はてなキーワード: 青空とは
夏休みに地元に帰った時、久々に中学時代によく通っていたゲーセンに行ったんだ
日差し強くも心地よい青空の下、かつての俺達の根城だったゲーセンは今でも不況に負けず営業していたようで安心した。
しかし入店した瞬間、圧倒された。
何かスロットっぽいのから、メダルを落とす系の大型筐体、競馬みたいなもの、etc...
他には、クレーンゲームとプリクラが所狭しと並び、かつて遊び慣れたビデオゲームタイプの筐体は本当に隅に追いやられていた。
おいおい、こんなんじゃ中高生男子は遊びに来ないんじゃないかと思ったのも杞憂で、客層は異常に中高年が多い。
ゲーセン=不良のたまり場…というイメージはさすがに昔過ぎだが、それでもゲーセン=若者の集う所 じゃなかったっけ。
素行の多少悪い者が集まる場所とはいえ、しかし年頃の元気な少年の爽やかな笑顔に溢れていた活気あるゲーセンは終わっていた…。
メイン客層の高齢者は皆淀んだ目でゲームに興じている。そこに、少年のように積極的に、攻めの姿勢でゲームを楽しむ気概は感じられず、ひたすら受身で目の前の光景を眺めているだけのようなプレイに見えた。
なんかなあ…
用もないのに病院に言ってお喋りしてる高齢者の方がまだ元気に感じるよ。
隅の方にあったビデオゲーム筐体も上海とかでこれまた定年にはまだ少し早そうなオッサンが延々とプレイしてる。
ああ、もうゲーセンですら俺達若者の場所じゃなくなりつつあるんだなとひしひしと感じざるを得なかった。
音ゲーコーナーはまだ若い子がいたけど、このまま少子高齢化が加速するにつれて、音ゲーも"かつての少年少女だった"層が遊ぶだけのものになるんだろうか。
青い鳥の風切り羽を縛るのは誰?
メジロのような美しい声を持てない闇夜のカラス達がガアガア鳴く
カラス達は自分よりも綺麗な声で華やかな小鳥を脅して追い払おうとする
あまたの星達も 小鳥達も 夜道を往く人たちもいずれ満月に照らされたカラスの振る舞いを知る
知らないのが小鳥達だけと思ってた? 奇麗事言ってるその裏を見透かされないと思ってた?
匿名にせよ実名にせよ 他人の言葉を脅しや晒しで封じようと目論む流れを見逃すとでも?
美しい声を持てず町をきな臭くする闇夜のカラス達の悲しみは汲み、青い鳥は空に放そう
増田が『匿名』派なのはつまりはそういう流れを「ふにゅふにゅ」なので、あー休みなのに午前中会社行かなきゃ行ってくる
別にそういう流れを見ながらビールのつまみにして楽しむ様な趣味は無い
「苦しみ」「悲しみ」を見ると自然と声が紡ぎだされ、流れてくる感情の器からこぼれるからこぼれてきた分だけ増田に書いて
後は「忘れる」
長い雨が振り終わって、青空がそこに広がっていた。
僕は女子高生の股の中のどしゃぶりの思い出を思い出していたロンリーホリデイ。
生きるとか死ぬとかどうでもいいと(カッコつけつつ)言ってて、作家を目指して引きこもっていたロンリーデイズ。
次第に人に会うのが億劫になってきて、コンビニの店員との微妙な受け答えすらもドギマギするようになって、
かかってきた知り合いからの電話に次第に出られなくなって、そしてメールも返信しなくなったロンリールーム。
「ほら、あたしの股を見て」と股を広げてくるようなお馬鹿な女子高生が目の前にいたような夢を見た気がするし、
見なかった気もする。「よし、じゃあ作品のためだ!」と、女子高生リフレに行こうと池袋のお店を検索したのだが、
どうやら先日ガサ入れが入っていたロンリータウン。
僕は何もなしとげていないほぼ二十歳のロンリートゥエンティ。
しばらく雨が降ったんだ。しばらく、黒い雲が空を覆って、しとしとと、雨が、振り続けていたんだ。
高円寺のアパートで、日の当たらない部屋の中で、さらに日の当たらない日々を送ってそこにじっとりと座っていた。僕。
突然。
何故かはわからない。ただ、ドアのチャイムが鳴った気がした。雨はまだやんでいないのに。
ピンポーン。
て。
