はてなキーワード: 綴りとは
1日1回は必ずガチっぽいメンヘラが、死にたいだの、生きてるのが辛いだの、と言っていた。
盛んな時は1日中メンヘラトークが続き、よくある煽り合いが駆逐されてることもあった。
俺も当時はニート以上フリーター以下の半ニート生活を2年続けていた。
まだ軽度のメンヘラ経て、就活に疲れて真正のメンヘラになった。主にパニック障害だ。
電車は怖くて乗れない、車で行けるのは1 km離れたコンビニくらい。それ以上は足が震えてきて動けなくなる。
とにかく家から出られないので家でゴロゴロしながらメンヘラ達と語り合っていたものだ。
メンヘラ歴、というか心療内科に通い始めたのが今年で7年目、色々な薬を飲んだ。
パキシル、ジェイゾロフト、エチセダン、あと何か色々、ジェネリックとか。
今は薬と6年通ったカウンセリングのおかげでだいぶ楽になった。
一時はFBにも苦しいだの不安だのと書き綴り、人が離れて行った。
理解なんて図々しいと思うかもしれないが、俺の言う理解は認識に近い。
足の悪い人を見て、ただ歩けないんだと認識する程度の理解でよかった。
その頃、増田は居心地がよかった。
メンヘラ達、戻って来てくれ。
なんだか最近書くことに飢えている。何かを書きたい欲求に駆られている。書きたい内容があるわけではない。伝えたい言葉があるわけではない。ただ、ただ書きたい。
はてなでブログは書いている。だけどそれはちょっと違うんだ。書きたい内容がないとブログは書きにくい。はじめたときには他社ブログをメインに書いていたこともあり、その使い分けの意味もあって今までいっちょ噛みばかりしてきたブログなので、書くべきものがないと書きにくい。どうしても日記のようなものを書くことが躊躇われた。これまで数十投稿しかない、軽く荒れたときを除けば一日二桁のアクセスしかない矮小ブログなので、そんなこと気にすることもないのに。そんなこと誰も気にしない、というかそもそも誰も気付きやしないのに、そんなことはわかっていても、ちっぽけな自尊心がそれを邪魔する。かつてはメインで使っていた他社ブログも今は訳あって閉じてしまったので、この陳述欲求をどこにも吐き出せずにむずむずしている自分がいた。
でもわかっている。たぶん本当は書きたいんじゃない。本当は誰かと話がしたいんだと思う。それが今の職場では、私の交友関係では叶わない。連絡を取り合っている友人もいないし、愚痴をこぼせる仲間もいない。もちろん家に帰っても誰もいない。話す相手がいない。だからその代替として文字を書き綴りたいだけだと思う。そう、対面でもテキストでも、同じコミュニケーションなんだ。コミュニケーションに飢えている。それが対面では叶わないから、文字に託しているだけなんだ。決してテキストの方が上手だなんてことはないけど、他に頼れる人がいないから。
違う。私はそんな淋しいアピールをしたいんじゃない。誰かの同情を引きたいんじゃない。どうせこんな文章になってしまうことはわかってたから、だからブログには書きたくなかったんだ。こんなメンヘラーが書いたような文章は残したくなかいから、古いブログは消したんだ。それなのにまた同じことを繰り返している。それでも書かずにいられない私がいる。
温水じゃない7、8月は200円。
25mプールで、7レーン。
その内の1レーンは歩行者専用になっている。
来ている人はおじさんが多い。
歩行者レーンには小太りのおじさん、
泳ぐ人のレーンには、元水泳部みたいなむっちりしたおじさん。
この時期だと、大体1レーンに1,2人いる。
わたしは「ゆっくり泳ぐ人」のレーンで泳ぐ。
プールに通うと良いことがたくさんある。
プールで歩いたり泳いだりするのは、
その割に、汗もかかないし、あまり息切れもしない。しんどさを感じにくい。
スイミングの何倍も辛い。
学校のプールの授業のあと、ぐっすり居眠りした経験を持つ人は多いだろう。
プールでの運動はキツくは感じないが、全身に水圧がかかるので、実際は体力を使う。
その日の夜は引き込まれるようにぐっすり眠れる。
食べてもあまり太らなくなる。
体だって引き締まる。
水で冷える体の体温を保とうとするために、カロリーをより消費しやすい。
水の中の浮遊感に癒されて、ストレス解消になる。
浮力に支えられるのは心地よい。
泳ぐと肩こりもよくなる。
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夜9時までやっているので、
私は大体仕事帰りに行って
家に帰ってお風呂に入って寝る。
みんなやれば良いのにと思うけど
知ってる人に会ったらいやだから
知り合いには勧めない。
