はてなキーワード: デイケアとは
経過を綴る
・やめる前1年半くらいから、やる気の起きない状態 1ヶ月前からは不眠の症状がでる
・退職後 掲示板で有名なNメンタルに通う デパスを服用 失業手当の中で本格的な通院を開始
・以前より仕事ができない原因を発達障害と疑い、その特徴を自分と照らし合わせ、一致が多かったため、クリニックで、ADHDの疑いを診察時に相談。
・即、ADHD診断が出て、ストラテラを服用 同時にカウンセリング開始 検査はしないのか?
・カウンセリングではリワークを勧められる 自立支援制度の利用を勧められる 就活に影響が出る可能性を考え懸念したが、いままででそういう人はいないということで、利用開始
・掲示板でADHDの検査について知る、カウンセリングの中で話を聞くとやっと検査をすると 1枚のシートを渡され記入
・後日やはりADHDと言われるが、どの部分で判断したのかは明言せず
・うつ症状の改善のため、お金的に厳しいのであれば、週2回でもリワークに通うよう強く勧められるようになる
・週2回通うようになると、スポーツなど他の曜日にも出るよう勧められる
・通院し、自習室で自分に必要なスキル、勉強をするようにも勧められる 利用するだけでリワークと同じ値段がとられるので、固辞
・カウンセリングを中止される
・他の病院でWAIS-3,ロールシャッハ、PFスタディを受ける。発達障害と診断
・その結果を他院でも見せて、やはり発達障害と診断 信頼できる文章を書いている先生だったので、ここで様子を見てみようと思う
いまここ
○まとめ
最初のクリニックについて、検査もせずにADHDと診断書まで書く病院を信用できず、検査をしないのか再三問うたが、WAISの一言も出てこなかった。
にもかかわらずリワークに出ろとカウンリングの度に勧誘する。カウンセリングはリワークへの出席勧誘の手段であったと途中で気づいたが、他の訓練的なものもあったため、
そのことはおいといて、リワークは言われる最低限の出席をしたが、勧誘され続ける。それをかたくなに拒んだ結果、カウンセリングの打ち切りを言い渡される
いくつかの病院に通って思ったのが、
・処方箋を書かないような診断は明らかに嫌な顔をされる 非常に対応も悪くなる どこの病院もそう
・発達障害、鬱病などは病院に通い続ける人が多いため、そう診断されやすいし、金づると思われ、デイケア・リワークへの出席が強く勧められる
通わない 他の病院で通っているとわかると、付け入る余地がないと判断し、対応が悪くなる
(脱線だけど、よく行くラーメンやも通う回数が多いとよく声をかけてくれる。商売だからいいと思うけど、病院で商売的なのはどうなのか)
・果たしてデイケア 診察に通って ADHDは改善されるのか 自分なりに気づいて習慣を治してということをやるには限界がある カウンセリングでもめんどくさがられた
以上の経緯から今何をするべきか コーチとして信頼できるカウンセラー 医師が居ない状態
元々疑り深い正確なのもあるので、信頼しないので信頼されない 関係が作れないという構図ができてしまっているため、誰とも仲良くなれない現実がある
この特徴のせいで上記の状態が出来上がってるのかもしれない
3年前、転職をしようとして受けたとある会社から「不採用を無かった事にしてくれないか?」との連絡が来た。
パソコン教室とケータイショップがメインの収益源である会社だが、俺はパソコン教室事業の方で面接を受けた。
バックヤードのシステム担当として面接を受けたが、俺も入社するのなら会社は存続して欲しいし、会社の収益増やせば給与も増えるので面接時に現状のパソコン教室事業をフルボッコにした。
このパソコン教室、巷へ大量にあふれる『パソコン初心者講習』と『MOS資格取得』が主軸のもので、俺はこれに対し「まあ10年以内には収益上げるのは難しくなるでしょうね。20年経てば探して見つけ出すのも難しくなるんじゃないですか?」と冗談めかして言った。
上記の理由はそんなに小難しいものじゃない。以下のとおりだ。
