はてなキーワード: 政敵とは
https://anond.hatelabo.jp/20240628220617
いい質問だね
「なんでみんなそんなに悪魔化出来るの?」
政治界隈が政敵を悪魔化するのはそれが支持者への精神的報酬だからだよ
話は逆だ
そこまで恨みがない相手に現実の不満を集約し、悪魔化して叩く根拠を与えるから意味があるんだよ
それが政治のリーダーに求められる、フォロワーへの協力報酬の支払い方としてメジャーなんだ
ちょっと考えてくれ
政治運動には多大な労力がかかるのに、協力者に報酬を払う方法は非常に限られている
まず、金が払えない
当たり前だと思ってるやつ、この難しさを舐めすぎ
いやマジで舐めすぎ
金が払えないんだぞ?
労働してもらうのに、対価として妥当なカネが払えない、この資本主義社会で
それどころか経費すらまともに払えません、持ち出しです
イカレてやがる
もちろん中核となる専従人材に必死こいて法人やら経由してなんとか金を渡すことは制度上可能ではあるが
その出どころはどこなんだって話
何らかの利権にありついて分配するの?ものすごい求心力があって寄付金がくるか?
まあ与野党の最大派閥にくいこんでてどうにかってレベルでしょうね
それすら末端まで動員するには全く足りません
しかもそれ自体が政敵に叩く根拠を与えるわけだからそうそうできない
労働者として雇う妥当な待遇より圧倒的に低いとしても方々から叩かれる
お前らそのためになんか行動したことあるんですか?
なぜなら、実際に政策を変更し未来を変えられるのは選挙などの政治闘争に勝ってからだからだ
政治は負けたら何も得られない
必死こいて借金積んで選挙に勝っても議会多数派にならなければ政策は通らない
議会多数派になったらなったで種々の現実的な制約で過去と同じような政治をやりはじめる
こうなると未来への約束、マニフェスト類は単なる未払いの焦げ付いた借金に成り下がる
それは悪を叩く快楽だ
ただし、叩く原因がムカつくとか顔が気に入らないとかその程度のものでは人は満足しない
自分たちを脅かす悪
それと戦うことが最大の快楽なんだよ
世界全てに負の影響を与え排除すれば世界がよくなる「悪」である根拠を支持者に与える必要がある
まあ進化的には共同体を維持するため全体の利益に従わないやつを叩く行動が云々とか
お前らが金をもらわなくてもやることなんてネット炎上ネタを必死に叩くことぐらいだという事実で十分説明可能だろう
それが悪を叩くことだ
そのためには敵を悪魔化する技法こそがリーダーに求められるのです
それさえできれば選挙に勝つ必要すらなく政治運動は継続できます
その技能が低いと報酬を払えず集団の維持運営ができずに崩壊するので政治界隈にとどまれません
終わり
政治的言論において、政敵を悪魔化することは、以下のような理由から望ましくないと考えられます。
互いを敵対視し、人格攻撃に終始するような議論では、建設的な意見交換や妥協点の模索が難しくなります。異なる意見を持つ者同士が互いを尊重し、真摯な議論を行う土壌を醸成することが重要です。
2. 社会の分断を招く
政敵を悪魔化することで、支持者同士の対立が深まり、社会全体の分断を招きかねません。異なる意見を持つ人々が共存できる寛容な社会の実現に向けて努力する必要があります。
3. 暴力の温床となる
極端な敵対意識は、暴力へと繋がる可能性があります。言葉による攻撃は、物理的な暴力へとエスカレートする危険性を孕んでいます。
政治家が互いを攻撃し合う姿を見ることで、国民は政治への不信感を抱きやすくなります。政治家には、国民の模範となるような品位ある言論が求められます。
相手の資質や人格を攻撃することで、政策論争の本質から目を逸らすことができます。真摯な政策議論を行うためには、個人の攻撃ではなく、政策内容を論点とする必要があります。
以上のような理由から、政治的言論においては、政敵を悪魔化することは避けるべきです。 むしろ、互いを尊重し、建設的な議論を行うことで、より良い社会を作っていくことが重要です。
自民党の裏金問題と、東京の未来を決める東京都政は分けて考えるべきである。
その東京都政に裏金問題を持ち込むべきではない、という批判は自然に受け入れられるものだと思っていた。
もちろん、誰とは言わないけどね。
ということは、有権者の中にも、政治家は政敵批判だけやっていれば「きちんと仕事をしている」と評価するのが一定数いるということなのだろうか。
