はてなキーワード: 天啓とは
近所に揚げ物をやっている精肉屋があって、そこで祖母がたまに買ってきてくれるやつだ
帰り道に自転車をこいでると「今日は唐揚げな気がする!」って突然天啓が降りたみたいになるのだ、それで帰宅すると祖母が唐揚げを用意してるってわけ
だけど中学校を卒業するころ精肉屋は閉店してしまい、私の全く役に立たない予知能力は失われてしまった
それから私は高校生になり、今度は好きな人が髪を切ったのが分かる能力が発現した
朝登校している途中に突然「〇〇くんそろそろ髪切ってきそうだな」って突然天啓が降りたみたいになるのだ、それで教室に行くと〇〇くんの頭がさっぱりしてる
とはいえ〇〇くんは私が一方的にあこがれていただけなので、髪を切るのが分かったところで微塵も役に立たなかったし、高校卒業と同時にその予知能力は失われた
今は特に能力はないので、未成年特有のなんかだったのかもしれない。なんかそういう役に立たない予知能力があった人、ある人がいたら教えてほしい
私は幸福の科学の信者でもないし大川の著作を読んできたわけでもないが、ある時期、すこし彼に執着していろいろ調べたことがあるので、訃報に触れて思い出すことを書いておく。すべてうろおぼえの話を書くのでいろいろ間違っているとは思うが(ツッコミが入りそうな予感はする)。
幸福の科学でいちばん面白いのは教祖である大川の存在とその頭の中身だと思っている。そして、人間として大川の性格のようなものは、幸福の科学の教祖になった後、意図的に対外的な自己像をつくり直した過程によくあらわれていると思う。そのあたりの展開は『太陽の法』の初版と改訂版(現在の版につづく)を比較するとよく分かる。もし大川の人となりを知りたい者がいれば、おそらく『太陽の法』の初版以上に有用な資料は少ないだろう。
彼は徳島の田舎で誕生するが、たしか父親はGLA(かGLA系の何か)に入れ込むスピリチュアルな人で、一時期は共産主義に傾倒したあと精神世界にのめり込んだという、ある意味で救いを求めて生真面目にさまよう人間だった。そして本人は運動もできない、体も弱い、勉強もそれほどできないという劣等感を抱える子どもだった。一念発起してガリ勉に転じ、それでも浪人した末にようやく東大に合格するのだが、その後、デキる東大生の中で劣等感に苛まれるという「田舎の勉強できる子が東大に入ったらただの人だった」の典型的なパターンを踏襲することになる。そして、たしか在学中に司法試験を受けるものの合格せず、ようやくのことで卒業して拾われるように商社に就職する。会社でも卯建のあがらない存在であり、そのうちGLAとかに出入りしているうちに天啓を受ける(おそらくノイローゼの末の自動筆記のような状態になる)。そして、それを知った父親の後押しもあり、次第に宗教家としての自覚に目覚めていく。ある意味で父親は教祖としての大川のプロデューサー的な存在だったと思われる(神懸かりになった者を教祖に立てて、実質的な教義や教団はその近親や側近が整えるというパターンは珍しくない)。
この辺のプロセスが『太陽の法』初版には赤裸々に語られていて、本人のエリートへのコンプレックスのようなものが後の幸福の科学の「予備校」ぽさにつながっていることがよくわかる。つまり一般的に「頭がいい」といわれる人でなくても、あるいは学歴社会や能力主義の中で挫折した人でも、決められた本を読み、順番に「勉強」していけば霊的な高みに至れるという教義は、彼自身の挫折を埋め合わせるものなのだ。そしてそれゆえに、受験や就職などの競争で疲弊していた若い社会人に人気を博していくのである。幸福の科学の独自性とその人気は、時代の要請に加えて、ある種の本人の「素質」とビジネス勘のようなものの合致によって実現されたものだった。
そして、大川はある時期に『太陽の法』につづられていた赤裸々なコンプレックスをすべて削除して、「東大では見事な成績だった」「会社にぜひ来てくれと言われた」といった大言壮語で埋め尽くしてしまう。
(用事が入ったので続きはまた後で書くかもしれない)
