はてなキーワード: 傷病手当金とは
大筋同意だが、病歴なしのサラリーマン慣れしてると忘れがちなことを補足する。
する必要があるかは退職の時期にもよるが、すべきか否かで言えば傷病期間中も確定申告はすべき。
傷病手当を受け取るために一定間隔で通院した分の医療費を足して医療費控除を申請できたりする。
尚、傷病手当金については非課税所得と国税庁から回答が出ているので安心して良い。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1400_qa.htm
そもそも建前として傷病で働けないことを理由に手当金を受け取っているのだから、その前提を崩す行為には慎重になるべき。
一般的に日本の会社(人事)または日本の社会は、精神的な傷病には非常に厳しい。
肉体的な傷病でも厳しいと思うかもしれないが、精神的な傷病はその比ではない。はてなだのネット慣れしてると忘れてしまうが、「鬱は甘え」と思い込んでる人間が圧倒的多数だ。
なので、転職時に現況で「メンタルを病んで傷病手当をもらっていて〜」と話すことにより、どんなに順風満帆な面接をしても即日お祈りしてくる企業ってのはたくさんある。
これは価値観が先進的とされるIT業界などでも変わらない。むしろベンチャー・スタートアップはオラオラした社風が多いので、人事や社長がいくらダイバーシティやインクルーシブとか広報で偉そうにしゃべっていても、そういう会社ほど傷病を理由に門前払いにするケースが多い。
ただ、だからと言って病歴を変に隠すべき・嘘で誤魔化すべきかは難しい。少なくとも自分は「細部は丸めても、嘘をつくべきではない」と考える。
傷病手当を受給していることは事実なので、そこを下手に誤魔化すと別のところで帳尻を合わせないといけないからだ。
もちろんダメな面接官や人事は根掘り葉掘り聞いてくると思うが、「それはプライベートな事柄なので」と一定以上は黙ってしまって構わない。
そもそも病歴あり程度で門前払いするような会社は「社員の傷病に対して無神経な会社であることが多いので落とされて良かった」と考えてしまうくらいでちょうどいい。
傷病手当をもらいながらの転職活動それ自体で相当に精神的にやられるかもしれないが、それは元増田がダメだからというわけではない点は心に留めてほしい。
ごめんなさい。
深夜なので愚痴らせてください。
やはり本を読んでもインターネットで調べても復職を急かすのはよくないらしく、趣味を犠牲にしたうえで家事を行ったり生活費を多く支払ったりしてきました。
さらに担当医に聞くと鬱病患者が運動をするのは良いらしく、本人がやりたいと言っていたのもあり、なけなしのボーナスからパーソナルジム費用(30万)を全て支払いました。
しかしパートナーからは感謝の言葉や態度は特になく、さらには拒絶過敏性から心無い言葉を投げかけられて苦しいです。
好きなことはできるのですが、家事をしたり復職をしたりすることは一切なく、新たに仕事を探す素振りもありません。パートナーがもらっている傷病手当金が来年からは支払われなくなるため、自分が年収を上げるべく転職活動をしています。
まだ新卒4年目で手取りも多くないため、このままでは最近話題になった200万円生活まっしぐらです。
鬱病に関して知識をつけようと様々なことを調べたのですが、やはり当事者の気持ちを理解しようというのが中心でした。
しかし、支える人たちも人間であり、いくら鬱病に言わされているとしても心無い発言をされたら傷つきますし、「何もしないほうがよい期間」の生活する労力は支える人たちが犠牲にしなければなりません。
鬱病を支える人は鬱病になりやすいというのを身を以て体感しています。パートナーは親が嫌いで実家に帰ってもらうこともできません。共倒れが最悪の未来で、それを回避すべくもがいていますが、自分一人の力には限界があるため厳しそうです。
以下ボカシありで書き殴り。
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大体月に1回くらいAと会っていたが、仕事内容がクソだとか上司と合わないとかで偶に仕事を辞めたがっていた。
正直仕事は大体そんなもんだし自分もそんなもんなので、適当に仕事の愚痴を言って飯食って終わっていた。
2年程前くらいからは合うたびに愚痴ってくるようになり、そんなにストレスが溜まっているなら・・・と温泉旅行を計画して連れ出してみた。
それなりに効果があったのかそれからしばらくは仕事の文句は無く話していて楽しかったが、結局3ヶ月くらいで愚痴が復活していた。
この頃から毎回同じ愚痴を聞くためだけに会っているような形になりつつあり、貴重な土日を消費するのが勿体ないという気になっていた。
そこでそんなに嫌なら転職したり休職したり、はたまた病院で診断書をもらって傷病手当金をもらいながら休むという手もあると伝えた。
Aの答えは毎回「めんどくさい」「転職できるか分からないからやりたくない」「休職するほどでもない」。