後ろ向きというか、生産性が無いというか、政治ビジョン、つまり夢を語ってほしいと思わないのかな。
あるいは物事を前向きに考えられないほど、切羽詰まっているのだろうか。
これね、共同通信だけの問題じゃないけど、そういうことだよね。ミスインフォメーション・キャンペーン。
[B! 上川陽子] 【内部文書入手】上川陽子「うまずして」切り取り報道の共同通信「全くひるむ必要は無い」差し替え経緯も判明
共同だけの問題じゃないというのは、共同通信に乗せられたとしても、各社一斉に
「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」で揃ったこと。いかにも日本的な乗せられ方だ。
これは欧米でミスインフォメーション・キャンペーンと呼ばれるもので、誤報による世論誘導だ。
ミスインフォメーション・キャンペーンとは、世論や有権者の行動に影響を与える目的で、意図的に虚偽の情報や誤解を招くような情報を流すことを指す。こうしたキャンペーンは、民主的プロセスに対する信頼を損ない、地域社会を分極化させる可能性がある。誤情報は、ソーシャルメディア、マスメディア、口コミなど、さまざまなチャネルを通じて拡散される。フェイクニュースを作成したり共有したり、事実を操作したり、問題を誇張したりして、有権者の間に疑念や混乱を生じさせるような戦術がとられる。
その目的は、選挙結果を左右したり、政敵の信用を失墜させたりすることだが、ひいては選挙制度に対する国民の信頼を低下を招くため、このようなキャンペーンは、選挙結果に対する有権者の信頼や民主主義全体の健全性に影響を及ぼす可能性がある。
これがいかにヤバいことかのメディア自身の自覚のなさが、世界報道自由度ランキング70位という結果にも反映しているんだよ。
今回の場合、完全に誤報を流したというより、もともと解釈に幅がある、どちらにとられてもおかしくない表現だったことが特徴だ。
それは、女性たるもの出産すべし、と解釈できる、そういう解釈しか思いつかない人が一定数いる、というのは、この記事がでてもなお、上川発言に非があるとするブコメが少なくないことでわかる。
上川氏が女性の役割に対して固定観念を持っている、という指摘はありうると思う。ただ、最初からそういう指摘をする報道だったら、ここまで炎上しなかったのではないか。
しかし、これが炎上したのは、実際の各社の報道が「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」だったからだと私はみる。
ジェンダーロールの偏見の指摘と弱者への配慮欠如の指摘は必ずしも同一のこととはいえない。
今回のメディアの場合、不妊で悩む女性を主に念頭に置いたのかしらないが、そういう方々が可哀そうだと、感情的な正義に訴えたわけだ。
上川氏の潜在的な差別意識を指摘するのとちがって、この訴え方は、「出産を願ってもできない人」というデカ主語を据えるものだ。
出産困難者というのは、もやっとしたイメージだ。人それぞれ「出産を願ってもできない人」のイメージが違う。
子育て環境の制度的な脆弱さを思い浮かべるひともいるだろうし、家族親族からのプレッシャーとして理解するひともいるだろう。
女性の出産の役割に自己実現の価値を見出している人もそうでない人も含めて、かなり多くの人が感情的共感の網にかかってしまう。
つまり、上川叩きの味方を増やす効果があって、上川氏からすれば、保守からも批判されうるし、フェミからも批判されうるという状況に置かれてしまったことになる。
今回の誤報キャンペーンでは、感情的共感をより広く、網を張り、特定のターゲット層に的を絞らない戦略が功を奏し、同町圧力の強い傾向のある日本で、あとに続くメディアを一斉に吊り上げ、ばっちりと効いてしまったというわけだ。
「出産を願ってもできない人」への配慮、という形で大衆の感情を煽ったのが今回のミスインフォメーションキャンペーンだったといえるだろう。
問題は、これが選挙に影響を与えかねない、ということを報道機関が自覚しているかどうか。
それに対して「全くひるむ必要は無い」というのが、共同通信のスタンスなのね。確信犯であることがよくわかった。
とはいえ、共同通信だけでなく各社報道機関は、「出産を願ってもできない人」への配慮を犬笛として使いたかったのかもしれないが、その副作用についてはやっぱり少しは考えてもらいたい。
