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はてなキーワード: 塞翁が馬とは

2022-01-28

人生塞翁が馬ヒールヒーローもあるよ

京大入試カンニングした男子がもしホストになってたり共テカンニング女子ホステスになってたらむっちゃモテるよな

度胸がちゃうもん

前者なんかムショに護送された結果311回避してたし後者もオミクロン回避しそうやし

2022-01-09

anond:20220109002748

なんか長々言ってるけど、

人生塞翁が馬なので、殴られてもいっか!

とはならんじゃろ

2022-01-02

子供好き

うちの子供達のことは愛しているけど、血が繋がっている親戚でも他所の子はあまりかわいいとは思えない。

かわいいと思うべきなのは理解しているが感情が追いつかない。

と、ここで思ったのは、自分の子であってもかわいいと思えない人もいるんだろうなということ。かわいいと思えるのが当然の道理だと頭では理解していても感情がそうならない人もきっといるんだろう。

自分の子かわいいと思えて幸せだ。

きじゃないととてもできないなと思うけど、子供を愛せるかどうかってのは最終的には生まれて育ててみなきゃわからない。

ガチャガチャ

人生ガチャガチャ塞翁が馬

子供好き

うちの子供達のことは愛しているけど、血が繋がっている親戚でも他所の子はあまりかわいいとは思えない。

かわいいと思うべきなのは理解しているが感情が追いつかない。

と、ここで思ったのは、自分の子であってもかわいいと思えない人もいるんだろうなということ。かわいいと思えるのが当然の道理だと頭では理解していても感情がそうならない人もきっといるんだろう。

自分の子かわいいと思えて幸せだ。

きじゃないととてもできないなと思うけど、子供を愛せるかどうかってのは最終的には生まれて育ててみなきゃわからない。

ガチャガチャ

人生ガチャガチャ塞翁が馬

2021-12-26

死ぬのを延期し続けていたら結婚してた

 今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。

 そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。

 経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。

 

 私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。

 元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛なのだ

 学生時代挫折連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通サラリーマンとなり受験就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。

 私には、生きるのに理由必要だった。

 趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由必要だった。

 そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。

 

 誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。

 婚活出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。

 リスキー投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。

 首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。

 いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。

 法テラスに連絡して弁護士破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。

 「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。

 

 職場上司暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。

 もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。

 そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。

 もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。

 

 そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事親友だ。

 それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。

 

 結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。

 看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。

 私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。

 少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。

 

 そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。

 私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似事件はみんな実刑になっていたからだ。

 しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。

 そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。

 

 警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。

 会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。

 

 昨年2020年年末私自身、満足していた。

 私は友人にとって特別存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。

 ここから先にあるのは、更に苦しく孤独未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。

 

 もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。

 

 早々に死ぬのなら、もう働く必要はない。

 職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。

 そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。

 

 不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。

 東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道反時計回りに一周し、小樽フェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。

 大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。

 そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。

 数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。

 

 本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。

 多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。

 私は罪を背負っていて、債務があって、仕事はない。

 日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。

 旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色しかなかった。

 

 旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。

 私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。

 彼女は、「あなたファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなた人生責任を負う覚悟があります」と言った。

 だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮役満人間である彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。

 しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。

 

 だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまたことに変わりはない。

 人生塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。

 私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。

 死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。

 そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。

 そして妻の人生もまた尋常ものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルピースのように奇跡的に当てはまりネットの海から掬い上げられた。

 自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。

 妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。

 

 私は、希死念慮者として暮らして長い。

 だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。

 一度「死ぬルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことな他人人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。

 私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期孤独にしなくて良かったと今でも思っている。

 

 だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。

 明日マックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。

 その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。

 そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。

 人間人間を救うことは出来ないけれど、それでも人間を救えるのは、人間しかいないので。

追記】2021/12/29

https://anond.hatelabo.jp/20211229194627

2021-11-22

[] そのひゃくにじゅうよん

オルフェーシュチーッス

 

自分意図しない結果になることってのは結構あるようで、まぁそれも人生面白さというか、豊かさというか、難解さみたいなものなのでしょうね。

とはいえしたことさえしなければ許容範囲を超えるような事態に見舞われるようなことはなかなか無いだろうし、ましてや時流に乗って余計なことさえしなければ無理矢理表舞台にひきずりだされることも…多分ないはず