それでも会うたびに愚痴を言うので色々調べて「ここの病院が評判がいいよ、行くなら付き添うよ」と伝えてみるも効果なし。
自分がAに寄り添えてないからだと思いどうしたら上手くいくのかと悩む日々。
気がつけば悩みが積み重なり自分を責めるようになっていた。
会うのが嫌になりつつあり頻度は月1から落ちたりしたが、Aは相変わらずいつも通り愚痴をいい自分が答えるだけだった。
愚痴の内容に「仕事のことを考えると気が滅入って死にたくなる」「平日の朝が怖くて寝れない」みたいな内容が追加され、それこそ病院に行くように勧めた。
しかし、Aは結局行かなかった。
1年程前からついに精神科に通ってみたいから付き添って欲しいと言われた。
カウンセラーと話した結果、仕事は辞めずに薬で鬱的な症状を治し仕事との向き合い方を考えるという方針に決まった。
通院は1ヶ月に1回とのことだったので月1で会うタイミングで病院に付き添うことになった。
土日を潰す頻度は増えたが以前よりは有意義な形だったため、まあいいかと思っていた。
カウンセリングと薬で症状が良くなりつつあるのに何で!?と思い聞いたら、「上司から仕事関係で叱責され、売り言葉に買い言葉的に辞めた」らしい。
この瞬間、今まで自分がしてきたことは結局意味が無かったことを悟った。
Aのために貴重な休みとそれなりに掛かる交通費と心労をかけたが、そんなことは意に介さず仕事を辞めてしまえるのかと。
上に書いてないが共通の友人から色々助けてもらったり与えてもらったりしていたのにも関わらず、それを無にするようなことができるのかと。
A自身が考えぬいた結果の退職なら納得できるが、明らかにそうではない辞め方だったため正直裏切られた感が強くもう連絡を取るのは辞めようと思った。
最近、近況報告も兼ねて飯でも食べに行かないかとAから誘われた。
自分の住んでいるところから近い街でならいいかと思い、了承して向かった。
そこでAの口から出てきたのはざっくり、「今俺(A)がこんなことになっているのは育ててくれた親が悪い」「お前(私)は俺(A)に優しくしてくれるようないい環境で育って羨ましい」ということだった。
私はAの親が彼に虐待をするでもなく、また大学に通うのにも奨学金を借りずに全て親に払ってもらっていたことを知っていたのでこの発言でもう呆れ返ってしまった。
世の中には母子家庭で育ったり、大学を通うために奨学金を借りる必要がある人も居る中なんてAは恵まれた環境で育ったか理解していない様子だった。
俺、既婚子持ちの40歳。
30過ぎて技術職から営業に異動したのがきっかけでADHDが発覚。全検査IQはMENSAには全然入れる程ではないものの比較的高めだったし、1番低いWMでも102だったので、2Eかそれに近いタイプなんだと思う。
一応オープン就労ではあるけれど、特に個別に配慮を受けてる訳ではなく。というか障害関係なく、困り事があって業務遂行に問題がある場合は、障害の有無関係なく話を聞いてくれて、何かしらのサポートをしてくれる、超ホワイト企業。
後出しジャンケン式オープンってのもあって、この前の源泉徴収票では600万円超えてた。それだけの働きが出来ていたのか、正直貰いすぎなのかは何とも言えんけど。ちなみに社内の40歳男子平均で見ると、これでもぶっちぎりで平均以下。なので、社内ではやっぱり期待値ほどはまだまだ成果足りてないよね、という扱いなはず。
妻が結婚直前に、何かしらの発達の疑いを自覚していたことをカミングアウト。とは言えもう惚れ込んでたし、今更それだけを理由に婚約破棄ってのも考えられず、予定通り結婚。
翌年末、めでたく長男が生まれました。1歳半検診で指摘があり、その後知的ボーダーのASDが発覚。
根はクソ真面目なパパ。発覚と同時にうーんこれは、子供の各成長段階で最適な療育なり福祉支援をしてやらなきゃいかんねと。そのためには親がちゃんと福祉を理解してないとってことで、通信制の某マンモス福祉大学に入学。これはADHD特有の衝動性もあったかもしれん。今思うと、何で社福を選ばなかったんだろうなんだけど、仕事と並行して、大学の単位戻り、実習も経験してから精神保健福祉士も無事取って、大学も卒業。
よーしパパ、これから日々家庭内でソーシャルアクションをやるぞー、って張り切ってたのですが、ここら辺で燃え尽きました……。
適応障害って診断されたけど、もう半年以上経って回復してないから、反復性うつ病性障害にシフトしてる感覚はある。あと、神経過敏とADHD特有の衝動性が相まって、攻撃的な性格になったり、多弁傾向が強くなったりと、躁転の症状も出てる。現に、こんなクソ長いまとまりのない文章を垂れ流してる段階でお察し。
理由は全く想定外していなかったADHD父とASD男児の相性の悪さ。毎日、家庭内で息子からストレスを浴びせられる毎日。
そして妻はメシは作れるし美味いんだけど、家事能力無しの汚部屋製造機でした。厳密には、他人から指示されると作業は出来る。でも、自分で段取りを決めて、主体的に動くってのが出来ないみたい。