冷戦を終結させ核戦争の恐怖から逃れた人類が祝砲とともに迎えた21世紀が、よもや侵略戦争とそれに伴う核戦争の懸念に飲み込まれるとは誰が予想したであろうか。ここに至る経緯は長く複雑であって一冊の書物にさえ収まりきらないものではあるが、それが世に出るころには世間の関心は賞味期限切れを起こしていると思われるので、ここにその一部を記そうと思う。
そもそも、ウラジーミル・プーチンがウクライナの併合をもくろむようになったのはいつのことだろうか。すなわち、民族的ロシア人の保護というロシア社会における要求に甘んじず、かつてのロシア帝国的な全スラブ民族の庇護者というアイデンティティを確立し、ウクライナをロシアの範疇とするべく模索を始めたのはいつのことだろうか。これは遅くとも2019年にはその転換は生まれていると考えられる。冷戦の勝者であったはずのアメリカはトランプ政権の下で国際的な威信を低下させ、アラブの春以降に生まれた膨大な中東難民はヨーロッパ社会を疲弊させた。東に目を向ければ2008年の中露国境問題の解決をもって後顧の憂いを絶ち、和平条約こそ結べないもののクリミア危機をもってしてもなお対露宥和政策を維持する日本を見る限り不安要因とはなりえない状況であった。そして、ウクライナにおいてさえ、2019年の大統領選挙では対露強硬派のポロシェンコが敗退し、政治的には素人のコメディアン出身でウクライナ語さえ満足に話せないゼレンスキーが対露宥和政策を掲げて当選するに至ったのである。むしろこの時にこそ、プーチンがミンスク合意を超えたウクライナの併合という天啓を得たとしてもおかしくはない。彼の帝国に、およそ実現不可能な侵略戦争の妄執を諫める官衙が無かったことが、世界の悲劇であった。
ロシア軍の当初の作戦は様々な面で事前の調査検討が不十分なものであった。もとより実現可能性も実効性もない目標を大真面目に検討しろと言う方が無理であろう。とはいえ、杜撰な侵略作戦はいかにして作られたのだろうか。これにはおよそ二つの側面がある。一つは、計画立案の手間を惜しんで集団安全保障条約(CSTO)加盟国内で政変が起きた際の介入計画を下敷きにしている面。もう一つは、プーチン個人が気に入るであろう要素を加えることで、彼個人が満足するように作られている面である。このため、作戦計画はもとより無理のある要求に非現実的な企画で回答するという悪循環の産物と化しており、2022年2月の史上稀に見る大失敗に至るのは当然のことであった。
プーチンはこれまでに2回、親露派内閣の救援に失敗している。ブルドーザー革命で当時ユーゴスラヴィア大統領であったミロシェビッチを保護できず、またマイダン革命でもヤヌコヴィッチ内閣を支え切れなかった。これを踏まえ、CSTO加盟国内で政変が起きた際の対応計画は、かなり真面目に練られていた。そのうちの一つが開戦劈頭のアントノフ空港攻略作戦の原型になっている。原型となった計画では、クーデターなどによって親露派政府が打倒されそうになった場合、ロシア空挺軍部隊が首都近郊の空港を制圧して先行する特殊部隊とともに政府首脳部を保護し、これを空挺堡として首都や周辺の主要都市と軍事拠点を順次制圧していくという展開を想定している。
実際、ウクライナ侵攻の直前に起きたカザフスタン政変ではトカエフの要請を受けてロシア空挺軍によるアルマトイ国際空港を中心とした展開が行われており、一方の権力を奪われたナザルバエフは隣国キルギスに脱出し、カント空軍基地でプーチンが政権奪還を支援してくれるものと待ちわびていた。権力闘争の結果は周知のとおりだが、仮にトカエフがより反露的な人物であれば結果は違っていたかもしれない。
ウクライナ侵攻計画においても、親露派大統領に対するNATO とりわけアメリカ主導のクーデターが発生した際の対応計画を元に、少数の特殊部隊と大規模な空挺軍を利用したアントノフ空港の制圧とこれを拠点としたキエフ制圧計画が立案されていた。この作戦の致命的な欠陥として、クーデターであれば存在していたはずのウクライナ国内の親露派有力者、とりわけウクライナ軍部隊やウクライナ保安庁内の協力者からの援護が十分に期待できない点が挙げられる。計画上は確かに彼らが侵攻開始と同時に蜂起する想定になっていたのだが、ウクライナ国内の親露派の多くはロシア軍の本格侵攻を信じてはおらず、投下された膨大な準備資金は個人的な利益に帰してしまった。さらに、開戦直前に至るまでアメリカによる情報公開攻勢が行われたため、ウクライナ国内の親露派との連絡調整を職掌に収めていたロシアFSB第五局は情報漏洩を恐れて正確な開戦日時を伝達せず、結果的に2月24日は(開戦日は教えてもらえると思い込んでいた)親露派に対する奇襲となってしまった。この、事前連絡のない開戦とロシアによる一方的な協力への期待は、数字としては出ていないが、民族的ロシア人あるいは経済的恩恵といったものを背景とした親露派の翻意を大いに促し、以後のロシア軍を大いに苦しめることとなる。