まぁ人生万事塞翁が馬って奴ですね、訳のわからない事態に引き摺り出されて気付いたら訳の分からないことをしている、自分の中の正義関係なく、よくあることですね。

要は自分を見失わなきゃいいんだけれども、それも難しかったりするし

生きてるだけで暗中模索、探し物してる時に肘鉄食らわせてしまうこともある訳で

絶対的な物が少ない、わからいからこそ相対的ものの中でバランス感覚を取るしかないのかも知れないですね。

そうすれば重力ぐらいは上手いこと従ってくれるかも知れないし。

まぁそれも別のデカものの近くに寄らなければ、の話なんだけど。

そんな訳のわからない、正体のあるようなないような適当な話をして今日の朝礼を終わろうと思います

 

ということで本日は【問題取組の順序よいか】でいきたいと思います

問題取組の順序よいか問題取組の順序ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2021-08-26

anond:20210825214724

元増田家が途絶する未来が見えた。

でも生きてる人間ハッピーサンシャインに生きてたら万事塞翁が馬だよ。

でーじょぶでーじょぶ。幸せに生きて行こう。

2021-08-14

煽りを真に受けて帰省したアホが家族共感染してもどうでもいい。だってもうワクチン打ったし

anond:20210810222616

副反応ガーとかの騒ぎで大規模接種センターの予約枠が空いていた時期に、キャンセルで出た枠を複窓F5自動更新であっけなく獲得して

もう2回目接種後14日経ってるからコロナ阿鼻叫喚してる連中が面白くて仕方ないのよね

日頃の予約戦争で培ったスキルがここで生きてくるとはな、人生万事塞翁が馬、仏様に感謝

今頃になってスマホを血眼でポチポチして枠が取れないと騒いでいる情弱もいるみたいだが。何事も先手先手で動かなきゃねぇ・・・

エアコンの効いた安全環境でヤジを飛ばしながら見パンデミック映画サイコー面白いわ。

2021-06-19

anond:20110619184421

このまえ就活漫画を一気読みしたばかりの有識者ですが、

そんな塞翁が馬の毛並みで決めずに、生涯給与の多い方にするといいですよ

2020-12-09

anond:20201209173201

被害妄想かどうかは俺には分からんけど

絵を描く楽しい生活取り戻せたら万事塞翁が馬になるのでは?

2020-12-03

国家も万事塞翁が馬

ソ連中国という2つの国が、社会主義を諦めてペレストロイカ改革開放を行った。

ソ連は失敗して連邦解散し、ロシア貧乏になった。

中国成功して富を得て、益々領土を増やそうとしている。

貧乏になったロシア選挙を得てトップを選ぶ事ができるようになり、

かになった中国国内反体制言論弾圧し、トップへの批判を許さない国になった。

何が幸いし、何が不幸になるか分からないものだ。

少なくとも自分は、中国ロシアのどっちに生まれいかと聞かれたらロシアだが。

2020-11-03

anond:20201103224707

塞翁が馬の翁だとおもってたけど馬のほうだったのか

2020-10-31

anond:20201030155328

私も自発性がないかタイムリミット付きの強制イベント入れてそれで無理くり自分駆動してる感じ。

やりたくないのにやってる億劫感と無駄焦燥感が生じるが、それでも得るものはあるし気分がよくなることも多い。

ただ、心身ともの疲弊している時期は本当に増田のような思考になってて実際身動き取れなかったな。

まれ持った身体は取り替えることはできないが、体調や外部要因は変化するので万事塞翁が馬は成立すると思ってる。

2020-10-29

勝手死ぬな」「勝手に生きるな」と勝手に言われるし勝手に言う

要は自分が何を言いたいかというと健康診断検査つらい」なんですが。

それについていろいろと考察した長い文章が下に続いているだけ。

社会

日本人寿命が長いのって、国民皆保険があるからお金負担が安いことと、会社員が35歳以降に人間ドックを毎年受けることで早期発見治療しているかなのだろうか?人類医療で生かされてる(活かされてる)んだよな、健康的な意味でも、寿命的な意味でも。そりゃあそうだ。予防医学だよな。歯医者の定期健診を受ける、とか。