「出産を願ってもできない人」への配慮を訴えたつもりでいても、出産を願ってもできない人々を一つのカテゴリーとして固定化することで、そのグループが常に特別な配慮を必要とする、社会的に弱い立場にあることが強調され、固定観念が強化されることもありうる。
これって女性の弱さ傷つきやすさについての別の意味の偏見が強化されるってことでもある。
社会的に弱い立場であるとの認識が広まれば広まるほど、社会的に敏感なトピックになり(タブー化)、それついて話す際に、他者の感情や意見を過剰に気にすることになる。これにより、人々は自分の発言を自己検閲し、無意識のうちに自らの意見を抑制するようになる。
帝政期とはその貴族たちによる議員政治の制度を利用して独裁的な権力を行使する仕組みのことだ。
共和政ローマにおいての首長は、独裁を避けるために二人の執政官が選出され元老院をリードする形を取られた。
しかし有事に際しては一人の独裁官が選出される仕組みとなっていた。
国家の存亡(といっても当初はローマ周辺の小さな都市国家だったのだが)の危機にあたって合議していては遅いからだ。
素早く決断して、素早く行動する。
しかし、共和政ローマにおいて常に危惧されていたのは一人の人間が権力を握ることでやがて王政への道を開くことだった。
ということは常にそのようなことを夢想する輩がいたということの反証でもある。
彼はその前時代に独裁官の権力で政敵を粛清したスッラのやり方を見て着想を得た。
スッラは内戦により権力を握ると独裁官となり、自身の政治信条に基づいた元老院の運営体制を築いた後に独裁官を退き元老院へと権力を戻した。
なぜなら元老院による貴族制政治がスッラの理想とするところだったからだ。
彼はその支持層が貴族ではないことから、権力を握るためには元老院による寡頭政治ではなく、より独裁を必要としたからだ。
これは彼自身の野心であると同時に、対立したポンペイウス派に対抗するための手段でもあった。
カエサルはルビコン川を超えてローマに帰還したあと独裁官に就任、その後内戦に勝利したあと、永久の独裁官に就任するところで暗殺された。
元老院派にとって、共和制の原点であり拠点とも言うべき元老院において、ひとつの政体を退けるために暴力が行使されたというのは元老院議員にとって如何に王政に対する忌避感が強かったのかの現れであろう。
これを見ていた後継者のアウグストゥスは、永久の独裁官という地位を求めることはせずに、様々な制度を複合することで実質的な独裁権を得た。
某堀口くん周りの話を聞く度に既視感のあるモヤモヤ・不愉快さを覚えていたのだが、これと似た感情をSEALDsが最高にイキってた時に抱いていた事を思い出した。
無責任な周囲の大人達が、馬鹿な若者を持ち上げて祭り上げて、将来を滅茶苦茶にしても何の責任も取らずにさっさと次に担ぐ神輿にしていく。
活動家なオッサン・おばさんに乗せられて良い気になる若者に責任が無いとは言わない。
20歳を超えれば、自分がやっている事が『日常』から外れるルートである事にも気づかずに無責任な連中の綺麗事のスピーカーになって
しかしそれでも、無知な若者を煽てて持ち上げて日常に戻れなくした後でポイ捨てして、若者の続く長い人生に何の責任も取らないのは、あまりにも無責任では無いか?
少なくとも、まともな社会人のやる事では無い。
例えば、下らない儲け話に騙されて大金をつぎ込んだ被害者がいたとして。
しかし、かと言って被害者を騙した行為が免罪される訳では無い。
ましてや詐欺師が「騙された方が悪い」と居直るのは、あまりにも酷すぎる言い訳だ。
学生運動に夢見続けた老害は、自己顕示欲の高い意識他界系の若者を騙してSEALDsとして持ち上げた。
その結果、ごく一部の上澄み(奥田くん等)以外は、活動家としてのルートすら与えられずに「安倍死ね」に加担した危ない集団に
仮にSEALDs等の政治活動に参加していた事が発覚したら、まともな就職は出来ないだろう。
少なくともウチは確実に不採用にする。
青春の1ページが絶対に秘匿しなければいけないスティグマになったのは、果たして若者達だけの自己責任なのだろうか?
若者を持ち上げて活動家の片棒を担がせた連中に責任が無いとは言えないだろう。
堀口くんは対暇空の鉄砲玉として、左翼の一部から大変に持ち上げられている。
彼自身も高すぎる自己顕示欲を満たす為にノリノリなのは見て取れる。
しかし、いくら裁判で勝ったとしても、果たして彼が望む将来が訪れるのだろうか?
