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はてなキーワード: 庵野とは

2023-08-10

anond:20230810104409

シンカメ見た後に庵野に期待できるの本当にすごい

anond:20230810103902

ナウシカ原作が至高だから……

冗談抜きにマンガの最終完成形だと思ってる。あれを超えるマンガは出てこなかったし今後も出ないと思う。

頼むから庵野監督原作ナウシカ映画化してくれ。

2023-08-06

アマプラでシン仮面ライダードキュメンタリー見たけど、間違って雇っちまったアクション監督のコレじゃない感な出来の仕事に、庵野が諦めるまでの過程を描いたものになってて辛かったわ

2023-08-03

anond:20230802190754

もちろん出演してる人にとっては誇らしいし外部からはそう見えるのだろうけれど

BGMとか妙に重々しいナレーションとかが地元民としては全く好きになれない。

だって日常もの歯磨きくらいの。

重々しくナレーションされてもなんなん?って感じになるじゃん

たとえ私が宮崎監督だの庵野監督、あるいは総理大臣くらいのわかりやすい偉業をなしとげた人間だとしても

はぁ?見せ方ってもんがあるやろ?ふつうのじいちゃんがハァ磨いてるとことってなんぞたのしいんか?

歯並びが至高でなくてわるかったのぅ!歯に挟まった肉筋とれたわもうおわりがらがらぺっ!

っておもうとおもう。

道行く人もクーポン券切れるの明日だっけ?くらいのことしか考えてない。

  

北朝鮮の発表みたいにしないでほしい、クソダサ!って思ってるよもちろん外には出さないけど

2023-07-24

宮崎駿終活君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか感想

具体的なネタバレはそれほど無いと思うが、作中のかわいいキャラクターのみ個体言及する。








一言で表すならば、眠りの浅い時に見た夢。


ナウシカラピュタトトロ魔女の宅急便紅の豚もののけ姫ハウルポニョ、そして風立ちぬといった宮崎駿歴代作品イメージボードブンブン振り回されて巡らされた。

宮崎駿終活を見た。



呆然とした。

映画が終わった時には、なるほどね、と口から漏れていた。何故広告を打たなかったのか、得心したからだ。むしろ広告が打てなかったと言う方が正しいのではないかと思う。



ストーリーが訳がわからんかったのは別にいいというか、この作品自体が夢みたいなもんだからどうでもいい。

まず引っかかったことの第一台詞回しが説明的だったのに結構ダメージを受けた。

映像だけで説明できているはずのシーンで重ねて行動の意図を口に出して「今この台詞言う必要あったか?」となったのが、覚えている限り少なくとも二回はあった。

今まで宮崎作品ではほとんど感じたことのないものだ。

他にも感情の流れの描写がなく、どうにも唐突に結果だけが放られる台詞が多かった。細田守彷彿とさせる台詞回し。辛かった……

私はキャラクターへの共感については特に必要性を感じない方なのだが、感情の流れだけはしっかり描いてほしいと思っている。その流れがブツブツ途切れていて、最後に繋げたい結論だけを口にさせていて、気持ちが悪かった。

それも意図的なのかもしれないが。




第二にショックだったのは、ワラワラがただ可愛いだけのゆるキャラだったこと。

駿の中にはもうマスコットになりうる「可愛くて、でも不思議な」キャラクターはいないんだなと痛感した。

安直でなんの捻りもない造形には、宮崎駿原体験自然の中にある生命伊吹を感じることができない。そこに「いる」必然性は描かれず、ただ丸く、かわいい、特徴の廃された「マスコットらしいマスコット」でしかない。

子供向けにフックとしてマスコットが要るだろうという「思いやり」もしくはジブリと言えばという商業要請から出されたキャラクターしか感じられなかった。

DNA螺旋なことは分かるが、それにしたって安直デザインには宮崎駿の興味・関心が感じられない。

まあそこは今の宮崎駿にとってはどうでも良かったのだろう。でもシンプルながら風変わりで、動物幼児の見せる原初感情愛嬌を細やかに描いたキャラクター達を愛していたので、個人的にショックが大きかった。