それでコロナ禍の影響で、汚部屋環境下で耐えながら日々続ける在宅勤務。もともとストレス耐性はそんな強い方ではないので、半年くらいでパンクしました。で9月から休職中。手帳は元々持ってましたが、加えて障害支援区分2を取って、身体介護と家事援助の居宅介護を取りました。妻が家事出来ない分、私の枠を使ってなんとかしのいでる状況。
だから主治医からは家庭環境起因の発症だから、家族と別居して環境を変えない限りは治らないと言われています。実際、3週間入院した時はすっかり寛解したんだけど、自宅に戻ったら2週間で再燃しました。
今、妻にも心理検査を受けさせてます。でもウェクスラーは終わったっぽいけど、MSPAがまだみたいで、順番待ちでざっと半年待ちだとか。最近の発達障害ブームに加え、コロナ禍で今まで見えてこなかったグレーゾーンの人が一斉に顕在化したんだろうから、そりゃそうだろうなとは思います。で、妻の判定は相当先になりそうなので、先に障害支援区分を取らせて、妻にも居宅介護がつけられるように、現在画策中です。
これが済んだら、私はショートステイかグループホームに移って、擬似的単身赴任みたいな感じで家族と別居生活をする予定。家族と同居してると、一向に治らんので。
月々の生活費は、元々の基本給が35万円くらいあったので、それベースの傷病手当金が健保組合から出てるので、意外と困ってない。ずっと働けてなかったので、まだ有給休暇のうちに障害年金を申請して3級は通ったんだけど、就労不能で3級はねえだろと、審査請求を視野に入れて原因分析中です。
ここまでなんやかんやでギリギリやれてるのも、自分がMHSWの資格所持者で、計画相談支援とか、その手のサービスが世の中にある事を知ってたからだろうなあと思う。
一方で、会社の人事がここら辺の知識が無能過ぎるのが問題。復職支援ではなく、復職の邪魔をしている。完全に治るまでは会社の敷地を一歩も通させん、という姿勢なので、これじゃ治るもんも治らない。
ここまで書いて気付いたんだけど、これ愚痴じゃなくてただの自己紹介だよね。ADHDだと、主部と述部が全く異なるはよくある話。
どうして、どうして…まだ若いのに。そんなコメントを沢山見た。
自殺願望があったり、希死念慮を持っていた人側として意見を書こうと思う。
1年前仕事のストレスでうつになり、毎日毎日死にたいと思っていた。
化粧をしても涙で崩れてしまうから、通勤途中の駅のトイレで化粧を直して何とか出勤する日々が続いた。
段々と泣く時間が長くなりノーメイクで会社に行くようになった。
席についても涙が止まらずバレないようにひっそり泣いた。
涙声のまま電話に出ると取引先に心配されそうで、涙が引くのを待ったが電話に出ろと上司に何度か注意された。
会社ではなるべく普通に振る舞うように心がけたが、昨年の12月にとうとう会社に行けなくなった。
消えて無くなりたい、どうやって死のうかそんなことばかり考えていた。
マンションから飛び降りるにも高さが足りないし、事故物件になったら不動産会社の人に申し訳ない。
電車に飛び込もうかとも通勤時に何度も思ったが、電車を止めてしまうのは迷惑がかかるし線路に飛び散った自分の内蔵を処理してもらうのは申し訳ない。
自分が死んだら悲しむ人が居るからというより、マンションの後処理や電車を止めて人様に迷惑かけるのは申し訳ないという思いからギリギリ踏みとどまっていた。
自殺をしようと思ったのはこれが初めてではない。10年前学校でいじめに遭い先生に相談するも取り合ってもらえず2度自殺を図ったが死ねなかった。
睡眠薬を大量摂取して死のうとしたが、家になかったので喘息の薬で代用したら死ねなかった。遺書が母に見つかり怒られた。
高校生になったら、大学生になったら、社会人になったら人生楽しくなるんじゃないか。淡い期待を抱きながらずっと生きてきたが、そんなことはなかった。
表面上は楽しそうに見えても自分は異質な存在だという思いが消えなかった。友達と仲良くしようにもどこか一歩引いてしまうし、全然満たされなかった。
環境が変わっても結局のところ自分が変わらなければ何も変わらないのだ。大人になっても消えて無くなりたいという希死念慮はなくならない。
ロックスター27で死すじゃないけどずっと、27ぐらいで死にたいなと思っていた。
自殺願望や希死念慮がある人たちはこんな辛い世の中を生きていくくらいなら死んで楽になりたいと思っているのではないだろうか。
生きていれば必ずいい事がある、あなたが死んだら悲しいとかアドバイスされても渦中にいる人にとっては暖簾に腕押しである。
安全な場所から綺麗事言って一度も死にたいと思ったこと無いくせに。私には私の地獄があるなんて言うが、人生丸ごと変わっても同じこと言えるか?
思考が狭くなって生きるか死ぬかの2択しかなくなっているのだ。
また、SNSで病んでる投稿したり、自傷行為してる人達に対してかまってちゃん乙的な事をいう人がいるが、SOSを出せるだけまだいい。
(ただしファッションメンヘラは滅しろ!!周りの奴もメンヘラ投稿見たくないならミュートしろ!!)