アボカドだな
メキシコならびに中米のスペイン語圏では「アグアカテ」 (aguacate[※ 2]) もしくは「アワカテ」 (ahuacate)、ポルトガル語圏では「アバカテ」 (abacate) と呼ばれる。 ナワトル語の「アーワカトル」 (āhuacatl) に由来するが、この語形自体がもともと近隣のトトナコ語からの借用であるという説がある[5]。
「『アボカド』の名はナワトル語で睾丸を意味する語に由来する」という俗説が広く流布しているが[6]、実際にはナワトル語の「アーワカトル」 (āhuacatl) はもともと果実名であり[7][8]、「睾丸」の意味はあとから隠喩的に派生したと考えられる[8]。また、古典ナワトル語で睾丸を指す語としては ātetl という語形のほうが一般的である[8]。
日本語名のもとになった英語名 avocado[※ 1]は、スペイン語で「アボカド」を意味する aguacate と、「弁護士」を意味する avocado(現代の綴りでは abogado[※ 3])との混同で生じた形といわれる[9]。なお、現代のスペイン語では abogado に「アボカド」の意味はないが、フランス語では「アボカド」と「弁護士」は全く同形 (avocat[※ 4]) である。
日本語では、英語名の綴りから「アボカド」と表記するのが正しいとされるが、「アボガド」と呼ばれることもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89
もうアホかと
自炊代行を利用して本当に後悔している。その理由を挙げていく。
私が利用した業者が悪かっただけなんじゃないかというのもあるかもしれない。ただ、こちらとしてもいくつかのサイトを見て参照したり、一度無料で1冊サンプルをやってもらったり、いくつかの業者に問い合わせたりして(メールの返信が3日後という業者はそこで利用しないことにした)それなりにいろいろ調べたうえで選んだ業者だ。ここよりもひどいところもあるんじゃないかと思う。使おうか迷っている人の参考になると幸いです。
追記
1日みない間にブックマークがついていて驚きました。他の方のコメントにあったように、比較するサイトでレビューがつくようなものがないというのが問題なのかもしれません。個人がよくわからない基準でまとめたサイトはあるけれど、ステマ的な形で作られている可能性もあり、信用できません。私が使った業者のように依頼する前の仕事ぶりはまともでも、まとめて頼んだ後態度が一転するところもあるのでお試しも信用できません。カカクコムとか@コスメのような商品のレビューを集めているサイトがあるけれど、自炊代行のようなサービスについてのレビューを集めるサイトは(私の知る限り)ないようです。はてなさんでも他社でもそういうサイトを作られるとよいかと思います。喜んでレビューを書きますよ。(あと脱線しますがこういう商品やサービスがあるといいな、というゼロからの提案を集めるサイトがあってもいいかもとも思います)
"ポリエチレンテレフタラート(英: polyethylene terephthalate[※ 3][※ 4])は、ポリエステルの一種である。ポリエチレンテレフタレートとも呼ばれる。
略称は頭字語でPETと綴り、日本語では「ペット」、英語では「ピーイーティー」と読む。ペットボトルの名称はこれに由来する。"
受験時代の英単語帳を本棚の奥から引っ張り出してきて、通学時間や授業の合間に必死に書いてスペルを覚えようとしてる。
僕は声を大にして言う。
生徒も必死に何回も書いて覚える。
これを読んでもらいたい。
「この ぶんょしう は いりぎす のケブンッリジ だがいく の
けゅきんう の けっか にんんげは もじ を にしんき する とき
その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は
めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
どうだろうか。
結構すらすらと読めたのではないだろうか。
一つも正しくない単語の並びでも、脳は勝手に解釈し読めるのだ。
いかに英単語の綴りを覚える無意味かがわかっていただけただろうか。
英単語の並びの雰囲気だけを覚えればそれで必要十分なのである。
想像してみてほしい。
仕事でのメールも、学校でのレポートも、友達とのラインもすべてパソコンかスマホで済む時代だ。
幸運にも、wordやiPhoneにはスペルチェック機能、さらに自動修正機能がついている。
なんと素晴らしい世界だろうか!!
