アタオカからの嫌がらせを無視できない場合があるという意味です。
つまり、anond:20240220142923 の発言は、女性がアタオカからの嫌がらせに苦しんでいる現状を指摘していると解釈できます。
anond:20240220142923 は、スルーカ(嫌がらせを無視すること)は有効な手段ではないと示唆しています。
スルーカは、相手を刺激しないというメリットがある一方で、相手を無力化できないというデメリットもあります。
特に、経済的な理由から相手を無視できない女性にとって、スルーカは有効な手段とは言えません。
一方、アタオカの行為を犯罪化することで、女性は法的な手段で保護を受けることができます。
しかし、アタオカの行為を全て犯罪化することは難しく、また、犯罪化しても被害が解決されるとは限りません。
つまり、スルーカと犯罪化にはそれぞれメリットとデメリットがあり、どちらか一方だけが問題を解決する手段ではないという点が重要です。
まとめ
anond:20240220142923 の発言は、女性がアタオカからの嫌がらせに苦しんでいる現状を指摘し、スルーカと犯罪化の限界を指摘していると考えられます。
増田にいる猛者たちはネイルサロンに縁がない人ばかりだろうと踏んで書き散らす。
ネイルは凝れば凝るほど料金が高くなる。
時々バズってるオタクのネイルとかは多分「持ち込み&パーツ付け放題」扱いになるから13000〜18000円くらい。
特にこだわりがなければ、サロンが設定している「定額メニュー」から選ぶことになる。
定額メニューにも色々あって、シンプルな1色塗りとかグラデだけだとだいたい60分で5000〜7000円、
パーツやホロなどのデザインを入れたものだと90分で7000〜9000円くらいが相場かな。
デザインも、より凝ったものだったり、爪を伸ばす技を施すと9000〜15000円くらいになる。
高いと思っただろ。高いんだよね。その分、期待するクオリティも高くなるのが人の心だ。
さて、時は数日前に戻る。
前にもネイルしてもらったことがあり、そのクオリティの高さにトキメキを覚えた店だ。
増田は2日後に大切な用があり、ちょっと気合を入れたかったのでこの店を選んだ。
予約時間の5分前にサロンに到着し、担当するネイリストさんに席に通される。
前に施術してくれた人とは別の人だが、同じサロンだからと特に気にはならなかった。
定額メニューのネイルの場合、サロンがデザインのサンプルパターンを用意しており、そのなかからデザインを選ぶ。
だいたい用意されているパターンは5〜20種くらい。サロンによって用意されている数は全然違うのでこのあたりはサロンの方針が反映されるのだろう。
私はゴテゴテしたデザインが苦手ながらちょっと小洒落た雰囲気が欲しくて、大理石のようなデザインを施すパターンを指定した。
大理石のようなデザインは、色の濃い箇所とホワイトの溶け合う質感がキモである。
ベースの色を塗ったあと、濃い茶色を筆にとり、直線に動かす。ここでぼかす…はずが、ぼかさない。
ジェルネイルはUVライトを照射して硬化させる。最終的に透明のジェルネイルをニスのように塗って完成なのだが、ここに来てデザインがまったくイメージと違うことに気がついた。イメージというより、サンプルとも乖離している。
補足すると、個人でやっているサロン以外複数のネイリストを抱えており、サンプルのデザインは目の前のネイリストが作ったものとは限らない。
よって、それを再現する技術があるかは、客にはわからないのである。
ネイリストさんに「どうですか?」と聞かれた。
どうもこうも、言葉がなかった。サンプルにあるのは、とろけるようなミルクのような質感の模様だ。
しかし、目の前にあるのは謎のツートンカラーのボケボケとした筆のあらさが目立つ何かだ。
まったく違いすぎることに衝撃を受け、しかしなんとか軌道修正しようと私は言葉を尽くした。
サンプルと見比べてほしい、ぼかしの領域がもっと広く、かつ揺れている線の質感がほしいと。
「じゃあやりなおします」
といって一度施術した爪を削り、やりなおす。やりなおすのだが…正直クオリティがあがらない。
ぼかしの工程でぼけておらず、仕上がりがまったく違う。
「どうですか?」
「さてはあなた、このデザイン作るの下手ですね…?」という言葉が喉の奥で詰まる。
なんとか脳を動かして絞り出したのは「サンプルと違うように見えるんですが、お姉さんはどう思いますか…?」という言葉だった。
ネイリストは畳み掛けた。
「お時間なので、これでだめなら一度落としていただくしかないです。これはサンプルなので、ぼかしの仕方は人によって違います」
もうだめだ。これは何を言っても伝わらないし、この人の技術ではサンプルほどのクオリティのネイルは作れないと悟った。
指に描かれたデザインは、日常生活を送るなかで目にするたびに凹みそうなくらい汚い出来だ。
めちゃくちゃ感じ悪いだろうな、もう二度とこのサロンには来れないだろうなと覚悟を決めつつ、落としてもらうよう依頼した。
するとお姉さんは「では、オフ代3000円いただきます」と回答した。
オフ代とは、ジェルネイルを取り除く工程にかかる料金のことである。
ジェルネイルは固いので、専門の溶液や工具を使って削り取る作業がいる。
正直、サンプルのクオリティに達さないなかで料金を請求する胆力に脱帽しつつ、下手に争いたくないので支払うことを了承した。
オフ代を支払っても、爪に残したくなかった。
オフされている間、私は「あ、写真とっておけばよかったな」と思った。