現在宮崎駿の中で鮮やかに表現されるのは、戦争であってファンタジーではないというのは今作を観て強く感じられた。

最も切実にこちらに訴えかけるのはやはり空襲のシーンであったし、街が燃え、人が炙られ彷徨うシーンだった。

主人公が自らを傷付け、結果二兎を得るが上手いこと加減できず割と深い傷になる小賢しさと迂闊さも少年らしく良かった。

背後に不穏さが漂う陰鬱現実こそが「今」の宮崎駿なのだろう。現代情勢から必然だろうとも思う。



私は宮崎駿の、普通エンターテインメントに乗りきらない切実で繊細なものを、エンターテインメントという砂糖をまぶして結実させ、本来ターゲット外の人までより広く世に送り出す手腕にこそ心酔していた。

風立ちぬ」なんかはその真骨頂で、あん純文学を大々的にお出ししてきたのは正気ではないと思いつつ狂喜乱舞したし、そこに込められた宮崎駿の諦念を目の当たりにし、これで創作活動を終いとするのは悲しすぎると涙した。庵野が棒すぎて頭に入らないから嫌と内容以外の部分で周りに否定されたのも悲しかった。



結果的に言うと「風立ちぬ」は宮崎駿終点とはなり得ず、私の望みは叶えられた。

君たちはどう生きるか」を鑑賞し、ここまでただ狼狽した心情を書いてきたが、今の宮崎駿に非常にショックを受けつつも、なんとなく心穏やかになった部分もある。

宮崎駿作品から既にひりついた表現への欲を感じなくなったのは、それはそれで救いであるとも思う。

そういう意味では、私にとっても「宮崎駿」への餞というか、終活になった。


どんなに作品の底に込めた意味があろうと、こちらに伝えようという意思が感じられない、というか作品を観ながら「伝えたかったもの」を考える余地がある、物語に没入できない時点で出来の悪い作品と考えているので、作品単体で言うと★1なのだが、監督宮崎駿ということを加味すると★3になってしまう。

君たちはどう生きるか」を宮崎駿ではなく、例えば米林宏昌あたりが作っていたら私は激怒し、オマージュ大義名分ジブリブランドを体良く利用して棄損するなと気炎吐き散らして暴れ回っていただろうが、宮崎駿ならばこれを作る権利がある。

それだけのものを今まで私たちに贈ってくれた。



そして、ここまでグチグチグダグダ書き連ねながらも、もし万が一にも次作があるなら絶対観に行ってしまうだろう。

観客なんて勝手なもんである


あと、米津好きだけど宮崎駿には合わなかった。ジブリにはもっと現代の売れ線とは関係のない歌と共にあってほしい。

2023-07-23

はてなー「すずめは駄作!」「シン仮面ライダー駄作!」 「君たちはどう生きるか駄作!」

新海、庵野パヤオダメて…どーすりゃえーねん

やっぱお禿?はてなーGレコとか好きそうやしな

みんな忘れるなよ、ジブリ映画アマプラやらないから

なんか庵野映画とか細田映画みたいな感覚でいると、

君たちはどう生きるか」下手すると金ローでやるまで見れなくなるぞ。

もう配信なれしちゃってて、しばらく待てば見れるわ、って感覚でいると後悔するぞ。

2023-07-20

anond:20230720160547

宮崎映画で「熱く」語ることなんてあるか?

毎度サブカル崩れがわかったようなこと言うだけやろ

なんだかんだ庵野あたりの映画とはちゃうんよ

2023-07-18

anond:20230718173351

庵野にしてやられたと思った宮さんが、俺でもそんくらいできるわって勢いで作ったのが今作。

anond:20230718165131

これからネームバリューのあるドル箱監督作品広告打てなくなるのが広告業界としてはヤバそう

新海、庵野はこのやり方いけるでしょ

2023-07-17

俺は庵野として生きるけど君たちはどう生きるか

ちょっと庵野好きすぎんよ~。

ってことでいいんじゃないか?

駿は庵野になりたかったんだよ。で観想を見ると成功した。

駿が庵野好きなのは風立ちぬ周辺から一般人でもそれとなくわかってると思う。

んで今度はさらに、ちゅうか最後庵野みたいな作品も作りたくなったんじゃね。

庵野なんかさーエヴァから始まってリブートまで、ゴジラはよかったけどウルトラマンライダーもすっげー駄作じゃん。

一般人が見たらぽかーんでつまらない作品。でもオタクどもがうぞうぞ集まってアレがコーでコレがアーでオリジナルのあれが~当時のあれが~ってめっちゃ勝手にワイワイしてつまらない自己満足視聴者にわからせるつもりが無い作品のいいとこ探しをそれこそ一生一所懸命にやってくれんの。そしてそのためにはわかんね~って言う見下せる一般視聴者必要なのね。