また、本来であれば、制空権の確保と空挺堡の構築、地上部隊の侵攻は十分に連携の取れたものでなければならない。しかし、ロシア政府内では侵攻作戦がプーチンの「お戯れ」であるとみなされていたため、作戦計画の内プーチンが喜びそうな内容、具体的には前述のアントノフ空港への奇襲といった派手な作戦やウクライナ全土制圧後のロシアへの併合宣言といったハイライトのみが詳細に検討され、それ以外の点については何ら考えられてこなかった。例えば、アントノフ空港を制圧した空挺軍部隊と合流するためにベラルーシから地上侵攻を行う必要があるが、チェルノブイリ原発周辺の森林地帯を通過する際の計画は東部軍管区のある若手士官に図上演習の課題として丸投げされ、提出された素案を元に別の将校が大規模演習の名目で具体的な計画に起こしていたことがわかっている。想定された場所以外では戦闘や妨害が起こらず、また演習名目であったために部隊の移動は迅速に進むという前提で計画が確定してしまったことが、キエフの戦いにおいて裏目に出てしまった。同様にロシア海空軍も、地上軍との連携が乏しく長期の作戦計画が立案されていないなど、全面戦争を想定したものとは到底言いがたい状況であったのには、このような背景があったのだと見られている。
開戦前年にもロシア軍はクリミア半島などにおいて大規模な動員訓練を行っていたが、プーチンが本気であると知らない者には、これら人員物資の集積はあくまでウクライナおよびNATO に対する威嚇として理解されていた。事情を知る者は当初計画があまりに楽観的であることに懸念を示していたものの、FSB第5局の人員の多くは親露派ウクライナ人の協力が当然あるとして疑わなかったし、またある者はプーチンが本気でウクライナ侵攻を計画していると認識していなかった。何より、プーチン本人が自分に気に入られるべく作られた即興の作戦計画を「狙い通りに」気に入ってしまった。平たく言うと、ロシア軍としては侵攻計画の前提となる環境整備は対外諜報活動を所管するFSB が行うことが大前提であり、しかしFSBはその軍事侵攻に十全な準備をできていなかったのである。本来なされるべき長期的な見通しの欠如は、未だにロシア軍を苦しめている。
もう一方のウクライナ側の防衛計画についてはどのようなものだったろうか。戦前、ウクライナ政府および軍が想定していたロシア軍の侵攻計画は以下のようなものであった。まず、ドネツク・ルガンスク両人民共和国(D/LNR)との停戦ラインにおいて大規模な衝突を起こす。これを受けてロシア政府はウクライナ政府に即時の停戦と撤退を要求する。ウクライナ政府が拒否した場合「ウクライナ軍による民族浄化作戦からのロシア系住民の保護」を名目にロシア軍による大規模な空爆を行う。空爆によってウクライナ政府が降伏しない場合、地上軍による侵攻を行い、かつてノヴォロシアと呼ばれていた民族的ロシア人の多い地域を制圧する。これらの地域はD/LNR と同様にウクライナ国内の(EU やNATOへの加盟を拒否できる)自治州として温存し、長期的にはこれらを通じてウクライナを間接的に支配する。このプロットは明らかにコソボ紛争における欧米の介入の経過をなぞったものだが、ウクライナ軍はプーチンの個人的な欲求からNATOに対する当てつけとしてこのような展開を望むと考えていた。ロシアが率先してウクライナに侵攻するのではなくD/LNR が優位な戦況を作り支配地域を広げる体裁をとることが国際的な批判を回避する方策であるため、国際社会による仲裁を拒否し民族浄化を続けるウクライナへの懲罰的攻撃という方便を生み出すよう布石を打っていくのである。前提として、ウクライナ国内でクーデターのような政変が無く、ロシア側からエスカレートを仕掛ける場合を想定すると、このような順で進むと想定するのは合理的である。
