はてなキーワード: 白髪とは
正確には、「髪の毛を寄付に出すべくバッサリとやってきた、今日明日で関係機関宛に発送するつもり」だが。
クリスマスイブだが当然のごとくぼっち。起きたのだって14時過ぎだ。頭が軽い、そしてちょっとかゆい。髪の毛先が寝癖で曲がって頭皮に突き刺さって後頭部とかがちくちくするのだ。超久々だ、こんな感覚。
そう、もともとロングヘアに憧れもあったが、ひょっとしたら髪が長い方がまだちょっとくらいモテるのではないかという下心も淡く持ちながら、この6、7年ぐらい髪を伸ばし保ち続けてきた。
だがそれももう終わりだ。
6、7年どころか上京してこのかた連続クリぼっち記録を更新し続けたまま三十路に突入して白髪も散見される今、もうモテとかほざいてる場合でもないし、正直ロングヘアは手入れが面倒くさいし、その手入れに凝ること自体が楽しかった時期もあったのだがそれを脱して以来負担でしかなかった。巻いたり結ったりで遊びもしたが、ちょっと仕事で忙しくしていたら気がついた頃には背中を覆う長さになっていて巻くにも結うにも洗うにもあまりにも手間がかかった。長すぎる髪というのは単に結んだだけで垂らしておくと椅子に座った時に背もたれと背でサンドされるので身動きすると一瞬クビがグキってなって鬱陶しい上に、まとめて団子に結っても結いきれず自重で崩れやすいのだ。おまけに美容院では染めるにもパーマにも長髪料金を取られる始末。完全に持て余している。
しかしこれだけ苦しめてくれたのに、何だかんだで愛着はある。無いわけがない。苦楽も虚無も共にしてきた己の身体の一部である。モテこそしなかったが同性からの「長い綺麗な髪」というお世辞もとい褒め言葉もそこそこもらってきた。
それを年末大掃除の断捨離の一環として切って捨ててはいスッキリさっぱり、でおしまいにはちょっと出来ない。
かねがね考えて来たのだ。こんなもんを一体どうするべきか。
聞いた話では怪我や病気やその治療で髪がダメになった未成年に贈られるかつらになるのだとか。順番待ちの列が長蛇らしいし、手に入った子は大事にしてくれるであろう。
いやむしろ下手に大事に丁重になどしてくれなくても良い。宝物を扱うようになんて全然してくれなくていい。生やし主の私でさえ別に宝物としては扱って来なかったのだ。毎日被ってジャンジャン使って早々にダメにしてほしいし、その時のために私は私でもう一回髪を寄付に出すべく再度の育毛に励んでいく。どうせクリぼっち記録を更新し続けるさだめの薄給ちょっぴり激務職の身の上、またすぐ「気がついたら腰の長さに」みたいなことになるに決まっている。
ただ、今回だって放ったらかしの伸び放題にしていたのだが、特に不足していると言われる51cm超えの採髪には至らなかった。それだけが悔しい。次は是非長髪を寄付して、「頑張って結っても崩れる団子の虚しさ」「染髪の楽しさと飽きの早さ」などをどこかの誰かにお届けしたい。
軽い頭と見慣れない鏡が晴れ晴れと寂しいので、増田に書いておく。
追記:
トラバやブコメをたくさんありがとうございます。何やら「賢者の贈り物」などと洒落たブコメも頂戴している。わーい。そういやあれクリスマスの話でしたね。
幼い頃は「髪はまた伸びるけど時計は買い戻せなければおしまいだ、おじいさんやお父さんからもらったものなのに割に合わなくないか」などと思ったりしておりまして、っていうかついさっき青空文庫で原典読むまでずっとそう思っていたんですけれども、読んだらびっくり、奥さんの髪の長さ半端ねェ。
膝丈。膝丈ですってよ。
腰まで伸ばすのにも(途中ちょっと整えるのに切ったりしたけど)6、7年なのに、膝って。今ざっくり測って計算したら、身長154cmそこそこの短足ブスのわたくしでさえ、バッサリやった今から膝まで伸ばすのに8年かかると出たよ。欧米人の身長じゃもっとじゃないの?
