はてなキーワード: 天皇とは
お互いの気持ちを曇らせるために。
いろいろなものを捨てた。電話番号も写真ももらった手縫いのマフラーも。
ただ彼女のためにつくったSNSのアカウントだけは最後に残った。
開くまいと思いながら、数か月に一度、開いてしまう。
溢れるばかりのメッセージが目に飛び込む。
やがて彼女のメッセージの頻度は減っていった。そして返信もやめた。
あれから7年になる。
元気?
たったそれだけだ。恐らく彼女は、ときおりオンラインになっている俺をみつけては、
ひたすら返信を待ち、オフラインになって三日、一週間と経つのを眺めているんだろう。
俺が彼女にとって最後の男になってしまっているのだとすれば本当に切ないことだ。
しかし、俺にとってもまた、セックスが特別なものになってしまっていることにうすうす気が付いていた。
見つめ合い、肩を抱き合うだけで浮遊する感覚になった。
彼女と長い時間かけて重ねた唇、時には激しく駅弁スタイルでしたときの滑る汗、あの日々を上回るセックスはもう人生で経験することはできないだろう。
その通りだった。
村西が愛した黒木香は今、一体どこで何をしているんだろう。
NETFLIXの「全裸監督」で描かれた黒木香は、虚実交えているだろうが、
ものすごいリアリティがあった。黒木の母親役を演じた小雪の存在感も鳥肌ものだ。
・・せっかくしんみりとしたことを書こうと思っていたのに、だんだんズレてきた。
駅弁といえば。。
「全裸監督」は、今少しずつさまざなまレビューが出てきているが、
近年まれにみる傑作だ。
あの同世代を一歩遅れて歩んできた俺は、社会に出たときにはすでにバブルは崩壊していた。
学生の頃に、友人が苦労して入手した流出裏ビデオがどういう経緯で世に出ていたのか、ドラマでは虚実交えて克明に描いていた。
また、ビデ倫の仕掛け、ヤクザの関わり方を生々しく描いており、80年代のアダルトビデオの黎明期をここまでねちっこく映像化した作品は今まで存在しなかっただろう。
当時、やたらとモザイクが濃いものと薄消しのものがあって、なぜなのか、疑問にすら思わなかったが、「全裸監督」には、その答えが暗示されていた。
また、この作品で再現された、当時の歌舞伎町の舞台セットが素晴らしい。
とりわけ、村西率いる「サファイア映像」のスタッフ軍団が集うスタジオが興味深い。
スタジオの前に目に入ってくる、カレーの店タバサの看板。大量に麺類をつくっては、中華の回転円卓を囲んでスタッフ全員で豪快に食らうシーン。てんこ盛りのポテトサラダ。実にセンスがある。
昭和と平成のはざまの昭和63年暮れから昭和64年1月の冬の雰囲気。
当時、警視庁がわいせつ物の取り締まりを強化する流れに大きく動いていた。
日々の天皇の病状の深刻化が取り締まり強化の動機付けとして、象徴的に語られているのが技巧的だ。
彼は業界の大物を通じて、すでにヤクザとズブズブになっていたが、警察幹部からは、ガサ入れの方針が打ち出される。
一方、黒木香は、こうして業界の闇が描かれながらも、後方馬群でひっそりと控えている差し馬のような存在感で、ドラマ前半で静かに描かれていた。
横浜国大に在学していた彼女は、イタリア留学を夢見ながら、母親から抑圧された存在として、じわりじわりとエネルギーをためてゆく。
この見せ方も圧巻だ。村西とおるへの思いがあって、あのパフォーマンスが生まれた、というのは、このドラマの村西と黒木に対する解釈であって、本当のところはわからない。
しかし、村西と黒木の関係を物語るものとして、ものすごい説得力を感じた。セックスは一期一会といった村上の原点がここにあるんだろう。
ガチンコのセックスに対するこだわりは、売れるからという動機を覆い隠してしまうほどに、リアリズムへの情熱であふれている。
バカッターがバイト先でバカやってるのと何が違うの?ぶっちゃけ同類じゃない?