対して駿はわかられすぎ。一般人にわか作品を出してヒットして徹底的にわかられてやんの。

千と千尋ハウルももののけもみんなエモさを感じてテーマを感じて子供から大人までわかるわかるしてんの。

それこそ振るわなかった過去作品までさかのぼってわかるわかるされてんだよ。駿丸裸。

その成功には鈴木御大の手腕が大なところもあるだろうけど、駿本人はわかられすぎて不満もあったんじゃね。

ミステリアスさとか俗人とかけ離れた理解されないセンスとかさ~。もしかしたら駿は欲しかったのかもしれない。もうちょっとかられたくなかったのかもしれない。

駿は鈴木とわれわれ凡百な人々によって俗物に引き摺り下ろされたんだよ。一般人ウケるヒットメーカー世界の駿。

世界ウケる監督としての評価はあるけど誰も寄せ付けない天才さら天才、誰が彼の作品100%わかるのか?という軸には行かなかった。

庵野はそっち方面に居て、ここ最近さらに先鋭化していってる。

庵野が好きな駿もそっちに行こうとしたのでは。娯楽ヒットメーカーに飽きて、遺作だし好きにやろうって部分も大きいだろうけども。

そもそもそういう庵野化の兆しポニョであった。あったよね?歌のヒットを除けば過去作品ほどわかるわかるされてなかった。一般人にはこれって…?て観想もままあった。

君たちはどう生きるかではついに抑えていたいろいろな何がしかのタガが外れて駿が好きに作った作品になったわけだ。


あとはわかるな?

エヴァやシン仮面ライダーウルトランのときと同じだ。

よくわからない、あまり面白くなかったといった観想を一部のしたり顔「わかるマン」が叩いて回って俺はわかるぞと崇高な考察をあげつらう。一般人はいやでもつまらんし駄作だ。っていって反論はわからいか駄作ってやれやれ…と高みから見下す。いつものアレ。

駿、あん大成功だよ。今頃大爆笑してるよ。俺は庵野のような作品を作れたんだって。いやいや作ろうとして作れるのはやっぱ天才だよ。駿すごい。

駿の庵野化には作品だけではダメでそれを見た視聴者ちゃん庵野作品のような反応をしないとダメだった。そしてはてなだけを見てもそれは成功してる。俺が、俺たちが駿の生きたい方向に駿を押し上げられたんだ。

今まで俺たちは駿にとってシンに嬉しい視聴者じゃなかったかもしれない。でも遺作としてこうやって最後にわからない駄作と論じる視聴者になることで駿が喜ぶ視聴者になれたんだ。おめでとう。おめっとさん。

駿、よかったな。お前の最後映画、クソ駄作だぜ。庵野よろしくな。

anond:20230717190034

同じく何の映画かさっぱり分からなかった

面白いかどうかと言われると俺の好みではない引き合いに出されてる庵野のシン仮面ライダー面白かった

でも老婆を見て考えさせられはした

anond:20230717100058

イマジナリー宮崎駿メタ庵野のこと考えるのやめなよ、一度だって会ったことも話した事もないのに。

最近宮崎駿庵野のことしか考えてないだろ(ネタバレ

君たちはどう生きるか、あれはエヴァQ世界を戻そうと躍起になって破滅したシンジ君と同じように壊れた庵野に「世界なんて作り直さなくて良いんだ!ただそうなってしまった世界でよく生きれば良いんだ!」と伝えるためだけに作った作品でしょ

風立ちぬ庵野使ったのもQ作ってメンタルになった庵野ケアのためとか言われてるし、もう宮崎駿ポニョ以降は庵野のためにしか仕事してない

で、そのメンタルケアが功を奏したのか、シンエヴァも結局君たちはどう生きるかと同じような、世界肯定とそこでよく生きることをシンジは選んだし

普通に風立ちぬメンタルケア成功したんだから君たちはどう生きるか作る必要なかったでしょ

なんで俺たちはまたシンエヴァ観ないといけなくなったんだよって気分

逆に言えば、今の生き生きとした庵野がこれからも続くのであれば、もう宮崎駿は新作を作らないだろうな

それくらい宮崎駿って最近庵野のことしか考えてないなって気がした

君たちはどう作るか

宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』を見てきたんで、ある程度ネタバレありで感想書きなぐっておこう。

