はてなキーワード: 法則とは
KONAMI対サイゲームス訴訟が話題となっているが、企業が自社の利益を最大化するために行動するのは当然のことだと私は考えている。
これはもちろん任天堂対コロプラ訴訟にも当てはまる。しかし、ITエンジニアとしてソフトウェア特許が産業の発展に寄与しているのか、
あるいはアイデアの保護として強力すぎないかという疑問がずっと浮かんでいる。ウマ娘がパワプロと同じとされても、その議論は不正競
争防止法の範囲で争うべきではないか?そもそも日本の特許は「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度なもの」と定義されて
いるが、特許庁の資料によれば以下のものは自然法則を利用していないため「発明」とは認められない。
請求項に係る発明が以下の(i)から(v)までのいずれかに該当する場合は、その請求項に係る発明は自然法則を利用したものとはいえず、「発明」に該当しない。
(v) 上記(i)から(iv)までのみを利用しているもの(例:ビジネス手法そのもの)
https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/patent/tukujitu_kijun/document/index/03_0100bm.pdf
多くのソフトウェア特許がこの(ii)あるいは(iii)に当てはまると私は考えているが、実際の特許の請求項では、物理的なデバイス(例えばぷにコン
訴訟ではタッチパネル)や処理装置(CPUで処理するという表現を使うことでデバイス扱いにする)などを絡めて申請が認められている。
私自身、これまでの業務で特許訴訟に関与したことはないものの、数件の相手方企業からの問い合わせ対応や数十件の他社特許に抵触していないかの
ノンフィクションの強みってここなんだと思う。
それと適度なリアリティを補足するような「とりとめて描写するほどでもない繋ぎのシーン」のセンスがフィクションとは段違い。
医療ミス起きまくってるのになんか知らんけどホンワカした空気とか、フィクションだったら書けないと思うんだよな。
書こうとしても作者の筆がノリすぎてギャグとして強くしすぎちゃう。
人間のやりうる行動の範囲内に収まっていて、その上で色々と規格外で、でも人間ってこういうもんだよなって納得させられる質感がある。
ノンフィクションでもなんでもない作家が知り合いを元ネタにしすぎて怒られたって結構聞くじゃん。
本当に実在したを売り文句にしなくても十二分な強さがあるのが現実という巨大な元ネタ帳何だと思うんだよ。
それこそ他人の日記って何か生々しくて文章力さえ伴ってれば普通におもろいやん。
たまにすげーつまらんノンフィクションあるけど、あれは誇張してる部分が一通りつまらんのだと思う。
ノンフィクションとして書き出したは良いけどもっとインパクト盛ろうかなとか、自分たちの宣伝のために嘘も入れちゃえとかやりだすことでバランスが崩れて駄作になってるんじゃないかと。
「面白いノンフィクションが本物かは分からないけど、つまらないノンフィクションは嘘だと断定して良い」の法則とかどうです?
あり?
射精ってさ、出そうになってから、さらに我慢して限界ギリギリのところで出したほうが気持ちいい法則があるけどさ、でもあんま我慢し過ぎてなし崩し的に漏らすような射精すると出してんのかなんなのかわかんなくなって気持ちよさなくなっちゃうのはなんなんだろうな?