SOSを出せない人は普段普通に振舞って、ある日プツンと張り詰めていた糸が切れてしまった瞬間いなくなってしまうのだ。
とりあえず休んで。あなたは心身ともに疲れてると思います。今のご時世熱出たと言えば大変なことになるので、頭痛とか腹痛とか適当に嘘ついて会社休みましょう。
あなた一人いなくても会社は回ります。それでも回らない会社はブラックなのでこちらからお別れしましょう。傷病手当金とか失業保険で食いつなげます。
心療内科に行くハードルが高いかもしれませんが、夜寝られないとか言えばうつで診断書書いてくれます。会社辞める勇気ない人はもらった診断書会社に郵送して休職しましょう。
ちょっとお金はかかりますがカウンセリングに行くのもいいです。友達に「死にたい」とか言っても綺麗事言われる可能性がありますが、カウンセラーさんなら寄り添ってくれます。
守秘義務によりお話した内容は口外されません。「死にたい」の根っこの部分にアプローチしてもらえます。
対面でカウンセリングいくのはちょっとな…って場合はZoomとかメールなどのテキストで悩みを聞いてもらえるサービスもあるようです。
人に頼ると申し訳ないな…と思うかもしれませんが、頼られるのが嬉しいという人もいるはずです。
正論はぶつけないであげてください。普段なら受け止められてもメンタルが弱っているときに正論言われるとつらいです。
何かできることある?話聞くよでもいいです。その人のことを気にかけてあげてください。
病院に行きたい、カウンセリングに行きたい。予約してほしい、病院に付き添ってほしいと言われた場合は手伝ってあげてください。
また、当事者の人と一緒にいるとあなた自身が傷ついたり疲れることもあるでしょう。その時は相談できる人を見つけたり、うまくリフレッシュしてくださいね。
長々と書いてきたけどお前はどうなんだ?と思う人もいるだろう。
気持ちの浮き沈みのある日々が続いている。
今日はすごく元気だなぁ、もう薬もいらないかもなぁと思って活動的にしていると次の日疲れて起き上がれなくなる。朝起きた時に「あぁ、今日はだめな日だな」というのがわかるようになってきてそんな日は無理して起き上がることはせずそのままベッドで横になっている。もう二度と起き上がれないんじゃないかと不安が襲ってきてシクシクと泣くこともあった。
かと思いきや朝シャッキリ目が覚め、部屋の掃除やストレッチを済ませて散歩へ出かけ、家に帰ってもまだお昼前だということに気づき「無職最高ーーーー!」とバンザイするような日もあった。
ただ、そんな時でも外を歩いていると5秒に1回は「しにたい、生きるの辛い」と頭の中で呟きながら歩いていた。橋の上など高いところに立っているとスーッと吸い寄せられるような感覚があった。電車も怖くてしばらく乗っていなかった。
よせばいいのに会社のメールを見て、自分が残した仕事を後輩がつつがなく完了させているのを見て落ち込み、自分なんてやっぱりいないほうがよかったんだとまたシクシク泣いた。この頃には声をあげて泣き叫ぶことは無くなっていたが、暴力的な衝動は突発的に現れて、壁を殴ったり、カフェで窓際の席に座っていた時に、目の前のガラスを叩き割りたい衝動に駆られた(流石に行動に移してはない)。
小説やドラマなどは見れるようになったが、ニュースやバラエティなど喋っている声がキンキン響くものは相変わらず見れなかった。YouTubeでは焚き火の映像などを見ていた。勉強を頑張っている社会人のvlogが好きで、いつもそれを見てモチベーションを上げていたのだが、病気になってからは見ると動悸、頭痛がして視聴することができなかった。この人たちはこんなに頑張っているのに自分は…という罪悪感で心がやられてしまったのだと思う。
本屋に行ってうつ関連の本を立ち読みしたりした。以前は本屋で時間を潰すのが好きで、自分の仕事関連の専門書のコーナーに行きワクワクしながら本を物色していたのだが、この頃はそのコーナーに近づくと頭痛と動悸がし、涙が出そうになっていた。
適応障害についての本を買って読んだが、頭がぼんやりして内容が入ってこなかった。
全然眠れないと思ったらものすごい眠気に襲われる日もあり、風呂も入らずに眠る日も度々あった。
活動できるときはとにかく歩いていた。2駅隣のTSUTAYAまで歩いて漫画を30冊借りて、また歩いて帰るというようなことをしていた。
病院では「元気な時とダメな時がある」と伝えると、「そうやって波を繰り返して徐々に良くなっていきますからね。元気な時に無理しすぎないようにね」と言われた。なんかそのくらいなら自分でも言えそうだな、などと思った。特にカウンセリングなどをされるでもなく、5分くらいの診察の後処方箋をもらって帰るという繰り返しだった。
この頃、友人の結婚式があり久しぶりに大人数のいる場に出かけていった。電車に乗ることもできてほっとした。
長い間会っていなかった友人たちばかりだが、お互いの近況を話したりするのは楽しかった。自分の病気のことも話したが、全く平気そうに振る舞った。友人の目にどのように映ったかはわからないがみんな気遣ってくれた。