ネタバレありだからね。

正直、観る前に想像してたより悪くなかった。

テンポも悪くないし、人間関係に緊張感もある。

作画が徹底的に心象風景に寄っているのも、職人芸の趣があった。

火災とか草原の描き方なんて、ゴッホともセザンヌともなんだか判らんけどとにかく印象派的に歪みまくっていて、主人公の高熱に魘された夢のような心が伝わってくる。

田舎の家も、当初は主人公の内心の萎縮ぶりを示すかのように何もかも巨大で、玄関なんてどこの古刹の大伽藍かと見紛う巨大さであり、今に残ってたら家ごと国宝になりそうだ。

もちろん、本物はせいぜい田舎豪農レベルなのだろう。

心象風景として東大寺大仏殿並の巨大建築に見えているだけである

敢えて心象風景とわかるように表現している事で、主人公が実際には父の後妻を嫌っていない事も想像がついた。

なぜならすんごく清潔感のある優し気な美女として描かれているかである。嫌っているなら心象風景でそうはならない。

初対面から一目ぼれレベル主人公は慕っていたのだろう。

でまあ、作品は途中から塔の中パートと、塔の外パートという二輪構成で進んでいくのだが、

まあ、なんだ、ここから批判が多くなる。

まず塔の中パートだが、なんというか、とにかく意味があり過ぎる。

これは褒めてない。

宮崎駿もののけ姫辺りから、やたらと意味のあるものを描こうとするようになってしまってるように思える。

1シーン毎に意味があり、多分本人に質問すれば「このシーンはこういう意味がある」と全部答えてくるだろう。

まり寓話的で哲学的記号的で、イソップ童話とか不思議の国のアリスとか、そういう感じの、「意味の塊」として作品を作ってしまっているのが塔の中パートだ。

ハウルとか千と千尋とかでも顕著だったけど。

これの何が悪いって、妄想が爆発してないのである

ムスカラピュタの雷をぶっぱなしたシーンに意味なんてないだろ。王蟲がペジテのドーム食い破ったのも意味なんてないだろ。

あいう爆発するほど格好いいシーンに意味なんてないのだ。

「どうやお前らこんな凄えの見た事ないだろ。俺も見た事ないから作ってやったぞ。見て驚け。」

という作り手の妄想の大爆発なのだ

妄想を爆発させるためにそこには当然無理がある。歪みがある。そのシーンを効果的に描くために、他のシーンで入念に爆発物を積んでいる。

その無理、その歪みが、ある人には滑り、ある人には刺さるのだ。

本人が見せたいのは爆発の部分だが、関係なく歪んだ部分が受けたりする。それが創作快感である

ところが、この作品含めて後期宮崎はその「見た事ないだろ」をやらない。庵野もだけど。

なぜなら、名前が売れて裁量が大きくなった事で、作りたいものを作れるようになったからだ。作りたいものは作ってしまい、もはや「こんなの見た事ないだろ」が無い。

庵野はその無理のなさを、その歪みの無さを、オタク知識で埋めてシン・ウルトラマンやシン・仮面ライダーを作った。

そこにはTVエヴァのような溜めに溜めた便秘解放のような妄想の爆発は無く、無い物を何とか絞り出した感のある細長いウンコしかない。

一方、宮崎駿はそれを哲学記号で埋めてこの作品の塔の中パートを作ったのだ。これは最早宮崎駿のバランス感覚のみで構成された世界から、やたらとデジャヴがある。

もののけ姫と変わらずに「鎮まりたまえ~鎮まりたまえ~」とやってるし、千と千尋と変わらずに仕事やらされたり禁忌に触れて怒られたりしている。

でてくるのもやたら思わせぶりな妖怪連中である。思わせぶりなだけで、記号であるために特に伏線とかない。どういう存在説明されてフェードアウトする。

エンタメに徹するなら、塔の中はクトゥルーばりの別の星・異星文明でも良かったはずだ。せっかく宇宙から飛来した謎物体的な設定があるんだから、一気にスターウォーズ世界になっても良かったのだ。