そりゃ奥さん髪売った直後ちょっと涙目になるわ。私と違ってめっちゃ手入れして大事にしてたみたいだし。売値20ドルだし。20ドルて。クリスマスなんだから200ドルくらい弾んでやれよって感じだよ。
というわけで、はっきり言ってわたくしのごときズボラなキモくて金のないおばさんにはもったいない喩えでございます。でも俄然ファイトが湧いてきたというか、こうなったらダメ元で膝丈目指すしかないだろ的な心境になってきた。新年から足掛け8年計画で金時計の似合う殿方に相応しい女を目指していく。頑張ります。
のだった。
アラフォーに突入し、このまま自分は人の温もりも知らないまま死ぬのかと考えると恐怖に襲われ、いても立ってもいられずせめて風俗ぐらいには行こうと決意したのが約1年ちょっと前。
真性包茎を自力で脱するのに3ヶ月かかった(余談だが、風俗嬢達の真性への憎悪はベルリンを蹂躙した赤軍が蛇蝎の如く忌み嫌ったという武装SSもかくやと思わせるほどの怨念に塗れていることが様々な掲示板で伺える)。
全国各地のソープ街から候補をリストアップするのに2ヶ月、勇気を貯めるのに3ヶ月、予約に一週間を要した。もう季節は初夏だった。
多少のフォトショ修正や騙しは覚悟していたが、むしろ良い方向に騙された。仮名で渋谷凛と呼びたい。心の中でそう叫んだ。
初めて触れた女性の、渋谷凛(仮名)の掌も唇もただただ、温かく柔らかかったのを今でも憶えている。しかしそこが限界だった。服を脱ごうとしたところで激しい悪心に襲われた。当然、そのような状態で立つものも立つわけは無くひたすらに体調不良を詫び切り上げた。7万円は15分で消えた。
数日、いや2週間ずっと落ち込んだが考えてみれば自分はLv.1にも満たない雑魚なのだ。ひのきのぼうしか持たない雑魚が渋谷凛(仮名)に勝てる訳なんて無いのだ。まだ、夏は終わってない。
二度目の挑戦で同じ店に行く勇気はなかったので、普通的な魅力のある(と思われる)島村卯月(仮名)の元へ行った。どうして普通に若くて可愛い子がこんな仕事をしているんだろうかとこの世界の不条理に疑問を抱かずにはいられない。
結論から言えば立たなかった。手や口や、触れたことも無かったような場所が触れているにも関わらず、だ。彼女は自分のせいだと落ち込み、様々な提案をしてくれたが実を結ぶことは無かった。何かをしてくれる度に「島村卯月(仮名)、頑張ります!」という幻聴が聞こえてくるようでただただ、辛い時間だった。だが彼女は本物の島村卯月(仮名)ではなく、やはりソープ嬢なのだ。立たない男とソープ嬢の二人きりというのは虚しさを越えた何かを感じる時間だった。2/3ほど過ぎたことを確認し、非礼を詫びて退出した。5万円が消えた。
三度目について語る言葉は少ない。流れで言えば本田未央(仮名)になるのだろうが、予約が取れたのは城ヶ崎美嘉(仮名)だった。
立たないのは禁欲が足りないのだと、二週間溜めて臨んだが女性を目の前にするとあれほど溜まった欲が何処かへと霧散してしまう。
笑い飛ばしてくれる分、気は楽だったが職務に忠実な彼女の時間を無駄に奪うことは自分が許せなかった。3万円が消えた。また、冬が来た。
私はずっと童貞を捨てたいと思っていた。ただの素人童貞でも構わなかった。童貞を揶揄し小馬鹿にして消費する非童貞の仲間入りを果たしたかった。
しかし愚息はそんな心の卑しさを見抜き、真の心を映しだした。
待合室に並ぶ男の容姿を憶えているだろうか。カロリー消費効率が著しく悪そうな体躯、白髪すら生えずに禿上がった頭、同性でも距離を取りたくなる男たち。彼らにすら抱かれなければならないアイドル(仮)を貶めたいのではない。彼らと比較され、剰え憐憫の情を抱かれたらという恐怖が澱のように沈殿していたものの正体だった。
あの客よりも小さい、あの客よりも下手、そんなことを客商売の人間が口に出すわけも無いが、そう思うかもしれないという可能性自体が恐怖だった。
一時の感傷だと割り切るのは容易いのかも知れない。だがこの気持ちを失えば、私は今よりもさらに底辺に沈むことを半ば確信している。
温もりなんて知らない。だって、もう触れない。