あれで交付金よこせって言うなら、バカッターの動画も「労働者の反逆」とかなんとか
テキトーに意味付けし芸術品として出展たら交付金出さなきゃいけなくなるな。
少なくともパヨク連中はそれを認めなきゃいけないよな
うそとは事実に反することー事実って何よ?なんでそれに反したらいけないのか?
事実は人の意思より尊重されるべきという感覚、これは欧米+日本人の基本的な考え方だが実は地球上のありとあらゆる人にとって当たり前の感覚ではない。
人間を含むすべての物を想像した創造主がなしたことが事実だから人間より偉いわけ。
これは創造主(ヤハウェ、日本では天照大御神)が信仰の対象となっている人々の間では当たり前すぎる間隔なんだわ
ひるがえって中韓では、儒教の仁が最優先とされる。仁とは「他人に対する親愛の情、優しさ」の事でつまり他者に
そして自分の属する集団の長に近ければ近いほど仁を優先しなければならない(家族なら親)
つまりだな中韓の人々は事実ではなく、自分の属する集団の為に最大限の仁を発揮するのが正しいと思っているわけなのよ
次に法治に話を移そう
法を守らなければいけない、法を破ったら罰してもいいのはなんでだ?
法の源泉は、創造主に人が約束した事柄(戒律)なんだよね。創造主との約束をたがえたものは罰せられて当たり前という感覚
欧州には「法」王がいるだろ、アメリカも元々牧師がアメリカに渡ったときに神とその地を治めることを約束した文書から
始まっているわけだ。(法廷で証言する時にも聖書に手を置いてうそをつかないことを誓うだろう?)
さて、日本ではどうか?もうお分かりだと思うが、天皇は創造主である天照大神の末裔という神話であり
全ての法律に天皇は目を通して署名をする.日本の法王は「天皇」
天皇は、法治・事実を人より上に置く という基本的な先進国の考え方を日本人に
これがなくなるとどうなるか?
岩渕潤子、『「巨乳は奇形」ではなく「アニメの巨乳」が奇形描写』 進歩見えず 批判への抗言繰り返しつつ『ようやくまとめが出来た』
https://togetter.com/li/1423134
乳房縮小術を待っている十代の女性が、巨乳のイラストを偶然見せられるだけで酷い衝撃を受けて死にたいと思うのは、傷害罪に問えるレベルのヘイトということになるだろう。彼女たちが自分の乳房を長年の周りの視線から、卑猥な「奇形」として認識している場合の自己嫌悪の度合いはより深刻だ。 https://t.co/pnkkPmVtwJ— 『ヴァティカンの正体』筑摩新書/岩渕潤子 (@tawarayasotatsu) 2019年10月27日
しかしフェミさんが、貧乳の次はついに巨乳を叩き出した事にも呆れているけども、この手の平等だの倫理観だの道徳だの言って他人に規制を押し付けていた人々が平気で、女性の身体的特徴を貶し、その上で平然と手術だのと言う神経は本当の意味でやばいと思うんだけどね。
こいつらが漫画アニメの次に現実の女性をぶっ叩いたのはロリやAV、貧乳、グラビア叩き等をした時にもやっているので、その点は驚かないけども流石に手術って単語を平然と振り回す事には驚いている。
大真面目にコレ、ある意味では女性以外の人にも喧嘩を売っているよ。
手術なんて最近は技術的進歩のおかげで安全性は増しているけど、一歩間違えれば、それこそ後遺症のリスク等もあるし、手術中に死亡する等のリスクもある訳で良くこの手の単語を容易に出せるなと個人的には思ってしまうよ。
最近でもイギリスで抜歯を10本して、死亡事故が起きたとかあった様な気がする。
しかしついにフェミさんはこの方をキリスト系保守だの言って、切り始めたのが面白いね。
確かそれこそあいトリの委員会の検証で、天皇の写真焼いて、送り火みたいでアジア的と言ったのはこの方だったと記憶しているのだが。
TPOなんてお気持ちの最たるもんなのになんで説得力があると思ってるんだろ?
