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2023-04-09

年上の妻と結婚した歴史上の偉人

過去投稿したのを編集したらなぜか再投稿になってる…なぜだ

ツタンカーメン

 7歳上のアンケセナーメン結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメン後継者アイとの結婚を嫌がった。

ネロ

 7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。

曹丕

 3歳年上の文徳皇后を寵愛した。聡明彼女は夫に助言を与えた。曹丕も群臣の反対を押し切って彼女皇后に立てた。

・劉駿

 南朝宋の皇帝。2歳年上の王憲嫄を寵愛した。

・宇文邕

 北周皇帝。7歳年上の李娥姿を寵愛した。北周が滅びると彼女出家し、常悲に改名した。

煬帝

 占いにより吉とされた2歳年上の蕭皇后結婚した。聡明彼女外遊の度に付き従い、度々煬帝暴政を諫めた。

ムハンマド

 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャ結婚天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房ハディージャである

仁明天皇

 1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。

オットー1世

 初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。

・ルイ4世 

 西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキング誘拐されたとき彼女交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。

・李克用

 後唐の太祖。3歳年上の劉夫人結婚武勇に優れた彼女は夫が朱全忠に殺されそうになると、自ら軍を率いて窮地を救った。

円融天皇

 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれ立后後6年で媓子は崩御した

・ロベール2世

 フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。

藤原道長

 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。

一条天皇

 皇后は3歳上の定子教養人であった二人の仲は良好であった。

三条天皇

 2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。

後一条天皇

 9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。

堀河天皇

 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。

鳥羽天皇

 2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。

二条天皇

 病没した近衛天皇中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子出家し、二人の夫の菩提を祈った。

・世宗

 遼の皇帝12歳年上の甄皇后を寵愛した。聡明な妻の助言を聞き入れず、放蕩にふけった彼は従兄弟暗殺された

徽宗

 北宋皇帝側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人詩才の会った彼女皇帝の寵愛を受けた。

高倉天皇

 平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。

平宗盛

 平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた

・寧宗

 南宋皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。

チンギスハン

 1歳上の妻ボルテ結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である

藤原頼経

 鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた

ビルイェル

 スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。

フィリップ5世

 フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌ姦通疑惑幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。

足利義満

 和歌に秀でた7歳年上の正室日野業子を寵愛した。

・李芳遠

 朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺危機から救い、李氏朝鮮建国に貢献した。しかし、夫が即位後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。

・世宗

 朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。

・端宗

 朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さ流刑処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。

・睿宗

 朝鮮王正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。

・中宗 

 朝鮮王正室であった1歳年上の端敬王后即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后自分が良く来ていた服を山にかけた。

フアン

 アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。

フィリップ5世

 ブルゴーニュ公。1歳年上の善良な妻ミシェルは夫によく尽くし、領民からも愛された。

・ルネ・ダンジュー

 フランス王族ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベル聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。

・正統帝

 明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝モンゴル軍の捕虜となった際には宮中財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。

・成化帝

 明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。

マキシミリアン1世

 神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュ結婚ブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。

アフォンソ

 ポルトガル皇子。5歳上のイザベル結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故夭折した。イザベル再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世結婚することとなった

アンリ2世

 フランスヴァロワ朝国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシス冷遇した。厳密には妻ではない。

・フェルディナン2世

 オーストリア大公秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富薬学知識を持ち、貧民の救済に努めた。

後花園天皇

 8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。

後土御門天皇

 5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。

・ヨハン3世

 スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアイヴァン4世から離婚要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。

織田信長

 6歳年上の側室生駒吉乃を正室なみに優遇し、病に倒れた際には頻繁に見舞ったとされる。吉乃は不明な点が多く実は信長より年下ではないかとされることもある

直江兼続

 3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったこから彼女への愛の深さが窺える。

バッハ

 1歳年上のマリア・バルバラ結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20の子を儲けた。

・ウィレム4世 

 オラニエ公オランダ総督。2歳年上のアンと結婚した。彼女国民からの人気が無かったが、残された手紙から夫婦仲は良かったことが窺える

フェルナンド6世

 スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ

グレゴリーポチョムキン

 ロシア軍人10歳上の女帝エカチョリー2世事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ

レオポルト2世

 神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性美徳モデル」と称された。

上杉鷹山

 側室お豊の方は10歳上で賢妻として知られる。

ワシントン

 1歳年上の未亡人マーサ結婚した。家庭的で穏やかな性格彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。