問題はこれがどの程度のスピードで進むかであるが、ウクライナ軍の想定ではコソボ空爆と同様に開戦から地上侵攻まで最大3か月程度の時間的猶予があると考えていたようである。今を思えばのんびりした想定であるが、ロシア陸軍の各部隊は徴集兵を少なからず含んでおり、これらは法律上ウクライナへ派兵できないため、全面的な戦争を始めるには予備役の招集と訓練が必要であると見られていた。したがって部隊の充足率を高めるのに必要な時間がある程度は期待できたのである。このタイムラグの間は空爆とドネツク・ルガンスク両州が主な戦場となる。そこで、ウクライナ軍としては東部に陸軍の主力を集中させてD/LNRとの停戦ラインを堅持することで大きな損害を与え、ロシア軍本体が参戦するまでに東部戦線を安定化、あわよくば地上侵攻を思いとどまらせるという方針が定まっていた。また、この時、クリミア半島やベルゴロド州からロシア軍が侵攻してくることが考えられたが、ここは動員した予備役や領土防衛隊で国境線を維持することとされた。長期的な見通しはさておき、ウクライナ軍にとって主眼はあくまで東部戦線であり、停戦ラインから20km の範囲で多数の陣地構築を行っている。隣接するヘルソン、ザポリージャ、ハリコフの各州での陣地構築は開戦後住民の避難と並行して行う予定であったと考えられる。
もし、開戦に先立ちウクライナ軍が上述の想定の元東部戦線への戦力の集中を行っていた場合、図らずもがら空きのキエフへロシア空挺軍が殺到していたことになる。では、ウクライナ軍はどこで引き返したのか。最も有力な説は2月21日のロシアによるD/LNRの独立承認の直後であろうというものである。前述のような経過をたどるには、D/LNR がウクライナの一部という立場のままロシアがミンスク合意の履行を強制する状況になければならない。両地域の独立を承認してしまった場合、D/LNR や民族的ロシア人が優位な支配地域を中心とした間接的なウクライナ支配という筋書きと整合しなくなる。また、東部戦線におけるD/LNR の攻勢が想定よりもだいぶ弱く、ロシア軍が両地域へ展開している部隊数も想定をかなり下回っていることから、ウクライナ軍では当初想定とは異なる侵攻計画がある可能性を認めざるを得なくなった。この時、米国からの情報によればロシア軍の侵攻計画は長大な国境線での一斉攻撃であった。残念ながら、ロシア軍が主体的に全面侵攻を仕掛けるという情報をウクライナ軍は信じることができず、さりとて東部戦線へ部隊を急派する必要もない状況を踏まえ、ウクライナ軍は部隊移動を取りやめ、部隊位置を秘匿したうえで数日待機、すなわち様子見することとした模様である。結果的に、キエフ周辺には開戦直後のホストメリ空港を一時的にせよ防衛するのに十分な戦力が残っており、第一機甲旅団はチェルニゴフ州でドニエプル川左岸を防衛することができた。一方で、南部においては部隊移動が混乱をきたしてしまい、クリミア半島との境界に当たるペレコープ地峡からメリトポリ付近に至る広い範囲で守備部隊のいない状況となってしまった。もしこの地域を担任する部隊が移動前であったならば、事前準備の不徹底なロシア軍の南部からの攻勢すら頓挫していた可能性がある。
ぼっち・ざ・ろっく!はいいよ、バンドだからリアルの人間関係とか、演奏やライブの緊張感とか、やっぱり物語性があるから。
ぼっち・ざ・ひっぷほっぷ! →地道な生活を変えるため、思い切ってラップを刻み出した後藤ひとり。運命のトラックメイカー、虹夏との出会いがぼっち生活を変える!内省的で自虐的かつリアルなリリックが、徐々に周りに届いて…。 あり得る。
ぼっち・ざ・ちるあうと! →カフェやラウンジで流れるようなオシャレな音楽を作れれば、みんなが見直してくれるかも?過去の音楽を参照して、ぼっちのトラックメイキングが始まる…! ヤバい。独りの部屋から抜け出せるだろうか。
ぼっち・ざ・あんびえんと! →お父さんの好きな音楽ジャンルに天啓を受けた後藤ひとり。音の深淵に近づくため、たった一人の冒険が今始まる…! ダメ。部屋に閉じ篭もっちゃう。
11月の規約改定で以下のものは禁止され非公開化される事になった