そして俺が付け加えた「むしろ既にMOS資格目的の若者とパソコン初心者講習目的の熟老年は減少傾向にあるんじゃないですか?」という俺の質問に対し人事担当者は「確かにその通りですが我々もいろいろ考えてます」という苦しい表情の中での返答だった。
それどころか、面接中にこの会社は「今後、介護事業へ進出しようと我が社は考えていますがどう思いますか?」と会社のWebサイトに載っていない情報を口にし始めた。
当然ながら俺はこの介護事業進出へ大反対をした。どう考えても将来は斜陽化する業界であるからだ。
この俺の意見に対し人事担当者はまた苦い顔をした。そして面接の場として利用されている会議室は沈黙になった。
俺は沈黙に堪え切れなくなり「いわゆるITリテラシーの上昇がほぼ確信できる状況なので、現状のパソコン教室、検討されてる介護事業よりもITリテラシー上昇に合わせた事業のほうが将来の収益を確保できるのではないですか?」と発言し以下のように続けた。
返答に窮した人事担当者はこの時点で「採用の可否は後日郵送を持ってお報せします」と面接を無理やり終わらせた。
あまりショックではなかった。というか正直な感情を示すのなら「採用されたらどうしよう・・・」という不安さえあった。
このどうしようとは、入社して思いっきり暴れ回り根本から会社を変える勢いで働くか、どう考えても上層部に脳無しが少なからず居る会社で本当に働いて良いのか?という迷いのどうしようだ。
不採用通知はこの迷いから開放してくれたので安堵してしまった。たぶん入社しても大変だったろうから。
いきなり電話がかかってきた。会社名を言われても直ぐには思い出せないくらいスッカリ俺の中では終わってた話だった。
電話先の人といくつかやりとりをしていく中で徐々に思い出し、完全に思い出した時「あの会社ですか!?」と思わず口にしてしまった。
そして俺は少し間を置いた後に言葉を発した。「いや、おかしいでしょ・・・」と。
人事担当は俺の面接をした人で「申し訳ございません。不躾なことをしているのは理解しています。しかし弊社を助けると思ってどうかお願いしたく」と物凄い勢いだった。
すると「実は当初予定していた利用者数より大幅に下回りまして・・・弊社よりも安くサービスを提供するデイケアセンターがいくつも乱立し・・・」とだいたい予想通りの返答が来た。
あまりにも予想通り過ぎたので「そりゃそうでしょ巨大資本が流入すりゃ価格競争になっていって体力の少ないところは価格競争で負ける」といじめてやった。
「えぇ・・・ですから増田さんの知恵を借りたく・・・3年前増田さんがおっしゃってた通りにどんどんなっていき、このままでは弊社は潰れてしまう未来しか見えない」と泣きが入ってきた。
俺は一切協力する気無いので「無理に決まってるじゃないですかボクもうしっかり転職して別の会社で働いてますし」と返した。
「そこをなんとか・・・」というので1つだけ知恵を貸してやった。「ボクがアドバイスできることは、可能な限り早くアナタはその会社から離れたほうが良いということだけ」と。
そして直ぐに電話を切った。
患者が来院した瞬間、受付嬢が「☓☓さんです!」と大声でコールし、整体師たちが一斉に「おはようございます!」と応じる。
居酒屋かよ。
っていうか、何で顔見ただけで名前分かるんだ。
あと、声がとてつもなく大きい。
整体師同士でも、二十代の私に対しても怒鳴るような大声出す。
耳の遠いお年寄りにも聞こえるように大声で話していたら、いつしかそれがデフォルトになってしまったようだ。
整体師「明日はデイケア(ここの接骨院ではそんなことしてない)ですね!」
老人「おぉ、よく知っとるのぉ」
老人「今度でよいかのぉ?」
ツケで受診する患者なんて初めて見たわ。やっぱ居酒屋だろ、ここ。
初診は1600円くらいだったが、2回目以降は600円くらいで済むらしい。
ご老人方は呑み屋感覚で来院しているのだろう。
土曜日に大学時代の友人の結婚式に行ってきた。これで自分以外の女性は全員結婚した。
一方の自分はといえば、一番初めに結婚した友人の結婚式に前後して精神疾患にかかってしまった。