ジョージ4世

 イギリスハノーバー朝国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民彼女に同情した。

・ジェンキンソン(2代リヴァプール伯爵

 イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書コピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。

・ハンス・アンデルセン

 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン父親12歳上のアンネ・マリーと結婚した。

ナポレオン

 6歳上の美女ジョゼフィーヌ結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレター晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌ皇后称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。

フィルモア

 アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイル結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治アドバイスを求めた。ホワイトハウス図書館建設したのもアビゲイルである

ディズレーリ

 イギリス首相12歳年上のメアリー結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係模範的と称えた。

ダーウィン

 1歳上のいとこエマウェッジウッド結婚エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。

ガスコイン=セシル(3代ソールズベリー侯)

 イギリス首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界活躍した。

マネ 

 フランス印象派画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。

ロバートグールド・ショー 

 南北戦争英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生独身を貫いた。

ベルハルト・フォン・ビューラー 

 ドイツ帝国首相。1歳年上の妻マリアと結婚した。

勝海舟

 2歳上の民子結婚民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。

小松帯刀

 維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である

明治天皇 

 3歳上の昭憲皇太后結婚したが、世継ぎは産まれなかった

・同治帝

 清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒感染し死亡した

ハリソン

 アメリカ大統領。1歳年上のキャロライン結婚彼女ホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。

キャンベル=バナーマン

 イギリス首相。4歳年上のシャーロット結婚夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。

エルガー

 イギリス作曲家。8歳年上のキャロラインアリス結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である聡明なキャロラインエルガー音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。

・ポワンカレ

 フランス大統領。2歳年上の未亡人ヘンリエッタ結婚した。

レーニン

 1歳上のナデジダと結婚した。彼女レーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的介護した。

アルカポネ

 1歳年上のメアリー結婚した。彼女は両親の反対を押し切って結婚し、夫が投獄されると何通も手紙を書き頻繁に訪問した。稀代の大悪党だが、伴侶には恵まれたようだ

ヤスパース

 ドイツ出身哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女ユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。

ゲーリング 

 ヒトラーの側近。5歳年上のカリン結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリング彼女に因みカリンハル命名された別荘を建設、自邸にもカリン

記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。

チャンドラー

  Permalink | 記事への反応(1) | 23:32

2023-04-07

年上の妻と結婚した歴史上の偉人

ツタンカーメン

 7歳上のアンケセナーメン結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメン後継者アイとの結婚を嫌がった。

ネロ

 7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。

ムハンマド

 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャ結婚天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房ハディージャである

仁明天皇

 1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。

オットー1世

 初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。

・ルイ4世 

 西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキング誘拐されたとき彼女交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。

円融天皇

 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれ立后後6年で媓子は崩御した

・ロベール2世

 フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。

藤原道長

 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。

一条天皇

 皇后は3歳上の定子教養人であった二人の仲は良好であった。

三条天皇

 2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。

後一条天皇

 9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。

堀河天皇

 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。

鳥羽天皇

 2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。

二条天皇

 病没した近衛天皇中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子出家し、二人の夫の菩提を祈った。

徽宗

 北宋皇帝側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人詩才の会った彼女皇帝の寵愛を受けた。

高倉天皇

 平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。

平宗盛

 平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた

・寧宗

 南宋皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。

チンギスハン

 1歳上の妻ボルテ結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である

藤原頼経

 鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた

ビルイェル

 スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。

フィリップ5世

 フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌ姦通疑惑幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。

足利義満

 和歌に秀でた7歳年上の正室日野業子を寵愛した。

・李芳遠

 朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺危機から救い、李氏朝鮮建国に貢献した。しかし、夫が即位後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。

・世宗

 朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。

・端宗

 朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さ流刑処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。

・睿宗

 朝鮮王正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。

・中宗 

 朝鮮王正室であった1歳年上の端敬王后即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后自分が良く来ていた服を山にかけた。

フアン

 アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。

・ルネ・ダンジュー

 フランス王族ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベル聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。