母方の祖母が着物をくれた。まだ生きてるんだけど、足腰を悪くして、もう着られそうもないからと生前贈与。私じゃなくて母にくれたんだけど、母もあまり着そうにないので、将来的には私のものになるだろう。祖母は母と私より小柄なので、少々チンチクリンだったらどうしようかと心配だけど、趣味のいい人だし、結構な値段のものを買っているようなので、かなり良いものじゃないかと期待している。(っていうか母は自分でもらって来たのでどんな着物か分かっているはず。)
が、これの使い道がなくて困っている。とりあえずこれを着る権利の持ち主は母なんだけど、若かりし頃美人と言われていたわりに、化粧にもお洒落にも無頓着である。いちばんキレイといわれて然るべき年代に私と弟の子育てに追われ、父の安月給で家計をまかなわねばならなかったから化粧や洋服に手間と金をかけるという発想がない。でもその頃は若くて白髪もなく、そんなにこてこて塗りたくる必要のない肌をしていたので、当時を知る小学生時代からの友人は「○○ちゃん(私のこと)のお母さん、キレイ」と母ばかりを褒めたたえ、娘の私のことは一言も褒めてくれない。
それはさておきさすがに70歳を迎えると肌にシミが目立ち、眉毛も手入れをしないとボサボサ感が目立つ。髪の毛も染めてないけど中途半端に白髪なので手抜きしているようにしか見えない。娘の目から見ても、多少手をかければ「上品で素敵なお婆さん」に見てもらえそうなのに惜しい。私は祖母の着物を着てみたいけど、まずそれより先に母にその着物を着せたい。「勿体ないから着なよ!」というと「そんなのどこに着ていくの?」と言われる。確かにそんなに気張って出かける場所はない。歌舞伎のチケットでも買ってあげれば着物を着て出かけようとか思ってくれるのだろうか。歌舞伎のこと全然わかんないけど、海老蔵の出る演目でも選んで、「分からなかったら海老蔵の顔でも鑑賞してなさい」とでも言うか…。
あと3年もすると金婚式を迎えるので、その時に着せて記念写真など撮るのもいいかと思うけど、お金をかけて形式ばったイベントをやるのがキライなので、そんな提案をしても却下されそうだ。どうでもいいっちゃどうでもいい悩みなんだけど、着物が好きな人って一体どこに着て行っているんだろう?本人も「いい着物をもらったんだから着なくちゃ」という意識は薄々あるようで、着付けの練習用の安い着物は買ったらしい。元々着付けの基本編は分かっている人なので、あまりフォーマルでない着物に柔らかい帯を締める分には自分で着られる。フォーマルな硬い帯で飾り結びとかするのは難しいみたいだけど、金婚式みたいなイベントなら美容院で着せてもらってもバチは当たらないと思う。くだらない話で恐縮だけど、いいアイディアがあったら教えてください。
自分はまだ19歳くらいの頃から精神年齢は変わってないつもりだけど、いろいろ老いを感じることが多くなった。
老いを受け入れたくはないが、スマホの画面が近くで見えなくなった。
あと、白髪。ちょっと前から白髪の1本1本をカミさんに切ってもらっているけど、もうしんどいと言ってる。
あと、顔のシワ。特に目尻。
体力的には、まだ変化を感じることはないけど、運動すれば感じるんだろうな。
しかたないかもしれないけど、登山で言うと、下りなのかな、と思う。
今日、18歳の娘に、もう50歳のおじいちゃんだからね~と軽く言われた。
実際はまだ47歳なんだけど、自分は19歳の頃、50歳というと、娘の言う通り棺桶に片足突っ込んでてもおかしくない年齢って感じだった。
もう自分は、客観的にそんな歳になってるんだ、とあらためて思った。
これからどんどん坂道を転がり落ちていかないようにしないといけない。
ただ、救いは「x × y=1」であって、自分の老いと子どもの成長は反比例のイメージで、自分の養分が反比例で子どもに移っていく。
いい意味で子どもが1人の他人になっていく感覚を今すごく感じると共に、自分の肩から力が抜けていく感覚。そんな今、鏡を見ると、歳相応に老けてんなあ、と。
俺はこれまでの人生で半年だけ無職だった時期がある。ネカマをやっていたのはその頃のことだ。26才だった。小人閑居して不善をなす。まったくその通りだと思う。つまらない人間に暇を与えるとろくなことをしない。
きっかけは2ちゃんだった。当時、俺は2ちゃんに入り浸っていた。ある日、表現規制について議論になった。その時に誰かが俺に言った。