かつての「女にも権利を」って「今は女は黙っとけ」ってTPOに抗った女たちがいたからだよね?
今やってるkutooなんかもまさに押し付けられてたTPOを打ち壊す運動なんじゃねーの?
改めて言いうけど天皇の写真燃やそうと宇崎ちゃんのポスター張ろうと朝鮮人のカルタだそうと
そもそもクッソうぜぇデモとか選挙カーとか違法じゃないから我慢してやってんだろう
もう一度言うけど違法じゃないなら何やってもいい
「違法じゃないなら何やってもいい」
天皇が晴れ男なのでセーフ
誰が言い始めたのでしょうか。
「いわゆる、そうした日本の童顔・巨乳、でか尻、足細の女性キャラって、一昔前の言葉で、使うことにも躊躇しますが「奇形フェチ」だと思うのですよね。
昔の中国の纏足につながるような身体形成で、それは正に男性による女性のモノ化であり、人権・人格否定。」
色々思うことがあったので、自身の考えを整理するためにも書いてみました。殴り書きですみません。
まずこのツイートの背景を簡単に説明します。宇崎ちゃんが採用された日本赤十字社の献血ポスターにおける女性の体の描き方が以上に胸が大きく、つまり女性表象が現実を逸脱しており、これが性差別に繋がっているのではないかという議論が巻き起こりました。それに対して、巨乳を差別している、表現の自由が保障されているから良いのではないか、という意見がありました。
女性の「モノ化」とは?
性別という理由のみで性役割を固定され、女性が主体を失い、男性の理想となるような「モノ」を強制されることを指します。例えば歴史を見ていくと、性は戦争の道具に利用されていました。男性は戦争に行き、女性は家庭を守る。父権主義により女性は家庭に入り、男性の子供を産む道具つまり「モノ」として性役割を強制されるような歴史があります。
今回は、胸を過剰に表現することによって女性が男性の性的消費の「モノ」と化しているものを堂々と公開することは問題ではないか、ということを論点にしています。
→そもそも今回の批判対象はポスターの性表象になります。ですので、現実に存在するGカップの女性(どこからが巨乳かの定義は置いておきます)を批判しているわけではありません。また「奇形」と表現されているのは表象の結果的要素であり、作者の絵柄や萌え絵文化を非難するものでもないはずです。「なぜあえて胸を強調するような絵柄がポスターとして採用され、人の目に留まりやすい場所に掲示されているのか」が問題の本筋となります。
ツイッター上ではこの巨乳を奇形と差別したという話ばかりが広まり、これに対した反応をしている方ばかりを見かけるようになりました。巨乳が奇形だと間違った受け取り方をして、それを広めているのもここの人たちです。
→表現の自由は人権を守った上で存在できることは周知の事実です。
→あいトリで大きく問題にされていた昭和天皇の写真を燃やして踏みつける動画作品。これはそもそも天皇制を批判している、日本の象徴を侮辱しているという文脈で見ようとすると誤解を受けます。この作品を制作した大輔さんは「心の問題としての自画像」を取り上げ、変遷するイメージを天皇として表現しました。本来は世代によって変わる天皇のイメージと皇室タブーの議論へと接続される予定の作品だった。ただそれが上手く行かずに政治的文脈によってのみ判断されてしまいました。現代アートは問題を投げかける作品が多いです。ただその性質上、人間の負の感情からスタートすることが多い。私は表現の不自由展・その後を支持するわけではありませんが、展示が本来持つ意味に沿って機能せず、短絡的な思考により展示が阻害されたのは問題だと思います。これは余談なのですが、そもそも天皇は基本的人権をお持ちなのでしょうか。人権を制限されている制度が存在することを無視して、この動画作品を批判するのはどこか矛盾していませんか。天皇の人権について議論するならば、天皇制についてもきちんと議論するべきだと思ったのは私だけなのでしょうか。