2006年購入当時20万位してたやつが今日死んだ。2013年なら代替品は5万くらいか?去年2度電源を入れたのが最後だ。今日、ACアダプタに繫いでもうんともすんとも言わない。かつての愛機X41Tabletは死んだのだ。
(正確にいえば電源を入れてLEDが光らないのだから、電源周りがお亡くなりになっているだけの可能性が高い。だが、何故か検証をする気にもなれない。もうかつての情熱は消えたのだ)
重さ確か2kg弱くらい。
片手でこの重さに慣れ親しんでいたために、のちのiPadだかGoogle Nexus(綴り間違えならすまん)だかに対する「片手で持つには重い」という指摘にはまったく気にならなかった。空気みたいな軽さだ。必死こいてカスタマイズに励んでいた頃が懐かしい。以後のモデルと違ってHDDはまさかの1.8インチ仕様。主流から外れてクソだった。CPUは当時とすれば王道を歩いていて、後々のCore2 Duoで完成を見た。
悲しくならない一因として、ディスプレイの表面がクソ分厚いことが上げられる。電磁誘導でディスプレイからの入力を可能にするためにフツウの表示Onlyのディスプレイより何層か積み重なっており、初期型ゆえにクソ分厚いのだ。ヘタするとペン先と、直下の座標とが直感よりずれてしまうこともあった。
後のX60だったか?こいつは電磁誘導かつタッチパネルにも対応していた。タッチパネルと電磁誘導が混在すると、それはそれで手のひらを触れながらペンで入力しようとすると誤動作の一因となり使い分けが重要だ(X60はうまいこと回避するような仕組みがあったように思う)。
さてX41だが当時としては綺麗な発色と視野角が広い(170度くらい)のなかなかのディスプレイで、お絵かきにはそこそこ使えた。プロからすると筆圧256段階検知と516段階検知じゃ違いがあるのだろうが、256段階感知どころか筆圧機能すら私にはあまり必要でなかった。各種タブレットがばっさりと筆圧機能を削っていることからみて、それはそれで正解なのかもしれない。
バックアップは取ってる。最後に動かした去年に、ずぼらな私もその時ばかりは何故かバックアップを取った。恐ろしいのは自省してみて、バックアップを取っていなかったとしても、悲壮にくれることはなかったんだろうなぁと心変りした自分の気持を肯定してしまうことだった。(それ程重要なデータでもなかったし、いざとなればネジを外してHDDから吸い出せばいい)
HDDの速度がクソだったし2007年前後はCPUのイノベーションもあっという間だった、だましだまし使いながら2011年頃まで相棒として愛用してきたのだ。
購入するならやっぱりPCが(自分にとって)いい。iOSやAndroidは自由なようで不自由だから嫌だ。当時よりも、遥かに薄くなった、安くもなった、探せば選択肢も当時より比較にならないほど恵まれているはず、なのに店頭に急ぐほどの気力はない。俯瞰的にみれば、あの時期に糞高いタブレットPCに手を出したこと=潤沢な研究開発費への養分、と同義ではあるが、まったく後悔はしていない。むしろ、同じ時期に購入した同志たちの死屍累々で、今のように薄くて軽いタブレットが日の目を見る日がほんの僅かでも早くなることにほんの少しでも貢献したのだと誇りにすら思う。でも、気力はなんか枯れた。
まぁ、チャレンジャー向けカテゴリの商品として、馬鹿でっかい(20インチとか、そんなの)タブレットが店頭に並んで発売されているが、かつてX41を買うときに迷ったように、買うか買わないか悩ましく感じる日々を過ごしながらコーヒーを飲むとしよう。
以前は仲良く行動していたのに、裏切られたと思った瞬間があった。
共通の趣味で知り合って仲良くしたいと思っていた。
仲良くなれて嬉しかった。
当方は女で、先方も女。追っかける先は、男なのであった。
「裏切られた」という内容も、些細なことなんだろう。
約束をしていたわけではなかったが、以前相談事をしたことがあって
「私はこうしますよ」と言われたことがあった。
「じゃぁ私もそうします」という会話を、何度かした。
一度だけではではない。
なかなかに信用していたから、そう言った。
しかし、後日、取り返しはきかない時点で「私はこうしますよ」の
まったく逆をされたのである。
信じられなかった。開いた口が塞がらなかった。
何も言えなかった。
今思えば、あの時はっきり「なんで教えてくれなかったんですか?ショックです」と