別に晒しはしないが、仲間内で愚痴るときに見せる用にしたかった。時すでに遅し、爪からは削り取られてた。
ときどきネイルサロンにはハズレがある。しかし施術中は両手が人質にとられているようなもので、一度始まってしまえばキャンセルできないものである。
もうハズレをひくのはダルいなと思った。
その足で私はロフトにいき、初心者用のジェルネイルキットを購入した。
今日朝一で塗ってみた。凝ったデザインはできないので、1色を塗るだけのシンプルなものだ。
これがなかなか楽しかった。手軽だし、3−4週間くらいしかもたないネイルに高い出費を重ねなくてすむ。
クオリティ自体は素人らしく色ムラもあるが、回を重ねれば多少はうまくなっていくだろう。
これは良いきっかけだった。
エレキギターが単に弦の音を拾って大きくするんじゃなく、ギターを電気信号の入力端子として使うのって尋常じゃない発想だと思う。
アコギと弾いてる姿も最終的な目的(演奏というデカい括りでは)も同じなんだけど、その意味が根本的に違う。
タイプライターとか電卓がパソコンに進化したのは何となく分かる気がする。なんというか扱うのが数字や文字だし、文章書くのとかただ計算するのだけじゃもったいなくね?色んな命令を出来るんじゃね?みたいな事は普通の人でも頑張れば思いつけそう。地道な進歩の中の寄り道でゲームとかインターネットとかに目的が拡大したのも何となく理解出来る。
でもギターはいくら形を変えても、演奏のための楽器という機能は変わらない。
ずっと演奏という同じ方向を向いていながら、弦の発するものを音ではなく電気の発生源として捉えて、コイルを置いて発電してそれをごちゃごちゃいじくってアンプに出力すればいいんじゃね?って発想が出てくるのは天啓でも受けたんじゃないかって思う。
大学卒業からずっとフリーランス1本で、25歳にしてやっと実家を出てひとり立ちした。
もともとは祖父母の家に2世帯で住んでて、小学校入学と同時に親子3人は引っ越したけど、すぐに母親がおかしくなった。
なので父のすすめもあり、7歳ごろから引っ越し先から舞い戻り、私は祖父母に育てられた。
ロクに育ててくれなかったし、自己中だし、幼い頃は急に学校に押しかけてきて教員たち相手に身の上話を始めたり
その割に交友関係が狭いから生きがいは娘の私だけ。「愛してる」「心配なの」「あなたのためを思って」ばっかり言う。
典型的な毒親でさんざん迷惑をこうむったので母親のことが大嫌いだ。
だけど両親の家と祖父母の家は駅1つしか離れていなくて、たまに母親が私目当てにやってくる。(祖父母は煙たがっている…)
いずれ家を出たことはバレるので、こちらから言うほうが母親の精神的ダメージは少ないだろうと思ってはいた。
だけど有無を言わさず出たかったから、前々から話を進めるのは父とだけにして、母には事後報告になった。
母親の中で私はいつまでも統合失調症発症時の8歳のままだし、「やり直したい」「家族3人で暮らそう」と何度も言われていた。
だが、私は精神疾患を甘く見ていて、この選択は間違いだったと今なら思う。
事後報告後、驚かれはしたが、別段いつもと同じように見えたのでそのまま新居に帰った。
1か月すぎたあたりから、通話の中で、もともと母親だけ入信していたキリスト教の話が増えた。
「仏教を信仰してると天国に行けませんよ」とか「聖書読みましょう」とか「ノアの箱舟」「アブラハム」の話をされたり
「祈りをささげてたら天啓がきた。増田ちゃんに試練があるとの預言です。」「夢に黄金の盾が出てきた。増田ちゃんは大丈夫」「イエス様に感謝します」
電話越しに讃美歌を歌われた。アカペラで。歌うまいね~って言っといた。
嫌な感じだ。
母親の統合失調症が一番酷かった時、家族皆で取り押さえてマンションのロビーまで引きずって、深夜に救急病院に連れていった。
でかい総合病院の中は非常灯しかついておらず薄暗くて、精神科だけに明かりがついていた。
その中で母親は泣きながら聖書を持って、医者に布教していた。私が8歳くらいの時のことだ。
このことを思い出した。
最近は季節の話とか、仕事は順調かとか、たわいない雑談をかわして通話は5分で終わりだったけど
あとはいつも私が子供のころの話ばかりする。多分時が止まってるんだと思う。
再発の予感がする。
父親にLINEしたが、父親も母親に辟易しているし、仕事は出張ばかりだ。
実際、「俺はもうすぐ死ぬから、あとはよろしくな!まあ母親の顔つきはまだ大丈夫だから…病んだらもっとヤバいから」と言われたりする。
ヤバい顔つきになったら手遅れだろそれは。向き合え。
実際母親は薬を長年飲み続けて今は落ち着いたが、代わりに脳味噌が綿になった。
まず知識が衰えたというか、欠落した。
電車の乗り換えができない。
私は実家がある千葉から神奈川に引っ越したけど、距離感が理解できず「増田はものすごく遠いところへ引っ越した」と思っている。
相手を慮るとか、想像力を働かすことができなくなったから、純粋な悪気のない自己中と化した。
「自由にさせろ」というと逆効果なのはもう学んだので流すようにしている。
今彼氏がいて、このままならこの人と結婚すると思うけど、母親と会わせたくない。
父親は「結婚するなら、精神障がい者の母親の存在を受け入れてくれなきゃねえ」と言ってて、
母親は「私は正常です!私が精神おかしいことは彼氏には絶対言うな!」と板挟み。
私は
「存在は言うけど、母親と彼氏(彼氏側の家族も含める)は極力会わせない。」
彼氏がもし将来夫になるなら、実際に会って面倒を見てもらうとか、施設へ行かせる老後資金を援助してもらうなどは絶対にさせない。」
と決めている。
母親をどうすべきか?