そこから進めて、「現代日本主人公の迷い込む異世界として描く」まで手が伸びても良かったはずだ。

ところが、そういうエンタメに走らず、やたら寓話的な見たような話で埋めてしまうのが今の宮崎駿である

ブチ切れるセンス・オブ・ワンダーではなく、賽の河原の石積みみたいなひじょーに心象的なもので埋めてしまうのが今の宮崎駿マイブームである

そういう「意味」だけで構成されたパートからストーリーなんてあって無きがごとしである。断片的な寓話職人芸でつなぎ合わせた取り留めのないタペストリーである

一方、塔の外パートは違う。庵野と同じく、オタク知識で埋めている。

人力車描写一つ、言葉遣い一つ、看板一つ、食事のお膳一つから、「当時はこうだったんだぞ」という聞いてもないのに披露されるオタク知識臭がする。

多分、キャノピー実在ナントカ式とかそういう裏打ちされた設定があるんだろう。田舎がどこの県のどこの地方かも絶対決まってるねありゃ。

っつーことで塔の中パートより終わってる感のある塔の外パートだが、そこで主人公父親が妙な存在感出してるおかげでかなり良くなっている。

というのも、この父親ある意味主人公と後妻という二人の問題元凶と言える一人であり(まあ、亡くなった実母の方がより存在感は大きいが)、更に経営者であり金持ちで何でも自分で決めてしまタイプ

というジブリ作品ちょっと見ないタイプキャラからだ。

こういうタイプは、通常は出て来ても悪役なのだが、この作品ではそれを悪役として描かない。塔の外の部外者として描く。(大叔父と血のつながりもないし)

そんなわけで、このキャラについては宮崎駿の才能の爆発が感じられるのである

経営者であり第一線でもある、という後期宮崎駿が手にした立場意図せずに作り上げた鬱屈爆薬になってこのキャラに込められているのだろう。そのせいで、後半になって妙に生き生きしている。

主人公の心象にだけフォーカスするなら、後半の塔の外パートは要らなかったはずだ。少なくとも、もっと小さくなり、警察とかが来て事務的に進むのがセオリーだったはずだ。

しかし、おそらく宮崎駿はこの父親を描くことに創作快感を感じたのではないかと思う。

なんかもう藤井聡太ばりに全く失着を犯さず最善手を打ち続ける主人公の代わりに、

この父親勝手にやらかすし勝手決断するし部外者でありながらガンガン行くしで、

前半には明らかに狂言回しだったこキャラけが、後半に「キャラ勝手に動いた」を感じさせるのである。作中で唯一、記号を感じさせないのがこの父親である

そんなわけで、ち密に意味を積み上げて作り上げたであろう全体の印象を、後半の父親がぶっ壊して変になっているが、その父親がぶっ壊した所こそが個人的には最も見ごたえがあった、という何とも評しがたい作品である

まあ、悪くなかったよ。

でもね、道徳副読本を作りたいんでもなければ、作品作る時はもっと一点の妄想・一点の美意識に全賭けしましょうや監督

宮崎にしても富野にしても庵野にしても

若者はもはやこいつらの作品なんて見てないのになんで若者説教したがるんだろう

2023-07-16

君たちはどう生きるか』の考察ゲームに対しての個人的意見 ネタバレあり

アオサギ鈴木敏夫」は確定情報ではないが、「鈴木敏夫のような油断ならない存在友情を育むことの尊さ」は紛れもなくあの映画存在していた。

映画のもの感想というよりも、映画を通して広がった考察ゲームに対しての感想みたいになってしまうが、私が言いたいことを一言で終わらせるならコレになる。つまり以下はその補足説明であり蛇足だ。

外野元ネタ探しをするほどに「解釈」の本質からは離れていく

映像の奥から表現たかった感情」を引き上げるために、元ネタとなった事象のものを言い当てようとするのは正しい過程ではない。

それはまた別のゲームであり、通常の考察と同じ枠組みでやるようなことじゃないはずだ。

眞人が自分を傷つけることによって周囲をコントロールしたことについて、宮崎駿引退詐欺元ネタであるかどうかを推理することに深い意味はない。

そもそも人間には誰しもそういった悪意がある」というのは、別にアニメ映画監督だけに限らない普遍的出来事であるというのは落ち着いて考えれば分かることだ。

巨大な塔が存在し、その支配者は老い後継者を探しているという話について、ジブリの内情をモチーフにしていると言い切れる要素はどこにもない。

アニメ業界全体の話かもしれないし、昭和から平成まで続いてきた価値観が変わりつつあるという話なのかも知れない。

作品が何を語ろうとしているのかを考えるときの補助線として造り手の実情を考えるのはいいのだが、「答え合わせが出来ない以上は試し書きの補助線でしかない」ことはちゃん意識するべきだ。