長男の才能は優しいところではないかと思う。おもちゃを貸したり順番を守ったりは苦手ではあるが、悪意があってやってることではない。必要以上に追撃しないし、嫌なことがあっても八つ当たりもしない。
その点、次男なんてひどい。
妻に叱られたり、iPadがうまく操作できなかったりすると、床にモノを投げつけたり、床や家具を殴って当たり散らすのだが、ときに長男やパパ(自分)を殴りにいく。
不意に理不尽な頭突きや体当たりを食らっても、長男は基本的に無視である。力加減によっては
「わけわかんねぇよ、なにすんだよぉ」
と困惑こそすれど、反撃しない。
極めて温厚。社会性は欠如してるけど、寝言でさえケラケラ笑う。
妻と次男は、嫌なことが積み重なると、最後に起きた嫌なことに怒りがのる。
裏ドラが乗るような感じだ。
さらに
「ワタシが怒ってるということはお前が悪い。お前が悪いからワタシは怒ってる」
という循環論法も成立してる。
も妻と次男のなかでは真だ。
これら、全部無茶苦茶な論理ではあるが、根本的には、「お気持ちは察されるべきだ」がある。
人の世の悩みの8割は、そういうものな気がする。
「愛されるべきなのに愛されない」
などなどの「~べき」論が脳内にあり、それが満たされない矛盾が、怒りとか哀しみとかに転嫁され噴出する。
長男は共感力が弱いので、「共感しあって当たり前」がない。素直に喜び、素直に甘え、素直に怒る。
猫が獲物咥えて自慢しにきて「ほらみて!」とする感じ。無視されると「もっかいやるからほらみろ!」と次は力に訴えてくるけれど、怒りの対象は見てくれなかったという事象に向いていて、気持ちを察してもらえなかったことには向いてない。
そんなんじゃないと思う。
とりあえず小学生入学時点じゃ支援級とかなんじゃないだろうか。
喋りだせば早いんじゃないかとか、オムツは自然に取れるんじゃないかと思ってもいるのだけど、裏切られ続けて今に至ってる。
英単語や英文を覚えてタイプしたりするけど、将来の英語の成績とはつながらないだろう。語学って、そういうものじゃない。
早く数字を理解してるからって、数学に必要な才能もそういうのではないと思う。記憶力がいいし法則の理解は早いから、そこそこの秀才にはなれるかもと心の中で期待してるのは否定しない。
知育コンテンツが好きで勝手に覚えるということは、算数が苦行には感じないのだろうし、勉強が好きな子になればワンチャンってくらい。
マジでやめろ。
裁判において「判例」が引き合いに出されることはあるけど、それは「法解釈の参考」として使われているだけであって、それが即ち「法」ではないだろ。
少なくとも「判例」においてはその論拠となる「法」が語られているけど、大抵の人間が使う「前例」は単に何となくそういう風潮が感じ取れる程度でしかないだろ。
「最初にナプキンを取ったやつが右のナプキンを取るか左のナプキンを取るか決めるのだ」って要素は確かにある。
確かにあるけど、それはあくまで「その場においてそういう流れが出来た」というだけであって、絶対の法則じゃない。
別の席において誰かが逆側からナプキンを取り始めたらそれがその場におけるナプキンの取る側になるはずだろ。
そこで「俺が前に行ったレストランでは~~~」とか言い出しても、それは「お前がその時行ったレストランのたまたまその席においてそうだっただけだが?」にしかならんだろ。
「規則」として決まっていないこと、単なる「前例」に過ぎないものの脆さがここにあるんだよ。
限りなく同じ様な状況において、全く逆のルールが適用されたとしても、それに対しての反論として成立し得るだけの力を持ってないんだよ。
「前例」なんていくら集めても「理屈と膏薬はどこへでも付く」以上の何かにはなり得ないんだって。
確かに「前例」に対してリバースエンジニアリングをかけることで、何らかの法則が存在するように感じることはある。
たとえばとあるマンションの1号室に「一郎さん」が住んでいて、2号室に「二郎さん」が住んでいたら、3号室には「三郎さん」が住んでいることを期待してしまう。
でもそれは単に「ここまで偶然が続いたなら次もそうだと面白いよね」ぐらいの価値しかないわけで、そこに絶対の法則があると信じるほうがおかしいわけだよ。
恐ろしいことに人間社会にはこのレベルの「前例が偶然そうだった」以上の何物でもないものを「規則でこう決まっていると思うのですが」と言い出すキチガイがいるんだ。
そういう人に「その規則はどこに書かれているのですか?」と聞くと凄いことを言う。
「前例を見ればきっとこういう規則があるはずだと予想がつくでしょう。常識的に考えて」だよ。
ビックリするよ。
むしろ「前例なんてものから雑に逆算しただけのものに規則を見出してはいけない」こそが常識なんじゃないのかと言いたくなる。
でも頭のおかしい人の相手をまともにしても仕方がないから「そうなんですか。済みませんが、具体的にどこのどういう規則かを教えて頂けませんか。うちの上司(伴侶)はどうにも頭の固い人間でして」とでも言えば、相手は面倒になって上司を呼んでくれて話が進んだり、突然キレ始めたりするわけだよ。
もうね、本当勘弁して欲しい。
なぜ「僕が前例から妄想したさいきょーのほーそく」が「規則」になるのかと。
この宇宙はお前の見ている夢なのか?