母親とどう付き合っていくか?でこんなに悩んでいるの、本当に時間の無駄で無性に腹が立つ。
大抵の人は、喧嘩でも雑談でもなんでも、両親と会話のキャッチボールができているというのに。
私は母親とのLINE通話後、その日はそれ以降一切仕事ができなくなる。
5分程度で終わらせていた通話も最近は20分30分。宗教の話を始めると止まらない。切って終わったと思ったら2回くる時もある。
再発が怖くて、毅然とした態度を取れない。
通院は続けているが、本当はかなりギリギリな気がする。
本当は「あなたから離れたい」「縁を切りたい」「金輪際関わらないでほしい」と言いたい。
それで病んで自殺したりしても悲しまない。むしろ肩の荷が下りるだろう。
タイミングを見計らっている。
彼氏と彼氏の家族に1度会うまでは、正気でいてもらわなければ。
もしくは、もう今のうちから突き放しておくべきか?
吐き気がしてきたので終わる。
母は野球観戦が好きでそこで知り合った友人が家に泊まりに来ることになった。
泊まりに来た友人は3人。
① 20台後半 背が低い かわいいだがいじめてくるので苦手だった
友達と遊んで帰り、家で適当にご飯を作って妹と食べていたら酔った4人が帰宅してきた。
泊まることになり妹は喜んでいたがオナニーを覚えたばかりの俺はドキドキしっぱなしだった。
なにかできることはないか考えに考え、深夜みんなが寝た後に脱衣所で下着を漁ることにした。
幸い俺の部屋は風呂場から廊下を挟んで反対側にあり、他は全員リビングで寝ていたので出くわす確率は低かった。
3時ごろ行動を開始。
心臓の音で誰か起きるんじゃないかってぐらいバグバグさせながら自分の家を忍び足で歩く。
風呂場に入る前であればトイレだの喉が渇いただの言い訳ができたかもしれないが小6の俺が思いついていたかはわからない。
なんの面白味もないが誰かと出くわすこともなく脱衣所で下着を漁ることができた。
自分の母親の下着も碌に見たことがなかったので初めて手に取って触ったブラジャーに感激した。
俺は焦り、時間をかけるわけにもいかなかったのでとりあえず一番エロさを感じた赤いブラジャーを手に取り部屋にもどった。
いくら考えてもわかるわけないのだが母の下着の可能性があることに気付いた。
しかしどうしても人妻③の下着でオナニーをしたかった俺は、諦めてブラジャーを枕の上に乗せ顔をうずめエロ漫画のようにシコった。
息を荒くし朦朧としている中、ブラジャーを戻さなくてはいけないのでフラつきながら脱衣所に向かった。
もう見つかるかもしれないことなんて頭になかった。
脱衣所で下着が3つ残っているのを見て別の下着をつかえば人妻③の確立があがるのでは?と天啓を得た。
気付けばブラジャー4つ使い4回シコっていた。
朝何食わぬ顔でみんなで朝食を取り3人共帰っていった。
アラフォーになっても、とりとめもない会話ができる友人がいる。
それってけっこう幸せなんじゃないだろうか。
俺も友人も未婚で恋人もおらず、独身。どっちも男、同郷。上京して東京にしがみついて、仕事を得ている。
だから金曜日の夜なんかは、安い居酒屋で飲んだ帰りにぶらぶら歩いて、お互い興味の一致することについてああだこうだ言う。
そんな生活が何年も続いている。
アラフォーの地方出身のオタクというのは、「高校まで、ネットが機能してないギリギリの世代」だ。
わずか数年でだいぶ変わるが、今年40なら高校に携帯電話はなく、37ならあるぐらい。
携帯があろうかなかろうが、高校の卒業式は今生の別れを確信して泣き、大学に入ったらmixiが出てきてmixiであっさり再会みたいな世代だ。
小学や中学時代は、話題のゲームが出ればクラス中それでしばらく持ちきり、という世代。
FFなら7か8までは必修科目であり、ドラクエも7まではなんだかんだみんなやった。
そんな俺たちの鉄板の話題に、「メラガイアー」「イオグランデ」の是非論争がある。
なんだそれはというニュービーに説明すると、それらはドラクエの呪文だ。
・単体炎魔法
・全体爆発魔法
というのが元々あった。8まではこの3段階でお馴染みだった。
近年リメイクアニメ版をやりきったドラクエ漫画『ダイの大冒険』でも、メラゾーマやイオナズンは最上級魔法としてお馴染みだ。
ダイ大は「~はイオナズン級の破壊力」という威力解説がけっこう多い。
大魔王バーンの「それはメラゾーマではない。メラだ」も非常に有名なやりとりだろう。
まあつまり、ドラクエ界の常識だった。それはイコールで我々世代男子の常識だった。
ところが、ドラクエ9で「4段階目」が追加される。
火炎:メラ → メラミ → メラゾーマ → 『メラガイアー』new!!