久しぶりに会えて楽しかったが、やはりひどく疲れてしまい家に帰ってすぐに寝た。翌日も疲れは残っていた。コロナのおかげで二次会とかもなくサクッと終わったのでまだ良かった。
薬の服用量も減った。2種類の薬を服薬していたが、1つは不安になった時だけ飲めばいいとなった。
この頃から少しずつ自炊もするようになり、なかやまきんに君のYouTubeで紹介されていた野菜スープなんかを元気な時に作り置きしていた。ただ野菜を切って煮るだけだが、キッチンはぐちゃぐちゃになり、効率的な動きもできなかった。料理はものすごく難しい作業なのだと知った。
転職活動を始めた。休職した瞬間から、もう前の職場には戻らないと決めていたので、とりあえず職務経歴書や履歴書を準備し始めた。ただ、そのテンプレートを埋めるのも一苦労で、リモートワークに使っていた机に座るだけで具合が悪くなった。仕事関連の本を見えないところにしまい、机の位置を変えた。できるだけカフェなどの外で作業するようにした。1日に30分~1時間ほどしか作業することができず職務経歴書を完成させるのに二週間ほどかかった。
転職サイトに登録するとありがたいことに色々な会社やエージェントから声がかかり、面接の予定がどんどん埋まっていった。
転職活動はオンラインでできるので助かった。ただ、1日にいくつもやると流石に疲れるので、午前中に1件やるのみとしていた。転職の選考のスピード感についていけず、働いている体で「現職の都合が…」とスケジュールをできるだけ引き延ばした。
今思うと、こんなに早く転職活動する必要はなかったが、当時はとにかく不安で、焦りがどうしてもあり、早めに始めてしまっていた。傷病手当金がもらえるギリギリまでのんびり休んでいれば良かったと思う。
仕事を始めた時に備え、資格の勉強などを始めた。面接のない日はカフェで参考書を開いて勉強していたが、この頃勉強したことは全く頭に残っていないのでやる必要はないと思う。それよりもゆっくり休んだほうがいい。
この頃は寝られない日が2日続き、翌日はぐっすり眠れるというようなサイクルになっていた。昼寝は相変わらずしていた。
人の多い店などにも行けるようになり、ジムに行くこともできて、回復しているのを感じた。
寝られない日は日中に筋トレやHIITトレーニングをして体を疲れさせるようにした。
だんだん見られるものも増えてきて、アドラー心理学の本なども読んでみた。あとはスマホでゲームなんかも始めてみた。久しぶりにやるとめちゃくちゃ面白くて、没頭できた。ゲームをしている間は他のことを考えずに済むのが良かった。
ついに内定をもらい、入社条件の交渉になった。正直こんなに早く決まると思っていなかったので、もっと休みたい気持ちがあり、現職の都合で~とか、まだ他社の選考が~とか色々言って提示された入社日から1ヶ月延ばそうとしたが受け入れてもらえず、やむなく病気のことを話した。内定取り消しになってもしょうがないと思ったが、意外にもそうはならず(法律上のしばりとかもあるのだろうが)、提示した条件で入社するかを決めて欲しいと言ってもらえた。
とにかく前職を直ちに辞めたかったので、体力的に不安ではあったが(あと、もう少し無職でフラフラしていたかった)内定を受けることにした。
病気がひどかったときは早く働かなくてはと焦っていたので、働きたくない、無職でいたいという欲求が出てくるのはむしろ健康になったのかもなぁなどと考えていた。
次の職が決まったので上司に退職の連絡をした。先日休職延長の連絡をしたばかりなので少し気まずかったが特に何を言われるでもなく、たった9分の電話で退職連絡が完了してしまった。
その後、各種手続き書類が自宅に郵送され、粛々と退職手続きが進められていった。
頭痛も睡眠障害もまだ治っていなかったが、医者に内定をもらったことを告げると「良かったですね、まあ新しい職場でも無理しすぎないようにね。最初は頑張っちゃいますからね」と言われただけで、復帰なんてまず無理、とは言ってくれなかった。
働きたくない働きたくないとひたすらごねていたが、自分でもわかるくらいに体調は回復していた。朝起きてジョギングをしたりもできるようになっていた。昼寝もしなくても大丈夫な日も増えてきていた。
つづく→適応障害と診断されてからの記録⑤
前の前の職場がイヤで、多分そのころから鬱傾向はあったんだけど、ひとまず辞めて、都会で一人暮らししたいと思って田舎を出て転職したのが前の職場。
ただ、その前の職場、フレキシブルという体のいい言葉で深夜まで働いたりするブラックで、自分の能力も追いついてないやって思ってたからどんどん夜は更けていくし、
生活も崩れてくるし、誰にもこの気持ちを相談できないしでとうとう書類を読んでも読んでも頭に残らなくなってミスを連発し始めて、上司に「前はこれ出来てたよね」って言われたり、自分で自分をひたすら責めたりして2か月くらい死にたいとかやめたいとか思ってた矢先、父親代わりといっても過言じゃなかった祖父が死んだ。
その時になにか胸からすっぽり抜けて力が出なくなって、現界を感じたので自分で心療内科を予約して中程度の鬱という診断が出た。