ユニクロで買ったスウェットを履き潰してボロボロにした格好のまま、僕はてっきり宗教の勧誘かと思って、玄関に出た。
出たんだ。
そこにはね、そう、股を広げた女子高生などは居なかったよ。女子高生は股を広げちゃいけなかったんだ。
本当は誰も居なかったんだよ。「そこ」にはね。
ただ、なんとなくピンポンの音が聞こえた気がして、ドアを開けてみたら、少しだけ雲が減ってる気がしてたんだ。
携帯を見た。2週間誰からの連絡もないけど、なんだか数カ月後には、2週間に一度くらいはメールが来るような気がして。
なんとなくだったんだ。僕が外に出て。歩いて。
長い雨が振り終わって、青空がそこに広がっていた。いや、広がっていた気がしただけなんだけど、ちょっと青く見えた。
高尚なひきこもりではないけれど、ちょっと考える時間があったから、僕はまっすぐ歩くことに躊躇しなくなった。
そう思って、今歩いている。
「中二病でも恋がしたい!」のお陰であちこちで中二病定義論争が最勃発している。本来は思春期的自意識過多の事だったんだけど(ついでに言うと罵倒語でもなかった)、単なる痛いオタク少年を中二病呼ばわりしてバカにするというはてなキーワードから始まった傾向が、ネット中に広まった。
有村悠氏は80年代の小室哲哉&TMNを中二病アンセムとし、id:tunderealrovskiはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを中二病アンセムとして扱っている。そこで「思春期の少年の自意識をいい具合に刺激する音楽とアーティスト」を収集してみた。
最近的な意味での「邪気眼系中二病」は意味が違ってくるので、アニソンボカロは除外。
http://www.youtube.com/watch?v=6ssiTuXTNnU
80年台のバンドブームといえばTMNでもBOOWYでもユニコーンでもなく、ブルーハーツこそ中二病アンセムだと思う。リンダリンダや情熱の薔薇など、どの曲も名曲だけど、歌詞の力を考えるとこれが一番だとおもう。
http://www.youtube.com/watch?v=0vJ2JChBLmo
「学校ないし家庭もないし暇じゃないしカーテンもないし」、80年台がブルーハーツとしたら90年代は電気グルーヴ。閉塞した時代の青春をそのまま歌詞にするとこうなる。
http://www.youtube.com/watch?v=o58zjQZY4JI
ナゴム系は中二病アンセムの宝庫。これを歌ってた頃の大槻ケンヂは中学生向けのラジオをやって、中学生向けの曲を書いていた。
http://www.youtube.com/watch?v=49FIk8nPybw
渋谷系は「俺はあいつらとは違う」という、90年代の中学生のハートをがっちりつかんだ。麒麟川島曰く「クラスの一軍は小室、二軍は渋谷系」と言っていた。一方で伊集院光本人は渋谷系を「お洒落軍」とディスってたけど。
http://www.youtube.com/watch?v=Ee_QaBjj08c
80年代がTMNとブルーハーツ、90年代がナゴム系と渋谷系だとしたら、ゼロ年代はバンプ。「ノーヒットノーラン」「ダイヤモンド」「バトルクライ」など、インディーズ時代がとくにおすすめ。
http://www.youtube.com/watch?v=c2y8Ba3WwPY
http://www.youtube.com/watch?v=r--H06eNrRY
ミスチルなんて中二病からもっとも程遠いリア充が聞く音楽の代表のはずなんだけど、桜井和寿氏は結構中二病的な歌詞を書く。伊集院光から影響を受けているんだから当然か。
http://www.youtube.com/watch?v=k-4kmxytbbU
2010年代は神聖かまってちゃんと相対性理論の時代。AKBにも嵐にもももクロにもボカロにもうんざりしている少年少女の受け皿になってくれればいい。ただ、ファン層は20〜30代っぽいけど。