・正統帝

 明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝モンゴル軍の捕虜となった際には宮中財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。

・成化帝

 明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。

マキシミリアン1世

 神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュ結婚ブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。

アフォンソ

 ポルトガル皇子。5歳上のイザベル結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故夭折した。イザベル再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世結婚することとなった

アンリ2世

 フランスヴァロワ朝国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシス冷遇した。厳密には妻ではない。

・フェルディナン2世

 オーストリア大公秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富薬学知識を持ち、貧民の救済に努めた。

後花園天皇

 8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。

後土御門天皇

 5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。

・ヨハン3世

 スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアイヴァン4世から離婚要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。

直江兼続

 3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったこから彼女への愛の深さが窺える。

バッハ

 1歳年上のマリア・バルバラ結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20の子を儲けた。

フェルナンド6世

 スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ

グレゴリーポチョムキン

 ロシア軍人10歳上の女帝エカチョリー2世事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ

レオポルト2世

 神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性美徳モデル」と称された。

上杉鷹山

 側室お豊の方は10歳上で賢妻として知られる。

ワシントン

 1歳年上の未亡人マーサ結婚した。家庭的で穏やかな性格彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。

ジョージ4世

 イギリスハノーバー朝国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民彼女に同情した。

・ジェンキンソン(2代リヴァプール伯爵

 イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書コピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。

・ハンス・アンデルセン

 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン父親12歳上のアンネ・マリーと結婚した。

ナポレオン

 6歳上の美女ジョゼフィーヌ結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレター晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌ皇后称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。

フィルモア

 アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイル結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治アドバイスを求めた。ホワイトハウス図書館建設したのもアビゲイルである

ディズレーリ

 イギリス首相12歳年上のメアリー結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係模範的と称えた。

ダーウィン

 1歳上のいとこエマウェッジウッド結婚エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。

ガスコイン=セシル(3代ソールズベリー侯)

 イギリス首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界活躍した。

マネ 

 フランス印象派画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。

ロバートグールド・ショー 

 南北戦争英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生独身を貫いた。

ベルハルト・フォン・ビューラー 

 ドイツ帝国首相。1歳年上の妻マリアと結婚した。

勝海舟

 2歳上の民子結婚民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。

小松帯刀

 維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である

明治天皇 

 3歳上の昭憲皇太后結婚したが、世継ぎは産まれなかった

・同治帝

 清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒感染し死亡した

ハリソン

 アメリカ大統領。1歳年上のキャロライン結婚彼女ホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。

キャンベル=バナーマン

 イギリス首相。4歳年上のシャーロット結婚夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。

エルガー

 イギリス作曲家。8歳年上のキャロラインアリス結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である聡明なキャロラインエルガー音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。

・ポワンカレ

 フランス大統領。2歳年上の未亡人ヘンリエッタ結婚した。

レーニン

 1歳上のナデジダと結婚した。彼女レーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的介護した。

ヤスパース

 ドイツ出身哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女ユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。

ゲーリング 

 ヒトラーの側近。5歳年上のカリン結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリング彼女に因みカリンハル命名された別荘を建設、自邸にもカリン

記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。

チャンドラー

 アメリカ作家。18歳年上のシシーと結婚彼女の死後悲しみから酒浸りになり自殺未遂を図るなどしたが、周囲の支えで復帰した。

ラブクラフト

 アメリカ作家クトゥルフ神話作家10歳年上のソニア結婚した。夫人事業が失敗した後も就職のために移住し、夫に仕送りを続けるなど献身的であった。しかし、親族の反対などが原因で離婚した。その後も文通を続けるなど関係は良好であった。

トールキン

 3歳上のエディスと結婚彼女とのデートから着想を得て、ベレンルーシエン恋物語が創られた。

スカルノ

 11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。

ホーコン7世

 ノルウェー国王。3歳年上のモード結婚彼女慈善活動芸術家への支援を行った。

オーラ5世

 ノルウェー国王。2歳年上のマッタと結婚美人で明るい彼女は誠実な夫と共に国民から絶大な人気を誇った。ナチスドイツ侵略の際には海外亡命し、国際的援助を呼びかけた。

ダリ

 10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズマネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリ創作を辞めてしまった。