この切り分けが出来ているか重要なんだと思う。

物語からメッセージを読み取ることを投げ捨てろというわけではない

元ネタ探しをしても仕方がないとは言ったが、物語からメッセージを受け取ることを完全に拒否するのも間違っていると思う。

多くの物語はそこに寓話性があり、造り手なりの思うところがあって語られている。

たとえその始まりが「戦闘機をカッコよく飛ばしたい」「戦車を戦わせたい」のような画作りを主目的としたものであっても、その中で人間を動かしていくうちに「戦争悲惨さを描こう」「戦いを通じて育まれ友情を描こう」といった方向性が生まれてくるものだ。

実際の所、それらは多くの場合祈りのようなもので「勇気を持てば道が拓けると信じたい」「本質を見抜けないものは失敗して欲しい」「誠実であるものが救われて欲しい」といった願いの共有に近い。

時にはそこから反転して「でも現実はそうじゃないよ」「悪い奴ほどよく眠るんだよ」といった嘆きが語られることもある。

物語一貫性を持つためにはそういった精神的支柱必要なのだ

「大いなる力には大いなる責任が伴う」という支柱がなければスパイダーマンスパイダーマン足り得ないのである

それを受け取ることを拒否すれば、鑑賞者の頭の中で物語を崩れないように積み上げていくのはとたんに難しくなる。

君たちはどう生きるか」は問い詰めているのではなく問いかけているんじゃないか

このタイトル過剰反応して「うわーお説教だ―」となっている人をちょこちょこ見かける。

でもこれって問いかけぐらいでしか無かったと思うんだよな。

名前元ネタとなった本もそうだったし、この作品もまたそうなのだと感じる。

そしてその答はなんでもいいんだと思う。

主人公は「汚れ無きもの時間をかけて積み上げることは理想かも知れないけど、そうはならないから清濁併せ呑んで生きていく」と決断した。

無数の有象無象が生きる世界を見て回った後に、詐欺師のような友人を引き連れてそう宣言したたことで物語方向性が確定した。

より理想的な世界を求めた大叔父の夢は壊れてしまったが、その夢を実現する手段に辿り着けなかっただけで夢を持ったことそのものが間違いだった訳ではないのだろう。

インコの王は本質を見つめることを理解しないまま大雑把なことをして塔を壊してしまったが、それでも塔の外でデカインコとしてそれなりに暮らしていくのだろう。

自分理想通りに生きられるかは分からないけど、決断が迫られるときは来るから自分なりの準備はちゃんとしておいた方がいい、でも出来なかったからと言って何もかもがお終いではないよというぐらいの感じか。

母との再会・別れ・そしてアオサギとの友情

変えられるものと変えられないものの話なんだと思う。

何が元ネタだったか考慮するのではなく、描かれようとしてた哲学が何だったのかを考えていくのならば。

自分気持ちをがむしゃらに伝えれば、まだ生きている母親を取り戻すことは出来た。

必死に頑張ったけど、もう死んでしまった母は取り戻せなかった。

アオサギとは敵同士のようでもあったけど、最後には友人になれた。

最初の印象に引きずられてずっとアオサギといがみ合っていたらこうはならなかっただろう。

でもアオサギがその気持ちに応えてくれたのは嘴の穴を埋める木を直した後からだ。

本当にアレは偶然の出来事で、もしも最初からピッタリ嵌っていたらアオサギは本当に飛び立っていたんじゃないだろうか。

たまたまもう一度作り直して貰おうとしたことが、あの二人が友人になるまでの最後の一押し分の時間を与えたように見えた。

あの友情は偶然の産物でもあるし、同時に二人の意志によるものでもある。

自分意志で変えられるものと変えられないものがこの世界にはあるが、もしも手に入れたいものがあるなら諦めずに進まないいといけない。

「それは宮崎駿が結果を出した人間から言えることなんだよ」と言いたい気持ちはあるにはあるんだが、結果を出している人間の口から聞かないと受け入れにくい言葉でもあるなと。