それは、画面の中だけでなく、リアルにおいてもだ。公演、ライブはもちろん、握手会など近い距離でも、僕らは彼女らを感じられる。
日常をただ、平々凡々と暮らしていたのでは出会うことさえ、許されなかった弩級の美少女に。
僕は、彼女に憧憬を好意を覚える。彼女らは資本主義世界でプロダクトされた理想の美少女で、彼女らはマスプロダクトされた彼女らについてのプロダクトを以て、僕に彼女らを伝えてくれる。
好きだ、大好きだ。愛してる。
まるで、この世の理、万有引力に導かれるかのように。不思議な話だ。
現実世界では、近づくことさえ、許されなかった彼女らに、恋することが許される。
彼女らがアイドルになってくれたおかげで。彼女らは僕らの想いを拒絶しない。
しかし、彼女らのファンは残酷な真実に気づくだろう。画面の中で、ステージで、輝く彼女らを見て。
いや、むしろ、無数にいる彼女らのファンや握手会で自分の後ろに立つ係員を見て気づくかもしれない。
もっと、自然に、もっと、普通に。例えば、クラスメイトのように、近くで出会えればよかったのに。
でも、僕は気づく。もともと、彼女らは特別で、本当は、出会えなかった。
だから僕は、彼女らがアイドルでいてくれたことに感謝しなくてはならないのかもしれない。
【秋元康の罪】
今や、過熱したアイドル業界を牽引するAKB48を始めとする48グループ。
古くはおニャン子クラブの時代から、アイドル業界を手のうちに収める彼には、その業界を発展させたという功績がある。
そして、罪もある。
AKB48の最新曲『真夏のsounds good!』でその罪について検証しよう。
この夏を代表するであろうこの曲のPVは彼が指揮したらしく個性的な設定が付与されている。
その最高指揮を執るのが、彼、秋元康だ。
軽快な曲、爽快な歌詞とは裏腹にPVの物語性にはダークなものが感じられるだろう。
AKB48を卒業することが予定されている前田敦子を助けようとする渡辺麻友。
「もういいよ行って。行きなってば先に。私たちは私達が変わるためにここに来た」
次々に倒れていくメンバー。
そんなダークな情景を見せたあとに、PVは青空の下で彼女らが踊るものになる。
真っ白な水着。真っ青な海と空。清々しいほどに爽やかで、それが先ほどの情景と対比される。
これほどまでに綺麗な未来が、つまり、新生AKB48が生まれ得るのだと期待させる。
それはPVの終盤、渡辺が前田を連れていくシーンだ。行く先は、先程、白い水着を着て、砂浜で踊っていたメンバーの下。
生まれ変わるなら、彼女らは前田を迎えるべきではないし、前田はそこを目指すべきではない。
渡辺もそれを助けるべきではないし、助けているということは、前田が抜けた後の新生AKB48の可能性を否定しているとも言える。
前田もAKB48を抜けた後の自分の可能性を否定しているのかもしれない。
つまり、秋元氏は彼女らに新生AKB48の可能性を彷彿とさせるPVを提示しながら、その可能性をPVの中で否定しているのだ。
アイドルグループは予定調和でなく、突き進んだ結果であるべき、ジャンケン大会のようにガチであるべきだという秋元氏の思想とは反するようにも思える。
しかし、よく考えて欲しい。
私にはそうは思えない。
彼は、凋落したことのない、紛うことなき、この時代の寵児であり続けたし、今ではその世界の重鎮だ。
彼に単なる根性論など通用しない。
努力だけではだめだと、成功するには運も必要だと、グーグルプラスで語った彼には美辞麗句に賭された、文字通り飾り物の世界ではなく、本当の世界が見えている。
だから、単純にがんばれば、努力すれば認められるというメッセージを発さないのだろう。
それは、彼の信念に反するから。
そう、彼の思想はこの世界を精緻に写しだしたものであるように思えるし、それに僕は同意する。
だが、この思想が彼の罪を生んだ。
つまり、それは、その一種リアリティ溢れる思想、イデオロギー性を伴った作品を彼女ら、世界で認められうる美少女らに歌わせ、演じさせてしまったというところ。
僕らは、アイドルに夢を見ている。