・崔 圭夏

 韓国大統領。3歳年

2021-07-11

日本天皇51~100代

51.平城天皇(806~809)

 官司の統廃合、観察使の派遣など行政の立て直しに取り組んだ。藤原薬子を寵愛したが、譲位薬子の変が起きたため、出家した。

52.嵯峨天皇(809~823

 薬子の変鎮圧弘仁格式新撰姓氏録編纂した。三筆の一人にも数えられる文化人

53.淳和天皇(823~833

 経国集令義解、秘府略を編纂させた。

54.仁明天皇33~850)

 在位中に令義解施行され、日本後紀が完成した他、承和の変が起き藤原氏繁栄の基礎となった。医学書道和歌など初学に精通した知識人

55.文徳天皇(850~858)

 続日本後紀編纂を開始した。病弱であったため、政治の実権は藤原良房がが握った。

56.清和天皇(858~876)

 幼くして即位したため、良房が実権を握り、元服後も握り続けた。在位中に貞観格式編集された。

57.陽成天皇(876~884)

 乳母子を殺す、宮中で密かに馬を飼うなどの奇行が多く、藤原基経譲位させられた。

58.光孝天皇(884~887)

 55歳という高齢即位し、基経に「実質的関白として政治を任せた。

59.宇多天皇(887~897)

 阿衡の変により、藤原氏を疎み、菅原道真を重用した。在位中に多くの歌人が輩出され、遣唐使廃止された。

60.醍醐天皇(897~930)

 藤原時平讒言を信じ、道真を左遷した。在位中に古今和歌集勅撰、三代実録、延喜格式編纂が行われ、その治世は村上天皇と共に延喜・天暦の治と称された。

61.朱雀天皇(930~946

 在位中は天災が多発し、平将門藤原純友が乱を起こすなど、多難な時を過ごした。

62.村上天皇946~967)

 乾元大宝鋳造し、天徳歌合、後撰和歌集などを編纂させた。

63.冷泉天皇(967~969)

 病弱であったため、藤原実頼関白として実権を握った。安和の変の後は、摂政関白が常置されることとなった。

64.円融天皇(969~984)

 藤原氏政権争いに翻弄され、出家文化人として風流生活を送った。

65.花山天皇(984~986

 女御の死を悼んだところを、藤原兼家に計られて出家した。

66.一条天皇(9861011)

 在位中藤原道長が実権を握り、紫式部清少納言和泉式部などの文化人活躍した。

67.三条天皇1011~16)

 藤原道長に絶えず退位を迫られ、眼病、脚気理由に退いた。

68.後一条天皇1016〜36)

 道長の孫。在位中は道長・頼通が実権を握り、藤原氏の全盛期を迎えた。

69.後朱雀天皇1036~45)

 在位中は頼通が関白として実権を握った

70.後冷泉天皇1045~1068)

 在位中に平等院鳳凰堂が建立され、前九年の役が起きた。

71.後三条天皇1068~72)

 藤原氏を疎んじ、新政を行った。記録所を設け、成功、重任を禁じ、宣旨枡を定めた

72.白川天皇1072~86

 在位中に富士山噴火後三年の役が起きた。譲位後、院生を行った。

73.堀河天皇1086~1107)

 在位中は院生が行われたが、藤原師通の補佐により自らも政治に関与し末代の聖王と称された。

74.鳥羽天皇(1107〜23

 譲位後、崇徳~後白河の3代に及ぶ院政を行った。崇徳院を無視して、後白河天皇即位させたことが保元の乱の原因となった。

75.崇徳天皇(1123~41)

 鳥羽上皇冷遇され、譲位させられた挙げ句、息子の即位も阻まれた。これを不満とし、保元の乱を起こすも敗れ、讃岐に流された。死後怨霊として恐れられた。歌人としても名高い。

76.近衛天皇(1141~55)

 17歳で亡くなったため、崇徳院、藤原忠実・頼長親子に呪われたのではないかと噂された。

77.後白河天皇(1155~58)

 保元の乱崇徳院を破った後、譲位院政を行った。平治の乱治承・寿永の乱鎌倉幕府成立などの激動の時代の中、権謀術数を巡らせ朝廷権力を維持した。

78.二条天皇(1158~1165)