幸い、鬱を沢山出してる職場だったので休職はすんなり取れて、初めは2か月、次は4か月……としていくうちに気が付けば2年休職してた。傷病手当金も出なくなっていよいよ転職するかってなった時に、今の職場の求人を見つけて、これしかないと思って面接に行き、採用をその場で貰った。
休職してる初めの内は、休んでて良いんだろうかとか落ち着かなくて休みが休みになってなかったし、今でも薬山盛りで毎日飲んでるし、薬ないと寝られないし、今の職場には鬱とは言ってないしで続くかどうかも実は不安。
頑張れって言われたいだけかもしれないし、実際多分そう。もしかしたら鬱から社会復帰した先達とかからの成功例な話も聞きたいだけだと思う。安心が欲しい。
今度は正職員じゃなくてフルタイムの非正規だし、責任感はそんなに感じなくていいはずだからってだましだまし頑張ろうと思ってる。まともな人間になりたい。
コロナに感染してみて、一番ふざけるなと思ったことを書きます。
最近ちらほら聞くようになったけど、実は、新型コロナに感染すると、感染者よりも家族や同居人などの濃厚接触者のほうが長い期間行動を制限されてしまいます。
その内訳は以下のとおりです。
要するに、感染者に接触したら潜伏期間考えて14日間は無症状感染の危険性があるから外出したらダメよということです。
それで病院に行ってコロナ陽性と診断されたとすると、9/1の10日後である9/11までが外出制限にあたります。
しかし濃厚接触者の場合は、感染者に最後に接触した日というのが重要になります。
例えば発熱してすぐに感染者が自己隔離した場合でも、9/1の翌日から14日後となりますので、9/15までが外出制限となり、感染者よりも長い期間、外出制限がかけられることになります。
ところが、もし隔離をせずに感染対策のみで感染者と普通に接触をしていた場合は、最大で9/11から14日後まで、つまり、9/25まで濃厚接触者には外出制限がかけらることになります。
これははっきりいってめちゃくちゃです。
新型コロナの感染力は、発症の2日前から7日間と言われています。
つまり、発熱したならば、その5日後には感染力をもたないはずです。
それならば、濃厚接触者の外出制限も、9/6から14日後で十分なはずです。
生活のための買い物などは自己の判断で最低限行われるとしても、仕事や学校はそういうわけには行きません。
もしこれが共働きなら、感染者は同居人に対して最大で25日間も働く機会を奪うことになります。
さらにいうと、濃厚接触者であってもコロナに感染していなかった場合は、傷病手当金などの補助金も使えず入院手当金などの保険も適用されませんので、まさにまるごと損害となってしまいます。
これは流石にめちゃくちゃです。
そのためには、発熱でも咳でも、少しでも症状がでたら自己隔離することをおすすめします。
それが感染そのものを防ぐことにもなるし、同居人の外出制限を最低限に抑えることにもつながるからです。
自宅内における隔離の判断は自治体によって変わってくるものと思われますが、食事、トイレ、洗面が別であること、お風呂などを使用した場合はその後の消毒が指示通り行われていることなどが必要になってくるようです。
ただ、はっきりいって、病院に病床確保の脅迫をするより、濃厚接触者に手厚い補償を行うことのほうがよっぽど感染拡大防止の効果が高いんじゃないかと思います。
専門学校を卒業した後、その道に進む覚悟が無かったことが理解できたのでフリーターから派遣、その後やっと正社員になりほっとしたのも束の間。
給料は情熱価格、メンタル病む人間続出でもれなく私もメンクリコース。現在は傷病手当金をもらいつつ、自己研鑽は向いてないので今まで蔑ろにしていた生活環境を見直している。
情熱価格で働き、買い物や外食で浪費していたのに比べると、入ってくる金額は下がるもののずっと生きやすい。
現状だけで考えるならとても幸せだ。
下手というよりは素人目だがセルフネグレクトに近い状態だと思っている。
調子の良い日は床の見えない母親の部屋を深夜まで付き合って片付け、ゴミを毎日だし、リビングが家族で食事をとれるようにした。
家族もメンタル弱めだが、最近は奮起する気力が弱いだけで、一緒になって一度きれいにすれば気持ちがあがるし、仕事のモチベーションもあがっていいことづくめだった。
片付けをしなければならない理由が子供部屋おばさんにはあった。
2時間ほど前に、引越しにむけて洋服の整理をしなければならないのに体が動かず、絶望感が襲ってきて抗不安薬を飲んだ。
絶望した気持ちを増田にぶつけようとした瞬間、彼氏から昼休みの連絡がくる。
それだけで、がんばれなくても幸せになった。
昼休みになんとなく話したいなと、思ってくれる存在があることが嬉しい。
すぐ調子に乗るので、ラインした後はスーパーに引越し用のダンボールをもらいにいった。
互いに大切にしている友人もいるが、私の存在をわかりやすく認められたい。
とりとめのない文章が続くが、
私の両親は離婚しており、その当時は家庭環境も良いとは言えない、金銭的にも厳しい生活だった。
男性は怖い、男女の仲も醜く壊れるのならばなりたくない、そう思って生きてきた私にとってそれはもう、怖じ気づくしかないだろこの状況!!