爆発:イオ → イオラ → イオナズン → 『イオグランデ』new!!
氷:ヒャド → ヒャダルコ →(ヒャダイン)→ マヒャド → 『マヒャデドス』new!!
風;バギ → バギマ → バギクロス → 『バギムーチョ』new!!
閃光:ギラ → ベギラマ → ベギラゴン → 『ギラグレイド』new!!
え……あ……?
マヒャデドス……?
どういうことかと言うと、ドラクエの呪文は「擬音」ベースなのだ。
全シリーズ大好きだが、魔法の名付けについてはドラクエは一歩上を言っていたと思わずにはいられない。
英語はわかりやすすぎるし、女神転生は何か深い意味があるのかもしれないが直感的ではない。
浸透戦略という意味では、ドラクエの呪文の覚えやすさとワンダーの両立は、恐ろしい次元に達している。
あの鳥山明氏がモンスターデザインするファンシーな世界を、この文字列が強烈にバックアップしたことは間違いないだろう。
魔法グラフィックはドラクエ5で初めて付くわけだが、つまり4まではただの文字列で視覚効果は無い。
それでも様々なドラクエ攻略本やドラクエ漫画や、公式4コマ漫画劇場でそれらは描かれ、5でゲーム画面に逆輸入されたそれは納得感の塊であった。
メラゾーマは大魔王ゾーマの力を借りているからメラゾーマなんだとかどうとか、真偽不明の憶測も飛び交うわけである。
後発だが『スレイヤーズ』の呪文「魔竜烈火咆(ガーヴ・フレア)」は公式的に魔竜王ガーヴの力を借りているため、そんなこんなでメラゾーマはきっと……?
いや、「イオナズン、マヒャド、ベギラゴン」みたいに感覚的な言葉だよ、ゾーマはきっと関係ないよ、バギクロスお前はややこしくなるからちょっとあっち行ってろ…
が
メラガイアー……
ガイア見参
無論、ガイアがギリシア神話の大地の神、最強クラスの神であることなど百も承知である。
我々、ネットがなかった頃からオタクしてきた者たちを侮ってはいけない。
ゲームにハマった人間は、「不思議な世界」への飽くなき探究心を満たすために、サブカル本、タロットカードの解説本ぐらいは皆買って読み込んでいたのだ。
第一、ドラクエ5や6と同年代のゲームには「ガイアのへそ」に行かされる『聖剣伝説Ⅱ』があり、ガイアのしもべとなって世界の遺跡巡りをする『ガイア幻想紀』もあった。
よく知っている。よく知っているからこそ
「なぜいきなり、ギリシア神話……?」
なのだ。
え なに じゃあ イオウラヌス? イオアポロン? やめろよ、マジでやめてくれよ…
イ オ グ ラ ン デ
ス タ ー バ ッ ク ス 見 参
無論、グランデがどこかの国の言葉で「すっげえ」ぐらいの意味だとはわかる。
しかしドラクエ9が出た頃には、もう我々のイメージで「グランデ=つっよい」を代表するのはスターバックスの特大容器だった。ご立派。ありゃ強い。
イオ イオトール イオグランデ なら1000歩譲ってわからないでもない。
どう? 昨日まで「ラテ、グランデで」…とお洒落に言ってたのに、今日から「ラテナズン1つ」とか言うの。
素晴しきドラクエの擬音呪文ワンダーに、「別世界の、意味のある文字列」が追加されたのだ。
バギクロス(外見イメージはナイトウイスプ)が登場の機会をうかがっているがまだ無視する。へらへら笑ってんじゃねー
もちろん、ドラクエにも他社ゲーに比べれば少数とはいえ、他の神話からの出典となりそうな武器・防具はあった。
ドラクエ3なんかは「ガイアのつるぎ」という、火山に投込まないといけない重要アイテムがある。
(ただドラクエ3は、勇者ロトが我々の世界を作った的なメタ遊びの作品なので、後のギリシア神話すらロト発祥なんだよぐらいの遊び心な気がする)
でもなあ……アイテムはまだ許せても、擬音魔法ワールド、しかもそれの伝統を超える新最上級に「ガイアー」は……「グランデ」は……
なんか……持ち味だったすげー完成度の世界がちょっと……萎縮したような……
こらっ!!
