はてなキーワード: 酸素とは
元増田に触発されて、大学時代に自分が自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車や警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分の人生ではそれなりに重要な位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。
大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。
その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分の発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分が発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。
そのうち、何か現実で失敗して大きく自分に失望する出来事があったとき、自殺を試みるようになった。
ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり、意識が覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。
ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウムの絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティ用ヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。
他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。
そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。
定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分の身長以上ある遊具にロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。
その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。
上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。
その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。
そして大学を卒業して働き始め、自分が発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。
今でも猛烈な希死念慮や破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分が社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分の人生を肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分は自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情と消滅願望を色々な方法でごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。
この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたから消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分の人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分の人生をコントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)
そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。
ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分の人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間がゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間の気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。
こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急や警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単に死ぬ」という現実を悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単に死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。
以上、供養です。おわり
二次創作活動をしている。気がつけばツイッターのフォロワーもそこそこいて、ピクシブのフォロワーもそこそこいる。ブクマやいいね、リツイートも結構貰う。
販売会でも持っていった本は完売できるし、通販も二日三日で売り切れてしまう。
きっと、そこそこなんだと思う。
ある程度の創作者が、誰かに見てもらいたい、理解してもらいたい、賞賛してもらいたいって願う、その立場に近い位置にはいると、自分でも思う。
ただ、怖い。
たくさんの目が怖い。
もともとごく少数の知人に見せるために創作をしていた。それこそ二次じゃなくて、一次で。
それがいつのまにか二次にはまり、しばらくするとぼちぼち良い評価を貰うようになって、それが嬉しかった。ツイッターもやっていないあの頃、十ついたブクマに友人に見て見て、と嬉しそうに報告していた。
ある時、爆発的に評価された。
その作品は、その万を超えるであろう創作のあるジャンルの中で、ブクマ数順に並べ替えて上から数えればすぐに見つかる程だ。
嬉しかった。純粋に嬉しかった。こうなればいい、ああなればいい、絵空事の妄想がここまで評価されたのだ。気がつけばフォロワーも増えていて、いいねとブクマは投稿してから時間が経った今でもポツリポツリと伸びる。
そこからだった。
作品を上げれば、一定数は必ずブクマといいねを貰えるようになった。
嬉しい、と。そう思っていた。
認められている、共感されている、評価されている。それは創作者が必ず願うことで、嬉しいに決まっている。
ただ、一度疑ってしまった。
なにを言ってるんだお前は、と自分でも思う。でも違うのだ。フォローしてくれている人が、上げて数分もしないうちにブクマをする。それは、本当に内容を見て、素敵だ、好きだ、共感できる、と思ってくれたのだろうか。この人の作品なら間違い無い、と思い込みのブクマじゃないだろうか。
このブクマ数は、いいねは、自分の作品の正当な評価なのだろうか?