適応障害の診断に始まり、抗鬱剤を飲みつつステージ4まで肝がんが進んだ父親の世話をしていた頃の私は、かなりしんどそうに見えたらしい。実際私は女性にもかかわらず、友人の結婚式にリクルートスーツで参列しようとして友人に諭されてようやくブローチをつけていたぐらいだった。
その後父親が死んでから躁転。自分で何をしているのか何が起こっているのかわからないまま、気がついたら数年前に卒業した大学の近くにある精神病院の閉鎖病棟で手足を縛られた状態で横たわっていた。数週間して個室に移ったあとも自由な外出もままならず、病棟の廊下を死んだような顔で歩き回っている人たちの輪に加わっていた。
その後、半年ほど引きこもり、その間に私の病状を心配した家族から長年住んでいた家から引っ越したのちに、半年ほど精神科デイケアに通った。
そのころから、もう自分は普通の人間(いわゆる健常者)では、なくなってしまったと思うようになった。実際そのころはストレスと精神病薬の副作用による食欲亢進のお陰でBMIが30位上になっていたし、今は父親の遺産や社会で働いていた頃に入っていた保険からでた入院保険金で生活出来ているけれど、いつかは障害年金や生活保護で生活することになるのかなとぼんやり思い始めていた。実際私が通っていたデイケアの利用者の大半は障害年金や生活保護で生活しており、丸々と太っている人たちが大半だった。
いつだったか、ふとその話を母親にした時に、「そんなことがこれからも出来ると思うな。外に出て働け。働くことができなくても復職のために準備をしろ」と言われ、簿記1級の受験のために資格予備校に通った時期もあった。2級受験から5年以上立っていた上に、精神病薬を飲みながらだったから、受験直前期になってやっぱり無理だと思い、受験料だけ払って受けなかったけれども。
簿記1級を諦め、パートで1年働いている間に肥満外来に通って、なんとかBMIを健康的な水準に戻した。その後契約社員ではあるけれども、中堅企業に採用されてフルタイムで働いている。
でも、肥満だった証のだるだるの皮膚を見るたびに、閉鎖病棟にいた現実を思い返すたびに、もう私は普通ではないと思ってしまう。みんな普通に結婚して、子供も産んでいるのに、小学校の頃から結婚して家庭を作るんだ~などとのほほんと考えていた自分ができない立場になってしまった。
職場恋愛をしようとしても、会社には病気のことを隠しているのでできない。外部で婚活しようとしても、妊娠するためには断薬する必要があること、断薬すればまた躁転するかもしれないことを条件に結婚してくれる相手などいやしない。それに楽器演奏と月1のお笑いライブを趣味にしている今が一番ラクだと思っている自分もいる。
けれど、このままは嫌だ、自分にもパートナーがほしい、早く親元から離れたいと思っている自分もいる。でもパートナーは作れないだろうな、ある程度貯金がたまったら一人暮らしして、いきなり紐なしバンジーしたくなっても周りに心配かけないように物品の処分や死後の手続きについて書き置きしておかないと…
これの続き。
前の記事を書いてからいろいろアドバイスをもらって、とりあえずケアマネさんに来てもらったりしたが俺のストレスは減らなかった。
キチガイとなった親父はこの後も頭のおかしい行動で俺をいらいらさせた。
ある日、風呂から上がって全裸の親父とリビングで鉢合わせた時、俺は目を逸らした。
親父はそれを見てて、俺が親父の裸に嫌悪感があることを理解した。
その日の夜、寝かけの俺の部屋に親父は全裸で現れた。
死ねと思った。
前の日記を書いてから、親父を週の半分デイケアサービスに行かせるようにした。
何してるか知らんけど、日中家にいないだけでかなり気が楽だし仕事もかなり自由にできるようになった。
そこでも親父はキチガイ行動しまくってたらしいのでスタッフの方には申し訳なく思う。
かかってきた瞬間俺は期待しまくった。
「お父さんが倒れられて…」
ガッツポーズした。
病院に行ったら親父は死んでいた。
涙は一滴も出なかった。