小難しいことを、批判めいたことを歌ってほしくはない。
社会批判。その歌詞、そのメッセージ性は痛いほどに、僕の胸に届く。
しかしそれを彼女らに歌わせることで、彼女らは政争の具のような体裁を見せてしまう。
なんの色付けもされていない、ピュア=純真な女の子を僕は見たいのにも関わらず。
別の例では、秋元氏は純真な、つまり、彼女らが思っていることを彼女らが歌っているという構図の作品を生み出すことに成功している。
それが、SKE48(KⅡ)の『お待たせsetlist』だ。
選抜総選挙で高柳明音は、秋元氏にこう叫んだ。「私達に公演をやらせてください」と。
彼女らは、それまでリバイバル公演(他のチームの公演楽曲で公演する)ばかりを行い、自分たちのオリジナル公演が行えなかった。
だから、彼女らSKE48(KⅡ)とファンの思いを高柳は秋元に代弁した。総選挙の会場で熱を込めて語った。
秋元氏はそれに呼応するように公演楽曲を書き、オリジナル公演を与えた。
『お待たせsetlist』には、SKE48(KⅡ)の思い、そして、ファンの思いが込められている。その歌詞は秋元氏が書いたものだが、聞く者にとっては、彼女らの気持ちそのものが歌われているように感じられる。
僕は、彼女ら=色付けされていないプレーンな彼女らを望んでいるのではないか。
そこには、如何に崇高な思想やイデオロギーであっても介在するべきではないのではないか。
だからこそ、僕らは秋元氏が秋元氏の思想、イデオロギーを彼女らに歌わせ、演じさせることに強烈な違和感を覚えるのである。
さて、散々彼の罪を述べてきたが、彼の功績は大きい。夏に控える前田敦子の卒業に関して、彼はこのように述べている。
「相変わらず表現は下手だが、その分、ストレートに伝わってくる。時々見せるはにかんだ表情は、あの頃の“あっちゃん”のままだ」と。
彼女につまり、この世界で美少女と認められたアイドルにバイアスをかけることなく、アイドルというひとつのステージを卒業させる。
そのことには頭が下がる思いだ。
さて、そのようなイデオロギー性の濃いアイドルの対極にハロープロジェクト系列のアイドル、モーニング娘。やスマイレージといったアイドル勢がいる。
一時程の勢いはないが、それでも業界内で存在感を放っている。そんな彼女らはイデオロギー性から解放されたアイドルといえる。
彼女らの歌う曲の歌詞や、日常を何の疑問も持たずに歌いこなすものであり、楽曲名からさえ強い思想は感じられない。『プリーズミニスカ ポストウーマン』(スマイレージ)『ピョコピョコウルトラ』(モーニング娘。)といった曲名からは、いわゆるおバカな空気さえ感じられる。
純粋な気持ちを歌っているかどうかで言えば、アイドルを眺める視点では、こちらの方が、彼女らの気持ちが歌われていると想像できる。
まさか、つんくがうぶな乙女の気持ちを持って生活しているとは思うまい。
【つんくの罪】
そんなつんくにも罪はある。
それは、作品そのものではなく、それらを歌いこなす際の彼女らについてである。疑問に思ったことはないだろうか。
彼女らの楽曲は、つんくが曲詩ともに担当する。48グループの秋元氏が詩のみの担当であることとの差がここに出ているのかもしれない。
よくよくハロプロメンバーの歌い方のくせを聞いていると、そのくせが似たものであることに気づくはずだ。
そう、つんくの歌い方のくせに似ている。と。
つんく自体、アーティスト時代の歌い方のくせは強いものだった。
それ自体はなんら問題がないのだが、その歌い方のくせを彼女らに楽曲提供することで一種押し付けているのではないか。
ピュアな彼女らの、女の子らしい歌い方を黙殺してしまっているのではないか。そう感じられて仕方ないのだ。
ここでも、僕らは嘆くことになる。彼女らの気持ちを彼女らの歌いたいように歌っているものが欲しいのに。本当の彼女らが欲しいのに。
資本主義に浸け置きにして、彼女らの骨を抜くのはもうやめてよ!そんな不自然な美少女見たくないよ!