元ネタ探しを辞めても作品とは向き合える

作品をどう解釈していいか迷ったとき元ネタを探せばいいんだという風潮がいつからか生まれていた。

それはエヴァンゲリオン解体新書日本中で書かれ出してからいよいよ熱病のように広まったように思う。

特に最近庵野監督が何かと話題になったので、作品考察とは元ネタ探しであるという考えはオタク業界において根強い。

それは一つのゲームとして面白くはあるんだけど、考察とはそういうものであるとは思わないでほしいんだよな。

まして単に感想を述べたいだけなのに元ネタ探しをする必要があるなんて勘違い絶対にしないでほしい。

世の中にある物語の95%は元ネタなんて探さなくてもストーリー背骨さえ見いだせれば話の内容はなんとなく分かるように出来ている。

かに途中で話が変な方向に向かうことはあるけど、展開の矛盾だとかご都合主義だとかの野次飛ばしたい気持ちを抑えて、大筋自体を素直に受け入れれば自ずとそれは見えてくるように思う。

考証ぶったクイズごっこや、食通ぶった矛盾探しばかりしてないで、まずは物語を素直に楽しんで欲しい。

君たちはどう生きるか』の感想を見ているとついついそう感じてしまう。

おせっかい老婆心なんだろうけどさ。

anond:20230716115735

君たちは〜をシンエヴァパヤオ庵野に置き換えても通用しそう

というか改変コピペだったりしない?

「このアニメ映画メタファー作画しか褒められる所がない」

細田「そりゃ終わってるな」

新海「酷すぎる」

駿「業界の衰退だね」

庵野「恥ずかしくないのかね」

山崎「僕なら引退するね」

押井「才能が枯れたんだろうね」

富野若者可哀想

水島おまんこ舐めたくなるキャラは任せろ」

高畑文化が失われているね」

今敏「なんでここに高畑くんが?」

くぅ~~~~廃れました~~~~~

2030年 庵野宮崎監督の最新作「弱者男性はどう生きるか」

「無理、死んだ方がいい」

「甘えてるんですよ」

現実に戻れ」

anond:20230714205336

この映画宮崎駿によるブラタモリジブリ元ネタ大公開スペシャルなんだと思った。

夢と狂気の王国」の引退会見前のシーンを見たらわかる。

宮崎駿ホテルから見た都会の家の屋根ですら冒険活劇の舞台夢想する。

はいまりましたブラジブリ

もう映画最後なんでね、描きたいことは全部やり終わってるんで、今回はわかりやすく直球で、アイデアの元になった風景を紹介しようと思います

庵野特撮原風景とか言ってますけど、私はあれと違って現実を見て描いてますから

戦争とき宇都宮引っ越しましてね、父親戦闘機を作っていて・・・

・・・

それで宇都宮にあった配水塔を見てね、この下にはなにがあるんだろうって、

どこかとんでもないところに繋がってるんじゃないかという気がしていたんですね

・・・

近所によくいた鷺を毎日見ていたらね、ある時話しかけてきたんですよ

・・・

船に乗って水の上を進んでいってね、ここは死後の世界なんじゃないかって

・・・

まあそれは石との契約でね、禁忌を侵すとそういうことはよくあるんです

・・・

はい!見てわかったようにね、私は現実を見て作ってきたわけですから

私にフィクション映画なんて作れないんです!終わり!

2023-07-15

君たちはどう生きるか」は新エヴァ劇場版(シンエヴァ以外)へのアンサーでは?(ネタバレあり)

または時期的にはエヴァQを見た宮崎駿庵野への激励と呼ぶべきか、仮にエヴァ破滅の道へ落ちた時に世界を救うための保険と呼ぶべきか

君たちはどう生きるか最後、石のてっぺんで眞人は大祖父が手にした世界を作る能力を引き継ぎ世界を作り直すより、地獄のような、バランスを失った世界へ戻り、その世界で友を作り、よく生きることを誓う

Qで世界を作り変えることに固執し、破滅へ向かうシンジとは正反対

地獄のような現実でも、それを受け入れ、友を作り、家族を愛し、よく生きれば良い

それで良いのだと庵野に語りかけているようだ

鷺をあんジジイみたいなキャラにしたのも、もしかしたら眞人(庵野)に対する嘘つきジジイ宮崎駿)という立ち位置にしたかたかもしれない

私は君の友人だと

ただ、結果論としてはこの映画は作る必要がなかったのかもしれない

奇しくもシンエヴァ庵野君たちはどう生きるかと同じ結論に辿り着いていたからだ

なんというか、心配したり、結局同じこと考えてたり、やっぱ師弟なんだな、この二人は

と思いながら観ていた

スラダンは何回も観たけど、これは2回目はないだろう

あと、デート向けではない

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