もしそうならお前の認識こそがこの世界を形作る絶対の法則で間違いない。
だがそんなことはないだろう。
正直期待外れだったと言わざるをえない。
圧倒的高評価で平均点数10/10のゲームだったので気持ちの中のハードルが上がりすぎていた。
じゃあもういっそ低評価でいいじゃないかって話なんだが、なんというかゲームの構成的に「ここで最後にプレイヤーが低評価を入れて終わり」というのは凄くシックリこない。
そこに乗っからないで終わるといよいよこのゲームをやった意味が薄れてしまうように思えて勿体ない。
https://store.steampowered.com/search/?sort_by=Reviews_DESC&category1=998&ndl=1
というわけでSteamでユーザーレビュー順でソートしてみた。
ストアページの説明文を読んで見る「『千恋*万花』は2016年に、日本美少女ゲームブランドゆずソフト(Yuzusoft)より発売された和風系恋愛アドベンチャーゲームです。この作品は萌えゲーアワード2016年度に準大賞とGethu美少女ゲーム大賞総合部門一位を獲得した、高い人気を誇るゲーム作品です。」
なるほど。
なんかもうこの時点で「そもそもそのゲームを買おうとした時点で高評価入れる未来が確定していたゲームほど有利」という法則が見えてくる。
ああなんかもう傾向が見えてきたわ。
ズラーっと下を見ていくと上から50番目ぐらいのところに『クッキークリッカー』の有料版もいた。
うんまあそういうことね。
当たり前のことなんだけど、忙しい時代に生きていると忘れそうになる。
とにかく今どきはレビューをチェックしてからじゃないとコンテンツにすぐに飛びつけなくなってきている。
なんでもかんでも味わうには時間が足らない。
試しにSteam検索の並び替えソートをリリース日にしてみると、1日にリリースされるゲームの量が1日にプレイ可能なゲームの量を超えているのは明白だ。
そもそも全部買うほどの金があるのかって話はあるが、それ以上に時間がねえ。
そうなるとやはり他人のレビュー点数というのはこの短い人生の中を少しでも良く生きるための光となる。
こういった感情に漬け込まれてステマが日々繰り広げられているのは知っているが、それでもある程度のユーザーレビューが積み重なればステマだけで全てを埋め尽くしきれないはずだ。
だが実際にはユーザーレビューは結局は他人の感性による評価でしかなく、アテにならない事も多いようだ。
少なくとも、多数決で良いが圧倒的多数派であることがそのまま神ゲーを意味することはないらしい。
個々人のゲーム評価が変わっていく理由において「趣向」「得手不得手」と同時に重要なものが「別のゲームで似たような体験をしたか」があるはずだ。
それは状況によってプラスにもマイナスにもなり、たとえばSTGゲームなんかは「お約束がテンポよくやってくる」ことが高く評価されることが多い一方で、そのジャンルに精通していない人からは「難しいのに説明もなく不親切」とされることがある。
ここで説明が過剰になるとそのジャンルをやりこんでいるプレイヤーは退屈な時間を過ごすことになる。
あらゆるゲームがあらゆる要素でこの「適度な難しさ」の調整と戦っている。
そもそもゲームというコンテンツ自体が、既知と未知の中間にある程よい攻略対象を提供することそのものを商品としている部分が非常に強い。
中でもアドベンチャーゲームはこのバランス調整が最もシビアだ。