言えばよかったんだろう。私の開いた口が塞がらないのを見て、
でも、言えなかった。かなりのチキンだ。
その後、家に帰って玄関で泣き崩れた。
相当信用していた?好きだった?………のだろう。
裏切られた気持ちでいっぱいだった。
二度と味わいたくないと昔思ったことがある。
今では良くなって、人見知りもマシになったと思っていた。
…………のに。要するにそれの再発だ。
私も追っかけ先の彼のことは大好きである。
でなければ、行ったこともない土地に、
乗ったこともない電車に乗って行く訳がない。
しかし、違うのである。女子の中でよくある「私が一番」が見えた。
私も好きなのは好きだが、「私が一番」の意味がわからなかった。
それは、なまじ追っかけ先との物理的距離が近いからというのもあるだろう。
要するに、AKB商法をしているわけだ。昨今では珍しくもないだろう。
手法は様々だが、DVDを数枚買えば本人とチェキが撮れたり、次のイベントの抽選券がもらえたりする。
だから熱心なファンは何枚、何十枚も購入している。
不思議な世界である。別世界。別の精神・感覚持ち主たちが居る空間だった。
追っかけが始まって、ちょうどその頃仲良くなった。
初心者だった私は、一緒に楽しめる人が出来てとても嬉しかった。
イベントには一緒に行ったり、終わった後は飲みに行ったりした。楽しかった。
いろんなことを教えてもらったりもした。追っかけのファンとは、私が追っかけ先を好きになる前の
イベントの内容やら、追っかけファンの怖いところなどなど・・・。
もちろん追っかけ先が好きだから、でもあるのだが、一番は「楽しいから」やっているのである。
去年、ちょうど私は自分の人生をもっと楽しもう、と思うようになった。
今まで卑屈に生きてきた自分が居て、そんなのは勿体ない!もっと楽しんでいいはずだ!と
初めて見た彼は輝いて見えた。容姿も完璧だった。私に持っていないものを持っている。
しかし、頭のネジが何個か抜けていたり、思考がどこかズレているところがあった。
そんなギャップもあり、好きになったのだと思う。
さて、「追っかけ」をしているわけなので、そのイベントやらで
正直、会いたくない。話したくない。見たくない。
怖い。
怖いのである。恐怖だ。一個人に対してのみの対人恐怖症なのだろうか。
何をされるわけではないが、話す度に出るあのピリピリした空気感は、
イベントが発表される度に吐き気をもよおす程度には苦痛なのである。
話そうとしたこともある。しかし、やはり言えなかった。かなり悩んだのだが無理だった。
もう、会話をしなくていいようにしようと、離れようと思った。イベントに行くことも黙っている。
そして、当日会うのだ。以前は、前々から連絡を取り合って一緒にイベントに行っていたのに。
あちらは、常連なので行けば仲間がいる。私は一人だ。一人なんか大嫌いな人間なんだが。
それでいいと思った。大人しく彼を見守れればそれでいいと。
ファンは全員女だ。対象の追っかけ先は男なので当たり前だ。
そこに、「女同士の戦い」が生まれることも多々・・・ある。
そう聞いていた。くだらないと思った。どうでもいいと思った。
そして、そんなくだらないことに巻き込まれたくないと思った。
しかし、巻き込まれた・・・と言うより、一方的に投げつけられた。
信用していた・・・と言うより、他人の言った意見で自分の行動を決めたことが
そもそもの間違いだったのだろうとは思うのだが、やはり裏切られた感は否めない。
それが、女の面倒くさいところなのだ。おそらく、私含め。
私が彼女から遠ざかったことも、認めてしまうと自分の非を認めることになるだろうし、
「私が一番」の争いに私も参加していると思っていはずなので
遠ざかった私相手ですら、優位に立ちたいのだろう。
または、以前のように「凄いですね!」とチヤホヤされたいのか・・・。
そんなことはどうでもよかった。あちらは常連として顔も名前も覚えられているだろう。
チケットも良番で、いつもステージから近いだろう。ファン同士でのチケ争いについて聞いて、
遅い番号だと本当に悔しいそうだ。確かに近いほうが楽しい。それはわかる。
しかし、私はそんなのはもうどうでもよかった。ただ、彼のことが楽しめればそれで。
私が彼に関して言っていることが、自慢に聞こえるのかもしれないと思った。