人間だから、誰だって依怙贔屓してしまうと思う。その贔屓の対象になっていないのか、不安で仕方ない。自分は本当に、この評価に値する作品を創作できているのか、分からない。誰も教えてくれない。かけてるよ、すごいよ、と言ってくれる人はきっと贔屓目で見てくれているからだと、一度疑ってしまった自分は、信じられない。
フォローしないで、と思う。自分を見ないで、と思う。見て欲しいのは作品だ。そこに自分を入れないで欲しい。
最近創作をし始めた人に、相談される。ブクマが伸びない、いいねが伸びない、閲覧数が増えない。どうすればいい、と聞かれるのだ。
その人からすればきっと、自分はその人の憧れの対象なのかもしれない。
いい子ちゃんで優等生の自分は、「人目なんて気にして創作しちゃダメだよ。他人の為の創作じゃなくて、自分の好きなものを創作しよう」と模範回答をする。
最初の一つこそ、正当な評価かもしれない。けれどもだんだん、usersタグに引き寄せられて色眼鏡評価が増えてるのかもしれない。この人の作品だから、という評価かもしれない。
自分を見ないで欲しい。
フォロワー多くていいな、と言われても、やめてほしい。違うのだ。自分はただ、創作したいだけなのだ。評価して欲しくて創作を始めたんじゃない。私にとって創作はもう呼吸と同じもので、息を吐けたからと言って賞賛して欲しいわけじゃない。ただ、吐き出した息に混じった酸素を誰かが吸うのかもしれない、そう思って世に出してみただけだ。
たしかにそう願う時もあったはずなのに。
いつから人の目がこんなに怖くなったんだろう。
そんな面倒くせえ感じなら創作やめちまえ、と思うが、やめられない。
今日は朝起きてから何となく片付けと洗濯から始まった。片付けといっても自分の場合は部屋が恐ろしく汚いのでここ数日は部屋に散らばっている服なんかを集めてゴミ袋に入れてばかりだ。最近、買った本によると片付けが苦手な人はスペースで片付けようとするよりもジャンルで片付けをした方がいいらしい。
埃をふんだんに溜め込んでいた布団もなんとか捨てた。まずは、布団が寝るよりも他人を家に呼べるようにする環境づくりの方が優先される。
そうそう。昨日の夜に、洗濯槽洗剤(酸素系)を洗濯機に溶かして仕込んでいたんだけど、全然汚れが取れていなかった。ちゃんとぬるま湯を貯めてとかしたんだけどなぁ。。そんなに汚れがたまっていなかったという事で納得しておこう。
幾分か、石鹸の香りが残ったままの洗濯機でそのまま洗濯をして、その間に自分の洗濯もシャワーで済ませた。髭抜きを使うようになって、わりと大金をはたいて買ったパナソニックの5枚刃シェーバーの出番が無いが、どうしたものか。まぁ、どうでもいいか。
それから、ビタミン剤やら鉄剤、亜鉛、コンサータを飲んでYouTubeで動画を見ていたら、洗濯も終わったので干した。
バスタオル用の幅広のハンガーにTシャツを二つ折りで干すやり方を最近導入したんだが、なかなかいい。
今日は小雨も降ってるし湿度も高いので、衣類乾燥用除湿機も動かしておこう。
さて、あとは壁と洗濯機の間に挟んでいるダンボールもそろそろ捨てておかねば。ダンボールを適当にまとめ、地域指定の物置がある場所へ。小雨が降っていたので、発展途上国の女性が壺を持つ時そうするように、ダンボールを自分の頭の上に置いて持って行ったんだが日頃の運動不足のせいなのか100mくらいの距離で腕の筋肉が悲鳴を上げてしまった。手を上に上げてるだけでこんなに疲れるとは。
それから、映画を見たかったので地下鉄に乗り近くの映画館へ。今現在、映画館に入ったところだ。気分が乗ったら感想を書くかもしれないが、とりあえず今はこのへんで。
父が肝臓がんの症状によって脳症になっていると診断された。