→そのような絵柄を好む方も多くいることは理解しています。その愛好人口のある程度の多さ故に、女性的な要素である胸を強調するイラストは一定の支持を受けている。ただ忘れてほしくないのは、女性の性的要素が強調されたイラストを不快に思う人が存在するということです。今は女性の性的要素を強調しているのみですが、これが水着になったらどうでしょうか。もしエロやグロだったらほとんどの人が批判すると思います。場に適切か不適切かどうか。その線引きについて現在議論しているのです。
→存在し、受ける人が増加する事実を確認しているだけで、勧めているわけではないです。大事なのはこの背景に何があるかということです。胸を性的要素として日常に取り入れすぎてしまい、巨乳、つまり性的要素が強い人が結果的に性的な視線に晒される機会が多くなった。日常に取り入れすぎるというのは、今回のポスターのように市民権を得すぎてしまったことです。冒頭に戻りますが女性の「モノ化」により本来、個人的にやり取りされるはずの女性の性が、大勢とやり取りされることが問題になります。
この一連のツイートへの反応はどうしても本筋の論点とは違ったところへ議論が流れがちです。第三者が各所を切り取り、論旨をすり替えたツイートも見られ、大勢の人がRTしたりしています。これが最近話題のフェイクニュースかあ、と感心してしまいました。もちろん感心してる場合ではないのですが。情報の判断を誤ると生産的で建設的な議論ができなくなります。そもそも議論ではなく「でも私はー」や「でもこんな人もー」などのように個人的な感想や極めて稀な例を出す人もいます。感情や例外ではなく、一般的な例に則った議論を交わすことをお勧めします。私はこの議論に関しては肯定派にいますが、反対派の意見ももちろん聞きたいです。しかしそれは「胸を強調することに問題はない」「このイラストが公共の場に晒されることに問題はない」ことを証明する意見を求めています。
戸籍もないし人権もない。生物学的には人間でも社会的にニンゲンじゃない。
そもそも他人なので彼らの権利は本質的にはどうでもよくて、私たちにとって有益であれば残す方に、そうで無ければ潰す方に加担すればよい。
ただし一度潰したら戻すことは出来ない。
時代によっては未来のいつか、デメリットの方が大きくなる可能性までは否定しないけど、今ではない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190808-00137629/
あなたにとって昭和天皇とは何ですか? その問いをもう私は何度も大浦さんに投げているのだが、自画像だ、天皇も自画像だ、とわかったようなわからないような返事が返ってくる。しかし、話を総合すると、海外へ行って自分のアイデンティティを模索するなかで天皇に行き着いたということらしい。確かに天皇、特に昭和天皇というのは、一定以上の世代の日本人の深層心理に影を落としている可能性がある。我々にとってそういう存在なのかもしれない。
天皇の写真←ヘイトではないが、ヘイトと勘違いしても仕方ない。展示側に説明責任がある
放射能最高←見ればヘイトじゃないとわかるのだが、デマに騙されてしまうことは人間ならあり得ること
慰安婦像←「ヘイト」と「政治的偏り」の区別がつかないのは単純に認知が歪んでいるのでは
以上、宇崎ちゃんを全力擁護した表現の自由戦士による三文解説でした。
補足だけど、天皇の写真もそうだし「日本しね」もそうだけど、元の表現自体にヘイトの意味合いはなくても、それを援用する第三者の中にはヘイトだと言われるのが妥当な人もいただろう。しかしその例にしても「流行語から死語にしたい」と言った政治家を叩くのはおかしいよね。