そんな思いにかられて、すべてに思想やくせのないアイドルを探す。いることはいるのだ。
例えば、SUPERGiRLS
例えば、YGA
天下のavex、そして吉本興業のプロデュース。資金力も申し分ない。ルックスも申し分ない。でも、なかなか売れないのだ。
吉本興業に至っては、NMB48という48グループの力を借りて、アイドル事業に参画する始末。
1日の食費は、成人受刑者一人当たり421.50円だった。これに服代、医療費などを合計し、
受刑者1人当たりにかかる生活経費は1日当たり平均約1310円だという。
月額で約3万9000円、年間約47万8000円となる。
ほーらやっぱり。
ていうか起居する場所の家賃すら入ってないじゃん、なんだこりゃ。
www
「ラーメンの原価は100円なのに600円も取るんじゃねえ!」的な議論が来ましたわねw
じゃあ施設器具備品無し寝所無し柵も無し看守無し職員無しで
出来るんだよな?バカタレが。
たとえば霧や
遠い昨日……
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった
Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……
いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。
埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。
散歩の途中だった。
道路で猫が死んでいた。車に轢かれたのだと思う。外傷は然程なく、出血も耳鼻から微々たる紅が垂れている程度なのに。寝ているようにさえ見えるのに死んでしまっていた。
形ある小さな純白の遺骸。見下ろしていたら、少しだけ視界がぼやけた。夏は真っ盛りで、気温も天井を打つ午後二時の四辻には、蝉の鳴き声と幻覚のように立ち昇る陽炎とだけが密集している。
密集。
ジリジリと照りつける日差しを帽子越しに感じながら、私は猫を見下ろし、ぼんやりと立ち尽くして、いまこの四辻に密集しているものごとについて思いを巡らした。
ふと、この猫は一体いつ死んだのだろうかと考えた。ここは閑静な住宅地のど真ん中なのだ。この時間帯で近くを走る車は皆無に等しいし、この猫にしたって炎天下の中を歩き続けることは避けていたに違いない。昨日の夜から明け方にかけて轢かれたと考えるのが妥当だった。妥当だったが、どうにも腑に落ちない。
猫の遺骸があまりにもきちんと横たわりすぎているのである。蠅がたかっていない。烏に啄かれてもいない。そもそも遅くとも明け方には死んでいなければならない骸なのだ。とっくの昔に近隣住人に発見されているだろうし、ともすれば保健所に連絡が入っているはずで、いくら他の雑務に駆られているからと言ってこの時間まで放置されているのは不自然な気がした。
万が一保健所の職員が来られなかったとしても、この時間になるまで四辻の真ん中で横たわっている状態はおかしい。近隣住人の嫌悪感が理由になるのだとしても、その心理が私には理解出来ない。
しゃがみ込み、そっと力を亡くした四肢を動かしてみる。蟻さえも近づかなかった猫の死骸は剥製と見紛うばかりに美しく、ともすればふとした拍子に生き返ってしまうのではないかと思わせる躍動に満ちていた。あるいはただ単に気絶しているだけなのかもしれない。急いで病院に駆け込めば、一命を取り戻すことだってあるのかもしれない。
けれども私は、その骸を両腕に抱いた瞬間にわかってしまった。確実にいまこの瞬間に白描は死んでいる。死んでしまっている。不気味なほど力のない、弛緩しきった骸の冷たさが肌に滲むかのようだった。
いま腕の中にあるもの、それは猫の形をした何かだった。限りなく猫に近いくせに、決定的に猫ではない塊だった。
蝉の音がシャワーのように降り注ぎ、容赦のない太陽と立ち昇る陽炎とが私を燻すように熱している。
白い猫の綺麗な遺骸を抱きながら、ぼんやりと重たいなと思い始めていた。三キロ? それとも五キロ? いやいや七キロ以上はあるまい。とは言え、市販のダンベル一つで十分足りてしまう重さだった。ダンベル、たったの一つ分。
この白猫はどうして死んでしまったのだろう。立ち尽くしたまま考えるでもなく考えてみた。骨格に酷い損傷は見られない、外傷もそんなに目立つものはないのに、どうしてよくできた縫いぐるみみたいになってしまってるのだろう。
きっと打ちどころが悪かったんだよ。誰かが答えた。仕方がなかったんだ、運が悪くてね。そういうこともあるものなんだよ。
そうなのだろうか。そういうこともあるのだろうか。そういうことがあってもいいのだろうか。じっと猫を見つめながらじくじくと問い続けた。責め続けたのだった。