がんはもう手遅れ。高齢のため本人に告知もしていない。
って言うか、自宅で1人でフラフラになってトイレにいくにも困難な状態だったのに、病院に行くことを拒んだらしい。
なんとなく、自分で体調を把握していたのかも知れないと思ってたけど、入院して少しすると家に帰りたいと言い出す。
ちなみに、衰弱しており、酸素も、カテーテル?も手放せない。寝て自分で歩いたり起き上がることもできない。
こんな状態で、連れて帰ってくれと言われる。
まだ、本人がはっきりしているなら、少しは考えられる。
だけど、妄想のようなまざった出来事を話して、私と母に殺されると、言われてしまう。
つらい。
ここ数日は、連れて帰る気がないなら、殺してくれ。早く殺せと、小さな声で恨み言を言われる。
介護タクシーがあるとも聞いたが、家には起き上がりベッドもないし、家についたとたんに病院に帰るしかないように思う。
それでも、まともに考えられない状態になっている父の希望に答えるべきなのか。
冷静に病院で、このまま恨み言を言われたほうが良いのかな。誰だって、家で安らかに死にたいよね。わかってるけど、わかってるけど、肝性脳症ってこんなにもイライラと攻撃的になるのかな。
しんどい。
■追記■
ありがとうございます。確かにメリットデメリットでしか考えられていないですよね。
8月末に余命は数週間と、言われ介護認定にも間に合わないようなことを言われました。
改めて主治医に聞いたところ、口から栄養が取れないため退院も無理。今は車イスにも乗れずストレッチャーでの移動も体力的に厳しいため、本当なら一時外出も賛成とは言えない。と言われました。
またホスピスでも、今の病院でもターミナル期は過ごせると聞くことが出来ました。
ただ、本人の強い希望なら命の限界が来ても家に少しでも帰してあげたいと言う気持ちになりました。急いで家に電動ベッドをなんとか用意したいと思います。
ありがとうございました。
「自分の頭で考えないで狂った教祖の言うことを聞くからああなってしまった。自分の頭で考えることができたらあんなテロ教祖に従わなかったに違いない」
という文脈で多用された。
馬鹿か? と思う。
「自分の頭で考えたからアホなことを言い出すやつ」というのは枚挙にいとまがない。
残念ながら「自分の頭で考えた結果、差別して何が悪いんだ。あんな奴殺した方がいいんだ」と頭の悪い結論に達して障害者を殺しまくったクズがつい最近いたばかりだ。
無知だったり、考え方が偏ってたり、事実に基づいてない知識で考えたら、どんだけ自分の頭で考えても無駄。
「自分の頭で考えた結果、余計ひどい結論に達する」連中ばかりなのが、ネット社会で白日の下にさらされてしまった。
ネオリベ、ネトウヨ、ネトサヨ大体このフレーズが好きであるが、大体偏った人間が使いたがるが、大体トンチンカンな考えを弁護する場合に使用される。
この傾向はもっと前からあって、小林よしのりが、さんざん多用していた論法だが、「小林よしのりを特に疑え」などとあれだけ言っていたが、
実際にはアイヌも戦争犯罪も嘘デタラメのプロパガンダで、ネトウヨヘイトのインキュベーターだった。
「自分の頭で考えろ」だけど、どうやら「自分の頭で考えた結果の誤答」については無防備になるようだ。
そんな奴いねえよ。
自分の頭で考えて行動してるやつしかいないのに、「俺は自分の頭で考えて判断してるんだ」とどや顔するのも恥ずかしい。
私は酸素を吸って二酸化炭素吐き出し、好気呼吸してますってのを自慢げに言うぐらい馬鹿らしい。
その程度の事なのにことさらそんなことを自慢げに言うやつは、大体「お前は自分の頭で考えてないから別の結論になるんだ」と言いたいだけではないか?
鼻呼吸って難しくない?
鼻だけで呼吸してたら息苦しくない?