既にどうしようも無いぐらい彼の人生そのものがコンテンツとして暴かれ、スティグマとして刻まれている。
まともに大学に通っている形跡も無い「自称学生」では、活動家としてもやっていけないだろう。(基本的に左翼界隈は5chも真っ青な学歴社会だ)
恐らくアンチも、彼を持ち上げている連中ですら、彼が話す「設定」をまともに信じている人は殆どいないだろう。
アンチと呼ばれる連中の方が、彼の将来を本気で心配している始末だ。
左翼やはてなーからすれば、どんなラジコンでも自爆しても敵にダメージを与えられれば良いのだろうが
人一人を鉄砲玉にしておいてはしゃぐのは、岩間やshamuをラジコンにして好き放題しているネットのゴミ共と同レベルの倫理観では無いか?
まともな社会人なら恥を知るべきだ。
最悪に胸糞が悪いのは、SEALDsなり堀口くんなり、意識他界系若者を持ち上げて煽っている連中は
その若者の将来がどうなろうが知った事で無く、人生が滅茶苦茶になるであろう事をある程度理解しておいて尚
政敵や異論を叩く為の「若者の声」という叩き棒にして使い捨てている事だ。
ハッキリ言って意識他界系の馬鹿な若者がどうなろうが、こちらとしても知った事では無いし
本人の自己責任もあるから気が済むまで好きにすれば良いとも思うが
意識高い人があえてその単語を使いたくないのは、間違った意味で受け取られそうだからじゃないかな?と思う
男性嫌悪も女性嫌悪も、ただ性別が嫌いとか、性別に偏見があるとか、性別を極端に憎んでる過敏な人とか、そういう意味ではないけど。
字面だけ見たらそう読む人がいそうでしょ。
意識高い系の人が外来語をカタカナや英語のままで使いたがるのには理由があるのね。
その手の外来語、政治用語、人権語、反政権ワード、反権力ワードは、日本語として訳語が広まるときに、かならず何らかの方法で意味を歪められるんだよね。
お金をもらって、あえて意味を歪めてる人がいるケースもあるし、人権や反権力の概念を理解できない人が意味をめちゃくちゃに解釈してるケースもあると思う
その手の語は、正しい意味の訳語が広がることはほぼなくて、やたらめったら日本語訳の意味が歪む。
そして、日本語の意味が歪んでいるとお金が儲かる人が日本にはいるんだよ。
衆愚政治と呼ぶけど、衆愚っていうのは、権力者にとっては都合がいいから、意図して作り出される。
大衆たちの権力を利用して好き勝手したいから、大衆にはもっとバカでいてほしい人がいる。
国民がある程度の人数で一致団結したら、最高権力者の統一された意思となる。それがこの国で最も強い権力を持っている。
この国の全てを変える力を持っている。それに敵う権力が存在しない。汚職も裏金も潰されてしまう。他の国では多くの汚職が団結した国民に潰されてしまった。
だから、悪いことをしたい人にとって、国民の意思が統一されたり、国民に一致団結したりされては困る。
彼らは、なるべく「不正」はしたくないんだよね。
法律を悪い方法で利用したり悪い法律を作ったり捕まらないように丁寧に証拠を隠滅したりして、「正しく」国民を裏切って私服を肥やしたいのね。
「不正」をしてしまうと、政敵に利用されがちだから。攻撃される理由を与えてしまうことになるからね。
そして、それを妨害できる最高権力者(一致団結した国民)は鬱陶しい。
だから、そのような人は、バカな国民がマトモに会話して、マトモにメディアが報道して情報が流通して、マトモに意思疎通できる状況は絶対に作りたくないわけ。
国民の中から、男性嫌悪の意味がわからないまま間違えて使ってる人間を探すの。
そしてその人たちの発言が拡散するように多額のお金を使ってこっそり操作する。Dappi事件とかあったよね。
バカな国民たちがまともに会話できないようにするために何億円も使う人間がいるわけ。
頭のいい人間がいくら正しい言葉を伝えようとしても、汚職してる人は上の操作でお金が儲かるから仕事にできてしまう。でも意識高い人はそれでお金が儲からないから、あくまで仕事をしながらの慈善事業としてしかできない。