苦労させられたことや、出て行った母親のことを振り返るとただただ気が楽になったとしか思わなかった。
葬儀屋の言いなりになる人も多いそうだが、一番安く済ませる方法をスマホでググっていた。
ネット依存症か。それは大変だな。
ネット依存症からの回復の方法をネットで教えるというのもなんだか複雑だ。。。
依存症になったということは何か原因があるはずだ。だけど、その原因は自分一人じゃわからないものなんだよ。
じゃあどうするか。
同じ依存症者と話をするんだ。
そして、正直に心を開くんだ。
あなたは、ネット依存症だと人に話しても理解してもらえなかったり、場合によっては蔑まれたりしたことがないかな。
ネット依存症のせいで、人生がうまくいかなくなったりしていないかな。
依存症じゃない人は、依存症の人の気持ちはわからないけど、依存症の人は依存症の人の気持ちがわかってくれるもんだよ。
だから俺みたいな職員が必要とされているし、あなたが本当に依存症なら、一人では回復できないと思う。
だからもう自分はダメだと、本気でそう思うなら、まずは病院の門をたたいてほしい。
関東に住んでいるならアパリク〇ニックとかいいんじゃないかな。
(ネット依存症の人が回復方法をネットで調べるというのも変だけど、仕方ない)
回復の方法自体はシンプルなんだけど、元増田にも書いたように、半年から1年かかる方法だ。
まずは、自分はネットに無力だと認めてくれ。もうだめだと、少しでもネットをやれば人生が思い通りにうまくいかなくなる、そこまできちんと認めてくれ。
そう思えないなら、依存症じゃない、もしくはまだ回復の見込みはない。
次に、回復への意欲を持ってくれ。
自分の力では健康な心は取り戻せないけど、自分を超えた大きな力が健康な心を取り戻させてくれると信じてくれ。
ここまでくれば、ある程度回復の見込みが立つ。
実際こういう風に思えるようになるまで、病院のデイケアを使っても数か月くらいはかかるぞ。
あとは、というかまず最初に何だが。。。Amazonでアルコホーリクス・アノニマスという本を買ってみてくれ。
これに回復の方法が書いてある。
アルコール依存症向けの本だが、どんな依存症もこの本を基本にして回復の方法を作っているといってもいいと思う。俺の知ってる限りだが。
俺に手伝えるのはここまでだ。
あまり力になれないが、できるだけのことは書いたつもりだ。
あなたのためにしばらく祈り続けるよ。
それじゃ。
医療生協や一部の労働組合などは、日本共産党の支持組織なんてレベルじゃない。赤旗を配布するような≒党員がそのまま活動していたりする、共産党そのものと言っても良い組織。
だから、選挙前になると実務そっちのけで党活動したりする職員もいて、最近では勤務時間中の党活動が普通の職員から問題視されたり、裁判になったりしているが、共産党の活動員側は、それを共産党への圧力だと認識してしまったりする。
また、共産党の支持基盤の多くは、そうした党活動が救う「底辺の人達」だ。
支持する理由の多くは、「○○さんが良くしてくれた」などであり、この辺りは自民や民主と変わらない。商店や農家のオッチャンが便宜を図ってくれた議員先生と懇意になるのと理屈は全く一緒。
日本共産党からは「普通の主婦」が出馬することが多いが、彼女らは医療生協や病院が主催するデイケアなどで地道に活動している人で、支持層の知名度は高い。
共産党でもたまに勘違いして、「若年層のアイドル的出馬」をやっちゃう人も居るが、失敗するのは実際の支持層であるジジババから認知されていないから。
とんでもない。
共産党からしたら支持層そのものだし、票田の開拓に他ならない。
何かイベントすると言えば持ち出しになるし、相手は実際に困ってる人であり、893じゃないから生活保護などの上前も撥ねない。
共産党幹部がどんだけ儲けてるかは知らないが、一市議会議員程度では、間違いなく苦労の方が多い。
党活動が趣味だという全共闘の生き残りが減ってきている昨今、赤旗を配る人も少なくなり、支持層と活動員の偏りから未来を感じない党ではある。