でも、トシくって様々な検査ちょっと辛かったりするのを目の当たりにすると、

検査をしたり医療を受けたりしてまでも生き永らえたいというモチベーションが、果たして自分にはあるのだろうか?」

という疑問が湧いてきてしまうのだよな・・・

積極的安楽死か、消極的安楽死か、なんか、そういうのが脳裏によぎる。

会社員でいる以上は、自分労働リソースとして供出しているのだから、その「労働リソースとして将来的にどのくらい使えるか」ということが会社的には気になるわけだし、あと法律で決まってるのかな?その辺の理由で、会社から言われたとおり健康診断を受けなきゃならない。「直せばまだ労力として使えるのならちゃんと直せ」というのが、営利企業や国力といった視点から論理と言えるだろう。

なんか、自分の体は自分だけのものじゃない」という感覚がする。「公僕」、会社社会の共有物かのような感じがする。

それは良いことなのか、悪いことなのか。

あ、検査がつらいんで受けません。安楽死しまーす。っていう自分の体に自己決定権利はないのかな。それ人道的にどうなのかな。

その「自分の体が自分のものじゃない」の最たるものが、家族意向により、胃ろうで生かされている人間でしょう。倫理的にどうなのでしょうか。かくいう私の親戚にもいます。こわいので面会していないです。いまはコロナで面会もままならないですが。

医学は、人為的に死をコントロールできる術です。進歩すればするほどコントローラブルな範囲が広がる。いずれは不老不死も実現するのかも知れない。

そのコントローラーを渡されて握るのは、本人であるべきなのか、他人であるべきなのか。自分というシステムroot権限は誰が持つのか。


えらい

それにしても、35歳くらいを超えてる会社員の全員がこういう検査受けてる、ってすごくないですか?

人によっては人間ドックを毎年サボってる常習犯が居たりして、まあ気持ちはわかる・・・ってなっちゃう。

医療体制がすごいのもあるし、検査にみんな耐えてるのえらいですよね。

医療進歩して検査負担を減らす改善継続的に行われていて、胃カメラを口から入れるとき不快感を減らすためにイカリングみたいな白い輪っかをくわえると、かなりラクになるんですよね。あれ。ノーベル平和賞でしょ。10年前に受けた時あんなのなかったし肩に注射麻酔してたんですけど、最近はのどスプレー麻酔になったし1時間麻酔切れるし、カメラ自体も細くなった。昔の胃カメラトラウマになってる人もいると思いますけど、いまだいぶ負担減ってるんで、バリウム飲むよりもラクじゃないかと思いますよ。


加齢と経済消費傾向

若い頃ってさ、なんか、さまざまな「リソース」というもの無限であるかのように錯覚していた。

言い方を変えれば「有限なリソース」という概念のものが頭の中になかったのかも知れない。

健康時間も、仕事にかけられる労力も、無限だと思ってたので、スケジュールも何もなくがむしゃらに働いていたような。

でも社会に出て、あ、いろんなものって有限なんだなって気づいて。そのリソース管理がすごく難しいことに気づいていった。

そして30を超えると、「自分健康寿命」というリソースの有限さをひしひしと感じるようになる。

若いころはモノを買うときお金の使い方がコスパばっかり考えていたように思う。安物買いの銭失いだ。

それはそれで「将来への投資」の考えがなさすぎる、貧者の思想だとは思うけど。お金に対してそういう貧しい考え方で育ってしまったのだから仕方がない。トシとっていってお金の使い方が少しはマシになったし、服にかけるお金がふえたりした。

トシを取ると自分寿命が頭の隅にチラつくので、コスパが多少悪くてもペイするように意識が変わっていっていると思う。

「いまは時期が悪い」とか言ってチャンスを見送っているうちに自分寿命のほうがなくなっていくからね。

たとえ時期が多少悪くても、じゃあいまやろう。お金をポンと出してやったぜ。と。

経済の話でいうところの「機会損失」って、商品在庫があるとか、買える機会とか、開催期間が限定されたイベントとか、そういう「外的な機会」の損失するかどうかを焦点にしがちに見えるけども、それだけじゃないんだな。外的機会がある間に、かつ、自分健康もなければならない。健康でなければ商品を購入して満足することができないから。

健康が不足していて機会損失も大いにあり得るわけです。「大切な推しイベントなのに風邪ひいていけなくなった」とか。

これっていうのは「推しは推せるときに推せ」「孝行したいときに親はいない」と通じるものがある。

から商売するのって、「ちょっと健康不安が出てきて、かつ、そこそこお金持ってる人」を狙うのが効率よさそうですよね。健康商品じゃなくても。

ゲスいですが。足元見てる。

そういうターゲッティングして商売してる人間自体も、いずれはその該当者になるんですよ。

自己決定

「おれは長生きしないんだ」つって、暴飲暴食してる人、ラク死ねると思うなよ。苦しむぞ。みたいな脅しツイートを見かけたりしますけど、まあ確かにそうなんですけど、それも安楽死があれば解決するんですよね。