そんなつもりはない。楽しいから話すのである。しかし、わかってもらえないだろう。
ここで「私が一番」という女子のめんどくささが出る。
彼に会いに行けば必ず彼女もそこにいるという恐怖があるということである。
私は楽しみたい。彼に会うことを、彼のパフォーマンスを。それだけなのに。
次のイベントが決まっている。
ただ、楽しみたいだけなのに。彼のことを。生きることを。
楽しんでいるだけなのに。
こんな苦痛、いつまで続けるのだろう。
彼に会えなくなることは、正直したくない。
今後また、苦痛を味わってくることになりそうなので、
「メールやりとりしてるでしょ。見てないの?」
「資料格納したじゃん。見てないの?」
この「見てないの?」という表現には
「見りゃわかるでしょ」という意味を含んでいるようです。
「見ました。」
と返事をしたならば
「じゃあ分かってるでしょ。」
と続きます。
この人は基本的に少し言葉が足りないので、
話をしていて噛み合わない事がよくあります。
もし、目を通して、理解に到達したとしても
その理解が正しいのかは分かりません。
ここでいう”正しい”は
理解して欲しいと要求をしている人が望む理解のことです。
もし、到達した理解が”正しい”理解でなかったら
この人は満足するのでしょうか。
【正しい理解をしてもらう事】をゴールに置くと
・理解の確認
・理解の補完
【目を通してもらう事】をゴールに置くと
・目を通したか確認
では、先述の人は何をゴールに置いていたのでしょうか。
逆算して考えてみましょう。
整理してみると以下の一点です。
・資料を格納する
(みんなが見えるところに情報を置く)
それによって達成する事とは・・・
といった具合でしょうか。
このゴールであれば、冒頭の発言も理解できる気がします。
「見ました。」
と返事をしたならば
「じゃあ分かってるでしょ。」
と続きます。
↑この
「じゃあ分かってるでしょ。」
というのは、
「ありがとう。」
に脳内変換できそうです。
長々と書き綴りましたが、
たった2行程度の会話で、こんな小難しく頭を捻るのは馬鹿らしいです。
結局、どこにゴールを置いているのかは
本人に聞かないと分からないので
直接聞いて、ゴールを共有することで
考えることは少なくて済むと思います。
但し、今回のケースのように
ゴールを明確にしていない人もいます。
そのような人には聞いても答えが返ってこないので
ゴールを明確にすることはとても大切だと
改めて実感した出来事でした。
売り掛けて 買い掛け過ぎた その代金 おのれの代まで 取り立てて
みみっちいノミのような心持で、ドアを開けると、そこは、雪国だった。
気持ちの悪い、世間の目をしたその顔が、否応なく、視界に入るのに、これほどまでに、強い嫌悪を抱くとは。いや、思いもせんでしたよ。彼が、現れてからというもの、腐ったやつの脳内は、もとより、そのとなりにいるあいつも、そのまた隣のこいつの脳内も、うわwっと、声を漏らしていたのを、聞いた。そう、腐っていったのである。
世間の目をしたその顔に、7:3の割合の、赤土と白砂を混ぜ合わせた固形物を投げる。ぽーんと、弧を描いて、きゃつらの顔を直撃する。ドゥハっと、声を上げて、喚きのたまうのを、鑑賞し、感傷に浸る。しばしあって、ややもすると、ついに山場か、というところで、世間の声、ひとしお。
そんな夢をみたのです。眠いのです。ソラマメは、煮てはいけません。デスブログに、嫌いな人の名前を、書き込む遊びは、いけません。彼は書いたのです。全裸に近い状態で、ポエムを綴り、下着の裁縫の紐がだらしなく、伸びているのを気にしながら。
サンドイッチのオーダーメイド 野菜のサブウェイ - SUBWAY
http://www.subway.co.jp/menu/sandwich/
のサンドイッチの一番下に
野菜のサブウェイなのだから、「野菜の喜び」ってところだろうが、その下の英語の綴りはちょっとおかしい。
書き下す度胸がないが、urbandictionary.com のリンクを貼れば、
http://www.urbandictionary.com/define.php?term=Vaggie
後ろの単語
http://www.urbandictionary.com/define.php?term=delite
サブウェイ、品がない。
学祭でうちの大学にゲストで来ていた某バンドのメンバーだった。