バギクロス「俺は昔から『クロス』ついてますけど~? ウケケケケ」キャッキャ
そんな浅い粗探しで俺たちが倒せるとでも思ってんのか。
おまえはクロスって名前についてるけど、初出5やらそれ以降のグラでちっともクロスしてない
だからお前の「クロス」っていうのは英語の「交差」ではなくて、ただの擬音なんだよ!
ムーチョはスペイン語で「たくさん、とても」らしいがそんなの知らん!
ムーチョってのは「日本語で」ひょうきんなオジサンの雰囲気言葉だ!
楽屋裏に引っ込んでろ!!!!!マジでややこしくなるから!!!
センスないと思うよ!(直球)
初出の6が出たとき小学生のガキだったけど、最強格の呪文にその意図でその文字列つけちゃうのダサイと思ってたもん!
ギガスラッシュはまだいい! でもジゴスパークはちょっと恥ずかしかった!
アルテマソードもまあ、うん、でも「ジゴ」で地獄よりはいいと思うよ!
「ジゴスパークって技があるんだよ」ってクラスで最初に言い出した子、誰も信じてなかったもん! その名前的に!
そんなわけで我々二人の間では「メラガイアー」と「イオグランデ」は、
あのエーミールが出てくる、ちょうちょ握りつぶす話みたいになってしまっていた。
“そのとき初めてぼくは、一度起きたことは、二度と償いのできないものだということを悟った”……
でもあの話で「元ぼく」が窓辺に腰掛けて語ることで乗り越えようとした?ように、
俺たちは、だからこそ、何年もかけて、何度も話し合った。
「どういう名前だったら、よかったのだろう?」
と。
メラ メラミ メラゾーマ…… メラザーク? 「ゾーマ」が綺麗すぎるんだよなぁ……
イオ イオラ イオナズン…… イオジャドン? 「ナズン」が綺麗すぎるんだよなぁ……
そして、いつも答えが出せないまま終わっていた。
「他の言語にはない、なんか強そうな、納得感のある擬音」を「作らなければならない」のだ。
年に一度か二度ぐらいで話題にしておきながら、我々は何も進められずにいた。
結局、いい答えなんてないのかも……
俺たちは、何も決められないのかも……
そういう、気だるいが心地よい諦めが、受け入れざるを得ない現実として、アラフォーとなった俺たちを包むようになっていた。
しかし、それでも年中行事のようにダラダラと追い続けた成果か――
それは夜道に、ボーッと白く輝いていた。サントリーの自販機の形をして。
「おー、また商品切り替えの時期かー」
「ない。知らん。南米? グアテマラってなんか強そうなマラだな」
悲しいかな、金曜夜飲酒アラフォー独身男性の会話なんてこんなもん――
こんなもん――――?
「 「 えっ 」 」
俺たちは一瞬で通じ合った。
グアテって……
なんか(日本人にとっては)意味を感じない文字列で……擬音っぽくて……
でも強そうで……
納得感ない?
「マラ……」
「デ、デカマラ…?」
「うん! グアテマラ!」
「はああああ…………(溜め)」
ズドオオオンッ!!
「でもドマラにするなら、グアテマラよりもドグラマクラの方がよくないか?」
西欧に伝わったのが
マラ → ドマラ →ドグラマクラ
ポケモンに売り込んで
と
は片パ限定にしてもらうとか」
「それなら、南米モデルの伝ポケでグアテマラとエッチオピアなのでは?」
「グアテマラかエッチオピアか、大人のお姉さんに選べって言われたら?」
「やばい、グアテマラの隣ってメチャシコ(メキシコ)だ――!」
「グアテ」。
それだけで俺たちは何年もの停滞を超えて、燻らせていた前のめりなエネルギーを爆発させられる。
全然メラともイオともひっつかないんだけど、何かここに突破口がありそうな気がする。
可能性が見えた。
あとは、突き進むだけ――
何年かかっても、俺たちの代で答えが見つからなくても――
頑張ろう、ニッポン
氷河期世代のおじさんです。
同世代の人たちは、やたらと苦労話をしてくるので、なんとなく合わせていますが、内心、そんな苦労してないんだけどなあ、と思っています。
高校生あたりまでの記憶が曖昧で、あまり覚えてないのですが、小学生くらいに同級生の自称霊感強い子か、近所の白龍から天啓を受けたと称する老人か、どこの田舎にも一人は存在するご当地仙人か、多分そのあたりの人に「おまえは34で死ぬ」と言われた気がします。
素朴な脳みそを持った少年期の僕は、すんなりその与太話を受け入れてしまい、そのまま成長し、ある程度人並みにものを考えられるようになった高校生以降も、ロケンローな人のように34歳死亡説を当然のように受け入れていました。
中学後半でマイコンを知った僕は、寝食を忘れるくらいに夢中になってプログラムを書いていました。ちなみに、コンピュータは持ってなかったので、紙に。
プログラムを考えることで、僕の無邪気な脳細胞達はようやく手をつないで思考することを覚えてくれたので、この頃からなんとなく記憶もしっかりしています。
この頃は、よく、あと20年弱で死んじゃうのか、やべーなと思ってました。