これに対してTwitterではシャンクス描けなくなるじゃんと大喜利が行われている
そういう視点もありかという天啓を得たので禁止になりそうな作品を上げていこうかと思う
一覧といいつつ思いついたのこんだけだった。手塚治虫はまだまだ余罪あるよな~
他にもあったら教えて
そのためには、己の分裂体というか亜種というか、
オリジナルのおれ、第二のおれ、第三のおれ、もう一人のぼく…みたいな、多重人格的な存在が必要なんだよね。
いないんだけどさ。
異なる人格がそれぞれのパーソナリティを持って自律的に発言する、っていう状態まで仕上げるのがまず大変。
というか無理じゃない?
独立した別人格ってなんだろうね?どうすれば持てるのだろう?どうやって手懐ける?世話はどうする?
また仮に人格が作れたとして、おれごときの知性ではロクな奴は生まれない気がする。
会議を推し進めてくれそうなリーダーシップ溢れる奴も、博識な奴も、ユーモラスな奴も、理性がぶっ飛んだ奴も出てこないだろう。天啓が降りる?そんなわけがない。
平々凡々。
すげえつまんない会議になりそう。
結局どこまでいっても自分の裁量というか、ひとりじゃんけんになるよね。
天使と悪魔の二分割ですら難しいと感じる。
嗚呼、神よ。私をお許し下さい。
◇◇
訃報が、多くの人々を悲しませた。分け隔てなく接していた彼女が慕われていたのも当然の事と言える。葬儀はしめやかに行われた。
屋根上で一度天へ旅立ったばかりの彼女は自分がまだ幽霊として存在している事に気付いていた。自分が既にこの世に存在しない事を漠然と理解した。神はまだ安息を下さらないようだ。手を伸ばしてみても、骨も筋もない透けた体は空を掴むばかり。
ぱた、と雲の合間から雫が滴り落ちる。魂が抜けた身体は、近日中に埋葬されるだろう。空からそれを見るのは何とも複雑な気がした。
◇◇
一つだけ灯の点った部屋がある。部屋を覗くと、少年が机に突っ伏して眠っていた。
「う…あれ」
◇◇
改めて試して見ても霊魂は、誰かに取り付いたり憑依する事は出来ないようだった。誰も彼もすり抜けてしまって、自分に気付く様子も見えない。そうなると益々失った肉体が惜しかった。どうにかして取り戻す術はないのだろうか。
生者と亡者の間には茫漠とした距離が広がっている。このまま離れてしまったら、いずれ私の事を過去の物として忘れるのだろうか。ぽつり、とコーヒーの中に落とされた一滴のミルクのように不安が広がっていく。人々の心が別の物で埋まっていくのはどこか苦しいように思えてならない。こんなにも深い思いに何故もっと早い段階で気付かなかったのだろう。
市井の民の時間は進んでいるように見えて止まっていたのだ。過去に縛られて歩みだす事が出来ない。在り来りな筈の終焉は人々には重過ぎた。
誰でも良いから人々の心に立ち込めた霧を晴らして欲しい。どうにか手を打ちたくても自分の身体は何の痕跡も残す事が出来なかった。思いが募る毎に心が痛み、これ以上見てみぬ振りは出来ないと確信が強くなっていく。
天にまします偉大なる神よ、聖なるマリアよ。どうか民を救う力を、恩寵を賜り下さい。もし奇跡という物が存在するならば、この行き場の無い苦しみを哀れみ給え。月に向かって跪き何度も祈りを繰り返した。
真摯な嘆願を神は受け入れた。天啓が下る。次の朔の日、魂に体がもたらされるだろう。
消え入りそうな下弦の月が中空に浮いている。新月はもう間近だった。人知れず神に深い感謝を捧げた。
風も無いのにカーテンがふわりと浮き、細やかな月光が人影を形作る。
懐かしい心地で掌を開閉する。確かに先日まで自分がコントロールしていた体だ。
私は出来る事なら、国の発展を傍で見届けたかった。変わりゆく世界を、未来を歩みたかった。
古きは去り、新しい者が世を作っていく。慣例を理解していない訳では無い。美しい魂を持つ者達が未来の礎となるだろう。
唇がゆるやかに弧を描く。今度こそ今生の別れが近づいていた。青い双眸が眇められる。その体は花弁が散るかの如く霧散していた。
少年は身を起こし茫然と部屋の入口辺りを眺めた。そしていつもと変わらぬ静寂な寝室で自らに起きた事を把握しようと努める。今懐かしいあの人に会って、もう一度触れた。それは夢の中での出来事だと思われる程頼りない実感だった。