突如としてその言葉が私の周りをひしめき合うように囲い始めた。空から降ってくるものもあれば、地面から生えてくるものもあり、霧が晴れるかのように現れたり、気がつけばいつの間にかそこにあったものなど様々だった。大理石のようなもの、切り出した木くずが組み合わさったもの、丹念に砂で固められてもの、雲のように輪郭線がはっきりしないものなど素材までもが多岐に渡っていた。
夏の炎天下。人気のない四辻で白描の遺骸を抱いた私は理不尽という言葉に囲われている。どうしてなのだろう。答えは出ない。どうしてなのだろう。絶対にわからない。
もぞりと、腕の中で猫が身動きをした。見ればぐるりぐるりと丸まっていく最中で、手足は屈められ尻尾が穏やかに首に巻きつき、背骨が曲がりに曲がり、遂には丸々とした真っ白な毛玉になってしまった。
風など吹いているはずもないのに、そよそよと白い毛並みは私の肌を撫でていく。心地良い。思った途端にふわりと浮かんで、毛玉は空へと昇っていった。ぐんぐんぐんぐん青空に呑み込まれていって、二度とは戻らなかった。
呆然としたまま空を仰いでいた私は、ふと我に帰り視線を正面に向ける。ひしめくように周囲を囲っていた言葉たちは知らない間に消えてしまっていた。
四辻に残されたのは私一人だけ。
ジリジリと照りつける日差しが帽子越しにも熱く感じられる。蝉は変わらず鳴き続けていて、遠く幹線道路を走る車の音と、途切れ途切れに聞こえる風鈴の音色とが細かく耳朶に届いている。
今日、猫が死んでいるのを見つけた。外傷は然程なく、出血も耳鼻から微々たる紅が垂れている程度だったのに、猫は確かに死んでいた。
きっと、それだけのこと。
私は再び散歩をし始める。
南三陸町歌津にて行っている青空屋台では、食料品のご支援を大変多くの方に戴いております。
しかし野外の仮設キャンプの為、支援品を収納できる場所が無く、
ビニールシートで作ったテントの下に、食料品のダンボールが直で置かれている状態です。
特に食料庫にネズミが入ることでサルモネラ菌の感染が予想されます。
南三陸の海沿いではガスや水道の復旧の見通しが立っておらず、炊き出しは被災者の方々の生命線になっております。
そこで虫獣から食料品を守る為の物資をご支援いただきく存じます。
大型の冷蔵庫が使えれば理想的なのですが、アルミラックなどで食料品を地面から離すだけでも虫獣害を防ぐことができ、
■お米などが沢山入るような衣装ケース、
をご支援いただきたく存じます。
ご家庭に余っている様なもので構いません。
事前にご連絡戴いてから、ヤマト運輸の発払いにて、発送お願いいたします。
住所:〒988-0423 宮城県本吉郡南三陸町歌津枡沢68-1
■ご連絡先:nevergiveup.utatu@gmail.com
斉藤和義を嫌がる人たちにもいろいろいるけど、
内容にかかわらず「政治主張を歌ですること自体が嫌い」って人たちがいると思う。
たとえば、twitterで「『ずっとウソだった』は大嫌い」と発言して波紋を呼んだ水野良樹(いきものがかり)
(6)音楽にあからさまに主義主張を乗せることが、本来複雑な因子が絡み合って構成されている問題を、むやみに単純化する危険性について危惧している。歌詞というスキームで言えば、限られた字数で伝えられることでどうしても生まれる誤解曲解が音楽の特性ゆえに作者の意思に反して広範化してしまう。
歌には論理性を確保するだけの文字数がなく、音で感情を刺激するのだから
議論の手段としては最低。これは確かにそう。
でも、斉藤和義がやってるのは議論じゃなくてアジテーションだから、あまり有効な批判とはいえないんだよね。
例えば、電力会社のHPを見ると(今は消されているけど)原発と緑あふれる自然・美しい青空が写真になってたりする。
別に何の嘘をついている写真でもないけど、見る人には漠然とした好印象を与えるはず。
「老害」石原氏が四選を果たすのは、はっきりいって気持ちの良いものでは無い。
気持ち悪さのレベルで、石原四選より反石原派の方がまさってしまうのだ。
Twitterで「#tochiji」というハッシュを見てみるが良い。
ひたすら同じ話をRTしまくる気持ちの悪い連中がすぐ見つかるだろう?
関連するハッシュもどんどん増えていく「#ishihara」なんて可愛いもんだ。
今まで見ていた普通のブログも同じような気持ち悪さを唐突に醸し出すことがある。
政治家を強く推すのも気持ち悪いが、誰かを強く批難するのも気持ち悪いのだ。
反石原派が気持ち悪いのは、反原発や沖縄で反米軍を叫ぶ連中と同じ気持ち悪さを感じるのだ。
「お花見自粛」という話が出た。
これはいかがかと思うだろう?