教師や親兄弟親戚一同からも増田ちゃんはコンピューターが上手なんだから大学か専門学校にいけばと言われたましたが、あと20年弱の余生を金銭的に不自由な学生生活で潰したくありませんでしたので、とりあえず東京に出て働くことにしました。
僕が、高校卒業時点は、バブル崩壊直前でしたので、高卒でも就職はできました。
プログラムとは無縁の仕事でしたが、寮完備だったので、数年働いてお金を貯めようと思いましたが、就職してすぐにバブル崩壊が始まりました。
働いていた会社が鉄鋼業だったこともあり、この先相当ヤバイという雰囲気が社内にプンプン漂っていました。
まだ、一年間しか働いておらず、お金もそれほど貯まってなかったのですが、焦った僕は就職雑誌を買い漁り、とにかくプログラムが組める仕事を探しました。
運良く、未経験でも募集しているゲーム会社があったので、「なんでもやります、お願いします」みたいな感じで入社しました。
気がついたら、そこで6年働いてました。
死ぬまでプログラムを組んでいたいと考えていましたが、当時はwindowsとdos/vパソコンの勢いが凄く、メーカー規格パソコンは終焉を迎える気配がプンプンしてましたが、仕事ではPC-98とかx68kでアセンブラ、自宅ではMSXとPC-98しか触ってないので、そのへんの知識は全くありません。
とりあえず秋葉原で働けばなんとかなるやろと会社を辞めて、秋葉原のパーツショップに就職しました。
当時の秋葉原は某宗教団体や国籍不明なおじさんが出所不明なパーツを路地で売っていたりと、とても魅力あふれる街でした。
あと、彼女もできました。
めちゃめちゃ楽しい職場だったので、このままでも良いかなとか思ってましたが、2年くらいで倒産してしまいました。
他のショップに移るつもりでしたが、彼女に「結婚するつもりなら、もう少し安定した仕事に就いて」と怒られたので、都内のシステム会社を面接しました。
高卒でアセンブラ経験者でアキバのショップ店員がお店が潰れた話をしたら、「お金、大丈夫?少ないけど支度金あげるから、ウチ来なよ」とえらく心配されて入社が決まりました。
その会社で6年ほど働いてたら、既に32歳になってました。
ちなみに奥さんには34歳死亡説は話してましたが、ほーん、じゃ保険かけとくか、くらいの反応でした。
日本はシステム会社といえど長く働いているとプログラムより管理者の仕事が増えるので、どうせ死ぬなら、と管理的な仕事が増えたら辞めるを繰り返してました。
転職回数は増えましたが、経験した業種や言語も増えるので、就職先には困りませんでした。
で、気がついたら34歳とっくに超えてました。
あれ、死んでねえし。
なんか損した気分だったので、もうロックに生きようと思い、当時設立したての会社を面接しました。
経歴書だけは立派で、その時は上場企業に勤めていたので、そこの社長に、え、マジでウチくるの?給料さがるよ?すぐ潰れるかもよ?と言われましたが、会社が大きくなる過程も見れるかもしれないじゃないっすか、とか適当にうそぶいて入社し、今に至ります。
すいません。オチはないです。
氷河期世代だけど、バブル崩壊後も人手不足のコンピューターを扱う業種にたまたま就いており、運よく会社を転々とでき、運良く成長前の会社に潜り込めただけかもしれないし、人によってはこれがよい人生と言えるかわからんですが、僕にとっては苦労のない人生でした。
足底筋膜炎というやつと区別がよくわからないんだが、歩いていると足の裏がピーンって痛くなるやつが最近治った。
で、どうもその理由は座り方、結論を書いてしまうと「イスの下で足首を組んで、つま先立ちのようにする」のが悪かったらしい。
社会人になってすぐ、ほぼ毎日足の裏がピーンとなって困っていた。
靴を変えたり、中敷きを使ったり、荷物の持ち方も変えたが、なにも効果がなかった。
たくさん歩いて疲れると確実に痛くなるというわけでもないし。しっかり休んだ次の日の朝に痛いこともあった。
ネットには、どのページも「伸ばしてほぐすといい(要約)」と書いてあるから、信じてとにかく伸ばした。
ストレッチをしても症状が改善する兆しはなかったが、継続は力なりということでストレッチパワーを足の裏に溜めまくった。
ある日、仕事が暇すぎた日に、会社でしこたまストレッチしたら足ピーンが悪化した。
伸ばし過ぎても良くないか。そりゃそうか。
「この座り方、足の裏伸びてね?」
「イスの下で足首を組んで、つま先立ちのようにする」という座り方を意識的にやめてみた。
ピタリと治った。たちどころに。完全に。
歩き疲れようが、引きこもった翌日だろうが痛くもなんともない。
すっかり忘れて、うっかり「あの座り方」を長時間やってしまうと、しっかり痛くなった。
再現もした。
足首を組んでつま先立ちみたいにしてる人は割といる。
もしかしたら止めてみると、足の悩みが解消されるかもしれない。
天啓のように、雷のように、フッと閃くように。
じゃあ誰としたい?配偶者と?