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが。嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・上杉鷹山
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに産めるなと言い残した。
・明治天皇
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、助かった。
3歳上のエディスと結婚。彼女とのデートから着想を得て、ベレンとルーシエンの恋物語が創られた。
・スカルノ
11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。
・ダリ
10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズ、マネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリは創作を辞めてしまった。
・田中角栄
8歳上のはなと結婚。はなは表に出ず、陰で夫を支え続けた。
イギリスのチベット学者。妻は1歳上のアウンサンスーチー。妻の民主化運動をロビー活動で支援したが、自宅軟禁により引き離され、二人が再会することは叶わなかった。
でっかい熊さん大学の学生。夏休み中あまりにも暇でボーっと大下容子ワイドスクランブル見てたら、ふと「弁護士になろう」という天啓があった。エピファニー。僕の大学のOBで世界的な作家がいるんだけど、彼がヤクルトの試合観戦中に「小説を書こう」と思ったように。
弁護士はもう食えないって言われてるけど、まだまだ離婚問題や刑事事件は沢山ある。本人訴訟を完璧にサポートしてくれるソフトウェアやアプリが有れば民事は減るのかもしれないが、未だ多くの人は人生のかかった訴訟は弁護士に依頼するだろう。刑事裁判は法律を変えない限り弁護士がいなきゃ開廷できない。
ってな訳で稼げなくてもいいから弁護士になりたい。だってニュースや新聞で表面的にしか触れない事件の内容知れたり、人のプライベートのゴタゴタドロドロ一杯聞けるじゃん。楽しそうじゃん。
いまバズってるのは「20年、30年先には必ず上がっている」という長期投資は正しいから全員が今すぐ始めるべきって説だけど
そちらに金をまわすより、10日後の音楽コンサートに金を使ったほうが幸せな人がいる
3日後に運命の出会いがあり、1年後に結婚することになって、結果的にドル建て債を買わず銀行預金に預けておいたほうが良かったかもしれない人がいる
なんの予定もないのに、ある日突然に天啓が降りて予定外の支出が必要になることなんて人生にはいくらでもあるけど
その時必要なのは、いくら為替レートが悪かろうと日本円で、日本円を比較的安全に保有しておけるのは銀行預金、郵便貯金なんだよね
現代の現役世代の日本人の結構な割合が、そんな予定外の支出に対応しつつ同時に貯蓄、投資するなんて余裕がないからね
多い、黒い、硬い、太いの四重苦で
三つ編みはしめ縄だった
パッツン眉上前髪に憧れて真似したら前髪が重力に完全勝利してカッパの様になって泣いた
若い頃は少しでもボリュームが抑えられるようニットキャップを被って寝ていた
美容院へ行くと開口一番「髪多いですね」と言われるのが嫌で仕方がなかった
仕上げにブローして頭を膨らませてくるのが大嫌いだった
髪が多い事をボヤくと大抵梳いて量を減らしましょう!と言われるのだが
梳くと内側の短い毛が外側を押し上げ更にボリュームアップし
量が多いので抜け毛も酷く
さらに長いので床に落ちていると目立ち
そんな髪との付き合いも30年を越えたある日、ふと男性のツーブロックを見て「これ上から被せるように髪伸ばせば傍目にツーブロックとは分からないのでは?」と天啓を得た
そのまま美容院へ行き
「毛量が多くて多くて嫌なのでツーブロックでばっさり減らしたいんです」
とお願いした
美容師は「女性でツーブロックですか?」などと言うことも無く手慣れた様子でバリカンを使って頭の下半分を3mm残して全て刈り上げ、上半分を肩上のボブにしてくれた
この時の自分の感動と言ったら!