 崇徳の子差し置いて、皇子になったため、保元の乱が起きた。即位後は後白河院院政抵抗するも病気のため叶わなかった。

79.六条天皇(1165-68)

 自身への敵対勢力擁立されることを恐れた後白河院によって、わずか4年で譲位させられた。

80.高倉天皇(1168-80)

 清盛と後白河院対立に苦しめられ、譲位した。

81.安徳天皇(1180~1185)

 壇ノ浦の戦いで入水した。日本史上最も短命な天皇で、わずか7歳で崩御した。

82.後鳥羽天皇(1183~98)

 譲位後、土御門~仲恭の3代にも及ぶ院生を行う。承久の乱に敗れ隠岐に流された。

83.土御門天皇(1198〜1210

 父である後鳥院とは不和承久の乱にも加わらなかったが、自ら望んで土佐に流された。

84.順徳天皇(1210~1221)

 承久の乱に参加するために譲位し、佐渡に流された。

85.仲恭天皇(1221)

 父順徳が倒幕を企てたため、即位後78日間で廃位された。

86.後堀河天皇(1221~1232)

 わず10歳で即位したため、天皇になったことのない守貞親王後高倉院として異例の院政を行った。

87.四条天皇(1232~1242)

 滑石を用いたいたずらが原因で転倒し崩御した。

88.後嵯峨天皇(1242~1246)

 譲位後、2代にわたる院政を行った。死に際して、帝位継承者決定を幕府に委ねるとしたため、南北朝問題の原因となった。

89.後深草天皇(1246-1260)

 持明院統いわゆる北朝の祖。

90.亀山天皇(1260~74)

 大覚寺統いわゆる南朝の祖。父後嵯峨院に愛され、兄後深草院差し置いて子の後宇多天皇即位させたため、南北朝問題の原因となった。譲位後南禅院を建立

91.後宇多天皇(1274~1287)

 大覚寺統。在位中に元寇があった。譲位後、持明院統伏見天皇即位させるが、続いて持明院統後伏見天皇即位には反対したため、両統送立が始まった。院政を行うが、後醍醐天皇対立し、政治から身を引いた。好学の天皇として知られる

92.伏見天皇(1287-1298)

 玉葉和歌集勅撰させた。

93.後伏見天皇(1298~1301)

 譲位後、院生を行う。元弘の乱後、東国へ逃れるも捕らえられ出家した。

94.後二条天皇(1301~08)

 大覚寺統持明院統から2代続いて天皇が出たことに後宇多院が抗議したため、幕府の計らいで即位。両統送立が始まった。

95.花園天皇(1308~1318)

 大覚寺統教養人で風雅和歌集勅撰させた。

96.(南1)後醍醐天皇(1318~1339)

 鎌倉幕府打倒に貢献した後、建武新政を行う。足利尊氏に敗れ吉野に逃れ南北朝時代が始まる。

97.(南2)後村上天皇(1339〜1368)

 高師直に攻められ賀名生に逃れる。一度京都を奪還するもすぐに北朝に奪われた。その後も京都回復を狙い、各地を転戦するも果たせなかった。

98.(南3)長慶天皇(1368~1383)

 和歌を愛し、五十番歌合、五百番歌合などを催した。

99.(南4)後亀山天皇(1383~1392

 足利義満の誘いの応じて、南北朝和解を実現。しかし、義満の死後冷遇され、和平の条件であった両統送立も果たされなかった。

北1.光厳天皇(1331~1333)

 後醍醐天皇の失脚を受けて即位したが、鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐廃位光厳即位否定された。

北2.光明天皇(1336~1348)

 足利尊氏擁立により即位譲位後、観応の擾乱によって南朝に捕らえられるが後に解放された。

北3.崇光天皇(1348~1351)

 譲位後、観応の擾乱で捕らえられた。琵琶を愛した。

北4.後光厳天皇( 1352~1371)

 後村上天皇の一統が破れると、足利市擁護され即位した。南朝攻撃に遭い、美濃近江などに逃れたこともあった。

北5.後円融天皇(1371~1382)

 足利義満擁立されて即位譲位後、院政を行った

100.(北6)後小松天皇(382~1412)

 後亀山天皇から神器を受け、南北朝合一が成された。

 
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