面食らった。俺を女だと決めつける奴が現れたのだ。その時はネカマだったわけではない。向こうが勝手に勘違いしたのだ。俺はなんとなく楽しくなり、そのまま女として振る舞った。すると誰もがそういう前提で話しかけてきた。議論そのものよりそっちが楽しくなった。
それから俺はネカマに目覚めた。しばらくは2ちゃんが主戦場だったが、やがて色々な場所に書き込むようになった。ツイッター、チャットルーム、増田。ネカマをやっていていちばん驚いたのは、なんと言っても食いつきの良さだ。ツイッターでの反応はたぶん男女で百倍ぐらい違うと思う。どんな下らないつぶやきにも一定の反応があった。男は基本的にアグレッシブだ。この世に草食系なんて実在しない。
俺はこの「入れ食い状態」が楽しくてたまらなかった。それまでネカマなんて最低の変態野郎だと思っていたが、いざやってみたらこれだ。ネカマは麻薬みたいなものだと思った。俺はネカマをやることによって歪んだ承認欲求を満たし、さらに女を演じることにより、倒錯的な快楽にも目覚めてしまった。いちどこの沼に浸かると、なかなか抜け出せない。色んな男がいた。とにかく会いたがる奴、画像を送れとうるさい奴、下心が無いことをやたらとアピールしてくる奴、どぎつい下ネタを吐き捨てて消える奴。
気付くと俺は8人の女を操っていた。ゆき、さとみ、みわ、けいこ、まさみ、れいな、あい、めぐみ。
その中のひとり、さとみについて。
彼女はツイッターの鍵アカだった。8人の中でいちばん素の俺に近かった。特にキャラを作るわけでもなく、俺の本当の生活や趣味を、性別だけ偽って淡々とつぶやいていた。
それでも話しかけてくる男はけっこういた。大抵は他愛ないリアクションから始まるのだが、こっちがリプを返すと、相手は一瞬にしてテンションを変えた。自戒を込めて言うが、本当に男は単純だ。露骨なエロ目的の男もいた。下着姿の画像を送れと言うので、ネットで拾った適当な素人投稿画像を送る。すると今度は別のアングルが欲しいと言う。また適当に拾って送る。男は「体型が違う」と指摘してくる。やべえ、バレた、ブロック。
不毛だ。こんな不毛な行為が他にあるだろうか。しかも俺は無職だった。仕事を探せ。
そんな中、ある男とDMで話すようになった。彼は古典芸能のマニアで、女流義太夫というかなりマイナーな分野に精通していた。実は俺も女流義太夫のマニアなのだ。大学の時にこの世界を知り、一気にのめりこんだ。知らない人にどう説明すればいいだろう。人形浄瑠璃の人形が無いバージョンと言えば伝わるだろうか。義太夫と三味線の二人だけで演じるのだ。
ある日、俺は上野に義太夫を見に行き、あまりに感動してさとみのアカウントでその想いを興奮ぎみに連投した。彼はそれを見て話しかけてきたのだ。
さとみ(俺)と彼の交流が始まった。彼は京都に住んでいた。彼の古典芸能に関する知識は凄まじかった。さとみ(俺)は彼を師と仰いだ。それまで俺には義太夫を語り合える相手がいなかった。だから喜びもひとしおだった。彼とは古典芸能の話だけをした。それ以外のプライベートなことには全く触れず、ひたすら女流義太夫の素晴らしさについて語り合った。義太夫の声の唸り、絡みつく三味線の繊細な響き、そのアンサンブルの素晴らしさについてDMで何時間も語った。そんな日々が3ヶ月ほど続いた。だんだん俺は後悔するようになった。俺がさとみであることに。俺は彼を騙しているのだ。こんなに深く語り合える相手なのに。罪悪感に押し潰されそうだった。最初から男として知り合っていれば、こんなことにはならなかったのだ。一緒に観劇もできたかもしれない。終演後にビールを飲みながら語り合えたかもしれない。
俺は決意した。彼に本当のことを話そうと。それで関係が終わるならもう諦めるしかない。怒られたら誠心誠意あやまろう。俺は彼にDMを送った。実は男であると伝えた。悪気はなかったが、結果的に騙していたことはたしかで、その点については深く反省している。後悔もしている。もっと早く言うべきだった。そういう旨を伝えた。何度も何度も推敲して、どうにか気持ちが伝わるように書いた。たぶん無視されると思った。それも仕方ないだろうと覚悟していた。でも予想に反して、翌日に返信が来た。
驚くべき展開だった。私もずっと罪悪感を抱えていました、いつか本当のことを言わなければと悩んでいました、だからあなたが男だと知った時は逆に嬉しかったです、これでオアイコですね!