ビックバンドの演奏を聴くのは初めてで、わーっとなりながら私は夢中で演奏を聴いていた。
その中で、ピアノを弾いていたその人が気になった。
俗にいうイケメンではないけれど、ピアノを一生懸命弾く姿がとても印象に残った。
帰宅して調べてみるとそのゲストバンドは学生団体の中では割合有名なバンドだった。
HPには各パートとメンバーの氏名が掲載されていたので、楽器からその人の名前はすぐにわかった。
ちょっと変わった名字のその人の名前をググると、個人で運営しているHPがすぐ見つかった。
その人は日々の生活のあれこれを日記に綴り、mixiのアカウントもそこで公開していた。
全く面識がないので、友達申請はできない。
だけど、ふと思い出した時にその人のアカウントをのぞきに行ったりしていた。
なぜなら日記が全体公開の設定になっていたからだ。文章に味があるのでちょっとした日記もとても面白い。
mixiが下火になるとその人は日々のつぶやきを、twitterに投稿するようになった。
mixiとtwitterでその人がいつの間にか結婚し、そして子供が産まれたのを知った。
元々恋愛感情がある人ではないので、その出来事はちょっと遠い場所での出来事だ。
その感情は誰々さんの子供が結婚したんだって、子供ももう産まれるんだってという話を人伝いに聞いた時に感じるものと似ている。
特にその人に会いたいと強くアクションしたわけではない。ただ、ネット上の投稿を眺めているだけ。
でもその期間がちょっと異常だと思う。もうその眺めている期間が10年近くになるからだ。
なんでそんなにその人の事をネット上で追いかけているのか、もはやもうよくわからない。
こういうのって相手にとってはすごく気持ち悪いよなー、と思う。
このちょっとした生活の覗き見は相手が不快感を感じたら止める。
だけど、今のこのただ眺めているだけの状況で、相手がそれを察知する事はあり得るのだろうか。
よくわかんない。
橋下さんの発言に対するいろんな批判とか、yellowboal(綴りこれだっけ?)さんの言ってることとかが、よく理解できない。
理解できない、ってのは批判の意で言ってるのではなくて、理解できないものは理解できない。
理解できないから反論もできない。
とりあえず、橋下さんの発言(アメリカの軍の人に対して「レイプ減らすために性風俗もっと活用してくれ」)について、最初の印象としては「あー、そうかもね」だった。
性風俗をもっと活用してくれればレイプ減るのでは、ってところに、素直に同意した。
でも、その橋下さんの発言がたくさん批判されてたので、ちょっと考えた。
もしかしたら、性風俗に対する現状認識が、私と彼らでずれているのではないか?
まあずれているとしたら「性風俗の望まぬ従事者」が私が思っているよりたくさんいるのではないか、ってことなんだよなあ。
「望まぬ」ってのはかなり広い意味で使っていて、つまり本人が「納得」していても実質「性風俗業に就くこと」しか選択肢がないのならば、ここではそれは「望まぬ」従業とする。
もし性風俗に望まぬ従業者がたくさんいて、その現状を認識しない、あるいは認識していても無視した上で、「性風俗をもっと活用してくれ!」と言ったら、それはまあ彼女ら(と彼女らの気持ちを汲む人)からしたら憤るにたるものだよなあ、とは思う。
さらに言えば、社会の構造と性風俗業の性質からして、(そういった事態があるのだとしても)解決は容易ではなくて難しい話だなあ、とも思ったりする。
まあ、実際にその望まぬ性風俗従事者がどれくらいいるかってのは調べてないので知らんのですけども。(ブコメとかで誰か教えてくれ)
ただ、この話の一番の論点はそこだと思うし、橋下さんの発言に同意する人と批判する人がすれ違いまくってるのも、そこの認識のズレが原因じゃないかと思うんだよなあ。
って、ここまで書いてからyellowboalさんの書いたやつをまた見てみたのだけど、
兵隊に性処理目的の人身御供を差し出すのが社会にとっての必然などと言って憚らない男は、金をもらって他国の兵隊に自分の身体を差し出してみればよろしい。そのときの自分の心情が想像ができずに、自分が男であることが男の性に対して安全地帯であるかのように自分以外の誰かの務めに転嫁してしまうからこそ、女という性の解放者ではなく男という性の処理者として扱われる女性のリアリティが想像できないんですよ。