http://anond.hatelabo.jp/20110406115718
母85歳、認知障害があり要介護3。父86歳、ピック病で要支援1。私50歳は、ほとんど泊まり込みで、2人の日常生活を支えていた。
母は週4日のデイケアに喜んで出かけてくれるので、ずっと家にいたときよりは、ずいぶんと楽になっていた。
ところが、最近、父のピック病がどうも進行している感じがする。「物事に関心を持たなくなる」という症状が出るのだが、母を預けて私が外出していると、母を一人で残して、フラフラとどこかへ行ってしまうのだ。
父の介護度が上がったら、もう、私の手にはおえなくなると思っていた矢先。
今日、珍しく、夕方から父に用事が入った。母と二人だと母さえ見ていれば、何をしていようと文句を言う人はいない。ガラスのドア越しに母の様子を見ながら、携帯電話で友人と話していた。
家の電話が鳴った。
いつの間にか、母が電話のところまで来ていて、受話器を外すところだった。何を言い出すかわからない。母の手から受話器をひったくった。あおりを受けた母は、そのままよろけ、右足に力を掛けて、そのまま転倒した。
電話の内容は自動音声のアンケートで、別に母に取らせても何の問題もないものだった。
母は「腰が痛い。どこかでぶつけた」という。認知障害があるので、本当の話かどうか判断できない。とりあえず、ひっくり返ったままの仰向けの姿勢から、横になれるよう身体をずらした。
「ちょっと休んでいれば治る」と母が言う。
私の頭の中は(父がいない間にやりたいこと)でいっぱいで、母が寝ころんだまま痛がっていることはたいして気にも止めなかった。
30分経ったので「少しはよくなった? 立てる? 四つんばいになってみようか?」と声を掛けた。
母は動こうとするのだが、痛くて立てないとしきりに言う。
私は自分がやりたいことに戻った。動けないのなら、見ている必要が無い。
1時間経過した。母はおしっこが出ると言い出した。いつも紙おむつをしているので、動けないのなら、そのままどうぞと促したら本当にした。そのあたりで、私は本格的にやばそうだと思い始める。
救急車をと思ったが、あまりくだらないことで呼んでしまって「タクシー代わりに使わないでください」などと言われるような事態になるのは嫌だ。民間の介護タクシーは予約が必要らしい。民間の救急車を検索していたら「救急車を呼ぶほどのことではないが、家族では対応出来ないことに使ってください」と書いてある。病院に救急要請できるわけではなさそうなので、入院先を決められない段階では頼めない。
ようやく、救急車を呼んだ。
入院する場合に備えて、いろいろと準備をしているうちに、到着してくれた。あれこれと手を打ってくれて、母は病院に運ばれた。大腿骨を折っていた。
ご高齢の方には、よくあることなんですよ、と当直の先生がなぐさめてくださる。
母が入院している間は、私は介護から解放されるんじゃないのか?
父の世話もあるけれど、24時間見守りが必要な母に比べたら、たいして大変なことはない。
どうやら、母は大腿骨に大手術をしなくてはならないらしい。入院期間はたぶん1カ月くらいになるということだ。
今晩から、うちに帰ろう(私の自宅は実家とは別にある)かと思ったが、解放されたという実感がわかず、結局、実家に泊まっている。
介護の無い生活が1カ月も続いてしまったら、私はきっと、元の生活には戻れないだろう。自由時間が週36時間なんて、やっぱり無茶苦茶だ。二度とやりたくない。
祖母が先日亡くなった。10年前に祖父が亡くなった時、病院提携の葬儀社を紹介され勝手の分からなかった私達はお任せしたけど、何故か自分が受付をさせられてるのに職員は突っ立っていたり、色々と残念で二度と頼むまいと思った。