全くプレイヤーが経験したこと無いものを解かせようとすればゲーム側が全ての答を誘導する必要が出てくるが、それはもうだただの作業だ。
逆にそういった体験を積み重ねたプレイヤーからすれば、ゲームの側がヒントをロクに出してこなくても知っているパターンのどれに当てはまるのかを推理するだけの作業となる。
それらが作業となってなおプレイヤーが楽しめるように調整されている場合と、もしもそれが作業になれば体験の没入度が大幅に目減りする場合がある。
まあつまり、今回私がガッカリしたゲームはその後者だったわけだ。
知っていたんだな。
だからその先を期待したんだ。
でも無かったんだよ。
圧倒的高評価のゲームならその向こうを教えてくれると思っていたんだが、どうもそうじゃなかったようだ。
確かに「ああいった展開」をゲームとして良い感じにまとめていたし、同一ギミックをいくつも味わってきたからこそ「これはその中ではかなり上手くやっているほうだぞ」というのはわかった。
だから出来の良し悪しで評価するなら「良い」を入れたくなるんだよ。
でも自分があのゲームに期待していたのは既存の展開を上手くやることじゃなくてもっと凄い先を見せてくれることだった。
たしかにさ、ある意味ずっと昔から世界のそこで脈々と受け継がれてきた演出ではあるんだが、それを人生で最初に見たのがあのゲームだった人はいると思うんだよな。
だから誰かがあれを「超すごかった」と表現するのを咎めても仕方がないんだよ。
もしかしたら、今まで多くの人達が「良い」しか押さなかったのは、こうやってモヤモヤした俺みたいのが「悪い」を押すのは流石にどうかと迷った結果なんだろうか。
確かにな、あの演出はまさに精通するというよりも精通そのものというか、それが起きた前と後で世界の広さが少しだけ変わる。
中途半端な場所で精通を迎えるぐらいなら、あそこで精通してほしいものだとは確かに思うよ。
そう考えると「良い」ゲームだったんだろう……そうは思えるが……俺が「圧倒的好評価」を前に期待していたものではなかった……。
よくあることなんだがな
「今まで儲けるためのハードルがさがりすぎてたいして実力もないのに稼げてた勘違い絵師」と「絵がうますぎてLoRAのネタにされるなど権利侵害を食らってる超絶上手い絵師さん」の割合が高いよね。
後者はまじでかわいそうだと思うから、はやく法律を改正して、無断でLoRA作って配布してるやつを法的に殺せるようにしてほしい。
前者はさっさと死ね。
そもそもな、マジで質の悪いCG集とか、たいしてうまくもない二次創作で金を安易に稼げ過ぎだったんだよ。
需要があれば何でもいいじゃねえだろ。 堂々と二次創作で1万円もらえる環境を作っておいて「僕たちはプラットフォームですから―」じゃねえんだよふざけんな。
こいつらのせいですでにモラルが破壊されまくって、しかも絵で稼ぐということを舐めまくってるやつが大量に生み出される前であれば多分もうちょっと節度が保たれてた。
AI作画が問題なるずっと前から、すでにモラルなんか完全に破壊されつくしてたんだよ
一番やばいのはNTF?わかる
一貫性があるだろうがよ!
新しいものは出来たばかりで派閥がもろくて叩きやすいから叩く!
古いものは下手に攻撃すると反撃されやすいから味方のフリをして新しいものを叩くための武器として使う!
一貫性があるだろうがよ!
なーにがダブスタだよ!
特定の集団に属しているかのベン図でみたら矛盾してるも知れねえし、倫理的に正しいかでグラフを引いたら法則性が見ねえかも知れねえけど、それはお前らが自分流の観測スタイルに固執してるだけだろ!