ただ、花見の基準が人それぞれだ。
露店を冷やかしながら、桜の下を歩く。
…こんなのは禁止されたくない。たぶん、禁止もされてない。
夜、急性アル中を起こすかのごとくのどんちゃん騒ぎを繰り広げること。
これは自粛しても良いんじゃないか?と思う人も多いだろう。
でこれだ。
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20110405/E1301939720954.html?_p=1
夜では無いかも知れないし、どんちゃん騒ぎでも無いかもしれない。
が、恐ろしく、気持ちが悪い。
とても気持ちが悪いとしか言えない。
反イシハラ、原発コワイコワイ、国に騙されたと叫ぶ連中。
そんなのは見たくない。
というわけで、タイトルに戻る。
だめでしょう
とまりませんな
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にそうです
けれどもなんといい風でしょう
もう晴明が近いので
もみじの若芽と毛のような花に
秋草のような波を立て
焼け跡のある藺草のむしろも青いです
黒いフロックコートを召して、こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまずは文句もありません
血が出ているにかかわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
ただどうも血のために、それを云えないがひどいです
ずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
わたくしから見えるのは
なんだかんだ、と
一体何処で、油をうっているのか
わかりようもありませんが
外は大雨のようだ
降り出す前に、僕は帰路につけました、これはきっといいことだろうと思う余裕はまだ、ある
家へ帰ると、インターネットで買っておいた、カメラバッグが届いている
心の平和も、宣言するには、心許ない
何が足りなくて、何が満たされているのか、わからない
こんなことばかり、恥も知らず
しかし存外、そうでもない
この渇きと、飢えが、跡形もなく消え去ったとき、僕はきっと死ぬのだろう
どうも、満ち足りないから、前へ、上へと歩んでいける節がある
何年も昔、秋の夜だったか
日付がかわって、間もなく
彼女がそう言う理由は知っていた
長年付き合った彼に、別れを告げられた
彼女が、少しずつ、しかし確かに、形作っていた、結婚という夢も崩れた
いつでも
天真爛漫に、誰よりも幸せそうに笑いながら
苦しんでいた、彼女
彼女の家へ向かったのは
それを薄々、感じていたから
彼女に限って
まさかことに及ぶようなことはないと分かっていたが
教えてあげたかった
そんな時は、もっと直接的に、感じられるものじゃなきゃ、心は救われない
それは時と場合によって
傍にいることであったり、行動であったり、継続であったり
色んな形をとりはするが、どれも
やさしさや、隣人への愛とよばれるものだと、僕は思っている
それが為になるのか、何かの役にたてているのかはわからないが、しばらく彼女の傍にいることにした
僕よりも多くの経験を重ねてきた人であることに間違いはなかったが
それでも少しは役に立てたと、今でも思う
彼女が、僕たちが、生きられる、大きな世界の何分の一でしかなかった
その人の小さな世界で、ほぼを占めていた
何かが、なくなってしまったのならば
当然、心に穴はあくだろう
もし誰かに甘えることで、仮に、少しでも
それも可能ならば、友情でもって
何故なら、残酷なことに
いくらでも、生きられる場所を、用意してくれているように思った
一人ではないこと
楽しいことは、まだ残されていること
少しの間でも、忘れられること
それがだんだん、長くなっていくこと
例え、生きていることに意味を見出せなくても
死を選ぶのは、いや、自分を傷つけるという行為が、答えになるわけではない
失ってからはじめて気付くものは、たくさんあるし、それが自分じゃ洒落にもならない
だから、うしろむきな僕が、いつまでたっても見つけられない
生きる希望は、それはそれで、よいのかもしれない
だから、この世界がきっと用意してくれているであろう、居場所を探す力だけは残しておかなくてはならない
渇いている心が、飢えた頭が、ある限りは、より善いものを求めて、歩いていく、力になるだろう
道中は、弱音ばかりで、幸福の音色を聴かせることなどできないかもしれない
しかし、満ち足りていないのなら、前へ進める
小さなことで、満ち足りぬ自身をいずれ、誇れる日がくるかもしれぬ
それが、希望を追う、力になるだろう
そしてまた、目の前の絶望にも、溺れぬよう、抗う力になるだろう
そうすれば、溺れかけているように思える、この頭の中からみても、
【ゲンダイ】5日夜の原宿周辺は小沢コール一色で、大マスコミは伝えないが検察や検審への不信はジワジワ広がっていると日刊ゲンダイ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1289265661/
午後6時半。東京・千駄ケ谷駅すぐの明治公園に、「第2回検察、検審を糾弾するデモ マスコミの偏向報道は許さない」に参加する人が続々集まった。
263 :名無しさん@十一周年:2010/11/09(火) 12:39:28 ID:P+fkMKpFO
ようやくスレ立ったな。やっと話せるわ。
沿道近くに住んでるんだけどさ、夜なのにあーーーんまり五月蝿いんで「うるせぇよ!」って窓開けて叫んだのよ。
そしたらさ、「あぁ!?殺すぞ!」「どこだコラァァ!!」「反対勢力からの弾圧が始まりました!」って大声出して騒ぎだしたんだよ。
あれもうね、確実に堅気じゃない。
仕事帰りのサラリーマンだぁ?仕事帰りのサラリーマンがチンピラ仕様の背中に般若模様のついたシャツ着てるかよ!!街頭の下通った時にはっきり見えたぞ!