今までせっせと梳きばさみを入れて毛量を減らしていたのはなんだったんだろうか?!
いつも短くするとちびまる子ちゃんの様な外に広がるおかっぱにしかならなかった私の髪は普通に乾かすだけですっと内巻きのコロンとしたシルエットになったのだ!
しかも完全に乾くまで20分以上かかる為子供の世話優先で自然乾燥に任せていたのが今では5分で終わる!
あれだけ毛量が多い事に苦しんできた日々は何だったのだろうか
想定した通り、上から隠してしまえばツーブロック部分は全く気付かれる事はない
耳にかけてもチラ見えくらいだ
髪の毛を結ぶとちょっとギョッとされるかも知れないが
私の場合広がる髪を重さで抑える為に伸ばしていたので
小学3年生の頃、どうしても犬を飼いたくて仕方がなかった。
何度親に頼み込んでも、即座に却下される日々。
ある時、俺に天啓が降りてきた
犬を飼えないのなら、ぬいぐるみを飼えばいいじゃない。
ぬいぐるみの犬に、ひもをつけて飼い始めたのだ。
母親はきっと呆れ顔だったと思う。
それでも、サイヤ人的理論を信奉し、季節が変わるたびに骨を折っていることに比べれば、物を散歩させるくらい、まだマシだったのかもしれない。
地面をずりずり引きずるので、やがてぬいぐるみはボロボロになり、いつしかどこかへ行ってしまった。
手首のスナップをきかせることで、お手やお座りなど簡単な芸を覚えさせることもできた。
クラスの男子の中では、ヒモの素材や見た目によって暗黙の格付けがなされ、ビニール紐は最下層、ラメ入りの金の紐を連れた者は最上位に君臨した。
生真面目がすぎる委員長的女子の問題提起によって、これがクラス会の議題にのぼる。
果たしてヒモはペットなのか否か、狂気の話し合いの開始である。
長く混沌とした議論の末、「生き物でないとしても、ペットを学校に連れてきてはいけない」という謎ルールの制定に至る。
しかし、我々は屈しなかった。
物の不足は、心で補えばいい。
ある者はドラゴンを飼い、また、ある者は101匹のチワワを飼った。
美少女顔の人面犬7匹を飼っていた彼は、今頃どうしてるだろうか。
我々は、互いに自分のペットの素晴らしさを自慢し合い、時にペット同士の交流も行われた。
今思えば、元々飼いたかった犬にしてもよさそうだが、そうはしなかった。
かつて犬の代替品でしかなかったヒモは、イマジナリーペットになって初めて、本当のペットになったのだ。
しばらくすると、みな飽きてきて、空想ペットは話題にあがらなくなってきた。
それでも、俺は、こっそり頭の中でヒモを飼い続けた。
それから三十余年。
俺はといえば、ヒモ太を看取り、ヒモ太の子の1人を嫁に出し、もう1人の子とその妻を看取った。
いや、本当は、飼ってなんていないのかもしれない。