少し落ち着いてから祖母と母は祖父の郷里の墓参に行き、そこで祖母は転んで腕を折った。顔を洗える様になれば御の字という話だったが、自宅の家庭環境を考慮して頂いて長めに入院出来たお陰でリハビリもしっかりでき、洗顔はもちろん簡単な料理も出来るようになった。とはいえ、介護認定が下りたのでヘルパーさんに入って貰ったり、デイケアに行く様になった。祖父の生前は殆ど外に出掛ける事がなかったのだけど、デイでオセロをしたり、他の利用者のお世話をしたりと生活のハリとなり、通うのが楽しみになったそうだ。墓参に行かなければ、外の世界は知ることがなかったかもしれないし、よいケアマネさんに出会えなかったかもしれない。
私は祖父が亡くなった時、当時はよく今ほど認知度のなかった認知症の祖父がにやにや自分を見てるのを見ると昔の精悍さがなくなっていて悲しくて殆ど実家に寄り付かなかった事を心底後悔した。祖母には出来るかぎり会いに行こうと決めた。そして、極力行ったつもりである。祖母の具合が良くないと聞いて後悔したくないから会いに行った。膝掛けを作り、痛みで眠れないと困るから寝つきが良くなるという匂い袋を持ってお見舞いに行った。入院してから聞けないでいた好きなタンゴも用意していった。祖母は寝ていた。涙が止まらなかったけど、一方的に話し掛けてタンゴを流して、もう少ししたら母が来る旨と誕生日には来るからねと伝えて、ありがとうと言って帰った。地元空港に着いてから祖母の訃報を知った。今生の別れなのは分かっていたけど、やっぱり悲しかった。後悔がない訳じゃないけど、祖父の時の後悔のお陰で少しでも少ない後悔にする事が出来た。葬儀も誠意のある業者に出会えてきちんとする事が出来た。祖父が色々と手を回してくれていたような気がする。二人とも本当にお疲れ様、どうもありがとう。
問題なし度は
の順。ただし治療受けてない人は別。デイケアに来るのは前2つのはず。治療中で自宅療養なら問題ないと思う。
ついでだから書いてみるけど、統失の薬は怖いよ。量にもよるけど、
などがある。オナニー出来ないのは怖いよ。
そこで受けた扱いは衝撃だった。知的障害や精神障害の人たちと一緒にクラッカー詰めの作業をさせられた。
それで月に数千円の「給料」を貰うのだという。
デイケアをすすめられたが見学に行ったらもう治療や社会復帰をあきらめきった感じが嫌だった。
金のことをガタガタいうなといわれそうだけど、福祉のレベルではまさに「娯楽はちりがみに短歌でもかいてろ」ってレベルの生活しか送れない。
障害者=清貧な人が社会とつながることを喜びに思い作業に励まなければならないような風潮が嫌だ。
社会参加っていっても志ある人達しか購入層がないような製品ばっかりだし、
トレンドを追うつもりはないけど、周囲に侮られない程度の身なりは維持したい。
親に子どもは自立しているんだって安心させて歳を重ねてもらいたい。
衣食住足りてネットに接続可能な環境で得たい知識を満足できるように書籍や文献だって読みたい。
自分はもう一生結婚もできないけど、友達の結婚や出産にお祝いの意を伝えるための金銭だって欲しい。
野心が強すぎる、強欲だといわれるけど、「障害者=清貧な人」でいるつもりはない。
だから、医療や福祉の範囲外ではあるけどSSTと体力UPを兼ねてスポーツクラブのプログラムに参加している。
自分はメンヘラで、なんとか自立する方法ないかなと模索中なんだけど、色々とややこしくてめげそう。辛い。
現状としては、親の持ってる不動産の一つに一人暮らししてる。障害者年金を月6万6千円もらってて、そのうち2万6千円を親に渡した残りの4万で食費や携帯代や医療費その他色々を捻出している。日常生活には特に問題なく過ごせている。
自分としてはなんとか働きたいんだけど、親について頭を悩ませている。
働きたいと親に申し出たら以下のことを言われた。
・まずはデイケアや作業所に通って大丈夫そうならハローワークへ行きなさい
・精神障害者への福祉がしっかりしているところでないと駄目
・そもそも病気を治すことがまずなにより大事だから働きたいと思わなくていい
返す言葉が見つからなくて、結局何も言えずに帰ってきて悩んでいる。
結局、親は私がひどい精神疾患を抱えていると認識しているんだなー、と無力感にかられた。いや確かに私は精神科に通っているし、自殺企図やら家出やらやらかしているし、精神的に安定していない。だけど、その行動とか精神的に不安定になったりするのって全部明確な理由があるんだけど……でもそれは親は聞かないし認めない。