捏造するならもっとマシな捏造しろ。見てる奴はちゃんと見てるんだ。
321 :名無しさん@十一周年:2010/11/09(火) 15:54:18 ID:zDB6Hjnc0
週間朝日
週間ポ●スト
wwwwwwwwwwwwwwwww
http://ameblo.jp/japanbluesky/entry-10686467587.html
本日10月24日、小沢支持者が中央区水谷橋公園から日比谷公園までのデモを行ないました。人数は約300名、シュプレヒコールは「小沢は真っ白だ」「検察は冤罪をやめろ」「小沢一郎は無実だ」「マスコミは嘘の報道をやめろ」「小沢一郎に仕事をさせろ」「小沢一郎は冤罪だ」という内容で終始一貫して小沢一郎の無実を叫んでいましたが、銀座を通る一般通行人には「変な人達」という印象のみで強い関心は見られなかったようです。
‐‐‐‐
「あぁ!?殺すぞ!」なんて言ってデモしている連中は、小沢支持者とか新左翼過激派
くらいだろう。在特会でもそんなことを言ってデモしてないから、小沢支持者のデモは
在特会以下だな。
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3061585.html
これに便乗して一部をリストアップ
・加納朋子 「モノレールねこ」「てるてるあした」「レインレインボウ」「ななつのこ」
・川上弘美 「光ってみえるもの、あれは」「せんせいの鞄」
・飛鳥井千砂 「はるがいったら」
・梨木香歩 「家守綺譚」「沼地のある森を抜けて」「裏庭」
・五十嵐貴久 「パパと娘の7日間」「1985年の奇跡」「2005年のロケットボーイズ」
・雫井修介 「クローズド・ノート」
・松木剛史 「きみはジョッキー」
・恩田陸 「夜のピクニック」「ドミノ」「蛇行する川のほとり」
・中村航 「あなたがここにいて欲しい」「絶対、最強恋のうた」
・関口尚 「君に舞い降りる白」
・村山由佳 「星々の舟」
・宮部みゆき 「地下街の雨」
・小川洋子 「凍りついた香り」
・市川拓司 「そのときは彼によろしく」「いま、会いにゆきます」
・水森サトリ 「でかい月だな」
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの嫩芽(わかめ)と毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがつて湧くやうに
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄(こんぱく)なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです
一緒にオナニーしてくれるといってくれた皆さん、ありがとうございます。
先ほど武田弘光さんのランタマをベランダに持ち出してオナニーをしてきました。
青空の下のオナニーはとても開放的でとてもすがすがしい気分だったのですが、あまりの開放感に逝くときに距離を飛ばしすぎまして、白濁液の一部がベランダから外に飛び出してしまいました。
急いで下の階を見ると、洗濯物がベランダいっぱいにびっしり干されており、そのうちのどれかに私の汚らしい白濁液がついてしまったに違いありません。
下の階は一人暮らしのOLさんが住んでいます。下の階の住人がもし若い女の子だったら上から谷間をのぞこうと、ずっとベランダではって確認したことがあるため、間違いありません。
OLさんは多分洗濯物に私の白濁液が付いていることに気づかないでしょう。
私の白濁液とOLさんの素肌が直に触れ合うかもしれない。うわあ大変だ。
そう考えただけで新たに2回抜きました。
こんな激しく興奮するオナニーは初めてです。
どうしましょう。
何とか理性を保たないとこれから先わざとベランダの外に飛ばすようになってしまいます。
何とか自制しなくては。
http://dqname.jp/index.php?md=view&c=aa337
(漢字) 星 ( 9画 )
(読み) あっぷる ( appuru )
(性別) 女
(メモ)
・ 「アップルは英語で星って意味だから。アクア(雛萌)の漢字に苦労したからそのまんまつけた。アップルには星のように輝いてほしーし。」兄に「青空(えあ)」、姉に「花蓮(きゅーてぃ)」「雛萌(あくあ)」。
日本人の平均的な頭の程度がそうそう変わるわけもないと思うから、こういうぶっ飛んだ馬鹿って昔からいたはずだよね。
なんで昔は表面化してこなかったんだろう?
あるいは頭悪すぎて早死にしてたとか、間引きされてたとか?
(もちろんこれ自体はネタかもしれないけど、そうだとしても似たような奴いっぱいいるよね)