はてなキーワード: 長期間とは
これを書いているのはナイナイのオールナイトニッポンから15年ほど聞いているラジオリスナー。非モテ、30半ばの男性。
岡村さんの例の風俗発言を聞いたときは「あっこれはちょっとヤバイかも?」と炎上の気配をうっすら感じるくらいで、こんな大事になるとは思わなかった程度のモラル。
今週の岡村隆史のオールナイトニッポンで矢部さんの公開説教を聞くと非モテ高齢男性として死にたくなる気持ちは痛いほど分かる。
「結婚したら?」は結婚できない俺にもかなり刺さったし、今回の公開説教を恋愛エリートが非モテを追い詰める公開処刑だと感じて傷つく気持ちもよく分かる。
でも、これはやっぱりナインティナイン矢部浩之が30年以上一緒にやって来た岡村隆史に向かって言った説教だから、無関係なリスナーが「俺も傷ついた」と騒ぐ話じゃないんだとは感じる。
ここで、矢部さんが5年半ぶりにオールナイトニッポンに出てきた事の背景を整理したい。
5年半前、矢部さんが突然(リスナーとしては本当に突然だった)オールナイトニッポンを『卒業』した時、
その理由が「やりきった。燃え尽きた」というぼんやりしたもので、当時も不自然というか、『何か事情がありそうだけど穏便に済ませた』みたいな不穏な空気が確かにあった。
岡村さんが体調を崩して長期間休んでる間、矢部さんはゲストを呼びつつどうにか岡村さんが帰ってくるまで保たせている感じだった。
今週、矢部さん自身が「自分は面白いとは思ってない」と言っていた通り、
当時のラジオのリスナーとしてもやっぱり「岡村隆史の面白さ」を求めている部分が大きくて、岡村さん早く戻ってこないかなっていう空気があった。
想像になってしまうが、矢部さんは岡村さんが休んでいる間、「自分は面白くない」と自覚していて、求められているのは自分じゃないと理解した上で番組を支え続けていたのかもしれない。
そうやって守ってきたラジオも、岡村さんの「全てを笑いに」の一言で済まされてしまったのだとしたら、「ありがとう」も「ごめんなさい」もなく一行のメールで済まされたら心が折れても当然だ。
そこからさらに続けるのはさすがに無理だと思う。妙に納得してしまった。
(実際には復帰後半年くらい続いたはずだけど)
そんな経緯があって、それから5年半の間、矢部さんは一度もオールナイトニッポンに出ることはなかった。
おそらく、矢部さんはもうオールナイトニッポンに出ることはないと思っていたはずで、岡村さんもコンビとしての距離感から、もう自分の庭であるラジオに出てほしいとは思っていなかっただろう。
だから今週の矢部さん出演は、懐かしいか嬉しいという気持ちはなくて(むしろ嫌で)、相手に喜ばれるとも思っておらず、
本当に緊急事態だからこそやって来て、それで実現したのが今週の公開説教だった。
※ちなみに、ナイナイのオールナイトニッポン最終回で矢部さんが「何かあったらいつでもかけつける」と言っていて、
5年半も経って、その約束が果たされたことにちょっと感動はする。
矢部さんの説教のとくに後半、「結婚したら性格変わる」みたいな主張が強くて、そこには正直賛成出来ないけれど(結婚相手の都合は気にしないのかとか)、
自分の人生で経験したなかで一番自信を持ってできるアドバイスが
だったのなら、それはあの二人の中で話し合う正解の一つとしてはアリなんだと思う。
自分も含め、非モテの男性が岡村さんに自分を重ねて、ずっと非モテキャラのままでいて欲しいって思うのは依存だ。
岡村さん自身、結婚したくない訳じゃないんだから、結婚できるならしたほうがいい。
矢部さんが色々な事情を越えて、長い長い付き合いの友達(元友達)に、幸せになると信じている方向に背中を押したってだけ。
もう外野がとやかく言える話じゃない。
ネタはがきのコーナーで、何度も繰り返し謝る岡村さんと、その度に「かまへん」と返す矢部さんのくだりで泣きそうになった。
いい関係だなぁと思う。
実際のコンビ仲はもう友達とは言えないくらい距離が開いてしまってると聞くし、
お互いプライベートに干渉もしないんだろうが、それでもコンビとして自分にも迷惑がかかる立場でこんな事を言ってくれる友達がいるのは羨ましい。
自分には「本当にごめんな」に「かまへん」を繰り返しくれる友達はいないので「成功したうえに良い友だちもいるのかよ」という嫉妬もある。
ところで、オードリーのANNと岡村隆史のANNの両方を聞いてる人には共感してもらえると思うんだけど、
非モテが「自分もこのままでいいんだ」と安心出来る依存先としてオードリーの若林が岡村さんにかなり近い位置にいた。