主治医に相談したほうがいいのかとも思ったけど、話を聞いてもらえる環境にもっていくのはどう考えても骨が折れることは確定的。精神科の診察には親がどうしたってついてくるし、主治医に話すこともこっそり裏で親に取り決められているから。診察の場ですべて暴露するのもアリなのかもしれないけど、時間的に無理だろう。主治医はとても忙しいから予約したって診察までには数時間待たされる上に話が長くなるとわかれば後日改めて、ということになる。暴露して、その「後日改めて」までの期間に親が黙って待っているわけ……ないしなー。ひとりで診察を受けたいと申し出たこともあったし、何度かそうしたことがあったけど、診察の後の親の怒涛の質問攻めと喋る内容についての指導には耐え切れなかった。
大人しく作業所やデイケアに通うのもきつい。まず、精神障害者同士の会話に入れない。だって病気の辛さとか話されて共感もとめられてもわからないんだ。パニック起こして辛いとか鬱状態でなにもできないのがが辛いとか夜眠れないとか、私には経験がないからわからない。薬の話題を振られても、私はここ数年もらった薬はすべて飲まずに影でこっそりと捨てているし。いくつかデイケアまわったけど、どこも中心は40歳代がメインだったから話題的にもわからないことばかり。よくわからない上に特に興味もない話題をひたすら延々とうなづいて聞き続けるのは苦痛でしかない。
八方塞りってこんな感じなのかな。
最低賃金の全国ランク、それを下から数えた方が早いとある県の商店街の話。
この町は坂と老人が非常に多い。朝〜夕の間に遭遇する車の1/4はデイケアなどの送迎車だ。
そこは昔懐かしの商店街で、野菜やお肉の量り売り、おいしいにおいのする総菜にきれいな花。
買い物に疲れた老人が談笑するような、椅子のあるスペースもある。
たまたまその商店街の中を通る機会があった。
通路には安売りのチラシが張られており、そこにはこう書いてあった。
年金支給日(◯◯日)は全品△割引!
当たり前と言えば当たり前のビラだが、堂々とチラシにされると結構違和感がある。
老害が何だのと言うつもりはないが、何か胸につっかえる物があった。
あと40年後もその商店街はあるのだろうか
子供というものが投資から嗜好品になって久しい。今は子供に頼らずとも老後が送れる。人生、一寸先は闇だが、蓄えがあればなんとか生活できる。
そこで俺は、蓄えても生きていけない状況が生じればどうなるか考える。
年金を1/100にカットし、医療負担率を増加させた上で、デイケアや老人ホームへの助成を一気に絞る。民間の年金は大幅に規制する。
高齢の生活困窮者が大量発生するが、当然、生活保護は増やさずシーリングを掛ける。安楽死はこれを認めない。自殺した場合は、精神疾患が原因でない限り、自殺税として遺産および墓地や遺骨を含めた遺品の100%を徴収する。
公的セクターの財政が好転することは無論だが、変化はそれだけではない。身寄りのない人間が生きていけない社会では、子供に頼らざるをえない。結婚圧力、養子を含めた子供への圧力はずっと高くなる。なにしろ生きていけないのだから。
子供なしには生きていけない国は第三世界のどこにでもあり、人口を増やすことに大いに成功している。前例もバッチリだ。
極論・暴論であることは疑いない。ここで俺はありうる批判について思いをめぐらす。
政府が投げ捨てた社会保障をだれが負担するかといえば、家庭だ。実質的には子供にのしかかる。低所得層は今まで国が担っていた分を押し付けられ、貧困からの脱出がさらに困難になる。これについては年金と保健の大幅削減によって浮いた金を使うことで再分配可能だ。
一般に高齢になるほど世代内格差が大きくなる。困窮した独身高齢者から制度に殺されていく非情な国だ。だが、政府は独身という生き方を禁止していない。普通の人は生きていけないだけ。
そのくらいやってみろ、そんなに出生率が大事ならな。