どう返信したらよいかわからなかった。あまりの衝撃に指が震えた。キーボードがうまく打てなかった。すぐに彼女から追加のメッセージが届いた。
「来週東京に遊びに行くので、お暇なら一緒に義太夫を見に行きませんか?ちょうど面白そうな演目を見つけました」
もちろん俺は暇だった。何せ無職だ。時間は腐るほど余っている。余りすぎてネカマになったほどだ。俺達は会うことになった。当日、現れたのは白髪混じりのオッサンだった。
「いやー、反撃してやろうかと思って。僕も女に化けてみたよ!」
オッサンはそう言って豪快に笑った。その笑顔はとびきり優しかった。恥ずかしい話、俺は落涙しかけた。
オッサンは京都のけっこうでかい会社の役員で、かなり立派な人だった。俺達は一緒に義太夫を見に行き、帰りにビールを飲んだ。オッサンは俺が無職であることを本気で心配してくれて、色々と親身になってくれた。ネカマの件は一笑に付してくれた。その日を境に俺はネカマをやめた。どうにか転職もできた。来月、今度は俺が京都に遊びに行く。またオッサンと一緒に義太夫を見に行く。
お迎えが苦痛。学童に寄って保育園に寄って、これから寝て朝家を出るまで、寝ている間以外ノンストップ、とにかく私がやらなきゃ何も終わらない、終わらないどころかただただやることが増え続ける時間の始まり。
お迎えから帰って夕食作って食べさせて、食べ散らかしを片付けて食器を片付けて掃除して洗濯して邪魔されながら干して、宿題見て本を読んであげたり遊んだりしてもうお風呂に入りなさいと言ってお風呂に入れて、お風呂ぐっちゃぐちゃになって自分はろくに浸かれず洗えず水滴垂らして震えながら子どもに暖かい服を着せて、化粧水もはたけず子供らの保湿をして歯磨きさせて、怒涛のうちに寝かしつける。寝る間際まで子供はママ聞いてママ聞いてと話し続けている。自分も寝落ちしてしまう。
そして朝になったら自分が最初に起きて朝ごはんを作ってせかして食べさせて着替えさせてウンチのオムツ替えて食べこぼし片付けて食器片付けて掃除して家を出る。
これが毎日毎日続く。職場ではほうぼうに頭を下げて仕事に追われ家では育児と家事に追われ、自分なんてどこに行ったのか。白髪だらけの髪、ガサガサでシミだらけの肌。へたった去年のユニクロの服。涙も出ない。虚ろな目の私。
いつかこれも思い出になるのか。
これが母親の尊い役目だなんてクソ食らえだと思う。尊さよりも自分の時間をくれ。落ち着いてトイレに入れる時間をくれ。子どもが食べるメニューだけじゃなくて自分が食べたいものを食べさせてくれ。
私は夜中に出歩くことはあまりないのだが今日は用事があって夜の街を歩いてみた。すると自転車に乗った小学生の集団と遭遇する。どうやら塾の帰りらしい。こんな時間に子供が街をうろついていることに驚いたがこれが現代社会なのだろう。
用事を済ませ夜食を買おうと近所のコンビニ入ると白髪頭のオジサンが働いていた。50代後半ぐらいだろうか。制服の胸に「トレーニング中」の名札をつけていた。リストラか病気で失業したのだろう。未来の自分の姿を見るようで胸が苦しくなった。
人はなんのために生きているのだろう。子供の頃は夜中まで勉強し社会に出たら仕事のストレスで潰される。運が悪いと失業して夜中のコンビニで働くことになる。趣味を楽しむことも家族や友人と過ごす時間もない。ただ働いて金を稼ぎ、食べて、クソして、寝るだけの人生。どうすれば幸せになれるのだろう。