『そういう仲間意識みたいなモノを持たれても、自分は最初からそういうタイプじゃないし、そんなつもりもなかった』というような事を言っていて、
依存してくる奴らをバッサリ斬って捨てた。
緊急事態宣言の解除が1ヶ月延びそうだけど、ワクチンの開発の見込みは立っていない。
感染したら免疫がつくかどうかはまだ不明だが、抗体と一緒に免疫がつく方に賭けてコロナに感染したい。年齢的には死ぬ確率は低いし、死ぬつもりで感染しないくわけではない。絶対に生き残る。
幸いにして住んでいる自治体はほぼ抑え込んでる状態で医療リソースも余裕がある状態だし、一人暮らしなので同居人を感染させる心配もない。
仕事の方もクソ余裕の状態なので有給ぶち込めばずっと引きこもれる。一ヶ月分の食料を買い込んでチンするだけにして延長期間引きこもってやろうと思っている。
ただ、自分が貰った後に他の人を感染させてはいけないので、行けば一発で感染できるところを探している。帰りは厳重にマスクをして自分一人だけもらって帰る。そこから引きこもる。
そうすることで医療リソースが逼迫しているタイミングに感染するリスクを減らせるし、免疫がつくとは限らないが6月以降に感染確率が低い状態でこれから数年続く戦いに備えられる。
もちろん、抗体がついたからと言って感染確率がゼロになるわけではないので撒き散らす可能性は考えて行動する。
その上で、確実に貰えるところを探しているので知っていたら教えてほしい。
月曜日から、あれだけ「業務を止めるくらいなら出社しろ」と言っていた会社が休業になった。
そんなわけで、今は1歳の子どもの面倒を見て自宅でゆっくりしている。朝子どもと一緒に起きて、朝ごはんを食べる。Eテレをなんとなく一緒に見ながら、家事をする。大体みいつけた!が終わる頃に散歩をしたいと言われるので、子どもと手を繋いで家の周りを散歩する(買い物があるならこの時に行く)。帰宅したらしっかり手洗い(または全身シャワー)して、子どもはお昼寝、大人は少しだけの休憩時間。起きる頃にお昼ご飯にして、その後は一緒に家の中で遊ぶ。おやつタイムを挟んでまた遊ぶ。16時になったらまたEテレを見ながら家事をして、17時を過ぎたら一緒にお風呂に入る。18時くらいに子どもに夕ご飯を食べさせる。この後大人のご飯を作って食べて、21時くらいに寝かしつけ。スケジュール通りいかない時もあるけど、大体こんな感じの生活のテンポである。
わたしは子どもが月齢4ヶ月のときに仕事に復帰したので、完璧ではないにしろ、ある程度意思疎通の取れる子どもとこんなに長期間一緒に過ごすのが初めてだ。家も狭いので、本当に起床から就寝まで、ずっと一緒にいる。ぷにぷにのほっぺがずっと側にいる。
自分でも知らなかったのだが、何度も同じ絵本をせがまれるまま読むことも、歌を歌ってとせがまれるまま歌い続けることも、ブロックや積み木で一緒に遊ぶことも、思ったよりわたしにとって苦痛ではなかった。育児よりも働くことの方が向いているのだろうと自分では思っていたが、間違ってたのかもしれない。状況が複雑な各ステークホルダーの機嫌を取ることよりも、子ども一人の機嫌を取ることの方が、はるかにワクワクして楽しいのだった。単純に仕事に疲れているだけかもしれないし、期間限定だからかもしれないし、子どものもちもちのほっぺの魔力にやられているだけかもしれないが。
そんなわけで子どもの手を引いて、ちょっと手の込んだ料理を作ってみたり、いつもレトルトで済ませていた子どもの幼児食を手作りしてみたり、なんだか楽しく生活している。
ちょっと前まで出勤していた時は、不要不急の業種なのになんでこんなに医療従事者の頼みを無視して電車に乗って通勤して頑張ってるんだろう、とか思っていた。そんなことを考えているうちに、子どもを通わせている保育園からも登園自粛を要請された。要請されたので、在宅勤務を強く希望して自宅で保育しながら仕事をしたりも短期間したけれど、とても無理な話だった。同じく在宅勤務の夫とどっちが面倒を見るかで揉めて、家庭内の雰囲気が最悪になった。結局妻で女性のわたしがなし崩し的に多く面倒を見ることになって、わたしの仕事はどんどん遅れた。これが本当にストレスだったので、今は本当に穏やかな気持ちだ。