俺たちの考える「新しい=叩く 古い=叩かない」の法則で見れば、状況はいつだってパターン通りだぜ!
こんな単純なロジックが分からねえのは、お前らが相手の立場に立って物を見る気がねえくせに、相手の立場に立ってみましたと言い張る癖がついた糞マヌケだからだ!
お前らは馬鹿なんだよ!
同じ条件を揃えて再現実験をしようとしても、相手が人間だったら「個体差です」で逃げ切られてしまう。
もちろん統計学的な正しさを追求することは出来ますが、それでもいくらかの偶然に対して「運が良すぎました御免なさい」で逃げることは可能になる。
STAP細胞ぐらい注目されていれば徹底的な再現実験の繰り返しによって早急に捏造は発覚しますけど、そうでないならダラダラと捏造論文も生き残り続けかねない。
業界内には深い深い癒着の構造があるというのも問題を複雑にしてる。
日本最高記録とされる東邦大学の藤井善隆大先生は172本の論文捏造が発覚したわけだけど、これってつまりはそれだけの捏造論文がずっとバレずに居られる土壌があるってこと。
もちろん全ての論文が捏造だったのか、単に運が良すぎたのか、運が良すぎたのではないかと疑いの目で自分を見られないような奴が医師ゃを名乗るんじゃねえよ、だが待って欲しいそれぐらい自分に自信がなければ人間の体に刃物や劇物を入れる仕事なんて数年も続かずに頭がイカれるのではないだろうか、と様々な憶測が飛び交ってしまう。
どうにしたってそんな事を考えて読まなきゃいけないような胡散臭さの塊が医学論文なんだよ。
まあエンジニアだったら皆知っての通り、検査や試験なんてのはどこかで「鉛筆を舐めた……とまでは言えないように思える」のラインを探ることを「経験」「技術」と言い張ってるような側面もあるわけで、お医者様のようなご立派な人もその絶対法則から逃げ切れなかったってだけの話に過ぎないんだけど。
その相手が人間という未知なる小宇宙の解明ともなると、無数の思い込みだったり親の欲目だったり売名目的の割り切った嘘だったりが紛れ込みまくるわけですよ。
もうそんなの現代人は皆知ってるのに、いざ都合のいい新説や面白い新説が出てくるとすぐに飛びついてしまう。
いい加減もうそういうの辞めませんかって話ですよ。
そんだけですね。
これだけの話に長く書きすぎ!
それだけ!
オンチが「さっき出したのと同じ音程をもう一度出す」が出来ないようにな。
字が汚いことの本質は「綺麗な字がどういうものかを知らない」じゃないんだよ。
たとえば格闘ゲームでどのボタンを押したらどの技が出るのかランダムだったら、コンボの組み方を教わって超運がいい時ぐらいしか再現なんて出来ないだろ?
全てがランダムなんだ。
目で見て狙った場所にペンの先を置くということさえまともに出来ないんだよ。
字のバランスがいい大きさを聞いた所で、そもそも一画目の一点目が滅茶苦茶な場所に飛ぶから、それにつられて全部が崩壊する。
それはまさにオンチが一音目で失敗してそのあとはそれを必死に修正しようとしてもう全部壊れていくかのようにな。
「字が汚い人に綺麗な字の法則を教えてあげましょう」はそもそも問題が分かってない。
そこが分かってない奴らの美文字アドバイスは空虚でしかないよ。
こっちは全部の矢が曲がった状態でアーチェリーやってるようなもんなのに、全部の矢が真っ直ぐな前提でしか効果的じゃないアドバイスをしてもお前の自己満足でしかないよ。
マジで使えないな。
字が綺麗なやつって、他人の字を汚いってケチつけるだけで、その字を綺麗にするための本質を捉えることも出来ないままずっと調子こいてるから嫌いだよ。