いや、配偶者と殊更したい訳ではない。手近な相手として配偶者を選ぶだけであって、配偶者じゃないといけない訳じゃない。
ただこれだと配偶者を性欲のはけ口として扱っているようで気が引ける。そんなことのために結婚したんじゃない。と思う。
この欲望を、衝動を、相手と共有できたらいいのに。どうしようもなく甘いものが食べたくなった時に二人でケーキをホール買いするみたいに。
愛とか恋とかそういうものじゃない。人の根源的な欲望なんだろう。ただしたくなる。
求めたいし求められたい。気持ち良くなりたいし気持ち良くなってほしい。相手の温もりに触りたい。汗や匂いを感じたい。
その行動に意味はないのかもしれない。でもそんなことはきっとどうでもいい。
この疼きに身を委ねている。雨の音。緩やかな午後。
配偶者が帰ってきたら、どうなるんだろう。どんな顔を自分はしているんだろう。相手はどう思うんだろう。
ゴールデンウィークの最終日にこんなことを私は考えている。
結婚してよかった。
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
・ネロ
7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。
・曹丕
3歳年上の文徳皇后を寵愛した。聡明な彼女は夫に助言を与えた。曹丕も群臣の反対を押し切って彼女を皇后に立てた。
・劉駿
・宇文邕
北周の皇帝。7歳年上の李娥姿を寵愛した。北周が滅びると彼女は出家し、常悲に改名した。
・煬帝
占いにより吉とされた2歳年上の蕭皇后と結婚した。聡明な彼女は外遊の度に付き従い、度々煬帝の暴政を諫めた。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・仁明天皇
初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。
・ルイ4世
西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキングに誘拐されたとき彼女は交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。
・李克用
後唐の太祖。3歳年上の劉夫人と結婚。武勇に優れた彼女は夫が朱全忠に殺されそうになると、自ら軍を率いて窮地を救った。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇に破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
・三条天皇
2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽な理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・鳥羽天皇
2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。
・二条天皇
病没した近衛天皇の中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子は出家し、二人の夫の菩提を祈った。
・世宗
遼の皇帝。12歳年上の甄皇后を寵愛した。聡明な妻の助言を聞き入れず、放蕩にふけった彼は従兄弟に暗殺された
・徽宗
北宋の皇帝。側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人で詩才の会った彼女は皇帝の寵愛を受けた。
・高倉天皇
平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代に活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。
・平宗盛
平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた
・寧宗
南宋の皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后と結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・藤原頼経
鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所と結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児を死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた
・ビルイェル
スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。
フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌが姦通の疑惑で幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。
・足利義満
・李芳遠
朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺の危機から救い、李氏朝鮮の建国に貢献した。しかし、夫が即位し後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。
・世宗
朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后を廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。
・端宗
朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后。政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さで流刑・処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。
・睿宗
朝鮮王。正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女は後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。
・中宗
朝鮮王。正室であった1歳年上の端敬王后は即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后は自分が良く来ていた服を山にかけた。
・フアン
アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。
ブルゴーニュ公。1歳年上の善良な妻ミシェルは夫によく尽くし、領民からも愛された。
・ルネ・ダンジュー
フランスの王族。ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベルは聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。
・正統帝
明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝がモンゴル軍の捕虜となった際には宮中の財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
オーストリア大公。秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。
5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。
・ヨハン3世
スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアのイヴァン4世からも離婚を要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。
・織田信長
6歳年上の側室生駒吉乃を正室なみに優遇し、病に倒れた際には頻繁に見舞ったとされる。吉乃は不明な点が多く実は信長より年下ではないかとされることもある
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・バッハ
1歳年上のマリア・バルバラと結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20人の子を儲けた。
・ウィレム4世
オラニエ公、オランダ総督。2歳年上のアンと結婚した。彼女は国民からの人気が無かったが、残された手紙から夫婦仲は良かったことが窺える
・フェルナンド6世
スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ
ロシアの軍人。10歳上の女帝エカチョリーナ2世の事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ
神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚。美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性の美徳のモデル」と称された。
・上杉鷹山
1歳年上の未亡人マーサと結婚した。家庭的で穏やかな性格の彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争の最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書をコピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイルと結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治的アドバイスを求めた。ホワイトハウスに図書館を建設したのもアビゲイルである。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
イギリスの首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事の寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界で活躍した。
・マネ
フランス印象派の画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。
・小松帯刀
維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である。
・明治天皇
・同治帝
清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒に感染し死亡した
・ハリソン
アメリカ大統領。1歳年上のキャロラインと結婚。彼女はホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。
イギリスの首相。4歳年上のシャーロットと結婚。夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。
・エルガー
イギリスの作曲家。8歳年上のキャロライン・アリスと結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である。聡明なキャロラインはエルガーの音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。
・ポワンカレ
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
・アルカポネ
1歳年上のメアリーと結婚した。彼女は両親の反対を押し切って結婚し、夫が投獄されると何通も手紙を書き頻繁に訪問した。稀代の大悪党だが、伴侶には恵まれたようだ
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。