世の中には様々なブルーがあるらしく
引越しブルー、同棲ブルー、マリッジブルーなど一通り検索した。
検索したところで、そういうもんがあるんだな程度の感想にしかならないが、新しい環境へ一歩踏み出すことができた自分を褒めたい。
これを書いた者です。死ぬ覚悟がまだできなくて生きています。クズなのはわかっている。うじうじでもなんでも言ってください。傷ついてあげるから。
https://anond.hatelabo.jp/20210216093051
なお、こちらの記事に少なからず影響を受けています。良い方向に向かってよかったですね。
https://anond.hatelabo.jp/20210302041924
今日、生活相談センターのようなところに行ってきました。相談に行っただけで自分えらいと思う。そして詰んでいることを確認できただけでも少し心が軽くなった。
①国の貸し付けや給付は受けられるか
→コロナのせいで困窮している人向けの貸し付けしかないため該当しない
②住宅確保支援金はわたしは条件を満たすか(わたしの住んでいるところは家賃3.5万、共益費1.5万(電気・水道・ガス・ネット代をまとめて共益費扱いで請求される)
→①と同様、そして求職者向けなので派遣社員のわたしは該当しない
③ここのところ症状がひどく(朝起きても支度する気力体力が起きない)、仕事を休みがちで収入が10万円を切っている
(心療内科には2年ほど通って自立支援(精神)受給者証は持っている)
④手持ちのお金が1.6万ほどだがお給料が入るのが15日(月末締め)、そして10万を切る見込み
→健保に連絡して傷病手当金をもらうのがよいが、派遣元に記入してもらう手間と、ただでさえ所持金が少ないのに4000円くらい支払って医師に診断書を書いてもらう必要があるのでとても厳しい。生活保護は最終手段。
→フードバンク(セカンドハーベスト)にお世話になることになり、相談の帰りに食糧をいただいた。今週中に1箱目をいただける予定。ごはんの心配はしなくてよさそう
→③、④と同じ答えで、傷病手当金をもらい、あと障害者手帳(精神)を申請してメリットを享受する、それから最終手段として生活保護を受ける
1.食べるものがない問題はなんとなりそう(今日相談して今日食糧をもらえた)
そして生活保護についてお決まりの「親族・親戚に扶養照会がいくか」を尋ねたところ、「原則そうです」と。
・実家に戻るという選択肢はなし(戻ったらきっと弟がまたストレスで病に伏すか二度目のてんかん発作を起こすだろう、もしくは奇声を発するとともに手をあげられる)
・私自身も「夜に友人とたわいもない話(通話)をする」という日課ができなくなりつらい(田舎の木造なので丸聞こえ)
・公共交通機関が皆無で私は車を持っていないので実質軟禁状態になる
・再就職・・・就労が満足にできないから困窮しているのだが・・・
・結婚の可能性がある恋人が都内にいる(けど彼も人生の分岐点らしいので私に構っている余裕が今はないという)(彼に頼る選択肢はないと思っている)
・親がうつなど精神病について理解がない(気合の問題だろう派)
生活保護はないな。特にそう考えるのは、親は「恥」をひどく嫌うからです。
世の中を見る時間を1秒でも減らしたくて処方薬を飲んでさっき寝たが3時間ほどで起きてしまった。
できないから困っている、「毎日ちゃんと働く」しか金銭的には解決しないことが分かった。
気分障害のようなものは古い記憶で小学生のころから自覚しているが、あらゆる内科の検査で異常がなかったので、頭の中の異常は見た感じなさそうですよ、と5年ほど前に言われている。超短期記憶が人よりも弱いですね、くらい(これについての自分の対応「〇〇会社の△△ですが、□□さんはいらっしゃいますか?」と聞かれると、〇〇会社の記憶がもうすっこ抜けるので、「△△様ですね、いつもお世話になっております。確認いたしますので、簡単にご用件と、恐れ入りますが御社名をもう一度お伺いできますか。」と毎回確認するようにしている。)
幼いころからそうなのにそう結果が出たのだから、また検査を受けるだけお金の無駄だろう。
毎回変わる心療内科の先生によれば躁うつ病らしいが、しばらく診てもらっているかかりつけ医(内科)の先生の見立てによれば「専門家ではないので確約はできないが、話を聞く限り『不安神経症』だろう、と。見るものすべて、聞くものすべてに不安を感じ、さらに理由に不釣り合いな強い不安を感じるという。
およそ2年、毎日10種類くらい薬を飲んでいるが、つらいのはほとんど変わらず、処方薬の中の頓服で唯一こころを平穏にできるくらいである。耳栓必須。
相談所に行くことで、ほぼ詰んでいるという確認ができただけでも良かった。
長いのに読んでくださってありがとうございます。
速やかに生活保護を受けよとのご助言、ありがとうございます。家族との関係がグチャグチャになり親に小言を言われ親戚に恥を晒すくらいなら黙って困窮する、それが私の答えなので生活保護は選択肢に(ほぼ)ありません。
傷病手当金について診断書の記入はもっと安価だろうとの情報も、ありがとうございます。健保に確認します。
彼がいるという微妙に無駄なような情報は、都内にいたい大きな理由の一つだからです。友人もパートナーも失って要介護の弟と、弟を溺愛する両親のところで寂しい思いをするくらいなら彼の近くで困窮したい。