とはいえ、不安はもちろんある。休業期間中の給与は、ただでさえ少ない金額から更に6割になるし(こういうとき組合費を毎月結構払ってるのに頼りにならない労働組合のことを考えてしまう)、保育料は登園自粛してるにもかかわらずフルで支払わなければならないし(無認可保育所は保育料免除対象外なところが多くてつらい、定員オーバーで認可に入れないから無認可なのに)、そもそも休業明けに果たして保育園が子どもを受け入れてくれるかわからないし、いつまで残りの有休の数を数えて怯えながら労働しなければならないのかわからないし、そもそもこの後クビを切られずに働き続けられるかもわからない。漠然とした不安は常に付き纏っている。付き纏っているけれど、こうやって今子どもの寝顔をゆっくり見られる今は幸せだと思う。わたしが働き続ける限り、こんなに長く子どもと一緒に遊べるのはこの休業期間がきっと最後になると思うので、できるだけ楽しく過ごしたい。
差別問題については、そりゃ俺も差別反対してるんだけど、国内の在日韓国人や中国人となんて接点すらないから、そんな事に力入れようと思えない。
逆に自分がアメリカやヨーロッパで差別受けることはしょっちゅうあるけど、何故かリベラルの差別反対は内向きばかりで、外に出て受ける差別はスルーしてて謎過ぎる。
政権批判については、しょっちゅう俺もしてるけど、桜やもりかけなんて気にしてなくて、純粋し政策に反対してるだけ。
しかも、根本的にしっかりした野党さえあれば安倍政権なんて明日にでも無くなると思ってるから、批判度合いで言えば野党のクズっぷりの方が圧倒的に大きくなる。
今回のコロナ騒動での給付問題も一律給付求める人が多かったが、俺は限定して長期間支援する方がいいと思った。
真面目そうなので真面目に答える。結論は誰にも決められないので、意見を一問一答。
>今後もリモートワークが継続される予定で1ヶ月以上出社する必要がない
>↑とはいえ東京にいると「明日出社できますか?」と言われることがあり、疎開すると回避できる
→会社が規定した勤務地に意図的に出社できなくする行為は、社規あるいは労基法上不利になるという可能性はないのか。
今後利益悪化による解雇が増加した場合、解雇の正当な事由として使われるリスクは無いのか。
>一人暮らしで外出自粛もそろそろ限界を感じる。数日おきの買い物は必須だし、運動不足から生活リズムと体調が崩れてきている
>筆者が感染して発症したら十分な医療を受けたい、東京だと病床不足等で入院できない
→東京で十分な医療が受けられない可能性がある=他府県に行けば十分な医療が受けられる
ではない。また新型コロナに対する治療は存在しないことを念頭に置く
→それは危惧すべき問題。「面倒」とは何のことで、自分からの感染リスクを抱えたまま、大切な人に何をしてもらいたいのかを考える。
→自分が自己犠牲的対応を望んでも、相手がそうだとは限らない。
Aさんが発症→増田が看病→増田に感染し増田だけ死亡 このパターンになったらAさんはちょっとつらい。
>バイクを所持しており公共交通機関を使うことなく移動可能である
>疎開先は一人暮らしではなく、同い年の友人宅と実家が候補(共に承諾済み)のため、宅内で感染する可能性がある
→もし疎開するなら疎開後2週間はホテル。その後にお世話になる。くらいの配慮は必要。こんなときに承諾してくれる人を大事にして。
>同居人(両親・友人)は全員リモートワーク不可な勤め人であり筆者より感染リスクが高い
→どこにいても同じリスクなので考えない。
>都市から離れたところに住んでいる人々は認識が甘いかもしれない
→そんなことは知らない
>本音
>遠方から長期間リモートワークをするという実績を社内で作りたい、ノウハウが欲しい
→今必要なことなのか考える。実績が作れなかった時(問題がいろいろ出た時)のことを考えるなら、今必要じゃない。なぜならトライ&エラーではなく、トライ→エラーで終わるから。
>↑ができれば東京の給与水準と愛知の物価水準で生活できる可能性がある
→それは知らない。勤務地で給与が変化しているなら、勤務場所(作業場所)が変わったことで給与が下がると考える方が自然。もしくは勤務地で給与が変わる評価基準が変わるはず。
>地元の友人に会いたい
→重要なこと。メンタルの支えになる。でもその気持が友人を殺すことになるかもしれないと考える。zoomやskypeから始めてみては?
>一人暮らしの外出自粛は長期間やると懲役生活のようで疲弊する
→その通り。真面目な人ほどつらい。
>筆者の感染リスクを他人に背負わせようとしているだけのような気もする
→それはどこにいても同じ。ただ、「リスクを増やす」ならそのとおり。「人と人との接触 8割削減で感染収束」と提言されている中で、増田は「人と人との接触 10割※増加を検討」(※10割は適当な数字)していることを忘れない。