ヒトラーの側近。5歳年上のカリンと結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリングは彼女に因みカリンハルと命名された別荘を建設、自邸にもカリンの
記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
・ネロ
7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・仁明天皇
1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。
初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。
・ルイ4世
西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキングに誘拐されたとき彼女は交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇に破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
・三条天皇
2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽な理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・鳥羽天皇
2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。
・二条天皇
病没した近衛天皇の中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子は出家し、二人の夫の菩提を祈った。
・徽宗
北宋の皇帝。側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人で詩才の会った彼女は皇帝の寵愛を受けた。
・高倉天皇
平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代に活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。
・平宗盛
平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた
・寧宗
南宋の皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后と結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・藤原頼経
鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所と結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児を死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた
・ビルイェル
スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。
フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌが姦通の疑惑で幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。
・足利義満
・李芳遠
朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺の危機から救い、李氏朝鮮の建国に貢献した。しかし、夫が即位し後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。
・世宗
朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后を廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。
・端宗
朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后。政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さで流刑・処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。
・睿宗
朝鮮王。正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女は後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。
・中宗
朝鮮王。正室であった1歳年上の端敬王后は即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后は自分が良く来ていた服を山にかけた。
・フアン
アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。
・ルネ・ダンジュー
フランスの王族。ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベルは聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。
・正統帝
明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝がモンゴル軍の捕虜となった際には宮中の財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
オーストリア大公。秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。
5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。
・ヨハン3世
スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアのイヴァン4世からも離婚を要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・バッハ
1歳年上のマリア・バルバラと結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20人の子を儲けた。
・フェルナンド6世
スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ
ロシアの軍人。10歳上の女帝エカチョリーナ2世の事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ
神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚。美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性の美徳のモデル」と称された。
・上杉鷹山
1歳年上の未亡人マーサと結婚した。家庭的で穏やかな性格の彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争の最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書をコピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイルと結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治的アドバイスを求めた。ホワイトハウスに図書館を建設したのもアビゲイルである。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
イギリスの首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事の寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界で活躍した。
・マネ
フランス印象派の画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。
・小松帯刀
維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である。
・明治天皇
・同治帝
清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒に感染し死亡した
・ハリソン
アメリカ大統領。1歳年上のキャロラインと結婚。彼女はホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。
イギリスの首相。4歳年上のシャーロットと結婚。夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。
・エルガー
イギリスの作曲家。8歳年上のキャロライン・アリスと結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である。聡明なキャロラインはエルガーの音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。
・ポワンカレ
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。
ヒトラーの側近。5歳年上のカリンと結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリングは彼女に因みカリンハルと命名された別荘を建設、自邸にもカリンの
記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。
アメリカの作家。18歳年上のシシーと結婚。彼女の死後悲しみから酒浸りになり自殺未遂を図るなどしたが、周囲の支えで復帰した。
アメリカの作家。クトゥルフ神話の作家。10歳年上のソニアと結婚した。夫人は事業が失敗した後も就職のために移住し、夫に仕送りを続けるなど献身的であった。しかし、親族の反対などが原因で離婚した。その後も文通を続けるなど関係は良好であった。
3歳上のエディスと結婚。彼女とのデートから着想を得て、ベレンとルーシエンの恋物語が創られた。
・スカルノ
11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。
ノルウェー国王。3歳年上のモードと結婚。彼女は慈善活動、芸術家への支援を行った。
ノルウェー国王。2歳年上のマッタと結婚。美人で明るい彼女は誠実な夫と共に国民から絶大な人気を誇った。ナチスドイツの侵略の際には海外亡命し、国際的援助を呼びかけた。
・ダリ
10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズ、マネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリは創作を辞めてしまった。
・崔 圭夏
韓国大統領。3歳年
あいりすミスティリア! 恒例のゲームセンター(ランゲーム)追加、ネタイラスト3点。
エンジェリックリンク サタナイル・トリニティによる告知、ノーマルガチャの中身が凸素材オンリーに、UI中など3箇所に隠されたシリアルコードを入力で記念アイテム。
メシアガール おかわり ゾンビ少女 ゾヌアガール おかわり化。ログボの立ち絵が全員ぞぬー、ホーム画面キャラがぞぬーに。
フラワーナイトガール UI上にナメクジ大量発生、ミニアニメ、UIに隠された塩5つ拾ってクイズクエ入場→イベクエで退治。探すのとクイズダルいのでwikiカンニング推奨。
天啓パラドクス どきどきパラドクス、ときメモパロの長編特別シナリオ。5日いっぱいまで。専用の立ち絵・BGM、攻略キャラ3人、ハプニングエロCGとグッドエンドCG、ボイスパートが各キャラにあり。