子供の頃から思ってる。ちっちゃな頃から口呼吸。油断するとだらしなく口開けちゃう。
進撃の巨人みたいになっちゃう。身長160センチしかないのに巨人になっちゃう。
あ〜〜、この世界、生きるの、息苦しくない? 宇宙空間じゃない? 2001年宇宙の旅のようなものじゃない? 真っ赤な宇宙服着せられて。
俺たち抑圧されてるよ。鼻呼吸こそが正しいというこのセカイに。
鼻の空、口の夏だよ。電撃大賞だよ。ラノベで当てて一発逆転ヤットデタマンしたいさ。
口呼吸だったらウイルス感染やドライマウスなどの様々なリスクあるのは承知だよ。
でも、酸素供給量って鼻の穴みたいな貧弱な穴じゃちょっと微じゃない? 微くいでしょ。
意識して鼻呼吸だけにしてるとすげー荒くなるんだよ。排気量の高いバイクみたいになるんだよ。
カワサキのニンジャだよ。ONEの漫画に出てくる一瞬でやられて主人公にルサンチマン募らせるタイプのキャラクターみたいになっちゃうんだよ。
ここは集合知の掃き溜めインターネット。鼻呼吸の美しく快適な方法を誰か。空へ。
鼻呼吸めんどくさ。
2日間で暮らしを建て直す。
ペーパーでトイレ掃除をする(3分) 陶器の便器に石みたいなのがついていて汚れが落ちにくい→アマゾンでサンポール注文した
②洗濯機1回目 洗濯槽の掃除からしないとなんかかび臭い→過炭酸ナトリウムと洗濯洗剤で空洗浄した。(今日は短縮30分) 12時終了予定
12;00になったので、とりあえず脱水
④家事タスク時間管理のタイマーがなかった。スマホでもいいけど使い勝手が悪いから専用に購入しよう→アマゾンでタイマー注文した。
⑤デスクの上の掃除 定位置が決められないものをどんどん隣のエリアに移していく。
掃きだして、片づけていけばいつかは全体が収まるだろう。そもそも物量はそれほど多くないのだから。
デスクの上の清掃完了。にきびの薬とか日焼け止めとか化粧品類が結構デスクにある。これをとりあえずサイドテーブルに移す。
マイクロSDとか定位置決まらないけどとりあえず引き出しに投げこんで後で考える。
これでデスクは片付いた。
デスクの上と同様、大物をとりあえずエリア外に出して、不要物、ペットボトルや瓶など洗濯物を所定の位置にもっていく。
PC周りの配線は根本的に手入れが必要だけど、今はとりあえずおいておく。
掃除機で綿埃を吸う。あとはフローリングを水拭きすればだいぶマシになるはずだ。
だが信頼できる雑巾がない。今洗面所にある雑巾で床を拭くと雑菌播種行為になりそう
→バケツに雑巾と次亜塩素酸ハイターを入れて雑巾の信頼性を高める。濃度と温度のレシピがないけど適当にやる。
ここも大物をエリア外に出してごみを拾い、掃除機をかけて水拭きする。
⑧洗濯機2回目開始 13時15分 靴下とかパンツの口ゴムがあるものをとりあえず常温の水道水で洗う。
洗濯洗剤と気持ちだけ過炭酸ナトリウム追加 意味があるかどうかは不明→14時まで放置
おなかすいた・・・けど食糧があんまりない。とりあえずレンジでご飯炊くようにだけ無洗米をセットした。→14時まで放置
⑨順調なのですこし油断が出てきた。ここで気を引き締めなければ。クリーニング関係とアイロン関係と重要書類関係の山がある。
床を片付けているとカバンとか皮革製品がある。これの手入れをどうしたらいいかよくわからない。
水牛底皮のリュックは、とりあえず無印の皮革用クリーム、っていうやつをウエスで塗り込んだ。悪くない。
ついでに靴も一足略式で磨いた。皮革製品の手入れは何をどうしたらいいか未だよくわからない。クリーナーとクリームと靴墨と防水スプレーがあるけど・・・コロンブスから何か高いものまでどれを買えばいいのか。。。
⑩洗濯3回目開始(15:15) 2回目では靴下15足、パンツ8枚を洗浄。 3回目ではTシャツ、タオルなどを投入 →16時まで放置
少し飽きてきた。綿のハンカチ3枚アイロン掛けして仕舞う。台に平置きにしていたのでアイロンかけは楽だった。
⑪17:00洗濯三回目終了、バスタオルとTシャツを干す。4回目を投入、ワイシャツ2枚と枕。枕は防ダニとかで目の細かい布なので水が沁みとおらない。なんとか空気抜きながら酸素漂白剤入りの洗濯機に突っ込む。でも完全に沈まない。あとで天地返し必要。
⑫暑さも落ち着いてきたので買い出しに出よう。食料、水その他。その前に今の状態だと無精髭が伸びていてびっくりされるので髭を剃っていくことにする。無駄だけど社会参加税と思う。
⑬20:00 買い物終了。少しばててきた。今日はこのくらいか。あとは寝るまで大きくバタバタしないようにしてはやめに寝よう。