→可能性がある、という書き方が悪かったです。結婚を前提にお付き合いをしている方というだけです。まだ日が浅く、「結婚したい!」とお願いできるほど進んだ関係でもないし、困窮したまま籍を入れるつもりはありません。
生活相談センターのようなところとは、ここに書いてある自治体です。共産党の方とかに連絡取ったら助けてもらえるかな…下のリンクはビッグイシューのサイトが開きます。
https://bigissue.or.jp/action/guide/tokyo_housing/
社協にも相談の電話をかけたけど「コロナにかかって困窮した、でないと通らない」と断られた。
死にたい度合いが時期にもよるのも疾患の一部なのでさっさと死ねなくて申し訳ない。さっさと死ねと言われると、そういえば自分は死ぬつもりで最初ここに書いたんだと思い出す。思い出させてくれてありがとう。有り金はたいて初めての極寒地で眠剤飲んで寝ながら死ぬのがやはり最も簡単だろうか。
16:16 共産党事務所に電話したら「わたしの名前を出して交渉してください、どうにかなるはず」と議員さんに言われて、福祉事務所にいくところです。結果次第ではその土地の人には申し訳ないがそこで自死させてもらいます、それ以外に選択肢がないから
まずはスペック。
・恋人なし女27歳
・現在は実家だが引越し予定あり。兄妹と同居予定だが金銭的に頼れる相手ではない。
・高卒
上司からのパワハラを受けたり、八つ当たりされたり、それが原因で萎縮してミスを連発して仕事できないお荷物扱いを受け、泣きながら出勤することも多々あった。
今月、原因不明の嘔吐により仕事に行けなくなり、処方された胃薬を飲んでも胃痛が治らなくなった。
一ヵ月経つ現在は嘔吐こそなくなったが、食事をするたびにお腹が痛むため、未だにアルコールや揚げ物、カフェインを控えてる。
胃に関しては近々胃カメラを飲んで検査をする予定だが、恐らくストレスだろう。
胃のことがあり、2週間以上仕事を休んでたためか、先日上司から「3月末で辞めて欲しい」旨を伝えられる。
辞めることはいいのだが、辞めた後どうしようと考え、調べた結果、以下を検討。
・辞めた後すぐ働く
・職業訓練校に通う
・失業保険を貰う(90日)
【辞めた後すぐ働く】
しかし再就職後すぐに解雇されるリスクもあるので、すぐ働く選択肢も捨てがたい。
身体のこともあるし、少し休んでから働きたい気持ちはあるので、保留。
【職業訓練校に通う】
ただ、私が受けたのはポリテクでも人気のIT系だったので、倍率が低い科を選べば可能性はあるかもしれないが…多分みんな同じことを考えてるだろう。
90日の間に何度も試験を受けられるわけじゃないので、あてにはできない。
【失業保険を貰う(90日)】
コロナの影響で失業保険の特例があると聞いたが、コロナが理由の解雇じゃないと適用されないらしい(現在は)。
【失業保険を貰う(300日)】
特定の疾患の診断書があれば、失業保険の給付期間を300日に伸ばすことが可能らしい。
ただ、適応障害や他の病気だと診断される可能性もあるので、この方法は確実ではない。
失業保険を受給する際の注意点がある。それは給付額が直近6ヵ月の給与で決まることだ。
給料を貰った日数が11日以上だと、1ヵ月扱いとなるので、この先3ヵ月にまた身体を壊すなどして休んでしまうと給付額がかなり減る。
また胃を壊してもまずいし、家族がコロナの濃厚接触者にでもなったら終わりだ。
現在、額面17万しか貰っていないので、少しの休みが命取りになる。
……しかし、私に限らずコロナ禍で自宅待機や病欠になる可能性も高いのに、この基準だと困窮する人も多いんじゃないか…。
ただし、問題点がある。
傷病手当金は「直近一年」の給与から平均を計算する。つまり、私のように1ヵ月ほど休んでいた期間があると、その期間も含めての計算となるので、支給額が減る。
元々が7割(私の場合は11万ほど)なので、これ以上減ると生活が困難となる。
非課税とはいえ、保険料と年金は払う必要があるので、11万以下ではさすがに生活ができない。
傷病手当金で足りないお金を補填する制度も、生活保護と障害者年金しかないようだ。
もちろん、アルバイトはできない。
みんなどうやって生きてるの?
ちなみに、傷病手当金受給時は失業保険のように、年金を免除することができないので注意。
調べれば調べるほど、将来が恐ろしくなった。
私はこれからどうなるのだろう。
【パターン1】
1.メンタルクリニックに行く
(退職日は14日後にする。民法では退職の意思を雇用側へ通告した日の14日後に必ず退職できる)
(在職中の最初の支給対象日から数えて最長で1年6カ月目まで、元の月給のほぼ3分の2が支給される。)
※退職後に国民健康保険に加入した場合でも、続けて受け取れる。
【パターン2】
2.退職届を内容証明郵便で職場に郵送(退職日は14日後にする)
源泉徴収票や離職票を郵送で送ってもらうように請求する旨の手紙を同封
【パターン3】
2.丸投げ
【シュチュエーション別対応】
■上司が家まで来る
→体調不良で実家に帰ったことにして居留守、本当に実家に帰る、gotoを利用して欠勤中ホテルに連泊する