日本における安楽死議論での反対派って「イジメみたいに同調圧力によって安楽死自己決定を促されてしま危惧ドグマにしてますけど、

すでに健康診断圧力によってつらい検査を受けさせられてる」現状があるので、たしかにそうかも。そうなるだろうなあとは思われます

自殺と他殺」という対比の概念がありますが、それと同じように「自生と他生」とでもいいましょうか。

どう転んでも、自分の体の健康維持や死についての決定権は、自分けが独占的・排他的に所有してはいない(できない)ようですね・・・。やはり自分の体は公僕性、公共物性を帯びているようです。それは国民皆保険であるから、国としては保険治療コストの高い病気をなるべく支払わずに済ませたいので、治療コストの高い病気にかかるリスクを下げておくための検査コストを支払っておく(強制的に受けさせる)ほうがトータルでコストが安い、という計算なのでしょうか。

他者圧力によって胃ろうで生かされてしまうようなことがある社会と、

他者圧力によって安楽死で死なされてしまうことがある社会

どっちがマシなんですかね?

同調圧力存在すること自体は不変なんですね。


勝手死ぬな」

勝手に生きるな」

勝手に言われるし、勝手に言う。

介錯してラクにさせてあげたほうがいいんじゃない?とも思うし、

もっと生きたかったんじゃない?とも思える。

人為的に死をコントロールできてしまうということは、サバイバーズ・ギルトってやつが生まれる。生存者の罪悪感。

面倒なことにならないように、自分の生死を他者人為的コントロール下に置かれることが無いようにしたいですね。

やっぱ自分コントローラ握って健康診断うけるかどうか決めたり、コロっと安楽死理想なんですよ。でもそれって一貫性としては、このコロナのご時世で「公衆衛生を省みない自分勝手自由な行動に出ることの許容」をも意味してしまうのですが。感染症や、医療保険の有無、といった社会的な連帯関係のものは物議をかもしますよね。そりゃ。

タイマーをセットできればいいのにね。デスノートみたいに。

自分死ぬときVR-HMDかぶって、なんか、すごい音と映像で逝きたい。

臨床宗教師仕事の中に「VR機材の管理」も含まれてくると思うんですよね、今後は。「テクノ法要」もありますし。映像や音声のクリエイターも、その走馬灯のような「最期映像」をクリエイトする日が来るわけですよ。

からVR業界から法曹界医療関係転職するようなキャリアパスもあるでしょうね今後は。

塞翁が馬

みとりびと、おくりびと

2020-08-07

anond:20200807132357

勝利条件が明確でなければ勝ちも負けもあったもんじゃないし、自分勝利条件は経年で変わる。結局は塞翁が馬で、死ぬ瞬間になってみないと勝敗の判定などできそうもない。

2020-07-22

anond:20200722071640

本当だよ。信じてくれなかろうが。

それにプロットならもう少し上手く書くよ。フリーター時代自分の書いた小説大手から出版された事もあったくらいなので、そこそこ文才もあるはず。

まぁ売れなかったので就職した訳だが、自分の本が出せた事でやる事はやり切った感があったな。

まぁ人生万事塞翁が馬って事で、今失敗だと思ってても後の幸せに繋がる事も多いと思ってる。

2020-05-22

anond:20200522111638

だが、それが役に立つこともある 人生万事塞翁が馬がごとし

2019-12-01

1月まれ

塞翁が馬人生の幸不幸は予測できないものだというたとえ。)

仕方なし

2019-07-27

ヤマカン監督としてその域に達していなかったから生き延びたんだな…

京アニ事件武本康弘監督の死亡が確認された。12年前、有名なヤマカン監督交代で、らき☆すた監督山本寛から引き継いで5話以降の監督をされた方。

山本寛ことヤマカンは、この後しばらくして京アニを退社。結局、詳細は公表されることはなかったが、ヤマカン京アニトラブルがあったことは間違いない。

ヤマカン監督の域に達していたら、今も京アニに勤めていて事件に巻き込まれたかもしれない。そう考えると、ヤマカン監督としてその域に達していなかった事が幸せに働いたんだな…人生万事塞翁が馬だ。

https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%9F%9F%E3%81%AB%E9%81%94%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84

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